第5話 いつか魔王になる少女
夢は、過去を
リスティを戦場に連れて行くのは、いつも
バサアッ!
泥と血を吸った布は重く、はためく
ブオォオーッ!
それは、彼女の
「悪魔が来たぞ!」
「
青い
しかし、悲鳴を上げるのは敵だけではなかった。
赤い
「き、来やがった!」
「逃げろッ! 巻きこまれて死ぬぞ!」
丘の上からその様子を
冷たい金属の感触が、服越しに背骨へ届く。
「やれ。やらなければお前の師匠とやらも殺す」
リスティは唇を噛む。
戦場の臭いが、口の中に鉄の味を
「……はい」
小さく
指先は震えていた。けれど、詠唱はもう震えない。
「……原初の
煮え立て
この戦場に引きずりこまれるまでは、数回しか唱えたことのない魔術だった。
それが今では、何十回と経験してしまっていた。
「──
空気が焼けた。
耳の奥で、世界が一瞬だけ無音になる。
多くの敵兵と、それよりは少ない味方兵を、炎の川が
土を舐め、盾を溶かし、倒れた兵も立っていた兵も区別なく呑みこんだ。
誰かが叫んだ。
誰かが母を呼んだ。
その声も、すぐに炎の
シュッ!
「があっ!?」
隣でくぐもった声がした。
血がごぼりと
倒れる
「た……助けてくれ!」
喉に刺さっていた矢は消えている。
「なあ! オレの
へ、へへっ、可愛いんだ……頼む……会わせてくれよ……」
敵兵の目から涙が落ちる。頬にこびりついた泥と血を溶かし、
「……はい」
リスティが力なく
「あ、あああ、ああ! ありがと──」
ガンッ。
その顔の上から、メイスが落ちた。
敵兵の顔の上半分がひしゃげる。
敵兵は、もう娘の話をしなかった。
敵兵の後ろから、見知った小隊長が現れる。
小隊長はリスティの頭に手を置いた。
ガントレット越しの手は重く、硬く、撫でられると少し痛かった。
「危ない所だったな」
「……この人は、わたしを殺すつもりじゃありませんでしたよ」
「違う。こいつが逃げたら、俺はお前を殺さなきゃいけなかった」
リスティは、何も答えられなかった。
答えようとして、喉の奥に何かが詰まる。新鮮な血肉の臭いを吸いこみ、胸の奥がひゅうと鳴る。
「……魔王が出なけりゃ、ここまで戦争が長引く事はなかったろうに」
小隊長が吐き捨てる。
その足元の土が、ぼこりと盛り上がった。
ガズッ!
地面から生えた土の槍が、小隊長の
小隊長の身体が空中で
次いで、リスティの肩に手が触れる。
血に濡れた、細い手だった。
「……逃げろ……」
振り向くと、そこに魔術師のローブを着た女性が立っていた。
顔は
「……師匠……」
声が勝手にこぼれた。
周囲には、赤い
風が吹くたび、彼らの装備が触れ合い、かちかちと小さく鳴る。
師匠はその音に耳を貸さず、リスティの前に
「……私が旅する中で
私は、
師匠は
戦場の
「これを持って、レイワズ王国の首都──ヨートゥルムの魔術師ギルドに行け。
ここにずっといたら、何も
リスティは封書を受け取れなかった。
両手が胸の前で固まる。差し出された白い封書に、師匠の返り血がひとつ落ち、赤い花となって広がる。
「でも……逃げたら師匠が……」
ピィィィ、と高く、細く、終わりを告げる音。
味方軍の合図だ。
近づいてくる。泥を蹴る足音と、鎧の鳴る音も混じり始めた。
師匠は背後を見て、目を細める。
それから、リスティの手に封書を握らせた。
「……絶対に、その封書を手放すな。
お
そして、師匠が詠唱を始める。
師匠の詠唱を聞く度に、
「
ビュウッ!
生み出された
師匠の手が離れる。
足が地面を失う。
「師匠ッ!」
叫びは風に
リスティは100歩近くも吹き飛ばされた。背中から泥に叩きつけられ、肺の中の空気が潰れる。
顔を上げると、師匠はもう遠い影になっていた。
その影を、赤い兵たちが取り囲む。
ズッ。
師匠の影もまた、赤く染まった。
悪夢から目を覚ます。
「ん……」
ガタガタガタ……。
車輪が小石を踏む音がした。
鼻先を、干し柿と木材の匂いがくすぐる。血の臭いでも、焦げた肉の臭いでもない。
リスティはゆっくり
森の中を、馬車が進んでいる。
旅の荷物を枕にしていたせいで、頬に布袋の跡がついている。
リスティが、固くなった
年の頃は10歳ほど。小さな
リスティは身にくるんでいたマントを
「おはよう、リスティちゃん」
「おはようございます」
「ほっほっほ。とはいっても夕方じゃがのう。
あと1時間もすれば、ティミー村に着くぞ」
リスティは胸に手を当てた。
心臓が、速く打っている。けれど馬車の揺れは穏やかで、森を抜ける風は涼しい。
彼女は細く息を吐いた。
「……ここが、平和な国で良かったです」
おじいちゃんは
「うむぅ……確かに今は平和なもんじゃ。
じゃがこの国には、100年前には魔王がいたんじゃよ。……ホレ、見てみぃ」
おじいちゃんが街道の先を指さす。
「あれ……? ここから先、何にもないですね」
リスティが目を
森の中だというのに、緑がぷっつりと途切れている。
近づくにつれ、その異様さがはっきりしてきた。
木も、
雨に洗われた土だけが、古い傷跡のように
「ここは、元々スパイク村っちゅう場所じゃった」
おじいちゃんの声が、少しだけ沈む。
「レイワズ王国にはのう、
スパイク村でそいつが発生してのう、ガーノスヴァイエはここら一帯を病んだ土地にしたんじゃ」
「……すみません、訳も知らずに変な事を言って」
「これを知らないっちゅうことはもしかして、リスティちゃんはイオーズ祭に行くんじゃないのかえ?」
「……いえ、わたしはヨートゥルムに届け物をしたいんです」
「ほっほっほ。なら、ついでにイオーズ祭も楽しむとええ。
勇者イオーズ様が、ガーノスヴァイエを倒した事を祝うお祭りじゃ。建国記念日でもあるのう」
おじいちゃんは「ほっほ」と笑う。
その声に押されるように、馬車はスパイク村跡を通り過ぎた。
やがて、道の先に小さな光が浮かぶ。
夕暮れに灯された、
人の話し声、家畜の鳴き声、鍋をかき混ぜる金属の音。生きている村の音だ。
馬の歩みがゆるみ、馬車はティミー村へ入っていく。
おじいちゃんとリスティが荷台から降りると、村人が2人ほど近づいてきた。
「ジョニー村の人かい?」
「そうじゃ。イオーズ祭に干し柿を売りにな」
おじいちゃんは、村の入り口脇にある空き地へ、馬車を誘導しようとした。
だが、村人が片手を上げる。
「ちょいと待ちな。
「むう?」
おじいちゃんは首を
「いつもなら、馬の
「『いつもなら』な。だが……ここ最近、
村人は、村の外れに目を向けた。
そこにはまだ夕焼けが残っている。だが、木々はすでに黒く沈みはじめていた。
「30日くらい前から、ここらでゴブリンの群れが出るようになった。
最初は村の狩人だけで
もう一人の村人が、腰に下げた
「そして今じゃ、夜に見張りを立てなきゃならんトコまで来てる。
建物を守るのに手一杯でな、村の
村人が悩みを開くと、それを聞いたリスティが会話に参加する。
「あの……ゴブリンの群れを、倒せばいいんですか?」
村人たちの視線が、いっせいにリスティへ向いた。
「ああ、イヤっていうほど大量のゴブリンだ。
まさか
村人のせせら笑いに、リスティが胸を張る。
「できます」
彼女の自信に、おじいちゃんも
「そうじゃ。
このリスティちゃんはのう、わしらの村を悩ませていた魔女を倒したことがあるんじゃ」
「魔女? あの魔女をか?」
村人は
リスティはその視線から逃げなかった。
「馬車でよく寝ていたので、夜の襲撃に備えることができます。
わたし──リスティ・クノケウスが、ゴブリンを全部倒してみせましょう」
「クノケウス!?」
「あの、『いつか魔王になる』とウワサの!?」
ざわりっ。
リスティの宣言に、村人たちは顔を突き合わせる。
「