いつかは魔王!   作:元近ちか

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第9話 復讐前夜

 リスティがティミー村に来て、二日目の夜。

 

 家々の窓から、蜂蜜(はちみつ)色の()がこぼれていた。

 それはいつもなら、鍋の湯気や笑い声を思わせる温かさだったのだろう。

 しかし今夜の光は、闇に追い詰められた人々が、内側から必死に押さえている小さな火のように見えた。

 

 広場では、村人たちが輪を作って話し合っている。

 手にしているのは、農具、斧、古びた弓。戦うためというより、何かを握っていなければ不安で仕方がないといった様子だった。

 

 子供や老人は、宿屋へ集められている。

 宿の食堂には普段より多くの椅子が並べられ、毛布や水差しが壁際(かべぎわ)に積まれていた。

 

 リスティは、その隅で小さく立っていた。

 

「リスティちゃん、これもお願いできる?」

「はい」

 

 宿屋の婦人から受け取った水差しは、思ったより重かった。

 リスティは両腕で抱えるように持ち、避難してきた老人のそばまで運ぶ。

 水が内側で揺れ、陶器(とうき)が胸元に硬さを押し当てた。

 

「こちらに置いておきます」

「ありがとうねぇ」

 

 柔らかな声を返され、リスティは小さく会釈(えしゃく)する。

 

 誰も彼女を責めなかった。

 昨夜、ゴブリンを倒すと言っておきながら、倒しきれなかったことを。

 

 だからこそ、胸の奥に沈むものは、重くなる一方だった。

 

「…………」

 

 胸元のネックレスへ、視線が落ちる。

 

 鎖が中に通された、指輪型の魔式装具(マギスレイヴ)

 詠唱を必要とせず、炎の柱を呼び起こす道具。

 

 これを使えば、ゴブリンを焼けるかもしれない。

 しかし、一回だけで壊れてしまう使い切り。

 

 師匠が、「命に差し障りがある時にだけ使え」と渡してくれたものであり、遺品だ。

 ここで使ってしまったら、本当の緊急事態に対応できないかもしれない。

 

 ──わたしの魔力がこんなに高くなければ、もっと練習して、もっと強い魔術師になれるのに。

 

 ネックレスを手繰(たぐ)り寄せ、指輪に触れる指先が、金属の滑らかな表面をなぞる。

 その時だった。

 

 ギィ……。

 

 宿屋の扉が、重たい音を立てて開いた。

 食堂にいた村人たちが、一斉に顔を向ける。

 

 夜の闇を背負って、誰かが立っていた。

 最初、リスティにはそれが人間だと分からなかった。

 

 銀色の髪は血と泥で固まり、衣服はあちこち裂けている。

 肩にも、頭にも、破れた襟元(えりもと)にも、枯れ葉が貼りついていた。

 

 まるで、森そのものを引きずって帰ってきた亡霊だった。

 

「ハルスフォートさん!?」

 

 リスティが声を上げるのと、彼が宿の中へ倒れこむのは同時だった。

 

 どさっ。

 

 床板が(にぶ)く鳴る。

 倒れた身体から、ぱらぱらと枯れ葉が散乱した。

 

 村人たちが息を呑む。

 子供の一人がつんつんと頭を突き、誰もが思った事を呑気(のんき)にこぼした。

 

「死んだんじゃないの~?」

 

 リスティは水差しを置き、駆け寄った。

 

「だ、大丈夫ですか!? すごい血──!」

「大丈夫だ……」

 

 ハルスフォートは、差し伸べられた手を片手で制した。

 壁に手をつき、足を一歩ずつ引きずるように、食堂の椅子へ向かう。

 

「ほとんどゴブリンの血だ……おれへの心配は要らない……」

 

 そう言って、椅子に腰を落とす。

 そして、そのままテーブルに突っ伏した。

 

 衝撃で、頭のてっぺんに()っていた一葉(いちよう)が、ひらりとリスティの前に落ちる。

 

「……多すぎる……修正が必要だ……」

 

 ハルスフォートの声は、地の底から響くように(かす)れていた。

 

「倒せなかったんですか……?」

 

 リスティは問うた。

 ハルスフォートは、突っ伏したまま片目だけを開ける。

 

「ああ、倒した。斬って、突いて、飛ばして、蹴った」

「それで……?」

「それでも減らん」

 

 食堂の空気が沈んだ。

 誰かの椅子が、ぎしりと鳴る。

 

「おれの想定を……ほんの、数百ほど上回っていただけだ」

 

 その時、食堂の(すみ)から声が投げられる。

 

「──いや、恐らくは千人以上が生活している」

 

 不意の言葉に、ハルスフォートは目だけを動かした。

 リスティもそちらを見る。

 

 ランプの影に、旅人装束(たびびとしょうぞく)の金髪の男が座っていた。

 食堂に避難してきた村人たちに(まぎ)れていたらしい。

 (ひざ)の上で組まれた手は落ち着いていて、周囲のざわめきから一人だけ半歩離れているようだった。

 

「あの……誰ですか?」

 

 リスティが訊ねると、金髪の男はフッと苦笑し、手に白いシーツを持つ。

 

「そういえば、君にはこの姿の方が分かりやすいか」

 

 バサッ!

 

 男は白いシーツで、自身をぐるぐる巻きにした。

 そのフォルムに覚えがあるらしい、リスティは口を大きく開けた。

 

「ああっ! そのシーツは!

 昨夜一緒に、ゴブリンと戦ってくれた旅人さん!」

「……どういう関連付け記憶だ……」

 

 ハルスフォートが静かにうめいた。

 

 シーツでぐるぐる巻きの男は、近くのイスを引き寄せた。

 彼は、懐から折り畳まれた紙を取り出す。

 

 広げられたのは、手描きの周辺地図だった。

 

 村。

 森。

 川。

 畑。

 そして、森の一角に集中した無数の印。

 

 リスティは、地図に顔を寄せた。

 

「これは……?」

「昨日と今日、昼に調査した結果だ。ゴブリンを視認した箇所にマークをつけている」

 

 男は指先で地図を叩く。

 

 印は、森の一部を囲むように円を作っていた。

 だが、その円の中心には、何も描かれていない。

 

「……中央部が空いていますが、そこには、ゴブリンがいないんでしょうか?」

 

 リスティの問いに、男はシーツを横に揺らした。

 

「これは『いなかった』のではなく、『視認できなかった』ということだ。

 このマークの輪は、ゴブリンの輪。これ以上の接近ができないほどに密集していた」

 

 男の指が、空白の中心を示す。

 

「推測するに、この中央にもゴブリンはいる。むしろ、ここが巣の中心だろう」

「千人以上、というのは?」

 

 ハルスフォートが問う。

 声から疲労は抜けていないが、目には鋭さが戻っていた。

 

外縁(がいえん)だけで見積もっても数百。中央部を含めれば、千は下らない」

 

 ジジッ……。

 

 ランプの油の焼ける音が、訪れた静寂(せいじゃく)を誇張する。

 誰かが、ごくりとツバを呑んだ。

 

 千。

 村人たちの手にある農具や弓では、とても(あらが)えない数だった。

 

 ハルスフォートはゆっくりと身体(からだ)を起こし、地図を見下ろす。

 

「おれが見た限り、連中は(みょう)だった」

(みょう)?」

 

 リスティが反復する。

 

「顔が同じだった。

 体格も、声も、耳の形も、クセも似すぎている。

 群れではあるが、群れらしくない」

 

 金髪の男は、シーツの奥で満足げに喉を鳴らした。

 

「そう、僕の観察でも同じ結論だ。

 彼女らは全て──ミドリミミナガゴブリンの1歳の女性だった」

「いや……そこまでは知らないが……」

 

 ゴブリンの年齢と性別まで見分ける趣味は、ハルスフォートにはない。

 だが金髪の男には、あるらしかった。

 

「ともかく、ゴブリン(もく)単為生殖(たんいせいしょく)が確認されていない以上、女性のみの個体群組成(こたいぐんそせい)というだけで異常と言える」

 

 リスティは、聞き慣れない言葉を頭の中で転がした。

 視線が、地図の上をゆっくりとさまよう。

 

「つまり……繁殖(はんしょく)以外で増えた、という事ですか?」

「そうなるだろうな」

 

 ハルスフォートが地図の中心を指で叩いた。

 

「ここに、何かがある。ゴブリンを生み出し続ける何かがな」

「何か……」

「恐らく、天然の魔式装具(マギスレイヴ)だろう」

 

 その単語に、リスティの手が胸元へ伸びかけた。

 

「天然……? 魔式装具(マギスレイヴ)って、人が作るものではないんですか?」

「普通はな」

 

 ハルスフォートは、自分の頭を指でつついた。

 

「だが、まれに自然発生する。人間の脳には、魔術を組むための霊的構造(れいてきこうぞう)がある。

 死後、その構造が肉体から()がれ、龍脈(りゅうみゃく)と繋がることがある。

 そうなると、その構造は永遠に魔術を吐き出し続ける」

龍脈(りゅうみゃく)……そんなものがあるんですね」

「ああ。龍脈(りゅうみゃく)の元もまた、人間だ。

 人間は魔力を生む。その人間の生活圏で(あふ)れた魔力が地に染みて龍穴(りゅうけつ)になり、それを源流とする魔力の川──龍脈(りゅうみゃく)が流れる」

 

 リスティは、ネックレスにぶら下がった指輪型の魔式装具(マギスレイヴ)を握る。

 彼女は、かつて聞いた言葉を思い出した。

 

「……わたしは以前、師匠から教わったことがあります。

『死者を見たら火葬しろ』、と。意図しない魔式装具(マギスレイヴ)を造らない為だったんですね」

 

 ハルスフォートは、短く「ああ」と返した。

 

「そのゴブリンの輪の中心に、天然魔式装具(マギスレイヴ)があるはずだ。

 そいつを破壊しない限り、何体斬ろうが終わらない」

 

 リスティは地図を見つめた。

 ゴブリンの円の中心に、全ての原因がある。

 

「なら、わたしの魔術で、その魔式装具(マギスレイヴ)を壊せませんか?」

 

 声は、考えるより先に出ていた。

 ハルスフォートと金髪の男の視線が、リスティへ向く。

 

「射線が通れば、だな」

 

 ハルスフォートが地図を(にら)む。

 

「ゴブリンの壁がある。

 連中が密集しているなら、炎は中心まで届く前に、外側で(さえぎ)られる可能性が高い」

「上からならどうですか?」

 

 リスティはすぐに返した。

 

「ハルスフォートさんの跳空(エアステア)で、上まで運んでもらえれば……」

「駄目だ」

 

 遮ったのは、金髪の男だった。

 

「ゴブリンは投石をしてくる。

 ヒトが魔術を1つしか使えない以上、何十もの(つぶて)の回避は不可能だ」

 

 ゴブリンの有識者らしい男に、ハルスフォートはふと聞いてみる。

 

「ゴブリンの行動パターンについて詳しいのか?」

「まあ、一般人よりは詳しい」

「あのゴブリンについて不可解な点がある」

「不可解?」

「ああ。おれがゴブリンに敗北した後のことだ」

 

 テーブルに落ちていた葉っぱを拾い、ハルスフォートは指先でくるりと回した。

 

「倒れたおれに対して、あいつらは列をなした。

 おれの体にこういった葉っぱを被せて去っていったが、あれはなんの目論見がある?」

 

 ハルスフォートとしては、あの「儀式」によって敵に戦略的利益があるかと疑ったが故の発言である。

 しかし──。

 

「本当か!?」

「ああ。あれはもしや、ゴブリンの儀式魔術──」

「まさか、ミドリミミナガゴブリンも『疑似葬送(ぎじそうそう)』を行うのか!?」

 

 金髪の男が、シーツの下からノートと羽ペンを取り出した。

 羽ペンの先が、ノートの上をしゃかしゃかと走り始める。

 

疑似葬送(ぎじそうそう)……?」

「そう。古くから近縁種(きんえんしゅ)のハイイロゴブリンには、敵対個体を屈服させた後、その体に葉や泥を積み上げる疑似葬送(ぎじそうそう)が確認されていた。

 だが、ミドリミミナガゴブリンにおいて同様の行為が起こるとは、僕の知る限りこれが初めての事例だ!」

「あの──」

 

 ハルスフォートの制止は、羽ペンの音にかき消された。

 男は顔を乗り出す勢いで続ける。

 

「彼らにとってそれは、相手を殺す価値すら持たない『廃棄物』……つまり、()()()()()と断定した際に行う最大の挑発だ。

 通常、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。また、ミドリミミナガゴブリンは他のゴブリンよりも知能が高く『負けたフリ』を察知するため、意図的にこの事例を起こすことは難しい!」

「…………」

 

 ハルスフォートの周囲だけ、空気が一段冷えた。

 

 殺す価値すら持たないただのゴミ。

 ゴブリン相手に本気で負けた敗北者。

 

 金髪の男は、無邪気にハルスフォートの尊厳を踏みにじった。

 しかも本人は、踏んだ感触にまったく気づいていない。

 それどころか、感激した様子でハルスフォートの手を取り、強引に握手した。

 

「いや、貴重なデータをありがとう。

 僕は深夜に備えて仮眠させていただく。それでは失礼」

 

 男は言いたい放題言った後、客室のある2階へと軽やかに上がっていった。

 階段が、とん、とん、と呑気な音を立てる。

 

「……リスティ」

「は、はい……」

 

 地の底から響くような、幽鬼(ゆうき)の声。

 ハルスフォートは目を血走らせ、グリンッ! と首をリスティに向ける。

 

「ゴブリン、殺したいか?」

「まあ……村の人たちが困っているので……」

「殺したいか?」

「……はい」

「おれもだ。奇遇だな」

 

 強引に合意を取りつけ、ハルスフォートがゆらりと立ち上がる。

 

「リスティ、却下されたおまえの案を採用するぞ。

 魔剣士のおれなら、シーツ野郎の言っていた懸念点(けねんてん)をブチ壊せる。

 手を組め。ゴブリンどもを地獄のゴミ集積場に投下してやる」

 

 鬼気迫るハルスフォートに気圧(けお)され、リスティが恐る恐る首肯(しゅこう)した。

 

「……分かりました。

 怖いですが、負けたままでいるのは、もっと嫌なので」

「明日。昼に実行する。

 今夜は休め。おれも寝る」

 

 端的に指示する、血と泥にまみれたハルスフォートに、

 

「お風呂、入った方がいいわよー」

 

 賢明な宿屋の婦人は、入浴を勧めた。

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