人を助けないと即死亡の呪いを受けた悪役貴族の俺、しぶしぶ一日一善してたら、史上最高の名君に成り上がってしまう〜災厄貴族ジューダス・ファウルトの偽善〜 作:三月菫
俺達は馬をオルレインの町の入口まで進めた。
近づくほどにオルレインの町並みが暗闇に浮かび上がってくる。
外周に背の低い木柵がぐるっと巡らされていて、その中に木造りのちっぽけな家々が、点々と並んでいる。
その窓から漏れる灯りと、煙突から立ちのぼる細い煙が、かろうじて人の営みを示しているようだった。
(しかし、この木柵……魔獣や野盗への備えなんだろうが、正直、心許ないな)
背の低い木柵はところどころ歪み、補修の跡も雑だ。
これじゃ防壁というより、せいぜい目印程度にしか見えない。
そんな頼りなさを覚えつつ、町を囲う外周に沿って進み、やがて門の前までたどり着いた。
門の前には、人影がひとつ立っていた。
外套に身をまとった初老の長身。
白髪をオールバックに撫でつけており、顔には
背筋がまっすぐで、寒さの中でも立ち姿が崩れない。
男は俺たちの到着を待っていたようで、俺達が近づくと、胸元に手を当て、落ち着いた所作で一礼した。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
「お前は?」
「ヴィクトル、と申します。このオルレインの名代であられます、執政官ゲスラー様に仕える執事でございます」
そう名乗ると、男はもう一度、丁寧に頭を下げた。
俺たちは馬から降りて、手綱を引いた。
ヴィクトルは面を上げると、まっすぐに俺を見据えた。
「ジューダス・ファウルト様でいらっしゃいますね」
「……ああ、そうだ」
俺が名乗る前に、向こうから名前が出た。
確認するような口調だったが、そこに疑いはない。
この地へ赴くこと自体は、事前に通達されているのだろう。
「これより館へご案内いたします。ゲスラー様がお待ちです」
「館?」
聞き返すと、アーヴァインは一拍だけ置き、踵を返して町中の方へと向き直った。
「どうぞ、私のあとについてきてください」
そう言って歩き出す背中には、迷いがない。
俺たちは馬を引き、素直にその後を追うことにした。
門をくぐって町中に足を踏み入れる。
俺はヴィクトルの跡をついていく道すがら、きょろきょろとオルレインの様子を伺った。
建物はいずれも粗末で、壁板はひび割れ、屋根もところどころ歪んでいる。ろくな手入れもされていない証拠だ。
これでこの地方の厳しい冬を過ごすのだから、庶民の苦労ってやつが忍ばれる。
それに——
(妙に、静かだな)
町はしんと静まっていた。
外には俺達以外ひとっこ一人いない。
もちろん夜だからというのもあるだろう。
また、降り積もった雪は音を奪う。
だが、それにしたって静かすぎる。
まだ時刻は夜の六時を少し過ぎたところ。
家の中から、団らんの話し声や、酒場のざわめきが聞こえてきてもおかしくない時間帯だ。
なんというか、人の気配こそ感じるのだが、町全体が息を潜めているような感じがした。
「……静かだね」
ブリジットが小さく呟く。
サーシャも周囲を見回しながら、短く息を吐いた。
「警戒している町、という印象です。おそらく夜間の野盗や魔獣の襲撃の危険に常にさらされているのでしょう」
二人とも俺と同じような印象を抱いていたらしい。
俺は特に言葉も返さず、黙々とヴィクトルの跡をついていった。
しばらく進むと、そんな町並みの中で、ひときわ大きな建物が視界に入った。
「……あれか」
二階建ての石造り。
ぐるりと手入れの行き届いた植栽に囲まれ、外観だけを見れば立派な館だ。
だが、俺はその建物に、拭いきれない違和感を覚えていた。
執政官の館が大きな建物であること自体は、別に不自然じゃない。
この地を治める立場である以上、それなりの威厳や体裁は必要だろう。
なのだが、町全体が沈んでいるせいか、そこだけ妙に浮いても見えるのだ。
「馬はこちらでお預かりいたします——」
ヴィクトルの促しに応じて敷地内の馬屋に馬を入れ、俺たちはそのまま屋敷の中へ足を踏み入れた。
館内も、実に貴族の屋敷らしい造りだった。
高い天井からはいくつものシャンデリアが下がり、温かな灯りが空間を満たしている。
階段は広く、廊下の幅にも余裕がある。
複数人が並んで歩いても、窮屈さを感じさせない。
壁には絵画等の到達品が飾られ、床にはボルドーの絨毯が敷き詰められている。
さっきまで通ってきた町の暗さが、まるで嘘みたいだ。
「皆様、こちらまで——」
ヴィクトルは先に立って二階へと上がり、やがて一番奥の扉の前で足を止めた。
一拍置き、扉をノックする。
「ゲスラー様。ジューダス様をお連れしました」
「入れ」
中から返事があった。
ヴィクトルは少しだけ扉を開けると、俺達に入室するように促す。
俺は一歩、部屋の中へ足を踏み入れた。
部屋の中央前方には重厚な書斎机と椅子。
右手の壁際には、大きな暖炉が設置されている。
暖炉のそばにはおそらく来客用だろう、テーブルとソファが置かれていた。
その傍らに、口ひげを蓄えた中年の男が立っていた。
「いやいや、これはこれは! 遠路はるばるお疲れさまでございました、ジューダス様!」
背丈は俺より低いが、横幅はふた回り大きい。
でっぷりと突き出た腹を仕立てのいい貴族服に押し込め、男は揉み手をしながら近づいてくる。
「——わたくしは、先代ガリオス様より長くこのオルレインの代理統治を任されておりました執政官のゲスラー・ベンディクスと申します。以降お見知り置きを」
ゲスラーは妙に上機嫌な声で、自分の名を名乗った。
「俺はジューダスだ。ガリオスの崩御に伴い、この地オルレインの——」
俺が説明を始めようとした、その途中だった。
ゲスラーは両手を大げさに振り、俺の言葉を遮る。
「はいはい、子細、存じております。ジューダス様、今後はこのオルレインで、どうぞごゆっくり!」
「あ? ゆっくり?」
「辺境ゆえ至らぬ点も多いですが、どうかご容赦を。まずは長旅の疲れを癒していただきたく、ささやかではありますが湯と食事をご用意しております」
「湯……?」
「地下に浴場がございます。なんせこの時期のオルレインは極寒ですからな。さぞ身体も冷え切っておられるでしょう」
ゲスラーは満面の笑みを浮かべ、もっともらしくそう言った。
気遣いとしては筋が通っている。
俺は断る理由が見つからず、素直にうなずいた。
事実、身体の芯まで冷え切っていたのは確かだ。
「……ありがたく受けとろう」
その一言に、ルインはぱっと表情を明るくし、ブリジットとサーシャもほっとしたように息をついた。
そんな俺達の反応に、ゲスラーは満面の笑みで手を、ぽんっと叩いた。
「では早速! ヴィクトル、案内を」
「かしこまりました」
ヴィクトルの返事は淡々としていた。
「皆様、どうぞこちらへ——」
◆
ゲスラーの館の浴場は想像以上に広かった。
湯は熱く、湯気が肌にまとわりつく。
旅の疲れがじわっと溶ける感覚があった。
それにほのかな硫黄臭を感じる。
つまりただの湯ではなく温泉ということなのだろう。
(この湯に毎日疲れるのは……悪くねえ)
素直に俺はそう思ってしまった。
湯浴みを終えたあと、俺はそのまま食堂へと通された。
すでに入浴を済ませたルインたちも席についており、縦長の食卓には料理がずらりと並んでいる。
ローストチキン、野菜たっぷりの魚介パエリア、温かなスープ。
おまけにワインまで用意されている。
辺境の館としては、これ以上ないくらいに過分なもてなしだ。
「おいしそうー!」
俺の隣に座るルインは感嘆の声を上げ、対面に座るブリジットとサーシャも思わず顔を見合わせている。
「いやぁ、遠いところから来ていただいたのです。これくらいのもてなしは当然でございますとも。ふははは……」
上座に座るゲスラーは、満足げに笑う。
「それではしばし、英気を養っていただきましょう」
◆
提供された食事は、見た目以上に滋味に富んでいた。
焼き加減のいい肉は柔らかく、魚は脂がのっている。
温かなスープが、じんわりと体に染み渡った。
「……美味しいね!」
「ええ……とても」
ブリジットがほっとしたように息を吐き、つられてサーシャも思わず頬を緩めて小さくうなずく。
ルインに至っては、目をきらきらと輝かせ、ハムスターみたいにほっぺたをふくらませながら夢中で頬張っていた。
「おいひいです、ジュダさま! これ、いくらでも食べられます!」
「意地汚え食い方してんじゃねえよ。ほれ、喉がつまるぞ」
俺はルインに水差しをくれてやる。
「いやはや、皆さまのお口に合ったようで何よりですな」
そんな俺達の様子にゲスラーは満足げに頷き、ワインを一口含んでから、俺に視線を向けた。
「さて、ジューダス様。今後のことですが——」
その眼差しに笑みは浮かべたまま。
だが、その奥にあるものを、俺は測りかねていた。
「町の執政につきましては、しばらくは、これまで通りワタクシにお任せいただければと」
「……ほう」
「もちろん、正式な代領主はジューダス様でございます。しかし、この最北の地は、貴方様にとってもまったくの未知の土地。そうでしょう」
ゲスラーは、言葉を選ぶように続ける。
「まずはこの地の冬に慣れることが先決です。焦る必要はございません」
「…………」
「この地は辺境ゆえ、外界からは切り離されております。ゆえに外交や政争とも、よくも悪くも無縁。やることといえば、領民が困窮しないよう目を配ることくらい。そのような雑務を、わざわざジューダス様の御手を煩わせる必要はありません」
そこで、ゲスラーはにこやかに結論を告げる。
「雑務はこのゲスラーにおまかせを。ジューダス様はどうぞ、ゆっくりとおくつろぎいただければ」
言い方は柔らかいが、この男は要は
俺はゲスラーの顔を眺めながら、その資質を測ろうとしたが——まだ判断材料が足りない。
俺はゲスラーの顔を見つめたまま、
相手の嘘と感情の揺らぎを、微細な違和感として捉える魔法だ。
だが、どうやらゲスラーは《精神干渉》そのものを遮断する術を備えているらしい。
奴の内面は、まるで厚い壁に阻まれたかのように、探ることができなかった。
(ちっ……)
心の中で舌打ちをする俺。
(まあ、たしかに、俺はオルレインについて右も左もわからねえ。慣れるまでは様子見が妥当か……)
ゲスラーの言う事にも一理あるように思われる。
「……分かった」
「おお! ご理解いただけて何よりです!」
ゲスラーは、それを完全な同意と受け取ったらしい。
上機嫌に笑い、「では今宵はごゆるりと」と締めくくった。
食事を終え、用意された部屋へ案内される。
寝室は暖かく、ベッドはふかふかだった。
(……なんか、ファウルト家の俺の部屋よりいいんだが)
その事実に、妙な敗北感がよぎる。
だが疲れが勝って、意識はすぐに沈んでいった。
◆
そして翌朝。
俺は目を覚ました。
その瞬間、反射的に視界の端へと意識を向ける。
起きてすぐ、刻数の残数をチェックするのが習慣になっていた。
昨日の刻数は「18」だった。
特に人助けをした覚えもなければ、罪に問われるような行動もしていない。
ならば、今朝は順当に「17」になっているはずだ。
……そのはずだった。
「……は?」
表示されている数字が、噛み合わない。
昨日まで「18」だった刻数が——
「13……!?」
五つ。
一晩で、五つも減っている。
それで寝ぼけた頭が、一気に冷えた。
「……ど、どういうことだ!?」
昨日、俺は何もしていない。
誰も殴っていない。
怒鳴ってもいない。
ましてや、殺してもいない。
それなのに刻数が、五つも消えている。
理由が、まったく思い浮かばなかった。
嫌な予感が、背中を這い上がる。
「……考えてても埒が明かねえ」
俺はベッドから起き上がった。
刻数が減った理由を突き止める——
それが、今の最優先事項だった。