人を助けないと即死亡の呪いを受けた悪役貴族の俺、しぶしぶ一日一善してたら、史上最高の名君に成り上がってしまう〜災厄貴族ジューダス・ファウルトの偽善〜 作:三月菫
朝食の席。
サーシャとブリジットはまだ起きてきていないようで、食堂には俺とルインの二人っきりだ。
「わあ、美味しそう!」
用意された朝食を目にした瞬間、ルインの表情がぱっと明るくなる。
その反応に偽りなく、昨日の夕食に負けず劣らず、メニューは豪勢だった。
焼きたての白パンに、山盛りの燻製肉。
色とりどりのピクルスに、コーヒーまでついている。
味もボリュームも申し分ない。
……のだが、正直、俺は味わうどころじゃなかった。
償いの刻数、残り——〈13〉。
視界の端に焼き付いた数字が俺に、
「……どうしました? ジュダさま、少し顔色が」
隣の席で、ルインが小さく首を傾げる。
口元にはパンくずをつけたまま、もぐもぐと忙しそうだ。
「いや、なんでもねえよ」
ルインに、今の俺の置かれた状況を説明したところで通じるはずもない。
適当にはぐらかして、コーヒーカップをあおった。
そして席を立つ。
「ジュダさま? どこか行かれるのです?」
「ちょっと外に出てくる。オルレインの町を、直接この目で確認しておきたいからな」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間、ルインの咀嚼がぴたりと止まった。
ごくんっと思い切り飲み込んだ音が聞こえる。
「わかりました! では、わたしもご一緒します!」
勢いよく椅子を引き、立ち上がったルイン。
だが、彼女の席の皿には、まだ朝食が半分以上残っていた。
「別についてこなくていい」
「ダメです。ジュダさまが外に出るなら、従者は同行するものですから」
「子供じゃねえんだよ。いいからメシを食ってろって。食い意地はってるお前のことだ。それだけじゃ昼前には倒れるだろ」
「で、でも……」
ルインは一瞬だけ皿に視線を落とし、それから俺を見上げる。
「ご飯よりもジュダさまの方が、大事です!」
即答だった。
相変わらずストレートすぎるルインの好意に、俺は思わず返す言葉に詰まる。
「……はぁ」
深くため息をついてから、頭を掻いた。
「五分だけ待ってやる。それまでに食い終えろ」
「えっ、いいんですか?」
ぱっと笑顔になり、再び席に戻るルイン。
「すぐ食べちゃいますね! えへへ……」
そう言いながら、さっきよりも勢いよくパンを頬張った。
俺は扉の前で腕を組み、その様子を横目で眺める。
(……くそ、結局こいつのペースなんだよな)
俺は腕を組んだまま、もぐもぐと必死に口を動かすルインを眺めていた。
「……急いで食うと喉詰まらせるぞ」
「だいじょうぶです! これくらい、へいきです!」
そう言った直後、むせた。
やっぱりだ。
「ほら見ろ」
「けほっ……だ、だいじょうぶ……です……」
涙目になりながら水を飲む姿を見て、俺は小さく息を吐いた。
◆
朝食を終え、俺とルインは館の外へと繰り出した。
朝のオルレインは、冷たく、そして重かった。
夜の間に降ったであろう新雪が、オルレインの町を白く塗りつぶしていた。
雪が周囲の音を吸い込み、まるで街全体が息を潜めているようだ。
俺とルインが刻む足音も小さく、吐く息は張り詰めた空気に白く溶けていく。
「……静か、ですね」
「ああ。静かすぎる」
俺は隣でこぼしたルインの印象に同意しながら、周囲を見回した。
人通りがないわけじゃない。
だが、誰もが無言のまま、足早に、視線を低くして通り過ぎていく。
目が合いそうになると、すぐに逸らされる。
見慣れない俺たちを警戒——
というよりも、周囲のすべてに警戒しているような、怯えた目つきだった。
歩いている途中、露天をいくつか見かけた。
その店先に並べられているのは、干し野菜や黒ずんで痛みかけた根菜。
それにカビの生えかけた黒パンばかりだ。
(……落差ありすぎだろ)
ゲスラーの館で出された、あの過分な食事が脳裏をよぎる。
同じ町とは思えないほどの落差に、俺は思わず眉をひそめた。
そのとき。
「――ぎゃああああああああ!」
悲鳴が、張り詰めた町の空気を引き裂いた。
俺とルインは、反射的に顔を見合わせる。
声が聞こえたのは、昨日の夜、通った広場の方角からだった。
「行くぞ」
「はい! ジュダさま!」
俺とルインは、声をした方へ走り出した。
◇
たどり着いた先の広場には人だかりができていて、俺とルインはその隙間を縫うようにして前へと進んだ。
その人だかりの中心には、詰め襟の制服に身を包んだ男と、その前に並ばされた町人たちの列があった。
制服男は右手にムチを持ち、その背後には、護衛だろうか——大柄な男二人を引き連れている。
「次の者——前へ」
男の言葉を合図に、前に引き出されたのは、並んでいた列の先頭に立っていた一人の町人だ。
体は痩せこけて、みすぼらしい身なりの中年男性だった。
「税吏さま……ど、どうか、お納めください……」
その男は制服姿の税吏に、小さな布袋を差し出して必死に頭を下げる。
税吏は中身を改めると、ふんと鼻を鳴らした。
「ダメだな。貴様も全然足らんじゃないか」
「お、お言葉ですが……規定通りの銀貨十枚はきちんと……」
「このうち2枚は手数料。それだと足りないだろう?」
「で、ですが……! ですが……!!」
「期限は昨日までだと言ったはずだよなぁ?」
税吏の言葉に、男は顔を真っ青にしたまま、犬みたいに地面に這いつくばる。
「も、申し訳ございません……税吏様……! 今年は雪が早くて……畑がぜんぜん……」
「言い訳で税は払えねえ。足りない分は借金で賄うか、鞭打10回だ。選べ」
「…………っ」
沈黙。
這いつくばったままの男は、観念したように頭を下げる。
その体は、がたがたと小刻みに震えていた。
「どいつもこいつも、痛いのがお好みかぁ」
制服姿の男はにやりと口角を歪め、手にした鞭をゆっくりと振り上げた。
次の瞬間、容赦なくそれが振り下ろされる。
「ぐあっ!?」
空気が爆ぜる乾いた音と同時に、悲鳴が広場に響き渡った。
「いっかあ〜い」
「あぐ!」
「にかあ〜い、まだまだ続くぞー」
わざと恐怖を煽るように、税吏は数を数えながら鞭を振るう。
鞭打ちの乾いた音が鳴り響くたびに、広場を囲む町人たちが、一斉に肩を震わせた。
「ひどい……」
ルインが思わず俺の袖を掴み、唇を噛みしめる。
「貴様ら、よく見ておけ! これが、ゲスラー様の定めた規則を守らない連中の末路だ! 明日は我が身だと思え!」
税吏はそう怒鳴り散らし、見せつけるようにムチを振りかざす。
俺は、今のこの状況を飲み込んだ。
この男はゲスラーの元で働く税吏で、今はその取り立てを行っているといったところだろう。
ただ、名目は取り立てでも、やっていることは見せしめだ。
恐怖を刻みつけるための、芝居がかった演出。
為政者が、民衆に自らの力を誇示するためのよくある手段である。
ガリオスから受けた教育の過程で、この手の人心掌握術を知り尽くした俺からすると、こいつらのやっていることはあまりに露骨すぎて、下品に見える。
けれども、そのねらいどおり、広場に集まったこの街の住人の表情は、完全に恐怖で塗りつぶされているようだった。
「ジュダさま……これって」
「……いくぞ」
俺は、人垣を割って一歩前に出た。
三度、鞭を打ち抜こうとした、その瞬間。
税吏が振り上げた腕を、俺は掴む。
「――そこまでにしとけ」
「あ? 何だ貴様は?」
突然、乱入した俺のことを、ギロリと睨みつける税吏。
だが俺は、その視線を正面から受け止めたまま、腕を離さない。
「お前はこの町の税吏か? これはゲスラーの命令なのか?」
「おい、質問しているのはこの私なんだぞ! 貴様、離さないか!!」
税吏はそう吠えると、背後で控える二人の護衛役に目配せした。
次の瞬間、護衛役の男二人が左右から襲いかかってくる。
だが――遅い。
税吏の腕を掴んだまま、先に踏み込んできた右の男の足の甲を思い切り蹴りつけた。
「ぎゃ!?」
足の甲を蹴り抜かれた護衛は、悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。
その隙を逃さず、もう一人。
思わぬ反撃に動きを止めた護衛の顎へ、俺は迷いなく蹴りを叩き込む。
ごしゃり、と鈍い音がして、男の身体が雪の上に崩れ落ちた。
ほんの一瞬の出来事だった。
護衛役の二人は、揃って地面にうずくまり、動けなくなる。
広場を包んでいた空気が、ざわりと揺れた。
「……さて」
俺は掴んだままの税吏の腕を、少しだけ強く捻った。
「うぎゃあ、痛い痛い!?」
税吏が情けない悲鳴を上げる。
「き、貴様……!! こ、こんなことをしてただで済むと思っているのか!? この私に逆らうということはゲスラー様に逆らうことと同じ——」
「俺は、ジューダス・ファウルトだ」
税吏の必死の言葉は、そこで完全に途切れた。
「……は?」
間の抜けた声が、喉から漏れる。
俺は腕を捻ったまま、淡々と名乗った。
「ジューダス・ファウルト。先代ガリオスの崩御により、この地オルレインを預かる代領主だ」
「……っ!? だ、代領主様……!?」
税吏の顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。
「ち、違います! こ、これは正当な業務の執行でして! 税を滞納した者に対する、規則に規定された正式な刑罰でございます!」
「正当、か。じゃあ、お前がのたまった
「そ、それは……」
「代領主の俺がやめろと言ったんだ。この場はこれで終わりだ」
「わ、わかりました! わかりましたから!」
俺は税吏の腕を解放してやる。
次の瞬間、税吏はまるで氷の上を滑るみたいに後ずさりし、護衛に怒鳴った。
「お、おい! 立て! 帰るぞ!」
片方は潰れた鼻を押さえ、もう片方は足を引きずりながら起き上がる。
三人は広場の外へ逃げるように去っていった。
税吏たちの横暴は去った。
だが、町人たちは誰一人、歓声を上げなかった。
拍手も、礼もない。
あるのは、息を殺した沈黙と、怯えきった目。
(……助かった、じゃなくて。次は何をされるのかを考えてやがる顔だ)
俺は舌打ちを噛み殺し、地面に這いつくばったままの中年男に視線を落とした。
鞭打を受けたせいで、背中は血で濡れ、震えが止まっていない。
「おい、ルイン。回復だ」
俺が顎で示すと、ルインは即座に頷いた。
「はい! 任せてください、ジュダさま!」
雪を踏んで駆け寄ると、男の横に膝をつき、そっと血だらけの背に手をかざした。
「だいじょうぶです。怖かったですよね……」
ルインの声は、慈しむように穏やかだった。
次の瞬間、彼女の手のひらから柔らかな光があふれ出す。
裂けて血に濡れていた背中の傷は、みるみるうちに塞がっていった。
傷が癒えた男は、自分の身に何が行ったかよく分かっていないようだった。
しばらく口をぱくぱくとして、俺達を見つめた後。
「ひっ——」
悲鳴にもならない声を漏らし、男はよろめくように立ち上がると、そのまま広場から逃げ去っていった。
助かったはずなのに、安堵はない。
この街の住人に、恐怖が骨の髄まで染みついていることが、よく分かる反応だった。