人を助けないと即死亡の呪いを受けた悪役貴族の俺、しぶしぶ一日一善してたら、史上最高の名君に成り上がってしまう〜災厄貴族ジューダス・ファウルトの偽善〜   作:三月菫

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第22話 悪政と執事

 税吏の男たちが逃げ去ったあとも、広場の重苦しい空気はそのままだった。

 誰もが黙ってうつむいたまま、そそくさとその場から離れていく。

 当然、安堵の超えも、俺に対する感謝も出てこない。

 

(骨の髄まで恐怖が染み込んでるって感じだな)

 

 あの税吏の横暴は日常茶飯事なんだろう。

 たまたま今日は、俺というイレギュラーが割り込んだだけ。

 明日も、明後日も、税吏は同じように鞭を振るう。

 住民は同じようにされるがままになる。

 

 諦め――どいつもこいつも、そういう顔をしている。

 

「ジュダさま」

 

 ルインが不安そうに俺の袖を引いた。

 彼女の治癒が終わったばかりで、掌にはまだ淡い光の名残が残っていた。

 

「ルイン、町歩きは終わりだ」

「えっ、もうですか?」

「この町の空気は十分理解した」

 

 俺は周囲を見回し、まだこびりつくように残る重苦しさを肌で確かめる。

 

「あとはこ(・)の(・)空(・)気(・)がどうやって作られているのか……その原因だ。それを突き止める」

「げんいん……?」

「まあ、半分以上、答えは見えているけどな」

 

 ルインは俺の言葉に全然ピンときていないらしく、きょとんとしていた。

 

「屋敷に戻るぞ」

 

 俺は踵を返す。

 

「執務室で、帳簿を洗う」

 

 そう言って、俺はゲスラーの屋敷へと続く道を歩き出した。

 

◆

 

 屋敷にたどり着いた俺は、ゲスラーの執務室の扉の前で足を止め、ノックもせずに押し開けた。

 

「留守か、ちょうどいい」

 

 部屋の中は静まり返っていた。

 ゲスラーの姿はない。

 これで邪魔をされずに、腰を据えて調べられる。

 

 俺は部屋の中へずかずかと踏み込み、壁一面に並ぶ本棚へ向かった。

 本棚には、帳簿や報告書を束ねた書類がぎっしりと詰め込まれている。

 俺はそれを片っ端から引き抜き、机の上に無造作に積み上げていった。

 

 紐をほどき、ぱらぱらとページをめくる。

 ほどなくして俺は目当ての帳簿にたどりついた。

 

「ジュダさま、何をしているのですか?」

「この町の金の流れを調べてんだよ」

 

 ルインの質問に肩越しで答え、俺は帳簿の中身を確認し続ける。

 その帳簿は、この街の収支状況を示すものだった。

 

 税の徴収記録。

 支出入の明細。

 

 食料、消耗品、管理修繕費。備蓄報告。兵の給与。交際費――。

 収支の記録は思った以上に細かく、項目ごとに整理されていて、意外にもどんぶり勘定ではない。

 少なくとも、帳簿としての体裁だけは整っていた。

 

 正直、ゲスラー本人がここまで几帳面に記録を残すとは思えない。

 この資料は、おそらく配下の誰か――

 ゲスラーから実務を任されている人間が作ったものだろう。

 

 数字の真偽はともかく、読みやすい。

 だからこそ、この町の全体像がすぐに見えてきた。

 

(……ゲスラーの野郎、思った以上に搾取してやがるな)

 

 浮かび上がったのは、ゲスラーによる露骨な搾取だった。

 

 税の徴収額は、定められた規定とまるで噛み合っていない。

 そもそも税率自体が高すぎるし、そのうえ税吏が手数料の名目で私腹を肥やしているのだ。

 

 あの広場で見た、住人の諦めきった顔を思い出す。

 無理もない。

 

 雪に閉ざされる辺境の地で、この水準は――住人に死ねと言っているのと同じだった。

 

 

 一方で、支出状況はどうかというと。

 

 修繕費――計上されている。

 だが、町の外壁は割れたまま。

 道路はぼろぼろ。

 補修の跡はどこにもない。

 

 食料備蓄――帳簿の上では〝十分〟。

 なのに、露天に並ぶのは黒パンと腐りかけの根菜ばかりだ。

 どう考えても、辻褄が合わない。

 

 俺はページをめくり続ける。

 数字の流れを追うほどに、一つの構図がはっきりしてきた。

 

 オルレインの住人から巻き上げられた金は、いったんあ(・)る(・)場(・)所(・)に集まり――それから、外へ流れている。

 

 間違いない。

 そのあ(・)る(・)場(・)所(・)とは、ゲスラーの懐だ。

 

「くくっ……」

 

 思わず、俺の口から乾いた笑いがこぼれた。

 

「あのあの! ジュダさま! なにか分かったのですか!? ルインにもわかるように教えて下さい!」

 

 俺の傍らで身を乗り出すように帳簿を覗き込むルインは、数字の羅列を読み解くことを早々に諦めたらしい。

 

「簡単な話だ。この町の規則で決められている税額と、実際に集められている税収、そして実際に使われた支出が、まったく合ってねえ」

「……えっと、それって……」

「誰かが余分に取ってるってことだ。まあ、ゲスラーとその配下たちが私腹を肥やしているってところだろうな」

 

 ルインは一瞬ぽかんとしたあと、はっと息を呑んだ。

 

「じゃ、じゃあ……あの人たちが苦しんでたのは……」

「そりゃ苦しむだろうな。こんな不毛の地で、ここまで絞られたら」

 

 俺は短く頷く。

 

 自分でそう言葉にした瞬間、胸の奥で昨(・)日(・)の(・)出(・)来(・)事(・)が一気に繋がった。

 今朝、償いの刻数が減少した理由が、今ならはっきりと分かる。

 

 昨夜——

 

 俺はこの屋敷で、ゲスラーの歓待を受けた。

 でがい風呂でくつろぎ、豪華な飯を食い、ふかふかのベッドで休んだ。

 

 その歓待は、この町の住民を踏みにじって手に入れたものだ。

 

 俺はこの街の代領主だ。

 代領主として、ゲスラーが住民に強いた圧政の上に座った。

 俺が座った椅子の下で、誰かが鞭打たれた。

 

 俺が口にした豪勢な飯の分だけ、誰かがわずかな黒パンを削られた。

 俺が何(・)も(・)し(・)な(・)い(・)という選択をした時点で――圧政は回り続けた。

 

 そして罰のアミュレットは、そこを見逃さない。

 

(代領主としてゲスラーが生んだ利益を享受した時点で、その罪は俺のものになる……!)

 

 胃の奥が、むかつく。

 吐き気じゃない。怒りだった。

 

「ふざけんなよ、ゲスラーのクソ野郎。このままじゃ、俺が死ぬじゃねえか」

 

 刻数は残り〈13〉。

 今朝も豪華な朝食を食べたところだ。

 明日も減少することだろう。

 

 早急に何らかの手を打たなければ、俺の命の猶予はない。

 

「おいルイン……」

 

 こんな町がどうなろうとどうでもいい。

 ゲスラーが私腹を肥やそうが、そのせいで誰が死のうが関係ない。

 弱い者が強い者に搾取されるのはこの世界のルールだからだ。

 嫌なら自分が搾取する側に回ればいい。

 

 だが——

 

 それを見過ごせば俺は死ぬ。

 それなら黙っているわけにはいかねえ。

 

 俺は帳簿を閉じた。

 紙の束が、机に鈍い音を立てる。

 深く息を吸う。

 

 正義感? 理想?

 そんな高尚なもんじゃない。

 俺自身が生きるために、

 俺がやるべきことが、はっきりと見えた。

 

「……ゲスラーを潰すぞ」

 

 そう決心した矢先。

 背後で、扉がきい、と鳴った。

 俺は振り向く。

 

「――お取り込み中、失礼いたします」

 

 そこに立っていたのは、ゲスラーの使用人――ヴィクトルだった。

 

◇

 

 

 ゲスラーの執事ヴィクトルは押し黙ったまま、俺の顔を見つめていた。

 

 感情の色は薄い。

 だが、その視線だけが静かに俺を測っている。

 

 沈黙の末、それを破ったのは俺だった。

 

「ちょうどいい。ゲスラーはどこにいる?」

「主さまは、外出中でございます」

「至急呼び出せ。話がある」

「承知いたしました――と言いたいところですが」

 

 ヴィクトルは一拍置き、淡々と言葉を続けた。

 

「代領主様。ゲスラーさまに取って代わるおつもりですか」

「あ?」

 

 思わず声が低くなる。

 だがヴィクトルは怯まなかった。

 

「あなたは“災厄の貴族”とうたわれる――ファウルト家の人間です。民草の暮らしなど、どうでもよろしいはずだ」

「……言いたい放題だな」

 

 まあ、事実なんだがな。

 別にこの街の住民がどうなろうが、どうでもいい。

 

「失礼は承知のうえです。この件でどのような罰を受けようとも、甘んじて受けましょう。そのうえで、あえて申し上げます」

 

 ヴィクトルは執務机の上――俺が閉じた帳簿へ、ゆっくりと視線を落とした

 

「今、この街は……人々は限界です。いえ、限界などとうに過ぎています。これ以上絞れば、餓えと病で次々と倒れるでしょう。この冬を、越えられません」

「んなことは言われなくても分かる。この資料を見りゃ一目瞭然だ」

 

 俺は短く息を吐き、顎で帳簿を示す。

 

「もしかして、これはお前がまとめたのか?」

「そのとおりです」

 

 思わず俺は口角をつり上げてしまった。

 

「よく出来ている。税収の流れは簡潔で分かりやすく、それでいて肝心なところだけ、さりげなく誤魔化してある」

「ごまかし……?」

「本来ならゲスラーの懐に消えるはずの金が、遠回しに民へ戻されている。これは、ヴィクトル、貴様の仕業か。民を餓えさせまいとする、涙ぐましい努力だな」

 

 俺の言葉に、ヴィクトルの顔に驚きの色が宿った。

 

「一目見ただけで……見抜いたのですか……?」

「当たり前だろ。為政者として、この程度の帳簿操作を見抜けなくてどうする」

 

 俺は鼻で笑い、軽く肩をすくめる。

 

「まあ、その様子じゃ、ゲスラーの目は節穴だったようだがな」

 

 ヴィクトルは一瞬だけ唇を噛みしめ、そして深く頭を下げた。

 

「そこまでお見通しならば、どうかお願いします。これ以上の民に対する搾取は——」

 

 必死さが、声に滲んでいる。

 だが、その言葉を最後まで聞く前に、俺は首を横に振った。

 

「お前、なんか勘違いしてるだろ」

「勘違い、ですか」

 

 顔を上げるヴィクトル。

 俺は椅子の背に手を置き、まっすぐに言った。

 

「お前の言ったとおり、この町は限界を超えている。このままじゃ、この町はそう遠くないうちに潰れる。だから、その前になんとかする。それだけだ」

「なんとかする……?」

「俺(・)が(・)こ(・)の(・)町(・)を(・)立(・)て(・)直(・)す(・)」

 

 俺の発した言葉は予想外のものだったのだろう。

 ヴィクトルは一瞬、言葉を失った。

 

「……なぜですか」

「あ? しょうがねえだろ、俺はこの町の統治を拝命した代領主なんだから」

「なぜ、奪おうとしない……?」

「奪う?」

「貴方も一緒のはずだ! あのゲスラーと! 奴に媚びへつらう税吏どもと!」

 

 ヴィクトルは、声を荒げた。

 

「貴族の連中など、皆、同じだ! 下々の者の苦しみなど図ろうとしない! 己の私腹を肥やすことばかり考えているケダモノのはずだ!! そうでしょう!? 違うのですか!?」

 

 淡々としていた口調が崩れ、声が裏返る。

 握りしめられた拳がわずかに震え、理性で押さえ込んできたものが、堰を切ったように溢れ出していた。

 

(ああ、これがこいつの本性か——)

 

 ゲスラーに仕え、町の惨状を間近で見続けながら、何も変えられず、声を上げることすら許されずに。

 それでも執事として振る舞い続け、感情を殺してきた。

 

 今、俺を前にして、その仮面がようやく剥がれたんだ。

 

 俺がヴィクトルにどう言葉を返すか逡巡していると——

 

「違います。ジュダさまはそんな御人ではありません」

 

 俺の代わりに正面から反論したのはルインだった。

 ルインはまっすぐヴィクトルを見据えたまま、迷いのない言葉をつなぐ。

 

「ジュダさまは……弱い立場の人に寄り添い、傷ついた人を絶対に見捨てない方です」

「だから、なぜそう言い切れる!? 災厄貴族ファウルト家の人間に対して——」

「だって、わたしは、ジュダさまに救われましたから」

「救われた……?」

 

 ルインは一度だけ小さく息を吸い、静かに言った。

 

「わたしは元奴隷です。名前も、居場所も、価値も、ぜんぶ奪われました。そんなわたしにジュダさまは、ルインという名前を取り戻してくれました。ここにいていいと、わたしの居場所を与えてくれました。生きるための仕事と、果たすべき役割を与えてくれました。ジュダさまがわたしに、人(・)と(・)し(・)て(・)の(・)生(・)を与えてくれたんです」

 

 ヴィクトルは、そう語るルインに気圧されたように、言葉を失っていた。

 反論しようと開きかけた口は、そのまま閉じられ、視線だけが彷徨う。

 

「わたしだけじゃありません! ファウルト家のお屋敷にいたときも、ジュダさまはとっても優しかったんですよ。率先してわたしたち使用人のお手伝いをしてくれたり、近隣に出没した魔獣退治も買って出てくれました」

 

 ルインは止まらない。

 頬を赤らめて、まくしたてるように言葉を続ける。

 

「それにそれに! ここに来る道すがらも、野盗に襲われた村を何の見返りもなく助けたんです! そのときのジュダさまはかっこよくてですね、単身、盗賊団のアジトに突撃して、すごい魔法と剣技で、えいえいって一網打尽——」

「おいルイン、話がそれてるぞ」

「あ……えへへ、ごめんなさい、ジュダさま」

 

 ルインは頬を赤くしたまま、ぺこりと小さく頭を下げた。

 

「とにかくジュダさまは、立場や損得で人を切り捨てる方じゃありません! 目の前で困っている人を、放っておけないだけなんです。ヴィクトル様もどうかジュダさまを信じてみてください。きっとこの町は、すばらしい町に生まれ変わるはずです」

 

(まあ、ルインの言ったことは全部、償いの刻数稼ぎのためにやった偽善なんだが……まあいい。これでヴィクトルの俺に対する評価が上がるならしめたものだ)

 

 俺はルインの言葉を引き継ぐように、軽く咳払いをしてから一歩、ヴィクトルの元へ歩み寄った。

 

「まあ、そういうことだ。というわけでそんな俺様がこのオルレインを立て直してやる。そのためにはゲスラーが邪魔なんだよ」

 

 俺はヴィクトルに向かって手を差し出した。

 

「ヴィクトル・テラー。選べ。貴様はどっちを取る?」

「……」

「この俺、ジューダス・ファウルトか。それともゲスラーか」

 

 ヴィクトルの喉が、小さく動いた。

 

 そのタイミングで、俺は精神魔法〈マントラ〉を発動した。

 

 世界が静かに沈む。

 ヴィクトルの本音の輪郭が、ぼんやりと色を帯びて浮かび上がった。

 

 全体としては暗がった青紫。

 不安、自己嫌悪、罪悪感といったところか。

 

 それらに押し潰されそうな心の底で――ほんのわずかな、光。

 

 これは期待だろう。

 

 その光を確認した俺は〈マントラ〉を解除する。

 

 長い沈黙のあと、ヴィクトルは、そっと手を伸ばした。

 指先が触れ、そしてしっかりと握られる。

 

「……お仕えいたします。我が主、ジューダス様」

 

 静かな声だった。

 だが、そこには確かな覚悟が込められていた。

 

「上等だ」

 

 俺は笑った。

 たぶん、今の俺の顔はろくでもない。

 

「よし、ヴィクトル。さっそくお前に準備してほしいことがある」

「準備、ですか?」

 

 怪訝そうに眉をひそめるヴィクトルに、俺は短く告げる。

 

「代領主の就任式だ。正式にな」

「……就任式?」

「広場を使う。この町の住人を、全員集めろ」

 

 言葉の意味を測りかねているのだろう。

 ヴィクトルの返事に一瞬の間が空いた。

 

「何を、なさるおつもりで……?」

 

 俺は口端を吊り上げる。

 

「決まってんだろ。そこでゲスラーに引導を渡す」

 

 一拍置いて、付け加えた。

 

「――とびっきり派手にな」

 

 暖炉の火が、ぱちりと音を立てた。

 その乾いた音が、まるで幕開けの合図みたいに、部屋の中へと響き渡った。

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