人を助けないと即死亡の呪いを受けた悪役貴族の俺、しぶしぶ一日一善してたら、史上最高の名君に成り上がってしまう〜災厄貴族ジューダス・ファウルトの偽善〜 作:三月菫
それから、一週間が経った。
俺は毎日のように、使用人連中の仕事を手伝った。
「じゅ、ジューダス様に床掃除をさせるなど、滅相もございません!」
「結構です! ほんとに、大丈夫ですので……!」
「お願いですから勘弁してください!」
——と、連中ときたら恐縮しすぎて話にならない。
まあ、無理もない。
つい最近まで、俺の顔を見るたびに怯えていた連中だ。
突然態度を変えろというほうが難しい。
だが、ルインは違った。
食器洗いを手伝えば「ルインは感激ですっ!」
食事を自分で作れば「ジュダさま、包丁とってもお上手です!」
薪割りを手伝えば「さすがジュダさま、男の子ですね!」
掃除をすれば「よくできましたジュダさま、お掃除の天才です!」
(……こいつ逆にバカにしてねえか?)
いや、ルインのおかげで一日一ポイント、確実に刻数が稼げているのだ。
つまり心からコイツは俺に感謝している。
(本当に、都合のいい……
現在、俺の視界の端には「12」のカウントが浮かんでいる。
一桁まで落ち込んでいた刻数は、ルインのおかげで持ち直していた。
この調子で毎日ルインの手伝いをして、刻数を稼ぎつつ——
同時にアミュレットに〝罪〟と判断される行為を極力避ける。
それは例えば、誰かに理不尽に怒鳴りつけたり、傷つけたりする行為だ。
冷静に振り返ってみると、そうした〝罪〟の引き金は、どれも取るに足らない小さな
メシが冷めている。
使用人どものヒソヒソ話が、俺の悪口に聞こえる。
おどおどした態度が、気に食わなかったり。
そんな小さな不満が積み重なり、怒りとして噴き出していたのだ。
要するに、その瞬間に湧いた感情を、波が引くまでやり過ごせばいい。
最初のうちは衝動を抑えるのに骨が折れたが、意識して繰り返すうち、少しずつ自分の感情をコントロールできるようになっていった。
おかげでこの一週間、俺はただの一度も〝罪〟を犯すことはなかった。
(このままいけば、割と普通に生活できるかもしれない)
そんな淡い期待を抱きつつ、俺はいつものように使用人室へ向かった。
◆
「た、大変だ! 森に魔獣が出た!!」
使用人室の扉を開ける前から、騒然とした声が、廊下にまで漏れてきた。
「ま、魔獣!?」
「ベヒモスだって……!」
「うそだろ……」
使用人たちの声は焦りと怯えでいっぱいだった。
(ベヒモスだと? 中型クラスの魔獣だな)
「冒険者の手配は?」
「この家の連中がわざわざそんな面倒なことするわけないだろ! どうせ俺たちが討伐に行かされるんだ!」
「そんな……」
「くそ……今回は、何人生き残れるんだ」
「死にたくないよ……!」
近隣に出没した魔獣討伐は使用人の仕事のうちの一つとされていた。
そんな制度を決めたガリオスは、普通に考えて頭がおかしい。
相手は血に飢えた魔獣だ。
普通に考えて、素人同然の使用人が相手にできるわけがない。
それでも、高い金と手間を払って冒険者を手配するよりも、使用人を使い潰したほうが安上がりだと判断されていた。
ファウルト家における使用人の命の値段は、あまりにも安い。
(……ち、今日は手伝いどころじゃなさそうだな)
俺は小さく舌打ちし、その場を離れようと踵を返した。
だが、その瞬間——脳裏に浮かんだのは、
(待てよ——ベヒモス一匹倒すくらい、俺なら造作もねえ。だったらこれは、使用人共に恩を売る絶好のチャンスじゃねえか?)
この先、ルインからの人助けポイントじゃ心許ない。
ここで一気に屋敷の使用人から信頼を勝ち取っておけば、今後の立ち回りが格段に楽になる。
いわば、
俺は思わずほくそ笑む。
人助けポイントをがっつり稼げるボーナスステージ。
事態をそう
「——じゅ、ジューダス様?」
中に詰めていた使用人共の視線が集まる。
皆、顔が青ざめていた。
「話は聞いた。ベヒモス討伐は俺に任せろ」
「「「え?」」」
使用人共の顔が、ポカンと一斉に固まった。
「お前ら雑魚共に任せたら時間ばかりかかって、ムダに死体が増えるだけだ。俺が片付けてきてやる」
「で、ですが……そんな……!」
「ジューダス様にそんな危険な仕事を……!」
「俺を舐めてんのか。このジューダス・ファウルトがベヒモスごときに遅れをとるとでも? ぶっ殺すぞ」
「じゅ、ジューダス様……」
俺は使用人共に背を向ける。
「ベヒモスの首を俺が持ってきてやる。てめえらはギルドへの討伐報告の準備でもしていろ」
俺はそう言い捨てると、そのまま部屋を後にした。
◆
そして、
俺は、ベヒモスが出没したという森の入口に立っていた。
ひんやりとした風が吹き、木々がざわめく。
俺は片手剣を腰に下げ、森の奥を
風にのって、わずかに血なまぐさい獣臭がした。
「とっとと終わらせるか」
そう呟いて、森の中に入ろうとした瞬間——
「ジュダさま!」
背後から、耳に馴染む声が聞こえた。
「ルイン……?」
振り返ると、息を切らしたルインが駆け寄ってきた。
「なにしてんだてめえ。どうしてここにいる?」
「ルインもジュダさまのお手伝いをします!」
「はあ?」
ルインの言葉に、思わず俺は、間の抜けた声を漏らした。
「バカか? 森の中には魔獣が出るんだよ。弱っちいテメエが戦えるわけないだろうが!? とっとと消えろ」
「いやです!」
即答だった。
怒鳴りつけられたにもかかわらず、ルインは一歩も引かず、まっすぐ俺を見据えている。
コイツが俺の命令を拒むなんて、記憶のかぎり初めてだった。
「わたし、回復魔法が使えます! もしもジュダさまが怪我をしたら、すぐ治せます!」
「いや、だから邪魔だって言ってんだろ。そもそもこの俺が怪我するわけ——」
「もしものときの話です!」
「そもそも、俺がどうなろうとテメエには関係——」
「ジュダさまがいなくなったら——わたしも死にますから!!!」
「は、はあ……!?」
ルインは強い瞳で俺をまっすぐ見つめる。
この俺に二の句を言わせない、眼差し。
その視線に、胸の奥がざらりとざわついた。
俺はぷいっとそっぽを向いた。
(くそ、どうする? 確かにルインは
希少な力だ。
普通の家なら、宝物のように扱われる存在だろう。
けれどファウルト家では——
ルインはただの使用人。
しかも
(もしものときの回復要員としては確かに便利だが……万一、コイツが怪我でもしたら……)
そう考えて、俺は思わずハッとした。
(俺は何を考えている? 怪我したらだと? コイツが怪我をしようと、たとえ死んでも、俺にはなんにも関係ねえじゃねえか……)
脳裏をよぎった、らしくない甘い考えに、ぶるっと身震いした。
さっき自分で言いかけた「俺がどうなろうとルインには関係ない」という言葉と完璧に矛盾している。
(どうしたジューダス。弱者は利用しろ。それが強者の権利のはずだろ!?)
そう自分に言い聞かせ、俺は改めてルインへ視線を戻した。
彼女の迷いのない瞳と、交差する。
「……好きにしろ。ただし足手まといになるようなら、置いていくぞ」
「はいっ!」
俺の言葉に、ルインの顔がぱっと明るくなった。
◇
背後から、ぴたぴたと小さな足音。
「ジュダさま……、こわいです……」
ルインが、俺の背に隠れるようにして、おっかなびっくりついてくる。
さっきまで「死にますから!」とか言ってたくせに、今さら怖いってなんだ。
本当にこいつの考えていることは訳がわからない。
「お前な、怖いなら帰れよ」
「いやです……! でも、こわいです……!」
どっちだよ。
だが、ルインは震えているのに足は止めない。
すくんでいるくせに、のたのたと必死に俺を追いかけてくる。
(……面倒くせえ女)
そう思いながら、俺は森の中を歩き続ける。
ふと、目前の地面に違和感を覚え、しゃがみ込んだ。
「ルイン……ここ、見ろ」
「え?」
ルインが俺の示した指先を覗き込む。
「あしあと……?」
落ち葉の下に残った、巨大な足跡。
踏み固められた土。
そして――折れた低木。
「す、すごい……大きい、ですね……」
「足跡が新しい。それほど時間が経ってない」
指先で土をつまむ。まだ湿っている。
鼻を鳴らして匂いを拾う。
「それに血の匂いが混じってる。ベヒモスは獲物を仕留めにかかるとき、まず
「え……ええっ!? ジュダさま、そ、そんなの分かるんですか……!?」
俺の説明に、ルインは目をぱちくりさせる。
「お前はわからないのか?」
「わからないですよ! すごいですジュダさま!!」
ルインがキラキラと、尊敬の目を向けてくる。
(くそ、やめろ。調子が狂う)
俺は立ち上がり、進路を変えた。
「こっちだ」
「どうして分かるんですか!?」
「あの木を見ろ。半分苔に覆われてるだろ? つまり湿気がその方向が強いんだ。おそらく水場がある。現にベヒモスの足跡もこっちに寄ってる」
「ジュダさま、す、すごいです……! 探知魔法みたい……!」
「こんなもんは魔法じゃねえよ。ただの観察力だ」
自慢するつもりはない。
子供の頃、ガリオスによくナイフ一本渡されて三日三晩森の中を彷徨ったこともあった。
そんな日々を繰り返していると、自然と鼻も目も効くようになる。
(あのクソジジイのおかげさまでな……)
「この先の水場に向かう。周辺にはベヒモス以外にも魔獣がいる可能性がある。引き返すなら今のうちだぞ」
「いやです……! ジュダさまと一緒です……!」
「そうかよ……」
俺はため息をはいて、水場に向かって歩を進めた。
◆
しばらく進むと、森の奥が不自然に静まり返った。
鳥の声も、虫の羽音も、消えている。
この不自然な静寂――
魔獣が周囲にいるとき特有の静けさだ。
俺は片手でルインを制した。
「止まれ」
「ジュダさま?」
「しっ——」
ルインが、不安げな瞳で俺を見つめる。
そのとき、目の前の茂みが――ずるり、と揺れた。
「……来るぞ」
茂みの奥から影が飛び出す。
その数、二体。
「……ひ!? ベヒモス!?」
「よく見ろ。どうみても狼の
影の正体は、狼型の魔獣——ワイルドファング。
(使用人なら泣いて逃げだす相手だろうが、俺にはただの雑魚だ)
俺はまっすぐ、ワイルドファングたちを見つめながら、腰に差した
ワイルドファングが、低く唸り声を上げる。
二体は、こちらを囲むように左右へ散る。
挟み撃ちにするつもりなのだろう。
俺は剣を水平に構え、立ち位置をわずかに調整。
ワイルドファングの攻撃が、万が一にもルインに及ばないようにした。
呼吸を整え、集中する。
次の瞬間。
左の個体が、地面を蹴った。
「——っ!」
風を切る音。
鋭い牙が、俺の喉元を狙って迫る。
だが――
スレスレで、俺は半歩踏み込んだ。
すれ違うように身をかわし、同時に剣を振るう。
刃は無駄なく、最短距離を描き――
ズシュ、と乾いた音。
ワイルドファングの首筋に、細い赤線が走った。
勢いのまま通り過ぎたワイルドファングは、二、三歩よろめき、そのまま、崩れ落ちる。
「すごい……!」
背後で、ルインの間の抜けた声が聞こえた。
だが、終わりじゃない。
もう一体が、死角から跳んできていた。
背後――
音から判断するに、喉元ではなく、腱を狙った低い突進。
(ケダモノにしては悪くない判断じゃねえか)
俺は振り返らない。
代わりに、剣を逆手に持ち替えた。
獣が間合いに入った瞬間――
踵を軸に、身体を回転させる。
円を描くような剣閃。
低く、鋭く。
ブシュッ、と嫌な音がして、ワイルドファングの前脚が切り裂かれた。
「ギャアアッ!!」
悲鳴を上げ、地面に倒れ込んだワイルドファング。
のたうち回るその喉元へ、俺は一歩踏み込む。
そして――
躊躇なく、突き。
刃が、確実に急所を貫いた。
魔獣の身体が、びくりと痙攣し、すぐに、完全に動かなくなる。
強者が弱者を喰らい、森に静寂が戻った。
◆
俺は剣についた血を、ワイルドファングの毛皮で拭い、カチリと鞘に収めた。
「……さて、いくぞ。」
そう言って振り返ると――
ルインが、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。
「……ルイン?」
「……え、あ……」
ワンテンポ遅れて、彼女ははっと我に返る。
「す、すごい……です……」
「あ?」
「ジュダさま……速くて……綺麗で……あっという間で……!」
ルインは言葉が追いつかないのか、両手を胸の前でぎゅっと握りしめる。
言葉の代わりに目をキラキラと輝かせて俺を見上げてくる。
「ジュダさま……まるで、踊ってるみたいでした……!」
「踊ってねえ。必要な動きだけだ」
「でも、でも……!」
ルインは一歩、二歩と近づいてくる。
「不思議です! ルインはぜんぜん怖くなくなりました! だって、ジュダさまがそばにいてくれるから!!」
「調子に乗るな。さっきまで震えてたくせに」
「うぎゅ、それはそれです……!」
涙目になりながらも、ルインは必死に首を振る。
「でも……でも……! ジュダさまが戦ってるの、すごく……」
「すごく?」
一瞬、言葉に詰まったあと、ルインは、照れたように、でも真っ直ぐに言った。
「……かっこよかったです」
「……なっ!」
不意打ちだった。
胸の奥を、何かに小さく叩かれたような感覚。
「うるせえ!」
「えっ!? ご、ごめんなさい……!」
「謝るな。……事実でも、いちいち言うな」
俺は視線を逸らし、舌打ちする。
「……恥ずかしいだろ」
ルインはきょとんとした顔をしてから、ふにゃっと、嬉しそうに笑った。
「ジュダさま、可愛いです!」
「うるせえ! これ以上舐めた口聞いたらぶっ殺すぞ!!」
「はい、ごめんなさい!」
(……くそ、この女はマジでなんなんだ。罰のアミュレットの件がなけりゃ、往復ビンタしてるところだ)
そっとルインに視線を移す。
さっきまで足が震えていたくせに、今はしゃんと胸を張っている。
そんな様子を横目で見ながら、俺は小さく息を吐いた。
「……先に進むぞ。これは前座だ」
「はいっ! 次はベヒモスですね!」
「声がでかい。魔獣は音にも敏感だ」
「あっ……ごめんなさい……!」
あたふたしながらも、ルインはどこか楽しげだった。
しかもなんかさっきより距離が近くねえか?
(まったく、本当に調子が狂うぜ)
ルインの気配が妙に近いまま、俺はため息をひとつ落として歩き出し、森の奥へと進んでいった。