人を助けないと即死亡の呪いを受けた悪役貴族の俺、しぶしぶ一日一善してたら、史上最高の名君に成り上がってしまう〜災厄貴族ジューダス・ファウルトの偽善〜   作:三月菫

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第6話 心の底からの感謝

 やがて森が開ける。

 そこには、岩の間を()うように水が流れる小さな沢があった。

 せせらぎが静かに耳に届き、湿(しめ)った土の匂いが鼻をくすぐる。

 

 俺達は水場にたどり着いた。

 そこに、()()()()()()がいた。

 

「……大きい」

 

 茂みに身を隠して水場の様子を伺う俺達。

 

 俺の(かたわ)らで息を潜めて先を見つめるルインが、思わずといった風につぶやく。

 

 水場にいたのは、ルインの言葉どおり、小山のようにバカでかいベヒモスだった。

 

 紫色の身体をした、(いのしし)のような見た目。

 背中には岩のようなゴツゴツとした突起。

 水場に鼻先を突っ込んで水を飲む、その口元には四本の鋭いキバ。

 

 ベヒモス。

 いや、この大きさは――

 

「アークベヒモスだな……」

「ふつうのベヒモスじゃないんですか?」

「ベヒモスの上位種だ。先祖返りした結果、躯体(からだ)は普通のベヒモスの数倍。ついでに凶暴性も数倍だ」

 

 俺の説明に、みるみる顔を青ざめるルイン。

 

「そ、そんなの無理ですよ。ジュダさま、一度、撤退しましょう……!」

「無理?」

「だって……だって……! ただのベヒモスですら手練の冒険者がパーティを組んでやっとなんですよ……!? それをジュダさまだけで……!」

 

 俺は剣の柄に手をかけつつ、息を吐いた。

 

「ルイン、俺を見くびるなよ」

「で、でも……! もし、もしジュダさまが……!」

「そのときはお前が治せ。ここまでついてきた意味はそれだろ?」

「……っ」

 

 ルインが唇を噛み、やがて覚悟を決めたように頷く。

 

「わかりました……!」

 

「……よし、()るぞ」

 

 俺は剣を抜くと、アークベヒモスの方へ歩み寄った。

 

 

 茂みの奥から歩み出た俺。

 その気配を察したアークベヒモスが振り向いた。

 小さな目が、俺を()()と認識する。

 

 巨体がぐっと沈み込み、前脚が地面を強く踏みしめる。

 岩のような肩口の筋肉が盛り上がり、全身の力が一点に収束していくのが、はっきりと分かった。

 

 ――来る。

 

 そう理解した直後、

 

 ――ドンッ!!

 

 赤黒い身体がうねり、ものすごい勢いで突進してきた。

 

「ジュダさまっ!!」

 

 背後からルインの叫び声が聞こえる。

 一気に距離を詰めてきたアークベヒモスは俺の目前で一度、体勢を大きく沈み込んだ。

 

 その反動を利用して前脚が大きく跳ね上げられる。

 

 前脚によるスタンピング。

 

 典型的なベヒモスの攻撃パターン。

 まともに食らえば、ぺしゃんこだ。

 

 だが――

 

「遅えよ」

 

 踏み降ろしのタイミングと合わせて、俺は地面を蹴り、前転。

 スタンピングを、紙一重でかわすと、そのままベヒモスの腹下へ。

 

(ブッ刺してやる!)

 

 片手剣を、下から思い切り突き上げる。

 だが——

 

 ガキンッ!

 

 返ってきたのは、固い岩肌に突き刺したような感触だった。

 刃が、キングベヒモスの外皮に弾かれたのである。

 

「……チッ」

 

 舌打ちを遺し、俺はそのままキングベヒモスの腹下を抜けて、尾の部分から脱出。

 一旦間合いを取ってから敵に向き直った。

 

(普通のベヒモスならこれで仕舞いだが、流石に上位種(アークベヒモス)……装甲もケタ違いか)

 

 ——グオオオオオオオオオオオオオオオッ!

 

 キングベヒモスの咆哮が轟く。

 こちらを睨みつけたまま、低く鼻を鳴らした。

 後ろ足で地面をざり、ざり、と掻きむしる。

 

 力を溜め込むように腰が沈み、筋肉がぎゅっと収束していくのが分かった。

 

「また突進……所詮はケダモノ。ワンパターンだな」

 

 俺は敵の次の攻撃を予兆しながら、次の一手に思考を巡らせる。

 

「外が硬いなら――」

 

 俺は剣を鞘に収め、片手を上げた。

 即座に魔力を流し、詠唱を組み立てる。

 

「〈風よ、我が手に集え。渦を成し、吹き荒べ〉——」

 

 手のひらが、淡い緑色に輝き始めた。

 

 その次の瞬間だった。

 

 アークベヒモスが、怒りに任せたように、一直線の突進を仕掛(しか)けてくる。

 地面を砕く勢いで距離を詰め、その巨体が目前まで迫った。

 

 前脚が大きく振り上げられ、再びスタンピングが繰り出される。

 

 俺は踏み込みと同時に身を低くし、その一撃を紙一重でやり過ごした。

 衝撃が背後で地面を砕くのを感じながら、そのまま敵の(ふところ)へ滑り込む。

 

 再び、アークベヒモスの腹下だった。

 

 魔力を込めた手のひらを、腹に添えた。

 

「外が硬いなら——()()()()()()()()!!」

 

 魔力を解放。

 

「〈ヴィント〉――!!」

 

 発動したのは風魔法〈ヴィント〉。

 その瞬間。

 

 バシュン!!!

 

 鈍い破裂音が腹の奥から響き渡った。

 圧縮された風が内部で暴れ回り、アークベヒモスの巨体が内側から大きく跳ね上がる。

 そのどてっ(ぱら)が爆ぜるように弾け、()()が吹き上がった。

 

 赤黒い血と内臓が四方に飛び散る。

 巨体は悲鳴を上げる暇もなく、力を失ったように崩れ落ちた。

 

 俺はその中心で、血まみれのまま立っていた。

 

「……相手が悪かったな」

 

 

 戦いを終えた後――

 

「ジュダさまっ!!」

 

 ルインが、勢いよく駆け寄ってきて、俺の体にしがみついていた。

 

「ちょっ、服が汚れるぞ!」

「そんなのどうでもいいです!!」

 

 ルインは震える手で、俺の身体を確かめる。

 

「ケガ……! お怪我はしてませんか!?」

「お前の目は節穴か? 一撃も食らってねえよ。無傷だ」

「よかったぁ……」

 

 その場でへな、と力が抜けたようになるルイン。

 泣きそうな声。

 戦闘が終わったことで、さっきまでの緊張が一気に抜けたのだろう。

 

「ジュダさま……すごすぎます……カッコよかったです……」

「大げさだ。ベヒモスの一匹くらいどうってことねえよ」

「大げさじゃありませんよ! あんなでっかいベヒモスですよ!? あんなの、普通は見ただけで逃げ出しちゃいます……それを、一瞬で……!」

「だから、騒ぎすぎだっての」

 

 いちいち俺のことを褒めてくるルインの反応に、妙な居心地の悪さを感じる俺。

 

「もう終わった話だ」

「終わってません!」

 

 即座に返されて、思わず眉をひそめる。

 

「ジュダさまが……どれだけすごいことをしたか、ちゃんとジュダさまに分かってもらわないと……!」

「もういい、もうやめろ!」

 

 いい加減、心の中の()()()()に耐えきれず、俺は右手を突き出した。

 

「それ以上その減らず口を開いてみろ。ぶっ殺すぞ」

 

 その瞬間だった。

 

「……あ」

 

 ルインの視線が、俺の右手のひらに釘付けになる。

 

「ジュダさま……その手……」

「ん? ああ、これか」

 

 俺は気にも留めず、手をひらひらと振る。

 

「魔力灼けだ。ありったけを込めたからな。軽いヤケドみたいなもんだ。放っときゃ治る、こんなもん」

 

 「駄目です!!」

 

 ルインが弾かれたように、俺の手を掴んだ。

 

「なっ――おい!」

「駄目です、絶対! 放っておくなんて……!」

 

 両手で包み込むように、俺の右手を握ったルイン。

 そのまま、自分の胸にむぎゅっと押し当てる。

 

 柔らかくて、あたたかい感触。

 

「おまっ—–どこに手を!?」

「私の身体に直接触れていた方が回復魔法の効き目が強いんです。動かないでくださいね、ジュダさま」

「いやだってお前……胸だぞ……!?」

 

 男の手が自分の胸に触れているというのに、ルインは全然気にする様子がない。

 彼女はそのままそっと目を閉じた。

 

(あま)つ光よ、どうかこの者の傷を縫い、癒やしたまえ——」

 

 長いまつ毛に縁取られた瞳を伏せたまま、眉根を寄せ、真剣そのものの表情で祈るように詠唱を紡ぐルイン。

 あまりにも無防備で、ひたむきなその顔に、不覚にもドキッとしてしまう。

 

 やがて、その瞳が開かれた。

 

「〈ヒール〉——」

 

 魔法の発動と同時に、淡い光が、彼女の掌から溢れ出す。

 柔らかく、優しい光。

 じんわりと、手のひらに温もりが染み込んでくる。

 

 じんじんとひりついていた痛みが、手のひらから消えていった。

 

「はい、これで大丈夫です!」

 

 回復魔法で俺の傷を癒やしたルインは、まだ俺の手を離さないまま、にっこりと笑った。

 

「いいましたよね、ジュダさまが怪我をしたときのために、わたしはここまで来たんですから」

「……余計なお世話だ」

 

 視線を逸らし、小さく吐き捨てる。

 それでも、なぜか手は引き抜けなかった。

 

 小さく舌打ちをしてから、聞こえるか聞こえないかの声で、俺は言った。

 

「助かった……」

 

 そう呟いた直後。

 

(違う。これは……助けてもらったのに、お礼を言わなかったら、また刻数を減らされるかもしれないから……! だから、イヤイヤだ!!)

 

 心の中で、誰に向けてなのか分からない言い訳をする俺。

 そんな俺にルインは——

 

「ジュダさま……どういたしましてっ」

 

 ぱっと花が咲いたみたいな、可憐な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 森を出て、屋敷へ戻る道中。

 ルインはずっと、さっきの戦いのことを興奮した声で語っていた。

 

「ジュダさま、あのときの踏み込みが本当に――! ルイン、あんなの初めて見ました!」

「大したことねえよ」

「すみません! でも、すごかったんです!」

「うるせえって言ってんだろ」

「ジュダさま、なんでそんなにお強いんですか?」

「いい加減、お前黙れよ」

「いやですっ! ジュダさまのこともっと教えてください!」

 

 そんな調子でルインを連れて森を出て、そのまま屋敷に向かう。

 屋敷が見えてきたところで、ちょうど使用人たちが玄関口に集まっていた。

 

 手には武器とは言えない錆びた槍や、ボロい盾。

 揃いも揃って顔は思い詰めていて、死に顔みたいに青い。

 

 そんな奴らが、俺の姿を見つけた瞬間――

 

「じゅ、ジューダス様……?」

「お、お戻りになったのですね……!?」

 

 恐る恐るの声。

 びくびくした視線。

 

「てめえら、なんで武器を持ち出してんだよ」

「それは……出没したベヒモスが、上位種の可能性があるという報告が寄せられたことから……ジューダス様お一人に任せるわけにはいかず……」

「いらねんだよ、てめえらグズの助けなんか」

 

 俺はため息をはいてから、雑に言い捨てる。

 

「終わった。森に出たアークベヒモスは俺が潰した」

 

「「「……え?」」」

 

 使用人たちの目が点になり、間抜けな沈黙が落ちる。

 次の瞬間。

 

「ほ、本当に……? 倒したのですか? たった、お一人で……?」

「アークベヒモスですよ? 嘘ですよね……?」

 

「嘘じぇねえよ。ほれ、証拠だ」

 

 討伐の証として持ち帰ったアークベヒモスの牙を投げ捨てた。

 

「この牙は……」

 

 地面におちた牙を見つめる使用人たち。

 その中の誰かが、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。

 

 それから、一人が膝から崩れ落ちるように座り込んだ。

 

「……よかった……っ」

 

 その使用人の顔を覆った指の隙間から、ぽろぽろと涙が落ちた。

 

「俺たち誰も、死ななくていいんだ……! よかった……!」

 

 それを合図にしたみたいに、あちこちで安堵の声が上がる。

 肩を震わせる者、唇を噛みしめる者、ただ立ち尽くして泣く者。

 

(――なんだよ、これ)

 

 俺は眉をひそめた。

 

「ジューダス様……!」

「本当に、ありがとうございました……!」

「俺たち……今回は……皆死ぬ……って……」

 

 次々と使用人たちの頭が下がる。

 震える声が、重なった。

 

「やめろ……! 泣いてんじゃねえよ! 気色悪い!」

 

「申し訳ありません……うう……ですが! ですが……!」

 

 使用人たちの言葉が、妙に重かった。

 いつもみたいな、形だけの礼じゃない。

 腹の底から絞り出しているのが、わかった。

 

「……別に大したことはしてねえよ」

 

 俺はぶっきらぼうに返した。

 本当だ。

 俺にとっては、ベヒモスの討伐なんて楽勝だ。

 

 ガリオスの帝王学で、もっとヤバい魔獣の相手をイヤってほどさせられたんだからな。

 

 それに、別にコイツらのためにやったわけじゃない。

 刻数を稼ぐため――俺は俺のために、戦ったんだ。

 

 なのに、使用人たちは泣きながら、何度も何度も礼を言う。

 

 横を見ると、ルインが両手で口元を押さえていた。

 

「……っ、うぅ……」

「おい」

 

 俺は苛立ちまじりにルインを睨む。

 

「なんでお前が泣いてんだよ」

「だ、だって……」

 

 ルインは涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、笑っていた。

 

「皆が……ジュダさまに感謝してて……! ルインは、それが自分のことのように嬉しいのです……!」

「意味がわからねえ」

 

 いや、本当に意味がわからない。

 この状況のどこにルインが泣く理由があるんだ?

 

 なのに、ルインは泣きながら、俺の袖をぎゅっと掴んで離さない。

 

 ……鬱陶しい。

 けど、振りほどくと、また刻数がどうこう言われそうで嫌だった。

 

「疲れた……俺は休む」

 

 俺はそう言って、使用人たちの輪から抜けた。

 背中に「ありがとうございました!」が何度も飛んでくる。

 頭の奥が、妙にむずむずして、最悪な気分だった。

 

 ◆

 

 その日の夕食。

 いつもと違った。

 

 いつもの小食堂。

 いつもの黒パンと薄いスープ――のはずが。

 

 テーブルには、湯気の立つ肉の煮込み。

 香草の匂いがする焼き野菜。

 白パンまで、一本だけ置かれている。

 

「……なんだこれ?」

 

 思わず口に出た。

 

 ルインは、胸の前で手を組んで、にこにこしている。

 

「皆の感謝の気持ちです! 今日の分を少しずつ集めて、こっそり……」

「……クラウディアにバレたらどうなると思ってんだ?」

「それでもです! もう、ジュダさまは皆の英雄なんです! いつまでも粗末な食事を召していただくわけにはいかないって……!」

「……わけわからねえ」

 

 そう言いながら、俺はスプーンを取った。

 

 煮込みを一口。

 口の中に、甘い脂と香草の味が広がる。

 正直、うまい。

 

 ――その瞬間。

 

 脳裏に浮かんだのは、昼の使用人たちの顔だった。

 涙を流して、膝をついて、必死に俺にお礼を言っていた連中。

 

 俺の胃の奥が、変な具合に熱くなる。

 

「くそ、まずい」

 

 吐き捨てるみたいに言ったのに。

 スプーンは止まらなかった。

 

 口に運ぶたび、妙な温かさが、胸の奥に残っていく。

 腹が満たされていくのとは別の場所が、じわじわ満たされていく感じ。

 

 隣でルインが、嬉しそうに俺を見ている。

 

「……見てんじゃねえよ」

「はいっ」

 

 返事だけはやたら元気で、ルインはまた笑った。

 

 俺は舌打ちして、もう一口、煮込みをすくった。

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