人を助けないと即死亡の呪いを受けた悪役貴族の俺、しぶしぶ一日一善してたら、史上最高の名君に成り上がってしまう〜災厄貴族ジューダス・ファウルトの偽善〜 作:三月菫
やがて森が開ける。
そこには、岩の間を
せせらぎが静かに耳に届き、
俺達は水場にたどり着いた。
そこに、
「……大きい」
茂みに身を隠して水場の様子を伺う俺達。
俺の
水場にいたのは、ルインの言葉どおり、小山のようにバカでかいベヒモスだった。
紫色の身体をした、
背中には岩のようなゴツゴツとした突起。
水場に鼻先を突っ込んで水を飲む、その口元には四本の鋭いキバ。
ベヒモス。
いや、この大きさは――
「アークベヒモスだな……」
「ふつうのベヒモスじゃないんですか?」
「ベヒモスの上位種だ。先祖返りした結果、
俺の説明に、みるみる顔を青ざめるルイン。
「そ、そんなの無理ですよ。ジュダさま、一度、撤退しましょう……!」
「無理?」
「だって……だって……! ただのベヒモスですら手練の冒険者がパーティを組んでやっとなんですよ……!? それをジュダさまだけで……!」
俺は剣の柄に手をかけつつ、息を吐いた。
「ルイン、俺を見くびるなよ」
「で、でも……! もし、もしジュダさまが……!」
「そのときはお前が治せ。ここまでついてきた意味はそれだろ?」
「……っ」
ルインが唇を噛み、やがて覚悟を決めたように頷く。
「わかりました……!」
「……よし、
俺は剣を抜くと、アークベヒモスの方へ歩み寄った。
◆
茂みの奥から歩み出た俺。
その気配を察したアークベヒモスが振り向いた。
小さな目が、俺を
巨体がぐっと沈み込み、前脚が地面を強く踏みしめる。
岩のような肩口の筋肉が盛り上がり、全身の力が一点に収束していくのが、はっきりと分かった。
――来る。
そう理解した直後、
――ドンッ!!
赤黒い身体がうねり、ものすごい勢いで突進してきた。
「ジュダさまっ!!」
背後からルインの叫び声が聞こえる。
一気に距離を詰めてきたアークベヒモスは俺の目前で一度、体勢を大きく沈み込んだ。
その反動を利用して前脚が大きく跳ね上げられる。
前脚によるスタンピング。
典型的なベヒモスの攻撃パターン。
まともに食らえば、ぺしゃんこだ。
だが――
「遅えよ」
踏み降ろしのタイミングと合わせて、俺は地面を蹴り、前転。
スタンピングを、紙一重でかわすと、そのままベヒモスの腹下へ。
(ブッ刺してやる!)
片手剣を、下から思い切り突き上げる。
だが——
ガキンッ!
返ってきたのは、固い岩肌に突き刺したような感触だった。
刃が、キングベヒモスの外皮に弾かれたのである。
「……チッ」
舌打ちを遺し、俺はそのままキングベヒモスの腹下を抜けて、尾の部分から脱出。
一旦間合いを取ってから敵に向き直った。
(普通のベヒモスならこれで仕舞いだが、流石に
——グオオオオオオオオオオオオオオオッ!
キングベヒモスの咆哮が轟く。
こちらを睨みつけたまま、低く鼻を鳴らした。
後ろ足で地面をざり、ざり、と掻きむしる。
力を溜め込むように腰が沈み、筋肉がぎゅっと収束していくのが分かった。
「また突進……所詮はケダモノ。ワンパターンだな」
俺は敵の次の攻撃を予兆しながら、次の一手に思考を巡らせる。
「外が硬いなら――」
俺は剣を鞘に収め、片手を上げた。
即座に魔力を流し、詠唱を組み立てる。
「〈風よ、我が手に集え。渦を成し、吹き荒べ〉——」
手のひらが、淡い緑色に輝き始めた。
その次の瞬間だった。
アークベヒモスが、怒りに任せたように、一直線の突進を
地面を砕く勢いで距離を詰め、その巨体が目前まで迫った。
前脚が大きく振り上げられ、再びスタンピングが繰り出される。
俺は踏み込みと同時に身を低くし、その一撃を紙一重でやり過ごした。
衝撃が背後で地面を砕くのを感じながら、そのまま敵の
再び、アークベヒモスの腹下だった。
魔力を込めた手のひらを、腹に添えた。
「外が硬いなら——
魔力を解放。
「〈ヴィント〉――!!」
発動したのは風魔法〈ヴィント〉。
その瞬間。
バシュン!!!
鈍い破裂音が腹の奥から響き渡った。
圧縮された風が内部で暴れ回り、アークベヒモスの巨体が内側から大きく跳ね上がる。
そのどてっ
赤黒い血と内臓が四方に飛び散る。
巨体は悲鳴を上げる暇もなく、力を失ったように崩れ落ちた。
俺はその中心で、血まみれのまま立っていた。
「……相手が悪かったな」
◆
戦いを終えた後――
「ジュダさまっ!!」
ルインが、勢いよく駆け寄ってきて、俺の体にしがみついていた。
「ちょっ、服が汚れるぞ!」
「そんなのどうでもいいです!!」
ルインは震える手で、俺の身体を確かめる。
「ケガ……! お怪我はしてませんか!?」
「お前の目は節穴か? 一撃も食らってねえよ。無傷だ」
「よかったぁ……」
その場でへな、と力が抜けたようになるルイン。
泣きそうな声。
戦闘が終わったことで、さっきまでの緊張が一気に抜けたのだろう。
「ジュダさま……すごすぎます……カッコよかったです……」
「大げさだ。ベヒモスの一匹くらいどうってことねえよ」
「大げさじゃありませんよ! あんなでっかいベヒモスですよ!? あんなの、普通は見ただけで逃げ出しちゃいます……それを、一瞬で……!」
「だから、騒ぎすぎだっての」
いちいち俺のことを褒めてくるルインの反応に、妙な居心地の悪さを感じる俺。
「もう終わった話だ」
「終わってません!」
即座に返されて、思わず眉をひそめる。
「ジュダさまが……どれだけすごいことをしたか、ちゃんとジュダさまに分かってもらわないと……!」
「もういい、もうやめろ!」
いい加減、心の中の
「それ以上その減らず口を開いてみろ。ぶっ殺すぞ」
その瞬間だった。
「……あ」
ルインの視線が、俺の右手のひらに釘付けになる。
「ジュダさま……その手……」
「ん? ああ、これか」
俺は気にも留めず、手をひらひらと振る。
「魔力灼けだ。ありったけを込めたからな。軽いヤケドみたいなもんだ。放っときゃ治る、こんなもん」
「駄目です!!」
ルインが弾かれたように、俺の手を掴んだ。
「なっ――おい!」
「駄目です、絶対! 放っておくなんて……!」
両手で包み込むように、俺の右手を握ったルイン。
そのまま、自分の胸にむぎゅっと押し当てる。
柔らかくて、あたたかい感触。
「おまっ—–どこに手を!?」
「私の身体に直接触れていた方が回復魔法の効き目が強いんです。動かないでくださいね、ジュダさま」
「いやだってお前……胸だぞ……!?」
男の手が自分の胸に触れているというのに、ルインは全然気にする様子がない。
彼女はそのままそっと目を閉じた。
「
長いまつ毛に縁取られた瞳を伏せたまま、眉根を寄せ、真剣そのものの表情で祈るように詠唱を紡ぐルイン。
あまりにも無防備で、ひたむきなその顔に、不覚にもドキッとしてしまう。
やがて、その瞳が開かれた。
「〈ヒール〉——」
魔法の発動と同時に、淡い光が、彼女の掌から溢れ出す。
柔らかく、優しい光。
じんわりと、手のひらに温もりが染み込んでくる。
じんじんとひりついていた痛みが、手のひらから消えていった。
「はい、これで大丈夫です!」
回復魔法で俺の傷を癒やしたルインは、まだ俺の手を離さないまま、にっこりと笑った。
「いいましたよね、ジュダさまが怪我をしたときのために、わたしはここまで来たんですから」
「……余計なお世話だ」
視線を逸らし、小さく吐き捨てる。
それでも、なぜか手は引き抜けなかった。
小さく舌打ちをしてから、聞こえるか聞こえないかの声で、俺は言った。
「助かった……」
そう呟いた直後。
(違う。これは……助けてもらったのに、お礼を言わなかったら、また刻数を減らされるかもしれないから……! だから、イヤイヤだ!!)
心の中で、誰に向けてなのか分からない言い訳をする俺。
そんな俺にルインは——
「ジュダさま……どういたしましてっ」
ぱっと花が咲いたみたいな、可憐な笑みを浮かべた。
◇
森を出て、屋敷へ戻る道中。
ルインはずっと、さっきの戦いのことを興奮した声で語っていた。
「ジュダさま、あのときの踏み込みが本当に――! ルイン、あんなの初めて見ました!」
「大したことねえよ」
「すみません! でも、すごかったんです!」
「うるせえって言ってんだろ」
「ジュダさま、なんでそんなにお強いんですか?」
「いい加減、お前黙れよ」
「いやですっ! ジュダさまのこともっと教えてください!」
そんな調子でルインを連れて森を出て、そのまま屋敷に向かう。
屋敷が見えてきたところで、ちょうど使用人たちが玄関口に集まっていた。
手には武器とは言えない錆びた槍や、ボロい盾。
揃いも揃って顔は思い詰めていて、死に顔みたいに青い。
そんな奴らが、俺の姿を見つけた瞬間――
「じゅ、ジューダス様……?」
「お、お戻りになったのですね……!?」
恐る恐るの声。
びくびくした視線。
「てめえら、なんで武器を持ち出してんだよ」
「それは……出没したベヒモスが、上位種の可能性があるという報告が寄せられたことから……ジューダス様お一人に任せるわけにはいかず……」
「いらねんだよ、てめえらグズの助けなんか」
俺はため息をはいてから、雑に言い捨てる。
「終わった。森に出たアークベヒモスは俺が潰した」
「「「……え?」」」
使用人たちの目が点になり、間抜けな沈黙が落ちる。
次の瞬間。
「ほ、本当に……? 倒したのですか? たった、お一人で……?」
「アークベヒモスですよ? 嘘ですよね……?」
「嘘じぇねえよ。ほれ、証拠だ」
討伐の証として持ち帰ったアークベヒモスの牙を投げ捨てた。
「この牙は……」
地面におちた牙を見つめる使用人たち。
その中の誰かが、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。
それから、一人が膝から崩れ落ちるように座り込んだ。
「……よかった……っ」
その使用人の顔を覆った指の隙間から、ぽろぽろと涙が落ちた。
「俺たち誰も、死ななくていいんだ……! よかった……!」
それを合図にしたみたいに、あちこちで安堵の声が上がる。
肩を震わせる者、唇を噛みしめる者、ただ立ち尽くして泣く者。
(――なんだよ、これ)
俺は眉をひそめた。
「ジューダス様……!」
「本当に、ありがとうございました……!」
「俺たち……今回は……皆死ぬ……って……」
次々と使用人たちの頭が下がる。
震える声が、重なった。
「やめろ……! 泣いてんじゃねえよ! 気色悪い!」
「申し訳ありません……うう……ですが! ですが……!」
使用人たちの言葉が、妙に重かった。
いつもみたいな、形だけの礼じゃない。
腹の底から絞り出しているのが、わかった。
「……別に大したことはしてねえよ」
俺はぶっきらぼうに返した。
本当だ。
俺にとっては、ベヒモスの討伐なんて楽勝だ。
ガリオスの帝王学で、もっとヤバい魔獣の相手をイヤってほどさせられたんだからな。
それに、別にコイツらのためにやったわけじゃない。
刻数を稼ぐため――俺は俺のために、戦ったんだ。
なのに、使用人たちは泣きながら、何度も何度も礼を言う。
横を見ると、ルインが両手で口元を押さえていた。
「……っ、うぅ……」
「おい」
俺は苛立ちまじりにルインを睨む。
「なんでお前が泣いてんだよ」
「だ、だって……」
ルインは涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、笑っていた。
「皆が……ジュダさまに感謝してて……! ルインは、それが自分のことのように嬉しいのです……!」
「意味がわからねえ」
いや、本当に意味がわからない。
この状況のどこにルインが泣く理由があるんだ?
なのに、ルインは泣きながら、俺の袖をぎゅっと掴んで離さない。
……鬱陶しい。
けど、振りほどくと、また刻数がどうこう言われそうで嫌だった。
「疲れた……俺は休む」
俺はそう言って、使用人たちの輪から抜けた。
背中に「ありがとうございました!」が何度も飛んでくる。
頭の奥が、妙にむずむずして、最悪な気分だった。
◆
その日の夕食。
いつもと違った。
いつもの小食堂。
いつもの黒パンと薄いスープ――のはずが。
テーブルには、湯気の立つ肉の煮込み。
香草の匂いがする焼き野菜。
白パンまで、一本だけ置かれている。
「……なんだこれ?」
思わず口に出た。
ルインは、胸の前で手を組んで、にこにこしている。
「皆の感謝の気持ちです! 今日の分を少しずつ集めて、こっそり……」
「……クラウディアにバレたらどうなると思ってんだ?」
「それでもです! もう、ジュダさまは皆の英雄なんです! いつまでも粗末な食事を召していただくわけにはいかないって……!」
「……わけわからねえ」
そう言いながら、俺はスプーンを取った。
煮込みを一口。
口の中に、甘い脂と香草の味が広がる。
正直、うまい。
――その瞬間。
脳裏に浮かんだのは、昼の使用人たちの顔だった。
涙を流して、膝をついて、必死に俺にお礼を言っていた連中。
俺の胃の奥が、変な具合に熱くなる。
「くそ、まずい」
吐き捨てるみたいに言ったのに。
スプーンは止まらなかった。
口に運ぶたび、妙な温かさが、胸の奥に残っていく。
腹が満たされていくのとは別の場所が、じわじわ満たされていく感じ。
隣でルインが、嬉しそうに俺を見ている。
「……見てんじゃねえよ」
「はいっ」
返事だけはやたら元気で、ルインはまた笑った。
俺は舌打ちして、もう一口、煮込みをすくった。