人を助けないと即死亡の呪いを受けた悪役貴族の俺、しぶしぶ一日一善してたら、史上最高の名君に成り上がってしまう〜災厄貴族ジューダス・ファウルトの偽善〜 作:三月菫
執事長として、あの場に立っていた私の胸中を、どう表せばいいのか。
その日、夜も明けきらぬ早朝、私はクラウディア様に呼び出された。
用件は、ひと言で済まされた。
「森に魔獣が出たそうね。すぐに対処しなさい」
その声音は、いつもと何一つ変わらない。
まるで隣町へ使いを出すかのような、あまりにも軽い口調だった。
だが、その中身はあまりにも残酷だ。
「ですが……! 魔族の対処ともなれば……我々には戦う術も少なく……! 多くの犠牲が出ます……!」
執事長として、私は使用人たちの命を預かる立場にある。
だからこそ、無謀な命令に対し、せめてもの抗議を試みた。
しかし、それは最初から無意味だった。
当然のように返ってきたのは、感情の欠片も感じられない、氷のように冷たい声だった。
「失敗しても構わないわ。使用人なんて、いくらでも補充が効くもの」
まるで命の値段を、物の数のように扱う口ぶり。
正直、怒りよりも先に、諦めがきた。
我々、使用人の命など、このファウルト家にとっては、使い捨ての駒に過ぎない。
災厄の貴族——ファウルト公爵家。
この家に仕える以上、どんな理不尽な命令であろうと、逆らうという選択肢は存在しない。
命令を破れば——いや、主人の機嫌をほんのわずかでも損ねただけで、我々使用人は、仕置と称して、苛烈な拷問を受けることになる。
事実、先月も、朝食の席あやまってクラウディア様の御子息、ディモン様の召し物にスープをこぼしてしまったメイドが一人、その日のうちに拷問に処され、殺されてしまった。
弱い我々は、絶対的な強者である彼らに従うしかない。
「承知……いたしました……」
部屋を退出した私は、足取りも重く、静まり返った廊下を歩いていた。
背中に突き刺さるような冷たい空気が、先ほどのやり取りが夢ではなかったことを嫌でも思い知らせてくる。
森に出没した魔獣はベヒモスだという。
目撃者の話では、ただの個体ではなく、上位種の可能性もあるらしい。
仮にそうであれば、ベテランの冒険者パーティでさえ苦戦する相手だ。
戦いの素人である私たち使用人が対処に向かえば、結果は想像するまでもない。
はたして、何人が命を落とすのだろうか。
……それでも、屋敷は回る。
空いた穴を埋めるように、また新たな使用人を集めなければならない。
そんな算段を、半ば無意識のまま考えてしまった自分自身が、何よりも情けなかった。
――そんなときだ。
「俺が行く」
ベヒモスの討伐を、自ら買って出たのが、ジューダス様だった。
正直に言えば、最初は耳を疑った。
あのジューダス様だ。
常に無愛想でイライラしている。
やれ飯がマズい、やれ対応が遅いなど、些細なことで人を威圧し、怒鳴りちらす。
ファウルト家の中では、我々使用人に対する態度は、まだましな部類だとは思う。
それでも、根は同じだ。
強きが弱きを
同じ穴の
ここ最近、妙に
正直、気まぐれ、一時的な自己満足に過ぎないのだと
だからこそ。
ジューダス様が、本当にたった一人で森へ向かい——
そして――
アークベヒモスを、討伐して帰ってきたとき。
私の中で、何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
やはり出没した魔獣は上位種だった。
使用人が向かえば、犠牲は免れなかっただろう。
我々が手にしていた武器は、
錆びた槍。
使い古した盾。
それに恐怖に震える手だけ。
一体、何人死んだ?
五人か、十人か、それ以上か?
――それを、ジューダス様は、たった一人で終わらせた。
ジューダス様が。
あの、災厄の貴族、ファウルト家の人間が。
彼らがおよそ価値など見出さない、私たち使用人のために。
理由はわからない。
なぜ、あの方が、あんな行動を取ったのか。
だが、結果だけは、はっきりしている。
今日、屋敷の使用人は、誰一人として死ななかった。
それだけで、十分だった。
涙を流して感謝する者たちを前に、ジューダス様はひどく居心地悪そうにしていた。
褒め言葉を乱暴に突き返し、まるで感謝そのものを拒むかのような態度を取る。
それは一見すると、これまでのジューダス様と何も変わらない、乱暴で突き放した振る舞いに見えた。
――それでも。
あの御方は、間違いなく、私たちを守った
災厄と呼ぶべきファウルト家。
冷酷で、血の通わぬこの屋敷の中で。
ジューダス様だけが、異質だ。
不器用で、乱暴で、素直じゃない。
けれど、その行動は、確かに力持たぬ者の方を向いている。
その理由が何であろうと、もはや問題ではなかった。
私たち使用人にとって――
この屋敷に差し込んだ、たった一筋の光。
それが、ジューダス・ファウルトという人間なのだと。
両目からとめどなくあふれる涙と共に、私は、この日の事実を、決して忘れまいと心に誓った。
それは私だけではない。
この屋敷に仕える者たち全員がこう思っている。
ジューダス様は、変わったのだ。