人を助けないと即死亡の呪いを受けた悪役貴族の俺、しぶしぶ一日一善してたら、史上最高の名君に成り上がってしまう〜災厄貴族ジューダス・ファウルトの偽善〜 作:三月菫
こうして俺とルインの二人旅が始まった。
目的地は遥か遠い、最北の地オルレイン。
ただ、最初の三日は、楽な旅だった。
街道沿いを進めば、日が落ちる前には宿場町が見えてくる。
つまり屋根のある場所に泊まれるのだ。
「ふふっ、ジュダさまと同じ部屋だ……むふふふ」
宿の一室に入った途端、ルインは抑えきれない笑みをこぼして、つぶやく。
「ジュダさま! せっかくだから街をふらっと見て回りませんっ?」
「行かねえよ、めんどくせえ。こんな辺鄙な村、観光しても何もねえだろ」
「よよよ……」
わかりやすく肩を落とすルイン。
滞在中のルインは、だいたいこんな調子だった。
ファウルト家の外に出たのがよほど新鮮らしく、通りを歩くたび、店の看板や人の往来に目を奪われては、落ち着きなく視線をあちこちに走らせている。
(こいつ、完全に旅行感覚だな……)
実際、ここまでは旅行だった。
馬を預け、温かい湯に浸かることができ、ベッドの上で寝て、温い飯を食う——
それだけで、旅の難易度は段違いに下がる。
だが、やがてそんな快適な旅行も終りを迎える。
旅を始めて四日目——
それまできちんと整備されていた街道は、ある地点を境に急激に荒れ始める。
踏み固められていたはずの道は崩れ、馬車の轍はいつの間にか途切れ、進路を示していた案内杭の姿も見当たらなくなった。
人の気配は次第に薄れ、代わりに目につくようになったのは、獣とも魔獣ともつかない大きな足跡だった。
「ルイン……ここから先は、道が整備されてねえぞ」
「はい。地図をみても、オルレインまで街らしい街もほとんどありませんね」
オルレインまでおよそ一週間。
ここからが、
宿も、街もない。
夜は野営が当たり前。
野盗や魔獣に襲われても文句はいえない。
弱肉強食の過酷な世界。
それでもルインの顔には、不安より期待が勝っているようだった。
「じゃあ……今日からはキャンプですね!」
「だから、楽しそうに言うな。気が抜けるんだよ」
「初めてなんです。こういうの」
本当に遠足気分だ。
(……緊張感がなさすぎるんだよ)
「だってジュダさまと一緒ですから!」
心の中のつぶやきは、声に出ていたらしい。
俺は大きくため息をつく。
ルインの能天気さに呆れつつも、俺は手綱を握り直し、そのまま馬を進めていった。
◆
そして、馬を進めて半日。
日が西の空に傾いてきた頃。
「ルイン、そろそろ暗くなる。今日はこのあたりで野営をするぞ」
ルインにそう告げて、俺は野営ができそうな場所を探す。
そして見つけたのは、小さな林の縁。
大きな岩の陰になっていて、沢も近い。
風を防げて、水場もほど近い場所を見つけ、そこで野営することにした。
シュアトを繋いだあと、さっそく準備に入った。
ルインには薪となる枯れ枝集めを指示し、その間俺は焚き火の準備だ。
それから、魔獣よけの香を炊き、簡単な陣を張る。
その一連の作業を、枯れ枝集めを終えて戻ってきてたルインが、感心したように目を輝かせて見つめていた。
「すごいです、ジュダさま……! あっという間ですね」
「見てる暇あったら、薪をよこせ。あと食料。パンと、干し肉もだ」
「あ、はいっ!」
今夜の食事は、街で調達していた黒パンと干し肉。
それだけでも生きてはいける。
だが、俺は周囲を一瞥し、腰を上げた。
「ちょっと待ってろ」
「え?」
短剣を抜き、林の中へ入る。
地面の状態、湿り気、木陰の具合を確かめながら、
ほどなくルインの元へ戻った。
「それは?」
俺の両手には、草やキノコが握られている。
「これは肉と一緒に串に差して火にかけろ。こっちはスープにするんだ」
「……これ、全部食べられるんですか?」
「食える。こっちは滋養がある。こっちは香り付け。肉とパンだけじゃ、どうしても栄養が偏るからな」
淡々と俺が説明している間、ルインは目を丸くして、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
ほどなくして、今晩の夕食が出来上がった。
肉ときのこの串焼き。野草ときのこの塩スープ。
そして黒パン。
簡素だが、野営食としては上々だろ。
「おいしそう……いただきます」
そう言って、ルインは串焼きに手を伸ばし、遠慮がちに一口かじる。
「……おいひい……!」
ハムスターみたいにほっぺたを膨らませ、ルインが感嘆の声を上げた。
「とっても美味しいです! すごいですジュダさま!!」
「大したメシじゃねえよ」
当たり前のように返した俺を、ルインはまじまじと見つめてくる。
そのまなざしには、純粋な感心と尊敬が混じっているようだった。
俺が用意した夕食は、あっという間に俺とルインの腹の中に収まった。
「食後はこれだ」
俺は腰にぶら下げた革袋から、細長い緑の葉を数枚取り出した。
広葉樹の葉とは明らかに違う。
針のように細く、かつ鼻を近づけると独特の香りがする。
ルインが興味津々に見つめてくる。
「その緑のトゲトゲ、なんです……?」
「パインの葉だ」
「ぱいん……? それも食べるんですか? なんだかお口が痛くなりそうです」
「いや、こいつは沸騰した湯で煎じれば、茶になる」
俺はルインに説明しつつ、
湯気と一緒に、すっとした香りが立ち上った。
「飲んでみろ」
「いただきます」
ちびり、と口をつけるルイン。
「おいしい! とっても美味しいです!」
目を輝かせてそういった。
俺も自分のカップに茶を注ぎ、ひと口含む。
松葉の香りを含んだ温もりが、疲れた体の奥へゆっくりと染み渡っていった。
「ジュダさまは本当に物知りなのです」
「別に、必要だったから覚えただけだ」
「どこで、こんな知識を?」
一瞬、言葉に詰まった。
そして、少しだけ間を置いてから答える。
「……ガリオスに教えられた」
「旦那様に、ですか?」
焚き火が、ぱちりと音を立てる。
「子供の頃、よく森に放り込まれてた。ナイフ一本でな」
「……え」
「魔獣の出る森だ。帰れなきゃ、それまで」
事実を淡々と語る。
その声に、感情は乗らなかった。
ルインは黙り込み、やがて小さく言った。
「それは……ジュダさまが、どんな環境でも生きられるようにと……」
「そんなわけねえだろ」
即座に切り捨てた。
「アイツはただ、使えない駒を間引こうとしただけだ」
焚き火の向こうに、冷たい目をした父の姿が一瞬だけ重なった。
生き残った俺を見下ろし、何も言わずに去っていく背中。
(……クソ)
「愛情なんて、最初からなかった」
俺は松葉茶を一口飲み、余計な考えを追い払おうとする。
「でも、ジュダさまを愛している人はいます」
「いねえよ、そんなやつ」
「いえ、います。絶対います! ルインが保証します」
「どこに?」
「……それは、その……しです」
「あ?」
「いえ、なんでも、ないです」
ルインはもじもじと指先を絡め、視線をさまよわせていた。
◆
夕食を終え、夜も更けた頃。
風よけの岩陰に腰を下ろし、眠るために自分の毛布を広げた、そのときだった。
少し離れた場所で、ルインが挙動不審にしている。
両手を胸の前で組み、行ったり来たりを繰り返しながら、こちらをちらちらとうかがっていた。
「……お前、どうした」
「は、はいっ!?」
びくっと肩を跳ねさせ、ルインは慌てて背筋を伸ばした。
「寝具は」
「え、えっと……」
視線を泳がせ、しばらく
「……持ってきてなくて……」
「……は?」
一瞬、言葉を失った。
確かに思い返すとこいつの手荷物は小さなトランク一つ。
野営するには明らかに準備不足だ。
「ご心配なく! 焚き火もありますし、ルイン、寒さには……わりと、強いほうなので……!」
「凍え死ぬぞ、バカ」
俺はため息をつき、自分の毛布を持ち上げる。
「来い」
「えっ」
「入れ」
「ジュダさま……いいんですか……?」
「死なれたら面倒ってだけだ」
俺は視界の端になお浮かび続ける償いの刻印に、ちらりと目をやった。
現在のカウントは「52」。
多少カウントが減ったところで今すぐ死ぬわけじゃない。
稼げるときに刻数は稼いでおきたい。
ただそれだけ。あくまで、自分のため。
自分に言い聞かせるように、そう結論づけてから、ルインに背を向けて毛布に潜り込んだ。
少し遅れて「失礼します」という声と共に、そっと気配が近づいた。
毛布の中。
思った以上に距離が近い。
「……ジュダさま……こんなに近くに……」
「文句言うなら、外にでて勝手に凍死してろ」
「いえ、その、文句とかじゃなくて……むしろ逆です」
背中越しに伝わる体温は、驚くほど冷たかった。
細い身体が、遠慮がちに、でも確かにこちらに寄り添ってくる。
しばらく、何も言葉はなかった。
焚き火のパチパチと燃える音と、夜の森の音だけ。
やがて、ルインが小さく呟く。
「……ジュダさま」
「なんだ」
「こうして一緒にいられるの、夢みたいです」
返事はしなかった。
何を言っても、嘘になる気がしたからだ。
ただ一つの事実、ひとつだけの毛布の中で感じるルインの体温は、不思議と、不快ではなかった。
初めての野営の夜が、静かに更けていった。