フリーレンの世界に転生したお話。   作:灯火011

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本編28話(〆) エルフの旅路

 夜空から降り注いだ黄金の光の雨は、荒野の冷たい風に吹かれて、幻のように音もなく溶けて消えた。

 

 鼓膜の奥には、まだ大気を物理的に殴りつけたような轟音の残響が微かにビリビリと残っている。そして鼻を突くのは、生々しくて泥臭い、何かが激しく燃え尽きたような硝煙と血の匂いだった。

 

「…………」

 

 私は空を見上げたまま、ゆっくりと瞬きをした。

 

 何百年と生きてきて、魔法の光なら数え切れないほど見てきた。星の降る夜も、世界を焼き尽くすような魔族の炎も、大魔法使いであるゼーリエが遊び半分で咲かせる美しい花畑の幻影も。

 

 けれど、今ここで打ち上がったあの無骨で巨大な黒い塊が魅せた光は、そのどれとも違っていた。

 

 ただ重く、うるさくて、暴力的なまでに眩しく。そして、恐ろしいほどに「無駄」だった。

 

 視線を下ろすと、荒野の固い土の上にへたり込んでいる魔族の少女の背中があった。

 

 彼女は自分の左腕をだらりと下げ、極度の貧血と魔力枯渇で肩で息をしながら、それでも夜空を見上げて、満足そうにヒヒッ、と喉の奥で笑っている。

 

 魔族は、人間を欺くための言葉を持つ化け物だ。

 

 生存し、捕食するためだけにその知性と魔法を進化させてきた、極限の合理性を持つ捕食者。彼らにとって魔法とは、獲物を殺すための牙であり、身を守るための鎧だ。そこに一切の無駄はない。美しさを愛でるという概念すら、彼らの脳には存在しない。

 

 かつて、ヒンメルはその残酷な事実を前に、それでも「もしかしたら」と手を伸ばした。

 

『この子だって、人間の言葉を話すんだ。分かり合えるかもしれないじゃないか』

 

 あの時、ヒンメルが剣を収め、庇おうとした魔族の子供。村長の娘の命を奪い、人間の情というシステムを利用して生き延びようとした、あの小さな魔族。

 

 ……ヒンメルの優しさは、結局のところ、取り返しのつかない悲劇と、魔族という種の絶対的な断絶を証明する結果にしかならなかった。だから私は、魔族は問答無用で殺すと決めている。彼らの紡ぐ言葉はただの音声であり、彼らの見せる涙はただの分泌液だ。そこに心はない。

 

(……でも、じゃあ、目の前のこれはいったい何なんだろう)

 

 私は、自らの血の半分以上を限界まで絞り出し、命を削ってまで、誰も殺さない「花火」というただの光と音の現象を空にぶちまけた彼女を見つめた。

 もしこれが人間を欺くための高度な擬態だと言うのなら、あまりにもコストが見合っていない。一ヶ月間も暗い地下牢に籠もり、毎日自分の肉体を傷つけて、完成したものは一瞬で消え去るゴミなのだ。

 

 そんな馬鹿なことをする魔族は、私の長い記憶のどこを探しても、一人もいなかった。

 

「……なるほど。貴様は、少しは『人間』らしいな」

 

 隣で、ゼーリエがふっと息を吐くように笑ったのが聞こえた。

 

 魔法の歴史そのものと言えるあのゼーリエが、魔族の作り出したただの無駄な現象を前に、はっきりと賞賛の笑みを浮かべていた。ゼーリエもまた、平和な時代の、何の役にも立たない魔法を愛する魔法使いの一人だからだ。

 

「ゼーリエ」

 

 私は静かに口を開き、ゼーリエの横顔を見た。

 

「あの花火、綺麗だったね」

 

「……ああ。魔族の血を燃料にした泥遊びにしては、悪くない余興だった。だが、あれで奴の魔力は完全に底をついた。もはや新しい技術の図面を引く体力すら残っていないだろう。一ヶ月の約束通り、あの魔族はここで処分する」

 

 ゼーリエは淡々と告げた。彼女にとって、この余興はあくまで余興であり、魔族という危険因子を野放しにする理由にはならない。ゲナウや他の魔法使いたちも、警戒を解かずに彼女へ杖を向けている。

 

 

 私はゆっくりと歩み出た。

 

 冷たい夜風が私のトーガを揺らす。一歩、また一歩と、へたり込んでいる魔族の少女へと近づいていく。彼女は足音に気づき、青白い顔をこちらに向けた。

 

 その顔には、死の恐怖はなかった。ただ、やり切った職人のような、奇妙に清々しい疲労感だけが張り付いている。

 

「ねえ、ゼーリエ。この魔族の監視、私が引き受けるよ」

 

 私の言葉に、荒野の空気が一瞬で凍りついた。ゲナウが信じられないものを見るように目を見開き、背後にいたフェルンすら「フリーレン様……?」と戸惑いの声を漏らす。

 

「正気か、フリーレン」

 

 ゼーリエの声が一段と低くなった。

 

「かつて勇者ヒンメルと共に魔王を討ち、誰よりも魔族を殺してきたお前が、その魔族を生かして連れ歩くと言うのか」

 

「うん。ヒンメルは、魔族の子供を信じようとして、失敗したけど」

 

 私は、魔族の少女の前に立ち止まり、彼女の見開かれた瞳をじっと覗き込んだ。そこには、魔族特有の淀んだ暗い光だけでなく、もっと泥臭くて、人間の街の裏通りで必死に生きる商人のような、不思議な熱が宿っている。

 

「今度は、もしかしたらって、思うんだ」

 

 ―――ヒンメルなら、きっとそうするから。

 

 あの底抜けにお人好しで、バカみたいに人間を愛していた勇者なら。この無駄で美しい花火を見たら、きっと目を輝かせて拍手をして、そして笑って手を差し伸べるはずだ。

『素晴らしい技術だ。君のその力は、誰かを笑顔にするために使えるよ』と。

 

「それに、この子の作る道具は、フェルンの服のシワを伸ばしたり、シュタルクの鎧の匂いを消したりするのにすごく便利だからね。旅の荷物持ち兼、便利な職人としてなら、連れて行く価値はあるでしょ」

 

「……相変わらず、お前たちのその甘さは反吐が出るな」

 

 ゼーリエは心底つまらなそうに鼻を鳴らし、踵を返した。だが、その背中からは、明確な殺意が消えていた。

 

「勝手にしろ。ただし、その魔族の首輪はゼーリエの名において私が用意する」

 

 ゼーリエが指を鳴らすと、魔族の少女の手足に嵌められていた重厚な鉄の枷が、音を立てて砕け散った。その代わり、彼女の右手の薬指に、銀色の鈍い光を放つ指輪がカチリと嵌められた。

 

「その指輪は、お前の魔力を常に抑え込み、同時に『幻影魔法』を展開する呪具だ。お前のその忌まわしい角を隠し、人間の姿へと偽装する。……もしフリーレンの目から逃れ、少しでも人間に危害を加えようとすれば、その指輪がお前の腕ごと心臓を吹き飛ばす」

 

「ひっ……!」

 

「フリーレン、そいつが少しでも魔族としての本性を見せたら、躊躇わずにお前が殺せ。それが、そいつを引き取る者の責任だ」

 

「わかってるよ。その時は、私がちゃんと魔法で撃ち抜くから」

 

 私は淡々と答え、ゼーリエや協会の一級魔法使いたちが姿を消していくのを見送った。

 

 

 荒野には、私と、フェルン、シュタルク。

 

 そして、人間の姿に偽装された魔族の少女だけが残された。

 

「……あ、あの。フリーレン、様……?」

 

 地面に座り込んだまま、彼女が恐る恐る私を見上げてくる。

 

 ……本当に変な魔族だ。人を騙すための言葉を持っているくせに、その声にはいつも、人間社会の重圧に押し潰されそうになっている小市民のような、妙なリアリティが滲んでいる。

 

「立てる?」

 

 私が手を差し伸べると、彼女はビクッと肩を震わせた後、おずおずとその手を取った。ひどく冷たくて、ゴツゴツとした、職人の手だった。

 

「なんで、私なんかを……。私は、人間を騙して生きる魔族ですよ……?」

 

「そうだね。でも、君がさっき打ち上げたあれは、私が今まで見たどの魔法よりも、最高に無駄で、綺麗だったから」

 

 私は彼女の手を引き、ゆっくりと立ち上がらせた。

 

「行くよ。私たちの旅は長いし、フェルンの服のほつれも直してもらわないといけないからね」

 

「……あの、ブラック企業から抜け出せたと思ったら、今度は年中無休の果てしない出張労働ってことですか……?」

 

「ん? 何か言った?」

 

「いえ! なんでもありません! 喜んでお供させていただきます、フリーレン社長!」

 

 彼女は慌てて前世の接客スマイルを顔に貼り付け、まだふらつく足取りで私の後ろについて歩き出した。

 

 フェルンが「フリーレン様、本当に大丈夫なのでしょうか……」と呆れたようにため息をつき、シュタルクが「まぁ、斧の手入れをしてもらえるなら、俺は嬉しいけどな」と能天気に笑う。

 

 夜空には、まだ鉄のような匂いが微かに残っている。でも、その匂いは不思議と嫌なものではなかった。

 

(ねえ、ヒンメル)

 

 私は、果てしなく続く北側諸国の街道を見据えながら、心の中でかつての勇者に語りかけた。

 

(私、変なものを拾っちゃったよ。ヒンメルが見たら、きっと呆れて笑うだろうね)

 

 人間と魔族。決して交わることのない二つの種族。でも、あの途方もない「無駄」を作り出せる彼女なら。もしかしたら、ヒンメルが夢見た、違う結末のほんの少し先へ、歩いていけるかもしれない。

 

 そんな途方もない奇跡の予感を、少しだけ胸の奥に抱えながら。私たちは、新しい厄介な荷物を連れて、再び北へと歩き出した。

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