フリーレンの世界に転生したお話。   作:灯火011

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プロローグ2

 ぬかるんだ土の感触と、車輪が軋む甲高い音が、静寂の森に響いていた。

 

 私は茂みの奥に身を潜め、じっと前方を観察していた。そこには、荷馬車の車輪が泥にはまり往生している初老の男がいた。荷台には木箱が積まれ、男は太い腕で車輪を持ち上げようと悪戦苦闘している。行商人だろう。

 

 私の内側で、再びあの冷たいさざ波が立った。

 

『無防備な人間だ。怪我をした子供の声で泣き真似をすれば、警戒を解いて森の奥へ入ってくる。そこを――』

 

(……はいストーップ。この考えは却下!)

 

 私は湧き上がる捕食本能を、前世の理性で強引に叩き潰した。男を襲って何になる。あの荷馬車には私の探している「情報」と、この世界での「移動手段」があるのだ。

 

 だが、問題は、どうやって接触するかだ。頭に生えたこの禍々しい二本の角。そしてこの馬鹿みたいに白い肌。これを隠さなければ、一歩踏み出した瞬間に悲鳴を上げられるのは昨日学習済みだ。

 

 私は目を閉じ、体内に渦巻く膨大なエネルギー、「魔力」に意識を向けた。

 

 不思議な事に、魔力の操作は、前世で慣れ親しんだ重機の操縦に酷似していた。ただ力任せに放出するのではない。何トンもの土砂をすくい上げる巨大なバケットを、地表スレスレで寸分狂わずピタリと止めるような、繊細で緻密なレバー操作。あの油圧の感覚を、体内の魔力に置き換える。

 

 そして、これがまた面白い事に、前世の知識がイメージとして現実化する。

 

 光の屈折率を捻じ曲げ、角の存在を周囲の景色と同化させるように魔力を編み込んでいく。少しでも出力がブレれば幻影はノイズを起こして破綻する。コンマ数ミリのレバー操作を、呼吸をするように維持し続けるのだ。

 

 そして、少しの後。

 

 ――よし、うまいこと定着した。私は大きく深呼吸をし、茂みから街道へと足を踏み出した。

 

 

「あの、お困りですか?」

 

 声をかけた瞬間、男がビクッと肩を震わせて振り返った。男の瞳が、私を上から下まで舐め回すように、そして警戒を解かずに観察する。

 

(角は……見えていない、よな?)

 

 冷や汗をかく私の内心とは裏腹に、男の顔に浮かんだのは、昨日の男のような恐怖と絶望ではなかった。どちらかといえば、ただの驚き、そして困惑だ。

 

「……なんだ嬢ちゃん。こんな森の奥で、1人で何をやってるんだ? 迷子か?」

 

 その言葉に、私は内心でガッツポーズをした。彼の目には私がただの「角のない人間の少女」に見えているという事にほからない。成功だ。

 

「いいえ。私は……迷子ではなく、その、魔法の修行で旅をしている者です。車輪が泥にはまってしまったんですね? よろしけばら、お手伝いいたしましょうか」

 

 私は努めて友好的に、そして柔しい声色で話しかけた。するとどうだろうか。私の口から紡がれた言葉は、自分でもゾッとするほど甘く、心地よく、相手の警戒心を一瞬で溶かすような、異様な響きを持っていた。

 

 男の険しかった表情が、私の言葉が届くと同時に、少しづつ、まるで魔法にでもかけられたようにふっと緩む。

 

「魔法の修行? お嬢ちゃんみたいな小さな子がかい。……まぁ、背に腹は代えられねぇな。助けてくれるのなら有難いが、どうするんだ?」

 

「少し離れていてください。魔法を使います」

 

 私は荷馬車の側面へと歩み寄り、車輪の下の泥に右手を向けた。魔力を操作し、荷馬車の下へと滑り込ませる。イメージは、てこの原理。重機のバケットを地中に突き立て、油圧でぐいっと。

 

「リフトアップ」

 

 適当な詠唱と共に、イメージの中の魔力のレバーを引き上げる。すると、数百キロはあろうかという荷馬車が音もなくふわりと宙に浮いた。男は「おお!」と目を丸くして感嘆の声を漏らす。その隙に、私は足元の泥を魔力で乾燥・転圧し、硬い土の地面へと作り替える。いやはや、魔力とは便利なものだ。

 

 そして、地面を確認してから、静かに荷馬車を下ろす。

 

「す、すげぇ! ……嬢ちゃん、ただの子供じゃねえんだな。こんなにあっさり」

 

「まぁ、その。修行中とは言っても、魔法使いですから。……あの、もしよろしければ、次の街まで乗せていっていただけませんか? 実はその……お恥ずかしながら、迷子でして……」

 

「ああ! もちろんだとも! お安い御用だ!」

 

 私が小首をかしげて微笑むと、男は二つ返事で快諾した。

 

「おっと、名乗ってなかったな。俺は行商人のバーンズだ。嬢ちゃんがいなきゃ、野盗か魔族に襲われてあの世行だったわ。さ、遠慮せずに乗ってきな!」

 

 魔族―――。その単語が出た瞬間、思わずピクリと眉が動く。幸い、バーンズには感づかれてはいないようだ。すぐに笑顔で誤魔化して、御者台の隣に飛び乗った。

 

 

 馬車が揺れ始める。バーンズはすっかり私に気を許したようで、手綱を握りなら饒舌に語り始めていた。

 

「いやあ、最近はこのあたりも物騒になっちまってね。北の地方じゃあまだ魔族の残党が暴れてるって噂だ。嬢ちゃんも魔法使いなら知ってるだろう? あいつら、人間のふりをして『助けてくれ』とかそれっぽい言葉をかけてくるんだ。だまされた奴は文字通り食われちまう。言葉を喋る魔物なんて、反吐が出るぜ」

 

「そう、ですね。恐ろしいものです」

 

「だよな。言葉ってのは、心を通わせるためにあるもんだ。それを人間を食うための道具にしか使わねえんだからな。あいつらには心ってもんが無いのさ。見つけ次第問答無用で殺さなきゃならねぇ。それが、人間のルールだ。な? 嬢ちゃん」

 

「ええ。その通りです」

 

 私は相槌を打ちながら、背筋に氷柱を差し込まれたような悪寒を感じていた。

 

(なるほど、昨日私に矢を放ってきた男の反応は、この世界においては常識だったわけだ。私のような「魔族」との対話は有り得ないんだな)

 

 ――魔族は見つけ次第殺す。

 

 そして何より恐ろしいのは、彼が憎々し気に語った、『言葉を喋って人間を欺く』という特徴が、まさに、私がさっき発した言葉に集約されているわけだ。甘く、心地よい言葉。この体は、まごうこと無き『魔族』らしい。

 

 つまり、魔族とバレたら一発アウト。あの世行だ。

 

「ほら、嬢ちゃん。礼には早いが腹減ってるだろ? 食いな」

 

 バーンズが木箱から何かを取り出し、私に放り投げた。受け取ってみれば、それはカチカチに乾燥した肉の塊だった。

 

「羊肉を塩漬けにしてから干したもんだ。旅の保存食兼、商品だよ。ちーとばかり固いが、噛めばいい味が出る」

 

 言われるがまま、私はそれを口に運ぶ。強い塩味と、独特の獣の匂いが口の中に広がる。それを前歯で噛み千切ると、肉体が。

 

『こんな歯肉より、隣に座っている生きた人間の血肉の方が旨いぞ』

 

 などと囁きかけてきた。

 

(んなことしたらせっかくの繋がりが無くなっちまう。馬鹿言うな)

 

 私はそれを強靭な石でねじ伏せて、じっくりと羊肉を咀嚼した。実のところ、前世ではジンギスカンが好みだった。仕事を終えた後に安酒場で喰う羊肉の油の旨味、そして同僚たちとの他愛のない会話、そして笑顔。あの泥臭くも暖かい「人間の記憶」が、羊肉の風味と共にフラッシュバックし、私の中の魔族の本能を少しだけ中和してくれた。

 

「……少々硬いですが、味は美味しいです。とっても」

 

 心からの笑顔を浮かべながらそう告げると、バーンズは嬉しそうに目じりを下げた。

 

「だろう? こいつを次の交易都市で売るんだ。あそこは冒険者や魔法使いが多いからな。いろんな『魔道具』の取引で潤っている街さ」

 

「魔道具ですか」

 

「ああ。魔法使い、お嬢ちゃんの同業者が作った便利な道具さ。ま、釈迦に説法か。俺たち平民には高くて手が出ねぇし、たまーに便利そうだっつって安物を買うと、すぐに壊れたり事故を起こしたりするポンコツだったり、ま、一般庶民には関係ない品物だがね」

 

 バーンズの言葉に、私はピンときた。魔法使いが作る便利な道具。しかも、高級品はまだしも、一般庶民に出回る安ものは粗悪品が多いらしい。

 

 私の脳内で、『ものづくり』の記憶と、『精密すぎる魔力操作』の技術が、カチリと音を立てて噛み合った。

 

 

 しばらくして。

 

 バーンズの荷馬車に揺られていると、森を抜けた先に、高い石壁に囲まれた巨大な街が見えてきた。門番たちが槍を持ち、行き交う人々の荷物を検めている。魔法使いらしきローブを着た人や、剣を帯びた戦士たちの姿もあった。

 

(あれが、人間の街……)

 

 門を通過する際、門番の鋭い視線が私に向けられた。角を隠す幻影魔法を限界まで微調整し、ばれないように祈りながら息を潜める。門番が少しだけ不思議そうに、私の白い髪を見たものの、バーンズがうちの身内の子でね、と笑って声をかけると、直ぐに興味を失って通行を許可した。

 

 街の中はといえば、それはもう活気にあふれていた。市場には様々な品物が並び、人々の笑い声や怒号が飛び交っている。

 

 私は荷馬車の上から、露天に並べられていた魔道具らしき道具たちを観察した。どうやら、お湯を沸かすための魔道具らしい。だが、その内部である魔法そのものが、素人目に見てもひどく雑で、エネルギーの効率がすこぶる悪そうだった。

 

(なんだあれ。あんな粗末な造りじゃあ、魔力切れを起こしちまうどころか熱暴走しちまうぞ?)

「私なら、あの半分の魔力量で倍の効率を出せるのにな……」

 

 ふと口から出た愚痴。そんな不満を漏らした私を見て、バーンズは面白そうに笑った。

 

「嬢ちゃん、魔道具の良し悪しがわかるのか?」

 

「あ、ええ。少しだけです」

 

「へえ。ならいい場所を知ってるぜ? 実は俺の知り合いがやってた裏通りの雑貨屋がな、店主が夜逃げしちまって空き家になってるんだわ。嬢ちゃん。もしこの街で身を立てるつもりなら、そこを使ってみる気はないか? 腕がいいなら、俺が最初の客になってやるよ」

 

 その提案は、私にとって渡りに船だ。この危険な世界で生き残るには、怪しまれない社会的地位が必須。それに、魔族の私が可能な限り人間と自然に接し、私の異様に人を引き付ける声が最大限に生かせる職業ならば願ったり叶ったり。

 

「……やります。やらせてください」

 

 私は即答した。

 

 

 こうして、魔族の少女はバーンズの紹介で小さな店舗を手に入れた。

 

 人間をだまし、捕食するための恐るべき魔族の生存本能を全て、「顧客のニーズを引き出し、商品を売りつけるための営業スキル」に全振りした、前代未聞の女店主の誕生である。

 

 彼女がこの街で、本物の「葬送の死神」と相対することになるのは、ここからもう少しだけ先の話だ。

 

 

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