大陸魔法協会の地下最下層。
光の届かない冷たい石造りの牢獄は、前世で朝から晩まで埃と堆肥の匂いにまみれながら重機のレバーを握っていた、あの薄暗い作業倉庫をどこか思い出させた。
……いや、あの頃はいくら腰や足首が軋むように痛くても、仕事を終えれば安酒場で冷えたビールを煽る自由があった。だが今の私にあるのは、魔力封じの重い枷と、山積みにされた白紙の羊皮紙、そしてすり減っていくインクだけだ。
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「……よし、蒸気タービンの圧力調整バルブの構造はこれで完成、と」
私は羽ペンを置き、凝り固まった首をポキポキと鳴らした。
バーンズさんとの面会から数日。私の作った魔道具が、使い捨てであるがゆえに回収されず、今も街の人々の生活を支え、そして静かに消えていっているというゼーリエの言葉は、この息の詰まる無限労働(デスマーチ)の中での唯一の救いだった。
私の技術は、この理不尽なファンタジー世界で確かに役に立っている。
その自負だけを燃料にして、私は記憶の底にある現代の工業技術を必死に図面へと書き起こし続けていた。
「おい、魔族。図面は出来たか」
鉄格子の向こうから、冷ややかな声が落ちてきた。
見上げると、黒衣の一級魔法使いゲナウを従え、大魔法使いゼーリエが立っていた。彼女は鉄格子越しに、私が書き上げたばかりの羊皮紙の束を魔力でふわりと引き寄せる。
「ええ、ゼーリエ様。ご要望の『蒸気機関』の基礎理論と、タービンの設計図です。これを応用すれば、馬を使わずに巨大な鉄の塊を動かすことも、鉱山の水を一気に汲み上げることも可能になります。……どうですか、私の世界の技術は」
少しだけ誇らしげに胸を張る私を見て、ゼーリエは黄金の瞳を細め、羊皮紙をパラパラと素早くめくった。そして。
「……下らん」
バサッ、と。ゼーリエは、私が徹夜で書き上げた図面の束を、無造作に床へと放り捨てた。
「え……?」
「確かに、この『蒸気機関』とやらの論理は完璧だ。お前の言う通り、これがあれば人間の生活は劇的に変化し、力仕事の概念そのものが覆るだろう。ゲナウ、これは上の研究班に回しておけ」
「はっ」
ゲナウが図面を拾い集める中、ゼーリエはひどく退屈そうな、冷え切った目で私を見下ろした。
「だが、私が言っているのはそういうことではない。どれもこれも、ただ『便利で効率的』なだけだ」
「便利で効率的……って、それが技術の最大の存在意義じゃないですか! 少ないエネルギーで最大の出力を生み出す。それがどれだけ人間の助けに―――」
「だから、それが『
ゼーリエの声が、地下牢の空気をピリッと凍てつかせた。
「魔族の魔法は、生存し、人間を欺き、効率よく捕食するための『機能』でしかない。無駄なものを一切削ぎ落とし、ただ目的のためだけに特化した極限の合理性。……お前の脳内にあるという異世界(にほん)の技術群も、結局のところそれと同じだ」
「同じ、なんかじゃ……」
「同じだ。力を効率よく出力し、作業を円滑に進める。そこには『生存と利便性のための機能』しかない。……つまらん。お前の脳内に広がる異世界とやらは、かくも無味乾燥で、魔法の美しさの欠片もない世界なのか」
ゼーリエの言葉は、私の前世の誇りを真正面から否定するものだった。重機がどれだけ美しいか。あの計算し尽くされた油圧のシリンダーの動きが、どれほどの職人たちの知恵の結晶か。それを「無味乾燥」だと?
「ふざけないでください……」
私は鎖を鳴らし、鉄格子にすがりつくようにしてゼーリエを睨みつけた。
「魔法の美しさ? そんなフワッとしたもので腹が膨れるんですか! 私の世界の技術は、泥水すべって必死に生きてきた人間たちが、少しでも楽になるために血と汗を流して積み上げてきた結晶なんです! 魔族の捕食本能なんかと一緒にしないでください!!」
激昂する私を見ても、大魔法使いは一切表情を変えなかった。ただ、その深淵のような瞳の奥に、ほんのわずかな「試すような光」が点った。
「ならば、証明してみせろ」
「……え?」
「貴様が本当に、その『人間の泥臭い魂』とやらを持っていると自負するのなら。魔族には絶対に作れないものを、私の目の前で作ってみせろ」
ゼーリエは、ゆっくりと私に指を突きつけた。
「殺意も、生存のための効率も、機能性も一切ない。腹も膨れず、誰も助けず、何の役にも立たない……純粋に『無駄なもの』だ」
「無駄な、もの……?」
「そうだ。機能と合理性しか追求できない魔族に、無駄なものなど生み出せるはずがない。もしそれができなければ、貴様はやはり『異世界人を騙る、ただの賢いバケモノ』に過ぎん。これ以上の技術抽出は諦め、即座に塵にして処分する」
ゼーリエの宣告は、あまりにも理不尽で、そして絶対的だった。
「期限は一ヶ月だ。……せいぜい、その無味乾燥な脳みそを振り絞って、私を楽しませてみせろ」
踵を返し、ゲナウと共に暗い回廊へと消えていくゼーリエの足音が遠ざかる。静寂が戻った地下牢で、私は呆然とその場にへたり込んだ。
「何の役にも立たない、無駄なもの……?」
前世の私は、現場の要求に応えるため、常に「役に立つもの」「動くもの」だけを求められてきた。そして転生してからも、生き残るために「便利で売れるもの」を作り続けてきた。
―――職人としての私の魂は、「役に立たないゴミ」を作ることを強烈に拒絶している。
生存効率を極限まで高めた魔族の肉体と、資本主義と現場主義に染まりきった私の精神。その両方にとって、『無駄』とは最も縁遠い概念だった。
「……どうしろって言うのよ、そんなの……」
途方もない難題を突きつけられ、私は頭を抱えて暗い石の床にうずくまった。命を懸けた「純粋な無駄づくり」という、前代未聞のデスゲームが幕を開けた瞬間だった。