ユーベルが嵐のように去っていき、私が『無限プチプチ(魔力パック仕様)』を完成させてから数日が経った。
暗く冷たい地下牢獄の中で、私は謎の達成感と自信に満ち溢れていた。
(完璧だ。どこからどう見ても、何の生産性もない。腹も膨れないし、怪我も治らない。ただ指先で潰すだけの、純粋な時間の浪費アイテム。これぞゼーリエ様が求めた『無駄』の極致!)
前世の叡智、と言う名のただの暇つぶしグッズと、魔族の異常な魔力制御が奇跡の融合を果たした傑作。私は鉄格子の隅で、自分の作ったシートの突起をプチプチと潰しながら、大魔法使いがこれを見て『ぐぬぬ』と唸る姿を想像しては、ニヤニヤとしていた。
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「……随分と楽しそうだね、店主さん。あ、今は囚人さんか」
不意に、鉄格子の向こうから静かな声がした。
プチッと突起を潰す手を止め、私が顔を上げると、そこには白いトーガに身を包んだエルフ――フリーレンが立っていた。彼女はいつものように、少し眠たそうな、それでいて底知れない深さを持った瞳で私を見下ろしている。
「フ、フリーレン様……! いらっしゃいませ、じゃなくて、ええと……」
「別にいいよ、そのままで。今日はフェルンたちが街に買い出しに行ってるから、少し時間が空いたんだ。ゼーリエから変な難題を押し付けられたって聞いたけど、どう? 進んでる?」
フリーレンは鉄格子の前にぺたんと座り込み、私の手元にある半透明のシートを不思議そうに見つめた。
「ふふふ……聞いて驚いてください。たった今、完成したところですよ!」
私は意気揚々と立ち上がり、鉄格子の隙間から『無限プチプチ』をフリーレンに差し出した。
「作れと言われたんです。『殺意も、生存のための効率も、機能性も一切ない、純粋に無駄なもの』を。だから作りました。これ、丸い出っ張りを指で挟んで潰してみてください」
フリーレンは小首を傾げながらシートを受け取り、親指と人差し指で、小さなドームを一つ挟んだ。
――プチッ。
「……ん?」
――プチッ、プチプチッ。
フリーレンの耳が、微かにピクッと動いた。彼女は無表情のまま、しかし確かな手付きで、次々と突起を潰していく。数秒経つと、潰した端から魔力が空気を吸い込み、再びポコッとドームが復活する。
「……面白いね、これ。魔力の反発係数と微細な風魔法の組み合わせか。潰した時の音と、指に伝わる反動が絶妙に調整されてる」
「でしょう!? これならどうですか! 世界の何の役にも立たない、純粋な『無駄』でしょう!」
私が勝ち誇ったように胸を張ると、フリーレンはプチプチと潰す手を止め、ゆっくりとシートを私に差し返した。その顔には、先ほどまでの僅かな好奇心は消え、ただの冷徹な魔法使いとしての評価が浮かんでいた。
「ダメだね。これじゃ、ゼーリエは絶対に納得しない」
「……え?」
私の自信満々のドヤ顔が、ピキリと凍りついた。
「な、なんでですか!? だってこれ、武器にもならないし、生活を豊かにするわけでもないんですよ!? ただ時間を浪費するだけの――」
「『人間の不快感や退屈を解消し、精神を安定させる』っていう、立派な目的(機能)を持ってるじゃないか」
フリーレンの言葉が、私の心臓を鋭く射抜いた。
「君は無駄だと思ってるかもしれないけど、これを使っている時の人間の脳や精神は、明らかに『癒やし』や『快感』という利益を得ている。君がこれまで作ってきた、怪我を防ぐお守りや、匂いを消す袋と本質的には何も変わらない。ただの『便利な道具』だ」
フリーレンは、残酷なまでに的確に、私の職人としての「呪い」を指摘した。
「ゼーリエはね、そういうのを求めてるんじゃないんだよ。君のこれは、結局のところ『合理的な問題解決』の延長線上にしかない。魔族特有の、目的のための魔法だ」
「それじゃあ……どうしろって言うんですか。私には、これ以上無駄なものなんて……」
私が絶望で肩を落とすと、フリーレンは少しだけ目を伏せ、遠い昔を懐かしむような、ひどく穏やかな表情を見せた。
「ゼーリエはね、人間の魔法使いは寿命が短くて、すぐに死んじゃうから嫌いだ、って口では言うんだ。役に立つ魔法、戦うための魔法しか認めないって」
「……はい」
「でもね、あいつが一番大切にしてる、大好きな魔法は……そういうのじゃないんだよ」
フリーレンは、自分の手のひらをそっと上に向けた。
そこから淡い魔力の光が溢れ、鉄格子の向こう側の暗い石の床に、一瞬だけ、小さく美しい『花』の幻影が咲き誇り――そして、音もなく消え去った。
「あいつが本当に好きなのは、ただ花畑を出すだけの魔法とか、そういう『平和な時代の、何の問題も解決しない魔法』なんだ」
エルフの静かな声が、地下牢獄に響き渡った。
「誰も殺さない。腹も膨れない。後には何も残らない。ただ、その一瞬だけ『美しい』と感じて、そして消えていくだけ。……ゼーリエにとっての本当の『無駄』って、そういう、機能や合理性から完全に切り離された『感情の浪費』のことなんだと思う」
(機能から完全に切り離された、感情の浪費……。ただ一瞬だけ美しく、そして消えていくもの……)
フリーレンの言葉を聞きながら、私の脳内で、前世の記憶の断片が激しくフラッシュバックし始めた。
重機。
コンクリート。
鉄骨。
―――役に立つもの。残るもの。そればかりを作ってきた私の人生。
でも、そんな泥臭い労働の日々の中で、たった一つだけ。夏の夜、同僚たちと現場のプレハブ小屋の屋根に登って、遠くの空を見上げていた記憶。
それは、きっと無駄だった。何千万という莫大な金と火薬を使って。
空に打ち上げられ、一瞬で燃え尽きて、後には煙と火薬の匂いしか残らない。
だが、世界で最も無駄で、最も美しい、あの巨大な光の華。
「―――花火」
私の口から、無意識にその言葉が漏れていた。
「はなび? 魔法の?」
フリーレンが小首を傾げる。
この世界にも、魔法で光と音を出すだけの「魔法の花火」はある。だが、それはあくまで幻影や光魔法の延長であり、本物の火薬が持つ、あの腹の底に響く物理的な『質量』と『轟音』、そして火の粉が垂れ下がるような圧倒的な生命感はない。
もし、この制限された魔力の中で。
魔法の幻影ではなく、物理的な『本物の花火』を、この手で再現できたら?
■
「……フリーレン様。ありがとうございます。私、自分がどれだけ『職人の呪い』に縛られていたか、やっと分かりました」
そういって、魔族は、作業デスクの上に散らばった無限プチプチのシートを払い除けた。
そして、ゼーリエに斬り落とされ、くっつけてもらった右腕――その血管に流れる、ドス黒い『魔族の血』をじっと見つめた。
魔力を制限されている今、彼女は火薬を錬成することはできない。
―――だが、彼女には、あの油圧を模した魔圧の重機を、凄まじいパワーで動かした、最高純度のエネルギーの結晶が、この体内に何リットルも流れている。
「見ていてください。大魔法使い様が腰を抜かすような、究極の『無駄遣い』を、この手で打ち上げてやりますよ」
魔族の少女のその瞳に、前世の現場で絶対に不可能な工期を提示された時と同じ、狂気に満ちた職人の火が灯った。それを鉄格子越しに見ていたフリーレンは、ふわりと、少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべた。
「うん。楽しみにしてるよ」
白い死神はそう言い残し、静かに回廊の奥へと消えていった。
残された私は、ただ一瞬の光のためだけに、自らの血と肉を削る狂気の作業へと没頭していくことになる。