―――「純粋な無駄」とは何か。
フリーレンの言葉によって、私の前世の魂に一つの明確な答えが提示された。
それは、機能から完全に切り離された感情の浪費であり、ただ一瞬の美しさのためだけに莫大なリソースを注ぎ込み、後には何も残さずに消え去るもの。
すなわち、私の世界における『花火』である。
だが、言うは易しだ。現在の私は、大陸魔法協会の地下最下層に幽閉され、厳重な魔力封じの枷を嵌められている身である。大規模な物質錬成もできなければ、硝石や硫黄を集めて火薬を調合することなど不可能に近い。
では、どうやってあの空を覆うような光の華を、そして腹の底を震わせる轟音と衝撃を再現するというのか。
私は、ゼーリエによって無惨に切断され、その後「効率よく技術の図面を描かせるため」という冷徹な理由で強引に接続された右腕をじっと見つめた。
魔族の肉体は、死ねば魔力の塵となって消える。つまり、私の体を流れるこのドス黒い血は、極限まで圧縮された高純度の『魔力エネルギーの液体』そのものなのだ。
以前、私は自分の胸に手を突っ込み、心臓のそばの血を直接鷲掴みにして魔力結晶を錬成し、油圧式掘削ゴーレムを動かした。あの時は「圧倒的な物理圧力」を生み出すための燃料としたが、今回は違う。
(……火薬が作れないなら、私の『血』を火薬(星)の代わりにするしかない)
花火の美しさを決定づけるのは、内部に詰め込まれる『星(ほし)』と呼ばれる火薬の玉だ。この星が上空で燃焼しながら四方に飛び散ることで、あの美しい球状の光の軌跡が描かれる。
本来の花火職人は、中心となる芯材に火薬を何層にも何層にも掛けていき、色が変わる星(掛け星)を気の遠くなるような時間をかけて作り上げる。
私は鉄格子の隅に座り込み、自らの指先を鋭い石の破片で傷つけた。
ポタ、ポタと滴り落ちる黒赤い血。私は枷で制限されたスレスレの微弱な魔力だけを使い、前世で重機のレバーをミリ単位で操作していたあの精密極まる感覚を呼び覚ました。
血の一滴一滴を、魔力による『反発結界』で極小のカプセル状に密閉していく。ただ固めるのではない。燃焼した際に放つ『光の波長(色)』を変えるため、血に込める魔力の密度と振動数を層ごとに細かく変えながら、薄く、薄くコーティングしていくのだ。
「……中心は赤。その外側は青。さらに外周を黄金色のしだれにするための、遅延燃焼の魔力層……」
ブツブツと呟きながら、私は指先で数ミリの小さな黒い玉を転がし続けた。
それは気の遠くなるような単純作業だった。血を流し、凝固させ、層を作り、また血を流す。魔力封じの枷のせいで自己治癒力も低下しているため、私の顔色は日を追うごとに蒼白になり、極度の貧血で視界は常にチカチカと点滅していた。
そんな私の奇行を、監視役である黒衣の一級魔法使い・ゲナウが見逃すはずがなかった。
「……おい、魔族。何をしている」
ある日のこと、ゲナウは鉄格子の前に立ち、冷酷な瞳で私の手元を睨み下ろした。私の目の前には、血と魔力で練り上げられた小さな黒い玉(星)が、すでに数百個も山積みにされていた。
「見てわかりませんか? ゼーリエ様からの宿題をやっているんですよ。無駄なものを作れ、と言われたので」
私が虚ろな目で笑うと、ゲナウはチッと舌打ちをし、杖の先から探知の魔力を放った。
「……殺傷力も、指向性のある攻撃術式も一切組み込まれていない。ただの魔力の塊……いや、お前自身の血の結晶か」
ゲナウの解析は正確だった。
私が作っているのは、魔法使いが使う「敵を追尾する光弾」や「貫通力のある魔力弾」ではない。ただ「全方位に均等に爆発し、光と音を撒き散らすだけ」の、武器としては全く使い物にならないエネルギーの塊だ。
「貴様、自らの血を削ってまで、そのような無意味なゴミを量産しているのか。魔族特有の自傷によるストレス行動か何かは知らんが……理解に苦しむな」
「ゴミとは失礼な。これは『星』ですよ。職人の魂の結晶です」
私が血の気のない唇で反論した直後、ゲナウの背後から静かな、しかし絶対的な威圧感を伴う足音が響いた。
大魔法使い、ゼーリエだった。
「ゼーリエ様。この魔族、図面の作成を後回しにし、己の血で無害な魔力の塊を捏ねております。いかがなさいますか」
ゲナウの報告を受け、ゼーリエは鉄格子越しに私を見下ろした。貧血で震える手で、それでも休むことなく星を丸め続ける私の無様な姿を、その黄金の瞳が冷徹に解析する。
「……見事なまでに、何の論理も目的も感じられん魔力の浪費だな。ただの指向性のない爆発エネルギーを、ご丁寧に層状に圧縮している。こんなものを戦場で放てば、敵に当たる前に空中で花開いて終わるだけの欠陥魔法だ」
ゼーリエは呆れたように鼻を鳴らした。
「ですが、万が一の暴走の危険性が――」
「放っておけ、ゲナウ。私が『無駄なものを作れ』と命じたのだ。自らの生命力(血)をすり減らしてまで、このような無意味な泥遊びに固執するというのであれば、それこそ奴の限界だ。一ヶ月後、そのゴミ山が私を楽しませなければ、予定通り塵にするだけのこと」
ゼーリエは私の作っている『星』を、完全に「無害なゴミ」と認定し、それ以上の干渉を禁じた。彼らの魔法体系、つまり「いかに効率よく敵を殺すか」「いかに防御を貫通するか」という絶対的な実戦の論理からすれば、全方位に均等にエネルギーを散らす花火の構造は、あまりにも非効率で滑稽な欠陥品にしか見えないのだ。
(……よし。彼らの解析魔法はクリアした。これなら、最後まで作れる)
私は心の中でガッツポーズをした。
■
それからの日々は、まさに職人としての狂気と、社畜としての執念の連続だった。
毎日、毎日、血を絞り出した。倒れそうになれば、無理やり壁に頭をぶつけて意識を保った。……前世で、絶対に終わらないと思われた突貫工事を、同僚たちとレッドブルを何本も空けながら乗り切ったあの極限状態を思い出しながら。
そして、運命の一ヶ月後。
約束の期限の前夜。私の独房の中央には、前世の現場で使われていた巨大な重機のタイヤにも匹敵する、直径1メートル以上―――およそ『四尺玉』サイズの、黒く無骨な球体が鎮座していた。
地下牢の石畳を削り、泥と魔力で固めた分厚い外殻(玉皮)。
その内部には、私が一ヶ月かけて自らの血で練り上げた数千個の『星』が、幾何学的な美しさで隙間なく配置され、中心には爆発を周囲に均等に伝えるための割薬(わりやく)代わりの、これまた血が詰め込まれている。
「……ハァ、ハァ……完成、した……。私の、四尺玉……」
私は完全に干からびたミイラのような状態で、その黒い球体に頬をすり寄せた。
美しさの欠片もない、ただの重い石の塊だ。しかし、私にはこれが、前世と今世のすべての技術と意地を詰め込んだ、世界で一番美しい爆弾に見えた。
「おい、魔族。時間だ」
鉄格子が開き、ゲナウが数人の一級魔法使いを伴って現れた。彼らは私の横にある巨大な球体を見て、一様に眉をひそめた。
「それが、ゼーリエ様への回答か。ただの巨大な石と血の塊に見えるが」
「ええ。私の時間と、命を削り作り上げた、最高の無駄遣いの逸品ですよ」
私はよろよろと立ち上がり、青白い顔で不敵に笑った。
「さあ、地上に運んでください。この『無駄』は、地下の狭い部屋じゃ到底収まりきらないんでね」
魔族の少女の命を懸けた、前代未聞の花火大会が、魔法都市オイサーストの夜空を舞台に、いよいよ幕を開けようとしていた。