フリーレンの世界に転生したお話。   作:灯火011

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本編27話 夜空の四尺玉と、エルフの微笑

 魔法都市オイサーストの郊外。大陸魔法協会が極秘の魔法実験などに使用する、広大な荒野の中央に私は立っていた。

 

 頭上には、雲一つない満天の星空が広がっている。しかし、私の足元は重い魔力封じの枷で大地に縫い付けられ、全身の血液の半分以上を失ったかのような極度の貧血により、立っていることすらやっとの状態だった。

 

 私の目の前には、一ヶ月間、自らの血と肉を削り、地下牢の暗闇の中で捏ね上げ続けた直径一メートル超の漆黒の球体――『四尺玉』が、無骨な姿を晒して鎮座している。

 

 荒野を見下ろす高台には、大魔法使いゼーリエを筆頭に、黒衣のゲナウやレルネンといった一級魔法使いたちが並んでいた。さらには、かつて私の店を訪れた白い死神、フリーレンと、その弟子のフェルン、戦士シュタルクの姿もある。

 

 彼らの視線は一様に、私の足元にある泥と血で固められただけの醜い石の塊へと注がれていた。

 

 

「……期限の日だ。魔族」

 

 高台から、ゲナウの氷のように冷たい声が響いた。

 

「それが、ゼーリエ様に対するお前の回答か。殺傷力も、術式の指向性も、利便性すらも一切感じられない。ただ魔力を含んだお前の血を、泥で分厚く覆っただけの無様な塊……。これが私を楽しませる『無駄』だとでも言うつもりか」

 

「ええ。最高の無駄遣い(エンターテインメント)ですよ」

 

 私は青白い顔に不敵な笑みを浮かべ、震える足で一歩前へ出た。

 

 彼らにはわからない。効率と殺傷力の世界で生きる彼らに、一瞬の輝きのためだけにすべてを燃やし尽くす、あの狂気に満ちた職人の美学が理解できるはずがないのだ。

 

「ゲナウ様、一つだけ訂正させてください。これはただの塊じゃありません。……私の前世と今世のすべてを詰め込んだ、『星』です」

 

 私は残された左腕を前方に突き出した。

 

 魔力封じの枷がギリギリと鳴り、私の体内から引き出せる限界値の微弱な魔力が、大地へと注ぎ込まれていく。

 

 私が構築したのは、魔法使いが使うような複雑な攻撃術式ではない。ただの「物理的な筒」だ。大地が隆起し、四尺玉をすっぽりと包み込むような巨大な石の打ち上げ筒(迫撃砲)が形成される。そして、そこに、最後の私の血――打ち上げ用の火薬替わり、を流し込む。

 

「打ち上げ筒、装填完了。……導火線、点火」

 

 筒の底に仕込んだ、私の魔力で生み出した着火用の小さな爆発術式。

 

 私は深く息を吸い込み、前世の現場で、完成した巨大な建造物を見上げる時と同じ、どこまでも泥臭く、誇り高い職人の顔で夜空を見上げた。

 

「……たーまやぁっ!!」

 

 ズドォォォォンッ!!!

 

 大地を蹴り砕くような凄まじい発射音が荒野に轟いた。

 

 何百キロという物理的な質量を持った四尺玉が、発射の衝撃波だけで周囲の砂利を吹き飛ばしながら、一筋の細い光の尾を引いて、はるか上空――成層圏に届かんばかりの高みへと打ち上げられていく。

 

 ヒュルルルルル……という、空気を切り裂く独特の風切り音が、夜の静寂に吸い込まれていく。

 

 高台の魔法使いたちは、目を丸くしてその光の尾を見上げていた。

 

「……ただ、上空に打ち上げただけではないか。魔力の規模も、あの程度では……」

 

 ゲナウが怪訝な顔で呟く。

 

 ――上空800メートル。光の尾が完全に止まり、闇の中に消えた。

 

 一秒。二秒。三秒。

 

 沈黙が落ちる。失敗したのか、と魔法使いたちが思わず息を吐き出そうとした、その瞬間だった。

 

 ――カッ!!

 

 夜空に、太陽が墜落したかのような圧倒的な閃光が弾けた。それから数秒遅れて。

 

 ―――ズガァァァァァァァァァンッ!!!!

 

「なっ……!?」

 

「きゃああっ!?」

 

 大気を物理的に殴りつけるような、腹の底、いや内臓のすべてを激しく揺さぶる規格外の『轟音』と『衝撃波』が、荒野に叩きつけられた。

 

 それは、魔法使いが普段扱う「魔力の波」ではない。純粋な火薬の爆発が引き起こす、圧倒的な空気の振動。防護結界すら意味をなさない、物理的な音の暴力だ。

 

 そして、彼らの視界は、信じられない光景に完全に支配された。

 

 上空で爆発した巨大な黒い球体は、まず中心から燃えるような『真紅の光』を全方位に均等に撒き散らした。数千の光の粒が、完璧な真球を描きながら夜空を切り裂いていく。

 

 魔法使いたちがその規模に息を呑んだ次の瞬間、真紅の光は一瞬にして『瑠璃色』へと色を変えた。

 

 私の血に何層にも重ねてコーティングした、異なる波長の魔力燃焼(掛け星)が見事に機能したのだ。

 

「……色が、変わった……?」

 

 レルネンが、呆然と呟く。

 

 だが、私の四尺玉の真骨頂はここからだ。瑠璃色の球体が限界まで広がり切った直後、光の粒の最後尾に仕込んでいた遅延燃焼の魔力層が、一斉に火を噴いた。

 

 シュルルルルルル……!!

 

 夜空を覆い尽くした無数の光の粒が、今度は眩い『黄金色』に輝きながら、まるで巨大な柳の枝が垂れ下がるように、重力に従ってゆっくりと、優雅に地上へと降り注ぎ始めたのだ。

 

『錦冠(にしきかむろ)』――通称、しだれ。

 

 視界のすべてが、黄金の光の雨に包まれる。

 

 それは、魔法都市オイサーストの夜空を丸ごと一枚のキャンバスにして描かれた、神の筆跡のような圧倒的な美しさだった。一切の殺意も、実用性もない。ただ、見る者の心を根底から揺さぶり、感情のすべてを奪い取るためだけに存在する、極限の光と音の暴力。

 

「………………」

 

 高台の一級魔法使いたちは、言葉を失っていた。

 

 いつもは冷静沈着なゲナウも、フェルンもシュタルクも、そして……フリーレンも。

 

 ただ口を半開きにして、夜空から降り注ぎ、そして地上に触れる直前にフッと幻のように消え去っていく黄金の光の雨を、魂を奪われたように見上げ続けている。

 

 光が消え、音が消え、後には、硝煙の匂いと、先ほどまでそこにあった圧倒的な美しさの喪失感――何とも言えない心地よい『虚無感』だけが、荒野に静かに降り積もっていた。

 

「……な、なんだ、今の光景は……」

 

 ようやく我に返ったゲナウが、震える声で私を睨み下ろした。その目には、もはや魔族への嫌悪よりも、未知の現象に対する純粋な戦慄が勝っていた。

 

「魔力を制限され、物資も与えられていないお前が、どうやってあれほどの指向性のない大爆発を……あの空を覆うほどの光の粒を、どうやって生み出したというのだ!?」

 

「……簡単なことですよ、ゲナウ様」

 

 私は、立っている限界を迎えてドサリと荒野の土に座り込みながら、青白い顔でカラカラと笑った。

 

「毎日、毎日。地下牢の中で、自分の血を媒介にして『星(火薬)』を作ってたんですよ。指先を切って、血を流して、魔力で固めて……。ゲナウ様も、監視に来るたびに見てたでしょう?」

 

「な……っ」

 

「『魔族特有の自傷によるストレス行動か、無害なゴミ』……そう言って、あなた達は私が見えるところで、爆弾の火薬……いえ、血液の弾を作り続けるのを、放置してくれたじゃないですか」

 

 ゲナウの顔面から、サァッと血の気が引くのがわかった。

 

 彼らが「効率」と「殺傷力」という魔法の常識に囚われていたからこそ、全方位に均等に散るだけの私の『星』を、無害なゴミだと誤認したのだ。

 

「……フッ。あははははっ」

 

 不意に、高台の最前列から、静かな笑い声がこぼれた。

 

 大魔法使い、ゼーリエだった。彼女は、夜空の余韻をその黄金の瞳に映したまま、肩を揺らして笑っていた。私がこの世界に来てから、彼女がこれほど明確に、そして楽しそうに笑うのを見たのは初めてだった。

 

 そして、ゼーリエはゆっくりと私の前に歩み寄り、見下ろした。

 

「一ヶ月という時間。そして、自らの生命力である血を限界まで削り……。その膨大なリソースのすべてを、腹も膨れず、誰も殺さず、ただ一瞬の光の雨を降らせるため『だけ』に浪費するとは」

 

 ゼーリエの瞳に、先ほどまでの冷酷な処刑人の色はなかった。そこにあったのは、途方もない無駄を愛する、生粋の魔法使いとしての深い感嘆だった。

 

「……なるほど。貴様は、少しは『人間』らしいな」

 

 ゼーリエは、私に向かって、初めて微かな、しかし確かな微笑みを浮かべたのだった。

 

 

 そして、その黄金のしだれ花火の余韻が残る夜空を、一人静かに見上げ続けている者がいた。

 

 フリーレンだ。

 

 彼女の瞳の中には、まだ先ほどの黄金の光の粒が焼き付いているようだった。

 

 いや、彼女が見ていたのは、今打ち上がった花火だけではない。その光の向こう側に、かつて勇者一行と共に旅をした夜、半世紀に一度の流星群の夜空や、どこかの街のお祭りで肩を並べて見上げた光の記憶を重ね合わせていた。

 

(……綺麗だったね、ヒンメル)

 

 フリーレンの脳裏に、優しく微笑む勇者の姿が浮かぶ。それ同時に、彼女の胸の奥底に、ある苦い記憶が静かに蘇っていた。

 

 かつて、ヒンメルがその優しさゆえに信じようとし、そして言葉で裏切られ、結果的に村長を殺すことになってしまった『魔族の子供』の記憶。魔族は人を欺き、決して分かり合うことはできない。ヒンメルが身をもって証明してしまった、その残酷な事実。

 

 フリーレンは、荒野にへたり込んでいる血まみれの彼女――魔族の少女の背中をじっと見つめた。己の血を削り、ただ一瞬の無駄な美しさのためだけに命を懸けた、この奇妙な生き物を。

 

(ヒンメルは、魔族を信じようとして、失敗したけど)

 

 フリーレンの唇が、微かに動く。

 

(……今度は、もしかしたら)

 

 彼女の瞳の中で、かつての勇者の影と、目の前の泥臭い職人の背中が、静かに交差していた。

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