「……ばかな。今、確実に仕留めたはずだ! 貴様、何者だ!」
驚愕に目を見開くケンシロウ。その視線の先で、復活した狩人はケンシロウを完全に無視し、どこか一点を見つめていた。
「……」
狩人は無言のまま、先ほど自分が爆裂四散した地点へと、迷いのない足取りで歩む。そこには、この世の者には見えぬ、青白く光る「血の遺志」が溜まりとなって地面に沈んでいた。
狩人がその光にそっと手を触れる。
シュゥゥゥッ……!
光が狩人の体に吸い込まれ、失われていた啓蒙が再びその脳髄を焼き始める。全盛期の「ぺちぺち」のキレが戻った瞬間であった。
「……」
満足げな表情すら見せず、狩人はようやく、そこで静かにケンシロウへと向き直った。その瞳は、先ほど殺されたことなど、昨日の夕食を忘れたかのように無感動である。
「貴様……命を何だと思っている! なぜ死を恐れぬ!」
ケンシロウの叫び。北斗神拳を食らってなお、平然と「落とし物」を拾いに戻るそのストイックすぎる執着心に、伝承者は底知れぬ恐怖を感じていた。
対する狩人は、一歩、また一歩と間合いを詰める。その右拳は、すでに「ぺちぺち」の構え。
「……ッ!」
狩人の体がブレる。先ほどの戦闘でケンシロウの動きを「学習」した狩人の踏み込みは、より深く、より鋭くなっていた。
「あたたたたた――ッ!?」
ケンシロウが応戦しようとしたその瞬間、狩人の指先が、ケンシロウの鳩尾(みぞおち)を優しく、かつ正確に捉えた。
ぺち。
「……ぐ、はっ!? この突き、重い……! いや、物理的に重いのではない! 脳が……脳が『宇宙の終わり』を予感しているッ!!」
ケンシロウの脳裏に、突如として**「ゴースの遺子」**が叫び声を上げる悪夢の海岸がフラッシュバックする。
銀髪の狩人が、低く、冷徹な声を漏らす。
「……血の遺志を継ぐがいい。」
メンシス神拳・「再走ぺち(さいそうぺち)」!
一度死んで「遺志」を回収した後にのみ放てる、この世で最も理不尽なカウンター。ケンシロウは、あまりの啓蒙の重圧に、その場に膝をついた。
「な、なんてことだ……。あのケンシロウ様が、ぺちりと叩かれただけで、宇宙の神秘に圧倒されて動けなくなっている!」
物陰で見ていた村人たちが叫ぶ。だが、狩人は一瞥もくれず背を向けて歩き出す。彼にとって、地に伏した獲物はもはや狩りの対象ではない。
だが。
「……待て。まだ……終わってはおらん」
砂を噛むような、だが力強い声が荒野に響いた。狩人の足が止まる。
「……」
ゆっくりと振り返った狩人の瞳に映ったのは、全身の筋肉を激しく震わせ、無理やり膝を押し上げるケンシロウの姿だった。
「ぬうううううっ!!」
ケンシロウが吠える! 北斗神拳の真髄――怒りと哀しみが、脳を焼き尽くさんとする狂気を「闘気」で強引に押し流していく。精神を崩壊させる啓蒙の理を、人間の意志の力が、宿命の重さが上回った瞬間であった。
ケンシロウは荒い息を吐きながら、再び真っ直ぐに立ち上がった。その瞳には、先ほどまでの困惑ではなく、一人の武人としての、そして伝承者としての覚悟が宿っている。
「……貴様の拳、確かに受けた。一時は深淵の底を覗いたが、北斗の宿命は……狂気ごときに屈しはせぬ!」
狩人は無言のまま、再びケンシロウと向き合った。一切の感情を排した鉄面皮の奥で、狩人は理解した。この男は「ぺちり」一発で済むほど、底の浅い存在ではないことを。
「……」
狩人は構えなかった。代わりに、男は低く、冷徹な声を、どこか敬意を含んだ響きで漏らした。
「……良き狩人よ。」
それが、狩人が発した唯一の言葉だった。狩人はそれ以上追撃することなく、再び背を向け、カカトを鳴らして歩き出した。
ケンシロウもまた、あえて拳を振るわなかった。今、互いに奥義を出し合えば、この地が地図から消えるほどの惨劇になることを、本能が悟っていたからだ。
「……銀髪の男よ。貴様が何を狩るのかは知らん。だが、その拳を弱き者のために振るわぬのなら……次は、北斗の命を賭してでも貴様を討つ」
去りゆく狩人の背中に、ケンシロウの声が飛ぶ。狩人は答えず、ただ赤く染まった地平の彼方へと消えていった。
荒野に残されたのは、立ち上がった伝承者と、宇宙の真理を一瞬だけ垣間見た沈黙のみ。だが、この出会いが、世紀末の勢力図を「ぺちり」という音とともに塗り替えていくことになる。
「……ああ、やはり。狩りは、まだ終わっていない。」