荒野を揺るがす地響き。漆黒の巨馬・黒王号に跨り、天を突くほどの巨躯を誇る男が道を塞ぐ。
世紀末覇者、拳王ラオウ。
その眼光は、立ちふさがる銀髪の狩人を羽虫の如く見下ろしていた。
「ぬう……。貴様がケンシロウを退けたという、奇妙な拳の使い手か」
ラオウの声は重戦車の如く響き、周囲の岩を震わせる。だが、狩人は一切の言葉を発さず、ただ死んだ魚のような、あるいは深淵を見つめるような瞳でラオウを見上げた。
「……」
そのストイックすぎる沈黙に、ラオウの眉間が動く。
「このラオウ、天を握るに言葉はいらぬ。だが、貴様のその『ぺちぺち』と鳴る拳……我が剛拳の前でどこまで通じるか試してくれるわ!」
ラオウが黒王号から降り立ち、その巨大な拳を振り上げる。周囲の大気が歪み、逃げ遅れたカラスが恐怖のあまり空中で爆裂するほどの闘気!
「死ねい! 北斗剛掌波ッ!!」
凄まじい衝撃波が狩人を襲う。だが、狩人はあえて一歩踏み込み、その衝撃波の「隙間」を縫うようにしてラオウの巨大な膝へと手を伸ばした。
ぺち。
あまりに小さく、情けない音。ラオウの耳には、まるでおちょくられているかのような、乾いた音が届く。
「……何だと? このラオウの膝を、赤子の如く叩いたというのか?」
ラオウが怒りに震え、拳を叩きつけようとしたその瞬間。
狩人が、地獄の底から響くような声を漏らす。
「……上位者の叡智に、震えるがいい。」
メンシス神拳・「覇王ぺち(はおうぺち)」!
ラオウの脳裏に、突如として「悪夢の主、ミコラーシュ」が追いかけっこをしながら『あぁ、あぁ、あぁぁぁー!』と奇声を上げる光景が強制投影された。さらに、宇宙の真理――「この世の全ての覇道は、巨大な脳みその中の一細胞に過ぎない」という冷酷な事実が、幾何学模様となって網膜を埋め尽くす!
「ぬう……ッ!? ぬうううう……な、なんだ、この光景は……! 私の背後に……巨大な……瞳を持った……脳みそが、私を笑っているのかぁーっ!!」
ラオウの剛拳が止まる。物理的な破壊ではない。ラオウの「天を握る」という野望そのものが、宇宙の広大さと啓蒙の深さの前に、あまりにもちっぽけな「誤差」として処理されていく。
「あ、あ、あああ……。天とは……天とは空にあるのではない……脳の中にある、瞳だったのかぁーっ!!」
ラオウは拳を振り上げたまま固まり、鼻から黒い液体(啓蒙の残滓)をひとしずく垂らしながら、そのままゆっくりと、しかし巨大な木が倒れるように仰向けに転倒しかけた。爆発はない。だが、その顔は「宇宙の真理を見ちゃった人」特有の、清々しいほどの虚脱感に満ちようとしていた。
「……わが人生に、一片の曇り(啓蒙)なし……」
虚空を見つめ、そのまま意識を彼方へと飛ばしかけたラオウ。その巨体が地面に触れる寸前、漆黒の闘気が爆発的に膨れ上がった。
「ぬ……ぬううううっ!!」
ドォォォォォン!!
地響きと共に、倒れかけていたラオウの巨体が強引に垂直へと復帰した。その眼光は、先ほどまでの虚脱から一転、血走るほどの執念を宿して狩人を射抜く。
「……おのれ……! このラオウに……宇宙の広大さなどという『理屈』を見せおって……!!」
ラオウの全身の筋肉が鋼鉄のように軋む。彼は、脳内に流れ込んだ「ミコラーシュの奇声」や「多頭の上位者」という理解不能なイメージを、自らの圧倒的な「覇気」のみで力ずくで粉砕、あるいは脳の隅へと押し込めたのだ。
「宇宙が何だ……! 啓蒙が何だ……!! このラオウが握る天とは、脳内の瞳などではない! この荒野そのものだぁーっ!!」
ラオウが咆哮する。その凄まじい気圧に、周囲の砂塵が逆巻く。人知を超えた狂気さえも、己の野望の糧として飲み込む。それこそが世紀末覇者、ラオウの器であった。
狩人は一歩も引かず、その圧倒的な威圧感を正面から受け止めていた。一切の無駄口を叩かず、冷徹な瞳でラオウを見つめるその姿は、やはり「ストイック」の一言に尽きる。
「……」
狩人は構えを解かない。だが、ラオウもまた、次の一手を繰り出そうとはしなかった。今の「ぺちり」一発で、ラオウは理解したのだ。この銀髪の男は、力で屈服させる対象ではなく、ただそこに存在する「現象」あるいは「天災」に近い存在であることを。
「……銀髪の男よ。貴様の拳、確かにこのラオウの魂を揺さぶったわ。よかろう……今の『ぺちり』、生涯忘れぬ痛みとして刻んでおいてやる!」
ラオウは豪快に笑い飛ばすと、再び黒王号に跨った。
「だが、次に会う時は……宇宙の真理ごと、貴様をこの剛拳で粉砕してくれるわ! 行くぞ、黒王!!」
ラオウは去った。その背中は、一度は狂気に触れたことで、より一層凄みを増していた。
「……」
狩人は、去りゆく覇王の背を見送ることもなく、ただ再び自身の掌を見つめた。その掌には、ラオウの覇気と「覇王の啓蒙」が、わずかに血の遺志として刻まれていた。
「……良き、狩人よ。」
狩人が今日、二度目に発した静かな言葉。
彼は再びカカトを鳴らし、乾いた風の中を歩き出す。
「……ああ、やはり。狩りは、まだ終わっていない。」