そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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⑤-4

 真っ暗な家に帰った一真はフェリシアの部屋をノックしてみる。 

 返事はなく、開けてみれば全てが綺麗さっぱり消えていた。 

 

 雑然と置いてあったようにしか見えなかった謎の物品の数々も、本の山も、少しは感じさせていた生活感も何もかも。  

 まるで最初から夢であったかのように空っぽの空間。

 

 『あー、清々した。これで一真と二人きりだね』

 

 そんな言い草はないだろうと叱るべき場面なのかもしれないが、今の一真にそんな気力はなかった。 

 

 曖昧に頷いてぼんやり部屋の真ん中に佇んでみる。  

 

 寒々しい、だけどそれが当たり前だった我が家が戻ってきただけ。 

 なのに、何かが欠けた気がするのは感傷だろうか。

 

 翌朝、一真はいつも通りに習慣をこなして家を出る。  

 通学路を歩き、もうだいぶいつも通りに戻ってきた生徒たちと挨拶を交わし教室へ。

 

 フェリシアは昨夜の宣言通りそこにいた、お嬢さまの仮面を被り優雅に。 

 こちらには一切視線を向けることなくクラスメイトと話している。 

 何を言っていいのかわからなくて黙って隣の自分の席に着いた。

 

 「おはようございます、能さん」

 

 完璧な笑顔で軽くお辞儀をして挨拶してくれる。

 

 「……おはよう、フェリシア」

 

 ただそれだけの挨拶を交わして他人として別たれる。 

 ああ、変わったんだなと、それだけを深く実感できた。

 

 ホームルームが始まり担任が今週いっぱい、特に何事もなければ短縮授業は終了すると告げた。

 

 それと、文化祭は中止だとも。

 

 連続惨殺事件は終わった、祭りも流れ普通の日常がもうすぐ戻ってくる。 

 フェリシアのいない普通の日常が。  

 

 彼女の言う通り、影幻界のことも何もかも忘れて表側の日常に完全に戻るべきなのだろうか。 

 元より自分一人で何かできるわけでもない、そもそも何をすればいいのだろう。 

 魔法使いのように世界の裏側を含めて向き合うという使命感のようなものもない。      

 

 確かに影幻界の影響で被害に合って人がいるのなら助けたいと思う。 

 だがそのために自ら危険を探して飛び込んでいくのは違う気もする。

 

 目の前の被害と己の命なら、命の方を捨てることもおそらく厭わないだろう。 

 だけど、自らの命を杜撰に扱いたいわけではない、無駄に死んでしまいたいわけではないのだ。

 

 何をすべきか、どうしたいのか、ぐるぐると同じ場所を回り続ける。 

 それでも体と頭はいつも通りに授業をこなして、生徒会長として過ごさせてくれた。

 

 放課後、フェリシアはさっさと教室から消えてしまう。 

 クラスメート達も各々、散っていく。

 

 一人残された教室でぼうっと窓の外を眺めながら立ち上がった。 

 まだ答えは出ないけれど、とりあえず前から決めていたことをしよう。  

 今はそれしかできないのだから。

 

 

 それから四日ほどが過ぎた、日曜を挟んで月曜日。

 

 再び全校集会が開かれとりあえず事件は沈静化したと、どこか安らかな顔の校長が宣言し短縮授業が終わる。

 

 日常が戻ってくる、午後まで授業こなし放課後に生徒会の業務をこなす。 

 それに加えて細々と、文化部や影響力のある生徒たちのところを回っていた。

 大抵はこちらの話を聞いてにこやかに頷いてくれる。  

 

 手ごたえを感じながらひたすら日常をこなす日々。  

 ここしばらく、短いながらも濃密な毎日を過ごしたからか穏やかで代わり映えしない生活のありがたさが思いのほか身に染みる。  

 

 「はああ、これからフルで学校かと思うと気が滅入るなほんと」

 

 そんな切実な物思いを切り裂くように翔の身も蓋もない呟きが響く。 

 屋上で男二人、寂しくパンを齧る昼休みは互いに憂鬱だった。

 

 「それにしても、どうしたよフェリシアさんは?いつもうまそうな弁当貰ってたのに。うまそうなな!」

 

 口調は冗談めかしているが目は見開かれていて少し怖い。

 

 「いやまあ、うん。そういうのはもう終わったんだ」

 

 「なんだよ、痴話喧嘩か?」

 

 そもそも付き合ってもいないよともそもそパンを口に運ぶ。 

 翔はそれ以上、何も聞いてこない。

 

 こういう時、長い付き合いの友達はありがたい。 

 言わなくても何となく空気を察してくれる。

 

 「それはいいとして。最近、いろいろ動いてるみたいだな。本気かよ?面倒じゃないか?」

 

 「お前みたいに思う人も多いだろうけど、せっかく準備したんだからその成果を見せたい人も多いんだよ。 

 生徒会長としてはそういう意見を無下にはできないんだ」

 

 それは間違いなく本心であり、少しは建前でもあるのだが。 

 まあそうかと翔はパンを口に詰め込んで紙パックのお茶で流し込んで立ち上がる。

 

 「まあ、俺は一真がそうしたいなら応援するよ。何かできることがあれば言ってくれよな」

 

 ありがとうと返して立ち上がる。 

 ちょうど予鈴の放送が鳴り響いた。

 

 

 日常は変わり映えの無い、しかして確かに積み重なる表層だと一真は思う。 

 薄っぺらいような何かも積み上がれば形を成す。  

 

 時間は瞬く間に過ぎていき二週間後、十月最後の学校で。 

 朝のホームルームで教卓に上がった先生は一枚のプリントを配った。

 

 「あー、そこに書いてある通り、簡易的にだが文化祭を開催することになった。開催は改めて準備のための時間を取って十一月の二十一日の日曜日。 

 一般客は入れず生徒とその関係者のみで開催は一日だけだ」

 

 教室がにわかにざわめき始める。 

 喜ぶ者、面倒そうに顔をしかめる者、驚く者と様々だが反対意見は出なかった。

 

 皆、表向きはともかくどこかでお祭り騒ぎでもして暗い雰囲気を発散したいということなのだろう。 

 凄惨な事件もあったのだからなおさら。

 

 横目でちらりとフェリシアを見た。

 

 驚いている、ポカンと口を開けた油断しきった珍しい顔だ。 

 ここしばらく誰とも深く付き合わず放課後はすぐに学校から消えていたのだから寝耳に水だろう。 

 してやったりと小さくガッツポーズ。

 

 ずっと考えていたことだ。 

 彼女が全てを諦めて日常なんていらないと強がるような態度を取ったあの日から。 

 できることなら彼女の楽しみにしていたはずの何かを守りたいと思っていた。

 

 主に力を入れていた文化部にまず署名を求めて、一般生徒の六割の署名を集めて先生方に直談判する。 

 そこそこ時間はかかったし反対する先生方もいた。

 

 だがまあ、こういう時に真面目にしておくとやはり役に立つと一仕事終えた余韻に浸った。

 

 ◇

 

 昼休み、私は屋上に向かって一直線に走る。 

 はしたない足音が響く、お嬢さまに擬態する学校でこんなことしたくないが今はどうでもいい。 

 勢いよく扉を開き屋上に踏み込む。

 

 視線を巡らせ一つしかないベンチに座りいつも通りの凡庸顔でパンを口にした男を視界に収めた。

 

 一応、他の人がいないか確認して大股で歩み寄る。 

 精一杯の無表情を作って男を見下ろした。 

 

 驚いたような顔をしている、何と白々しいことか能 一真。

 

 「どういうつもりよ」

 

 冷え切った声を絞り出す。

 

 「……何が?」

 

 頭のどこかで何かが切れる音が聞こえた気がする。

 

 「何がじゃない、文化祭のことよ。あなた、ここしばらくいろいろ走り回ってたそうね。何?私を憐れんでるつもりなの?恩でも売ってるつもり?」

 

 ああと、呑気に頷く大バカ者。

 

 「せっかくの準備や練習を無駄にしたくないって生徒も多くてさ。直接の嘆願も結構あって、だからできることならやってみようかなって。君のことは関係ないよ」

 

 自分でも思わず顔が赤くなったのがわかる。

 

 そう、そうよね。 

 

 何で私のためにこの唐変木が動いたなんて考えてしまったんだろう。

 

 「ごめん、関係ないは嘘。嘆願があったのは本当だけど、きっかけは確かに君だった。君があんまりにも諦めが早いから、絶対に開催してやろうって思ったんだ」

 

 困ったように笑う一真、お願いだからそんな顔見せないでほしい。 

 何も言えない、そもそも私は何をしにここに来たのだろう。

 

 文化祭が開催されようが知ったことじゃないと無視しておけばよかった。 

 一真と一緒にいた時間、文化祭について話した他愛ない会話。 

 その全てを覚えている、そのせいで勢い余って押しかけてしまった。

 

 沈黙が落ちる中、一真はどこまでも真剣にこちらを見つめてくる。

 

 「……こうして君から来てくれたことだし、いい機会だから話しておきたことがある」

 

 精神が最大級の警戒音を鳴らし続けている、これを聞くのはダメだと魂が叫んでいるような錯覚まで覚える。

 

 なのに動けない、足は縫い付けられたかのように棒立ちのまま。 

 ただ視線を受け止めることしか、言葉を待つことしかできない。

 

 「君は言った、全部忘れてほしいって、僕たちは交わらないって。確かにそうかもしれない、ここ最近ずっと考えたよ。 

 人が出会って友達になったりするのは天文学的な確率だって言うけれど、フェリシアは僕なんかとは全く違う世界にいる。 

 こうして出会えたこと自体が奇跡的なんだと思う」

 

 そうよ、私たちは交わらない。人と人外は決して隣り合って在れはしない。

 

 「だけど、出会えた。成り行きとか勢いもあったのは否定しないけど、僕はフェリシアを友達だと言ったんだ。 

 確かに助けられた恩とかもあるけれど、そんな難しいこと考える必要なんてなかった。

友達って、貸し借りとか損得で一緒にいるものじゃないはずだ」

 

 ――やめて

 

 「だから、君がどれだけ突っぱねようが拒絶しようが強がろうがなんだろうが。目の届く範囲にいるなら、僕は君のためにできる限りのことをする」

 

 ――それ以上は言わないで

 

 「間違えることもあるかもしれないけど、君が大事にしてくれていたと思う日常は僕ができる限り守って見せる。 

 あの日、君が放っておけばいいのに僕を助けてくれたように。僕は友達の君に無遠慮に歩み寄る」

 

 ――そんな真っすぐな目で私を見ないで

 

 「だから……別に僕のことはどうでもいいから。ただ、自分の思いを捻じ曲げることだけはやめてほしい。フェリシアは、フェリシアが望むものを手にしていいと思うんだ」

 

 私の内ではっきりと、何かが折れる音を聞いた。

 

 

 凍り付いたような無表情のままずっとこちらを見ているフェリシア。 

 自分の言いたいことは全て言った、ただ静かに何かを待つ。

 

 十秒経って、一分ぐらい経って、沈黙が場を支配する中。

 

 唐突に変わらない表情、そのまなじりから一筋の涙がこぼれた。

 

 「フェ……フェリシアさん?」

 

 思わず敬語になってしまう、まさか泣かしてしまったのか?  

 表情は相変わらず石のように固定されていてわからない。 

 

 何か、そんなに嫌なことを言ってしまったか。 

 無遠慮に踏み込み過ぎたか、いやだけどそれが偽りない自分の思いだ。 

 

 例え泣かれても、この思いだけは曲げられない。

 

 フェリシアは静かに指でその涙を掬い取ると、驚いたような顔をして目を伏せた。 

 そして――勢いよく高笑いし出した。

 

 「あっはははははははははははっ!」

 

 おかしそうに、むかつきそうに、かなしそうに、おわったように。

 

 全てを吐き出すようにただひたすら笑い続けたフェリシアは、どこか吹っ切れたように穏やかな顔を見せた。  

 

 「ねえ、一真。文化祭が終わったら、あなたと行きたいところがあるの。付き合ってくれるかしら?」

 

 唐突に泣き、笑い、おまけにいきなり名前で呼びだした。 

 コロコロ変わっていく感情の波に翻弄されながらかろうじて頷く。

 

 「ありがとう。それともう一つ、勝手に拒絶して出て行って、自分でもどうかと思うぐらい我儘だけれど。あなたの家の部屋、もう一度、貸してもらってもいい?」

 

 その顔はどうせ結果はわかりきっているとでも言うように清々しい。 

 癪だけれど、その読みは当たっている。

 

 「いいよ、どうせ誰も使わないから。だけど家賃は払ってね」

 

 こっちもここしばらくは結構、いろいろ考えさせられたのだ。 

 せめてものお返しに冗談めかしてそんなことを言ってみる。

 

 「いやよ。だって、友達は損得で一緒にいるのではないのでしょう?家賃なんて払ったら、あなたの言う友達になれないじゃない?」

 

 何ということだ、自分の正直な気持ちなのは間違いないがまさかこんな形で帰ってこようとは。 

 自分ではどうあってもこのお嬢様から一本取ることはできないらしい。

 

 「嘘よ、お馬鹿さんね。きちんと払うわ」

 

 ころころとおかしそうに笑いながら、フェリシアは一息に距離を詰めてくる。 

 少し下からのぞき込むようにこちらを見上げて、ふわりと花が咲くように微笑んだ。

 

 「一真、ありがとう。私を見ていてくれて」

 

 そこで一度、言葉を切った。 

 

 最後に何かを確認するように胸に手を当てて。  

 

 「――あなたは、私にとってもかけがえのない友達よ。いつまで一緒にいられるかはわからないけれど、その間は遠慮なんかしないから覚悟なさい」

 

 予鈴が鳴り響く、それはまるで魔法が解ける合図であるかのよう。 

 夢かと思うような時間が終わりを告げる。  

 

 だけど、そっと握られたフェリシアの手の感触は紛うことなく本物で温かった。

 

 「さあ、午後の授業も、その後の文化祭の準備も頑張りましょう。帰りにはスーパーに寄っていきましょうね。どうせあなたのことだから、冷蔵庫にロクな物がないでしょうし」

 

 全てお見通しだと、実際そうだから何も言えない。

 

 軽く手を引かれながら階段を駆け下りていく。 

 その手は人に見られる前に離されてしまったけれど。

 

 何か切っても切れない繋がりを手にできたと、そんなことを思う午後のひと時だった。

 

 

 そして翌日のこと、十月最後は休日で締め。 

 とは言え自分にはあまり関係がない、いつも通り六時に起きて洗面台へ向かう。

 

 そこには子供っぽい水色のパジャマ姿で鏡とにらめっこしているフェリシアの姿。 

 さすがに冬も近いからしっかりと服を着こむようになったのか。

 

 「おはよう一真。ごめんなさい、すぐにどくから」

 

 手早く最低限の身なりを整えてフェリシアは退散する。 

 その背を微妙な顔で見送るしかない。

 

 冷水を浴びて、素振りをして、柔軟で体をほぐして。 

 リビングに戻って朝食にしようとすれば、すでに食卓の上に鎮座している。

 

 「フェリシア、これ」

 

 「ああ、それ?用意しておいたわ。大丈夫、量はいつも通り、プロテインも二十グラムで豆乳でしょう?あなたって本当に毎朝、狂いなく同じルーティンで動くからわかりやすいわよね」

 

 ソファで本を読みながら視線もよこさずにそんなことを告げるフェリシア。 

 一真はまたしても微妙な顔をして、とりあえず席についてシリアルを齧る。

 

 「……フェリシア、ごめんだけど明日からは用意しなくていいよ。ちょっと量が違う」

 

 「そう、ごめんなさい、お節介だったわね」

 

 どこかしょんぼりした様子で謝ってくるフェリシアに慌てて手を振った。

 

 「いや、ありがたいんだよ、ありがとう。だけど細かいことが気になるのは性分というか、なんかごめん」

 

 朝から互いに謝り合うという何とも消耗する時間が流れる。 

 というか、そうじゃない。

 

 「フェリシア、君なにか悪いものでも食べたの?服着たり、洗面所開けてくれたり、朝食用意したり。体調悪いならきちんと言ってくれていいんだよ?」

 

 遠慮なんかしないというあの宣言はどこに行ったのだろう。 

 昨日の放課後もそれはそれは違和感がすごかった。  

 

 スーパーで買い物して帰った時は荷物を持たせてくれないし。 

 晩御飯はもの凄い凝ったものがでてきて、「おいしい?」とか微笑みながら聞いてくるし。 

 どこからか物を部屋に運び込む時とか、他にも何をするにしてもきちんとこちらにお伺いをたてたりするし。

 

 あの傍若無人なフェリシアはどこに行ったのだろう。 お淑やかすぎる、それでいて学校で見せるような完璧さがなく素直さがにじみ出ていた。

 

 本当にフェリシアなのか、別人じゃないのかなんて失礼な言葉を何度、呑み込んだことか。 

 

 遠慮の概念が違い過ぎる気がする。

 

 「何よ失礼ね。服着るのも、家主に場所を譲るのも、ちょっと気を遣うのも間借りしてるのだから当然じゃない」

 

 いやそうかもしれないけど。  

 

 最初に下着でうろうろするのに苦言を呈した時。 

 堂々たる姿で嫌だと裸族宣言したあのフェリシアはどこにいってしまったのだろう。

 

 『ぐぬぬ、露出面積が減ったのに破壊力が増した気がするのはなぜ?正妻?正妻の余裕なの?一真の隣には私こそが相応しいと見せつけてるの?こんの泥棒狐!』

 

 フェリシアが戻ってくることになってから回の機嫌はすこぶる悪い。 

 暇を見つけてはフェリシアに殴りかかるという徒労に積極的に従事して意味不明な言葉をわめくのだがそれはまあいい、無視だ。  

 

 「本当に、本当に無理とかしないでいいから。何かあれば遠慮なくこき使ってください?」

 

 「はいはい、大丈夫よ。それより今日のお昼、何がいい?本格的な和食とか作ってみようかしら、せっかく日本にいるのだから練習したいわよね」

 

 わかってないじゃないか。

 

 それから数日間、フェリシアのもの凄い違和感に馴染むのに時間を要した。

 

 気づいたのだが彼女はどうやら献身的というか世話焼きな性格のようで。 

 料理や家事の研究に余念もなく意味不明な本を読んでいるとき以外は生活雑誌や本に目を通している姿をよく見かける。

 

 難しい顔で料理の味見をしたり鼻歌を歌いながら掃除をしたりする様は見ていて微笑ましい。 

 誰かに何かを振舞うことが根本的に好きらしいのだ、拒絶気味なのは無理をしていたのだなと無理やり納得である。

 

 まあ何であれ、フェリシアはフェリシアだと自分の中の基準を修正して日々を過ごした。

 

 文化祭の準備も滞りなく進んでいる。 

 外部とのすり合わせや交渉を除けばそれまでの準備も持ち越せるし問題は少ない。

 

 それでも、やはり完全に従来のものと同じようにとはいかず規模は縮小せざるを得ないのだが。 

 出し物や展示なんかはしっかり見せることができそうで何よりである。

 

 「つってもなあ、模擬店系はほぼ全滅だろ?これじゃあただの発表会みたいになっちまうよなあ」  

 

 放課後の文化祭準備時間、ちょっとした休憩の合間に一生徒の心ないぼやきをありがたく受け止める。

 

 「それって、自分のクラスが出し物だから面倒って思ってるだけじゃないの?」

 

 まあなと翔は悪びれもせずに笑った。

 

 「でも、準備はしっかりやってるぜ。やっぱお化け屋敷は定番だけど盛り上がる最強要素だろ。あの狭い教室をいかにして恐怖のどん底に改良するか、考え始めると止まらないんだよな」

 

 こういうところは何だかんだ進学校に入学できるだけのポテンシャルを秘めている。 

 考え方が何となく理知的に見えるのだ、いつもはバカっぽいからなおさら。 

 

 この熱意をもう少し勉強に振り向ければ万年底辺争いから抜け出せると思うのだが。

 そんな愛すべき親友と束の間の癒しを堪能しているところにふと通りかかる女生徒。

 

 「あ……」

 

 思わず声が漏れる、舞。

 

 「やあ」と声をかけるも舞は気まずそうに無言で通り過ぎていく。 

 それ以上は声をかけることができなかった。

 

 「……なんつうか、また派手になったな、舞の奴」

 

 翔がどこか心配そうにその背を見送っている。 

 スカートは短くなり昔は活発そうな茶色の短髪だったけれど長い金髪へと変わっている。

 

 フェリシアのように天然の艶のあるものとは違う、どこか杜撰な作り物めいた長髪。

 ピアスなんかもつけて、詳しくなくてもわかるほどに濃い化粧の跡。 

 人工的な香水の強い匂いが尾を引くように残っている。

 

 服装などにうるさい学校ではないがそれは成績が保たれていればの話。 

 生徒会には成績不振な生徒の情報がぽつぽつ入ってくるがその中には舞の名前もある。

 

 かつて泥にまみれて共に遊んだ元気な姿は見る影もない。 

 どこか影のある表情か頻繁に変わる男の隣にいる時の極端に明るい表情しか最近は見ていない。  

 

 幸せそうなら何をしていようが構わないと思うのだけど、果たしてどうなのだろうか。

 

 口を出せるような関係じゃなくなってしまった、それでもどこか惹かれるものが残っている。

 

 「……まあ、あいつはあいつできちんとやるだろ。それよりフェリシアちゃんとは最近どうなんだよ?仲直りしたんだろ?最近また手作り弁当食べるようになったもんな」

 

 こちらの重い空気を察してか、茶化すように話題を変えてくる翔。 

 正直どちらも藪蛇だが舞のことを考えるよりはありがたい話題転換だった。

 

 「まあね」

 

 「おお、素直だな。喧嘩して別れてくっついては男女関係の醍醐味だもんな。前より仲良くなったか?ラッキーハプニングとかもう経験したか?」

 

 むしろ布面積は増えたと言ったらどうなるのだろう。 

 元々は裸族で堂々と下着姿で歩く痴女だったなんて知った日には殺されるかもしれない。

 

 翔からも、もちろんフェリシアからも。

 

 華麗にスルーして、休憩を終えて準備に戻るために歩き出した。 

 背後で騒がしく何かを言い募る翔に手を振って。

 

 

 そして、来たる十一月二十一日。

 

 在校生とOB、家族などの関係者各位を招いて比較的静かに文化祭は始まった。 

 体育館で文化祭開幕の挨拶を粛々と進める。

 

 「――最後に、一度は中止となった文化祭をこうして開幕できたのは諦めずに声をあげてくれた生徒の皆さん、急な再開にも拘わらずお力を貸していただいた関係者の皆様のおかげです。 

 日常とは容易く崩れ去るものだということを僕たちは知りました。しかしそれでも、意志と誠心が集まれば何事も乗り越えられるのだということもまた知ることができました」

 

 それは本当に尊いことだと今は胸を張って言える。

 

 「日々は漫然と続くように思えても、思いがけないきっかけで失われる大切なものであると今は知っている。だからこそ、楽しみましょう。 

 今日という一日が、これから先に残る思い出となるように。第八回桜台高等学校文化祭の開催をここに宣言します」

 

 開幕式が終わって体育館に集まっていた者達が各々、散っていく。  

 

 生徒会は会場の見回り、突発的なトラブルなどの対処が主な業務。 

 生徒会長と副会長が中心となって全体を統括する役目。 

 自分は午前、午後は副会長に任せることになっていた。

 

 とは言えトラブルなどそう起きない、一般客を入れていないので穏やかなものだ。 

 親御さん同士も知り合いが多いから足を止めて語り合う家族同士の交流なんかも見られる。 

 文化祭というより交流会みたいな雰囲気だが、まあそれはそれで楽しんでいるみたいでよかった。

 

 学内を見回りながら校庭の方にも顔を出す、元々は模擬店用のスペースになるはずだった。 

 食材等の確保や市や保健所への根回しが十分できなかったために、今はちょっとした既製品のお菓子や飲み物を販売する売店スペースに変貌している。

 

 後はちょっとした休憩所や有志によるパフォーマンスがちらほら。

 

 『うわー、へたくそな歌だねえ。私の声が届くなら超美声を届けてあげるのになあ』

 

 回が容赦ない採点を入れる。 

 いいのだ、うまい下手より勢いとノリが大事なのはこういうのに疎い自分にもわかる。

 

 それに回、君は自分が思うほど歌がうまくない、むしろ音痴な方だ。 

 決して本人には言えないが。

 

 むきになって一日中、耳元で歌われたらたまらない。 

 とは言え何も言わなくともどこか調子の外れた鼻歌を響かせ始める、何だかんだ楽しんでいるらしい。

 

 ご機嫌な回を傍目に視線を巡らせる。 

 

 元々、模擬店を開く予定だった我がクラスもここで売店と化していたが、思いのほか人が集まっていた。  

 人垣の外から覗いてみればフェリシアが売り子をやっている。 

 海外からの留学生という体であるから物珍しいのか、それに容姿も人目を惹くからなおさらだろう。

 

 ふと、フェリシアの視線がこちらを捉えた、小さく微笑んで手を振ってくれる。 

 それに軽く手を振り返して文化祭の見回りを再開した。

 

 ◇

 

 何事もなく午前は終わり副会長に引き継いで学校の中庭に出た。

 

 この学校は大きなコの字型をしていて、その中心にはちょっとした自然公園みたいな空間がある。 

 自然愛好部というその名の通りの部活があるのだが、そこの部員がやけに張り切った結果であった。

 

 いつも休み時間には人が多いこの場所も今日は人影はほとんど見られない。 

 落ち着いたいい場所だがお祭りの時にはあまり需要がないのだろう。 

 疲れた体を休めるにはちょうどいい、ベンチに腰を下ろし大きく伸びをする。

 

 「お疲れ様、一真」

 

 ぴたりと、頬に冷たい感触が走った。

 

 「ありがとう、そっちもお疲れ様。大人気だったね売り子さん」  

 

 紙パックジュースを受け取り横にずれるとフェリシアが腰を下ろした。 

 膝には気合の入った二段重ねのお弁当がデーンと鎮座している。

 

 手際よくランチクロスを広げベンチに弁当を広げると当たり前のように箸を手渡してくれた。 

 それを当たり前のように受け取って「いただきます」と弁当に箸を伸ばす。  

 

 ここ三週間ほどの日々で遠慮する方がむしろ悪いことはわかっている。 

 誰かに何かをしてあげるのが好きなのはもう確定的だと思うのだが、それと同時にいつもこちらの顔色を窺っているところも見受けられるからだ。

 

 失敗したら、拒否されたら、そういうものを恐れている節がある。

 

 何か過去に嫌なことでもあったのだろうかと思うのだが、まあこの調子ならいつか話してくれるかもしれない。 

 

 それまで、できる限り受け止めてあげようと思うのだ。 

 

 少なくともこうして世話を焼いてくれるのはありがたいのだし、いつかお返ししないとなと思うのである。

 

 「それで、午後からはエスコートを期待してもいいのかしら?あなたも午前で終わりって言ってたわよね?」

 

 こちらが食べるのをちらちらと窺っていたフェリシアからのご提案。 

 さっそくお返しの機会が来たか、少し甘めの玉子焼きを頬張りながら頷く。

 

 「うん、閉幕式まで何もなければ自由時間。一緒に回ろうか」

 

 「ええ、なら急いで食べてしまいましょう」

 

 フェリシアはもの凄い勢いで弁当を口に運んでいく。 

 これも最近、知ったことだがフェリシアは意外と大雑把な面がある。

 

 あまり興味がないことや必要な時などにはわりと大胆で、お淑やかさなどをかなぐり捨てた行動をとることも辞さないのだ。

 

 時折、人が通りがかるとしずしずと小さく口に運ぶようになる。 

 その変貌ぶりは傍から見ていると面白い。

 

 それに、自分には素の顔を見せてくれていると実感できるのも悪い気はしなかった。 

 これまで頑張って交流してきた甲斐があるというものだ。

 

 「……何?」

 

 見過ぎたか、リスのように頬を膨らませるフェリシアにいいやと首を振って負けじとペースを速める。 

 瞬く間に空になったお弁当に手を合わせて立ち上がった。

 

 「じゃあ、行こうか」

 

 はじめに行く場所は決めている、お化け屋敷だ。 

 途中で自クラスに空の弁当箱を置いて翔のBクラスへ向かう。

 

 「おっ!一真、それにフェリシアさんもついに来ましたか、我がクラスへ」

 

 どこか演技がかった口調と仕草で大きく一礼する翔。 

 どこなく自信が伺えるその雰囲気に嫌な予感が拭えない。

 

 この男が調子に乗っている時は大抵、ロクなことがないのだ。

 

 「……随分ご機嫌だね翔」

 

 「ふっふっふっ、もちろんだとも我が親友よ。完璧な出来だ、いつもの教室は我ら文化祭の鬼の手によって最高の恐怖の大王の降臨地へと生まれ変わったのだよ」

 

 見たまえと、翔の視線を追ってみれば教室から案内係の女生徒に連れられて泣きながら出てくる男の子の姿。 

 一人で挑戦して撃沈したのか、外で待っていた母親に走り寄ってその服にしがみついている。

 

 「見たか、子供を思わず泣かせてしまう恐怖空間だ!」

 

 やりすぎだバカと言いたいところだが、ここまで突き抜けた自信を見せられると逆に気になる。

 

 「行きましょう、能さん。私、はしたなくも何だかワクワクしてきました」 

 『私もー、私も早く入りたい!』

 

 お嬢様の仮面を被ったフェリシアもどことなく興奮を隠せていない。 

 二人きりじゃなくなったとぶつぶつ言っていた回の機嫌も直って何よりである。

 

 「じゃあ、挑戦させてもらおうかな」

 

 「おっしゃ、ご新規様二名、ご案内!」

 

 扉を開け薄暗い入り口が顔を覗かせる。 

 フェリシアと並んで一歩、足を踏み入れた。 

 

 背後で扉が閉まり完全な密室となる。

 苦笑が漏れる、フェリシアが大きくため息をついた。

 

 日の光は完全に遮断され青や赤の照明で不気味さを演出しているのはまあいい。 

 しかし、鏡を利用した道を錯覚させる仕掛けや、仕切り代わりの段ボールに描かれた遠近感を狂わせる模様。 

 今、自分がどこを歩いているかもわかりづらい仕掛けの数々。

 

 「……これ、お化け屋敷っていうより迷路じゃないの」

 

 フェリシアの呆れたような声が漏れる、全く同感である。 

 あの男の子も怖さというより迷って泣いたに違いない。 

  雰囲気とかそこかしこにあるおどろおどろしい装飾は精神に負荷がかかるような気もするし。

 

 作っている最中に誰も指摘しなかったのだろうか。 

 まあ、準備中にテンションが上がってコンセプトからズレることはよくあるだろう。 

 

 こういうのも文化祭の醍醐味と言えばそうかもしれない。

 

 『これはこれで面白いからよし!』

 

 回だけはお気にめにしたらしくはしゃいでいた。

 

 早く動くと壁や装飾を台無しにしそうなのでゆっくり歩く。 

 長く中に留めるという点では成功と言えるだろう。 

 しかして、仕掛けはお粗末というかこてこてのテンプレで驚きがない。

 

 首筋に垂らされるこんにゃく、どこか不気味な人形が物陰から覗く、シーツかカーテンかよくわからない何かを被った白いおけけもどき。 

 迷路の仕掛けを考え作って力尽きたのか、空間を広く見せることに全振りし過ぎて肝心のお化け要素が杜撰過ぎた。

 

 正直、ここ二か月あまりで形代の屋敷のような本気で恐怖な場所を見てきた身としてはこれぐらいだと驚きもできない。 

 『キャーッ!』とか言いながら無邪気にはしゃいでいる回の反応が楽しむのなら正解なのだろうがさすがに無理である。

 

 まあ、でも。

 

 「このがっかり感も、それはそれでいい思い出になるのかしらね」

 

 そんなことを呟くフェリシアに頷く、後で翔をからかう時間もきっと一つのいい思い出なのだ。

 

 出口に辿りついて扉を開けて外に出る。  

 

 「よお、どうだった?」

 

 駆け寄ってきた翔、フェリシアと二人顔を見合わせて。

 

 「とりあえず、お化け屋敷じゃなくて鏡の館とかに名前を変更した方がいいよ」 

 

 「そうですわね」

 

 自分でもわかっていたのか、がっくりと肩を落とす翔を置いて校内を回る。

 

 漫画研究会で思いのほか面白い漫画があって思わず購入してしまったり。 

 美術部のよくわからない自称前衛芸術にフェリシアが手厳しいツッコミを入れたり。 

 件の自然愛好部のやけに詳細にまとまった野鳥の観察記録に思いのほか熱中したり。

 

 中にはあんまり真剣にやってないとわかる投げやりなものもありはしたものの。 

 それはそれでいかに手を抜いて別のことに時間を使うかに挑戦しているとも言えるだろう。

 

 方向性も着地点も様々なれど、込められた熱意はどれも本物だったと思う。 

 様々な人間が集まる学校という箱庭の中でそれぞれが何かに向かって歩む軌跡。 

 繰り返される漫然とした日常の中にある年数回だけの非日常。

 

 それをこうして形にできてよかった。

 

 曲がりなりにも生徒会長を拝命しているのだからどんな結果になっても無駄にはしたくなかったから。

 

 何よりお嬢さまの仮面を被っていても事あるごとに表情を変えて笑ったり呆れたりするフェリシアを見ていて思う。 

 あんな世界でそれでも立ち続ける彼女に、日常で笑える時間を作ることができてよかったと。

 

 最後に体育館に足を運ぶ、吹奏楽部の演奏や演劇部の劇など、一日中イベントが開催されている場所。 

 午前午後で同じ演目を繰り返し二回行ってくれる、これからやるのは午後の部の最後のプログラム。 

 生徒会長権限をちょっと乱用して立ち入り禁止のギャラリーにフェリシアを連れて行った。

 

 「それで、こんなところに連れ込んで何を見せようっていうのかしら?」

 

 「いや、特別な何かがあるわけじゃないよ。午前にもやった演劇部の劇。下からだとあんまりよく見えないし、フェリシアは目立つから集中して見れないかもしれないだろう?だから、上から見ようかなって」

 

 一真は手元のプログラムに目を落とす。

 

 「演目は……黄泉平坂?何だろうこのチョイス」

 

 台本協力に歴史研究部の名前を見つけて納得する。 あそこは部長がちょっとおかしいレベルで歴史狂いだからしょうがない。

 

 「あら、私は結構興味あるわよ。確か、コジキだったかしら?あれ、難しくてあまり詳しく読めなかったのよね」

 

 それでも黄泉平坂が古事記出典であることを知ってるのがすごい。

 日本人でも知らない人は知らないだろうおそらく。

 

 幕が開いて演劇が始まる。 

 内容は退屈になりがちな歴史の解説をエンタメに落とし込んでいてなかなか面白い。

 

 天地初発から始まりイザナギとイザナミが生れ落ちる。 

 二神は天の御柱を回って共になり、紆余曲折あって大八島国、日本を生んだ。 

 その後も様々な神々を生んで最後に火の神を生んでイザナミが死んでしまう。

 

 イザナギは涙が神になるまで泣きはらしおまけに息子である火の神を切り、それがまた神なるという無法っぷりはどうなのだろうと思わなくはない。

 

 そして、亡き妻への思いが限界突破してイザナギは黄泉の国へとイザナミを迎えに行く。 

 妻の言いつけを破ってそのあまりに凄惨な姿に恐れをなして逃げ出したイザナギ、イザナミが怒るのも当然であろう。

 

 『あはは!バカみたいに走ってる!滑稽滑稽コケコッコーだね!』

 

 回のあほらしい声がやかましいが言ってることには正直、同感である。

 

 最終的に追いかけっこの末、イザナミの恥は一日千人を殺す呪いとなり。 

 イザナギは千五百の産屋を建ててそれに対抗する。

 

 生と死の循環が生まれて国づくりは終わるのだ。

 

 「……何と言うか、こうしてみるとどうしようもないね神様って」

 

 拍手しながら思わずぼやいてしまう。

  実際に神様がいるとは思えない、であれば作り手がどうしようもないのか。 

 あるいは影幻界というものあるなら本当に神のごとき何かが存在する可能性もあるかもしれないけれど。

 

 「そう?私は好きよ。こういう物語は」

 

 フェリシアには思いのほか好評であったらしい、思わず「どこが?」と尋ねてしまう。

 

 「正直でいいじゃない、感情に嘘がないわ。変に脚色しないでありのまま世界を表現してると思うの。 

 汚いものは汚い、交わらないものは交わらない、呪う時は思い切り呪いきる。 

 こうして物語として吐き出しているだけのうちは世の中、平和よきっと」

 

 環境的な要因は別にしてねとフェリシアは笑った。

 

 「それにね、人は変わるものよ。愛も永遠なんかじゃないと神話ではっきり突きつけるなんて誠実でいいじゃない。変な希望を持って打ち砕かれるよりよっぽどいい」

 

 それは、あるいは自分のことを指しているのかもしれなかった。

 

 今なら何となくわかる。 

 

 かつて人ではないと自らを嘲ったフェリシアは、もしかしたら居場所がないと感じていたのかもしれない。 

 いつも一人で気を張って、様々な仮面を被って、だけど決して溶け込むことはできずに世界を回る渡り鳥。 

 彼女にとってはむしろ一人でいること、あることこそが重要なことだったのかもしれない。

 

 なのに、今はこうして隣で友達として笑ってくれている。  

 どんな心変わりがあったのか完全にはわからないけれど、自惚れでなければきっと自分の何かが彼女を動かすことができたのだと思う。 

 

 だったら、その責任を取らなければいけない。

 

 自分の我儘を彼女に押し付けた。だからせめて、決して裏切らず変わらない自分でいよう。

 

 何があろうと、彼女が完全に姿を消さない限り。 

 フェリシアの友達として共に在ろうと心に決めた。

 

 最後のプログラムは終わり、文化祭は終わりへと向かう。

 閉幕式を終えて関係者から帰宅、生徒たちは最後の片づけに漫然と従事する。

 

 ざっと片づけを終えた時にはすでに日も落ちかけていた。 

 秋の日はつるべ落とし、冬に向かって加速していく季節。

 

 最後まで残って指揮を終え、生徒会役員達をねぎらって。 

 無事開催できた打ち上げでもしようと相談して校舎を後にした。 

 校門のところには待っていてくれたのかフェリシアの姿がある。

 

 「フェリシア、待っていなくてもよかったのに」

 

 そこまで言ってふと思い出す。

 

 「そういえば、文化祭の後に行きたいところがあるって言ってたっけ。今から行くの?」

 

 「いいえ、ちょうどいいから明後日にしようと思うの。明日は振替休日で明後日も勤労感謝で休みでしょう?時間、大丈夫かしら?夜なのだけれど」

 

 「明後日なら大丈夫。明日は一日、時間がなさそうだからこっちもちょうどいいや」

 

 明日は学校に顔を出すことになっている。 

 無理を通して文化祭を主導したのだ、先生方だけに後始末を任せるわけにもいかない。 

 その後に生徒会一同や文化祭実行委員も含めて打ち上げに顔を出すことになっている。

 

 「ならそうしましょう。今日は少し疲れたわ、帰りに何か買って帰りましょう」

 

 フェリシアと二人、並んで帰路につく。 

 お祭りの後の余韻に浸りながら無言で夜の街を歩んでいく。

 

 「……そうだ、改めて言っておくわ。一真、今日は本当にありがとう。あなたのおかげで、楽しい一日が過ごせたわ」

 

 少し前に飛び出してくるりと回ったフェリシアは満面の笑顔でそんな言葉をストレートにぶつけてくれた。 

 

 それは何よりの言葉だった。

 

 「僕の方こそ、ありがとう。」

 

 意味などなくてもやるべきと思うことをするだけだと決めている。 

 それでも意味が残るのならその方がいいに決まってるのだから。

 

 今日はきっと、意味があった日だ。

 

 

 その日の夜、ベッドに入って横になっていた時のこと。

 いつも通りふよふよ漂っている回が珍しく思いつめたような顔をしていた。

 

 「どうしたの、難しい顔して」

 

 何となく気になって尋ねてみる。

 

 『うん……。ねえ一真、愛って変わるものだと思う?』

 

 昼間の劇のことだろうか。

 

 「どうだろう、変わってほしくはないと思うけれど、一般的には変わるものじゃないのかな」

 

 永遠に変わらないものなどあるはずもない。

 自分も今はまだ舞のことを引きずっているけれど、いつかそれも薄れる時が来るのだろう。

 

 『そうかな、そうかもね。だけどね一真、永遠はあると思うの』

 

 それはいつもの無邪気な姿ではなく、たまに見せる底知れない姿でもなかった。

 どこか、何かを悟ったような遠くを見つめる瞳。

 

 『変わらないものはあるの、だから私はこの世界が好きなんだ』

 

 そう言って笑う回の顔はどこまでも透き通って見えた。

 

 

 翌日、登校して文化祭の片づけに精を出した後、打ち上げに参加して皆をねぎらった。 

 

 これで完全に閉幕、学校は日常へと戻っていくだろう。

 

 そしてさらに次の日の夜。

 魔法使いスタイルのフェリシアに連れられてとあるビルの前にやってきた。

 

 まだ外観や内部機能が整っただけだがこの辺りでは最大の高さを誇る五十階建ての高層ビル。

 完成したあかつきにはショップやオフィス、ホテルなどが入る複合施設になる予定らしい。

 当然ながら一般人は立ち入り禁止なわけだがフェリシアはどこから拝借したのか鍵を使ってあっさり施錠を解いて中に入る。

 エレベーターはなぜか稼働していて迷うことなくボタンを押した。

 

 いつもなら何か言うところなのだが、フェリシアの顔があまりにも真剣で口を出せない。

 ただ黙ってついていく、最初のエレベーターで中層まで登り、そこからエレベーターを乗り換えて最上階。

 殺風景な剥き出しのコンクリートに囲まれたフロアを歩いて階段を上りきる。

 同じように鍵を使って扉を開いた。

 

 一気に視界が広がる、世界の全てが網膜に叩きつけられたような錯覚。

 

 屋上はヘリポートになっていて周囲を頑丈そうなフェンスで囲まれている。

 それでもこの高さは正直、恐ろしい。

 

 空を飛ぶこともあるフェリシアは高いところにも慣れているのだろう。

 吹き付ける風も意に介さず屋上に身を躍らせそのままフェンスの際まで足を進めた。 

 

 身を縮こませてその後について並び立つ。

 

 フェリシアは真っすぐに前を見ていた。

 眼下でも空でもなく、ただひたすらにその狭間を。

 

 人の営みが灯る地の世界、星々が輝き欠けの無い月が中心に座す天の世界。

 決して交わらぬその世界の狭間に今、立っている。

 

 「……私ね、この場所が好きなの。どちらにも手が届かなくて、だけど確かに供にある姿を見られるから」

 

 静かに、フェリシアは言葉を紡ぐ。

 風切り音や耳鳴りに邪魔されることなく、それは自然と耳に入って鼓膜を震わせた。

 

 箒に腰かけたフェリシアはふわりと浮き上がりフェンスを越えて向こう側へ、狭間と同化するように手を広げる。

 

 街の喧騒も、風の音もすべてが凪いでいる。

 世界に彼女と二人だけ取り残されたような絶対的な静寂が落ちたような気がした。

 

 そして、彼女は振り返ってこちらを見やる、フェンス越しに絡み合う視線。

 

 手は届かず、だけど確かに互いを見て、声を届けることのできる絶妙な距離。

 

 「一真、私の名前はね、フェリシア・アールグレン=オスクルドっていうの」

 

 「オスクルド?」

 

 「そう、それが私の名前、私の全て。嘘偽りのない私の在り方。意味はわからなくていい、ただ覚えておいてほしい。

 そういう名前の魔法使いがいたということ。何があってもあなたに覚えておいてほしいの」

 

 だけど、決して口にはしないでと寂しそうに笑った。

 ただ心の中に留めておいてほしいと、それだけを切実に願う声。

 

 「私は確かにここにいたのだと、あなたにだけは思っていてほしい」

 

 それだけを告げて、フェリシアはまたその目を遠い彼方へと向けた。

 何も言えず、同じ景色をただ眺める。

 

 ただただ、同じ景色を眺め続ける。

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