そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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⑥-1

 『好奇心は猫をも殺す。知は呪いなり。知らなければいいことに首を突っ込むのは人間の悪い癖だよね』

 

 

 暦は十二月に入り本格的に冬の寒さも厳しくなってきた。

 

 とある古びた寺の墓場、誰かに見捨てられ、あるいは誰ともつながりのない孤独な無縁仏が眠る合葬墓の一角。

 世界から弾かれた者達の嘆きが渦巻くその場所は生と死の狭間であると言い換えてもよいだろう。

 それは生者を否定し幸福を穢す、ただただ世界を呪う声を連鎖させる協奏を封じるための場であった。

 

 参る者も祈る者もいない。

 

 手入れもされず苔むし傾きかけた石碑や卒塔婆の塔の群れを縫うように、魂すらも凍てつかせるような風が死者の世界の空気を回す。

 その未練や悔恨、世界に対する怨念を利用し閉じ込めて密度を上げるために張られた結界が唐突に砕け散る音を聞いた。

 

 「……あり得ない」

 

 解除された、浄化されたのならまだわかる。

 しかして今の割れ方は男の理解の範疇の外にあった。

 抵抗がなかった、力と力の摩擦というものが存在しない。

 

 ただただ唐突に、まるで最初からなかったかのように消えたその残滓を呆然と眺めるしかできない。

 

 やがて、二人分の足音が響くのを捉えた。

 

 暗闇から現れたのはまだ学生ぐらいの男女、一人はラフな格好に冬用の黒いジャケットを羽織った普通の青年。

 そしてもう一人は学生服と思わしき服の上から黒のローブを羽織り、三角帽を被り、杖を持った魔女。

 

 その瞬間、魔術師である男は同業かと臨戦態勢を取る。

 シャーマニズムを応用し、死者の情念を操る魔法が手札。

 

 この場所は男にとって最も力を発揮できる場所であった、だからこそ陣地を敷いたのだ。

 例え高位の魔術師、あるいは魔法使い相手であっても対等に渡り合えると自負していた。

 

 「我、呪いを背負う者、それを代替する者。この世界に裏切られた末の者よ、汝の念を我に預け、力と化けよ」

 

 声なき怨嗟が空間を振るわせ満ちていく、あらゆる世界の音が死者の吐息に塗りつぶされる。

 頭上に掲げた男の手には霊体と怨念が混じり合い膨れ上がった呪いが満ちていた。

 

 それは一メートルを超す不定形の球体のような形を取る。

 何の抵抗力もない人間が喰らえば百度、死後の世界を見てもなお足りぬ力の奔流。

 

 それを前に青年と魔女は何事かを話し込む、撤退か抗戦の相談か。

 何にせよ逃がすつもりは男にはない、どんな手を使ったかは知らないが結界を破ったつけは払ってもらう。

 

 若い、それもどことなく距離の近さを見せる二人の男女の絶望の悲鳴はさぞ極上の呪いを生むだろう。

 それを結界構築に活用させてもらうとしよう。

 

 頭の中でそろばんを弾きながら男は魔術師特有の、どこか表側の倫理道徳観から逸脱した歪んだ笑みを見せた。

 自ら世界の裏側に堕ちていく人間が持つ爛れた情念。

 

 そして、二人は会話を終えて男に視線を向ける。

 次の瞬間、信じられない行動に出た。

 

 青年の方が一人、丸腰で飛び出してくる。

 魔法の気配もなければ守護の類も纏っていない、何の力の気配も感じさせないままただ一直線に。

 

 「愚かな!」

 

 男は球体を投げるように腕を振るう、それは青年に向けて蛇行するように空を滑る。

 人の手形を模したものが蛇のようにうねりながら全体から飛び出し、正面は口のように裂けて呑み込まんと気炎を上げた。

 

 それを見て嫌悪の表情を見せた青年はそれでも止まることなくその口めがけて飛び込んだ。

 体ごとぶつかって、呪いの球体は断末魔を上げる間もなく霧散する。

 

 結界と同じように、まるで何もなかったかのようにあっさりと。

 

 「は?」

 

 男の口から間の抜けた声が響く。

 先代から引き継ぎ、鍛えてきた己の魔力と地の利を得て練り上げた呪いが何の効果も発揮せずに消え失せればさもありなん。

 

 呆然とした男、その意識の隙間を突くように。

 青年の頭上を飛び越えて魔女がその杖を振りかぶる。

 

 「ご愁傷様」

 

 わりと哀感を帯びた綺麗な声が鼓膜を震わせたのが最後の記憶。

 男は顎に杖の思い切りのよい横薙ぎの一撃を受けて意識を飛ばした。

 それはまるで鉄の鈍器のように硬かった。

 

 

 「……ご愁傷さまって何さ」

 

 白目を剥いて気絶してしまった魔術師だという男に一真は視線を向ける。

 これまでの魔法使い然とした戦い方より実はアクティブな接近戦を好むというのはここ最近知ったことだが、それにしてもすごく痛そうだ。

 

 顎が外れているのではなかろうか、口が大きく開いたまま微動だにしない。

 軽く体をつついてみるが起きる気配も皆無、完全に伸びている。

 

 「だって、かわいそうじゃない。結構、高度な結界を張って呪いを練って、なのにあっさり無効化されるなんて最悪よ。自分がされたらと思うと思わず同情したくなるわ。ああ、また思い出してきた」

 

 杖を両手の支えとしてまったくそんな気もなさそうに伸びをしていたフェリシアは、矛先を変えてこちらにジト目を向けてくる。

 学校全体を欺いた時の大魔法とやらのことを言っているらしい。

 

 「それについては全く記憶にございません」

 

 実際、弾いたという感覚すらないのだから本当に実感がない。

 どうかしらとぐちぐち言いながらもそんなに気にしてるわけでもないのかすぐに表情は和らぐ。

 

 「それにしても本当に便利ねあなた。あの呪い、結構まずい類のものだったわよ。それがあんなにあっさり消失するなんて。まずいわ、このままだと堕落しそう。もう全部、あなたが一人で突っ込めばいいんじゃないかしらとすら思うわ」

 

 「あのねえ、僕は盾じゃないからね。一応、言っておくけれど」

 

 その体質は万能じゃないと言っていたのは自分だろうに。

 

 「なら家で待ってなさいよ。付いて来なくていいって言ってるじゃないの」

 

 「そうは言うけどね、自分の住む街にこんな人たちが潜んでると知ったらゆっくりしてられないでしょ」

 

 実際のところ、前の綾理ちゃんの時のようにフェリシアがまずい状況に陥ったら嫌だからという気持ちがある。

 そんなこと口に出そうものなら一週間は弁当のおかずが悲惨なことになるのでそれっぽい本音を絞り出すしかないのだが。

 

 再び半眼でこちらを睨んでくるフェリシア、どうやらお見通しらしい。

 とは言え本気で怒ってるわけではないことはもうわかっている。

 

 あの日、ビルの屋上で本当の名前を告げられた時から。

 軽口やちょっと痛いところをつつき合えるぐらいには壁がなくなったということだ。

 

 それは喜ばしいけれど、やっぱり便利アイテムみたいに扱われるのには異議を唱えたい気もする。

 

 「まあ、いいわ。とりあえず、少しでも違和感とかあったら言いなさいね。あなたの力、なのかしらね?わからないことも多いのだから過信はしないことよ」

 

 それでも、結局最後にはどこか心配そうに遠回しの気づかいを見せてくれるから。

 自分もできる限り力になろうと思えてしまうのだ。

 

 夜中の暗い墓地であることを忘れさせてくれるどこかのほほんとした空気が流れる。

 それをかき混ぜるようにぬっと一人の存在が現れた。

 

 全身を黒いローブで覆った何者か、フェリシア曰く魔術師を管理する者達だという。

 その本拠地がどこにあるのかは定かではないが、全世界に根を張っているらしい。

 

 こういう管理下にない魔術師に懸賞などをかけて集めているという。

 集められた魔術師がどうなるかは闇の中。

 

 果たして預けていいのかと思わなくもないが、影幻界の勢力事情にまで口を挟む気にはなれなかった。

 自分の手には余る、フェリシアも深くは関わるなと言っていたし。

 ミラさんとやらと同じくドライに利益のみの関係を貫くのが吉、深掘りしてもろくなことはないと。

 

 ローブの何者かはフェリシアに対価を手渡すと魔術師を担いで消えていった。

 

 「それにしても多いね」

 

 ここ一週間と少しでこういう在野の魔術師と出会ったのはすでに三回目だ。

 フェリシアと和解したあの日からというわけでもないらしい。

 自分の知らないところでもう何人か捕まえていると聞いていた。

 

 「ええ、本当に多いわ。そもそも魔術師というのが希少な存在のはずなのだけれど。この街にどうしてこんなに集まっているのかも謎ね」

 

 何かの予兆なのか、また大きな事件でも起きるのだろうか。

 それはわからないが何があっても今は大丈夫だと思える。

 

 彼女が隣にいてくれるのなら、どんなことでも乗り越えられるだろう。

 

 「とりあえず、今日は帰ろうか。安心したら寒くなってきた」

 

 「そうね。おでんでも食べたいわね」

 

 すっかり日本の食文化に馴染んだフェリシアの呟きに頷きながら家への道を歩く。

 

 『……私のことも忘れないでくれると嬉しいなー』

 

 ここ最近はもう諦めたのか憎まれ口を叩くこともなくなり、どこかいじけたようなことを呟くことが多くなった回。

 

 決して忘れているわけではない、ただ人前で会話するわけにもいかないだろう。

 二人きりの時はよく話していられたが他者がいるとどうしても放置せざるを得なくなる。

 

 いっそのこと、他の人にも姿が見えてくれればいいのに。

 自分だけが話し相手というのも寂しいものだと思うし。

 

 そんなことを考えながら道中、コンビニによっておでんを買いこむ。

 二十四時間営業とはなんとありがたいことだろう。

 

 世界は急速に不夜の様相を示すようになってきているわけだが、文明の光はそのうち影幻界も照らして白日の下に晒すのだろうか。

 それとも、また別の形で光に映る影へと潜り込むのだろうか。

 

 あるいは――目に見えるほどには世界は明るくないのかもしれない。

 

 隣を歩くフェリシアを見やる、おでんの袋をのぞき込むその顔はどこか緩んでいる。

 まあ、こういう顔をできる人がいるぐらいには何か光るものがあるのだろう。

 

 そんな益体の無いことをぼんやり考えながら灯りの灯った我が家に辿り着く。

 

 「……また勝手に入って。いいの、家主さん?さすがに無遠慮が過ぎないかしらあの子」

 

 呆れたようなフェリシアをまあまあとなだめながら玄関を開ける。

 リビングに足を踏み入れれば洋風の空間には似つかわしくない雅な装いの少女が一人。

 自分で持ち込んだ急須や茶葉で淹れたお茶を楽焼ですすりながらこちらに視線を向けた。

 

 「お帰り、夜遅くまでご苦労なことじゃな。お邪魔しておるぞ」

 

 綾理ちゃんはどこか悪戯めいた笑みを浮かべて、目ざとくこちらの手にある袋に目を輝かせる。

 

 「おお、おでんとは気が利いておるな。儂にも分けてくれ、代わりに茶と茶菓子を進呈しようぞ」

 

 そそくさと立ち上がると慣れた動きでキッチンで茶を入れて、これまた高価そうな茶菓子をお盆に並べると机に置いてくれた。

 

 ため息をついてフェリシアもおでんを机に広げていく。

 一真も席についてちょっとした夜食としゃれこんだ。

 

 文化祭が終わった直後、綾理ちゃんは宣言通り話し相手になってくれとふらりと来訪した。

 それから二日に一回ぐらいの高頻度で夜に現れては茶器や茶葉、お菓子などを持ち込み。

 

 今では完全にくつろぎスペースと化してしまった。

 気のいい茶飲み友達だ。

 

 とは言え最初の方はいろいろあったらしい。

 自分がいない時に鍵を勝手に開錠して居座っていた綾理ちゃんとフェリシアが鉢合わせ。

 ひと悶着あって部屋が吹き飛びかけたらしいがまあ些細なことだ。

 スペアキーを渡そうと思ったが「あんな錠、あってもなくても変わらぬ」とのことである。

 

 最初は警戒していたフェリシアも今では諦めたように受け入れていた。

 

 「それで、夜のでえとは楽しかったか?もうそろそろ寝屋を共にしたか頃かの?」

 

 ごふうっと、フェリシアがお茶を吹き出しそうになって慌てて飲み込んでむせ返る。

 

 「綾理ちゃん、何度も言ったけど僕らはそういう関係じゃないよ」

 

 そもそも学生だしと、少し吹きこぼれたお茶をティッシュでふき取りながらやんわり訂正する。

 落ち着いてきたフェリシアも苦しさか怒りか顔を赤くして綾理ちゃんを睨んだ。

 

 「ふむ、生真面目と初心ではそう進展も望めんか。難儀なことよ、もっと青春を楽しめい」

 

 「あなたねえ、子供のくせに何言ってるのよ。というかませ過ぎよ、あなたこそ子供を楽しみなさいよ」

 

 「異なことを、影幻界に携われば子供も何もなかろう。お主こそ、性術なんぞは嗜みみたいなものじゃろうに純情すぎるわ。表側にも性魔術なんぞがある、性と魔は切っても切り離せぬ人のさがじゃて。もし淫靡な手段を用いる敵が現れたらどうするつもりじゃこの生娘は」

 

 ぐむと言い返せずに黙り込むフェリシア。

 これも最近知ったことだが、綾理ちゃんはわりと軽い。

 

 最初に会った時は口調や振舞い、状況も相まってどこか達観した雰囲気を感じたもの。

 しかし実際に交流してみると俗っぽさもあれば物事を楽しむ余裕もある。

 

 ご両親は形代の家の宿命に押しつぶされ綾理ちゃんが物心ついたころにはすでに家を去っていたという。

 先代当主であった祖父は綾理ちゃんさえいれば息子夫婦は自由にすればいいというスタンスだったそうで。

 

 言葉を選ばなければつまりは捨てられたということ、祖父も綾理ちゃんに全てを託したと確信したところでこの世を去ってしまった。

 

 千年続く妄執の家系、ご両親からの仕打ち、そしてアヤリが起こした事件。

 そんな中、あの広大な屋敷に一人で人形を作り囲まれる毎日。

 

 もっと張りつめていてもよさそうなものだが綾理ちゃん自身はどこまでも軽妙だった。

 ずけずけものを言ってはどこか相手の困り顔を楽しむような無邪気さもあれば、しかし決して相手の柔らかいところを無造作に抉るようなことはしない機微もある。

 

 とは言えそれが逆に心配でもある、無理していないかと。

 自分なんかより遥かに大人びているし余計なお世話かもしれない。

 だけど、子供が大人びるということそれ自体がどうかと思うのだ。

 

 まあこの家にいる時はそれ相応の子供らしさを見られる時もあるし、ここが憩いの場になっているなら今はそれでいいだろう。

 

 やいやい言い合う姦しい二人を眺めながらおでんをつまみお茶を啜る。

 ああ、温かい夜食と熱い言い合いが体に染み渡っていい気分。

 

 そして、こういう雰囲気が唐突に裏返るのもこの二人ならではだろう。

 

 「さて、それでの。今日、来たのは用事があってのことでな。我が屋敷に魔術師連中が押しかけてきたのじゃよ。お主ら、何か知らぬか?」

 

 おでんの容器を空にしてからとんでもないことを言い出した。

 

 「……それ大丈夫?怪我とかしてない?」

 

 「大丈夫に決まっておろうが。お主らに匹敵する魔術師なんぞ、そうそう現れんよ」

 

 このような言を聞くと綾理ちゃんもやはり影幻界の住人であり、それ相応の修羅場をこの幼さでくぐっているのだなと突きつけられる。

 人形のアヤリちゃんは一度、フェリシアを降しているわけだし本人も相当な力を持つのだろう。

 自分のことは過大評価し過ぎだと思うが確かにここしばらく見てきた魔術師とフェリシアでは大きな差があると素人目にも納得だ。

 

 「まあ、動機はわからんでもない。形代の技術、あるいはあの屋敷という工房自体が目的じゃろう。問題なのはなぜそんなものを求めておるのか。形代は裏でもそこそこ名の通った名家、軽々に手を出す輩なんぞそこまで多くなかったのじゃが。それに魔術師が集まり過ぎじゃ、あれだけ集まれば縄張り争いの激化も必然じゃろうて」

 

 綾理ちゃんは独り言のように呟きながら状況を共有して思索にふける。

 

 「そうね、そもそも魔術師が多過ぎよね。なんであんなに湧いてくるのかしら?」

 

 「……?それ自体は問題なかろう。なぜこの街に集まるかが大事であるのじゃが」

 

 「それも重要だけど、本来、突然変異的な才能の開花である魔術師があんなにポコポコ湧いて出る方が異常でしょう?何かおかしな力が働いているとしか思えない、あるいは意図的に魔術師もどきを生み出している誰かがいる可能性も否定できない」

 

 どこか噛み合わない会話、綾理ちゃんは首を傾げふと納得したように一つ頷く。

 

 「そうか。お主、魔術師ではなく魔法使いじゃったな。それも顔の造形から見て西欧、いや北欧圏出身じゃろう?魔法使いの中でもことさらに排他的な者達が集う地域と聞いておる。日本が特殊で忘れがちじゃが、本来魔法使いはほとんど表側に踏み入らんからな。魔術師の現状について知らぬのか」

 

 「……どういうことよ?」

 

 フェリシアの目が鋭く細められる。

 

 「魔術師はな、魔法を扱うための要素を才能ではなく技術として後世に引き継ぐ術を生み出したのじゃよ。もう千年以上前のことらしいがな、形代の記録にも辛うじて残っておる。少なくとも初代形代の時代にはすでにあったようじゃぞ」

 

 茶菓子をしなりと口に放り込みながら何でもないかのように告げる綾理ちゃん。

 千年、気の遠くなるような話で実感がわかない。

 それがどういう意味を持つのかもさっぱりわからない。

 

 だがフェリシアは違ったようで、苦渋に顔を歪めながら先を促した。

 

 「そも、魔法使いと魔術師の違いは何か?血じゃ。魔法使いは生まれながらに影幻界に属する血統があるのじゃろう?対して表側の人間は影幻界との接点がない。魔力はどんな人間も持っておるが、それを出力するには影幻界とのつながりが不可欠。それ故に何かしらの才能や特異な環境、境界の曖昧な場。普通の人間が魔法を使用するにはそういった要素が必要であった。それを解決するために生み出されたのが魔導管(まどうかん)と呼ばれる技術じゃな」

 

 綾理ちゃんは自らの心臓に指を這わせる。

 

 「概念的なもう一つの血管を、心臓を核として全身に張り巡らせていくのじゃよ。自らの体を媒介に影幻界との接点を生み出す一つの魔法と言い換えてもよい。魔を導く経路、故に魔導管と呼ぶ」

 

 儂にもあるぞと、一息ついてお茶を啜ってここまではよいかと視線を巡らせる。

 正直まったくよくはないが何がよくないかもいまいちわからないので黙っていることにする。

 フェリシアは内容を反芻しているのか静かに目を閉じていた。

 

 「……なるほどね。概念的な導管構築による肉体の強制的な影幻界への同調。だけど一朝一夕で成せるようなものではないでしょう?次世代に継承できるのね?」

 

 うむと綾理ちゃんは頷いた。

 

 「その通りよ、この技術の最も優れた点は構築した魔導管を取り出して別の人間に自由に入出力できるところにある。凄まじく痛いがな、肉体ではなく精神が千切れ飛ぶような痛みが伴う。これで死ぬ者もざらじゃが、乗り越えられれば一般人でも魔術師になり得る。おまけにやり方さえ掴めれば一から構築するのは誰であっても可能性が開かれるという利点もある。まあ、可能性があることと実際に可能であることは別じゃが、門戸が広がったのは間違いない。この技術によってここ数世紀で魔術師は爆発的に増えたのじゃな」

 

 もちろん玉石混交じゃがと綾理ちゃんは言葉を締めた。

 

 自分の死を覚悟してまで影幻界に関り魔法を求める人間が多いという事実に軽く眩暈がする。

 

 フェリシアのように最初からその世界で生きているわけでもないのに。

 関わっているからこそ、わざわざ自分から首を突っ込んで人の生死を軽く扱うような世界に埋没しようとする意味が理解できない。

 

 だが、フェリシアは得心がいったという風にぼんやり宙を眺めている。

 

 「そう、人間の欲と探求心はそこまできていたのね」

 

 それはどこか予想済みであるかのような態度だった。

 こうして表側に関わることもあるフェリシアのような魔法使いであれば、少なからずその流れについては掴んでいたのだろうか。

 

 綾理ちゃんも目を伏せた。

 

 「影幻界、魔法、この世界の裏側をもその手にするために。あるいはただ全てを暴きたいだけか。何にせよ、魔法使いや幻想の住人たちが支配していた世界に人は足を踏み入れ蹂躙しつつあるということよ。お主も気を付けい。魔法使いの大半は自分たちの領域から出てこんじゃろうが、そんなの関係なく侵略者というのは突如、襲い来るもの。油断すれば滅ぼされかねんぞ」

 

 それは新たな知己に対する純粋な思いやりだったろう。

 しかし、フェリシアはどこか上の空で物思いにふけっているだけ。

 魔法使いの末路など、どうでもいいと言わんばかりの態度。

 

 前々から思っていたことだが、フェリシアの口から同業の魔法使いについての話を聞いたことがない。

 魔法使いである自分に誇りを持っているのはわかるのだが、魔法使いという存在それ自体にはあまりいい印象を持っていないのか。

 

 矛盾しているように思えるがそういう表現がしっくりくる。

 それぐらいフェリシアは己の出自に淡白なように見えた。

 

 「しかし、いかに魔法使いが世間知らずとは言えのう。出てくればどこかで聞いてもよさそうなものじゃがな。これまで耳にしたことはないのか?」

 

 綾理ちゃんの純粋な疑問にフェリシアは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙ってしまう。

 

 「まあ、しょうがないかもね。フェリシア、友達少なそうだし」

 

 彼女は何でも一人でやろうとする、そしてなまじできてしまうからあまり人と深く関わることが少ないのだろう。

 それはハードボイルドでカッコいい生き方であると思うのだ、知らずとも何かを乗り越えられるのは理想ではなかろうか。

 

 納得してうんうん頷いていたら、綾理ちゃんはお腹を抱えて下を向き必死に何かを堪えている。

 そして、フェリシアは満面の笑みでこちらを見ていた、唇の端がかなり引きつっている気がするのだが。

 

 「一真、あなたの中の私の印象について一度じっくり話さないといけないわね。この、ノンデリカシーが」

 

 どこか底冷えするような声を響かせる。

 

 「……あれ?」

 

 ひょっとして、怒らせたのだろうか。

 

 「クク……、いやはやしかして、そういうことじゃろうな。これを機に人との接し方を学ぶと良い。幸いこの愛すべきお馬鹿は練習相手にはちょうどよかろうて」

 

 目尻に涙を浮かべながらどこか苦しそうに声を出す綾理ちゃん。

 フェリシアは大きく、それは深くため息をついた。

 

 眉間に皺を寄せて頭を抱えているが、空気はどこか和んだ気がする。

 

 「はあ、まあいいわ。とりあえず魔術師の増殖についてはわかった、ありがとう綾理。となると、後はなぜこの街に集まっているかだけれど。それはこっちも把握できてないの」

 

 「そうか、なら仕方ないの。もう少し推移を見守るとしよう」

 

 綾理ちゃんはあっさりそう告げて席を立つ。

 

 「おでん、馳走になった。また来るときは儂も何かうまい物を用意しておこう。ではまたの」

 

 「待った、今日ばかりは送っていくよ」

 

 毎回、提案するも断られるのだが今回ばかりは別だ。

 襲撃されたと聞いて一人、見送ることなどできるわけもない。

 

 「よい、大丈夫じゃ。心配してくれるのは嬉しいが、儂も何の準備もなく出歩くほど呑気ではない。お主がいると逆にやりづらいこともあるからの」

 

 綾理ちゃんにも自分の体質については話してある、何か聞ければということで明かしてみたのだ。

 フェリシアより知見は広そうで似たような体質などはないかと思っていたのだが結局、何もわからなかった。

 

 まあ、ここまで言うなら大丈夫なのだろう、むしろ邪魔して何かあっても悪い。

 フェリシアと一緒にいるのは慣れてきたが、綾理ちゃんの動き方なんかはまだわからないし。

 

 「わかった、気を付けて帰るんだよ」

 

 「言われんでも……いや、ありがとう。気を使ってくれるのは感謝しておるよ。またの」

 

 そう言って、綾理ちゃんは手を振りながらリビングから立ち去っていく。

 とは言え本当に大丈夫だろうか。

 

 「まったく、あの子も大概ね。いいわ、私がついていくから」

 

 そう言ってフェリシアが席を立ち二階に向かう。

 

 「箒で行くの?」

 

 「ええ、だからあなたは留守番してなさい。というか、もう寝なさい。明日に響くわよ」

 

 お母さんみたいなことを言ってさっさと姿を消してしまった。

 こうなるとできることはない。

 

 『ふわあ、もう話は終わった?なら、今度は私とお話しよう!』

 

 「ごめん、さすがに無理。」

 

 一人になると思いのほか眠気がひどい。

 やっぱり戦いとか仄暗い話には向いてないのだろう。

 

 怒りの抗議をあげる回をなだめながらおでんの容器を片付けて、軽く食器を洗って一真は自室で横になった。

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