そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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⑥-2

 夜の街をぽっくりぽっくりと、独特の足音を響かせながら綾理は歩く。

 立ち並ぶマンションやアパートに明かりはなく、静寂が場を支配していた。

 空気は徐々に冷たさを増してくるが今はそれが心地よい、温まった心をいい感じに冷ましてくれる。

 能家での交流は本当にかけがえのないものだが、それはそれとして適度に冷ましておかなければならない。

 

 「しかし、相変わらず面白い二人じゃな」

 

 からかい混じりに弄ってみた時の反応を思い出す。

 影幻界にありながらあそこまで純朴と純粋を貫ける存在も珍しい。

 

 能 一真、どこまでも真面目で善性を体現するお人よし。

 それでいて線引きはしっかりしている、深く何かに己を投影するということがない。

 どこまでも相手を、状況を、世界を尊重する在り方は強烈な我を持つ者が多い裏側にあっては本当に貴重だろう。

 

 「じゃが、それだけにわからぬ」

 

 人形技師として他者を観察する眼についてはそれなりのものだと綾理は自負していた。

 大体の人間はしばらく観察すれば外側を模るぐらいなら可能となる。

 

 だけど、一真だけは別だった。

 うまく自分を偽っているということではない。

 

 むしろ飾り気がない、隠すという概念がない、全てをさらけ出しているようにすら思う。

 善意にも嘘はないだろう、どこまでもありのままで存在している。

 

 なのに、見えない。遠いから、隠されているから見えないのではない。

 

 あまりにも巨大なものが目の前にあるから、大きすぎて全容を収められないような――。

 

 綾理は首を振る、まさかとその可能性を追い出した。

 きっと、個人的にお気に入りだから曇っているのだろうと納得する。

 一真を、友を模るなんてことをしたくないのだと。

 

 「まあ、あやつはよい、安定しておるからな。それにしても、見送りはよいと言ったのにのう」

 

 だいぶ離れた夜空に浮かぶ存在に綾理は気づいていた。

 フェリシアだろう、あの魔法使いも何だかんだと人に気を使い過ぎる。

 

 特に一真に対しての反応はわかりやすい、愛情か友情かは微妙なところだが間違いなく心は近い。

 このお節介も綾理に対してというより一真の意を受け止めた結果であろう。

 

 しかし、それだけに問題が多いのはフェリシアの方だと綾理は思う。

 彼女もまた別の意味で珍しい、力があり修羅場をくぐり影幻界に対する造詣も深い。

 

 だというのにどこか純粋で浮世離れしている。

 裏側の念に触れながらその全てを拒絶し染まらない。

 それは希少な資質だが、見方を変えれば完全に順応できていないということ。

 

 人と深く付き合えないのは己の世界を誰かに浸食されることに耐えられないからだと綾理は分析している。

 他者を招き入れて自分を保てるだけの自我が定まっていないのではないかと。

 

 彼女は大人ぶってはいるが本質はどこまでも子供なのだ、子供が故の純粋さ。

 

 「否、子供ではないな。あれは、おそらく……」

 

 綾理が自らの思考をまとめて言葉を紡ごうとする、それを遮るように世界に幕が下りた。

 綾理は顔を跳ね上げる、目を見開いて周囲を見渡す。

 

 不自然に人影がないのはいい、時間帯としてはそういうこともあるだろう。

 しかしあらゆる生物の気配まで完全に消え失せたかのような、この周囲一帯が世界の認識から弾かれたかのような異質感。

 

 「認識逸らしの結界か何かかの、随分と派手にやりおる」

 

 その呟きが終わるかどうかのタイミング。

 

 言葉の、思考の、意識の隙間を縫うように、影から鈍い銀の光がアヤリに吸い込まれるようにして走る。

 

 それが到達する刹那、上空から降ってきた人影がそれを手刀で弾き飛ばすと同時に着地した。

 それは女性の姿を模っていた、肩にかかる程度の黒髪に身につけているのは光を吸い込むような黒い光沢を持つボディスーツだけ。

 それは手に持っていた大きなトランクを綾理の足元にそっと置いて建物の隙間、光の届かぬ闇の奥へと無機質な目を向ける。

 

 「出てまいれ。それとも行ってよいのか?」

 

 綾理の言葉に呼応して染み出るように人影が姿を現す。

 目を閉ざしたシャープな印象を与える全身黒づくめの男。

 

 「……何すかそれ?人形師とは聞いてましたが独特なセンスっすね。その造形とか服装とか趣味っすか?」

 

 興味もなさそうな声で綾理をかばうように立ちふさがるそれを見て、義務的な平坦さで問いを発した。

 

 「なんじゃ藪から棒に。こやつは身の回りの世話も含めて儂に侍る人形の一体よ。これが男形だったりしてみよ、そっちの方が背徳的じゃろうが」

 

 確かにと、どうでもよさそうに男は頷く。なんて中身のない会話だろう。

 

 「服装に関しても余計なお世話じゃ、意味がないから着せてないだけよ。それで、何用じゃ?そんなつまらん問答をするために来たわけではあるまい」

 

 男は読ませない表情でぼうっと突っ立っているだけ、何を話すべきか考えているようにも見えれば何も考えてないようにも見える。

 いよいよもって綾理は怪訝な顔を浮かべるも、とりあえずフェリシアが来るまで事態を硬直させておこうと姿勢を正し。

 

 背後で爆発音が響く。

 

 思わず振り向いてしまう、空中で赤い光が広がり何かが離れたところに落ちていくのを見た。

 それがどれだけ迂闊なことか即座に理解し視線を戻せばすでに男はすぐ傍まで迫っている。

 

 足音もなく地を這うように接近し、手に持った飾り気のない両刃のダガーを構え。

 迎撃した人形の正拳を難なく躱すとダガーを投擲した。

 弾こうとした人形の動きを男は的確に阻害する、明らかにプロの戦闘職の動き。

 

 人形の脇を抜いて放たれたそれは寸分たがわず足の甲を貫き綾理はその場に崩れ落ちる。

 

 痛みに顔をしかめるもそれは一瞬、次点の動きに淀みはなく両の指から魔糸が伸びてトランクの蓋を跳ね上げた。

 飛び出したのは六腕の戦闘人形、綾理の背後に降り立ったそれは四腕で綾理を包み込み残りの腕が迎撃用に広がる。

 

 綾理を狙うのはもう無理だろうと判断したのか、顔の向きを目の前の女性型人形に固定した。

 

 格闘の心得があるのか、人形に心得というのもおかしな話だが正眼に構えたそれにはみじんの隙もない。

 対して、男はどこまでも自然体にだらりと両腕を下げてゆらゆらと左右に揺れている。

 

 人形は綾理の守りを完全に手放して相手を殲滅するだけの機能を全開にする。

 アスファルトを抉る勢いの一歩は即座に男との距離を潰した。

 

 風切り音を響かせる左拳の一撃を男は無駄のない動きで避ける、予備動作がほとんどなく把握しづらい動き。

 薄皮をかすらせるような紙一重の回避は人形の人外の動きを完全に捉えている証拠だろう。

 

 それが異様だった、先ほどからこの男は一度も目を開いていない。

 見てないのに見えている、この男には別の視界が存在するのか。

 

 それを確かめる意味も込めて、人形の腕が肩関節と肘関節を軸に倍ほどに延びた。

 人体の可動域をやすやすと飛び越えてあり得ない曲がり方をして背中を狙う。

 

 それを、男は振り返ることもなく左腕のダガーで受け流し完璧に弾いて見せた。

 

 その一連の流れを見ていた綾理は思わず顔をしかめる。

 男は見えないものを見ている、人体とは別の何らかの感覚で世界を捉えているのは間違いない。

 

 それが何かは綾理の観察眼をもってしてもわからない、しかし無意識に捉えている何かがあった。

 目の前の男から発せられる言葉にならないその違和感がたまらなく気持ち悪い。

 

 「……お主、何じゃそれは?どうなっておる?本当に、お主はお主か?」

 

 男は何も答えない、人形と一定の距離を取りただ突っ立っているように見せるだけ。

 

 綾理は男から視線を外さないまま、着物の裾を破り足首に巻いて圧迫し、ダガーを抜いて投げ捨てる。

 

 「悪いのフェリシア。助けにはいけそうもない、むしろ助けてほしいぐらいじゃな」

 

 呟いて苦笑する、どうやら自分も随分とあの二人に毒されたようだと綾理は息を吐いた。

 であれば、何とかこの場を凌いで文句でも言ってやらねばと思考を冷徹に落とす。

 

 「――千切」

 

 綾理が人形――千切(ちぎり)の名前を呼ぶのと同時、前腕と腓骨付近から人工皮膚を突き破って刃が飛び出した。

 

 「……なるほど、それは確かに服を着せても意味ないっすね」

 

 男の平坦な声が響く、人形技師と人形のような暗殺者の対面は続く。

 

 

 同時刻、三階建てのアパートの屋上から游里は空を見上げていた。

 

 「さて、どうかな」

 

 自らがぶち上げた宣戦布告代わりの赤い花火はお気に召しただろうかと目を細め、即座に緊張を高める。

 落下したと思ったが違う、魔法使いは何事もないかのように箒に腰かけたまま。

 あれはただ高度を下げただけだ。

 

 「おいおい、まさか無傷か?」

 

 完璧なタイミングで隙をついたと思ったが完全に防がれたらしい。

 否、それだけではない。

 

 まだ百メートルほど距離があるはずだが、魔法使いは確かにこちらを捉えていると確信できた。

 

 「やばっ!」

 

 游里は即座に屋上から飛び降りる、一瞬遅れて立っていた場所を不可視の弾丸が抉った。

 おそらくは風属性の魔法だろう。

 

 ベランダに腕をひっかけて勢いを殺しながら一気に地上まで降りるとそのまま駆け出す。

 目指すは事前にあたりをつけていた河川敷、広くて障害物もなく動きやすい。

 

 ばか真面目に戦うタイプでもないが今回ばかりは正面から相対しなければ意味がない。

 ベッドタウンのごちゃごちゃした視界が開けそのまま土手を下って振り返る。

 

 視線の先にはすでに魔法使いが浮遊していた、半月を背後に背負って冷たい瞳でこちらを見下ろしている。

 距離にして十五メートルほど開けて降り立った。

 

 「……さて、それで、どう死にたいのかしら?」 

 

 それはこれから潰される羽虫に向けるかのような無慈悲な声音だった。

 

 「悪いがまだ死ぬ気はない。そんなに怒らないでくれよお嬢ちゃん。夜空に浮かぶ君があまりにも面白くて思わずダンスに誘いたくなっただけなんだ」

 

 魔法使いはどこまでも冷酷に、無表情のままこちらをじっと見つめるだけ。

 游里は肩をすくめるとロングコートをめくりショルダーホルスターから拳銃を引き抜いた。

 

 「いい銃だろう?六十年代製のロイヤルブルーの六インチモデル。今年、生産中止になるってんでさ。もう何丁か持ってたのにまた買っちゃったんだよな。おかげで素寒貧寸前だったんだよ」

 

 游里は銃口を魔法使いへと向けた、自分でもどうかと思うほどに獰猛な笑みが刻まれているのがわかる。

 トリガーハッピーでもないと思うのだが戦いとなればテンションは上げた方が得だとは思っている。

 

 向かい合う魔法使いはどこまでも揺らがない。まるでダイアモンドのように光り輝く不変。

 戦いは楽しみではなく義務であるのだろう、それはそれでありだ。

 無表情のまま箒を地面に落として杖だけがその手に残った。

 

 空気が張り詰めていく、緊張で心臓の鼓動が爆音を響かせる。

 実を言えばこれまで魔法使いと戦ったことはないのだ。

 

 これが初経験、指一本動かせば即座に戦端は開かれるだろう。

 

 (さて、どれほどのものか見せてもらおうか魔法使い!)

 

 自らの高揚に逆らうことなく引き金を引いた、飛び出したのは銃弾ではなく赤銅色の魔弾。

 銃を媒介に魔力に形を持たせて銃弾のように打ち出す游里の基本技能。

 実際の銃弾ほど威力もなければ速度も出ないが魔力が続く限り弾切れはなく、証拠も残らない便利な技。

 

 高速で飛来するそれを、魔法使いは杖の一振りで難なく弾き飛ばした。

 先端には緑色の魔法陣がすでに装填されている、風の弾丸で打ち消したのだ。

 

 狂笑を装いながらも游里の頬に冷や汗が伝う。

 明らかに魔弾が射出されてから杖を振ったのに正面から防がれた。

 魔法陣の装填から発動までの速さが尋常ではなく早い。

 

 魔弾は魔力に形を与えるだけという簡易なものであるが故に発動の速さが最大の利点。

 銃を媒介にすることで速度も威力もそれなりに出ているはずなのにそれでも後手で完璧に封殺された。

 

 「あっははははは!化け物かお前!」

 

 游里は魔法使いを軸に円を描くように走りながら魔導管をひたすら循環させ連続で魔弾を射出し続ける。

 あまりに高速の酷使に血管がはじけ飛ぶような激痛が走る、概念的なものであるが故にそれは錯覚。

 幻肢痛のようなものだが全身が熱を帯び悲鳴をあげる。

 

 それでも游里は止まらない、狂ったように笑いか叫びか判別つかない雄たけびを上げながらテンションを振り切らせて痛みを飛ばす。

 

 そんな必死の連射を魔法使いは杖をバトンのように回転させ事も無げに一つ一つ丁寧に弾いていく。

 

 じっとこちらを観察していた魔法使いはふと、杖を振り回すのをやめた。

 放たれた魔弾がその体に次々と着弾していくも平然と立っている。

 微動だにせず冷たい視線をこちらに向けるだけ。

 

 游里は息を乱しながら力なく笑うしかなかった。

 

 魔法使いはそもそも影幻界に属する、人間とは、魔術師とは別種の理に生きる者達。

 その存在は影幻界特有の不確定の揺らぎに常に埋没している。

 それはつまり不定形の力は魔法使いに対し効果を及ぼしづらいことを意味した。

 

 それなりの魔力を込めて銃という明確な媒介を利用して打ち出しはした。

 それでも魔弾の本質はただの魔力であり無形の力に過ぎない。

 この魔法使いには通用しない、特質に阻まれおまけに魔力量に差がありすぎる。

 

 内包する魔力が外からくる別の魔力の影響を阻害しているのだ。

 ただそこに存在するだけで大抵の魔力的影響を軽減、あるいは弾いてしまう格の差。

 

 魔法というステージにおいて自分とこの魔法使いには圧倒的な断絶があると認めざるを得ない。

 正面からやり合って勝てる相手ではない、魔法使いもこちらの出力と魔弾の性質を完全に見切ったのだろう。

 

 もはや防ぐ必要もないと確信された。

 

 「――風よ」

 

 はじめて紡がれた端的な詠唱はこれまでとは比較にならない巨大な翡翠の魔法陣を空に刻み込む。

 瞬間的に込められた魔力は游里の魔弾二十発分に相当し、さらに際限なく引き上がっていく。

 

 だが、それ以上に游里の気を引いたのはその異質なあり方だった。

 

 そも魔法とは万能を目指すものではなく唯一無二の自我を押し付ける苦行だ。

 

 我が虚妄は真実であると高らかに宣告し、それを現実と化すためにあらゆる術を模索する。

 形を生み、音を奏で、香りをそよがせ、刺激を鳴らし、感触を紐解き、理屈をこねあげ、概念に至る。

 

 現実にあるものでは届かない真理に至るために、知性と幻想でもってこの世界にはない何かを目指すもの。

 そして、魔法使いは世界への認識を広げ続け、いずれ至る時を確信することこそ使命だと游里は聞いていた。

 

 (まあ、何に至るかは知らないけどな!)

 

 だが、あの女は違う。どこまでも広く、深く、方向性が見当たらない。

 西洋の魔法陣をベースにルーン文字を混ぜ込み、日本語による詠唱で性質や威力を調整する。

 

 様々な要素が入り混じってごちゃまぜだ。

 

 魔法の使用、すなわち世界への詐欺を行うなら一つの体系的な概念を取り入れた方がやりやすいというのに方向性がまるで皆無。

 

 否、ただ一つだけあるのだろう。

 それは一人である嘆き、孤独であるという誇り、交わらぬという隔絶。

 

 游里は理解した。

 

 あの女はただ一人であるために、ただ一人であることを正当化するために自らに万能を押し付ける魔法使いなのだと。

 方向性は一つ、己に馴染むか否か、ただそれだけを追求した魔法機構。

 

 だからこそ、游里は舌打ちを一つ。

 こいつはダメだと早々に判断した。

 

 強い、が背を預けるには至らない。

 

 「まいった、降参する」

 

 游里は引き金から指を離してホールドアップ。

 見るべきものは見た、これ以上は無意味だと見切りをつけた。

 

 

 自立型人形の千切と男――朔の戦いは加速していく。

 

 人間を超えた膂力と人体構造を無視した挙動、組み込まれている格闘技術による人形の猛攻。

 単純なスペックにおいて千切は遥かに朔の上を行く、しかして攻めきれない。

 技術に加え接近戦における経験値が綾理や千切とは比較ならないのだろう。

 

 そして何よりその認識の広さがやはりおかしい。

 相変わらず目は閉じたまま、しかし三百六十度見えているかのようにあらゆる奇抜な動きに対応される。

 

 しかし、それでも時間が経つごとに追い詰められているのは朔の方だった。

 元々、暗殺者として活動してきた朔は本来、一撃必殺で相手を仕留めるタイプ。

 こうして人前に出てきて戦うのは本来のスタイルではない。

 

 千切の四肢が、刃が徐々に朔の体に傷を刻んでいく。

 皮膚を破り、筋を裂き、肉を抉っていく。

 全く顔には出ない、呼吸すら乱れるそぶりを見せないのは見事というほかない。

 

 だが動きに嘘はつけない、スピードも徐々に落ちていく。

 そして、均衡は唐突に破れた。

 

 見えてはいるのだろうがそれに体が追い付いていない。

 千切の刃を弾いた刹那、完全に態勢を崩した。

 

 返す刃で左腕を斬り飛ばそうと迫った動きに朔は無防備に体を晒すことしかできない。

 

 その直前、千切は完全に動きを止めた。

 

 その一瞬で体制を立て直しバックステップで距離を取った朔は相変わらず平坦な表情を綾里に向ける。

 

 「……何のつもりっすか」

 

 表情と同じでどこまでも平坦な声音、しかしてほんの少しばかり戸惑いか、あるいは呆れのような色を帯びた。

 綾理は意地の悪そうな笑みを浮かべてしてやったりとでも言うようにやんわり頷く。

 

 「何、やる気のない相手を嬲り殺すほど血には飢えてないだけよ」

 

 もし、こちらを殺すつもりなら初手で終わっていた。

 投擲されたダガーに毒でも塗っておけば今頃、綾理は気持ちよくこの世から解脱してただろう。

 

 朔が暗殺を生業とする者であることはその動きから綾理も感づいていた。

 それでも、敢えて姿を晒し続けて千切と正面から切り結ぶのはなぜか。

 

 「お主の役割は時間稼ぎじゃな、少なくとも儂を殺すつもりなど端からないのであろう?」

 

 朔は何も答えない、ただ無機質な顔でじっと面を向けるだけ。

 綾理は呆れたようにため息をつき己の顔から温度を奪った。

 

 「一つだけ聞かせい。お主らの目的が儂ではなく魔法使いの何かにあることはわかる。殺す気か?もしそうであれば、今すぐお主を殺して儂は行くぞ」

 

 それがはったりではないことを朔は理解していた。

 戦闘の最中、別の存在が朔の認識網にかかっている。

 少し離れたところに二体、人払いがかかっているこの一帯に普通の人間が入り込む余地はない。

 間違いなく綾理の人形だろう。

 

 逃走も継戦も死路。朔は静かにダガーを収めた。

 

 「うちのご主人が魔法使い、フェリシアさんでいいんすよね?可能であれば組みたいらしいっす。だけどまずは品定めをするとかいって喧嘩を売りにいったんすよ」

 

 それまで無表情だった朔の眉尻が微かに下がる

 

 「今更っすけど、すみません」

 

 その言葉には薄いながらも間違いなくばつの悪さが滲んでいた。

 綾理はこの男にこんな声を出させるご主人とやらに思いをはせて唇を歪める。

 よほど破天荒な者であるのだろう。

 

 「やれやれ、お主も相当、大変なようじゃな」

 

 自分を覆うように立っていた絡繰り人形をトランクの中に戻す。

 千切も刃を収めて綾理の傍に飛び退ると足に簡単に止血を施し、立ち上がれないその体に腕を回し抱きかかえた。

 

 「……いいんすか?それに信じるんすか?」

 

 「よい。少なくとも儂にはお主にも、お主のご主人とやらにも恨みも何もない。それに信じるとも、お主は読みづらいが、読める部分はどこまでも読みやすいゆえな」

 

 この男はフェリシアとは別の意味で淀みがない。

 

 「殺す気もないのなら特に急ぐ意味もない。フェリシアがどう判断するかは知らぬが、儂の足のことはその全身の傷で手打ちにしてやろう。さあ、いきなり喧嘩を売られてあ奴がどんな顔をしているか拝みに行こうぞ」

 

 いたずらっ子ののように喉を鳴らす綾理の合図で千切はフェリシアの落ちた方向に歩き出す。

 朔もまたどこからか取り出した包帯で深めの傷だけを簡単に止血して、静かにその後に続いた。

 

 「ところで、フェリシアさんの心配とかしないんすか?」

 

 「心配されるほどあ奴はか弱い女ではないからな。仮にじゃがお主のご主人がフェリシアを追い詰めるほどであるならば、今の儂がいようといまいとおんなじよ。そういうお主こそ主人一人で送り出してよかったのか?それともまだ仲間でもいるのかの?」

 

 「一人っすよ。まあ、あの人の悪運と生き汚さだけは信用してますんで」

 

 先まで殺し合いをしていたとは思えないほど二人は軽妙に言葉を交わすのだった。

 

 

 手を挙げた游里を見て空に刻まれた魔法陣が霧散する。

 それに内心、もう一度舌打ちした。

 

 ここ数日、游里は遠目からフェリシアとその周囲の人間を監視していた。

 一般人らしき男の家に上がり込み、形代の娘と共いる時間の長さを見ている。

 そして今回の戦闘でこの魔法使いが孤独である己の主観世界を表側に押し付ける存在であることは知れた。

 

 であれば甘すぎる、孤独を正当化し全てを拒絶する在り方を見せながら容易に相手を招き入れるような行動を取る。

 いきなり現れて攻撃を仕掛けるような目的不明の相手にまで消極的な態度をみせたのはいただけない。

 

 どのような論理をこねたのか知らないがここまでされたなら殺すべきだ、いやまあ本当に殺されるとそれはそれで困るのだが。

 とは言え游里にはこの場を収める術があり、いざとなれば逃走するだけならいかようにもなる。

 

 だから殺しにきてもよかった、むしろその方が滾るのに。

 

 「随分あっさりこちらを信じるんだな」

 

 游里は内心の失望はおくびにも出さずいつものように笑って魔法使い――フェリシア・アールグレンを眺めた。

 

 「……別に信じたわけじゃない。ただ、あなたは最初から全力じゃなかった」

 

 フェリシアは指にかかったリボルバーを指さす。

 

 「それ、実弾が入っているでしょう?実際に打ち込んだほうが魔弾の威力も上がったはず。あるいは直接、銃弾を撃ち込まれた方がむしろ対処に困る。表側の技術と魔法は相性が悪い。本気でこちらを殺す気ならあなたには他にいくらでも手段があったはず、なのに最初から最後まで魔弾にこだわった」

 

 (ああ、その通り)

 

 このコルト・パイソンはシングルアクションにわざわざ改造した特注品。

 魔弾と実弾を自由に切り替えられるように調整したものだ。

 

 それを知ってか知らずか、フェリシアは無機質な表情を解いて呆れたような顔を見せる。

 

 「あなたの動き、魔力の流れ、練り方、その全てが戦闘慣れした魔術師であることを示している。でありながらただ魔弾を射出するだけの単純な行動に終始する馬鹿みたいな意図。戦いが目的じゃないでしょう?私に何の用があるの?」

 

 游里は目を細めた、自らの瞳に宿る軽蔑の色を悟られぬように。

 

 (鋭い観察眼、完璧な論理。だが、それだけに愚かだな魔法使い)

 

 影幻界で論理なんて高尚なものが意味を持たないことは魔法に精通していれば知っているはずだろうに。

 魔法使いでありながら人間的な思考回路を捨てきれていない。

 

 何であれ、フェリシアという魔法使いには裏側に染まりきる振り切りが足りない。

 こういうタイプはいざという時に自らの心に足を取られて泥沼に沈んでいく。

 

 とは言えその力は本物、精々役に立ってもらおうかと游里は完全に道具として扱う方向へと切り替えた。

 

 胸元から一枚の封筒を取り出し弾き飛ばす。

 フェリシアはそれを指先で挟み取り中から便箋を取り出して目を通した。

 

 内容を嚙み砕き腑に落として――突如として全てを凍てつかせるような殺気をまき散らす。

 

 先までの感情を伺わせない冷たい顔は明確な怒気、否、憎しみにすら届き得るような凄惨な歪み方を見せた。

 

 (何だおい、こういう顔もできるんじゃないか)

 

 游里は面白くなってきたと唇を湿らせる。

 

 「一月ほど前のことだ。西欧圏の魔法使いが矜持を曲げてまで里の外に出て黒の御旗に接触した。下部組織に所属する私の知り合いから話をもらってこうしてお前に会いに来たわけだ。サイレンサー、魔法使いの口を封じるための魔法使いであるお前に。それにしても、相当に信用がない。おまけに嫌われてるなお前」

 

 游里はどこか嘲るように、煽るように言葉を投げる。

 

 「仕事を託されたんだろう?だが、魔法使い共はお前が完遂できるとは全く思ってないらしい。戦力兼監視を雇うためにわざわざ里から出てくるなんてよっぽどだ。何をしたんだ?ん?」

 

 フェリシアは何も答えずにただ便箋を握りつぶした。

 

 (さあ、どうする?)

 

 激情のままに全てを拒絶するならそれはそれでいい、むしろそれがいい。

 だが、ここでその憎しみを収めるようなら救いようがない。

 

 たっぷり一分は感情を爆発させていただろうか。

 

 「……要件はわかった。勝手にすればいいでしょう、私から言うことは何もない」

 

 最終的にフェリシアはその全てを抑え、游里はそれを境に完全に興味を失った。

 

 「そうか。では、これからよろしく」

 

 游里は銃をホルスターに収めるとフェリシアから視線を逸らした。

 その先にはこちらにのんびり歩いてくる傷だらけの朔と女に抱きかかえられた綾理の姿。

 

 (あっちの方は見た感じましだな)

 

 足から血を滴らせながらどこか朗らかにすら見える雰囲気で朔と並んでいられる辺りどこか壊れている。

 だがそちらの方が頼もしい、噂に聞く形代の家がこの街にあったとは驚きだったが大きな収穫を得られそうだ。

 

 魔法使いは使い捨て、形代の娘とは縁を結んでおくのが吉と游里は方針を決めた。

 

 「それで、そっちの話し合いは終わったんすか?」

 

 土手に降りてきた朔は二人を見比べて声をかけた。

 

 「まあな、魔法使い様は好きになされよとおっしゃられたよ。なら、好きにさせてもらうさ」

 

 朔はその様子から游里の不機嫌さを見て取った。

 それになりに長い付き合い、何かしら不満があったのは明らか。

 

 「綾理、大丈夫なの?」

 

 対してすでにいつも通りに戻ったフェリシアは綾理の足を見て顔をしかめていた。

 

 「死ぬようなものではないが、落ち着いたところで洗浄と縫合はしたい。ここからだと屋敷に戻るより一真の家の方が近いか。迷惑になろうが一度、戻ろうかの」

 

 「おっと、なら私たちも連れて行ってもらえるかい?少し休みたくてね」

 

 游里は耳ざとく会話を聞きつけて無遠慮に声をかける。

 この二人が共に入り浸る一般人の学生、これから活動するうえでそっちにもマーキングしておきたいのだ。

 

 「……あなた、どれだけ厚顔無恥なの。そもそも今回の件は全てあなたの差し金でしょう、報復されても文句は言えないのよ。勝手にしろとは言ったけれど、歩調を合わせるつもりはない」

 

 思いのほか強い拒絶の態度に内心、面食らう。

 戦闘時、あるいは先の憎悪の時よりなお壁が厚い。

 

 拠点に招き入れるのに抵抗があるのはわかるが形代の娘をすでに招いている。

 そこまで反発するようなことではないと踏んでいたのだが。

 

 ここで引くという選択はない、何とかして懐に潜り込む必要がある。

 游里はどうやって崩そうかと思案して、思いもよらない角度から援護射撃があった。

 

 「まあそう言うな。儂としても詳しい話やいきさつを聞きたい。フェリシア、お主もまだ話していないことがあろう。儂にとっても無関係ではなくなったわけじゃし、そろそろ話してもらうぞ。それとも、また一人で抱え込んで一真を危険にさらす気か?」

 

 その一言がよほど応えたのか、フェリシアは唇を噛み締めて目を伏せた。

 綾理は游里と朔の方に視線を向ける。

 

 「お主らも、話せることは全て話せ。誤魔化すな、欺くな、少しでもその意図が透けて見えればどんな事情があろうと儂は容赦せぬ」

 

 先までの朗らかさから一転、どこまでも達観した底冷えするような声が耳朶を打つ。

 唐突に冷徹な思考に切り替わるその様を見て游里の心は跳ねまわった。

 

 (ああ、やっぱりこいつはいい)

 

 この幼さですでにどこか振り切れている。

 欠落している、だからこそ常人にはたどり着けない何かに至っているのだ。

 

 もし、成長したら果たしてどうなるのか。

 

 (考えただけでゾクゾクするじゃないか)

 

 何としてもお近づきになりたい、一緒にいれば絶対退屈しないと確信できる。

 それを抜きにしてもかの形代とつながりができればこれから先の活動の幅が広がる。

 

 「ああ、私が知っていることはすべて話す。とは言え、ほとんど知らないに等しいけどな。依頼主は何にも教えてくれなかったし。その依頼主は依頼主で魔法使いからは何も聞いてない。全て、そこのフェリシア嬢からお聞きしてくださいということだったよ」

 

 全員の視線がフェリシアに集中する。

 その心中でどんな葛藤が渦巻いているのか、最終的には小さく頷きさっさと踵を返してしまった。

 

 「やれやれ、わかりやすい奴じゃの。お主ら。この人払いは解いておくのじゃぞ」

 

 「心配するな、もうすぐ勝手に解けるさ」

 

 それだけ確認して二人と一体はフェリシアについて歩き出す。

 ベッドタウンを抜け、住宅街に入り、何の変哲もない一軒家に辿り着いた。

 

 游里はその家を何の気なしに見上げる。

 一応、場所だけは押さえていたしスコープ越しに観測もしていたのだが。

 

 こうして近くに来るとどこまでも普通だ、特に魔法的な防護もなければ認識阻害の要素もない。

 魔法使いの拠点としてはあり得ないほどの無防備さ。

 

 あるいはそれが逆に防護として機能するのかもしれない。

 何か守りを固めているはずという先入観を突いた天然の認識ずらし。

 

 守る隠すは逆にその一角を際立たせてしまう。

 実際、游里がここを見つけられたのもフェリシアの写真をもらっていたからで、地道にこの街を歩き回った成果だ。

 魔術的な探知で見つかったのは野良の魔術師ばかりでフェリシアの気配は一切引っかからなかった。

 

 個人としての隠形が完璧なら問題ないという判断なのだろう。

 一行は家の中に入る、内玄関の照明だけが出迎えた。

 

 「静かにしていなさい、騒いだら問答無用で叩き出すわよ」

 

 フェリシアが小声で、しかし限りなく不機嫌な声で牽制を放ってさっさとリビングへ。

 

 朔はどこか警戒するように玄関に立ち尽くす。

 

 「どうした、朔?」

 

 「……いえ、何でもないっす」

 

 何でもないという顔ではない、ここまで神経を張り詰めさせるのも珍しい。

 死を前にしても感動の薄い男だと游里は知っている。

 近年ましになってきたとはいえここまでわかりやすく何かを表情に載せたのは初めて見た。

 

 そんな空気にお構いなしに綾理は「お主は儂と来い」と人形に抱えられたまま朔を連れて洗面所へ直行。

 游里はまあいいかと、軽やかに上がりながらリビングに向かい遠慮なくソファにダイブした。

 

 ポケットから煙草を取り出して火をつけようとして横から延びた手に奪い取られる。

 手の中のそれを炎に巻いて灰も残さず消滅させ、ゴミを見るように見下ろすフェリシアの顔。

 游里は小さく鼻を鳴らしてソファに背を凭せ掛けると目を閉じた。

 

 壁時計の秒針の音だけが小さく空間を満たす。

 時刻はすでに深夜の二時を半分回ろうとしていた。

 

 それから二十分ほどで綾理と朔もリビングに入ってくる。

 傷の手当や血で汚れた服を軽く整えて全員が食卓を囲む。

 千切がお茶を汲んで四人の前に差し出した。

 

 「……さて、では誰から話す?」

 

 綾理が一向をぐるりと見回す。

 

 「そうだな、まず前提を整理しておこう。私と朔はとある魔法使いを狩るために、正確にはその手伝いだな。そこのフェリシア嬢に力を貸すためにこの街に来た」

 

 游里が口火を切った。

 

 「依頼主からはほとんど何も聞かされていない。ただ、破格の報酬の提示があって、それなりに縁もあったから受けたに過ぎない。事情を書き記した折衝用の手紙とフェリシア嬢の写真だけをポンと手渡されて送り出されたんだよ」

 

 やれやれと肩をすくめながら游里は宙を仰いだ。

 

 「詳しい内容は私たちもこれから聞くところだ」

 

 「これだけ大規模な人払いをかけて儂やフェリシアを襲撃したのは何の意図がある?」

 

 綾理は全てを見透かすように少し見開いた目を游里に向ける。

 

 「確認だよ。魔法使いという生物の確認、フェリシアという魔法使いの確認。組むのであれば力量や在り方を先に測るのは当然だろう?敵も魔法使いだしな。私だって無駄死にはしたくない、組むに値すると思えなければ問答無用でバックレるつもりだったさ」

 

 游里はつまらなそうにフェリシアに視線を投げた。

 

 「まあ、最低限、組むに値するとは認めたということだよ。私としては、むしろ君の方に興味があるがね。形代のお嬢さん」

 

 その視線を綾理に固定する。

 どこか熱っぽい、まるで意中の人間を絡めとるような艶やかな視線。

 

 綾理は嫌そうな顔をして顔を背けた。

 「可愛い奴だ」と游里は笑う、こういうところはまだ子供か。

 

 「お主らの事情は分かった。ならフェリシア、聞かせてもらおうか。そもそもお主がこの街に来たのは何かしらの魔法使いを討つためなのじゃな?」

 

 再び、全員の視線が集中する。

 

 フェリシアは大きく深呼吸をして、覚悟を決めたように表情を消した。

 

 口を開こうとして――二階から扉の開く音が響く。

 

 フェリシアの顔が一瞬で崩れた、まるで叱られた子供のように肩を落とす。

 朔の凪いだ雰囲気も変貌しリビングの扉に即座に顔を向けた。

 綾理はやれやれと首振りながらずずっとお茶を啜り話を中断する。

 

 水の流れる音が聞こえてペタペタと足音が降りてくる。

 そのまま廊下を通ってリビングの扉が開け放たれた。

 

 「やあ、お帰りフェリシア。見送りご苦労……様……?」

 

 視線が食卓についている四人と綾理に侍る際どい恰好をした人形を捉えて首をかしげる少年。

 

 フェリシアは即座に立ち上がると駆け寄っていく。

 

 「ごめんなさい、起こしちゃったかしら?」

 

 「いや、ちょっとお手洗いに起きただけだよ。それより、そちらの方たちは?綾理ちゃんも帰ったんじゃなかったの?」

 

 少年の素朴な疑問がリビングに響く。

 フェリシアは何と言ったものか必死で考えているのだろう、もごもごと言葉を探していた。

 

 そんな様子を游里はポカンとした、鳩が豆バズーカでも喰らったような顔をして眺めるしかない。

 

 「……あっれー?見誤ったか?」

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