一真はとりあえず自分の分のお茶を入れた、もう眠れるような心持ではない。
折りたたみ椅子を引っ張り出してきてフェリシアの横に座る。
まず真っ先に目が行くのはやはり綾理ちゃんの背後に侍る女性。
何と言うか、刺激的なお召し物を着て無表情に立っている。
「その、そちらの方は綾理ちゃんの知り合い?」
「うむ?ああ、これは人形じゃよ。儂の世話係兼護衛のな。アヤリのように自我はないから安心せい、暴走の危険はないぞ」
ああ、人形なのか。相変わらず、人に近しくてわかりづらい。
次に向かいに座る呆然としたように俯く見知らぬ女性と、斜め前に座るどこか顔色が悪い男性を順繰りに眺めて。
「えっと、とりあえず、お名前を聞いてもいいでしょうか?」
「ああ、そう言えば聞いてなかったわね」
「……名前も知らない人達を連れこんだの?」
さすがにそれはいかがなものだろう。
「いや、その、影幻界においては名前も立派な武器になれば弱点にもなるのよ。こっちから聞くのはマナー違反というか」
「じゃな、昔は真名屠りとかいう怪異が猛威を振るっておった時期もあるそうじゃぞ。名前を知られることはできるなら避けたい。影幻界の鉄則の一つじゃな」
綾理ちゃんはどこか目を泳がせているように見えるが至極真っ当なことを言った。
確かに、あの世界だと名前も立派な凶器になるのかもしれない。
「それは、すみません。軽率でした」
素直に頭を下げる。
女性はようやく心を取り戻したようにバッと顔を上げると極上の笑みを見せた。
「いや、いい。確かにここに来て名前を隠すのはフェアじゃないな。私は游里、流合 游里だ。こっちは私の従者というか召使というか、まあ使い魔みたいなもので朔と呼んでくれ」
朔さんは小さく礼をして相変わらず緊張したように体を固めているような気がする。
「それで、君の名前を聞いてもいいか?」
食い気味に体を乗り出しながらもの凄く楽しそうにグイグイ踏み込んでくる游里さん。
「ああ、はい。能 一真といいます。以後よろしく?」
「ああ、よろしく一真。ほら、握手しよう握手」
差し出された手を躊躇いがちに握ればブンブン上下に振ってくる游里さん。
これまでにあまり会ったことのないタイプ、ここまで急激に距離を詰めてくる人は記憶に少ない。
戸惑い気味にフェリシアや綾理ちゃんに視線を向ければ、二人は二人で何か気持ち悪いものを見るかのような微妙な顔をしていた。
上機嫌な游里さんは手を離すとお茶を一気飲みしてまた笑う。
何がそんなに面白いのかわからないがとりあえず話を進めた方がよいだろう。
「えっと、それで、何でお二人はここに?何かご用事でしょうか?」
「あん?ああ、そうそう。私たちはそこの魔法使いのお手伝いにな。これから話を聞くところだったんだ」
横にいるフェリシアが凄まじい形相で游里さんを睨んだような気がした。
それは一瞬のことだったが、少なくともかなり不機嫌というか敵対的なのは確かなようである。
だって、オーラがヤバい。
「……フェリシア、どういうこと?」
おそるおそる尋ねてみる。
「言葉通りの意味よ、そいつらは私の仕事ぶりを監視しに来た厄介者。もういいわ、わかった。一真、あなたにも聞いておいてほしいからそこにいて」
全身の力が抜けたかのように背もたれに体を預けてフェリシアはぐるりと視線を向けた。
「あなた達にも最後に言っておく。この話を聞いたらもう後戻りはできないと思っておいて。影幻界において、知ることの厄介さは今更語るまでもないでしょう。死にたくなければさっさと消えなさい」
「ほう?私たちには気を使うのに、一真には聞かせるのか?」
物騒な言葉に游里さんは茶化すような言葉を投げる。
「ええ、一真に関しては例外なの。むしろ知らないで好き勝手に動かれる方が危険なのよ」
はっきり断言するフェリシア、相変わらずストレートだが言い返せない。
ついでに、これが甘い意味ではないこともよくわかっている。
体質のことだ、認識的な影響は自分には意味を成さないらしい。
とは言えそのことを口には出さないように最近は気を使っている。
綾理ちゃんに独断で告げた時はもの凄い怒られた。
おまけに綾理ちゃんからも滾々と危険性を説かれた、そういう大事なことは秘めておけと。
この説教のおかげで遠慮とかが完全に解けたのは内緒だ、たぶんまた淡々と説教されるだろう。
そんなこと知る由もない游里さんはフェリシアと見比べて下世話な笑みを浮かべた。
「そうかそうか、例外か、そうか。ふふふふ」
本当にさっきから何が面白いのだろう、笑いっぱなしではないかこの人は。
フェリシアはいい加減、苛立ちが頂点を迎えそうなのか目を吊り上げる。
「何なのさっきからあなたは。それで聞くの?聞かないの?どっちなの!」
「わかった、悪かった。聞くよもちろん、朔もいいな?」
「……うっす。俺は游里さんに従うだけです」
最後に、綾理ちゃんを見る。
「あなたも、帰るなら今のうちよ。そこらの野良の魔術師との小競り合い程度じゃすまなくなる。あなたは厳密に言えば魔術師ですらないでしょう。しばらく、私たちとの関係を断って身を隠すのも手よ」
「ふん、馬鹿を言うな。ここでのお茶の時間が無くなったらどこですとれすを発散すればよいのじゃ。それに、世間知らずの魔法使いと一般人に毛が生えた程度の唐変木二人を放っておけるか。何か大ぽかやらかさないかと思うと気もそぞろで夜も眠れんわ」
言い方はあれだが心配してくれているのだろう。
フェリシアもそれはわかっているのかもう一度、深くため息をついて。
目を閉じ、開いた時には全ての感情が凍り付いたかのように冷めた表情を見せた。
「なら、話しましょう。始まりは二年ほど前。北欧圏のとある魔法使いの里で事件が起きた」
「魔法使いの里って?」
始まってすぐに話の腰を折って本当に悪いのだがそこからわからない。
「……文字通りの意味よ。魔法使いだけが住むこと許される隠里。元々、魔法使いは表側はおろか影幻界にすら干渉することは少ないの。ひたすらに魔法を研究するだけの者が大半。研究に必要だと思えば出ることもあるけれど、一生を里の中で過ごす者も多い。使うために研鑽する魔術師とは違うの、研究することそのものが目的なのよ」
「はあ。でも、前に歓楽街で悪さしてた魔法使いがいたよね?」
はじめて自分の意志でフェリシアと戦おうと決めた、影幻界で命の軽さを知ったあの夜は今でも鮮明に覚えている。
「あれは例外。人間社会にだって溶け込めずに道を外れるような人が少なからずいるでしょう。それと同じ、閉鎖的な魔法使いのしきたりや生き方に反発する者もいる。特に現代において人間の手は世界中にあまねく届くようになった。未開という概念はもはや薄く、認識の一幕に隔たれた先で多様なあり方を示す人々に憧れる魔法使いも少なくない」
フェリシアは力のない笑みを浮かべた。
「道を外れて魔法を己の我欲や妄執のために振るう、そしてついには表側に漏洩させるような魔法使いが出てくる。そういう魔法使いを狩るための魔法使いを
誇ることも義務感すらもなく、その声音はどこまでも汚いものを嘲るような響きを帯びていた。
魔法使いでありながら魔法使いを狩らなければならない、同族を手にかけなければならない。
それは、どれほどに重いことのなのだろう。
ようやく彼女が背負っていたものの一端をはっきり知れたと思う。
「わかった?」と聞いてくるフェリシアに頷く、これ以上このことについて語らせるのは忍びない。
「話を戻しましょう。その魔法使いの里には三百名あまりの魔法使いが住んでいた。特に排他的な里で外界との交流はほとんどなかった、里の中ですら繋がりがほぼない。ただただ己が信じる探求の道を歩む、ある意味で求道者ね。そういう魔法使いばかりが住まうところだった」
フェリシアはどこか遠くを見るように目線を上げて、その色を朧げに変えていく。
「魔法使いとしての血統を守り、影幻界の正体を探り、その起源を知ることだけを目指す一つの構造だった。冷たく、無機質で、無価値な場所。何も生み出さない、ただ認識を積み上げていくだけの檻。それはそれは窮屈で息の詰まる場所だったそうよ」
その何も映さないかのような空洞に突如として何かが揺らめいた気がした。
「そして二年前、その里は壊滅した。そこに住まう魔法使いの大半が一夜にしてこの世を去った。実行者はその里で神童とも、原初の再来とも呼ばれた一人の魔法使いだった」
フェリシアの顔が能面のように形を失う。
今ならはっきりわかる、あれは何かを耐えている顔だ。
「戦闘とは無縁の者も多かったけれど、一流以上の魔法使いは多かった。奇襲だった、なぜという驚愕もあったでしょう。だけど、そういうものを差し引いてもその魔法使いの力は突出していたのだそうよ」
一息に話し終えて、フェリシアは湯呑を手に取り喉を潤した。
「ここまでで、何か質問は?」
あろうはずもない、それがどういう意味を持つのかやはりよくわからない。
わかっているのはその魔法使いが三百近い魔法使いを皆殺しにしたということだけだ。
他の誰も何も言わなかった。
さっきまでうるさいほどだった游里さんは腕を組んで目を閉じずっと押し黙っている。
綾理ちゃんはただ静かに、難しい顔をしていた。
朔さんだけは心ここにあらずという感じでよくわからない、ずっと目を閉じていることも一因だろう。
「その魔法使いはその後、北欧圏から西欧圏へと、そして世界各地に活動の場を移しながら混乱をまき散らしてきた。サイレンサーが差し向けられたのも私が初めてじゃないの。もう幾人も、その魔法使いを追っては返り討ちにされて、あるいはそれ以上に凄惨な目に合ったのでしょうね。人間の形を保ってないこともあれば、廃人になって送り返された者も多い」
その顔を嫌悪に歪ませてフェリシアは目を伏せた。
「それで、もう誰も追いたがらなくなって、ようやく私にお鉢が回ってきたってわけ」
「……その魔法使いってのは何者だ?わかっていることは他にあるのか?」
游里さんは顔を上げて真っすぐフェリシアを見た、それまでとは違うどこまでも冷徹な顔を見せる。
フェリシアは最後にもう一度だけ全員を見回した。
それはどこか哀れむような湿っぽさを帯びている。
「……わかっていることは少ない、知っていてもどうにもならないという方が正しいかしらね。単純に、火力という点で最強なの。現時点で、魔法を使用した火力において彼女を超える者はおそらく世界にいないでしょう。明確に正体がわかっている魔法使いという前提になるけれど。小手先の技術とか隠している切り札とかも当然あるでしょうけど、そんなの使うまでもなく正面に立てば消し炭必至よ」
彼女とフェリシアは明確に口にした。
その瞬間、皆の間に張り詰めた空気が落ちた。
「彼女の名はクリスティル。クリスティル・リンドクヴィスト。魔法使いの歴史上、最も多くの魔法使いを殺した大罪者にして、力という一点において最も頂きに近い女よ」
その名が告げられた瞬間、三人が心臓を抑えながら椅子を弾き飛ばすように体を起こした。
呼吸は荒く、顔色は一瞬で蒼白に変わり、滝のように汗が流れ始めている。
突然の行動に思わずフェリシアを見やる、予想通りとただ漫然と三人を眺めているだけだった。
「おいおい、マジか。感じたか形代」
「ああ、感じた。間違いなく見られたわ」
「だよな、はは!正体を知られたら普通は弱体化するものだろう?なのに、呪われたぞ。知った相手を逆に呪うなんてどんな存在構造してやがる。おい魔法使い、これはどういう呪いだ?」
游里さんは面白うそうに笑っているが、先までと違いどこか無理したように歪んでいる。
「心配しなくても命を脅かすようなものじゃない。ただ、知った相手のことを逆に知るというだけの呪い。知った深度に応じて相手の居場所を絞り込むためのものね」
「心配しかないだろう。自分を知った相手をいつでも把握できるってことじゃないか。それも、魔法使い三百を一夜で滅ぼすような怪物に常に捉えられてるってことだろ」
游里さんは椅子を起こすと投げ出すように体を沈めた。
「つまり、是が非でもそのクリスティルとやらを仕留めなくちゃならなくなったわけだ。一人じゃどうにかできる気がしないけどな」
背もたれに腕を回して天井を仰ぐ。
「フェリシア、そんな代償があるならもっとはっきり教えてあげればよかったんじゃないの?」
先まで底抜けに明るかった游里さんのあまりにも消沈した姿を見て思わずそんなことを尋ねてしまった。
「……そういうわけにもいかんのじゃろう」
答えたのは眉間に皺を寄せて立ち尽くしていた綾理ちゃんだった。
「呪いや能力についても、知れば知るほどに深まるものなのじゃろう?中途半端に知って、ただ接点を作る方がむしろ危険なのじゃよ。知るならとことんまで知って抗うか、全く知らずに距離を置くかしかなかった。儂らの選択じゃ、そう責めてやるな」
責める、そんなつもりはなかったが声音に出ていたのだろうか。
「ごめん、フェリシア。そんなつもりはないんだ」
「わかってるわ、当然の疑問だものね」
フェリシアは全て承知していると笑顔をみせてくれた。
「綾理の言った通り、知るということは関わるということなの。繋がりを持つということなのよ。これで、もうあなた達は引き返せない。呪いを抱いたまま生きていくか、呪いを解くためにクリスティルと戦うか。どちらにせよ茨の道ね」
誰が零したのか、小さなため息がリビングに反響する。
新しい何かが忍び寄ってきたことを否が応でも自覚させた。
「さて、一蓮托生になったところで私から聞きたいことがあるわ。流合、あなた何でこの街に魔術師が集まってるか知らない?」
そう言えば、自分たちにとって喫緊の問題はそれだったか。
いつの間にか最強の魔法使いだ何だという話になって頭から抜けていた。
「……いや、知らないな。増えてるのか?」
「増えてるわね。私がこの街に来て二か月と少しだけれど、軽く二桁人は叩いたわよ」
「なんだそりゃ。お前も大概、化け物だわやっぱ」
游里さんは苦笑して目をもみほぐすように指をあてた。
「確証はないが、そのクリスティルとかいう魔法使いに関係してるんじゃないか?お前がこの街に来たのは、この付近にそいつの痕跡なりを見つけたからだろ?二年間、姿を隠し追手を返り討ちにしながら世界を放浪していた魔法使いが突然、おびき出すような痕跡を見せた。お前が優秀なのはわかるがそれでもおかしい。ましてそいつは己を知った相手の場所を探れるわけだしな。何らかの理由でこの近辺に魔法使いや魔術師を集めていると考えるべきだろう」
「やっぱり、そうなるわよね」
フェリシアはこれも予想通りだと頬杖をついた。
知らないように見せていただけで、魔術師の増加についてはクリスティルとやらが関係していることに思い至っていたのだろう。
「まあ、それも含めて私が調べといてやる。こう見えてもそれなりに顔は広いんでな。とりあえずこの近辺の情報収集から始めるとするさ」
游里さんは勢いよく立ち上がる、その顔にもうしおらしい色はない。
完全に開き直ったのか不敵な笑みを浮かべていた。
「まだ隠してることもありそうだが、それは別にいい。今回の仕事とは直接、関係ないだろうしな。それより、改めて契約といこう。魔法使い、いや、フェリシア。お前と正式に手を組みたい。クリスティルを狩るまでの共同戦線だ」
フェリシアはお嬢様みたく優雅に微笑んだ、こちらから見ると意地悪い笑みにしか見えないが。
「あら?あなたはどうせ失敗する私を監視するために来たのでしょう?そんな役立たずの力を借りたいのかしら?」
游里さんの頬が引きつる。
先ほどからどうもこの人にとげとげしい。
自分の知らないところで何かあったのか。
「……わかった、謝る。力を貸してくれ」
「ふん、いいわ。私もあなたの顔の広さとやらは欲しい、期待しましょう。とは言え、基本的に自分の身は自分で守りなさいよ」
「ああ」と游里さんは頷く。
「なら、儂は場所を提供しようかの。游里に朔、お主らは家に来い。フェリシアも、何か設備が必要になれば儂の屋敷を使うと良いぞ。一真、遅くまで迷惑をかけたな」
時計を見ると時刻はすでに四時を回ろうとしていた。
「これからしばらくはバタバタしそうじゃが、お主は元々、こちら側の人間ではない。今回ばかりはあまり深追いするでないぞ」
それだけ言い残して、綾理ちゃんは二人を連れて今度こそ帰路についた。
それを見送ってリビングに戻る。
待っていたフェリシアはどこか気まずそうにしていた。
「どうしたの?」
「いえ、その、本当にごめんなさい。いろいろ黙ってたこと、巻き込んでしまうこと。いえ、巻き込まれてはいないのよね。もし迷惑なら言ってくれれば、私はこの家から出ていくから。あなたは呪われてない、クリスティルに居場所を特定されることもないわ。私と接点を断てばまだ間に合うと思う」
なんだ、そんなことを気にしていたのか。
「フェリシアが綾理ちゃんとか游里さん達と一緒にいた方がいいと思うなら、綾理ちゃんの屋敷に行くのがいい。だけど、僕に迷惑だからとかなら気にしなくていいよ。前にも言ったじゃないか、迷惑だなんだで僕は友達を放り出したりしないよ」
「……そうね、そう言うでしょうね。だけど、だからこそ怖い。甘えてしまう。今度ばかりは本当に危険な相手なの、勝てる算段なんてないのよ。万全の状態でも、誰と組んでも。私はあの人には届かないかもしれない」
あの人、やっぱりと言うべきかフェリシアはきっと、クリスティルという魔法使いのことを知っているのだ。
力がどうとかそういうことではなくて、もっと別の角度から。
それはきっと話したくない、あるいは話せない心の傷なのだろう。
戦い云々以前に、フェリシアはその人と出会いたくないのかもしれない。
「それでも、僕は君の友達であり続けるよ」
そう、それだけはもう淀むことなくはっきり言えるのだ。
沈黙が降りる、近づいたからこそまた新しい断絶が見えて。
だけど、それでも真正面から向き合おう。
それだけが自分にできることなのだから。
◇
形代の屋敷、用意された一室。
襖を開ければ庭越しに空を眺めることができる雅な一室だった。
游里は煙草をふかしながら静かに目を閉じて今日の出来事を反芻する。
クリスティル、はじめての魔法使い狩りの対象がまさかここまでの化け物とはつくづく運がない。
いや、むしろ良いのかもしれない。
こんなに面白いことも他にないだろう。
共に死地に赴くともがらは浮世からズレた人形技師にどこか危うさの残る魔法使い。
「ま、人生、何があっても楽しまないと損だからな」
どう転ぶかわからないが最後まで己の全てをかければいい。
「それにしても、フェリシア。まさか、人に焦がれる魔法使いだったとはね」
あの魔法機構、自らだけを中心に据えるどこまでも断絶した在り方。
孤独を正当化する、孤独こそが我が答えとでも宣言しそうなほどに余人が入り込む間の無い閉じた世界観。
だからこそ、失望していた。
孤独でありながらどこかそれを貫けない精神性を見くびっていた。
だが違った、あの魔法使いは本質的に誰かと供にありたいのだ。
ただ、それを叶えてくれる相手がこれまでいなかったのだろう。
それほどまでにフェリシアが身を置く環境は厳しく、周りに集う者達は脆かったのだ。
「だから、能 一真。お前が一番面白い」
あの魔法使いの世界観をどうやってこじ開けたかは知らないが、一つだけ言えることがある。
フェリシアは一真に敗北したのだ。
完璧を求めた世界観はより強く強固な世界観に打ち砕かれた。
その後に残ったのは影幻界の魔法使いではなく、日向の日常を求める一人の少女の顔。
「フェリシアはその少女としての自分を守り貫こうとしている。見誤ったのも当然、一真の傍でしかあの魔法使いの本質は語り得ない。本当に、どうやってあそこまで崩した。どれだけ意志を貫けばあの世界観をこじ開けられる?」
何であれ、楽しみが増えたことは確かだ。
煙草を灰皿に押し付けて寝転がる、反転した視点に朔が映った。
どうも一真の家からこっち、気が定まっていない。
「朔、どうした?何かあったか?」
朔は緩慢に顔をこちらに向けた。
「……遊里さん。あの家、能 一真って人がいたんすよね?」
「あん?そりゃ当然いたさ。お前も見ただろう?」
「いえ、見えませんでした。足音が聞こえるまで、リビングで声を発するまで。あの家の気配に全く気付きませんでした」
游里は跳ね起きた。
「……何だと?視界の異常か?今はどうだ?」
「問題なく機能してます。あの一真って人だけっす。まるで世界に黒い穴が開いたみたいに、あの人だけが欠落している」
朔は目を閉じたまま、一度だけ体を小さく震わせた。
「俺は……クリスティルって魔法使いの呪いより、一真って人のほうが恐ろしいっす。久しぶりに思い出したっすよ、見えない世界の在り方を。……一度、調整しないといけないっすね」
朔はそうぼやいて体を休めるために横になった。
游里は陽の上り始めた空を見上げる。
新しい一日、新しい世界が幕を開ける。
それはどうにも胸躍るが、一筋縄にいきそうもないのは確かなようだ。