次の日のこと、フェリシアは学校を休んで綾理ちゃんの家に朝から出かけてしまった。
夕食までに帰れないかもしれないから一人で食べていてほしいとのことである。
久方ぶりに一人きりの、いや、回との一日を迎えた。
『いやっほー!今日は一真と二人きりだね!』
いつも通り朝の素振りに精を出している横で回がクルクル飛び回りながらはしゃいでいる。
まあ、ここしばらく随分と我慢を強いたことだし今日ぐらいは良いだろう。
朝の準備を終えて家を出た。
『ねえねえ、今日の放課後、どこかに寄っていこうよ!私、チョコレートパフェとか食べたいなあ』
「そうだねえ、僕も食べたいよ。だけど、君は食べれないから意味なくない?」
『いいの!一真が食べてるところを見てその気になるから!』
周りに人がいないのを確認して、いつかしたようなやり取りを交わす。
あの時はまだ影幻界なんてものは知らなくて回は自分のイマジナリーフレンドだと思っていた。
木戸とかいう異能者を殴り飛ばして、フェリシアに会って、影幻界を知り。
世界の裏側の凄惨さを知り、アヤリが引き起こしたドッペルゲンガー事件に巻き込まれ。
そしてフェリシアと友達になったのだ。
未だに意味不明な回も空気のように傍にいる存在として受け入れてしまった。
短い間にいろいろあったなあと思い返していればいつの間にか人通りの多い通学路。
「それじゃあ、帰りにどっか寄って行こうか。どこかはまだわからないけど」
『うん、約束ね!』
回の返事を聞き入れて生徒会長として人の流れに溶け込んだ。
いつものように挨拶をして、少し雑談などをしながら学校へ向かう。
その間、回はずっとニコニコしながらこちらを眺めていた。
教室の自分の席につく、いつものなら隣にいるはずのフェリシアは今日はいない。
これまた昔に戻ったように普通に授業を受けて、昼休みは屋上でパンを齧りながら翔と他愛ない雑談に興じる。
放課後は生徒会室でいくつか雑務をこなして、部活動のない生徒の最終下校時刻である六時に学校を出た。
平和な一日が続く、認識を開いてから思うほど厄介ごとに巻き込まれることはそんなにない。
自分の体質を自覚してからはよくわからない霊やら精やらと出会うこともほとんどなかった。
こちらから厄介ごとに突っ込まない限りは世界は変わらず平穏であれるらしい。
『ねえねえ、どっか寄って行くんでしょ?』
回の呑気な声にしばし考える、あんまり遠出はできないが今日は我儘を聞くと決めたことだし約束もしたし。
どうしようかと歩きながら考えていると、ふと向かいの道端に止まっているラーメン屋の屋台を見つけた。
そう言えば、あの日はラーメン屋に寄ろうとして人喰い事件に巻き込まれたのだったか。
「回、ラーメン屋に寄って行こうか。とは言え君は食べれないけどいい?」
『うん!行こう行こう!一真が食べてるところ見てるから大丈夫!』
笑いながらふわふわと屋台に向けて流されるように飛んでいく。
一真は向こう側へ渡るために信号が変わるのを待ってゆっくり歩いた。
今日は何の異常を見つけることもなくて。
まだ少し早い時間帯だからか誰もいない屋台の暖簾を払って端っこの席に座る。
初老の大将に一つしかないメニューのラーメンを注文して作るところを漫然と眺めた。
ふと隣に視線をやれば席に座るように浮かびながら楽しそうに大将の手さばきを見つめる回の姿。
本当に、世界の全てが輝いていると感じているかのごとき無邪気な笑顔。
そんな在り方を見ていると怪しいかろうがなんだろうが思わず笑みが浮かぶ。
平時においてはただ鬱陶しいだけのイマジナリーフレンドだと思っていたのに、影幻界を知った後だとこういう明るさを時に尊く思う。
何とも言えず自分勝手だと思わなくもないが回はそれでもずっと傍にいてくれる。
なんだろう、これはもしかしたら、甘えというやつなのか。
子供っぽいとばかり思っていたが、実は自分の方が子供なのかもしれない。
そんなことを考えているうちに無言でラーメンがことりと目の前に置かれた。
背中で語る頑固おやじという感じの大将である、嫌いではない。
一真は割りばし立てから一本引き抜いてうまく真っ二つに割る。
『わあ、うまいうまい!それうまく割れないんだよねえ』
さすがにこんな程度のことを褒められても気恥ずかしいだけである。
何となく熱を持つ顔を湯気で隠しながら、手を合わせて口をつけた。
「うん、おいしい」
フェリシアの料理とはまた違った味わい。
そんなに気の利いた誉め言葉は出てこないからただ啜る。
夢中で啜る、わずか三分足らずで完食してしまった。
早食いとはよく言われるが今回ばかりは言い訳できない。
長居する理由もなくお金を払ってさっさと屋台を離れる。
寄り道と言うにはどこか淡白で味気ないが回は満足そうに浮かんでいた。
「あんなのでも楽しいの?」
家への道を歩きながら思わず尋ねてしまう。
「楽しいよ、一真と一緒なら何してても楽しい」
そんなことを臆面もなく言ってのける。
――私は一真が大好きなだけなの。あなただけが私の全てなの。
かつて、そんなことを言われたのを思い出す。
あの時は聞き返せなかったけれど。
「……ねえ、回。君は何で僕なんかを、その、好きでいてくれるの?」
自分で言ってて自意識過剰なように思える。
もしこれで特に好きじゃないとか言われたら嘲笑ものだ。
だけど、回は満面の笑顔で、どこまでも真っすぐに曇りのない瞳でこちらをのぞき込んだ。
「だって、一真は一真だから。いつでも一真でいてくれるから、私はあなたが大好きなんだ」
それは理由になっているのだろうか。
相変わらずよくわからないけれど、それを疑うことはもうできない。
「……そっか」
そんな気のない返事をしてやることしかできず。
だけど寒い夕闇の下で胸が温かくなるような何かを得た気がして。
その日は、そんなどこまでも平穏な一日だった。