そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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⑦-2

 部屋の中心に置かれた高価そうな長テーブルにダイニングチェア。

 テーブルを覆う白いリネンのテーブルクロスは自分が着ている服なんかより遥かに肌触りが良い。

 中央には燭台が置かれていてバケットバスケットが手の届く場所に置いてある。

 

 食堂もまた一般的なものとは違いどこか演出感があると一真は思う。

 別にさっきまでと屋敷の印象が変わったわけじゃない。

 ただ、自分の見方がズレたのだとわかっていた。

 

 ちらと上座の方に視線を向ければ孝道さんと恵子さん、そして透君が静かに食事をしているのが見える。

 透君のテーブルマナーはそういうのに疎い自分でも洗練されているように見えた。

 

 先までならそれをきちんと教育を受けられたと解釈できたのかもしれないけれど。

 こうしてみると確かに存在感が希薄だと思わずにはいられない。

 

 演出、作られた在り方、自我の無い器に注ぎ込まれた理想の息子――。

 

 一真は視線を切って目の前に置かれた食事に集中することにした。

 今は判断する時ではない、安易に決めつけるものではない。

 

 思考を切るために名前もわからない、綺麗に盛り付けられたそれを口に運ぶ。

 おいしいのだろうが今の自分には味わう余地がなかった。

 いくら外そうとしても意識は相変わらず透君に向きっぱなしだ。

 

 気づかれないように小さくため息をつき今度は向かいに視線を向ける。

 そこでは游里さんがマナーなど知ったことかとパンや肉を口に放り込み続けている。

 見方によっては能天気とも取れるその姿に内心でもう一度、大きくため息をつく。

 

 それに倣って少し急ぎ気味に料理を胃に流し込んで、最後に水を一杯飲んで立ち上がった。

 

 「孝道さん、ごちそうさまでした。それと申し訳ありません、急ですが児童養護施設の方に顔を出してみたいので場所を教えてもらってもいいですか?」

 

 失礼だとは思うのだが今はこの屋敷から離れたかった。

 透君のことなども含め落ち着いて考え判断する時間が欲しい。

 孝道さんは気分を害する素振りもなく微笑んだままだ。

 

 「ええ、もちろん。屋敷の前にある道を駅とは反対の方にまっすぐ歩くだけですので、迷うことなく行けると思います。五分もあれば着くでしょう、施設名は恩寵の園です」

 

 「ありがとうございます」と頭を下げて最後に游里さんに目くばせ。

 横目でちらりとこちらを見て小さく頷くのを見届けて一真は屋敷を後にした。

 

 木立の道を抜け出て来た道とは反対方向に歩いていく。

 空気がいい、上を見上げれば中天に浮かぶ太陽が遮るものもなく照り付けているのを感じられる。

 

 ごちゃごちゃした町並みよりはこういう何もないところの方が好きだった。

 さざめいていた心も凪いでいく。

 

 頭を切り替えてやるべきことを考えようと情報を整理してみる。

 

 黒須夫妻、あるいは透君を狙う何者かがいる可能性が高い。

 その者は孝道さんの関係者を狙いながら少しずつこちらに近づいていると見るべきだろう。

 

 だが、游里さんはそう単純ではないと考えている。

 黒須夫妻は何かを隠している、あるいは自分たちが狙われる理由に完全に心当たりがあると。

 

 何が目的で仄暗い側面を見せてまでわざわざ護衛を招き入れたのか、そして本当に隠している何かがあるのか。

 その判断材料となる何かを透君の元居た児童養護施設で探ってみるのが自分の役目。

 

 正直、こういう裏側の殺伐とした腹の探り合いは得意ではないし気乗りもしないのだが。

 透君のためと思って何とかやってみようと気を引き締めた。

 

 『ふんふんふふん~』

 

 こちらの内心もつゆ知らず回は調子はずれの鼻歌を響かせながらどこかご機嫌である。

 子供たちに交じってはしゃぐのが楽しみなのだろう、いつもボランティアしている施設でも一番子供みたいに飛び回っていることだし。

 

 のほほんとした雰囲気に完全に心は落ち着いた。

 とりあえずできることをやろうと覚悟を決める。

 

 丁度よく施設も見えてきた、児童養護施設としてはどこかこじんまりした建物に土地の広さを活かした広々とした園庭が見える。

 正門に埋め込まれた銘板には恩寵の園とあった、どうやら間違いないらしい。

 

 庭を横切って施設の方へ、来客用の受付窓口が入り口の横に設置されていた。

 ベルを鳴らしてしばらく待つと職員さんであろう男性が笑顔で現れる。

 

 「一人さんですか?お話は伺ってます。こちらへどうぞ」

 

 孝道さんが電話でもしてくれていたのかスムーズに中に通された。

 

 「現状、当施設にいる子供は全部で八人ほどです。今は昼食後の遊びの時間でして。皆、遊戯スペースに集まっていますよ」

 

 職員さんの説明を聞きながら周囲に目を配る。

 特に怪しいところはない普通の施設。

 少なくとも建物に異常はないように見えた。

 

 だが遊戯スペースとやらに案内され中を覗いた瞬間、言葉にならない違和感が襲う。

 

 広々とした室内の四辺にまるで監視するかのように立っている二人の男性職員と女性職員。

 

 その視線にさらされながら遊んでいる、遊んでいるのだろうかあれは。

 笑顔で絵を描いたり絵本を読んだりしている八歳から十歳ぐらいの子供たち。

 騒ぐこともなく、感情を爆発させることもなく、ただただ自分の世界に埋没している感じ。

 

 大人しいというのともどこか違う気がする。

 普通の子供として見てもあまりにも、そう、規則正しすぎるとでも表現すべきか。

 ましてやここは児童養護施設のはず、それなりに訳ありの子供が集まっているはずなのに。

 

 「どうです?皆、良い子でしょう?教育が行き届いているということで高い評価をいただいているのです」

 

 どこか誇らしそうに語る男性職員の言葉を聞き流す。

 確かに良い子だろう、だけどあまりにも良い子過ぎて。

 

 『……なんか、気持ち悪い』

 

 回の率直な声に同意しかない、ここは何か違うのだと思わずにはいられなかった。

 

 「……あの、子供たちと一対一で話すことはできますか?」

 

 これで断られるようなら何かあると確信できる、だが職員さんは変わらず笑顔でもちろんだと頷くだけ。

 

 別室に通された一真は用意された椅子に座る。

 そう時間をおかずにまず十歳ぐらいの男の子が入ってきた。

 この短時間で話を合わせたりはできないだろうと思う。

 

 「はじめまして、ダイキと言います。よろしくお願いします」

 

 礼儀正しくお辞儀をして笑顔で挨拶したダイキ君は向かい側に用意された椅子に座った。

 

 「こんにちは、ダイキ君。一人っていいます。ごめんね、いきなり話したいなんて言って」

 

 挨拶を返しながらダイキ君の様子を観察してみる。

 特に変わった様子はない、虐待されているような跡もない。

 

 どこまでも真っ当で気持ちの良い子供だった、非の打ちどころ一つありはしない。

 それがおかしいと思うのは自分の先入観、見識の狭さ故なのだろうか。

 こういう児童養護施設もあるのだとただ受け入れるべきなのか。

 

 こちらの言葉を待っているのか笑顔を崩さずじっと座っている。

 何から話すべきなのか、何を聞くべきなのか。

 

 「えっと……ここでの生活はどうかな?先生たちは良くしてくれてる?」

 

 「はい、先生たちは皆、尊敬できる方々ばかりです。いつも僕たちのことを考えていろんなことを教えてくれます。昔は乱れていた生活もすっかり規則正しくなりました」

 

 判を押したかのような答えが返ってくる。

 

 歪みそうになる顔を取り繕いながらいろいろと尋ねてみた。

 

 どうやらダイキ君はもうすぐ一年ほどになるぐらい長く施設にいる古株らしい。

 引き取り手が見つかることで定期的に子供は入れ替わるようで、いい子にしていればいい人と出会えるのだと元気に答えてくれた。

 

 表現は悪いが家族を餌に言うことを聞かせているという思いがよぎる。

 しかし、それが必ずしも悪いとは思えなかった。

 子供を預かる、その決断を下してもらうために礼儀正しさなどを身につけること。

 

 それが不必要だと思うのはきっと無責任なことだ。

 

 だけど、この年頃の子供がそこまで理解したうえできちんと言葉にしてそれを発するというのが何とも言えない。

 

 そして、もう一つ。

 

 「ダイキ君はどんな遊びが好きなのかな?ここでの楽しみとか教えてくれる?」

 

 「そうですね、今の僕たちはどんなことでも楽しいです。本当ならなかったものを与えてもらったから、全部が宝物です」

 

 これだ、僕たちという言葉。

 会話の中で僕という自分を指す言葉を聞けない、常に全体を指す言葉を使うのだ。

 

 十分ほど話してみてダイキ君が退室し、次の子供が入ってくる。

 遊んでいた子供たちの中ではおそらく最年少だと思われる女の子。

 

 「はじめまして、アユミと言います。よろしくお願いします」

 

 どこか舌足らずな声で、しかしきちんとしたお辞儀を見せて椅子に座る。

 

 そこからはダイキ君とほとんど同じだった。

 定型句を読み上げるような理想的な返し、個人としての価値観の見られない空虚な言葉。

 

 そして、私たちという一貫した一人称。

 

 それを八人全員と繰り返した。

 最後の男の子が退室して一人になる。

 

 深く息を吸う、吐き出された息は思いのほか重い。

 窓の外では運動の時間ということで子供たちが規律正しく体を動かしている様子が見られた。

 

 まだ小さな子から比較的、大きな子まで全員が同じ運動をこなす。

 当然、体力差もあり向き不向きもあるだろうがそれを感じさせない。

 整っている、とにかくどこまでも差異というものを感じない。

 

 まるで軍隊みたいだ、だとすればその方向性を定めているのは何か。

 軍隊が国なんかへの忠誠なら、あの子供たちは何を軸にしてあそこまで整っているのだろう。

 

 『なんか、つまらないね。つまらなそう』

 

 同じように眺めていた回はどこまでも冷めた様子で呟いた。

 いつもの施設のように騒がしい場所を想像していたら全く逆で気が削がれたのだろう。

 

 つまらないというのはわかりやすい、だが当の子供たちはずっと笑顔なのだ。

 これまでの自分の常識では測れない何かがある。

 

 これは自分一人で考えても答えは出せないと立ち上がった。

 まずは一度、ここで聞いた話や感じたことを屋敷にいる游里さんに持ち帰ろう。

 元より自分の役目は游里さんの判断の手助けをすることだ、今答えを出す必要はない。

 

 時間もすでに二時になろうとしている、そろそろ帰らないとフェリシアが心配する時間になってしまう。

 悪いとは思うが元々、そういう約束だったことだし後は游里さんに全部任せよう。

 

 立ち上がって職員さんに挨拶して建物から出る。

 園庭で運動している子供を眺めながら門の方へ視線を向けた。

 

 そこに――闇が立っていた。

 

 冬に踏み込んだこの季節でも陽の光が降り注ぐどこか温かい真昼の中。

 その場所だけが切り取られたかのように黒く、どこまでも深く、くっきりと冷たい。

 

 朔さんと同じ、全身を黒く染め上げてフードを被って顔を隠している。

 身長はそこまで高くない、むしろ低い方だろう。

 性別もわからず年齢も定かではなかった。

 

 『……ダメ』

 

 突如、回が低い声を漏らした。

 だがそちらに視線を向けられない、目の前の何かから意識を外せない。

 

 何だかんだここまで色々な影幻界に属する人達を見てきた、その経験が絶対にその目を逸らすなと警告を発している。

 

 『一真!逃げてぇ!』

 

 だが、それも無意味だった。

 

 突如として闇は視界から外れ、回の悲鳴のような声と同時、腹に突き刺さる衝撃だけが残る。

 何が起こったかわからないまま景色が高速で流れていく。

 

 「カッ……ハッ!」

 

 おそらく植えてあった木にでも激突したのだろう、肺の中から空気が強制的に排出される。

 頭が固いものに打ち付けられて意識がブラックアウトし何も考えられなくなった。

 

 

 一真が屋敷を出てから一時間ほど、昼食も終わり客室でゴロゴロしていた游里は立ち上がる。

 

 「さて、一真ばかりに働かせるのもなんか悪いな」

 

 黒須孝道に聞いて屋敷内を見て回らせてもらおうと考える。

 

 「まあ、無理だろうがな」

 

 この屋敷は十中八九、魔法工房だろう。

 手の内を晒すようなことはすまい、しかしそれはそれでよい。

 

 どういう方便で断るのか、会話の中からでも見えるものはあるだろう。

 客室を出て執務室の方に足を運んだ。

 

 ノックもそこそこに無遠慮に扉を開ける、中には執務机に向かう孝道氏とお茶を入れているメイドだけ。

 

 メイドはこちらを見ると一礼してお盆を持って部屋を辞した。

 孝道と一対一で向き合う。

 

 「ぶしつけで悪いが、この屋敷を見て回りたい。護衛を引き受けるならどう守るかを見積もることも必要だからな」

 

 どうでるか、受け入れるにしろ断るにしろ面白いと游里は唇を吊り上げる。

 だが、返ってきた言葉は想定してはならないものだった。

 

 「ああ、それなのですがね流さん。護衛の件はもうよいのです」

 

 「何だと?」

 

 「実はですね、あなた方にお伝えしていないことがあったのです。知人たちの襲撃ですが、きっかり三日おきに行われるのですよ。それで、今日がその三日目なのです。知人は軒並みやられてしまいましたから、次に来るとした今日この日、私の元でしょう。ああ、もしかしたらすでに近くに来ているかもしれません。あるいは……施設の方に」

 

 どこまでも人のよさそうな顔で、穏やかな声で黒須孝道は言葉を紡ぐ。

 

 游里は一瞬で顔を引き締めた、全てを察したのだ。

 踵を返し執務室の扉を開け放つもそこで足が止まる。

 

 待ち構えるようにメイドが佇んでいる、その立ち姿には一遍の隙もない。

 機能的な優雅な立ち居振る舞いから無機質で無駄のない姿勢へと変わっている。

 

 魔法使いと違い魔術師は必ずしも近接戦を得意としない、その肉体は脆い人間のものでそう簡単に回復したりはしないからだ。

 故に何かを使役することでそれを補う、護衛を雇うというのは最も効率的な手段の一つ。

 

 このメイドも朔ほどではないだろうが相当に訓練されていることが伺える。

 先までの給仕としての機能的な動きではなく、人を壊すことに特化した機械的な趣。

 

 擬態をやめた、つまりは正体を隠す必要がなくなったということだ。

 

 游里は距離を取るために後退する、ちょうど執務室の真ん中に陣取り体をわずかばかり壁際に寄せた。

 孝道とメイド、どちらもなるべく視界に収められる位置をキープする。

 

 「……最初からこれが目的か」

 

 游里の声に孝道は変わらずゆったりと、カップに口をつけて微笑んだ。

 

 「ええ。あなた方、正確にはあなたですね流 游。いえ、流合 游里さん。裏社会でも流れ者で気分次第に活動しているあなたは罪を擦り付けるには都合がよかった」

 

 「つまり、お仲間を殺していたのはお前なわけだ」

 

 この男は自分の手で、いやそれはあるまい。

 

 雇った誰かに己の知己を殺させて回っていたということだ、その罪を游里に着せたい。

 誰かに雇われた殺し屋が自分の仲間を殺した、そして自分を狙ってきた。

 その真犯人を吐かせる前に殺してしまったという筋書き。

 

 ありきたりだがそれを偽だと証明するのは難しい、特に影幻界絡みの事件であればなおさら。

 おまけに游里は深く、狭い関係を構築するタイプで味方は多い方とは言えない。

 

 対して、広く浅くその偽善の仮面を売ってきたであろう黒須孝道はそういう政治的なやり方には長けているはず。

 おそらくすでに工作は済んでいるのだろう、後は游里を仕留めてそれを知らせるべき場所に知らせるだけでいいのだ。

 

 (あんのおやじ!嵌められやがったな!)

 

 游里が個人的に友誼を結んでいる情報屋兼依頼仲介役の男を思い浮かべる。

 ミラほどではないが優秀で、丁寧に裏取りするその姿勢を好ましく思っていた。

 

 護衛依頼として持ってきたからその前提だけは疑うわけにはいかなかったのだ。

 影幻界は全てが曖昧で、だからこそ疑い出せばきりがない。

 

 一つの前提を定めるための何か、それが破綻していたとなればこの結果は必然だった。

 

 「ええ、その通りです。しかし勘違いしないでいただきたいのです。これは全てあなたのため、人類のため、世界のためなのです」

 

 はじめて、ずっと変わらなかった孝道の雰囲気が揺らいだ。

 どこか陶酔した顔で虚空を眺めるその様は狂信と呼ぶのが相応しい。

 

 「あなたの死は巡り巡ってあなた自身を救うでしょう。全ての苦しみからあなたを解放し、魂は永遠の安らぎを得る。御心配なさらず、あのお連れの少年も同じように苦しみから救われます。全てはかの聖女様の慈悲によって」

 

 「なんだそりゃ、変な宗教にでもハマったか?魔術師が心の芯を奪われたら終わりだろうが」

 

 嘲け毒づきながらも游里は正しく認めた、この男は自分より上手だと。

 少なくとも全体的な絵を描くことに関して遥かに上を行くと游里は受け入れた。

 

 しかし座して殺されてやるつもりは毛頭ない。

 何より、一真を巻き込んでしまった。

 

 (例え手遅れでも、あいつの生死を確認するまでは死んでやれないな)

 

 游里は孝道から視線を外しメイドの方に即座に向き直った。

 コートをはだけさせショルダーホルスターを露出させる。

 

 銃把に手を伸ばし、それより早くメイドの足が伸びた。

 

 ロングスカートで隠されたその一歩は一瞬で間合いを詰めたと錯覚させる。

 そのまま流れるように放たれる蹴撃を前に游里は微かに笑みを見せた。

 

 体を完全に縦に向けて肩口でメイドの蹴りを受けると同時に後方へ飛ぶ。

 孝道の頭上を飛び越えてそのまま窓を突き破って庭へと転がり出た。

 

 メイドは不愉快気に顔を歪める。

 

 あの動き、タイミングはこちらの動きを正確に捉えていた。

 否、読んでいた証拠。

 

 最初に銃を見せたのは最短距離でその初動を封じる一撃を誘発するため。

 ロングスカートを身にまとうのも足を隠す意図があるとあたりをつけたのだろう、まず間違いなく蹴りが来ると確信された。

 

 あの女は魔術師ながら接近戦にもそれなりに心得があり相手の心理を誘導するのに長けている。

 油断すれば喰われるのはこちらだと認識を修正し、窓から遊里を追うようにメイドは飛び出していった。

 

 戦いの場は庭へと移った、それを孝道は静かに穏やかに眺めるだけだった。

 

 

 意識は一瞬で戻ってくれた。

 

 おそらく拳を突き入れられたのだろうと一真は何とか身を起こす。

 

 『一真!大丈夫!?あいつはダメ、逃げよう!』

 

 回の悲鳴のような声が響く、それがいい眼覚ましになってくれた。

 

 ああ、だけど、そんなに切羽詰まった顔は初めてだなとふらつく頭を回転させる。

 逃げるわけにはいかない、黒い闇はゆっくりと園庭の方へ歩いていく。

 その先には笑顔のまま固まる子供たちと、取り乱し子供を置いて逃げ去る職員たち。

 

 今、自分が逃げたら誰が子供を守るのか。

 回を安心させるように笑った、うまく笑えているといいが。

 

 そのまま立ち上がって地面を踏みしめる。

 大丈夫、足は動く、全身はまだ思うように応えてくれる。

 

 目を閉じ合掌、屋敷に来てからここまで、わからないものに振れて惑っていた心を凪に戻す。

 黒須夫妻の思惑も、施設の違和感も今はどうでもいい。

 

 ただ、子供を守るために自分ができる全てを実現するために体を動かせさせすればそれでいい。

 

 静かに目を開いた、もう何もブレるものはない。

 一直線に闇へと駆けだしていく。

 

 振り返ったそれは相変わらず表情を見せない。

 ただ構えも何もなく無造作に地を蹴ったように見えた。

 早く鋭い、だがかつて出会った暴食者ほどではない。

 

 見ようと思えば捉えられる、拳を振りかざし突き入れようとしている。

 おそらく武術などの心得があるわけではないだろう、大振りで遠回りな威力はあるが読みやすい一撃。

 人間離れした身体能力に依存しただけのもの、脅威ではあるが決して捌けないほどではない。

 

 限りなく圧縮された思考の中でまずは受け捌き動きに慣れることを一真は選択した。

 全身の力を抜いて拳を受けて衝撃の方向へと逆らわずに体を流す。

 

 初心者の動きでは全てを流すことなどできず体に痛みは走る、がそれだけだ。

 動かすのに支障はない、徐々に相手の動きに体を慣らしていく。

 

 焦っているのか動きがさらに杜撰になったような気がした。

 単調な打撃、ただ力任せに放るだけの子供の癇癪のようなそれに体を合わせる。

 

 そして、視覚も動きも完全にそれに慣れた。

 攻勢に転じようとしたその刹那、闇のように黒いグローブに覆われた両手がさらに黒くなる。

 体で受けようと準備していた、今更躱すことはできない。

 

 狙われていたのかもしれない、黒い靄に包まれたような両手に肩をしっかりつかまれた。

 

 一秒、五秒、何も起きない。

 

 「……なんで」

 

 はじめて闇から呆然とした声が漏れた、それは思いのほか高い声だった。

 

 よくわからないがこれはチャンスだ、完全に動きを止めた足を力いっぱい刈り取る。

 バランスを崩し仰向けに倒れ込んだ相手にマウントポジションを取った。

 

 拳を握り締めまずは顔をめがけて振り下ろそうとして。

 倒れ込んだ拍子にめくれたフードの下からまだ年若い男の子の顔が覗いた。

 

 小さい、声変わりもまだ完全には終わっていないその子を見て今度はこちらの動きが止まってしまった。

 

 「ゴフッ!」

 

 その隙を逃してはくれなかった、脇腹に膝がめり込んで地面に叩きつけられる。

 そのまま容赦なく背中を踏みつぶされた。

 

 もはやうめき声も出ない、再び途切れかけた意識を何とかつなぎとめるので精いっぱいだ。

 

 『やめて!一真を傷つけないで!このスカポンタン!気取り屋!そんな全身、真っ黒すけが格好いいとでも思ってるのこのファッションお化け!』

 

 すり抜けるのも構わず必死の形相で男の子を叩いている回が見える。

 しかし、その罵倒はどうにかならないのか、気が抜けてリラックスしてしまう。

 

 思わず笑みを浮かべながらふらふらと立ち上がる。

 今度こそ驚愕の顔で、しかしすぐに表情を引き締めて腹に一撃を見舞われた。

 

 足が折れる、片膝をついて腹を抑える。

 昼間に食べたものが全て出てしまいそう。

 

 振り返って再び子供の方へ行こうとする男の子、行かせまいと足にしがみついた。

 

 「っ!」

 

 息を呑むような音が聞こえて足が振るわれる。

 力の抜けた腕では縋りつくことも無理だった。

 

 大きく弾き飛ばされて、それを利用して立ち上がる。

 震える足で一歩、また一歩と男の子に歩み寄る。

 

 「……なんで」

 

 はじめて、その目がこちらをきちんと捉えた気がした。

 その顔はまだ幼い子供のものだからきっと大丈夫だ、まだ手遅れじゃないはずだ。

 

 「なんで、何してるんだよ。あんたに用はないんだ、邪魔しないでくれればそれでいいんだ。何でそんなに、何をそんなに頑張るんだよ」

 

 何を、決まっている。

 

 「……子供たちを……守らないと」

 

 それだけなんだ、目の前に救えるものがあるなら、何度だって立ち上がろう。

 

 「……だから……君も、そんな顔しなくていいんだ」

 

 そんな――泣きそうな顔で人を殴らなくてもいいと思うんだ

 

 「ああ……うわああああああああああ!」

 

 絶叫が漏れて、これまでとは比にならない凄まじい打撃が腹を打った。

 今度こそ耐えられなかった、自分の無力に吐き気がする。

 

 だけど、崩れ落ちる体の最後の力で男の子の手を強く、強く握った。

 何かを言ったような気がする、あるいは声にもなってなかったか。

 

 「……無理だ、もう引き返せないんだ。……もっと早く、来てくれればよかったのに」

 

 血を吐くように苦し気に絞り出された言葉を耳に、存分に血の味を噛み締めながら今度こそ意識が完全に闇に沈んだ。

 

 こちらの手を振り払い先へと進んでしまった男の子の悲痛な背中が最後の光景だった。

 

 

 庭の中心、噴水を脇に游里とメイドは対峙する。

 その距離は二十メートルほど、游里の手にはすでに愛銃のリボルバー。

 

 「……なあ。お前、何で黒須孝道に尻尾振ってるんだ?」

 

 声に魔力を通して届ける。

 特に意図があるわけではない、ただどんな時であれ相手を知ろうとするのは游里の癖みたいなものだ。

 

 「なぜとは?よくわかりませんね。金、そして力。特に透の強化の力は魅力的です、私の基礎スペックもだいぶ底上げされている。力を得るうえで黒須様を守るのは合理的です」

 

 メイドは同じように言葉を返した。

 

 わかりやすい動機、金や力を求めるストレートな欲望は影幻界でも健在だ。

 どれだけ曖昧な世界でも人という生き物が深く関わっていることには相違ない。

 

 だが、生きてないなと游里は思う。

 

 「それだけか?なんかこう、力を得て世界を征服してやるとか、金を得て札束風呂で下品に笑うとかないのか?」

 

 メイドはただでさえキツイ吊り目をさらに細めて遊里を睨め付けた。

 

 「意味が分かりませんね」

 

 「そうか、もういい。聞いた私が馬鹿だった」

 

 游里は銃口を向けた、メイドは合わせるように腰を落とす。

 空気が冷える、開いた距離はどちらにとっても近すぎず遠すぎない間合い。

 

 唐突に游里の銃口から魔弾が射出された、ノーモーションで放たれたそれをメイドは避けると同時に駆け出す。

 続けざまに三発、その全ての魔弾をメイドは難なく躱した。

 

 距離が詰まる、残り十五メートル。

 

 游里は次に引き金を引いて魔弾を射出する、それは威力も速度も先より一段階上だ。

 距離が縮まったこともあり避けづらいがそれでもメイドの足を止めるには至らない。

 

 残り十メートル。

 

 游里はそこで初めて撃鉄を起こし引き金を引いた、反動をものともせず続けざまに三発。

 飛び出すのは本物の銃弾、威力も速度も魔弾とは比べ物にならない。

 この距離で当たれば身体機能を完全に破壊できるだろう。

 

 だがメイドはそれすらも難なく避ける。

 銃弾を目視で捉えているわけではないだろう、銃口の向きと引き金にかかる指の動きで軌道を予測している。

 

 それは游里の魔弾の特性を完全に見切られていることも意味した。

 実際に銃を撃つ動作に近づけるほどに魔弾の威力は上がるのだが、それがわかっていれば脅威度に優先順位をつけるのは容易い。

 

 魔法を使う相手との戦闘に慣れているのだろう、メイドはすでに己の間合いに游里を捉えていた。

 拳が鈍く輝く、おそらくは土属性魔法の応用、体組織の一時的な金属化。

 己の体を武器とするという強固な世界観の発露。

 

 鈍器と化した拳が一切の遊びなく最短距離で游里の肩を砕かんと走る。

 游里は拙いながらも強化魔法で運動能力を底上げした。

 体をひねるも避けきれない、拳が肩口を掠める。

 

 体制が崩れるがそれに逆らわずにそのまま地面を転がって飛び跳ねるように起き上がった。

 追撃するメイド、もう二度と距離は取らせまいと蛇のようにまとわりつく。

 防戦一方だった、ここまで近づかれた時点で游里にとっては圧倒的に不利。

 

 銃を構えなおす余裕はない、だが游里はどこまでも楽しそうに笑っている。

 連撃を必死の動きで躱し、時に地面に体を擦らせながらそれでも軽やかに。

 それが不自然に思えて、しかし考える間もなく与えずメイドは攻め続けた。

 

 そして、その時は再び唐突に訪れる。

 

 「バン」

 

 游里の気の抜けた声が鼓膜を叩くのとほぼ同時。

 地面から何かが飛び出してくるのを微かに捉え三方から腹部や背部に凄まじい衝撃が走った。

 

 「ッ……!」

 

 メイドの動きが一瞬止まる、何が起こったか理解できないことも相まって生まれた意識の空白。

 

 その隙を見逃すことなく游里は銃を構え最速発動できる魔弾を放った。

 撃鉄を起こす間すらこのメイドには隙になるという判断。

 それに威力は目的じゃない、ただ体を弾ければいい。

 

 十メートルほど滑りながら吹っ飛んでいくメイドに游里は迷うことなく背を向けた。

 脚力だけを重点的に強化して一目散に外門に走る。

 躊躇も尊厳も皆無な潔い逃走。

 

 だがそれを遮るように、外から塀を飛び越えて黒い何かが游里の前に降り立った。

 

 フードで顔を隠し、全身を黒ずくめの装いで覆った小柄な人影。

 纏う空気は尋常ではない、濃い血の気配とそれを可能とする異形の力の残滓。

 

 立ち止まらざるを得ない、バックステップで大きく距離を取る。

 

 「終わりですね」

 

 背後にはすでに体制を立て直したメイドの気配。

 前門の虎、後門の狼。

 

 「……くっそ」

 

 

 『一真!一真、起きて!』

 

 耳元で高鳴りのように響く声に一真は目を開けた。

 

 『よかった……大丈夫?痛い?死なない?』

 

 心配そうにこちらをのぞき込む回に「大丈夫だよ」と告げて体を起こす。

 とは言え全身に痛みが走るも幸いなことに決定的な破壊は見られない。

 

 「どれぐらい意識を失ってた?」

 

 『数分だよ』

 

 数分、長いような短いような微妙な時間だ。

 

 「……あの子は?」

 

 『もう、行っちゃった』

 

 どこか曖昧な声で回は告げる。

 一真は園庭に視線を向ける、そこには座り込んでいる子供たちの姿。

 

 痛む体を引きずってそちらに近づく、どうやら何かされたというわけでもないようで怪我もない。

 膝を抱えている子供たちの顔は相変わらず笑顔。

 だけど、どこか震えるように歪んでいた。

 

 「……皆、大丈夫?何があったの?あの黒い子はどうしたの?」

 

 尋ねてみるも誰も何の動きもみせない。

 根気よく待っていると一番年長のダイキ君が震える指で施設を指した。

 

 それ以上は何も反応してくれなかった。

 痛む体を引きずって施設の扉を開けて中に足を踏み入れる。

 

 その途端に漂ってくる嗅ぎなれた、決して嗅ぎなれたくなんてなかった濃厚な臭い。

 

 血の、臭いだ。

 

 『一真、行かない方がいいと思う。もう十分、頑張ったよ。だから、もう帰ろう?』

 

 回の言葉を無視して施設の奥へ。

 進むたびに臭いは濃厚に、壁や天井にまで飛び散った赤い模様がひどく広がっていく。

 

 やがて、事務所と思われる最奥の部屋に辿り着いた。

 扉を開けて中を覗き込む。

 

 ああ、教科書でよく見た顔だなとそんなことを思った。

 四肢をもがれて凄まじい形相で死んでいる職員たち。

 

 「……ヒッ……ハッ……ッ!」

 

 短い呼吸音が聞こえて急いで顔を向けた。

 一人だけ女性職員が生きていた、その顔は真っ青でしかして外傷はない。

 

 「大丈夫ですか!?」

 

 倒れ込むように女性職員さんの傍にしゃがみ込む。

 

 「ああ!ごめんなさいごめんなさい!全部、黒須さんの命令だったの!お金のためだったの!生活が苦しかったのよ!私は悪くない!」

 

 両腕で乱暴に頭をかきむしる、あまりの勢いに頭皮ごと髪を引きちぎってなお止まらない。

 

 「まっ……落ち着いてください!落ち着いて!」

 

 「嘘、嘘よ!私が悪いの!全部私のせいなのよ!」

 

 左腕に飛びついて何とか動きを止める、今の弱った体だとこれが精いっぱい。

 それでも残った右腕を振り回しながら意味の分からない言葉にならない言葉を叫び続ける。

 

 しばらく悪戦苦闘が続き、ゼンマイが切れたかのようにいきなり動きが止まる。

 冷静になったのか体力切れか、わからないが何かを聞くなら今しかない。

 

 「あの、何があったんですか?この施設で……何をしていたんですか?」

 

 女性は幽鬼のように生気のない顔を上げた。

 

 「……知らないわ、本当に知らないの。ただ、異常だということはわかってた。ここでは……子供たちが自分の名前を……口にすることすら許されないの。自分を呼ぶことすら許されない……そうするとお仕置き部屋に連れていかれるのよ」

 

 やつれた顔で焦点の定まらない視線をさ迷わさながら懺悔するように言葉を吐き出す。 

 

 女性の口から語られた運営方針は惨憺たるものだった。

 

 自分を呼称することは許されない、名前も僕や私のような一人称も。

 常に全体を指すような言葉を使うように強要する。

 

 そして、ミスは許されない。

 

 施設の規則を破るミスを犯すとミスした本人ではなくそれ以外の子供たちが罰を受ける。

 特に時間超過の罰はそれは厳しいものであったという。

 

 新しく入ってきた子供は大抵が規則に馴染めず、その度に元からいた子供たちが罰を受けるのだ。

 その様を見せつけられていずれその子供も施設の中に取り込まれて同化していく。

 一人はみんなのために、みんなは一人のために。

 

 どこまでも子供同士を断絶させて、しかして決して個であることを許さない。

 個のまま、個を削ぎ落してただただ規則をなぞる機械になる。

 みんなと一緒にみんなと違う自分のまま境界線を壊していく。

 

 「いい子にしていれば、いい子になれればこの施設から解放される。家族の元に行けるんだって。だけど、ある日、知ってしまったの。黒須さんがこの施設にスーツ姿の人たちを連れてきて。何事か話し合って……それで……それで!」

 

 子供の一人を見繕って注射を打って昏睡させた。

 そのまま大きなトランクに詰め込んでしまった。

 

 動けなかった、扉の隙間からあるいはわざと覗かせたのかもしれない。

 出てきたスーツの男たちは女性に見向きもせずトランクを運んで行った。

 

 そして、黒須孝道は穏やかな笑顔で耳元で囁くのだ。

 

 ――あなたも、立派な管理者ですよ

 

 よくぞここまで育て上げてくれましたと、女性は全身の力が抜けたまましばらく動けなかったという。

 

 それから、何かが異常だと知りながらそれでもそこで働き続けた。

 女性にできることはただ、子供たちが少しでも楽に生きられるようにきちんとした生活を送らせることだけだった。

 

 「ああ、本当に、ごめんなさい!ああああああああああああああああああああああ!」

 

 再び狂乱に堕ちたその姿を今度はただ見ることしかできなかった。

 

 自分でも表情が完全に抜け落ちたのがわかる。

 黒須孝道、どんな意図があれ、あの男は子供を喰らう悪鬼羅刹だ。

 

 一真は施設を飛び出した。

 

 限界を訴え今にも倒れたくなる体、歩くよりまし程度の速度でそれでも走り続ける。

 

 黒須の屋敷に向けて走り続ける。

 

 

 前後を挟まれた状態で游里は静かに立ち尽くす。

 そこに、透を伴って黒須孝道が姿を見せた。

 

 ゆったりと、その顔はどこまでも変わらない温かな静けさに満ちている。

 

 「……ふむ、まさか強化した(シェン)とここまで渡り合える魔術師であったとは。いやはやここで散らすには惜しい才能ですね」

 

 もう勝った気でいるのか、実際に詰んではいるのだが。

 顎に指を当ててしばらく考えていた孝道は顔を上げると満面の笑みで游里を見た。

 

 「ねえ、流合さん。あなた、私に雇われてみませんか?」

 

 「……何だいきなり。身代わりにしたいんじゃなかったのか?」

 

 「そのつもりでしたが、あなたの力は役に立ちそうだ。最後に見せたあれは固有式でしょう?原理はわかりませんが戦闘に耐えうる確固さとそれを扱う技量は私の元でさらに輝くでしょう」

 

 固有式、それは魔法の深奥の一つ。

 

 現実にある現象に限りなく寄せて世界の修正力を欺く、主に属性魔法を汎用式と呼ぶ。

 対して固有式は世界から全く外れていても構わない、ただ一つ己の世界観を世界に押し付ける魔法。

 

 それは一朝一夕で成るものではなく、大抵は世代を超えて継承しながら徐々に世界に馴染ませていくもの。

 ごくまれに才能からそれを発露する者もいなくはないが游里がどちらであるかは重要ではない。

 

 その力を持ち十全に扱えるというだけで魔術師としては上澄みもいいところ。

 魔術師、黒須孝道にとってもその世界観を取り込むことは意味があるのだ。

 より多様な世界観を己の内に抱き込むほどに影幻界では力を振るえるのだから。

 

 表面的な有様からはわかりづらいが孝道は相当に興奮しているのだろう。

 わざわざ表まで出てきて会話を仕掛けてきたのがその証拠。

 余裕もある、己の力を誇示する意図もあるだろうがおそらくその言葉に嘘はない。

 

 游里は孝道を眺めながら口を開いた。

 

 「そうだな、その前に聞かせてくれないか?あんた、今は何を求めてる?慈善事業がどうとか、あれは全部嘘か?」

 

 「いいえ、先にも言ったでしょう。私の意志は須らく聖女様の意志。あの方の世界救済のために、私はこの余生を捧げると決めた」

 

 (聖女、聖女か)

 

 心当たりがなくもない、影幻界で聖女と言えば示すものは一つしかない。

 だがそれは影幻界にあってなお都市伝説のように形の定まらない噂に過ぎないものだ。

 

 「……お前が、あの聖女を知っていると?縁があると言うのか?」

 

 恍惚に身を浸して孝道は芝居がかった仕草で大きく頷いた。

 

 「そうです、出会ったのです。あの聖女に、権能を喰らう、世界に愛されたあの聖女様に!私は彼女の愛に報いるために権能者を貢ごうと奮戦努力してきました。あの施設もその一つなのですよ!」

 

 こちらの質問に答えているのか、ただ己の信仰を吐き出しているだけなのか。

 どこか要領を得ない言葉を垂れ流し続ける孝道。

 

 施設とは児童養護施設のことだろう、であれば一真が向かった場所は人為的に権能者を生み出すための実験場。

 游里は珍しく心がどこまでも冷めていくのを感じていた。

 

 「それで、そこの透少年がその成功例ってわけか?」

 

 気持ち悪い独白を無理やり断ち切る。

 

 「いいえ、残念ながら透は天然でした。偶然、才を持つこの子を児童養護施設で引き取ったに過ぎない。本当に、あそこまで手間暇かけたというのに、誰一人として成功しないのだから情けない。まあ、ゴミ処理で莫大な財を生み出してくれました。これからも聖女様のために権能者を生み出す糧になれたのですから幸運でしょう。その人生に意味が生まれたのですから」

 

 本当に心底、それが善であると信じ込んでいるような声音。

 

 「ですが、私の仲間たちは汚らわしい眼でしか聖女を見なかった。彼らは力だけを求めて、あの御方の救済を無下にしようとした。だから、私があの御方の思いを汲んで処理したのです。とは言えあからさまに動けばお隠れになっている聖女様の御心を乱すかもしれない。ですから、あなたに罪を着せて生贄となってもらおうと思ったのですよ。ああご心配なく。あなたが私に傅いても、代わりはあなたの下僕の少年に負ってもらいますから何も問題ありません」

 

 受けるにしろ蹴るにしろもう自分の掌の上だという確信からだろう。

 ぺらぺらと、こちらが聞いてもないことまで気持ちよくしゃべり続ける。

 

 「……まさかとは思いますが、非道だと言う気ではないでしょう?己の信じるもののために全てを捨て去る覚悟の無い者に影幻界は渡っていけない。あなたほどの力があるのなら、それはよくおわかりでしょう。それに、例え近視眼的には凄惨に見えようとも、最終的に世界が救われるのなら何も問題はない。あの御方は全ての苦しみを掬ってくださる、失われた魂は永遠の安らぎに包まれるでしょう」

 

 それは問いかけているようでいてどこまでも断絶している。

 游里は肩をすくめて目を伏せた。

 

 「……そうだな、聖女の救いはどうでもいいが、お前の言うことは正しい」

 

 聖女の、救いの有無と真実はともかくこの男は本気で信仰を持ちそれに振り切っているように見える。

 信仰のためなら、己の献身を証明するためなら他の全てを踏みにじる覚悟を。

 

 こちらの言葉に気をよくしたのか孝道は何度も頷いた。

 

 「では、私と共に来てくれますね?もちろん、あなたが望むものをできる限り用意しましょう。いずれは聖女様に引き合わせるのもやぶさかではありません。あなたの献身次第ですが」

 

 「……最後に尋ねるが、お前の信仰とやらはその聖女の意志なんだな?」

 

 「ええ、もちろんですよ」

 

 游里は顔を伏せたまま肩を震わせ、そして上げた時には不敵な笑みを刻んでいた。

 

 「黒須孝道、お前は正しい。その振り切り方は尊敬できなくもない。そこまで己が信じるものの意志を踏みにじれるのはある意味では才能だな」

 

 はじめて、孝道の顔が憎々し気に歪んだ。

 

 「だがな、私はお前のその振り切り方が大っっっっ嫌いだ!誰がお前なんかの飼い犬になるか!聖女とやらの胎の中で千回生まれ変わってママのおっぱいでも啜ってろ!このおしゃぶり野郎が!」

 

 込められるだけの侮蔑を込めて、游里は高笑いを響かせる。

 

 「……そうですか、残念です」

 

 孝道は右手を挙げる、それまでただ微笑んで立っていた透の体が淡く薄青色に光始めた。

 その光は川のように漂いメイド――沈の体を包み込んでいく。

 

 「ああ!素晴らしい!力が滾る!」

 

 拳を開閉しながら沈は游里に狙いを定める、無機質な戦闘機械から獲物を喰らう肉食獣へと変わる。

 背後にいた黒い影も動きを見せる気配があった。

 

 「……殺りなさい」

 

 孝道の宣告、前後の獣が同時に跳ねる。

 游里は迷わず後門の狼に突っ込むことを選んだ、一縷の望みをかけて黒い影を突破する。

 

 一息で距離が縮まる、黒い影が腕を振り上げるのを視界に収め。

 

 ――右にどいて

 

 囁くような声につられてとっさに右へと軌道を変えた。

 黒い影はそのまま游里の傍らを通り越し、すぐ背後に迫っていた沈と邂逅し。

 

 その胸を手刀で貫いた、心臓を一息で握りつぶして破壊する。

 

 ずるりと、最後まで何が起きたのかわからないまま純白のメイド服を赤く染め上げて。

 昂った顔を貼り付けたまま沈はその場に沈んだ。

 

 「……なんと」

 

 驚いているのかどうなのか、顔色を読ませない表情で孝道は広がる血液を眺めている。

 黒い影は赤く染まった手を振るい、ゆっくりとフードを捲っていった。

 

 現れた顔はまだ少年のものだった。

 濁ったような黒い瞳をただ一直線に孝道にぶつける。

 

 「……やっと、ここまで来た。久しぶりだな黒須孝道!お前を殺すために戻ってきたんだ!」

 

 爆発した声が庭全体を震わせる、憎悪、憤怒、怨恨、あらゆる負の情念がただ孝道に吸い込まれるように向けられた。

 

 「……?誰ですかあなたは?私が雇った者ではありませんね」

 

 孝道はそれを意にも返さず、首をかしげて少年を見るだけだ。

 

 「ッ!俺は!勇気!お前に名前を奪われて、兵器として売り払われた勇気だ!」

 

 少年――勇気は目を見開いて叫ぶ、己の存在を刻み付けるように。

 

 だが、相手が悪い。

 あの男にそんな思いを受け取る余地などない。

 

 「さあ、知りませんね。少なくとも、覚えてないということはどうでもいい失敗作の一つということでしょう。ああ、それにしても面倒なことをしてくれた。これでは、私が後始末をしなければいけないじゃないですか」

 

 心底面倒そうに孝道は一歩踏み出す。

 それが限界だったのだろう。

 

 「ふざけるな!死ね!透を返せ!」

 

 黒い風となって勇気は駆けた。

 

 「バカよせ!ここじゃ無理だ!」

 

 游里の引き止める声も届かない。

 

 孝道は左腕を前に突き出した、その手に銅色の魔法陣が展開される。

 瞬間、それは反転し紫の魔法陣へと色を変えた。

 

 それは法則魔法、属性魔法を昇華させたもの。

 世界の法則そのものを限定的に弄ることができる汎用魔法の極地。

 凄まじいまでの練度と魔力を要求されるが限定的に世界の法則を弄ることができた。

 

 さらに庭を、屋敷全体を挟むように空と地面に同じく紫の魔法陣が展開する。

 屋敷全体がドーム状の不可視の膜に覆われた。

 

 「……跪きなさい」

 

 ぐしゃりと游里の膝が折れた、庭の敷石を砕いて体が地面に埋め込まれていく。

 勇気は片膝をついてまだ踏ん張っているが、それでも前に進めない。

 

 「……まじ……か!重力……魔法!」

 

 土属性の上位法則魔法。

 

 この屋敷は魔術師、黒須孝道の工房だ。

 魔力貯蔵庫、あらかじめ仕込んでおいたであろう魔法陣、この場はすでにあの男の世界。

 ピンポイントに対象を指定して重圧で押しつぶすことが可能なのだろう。

 

 (しかし、ここまでとは!)

 

 游里は歯噛みする、この場に無造作に踏み入れた時点でそもそも勝ち目などなかった。

 

 最初から最後まで、完全に自分の落ち度。

 最悪なのはそれに一真を巻き込んでしまったという事実。

 

 「……すまん……一真」

 

 意識が断絶する、血管が膨張し細いものから順に破裂していくのがわかる。

 手足の感覚が消えていく、游里はそれでも最後まで孝道から視線を切ることはしなかった。

 

 「ふざ……けるな……!」

 

 そして、勇気は地面を這いながら透に手を伸ばす。

 その姿を見ても透はどこまでも空疎に微笑むだけ。

 

 勇気の脳裏によぎるのはかつての記憶、確かに自己主張の大人しい子供だった幼馴染。

 

 ――だけど、決してあんな、寒々しい笑い方をするような奴じゃなかった

 ――優しくて、他人の苦しみに心を痛められるような温かい奴だったんだ

 

 「……ちく……しょう!」

 

 伸ばしていた腕が折れる、限界だった。

 膝も完全に崩れてその場に磔に潰されていく。

 

 拳を握りしめて、己の無力さに涙を流した。

 結局、大切なものを救うことができなかった。

 

 「神様……もしいるんなら!」

 

 ――せめて、透だけは助けてください

 

 そんな自分の内心に勇気は自嘲した。

 何が神か、信じたことなどないくせに。

 

 それに今さら自分を、血に溺れた魂を救ってくれる者なんているものか。

 あの施設にいた時も、売り払われた後も、一度だって差し伸べられた手はなかった。

 

 そうだ、人生はどこまでも不条理と理不尽で満ちている。

 弱い者は強い者にただ貪られるだけ。

 それに同じく貪る力で抗おうとした時点で自分の命運は尽きていたのかもしれない。

 

 勇気の体から力が抜けていく、諦念だけが心を蝕んでいき。

 

 パリンと、乾いた音が響いた。

 

 それはあまりにもあっけなくて、乾いていて、何が起こったのか理解不能で。

 ただ、お前の絶望なんて大したことはないと激励されたかのようだった。

 

 游里も勇気も痛む体を起こす、かかっていた重圧がさっぱり消えている。

 

 何より事態を把握できないのは黒須孝道だったろう。

 呆然とした表情で己の手を見ていた。

 

 ギィと、何かが擦れる音が響く。

 外門の格子扉が押し開かれた音、ほんの少しの隙間から体をねじ込むように一真が足を踏み入れた。

 

 その顔は底冷えするような怒気に満ちている。

 傷だらけの体を引きずって、ぎくしゃくした動きでたどたどしく走っていた。

 それはどこか壊れかけの機械の玩具のようだ。

 

 拳を握りしめて黒須孝道の元へ、あの男の顔にこの拳を叩き込んでやるのだとただそれだけを指向する機構。

 

 立ち上がった游里がそんな一真の体をいたわるように抱き留めた。

 なぜかはわからないが一真のおかげで助かったのだと受け止めた。

 

 「いい、もういいんだ。ありがとう。だけど、そんな顔はお前には似合わないよ」

 

 それでも走ろうともがいていた一真は思わず動きを止める。

 游里の顔はいつもの軽々しいものじゃなく、どこか母親のように穏やかで優し気で。

 同時にどこか希薄で、だから一発いれる役目はきっとこの人じゃないとダメだと確信できた。

 

 フッと一真の体から力が抜けて、それを支えながら游里は銃口を向ける。

 震える指で引き金を引いた、反動を受けきれず銃は手から離れていって。

 

 弾丸は孝道の左肩を撃ち抜いた。

 

 「ガアッ!」

 

 その一撃は黒須孝道の欺瞞を完全に剝ぎ取る。

 衝撃でのけぞりたたらを踏みながら、孝道の苦々しい顔が三人を射抜く。

 

 「……てめぇら……てめぇらふざけるなよ!このゴミムシ共が!俺を誰だと思ってやがる!影幻界を攻略し、一代で財を築いた大魔術師だぞ!それがお前らみたいな矮小な小娘に、小僧共に!」

 

 これまでの穏やかさ、優雅さが嘘のように品もなければ捻りもない小悪党の暴言の嵐。

 游里は弱々しく、それでも確かに微笑んだ。

 

 「なんだ……振り切ってもいないじゃないか。さっきの言葉は取り消しだ、お前は尊敬にも値しないよ」

 

 游里は精一杯、嘲った冷たい笑顔を突きつけて血の混じった唾を吐き捨てた。

 

 孝道の顔が赤く染まるも己の不利を計算するだけの冷静さはあったのだろう。

 透の腕を掴んで屋敷に駆け寄っていく。

 

 勇気はそれを見送らなかった。

 力を振り絞って飛び掛かると透の体にしがみついて引き離す。

 

 孝道はその様を怒りの形相で眺めながら、それでも透を諦めて屋敷に逃げ込むことを選んだ。

 

 「待て……!」

 

 透を取り返して、勇気はそのまま屋敷に踏み込もうと力を込める。

 

 「いい加減にしろ!」

 

 游里の怒声に今度は動きを止めた。

 

 「この場所であいつと戦うのは無理だ。準備も戦力も何もかも足りない。お前は何をしたい?あいつに復讐したいのか?それとも透少年を助けたいのか?」

 

 事情はよく分からずとも浅からぬ因縁があること、そして絆があることはわかる。

 だから、ここが分水嶺。闇に堕ちるか踏みとどまるかの瀬戸際。

 透を見捨てて復讐を選ぶようならもう手遅れ。

 

 勇気は歯を砕かんばかりに噛み締めながら屋敷に逃げ込んだ孝道の背中の幻、後ろで微笑んでいる透。

 

 そして――游里の腕の中で完全に気を失っている一真を見た。

 

 特別な力なんてなさそうな普通だったあの人が、それでも必死に子供たちを守ろうとしたのを見た。

 

 勇気は最後に一度、爪が食い込むほどに拳を握りしめ。

 それでも、その手を開いて透の手を取った。

 

 游里は時間が経って少し回復した体に精いっぱいの強化をかけて一真を背負う。

 ちゃっかり銃を回収するのは忘れないのは可愛い強かさ。

 

 四人は外門から黒須の屋敷を背に駆けていった。

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