「また、これね」
深夜、とあるアパートの一室をフェリシアは検分する。
壁には磔にされた男だったものが一つ。
四肢は包丁で十字に壁に打ち付けられ、全身に刻まれた傷痕はまだ新しい。
死の間際、どんな顔をしていたのか見て取ることはできない。
表情など形作れないほどに数えるのも億劫になる赤い線が引かれていた。
「やっぱり、そういうことなのかしら」
当初この街に集まっている魔術師はクリスティルが原因だと思っていた。
だが、ここしばらく一帯を巡っているうちに戦闘の痕跡が点在していることに気づく。
野良の魔術師連中と敵対している誰かが自分たち以外にいるということだ。
この磔死体、魔術師であった男もまたその一つ。
とは言えこれはクリスティルのやり口ではない。
彼女にやられたであろう魔術師の死体もいくつか見つけていたが相変わらず無駄のないスマートな殺し方だった。
最小の労力と魔力で急所を的確に破壊する、狂気に溺れながらどこまでも冷たく効率を重視するのがあの女の恐ろしさ。
それを抜きにしてもここまで悪趣味ではないことを知っている。
道を外れながらもクリスティルはどこまでも魔法使いであった。
結果的に表側に被害を与えることはあっても直接、表側に狂気を向けることはこれまではなかったのだ。
彼女の痕跡はことごとく魔法使い、あるいは魔術師、つまりは影幻界へと向いている。
殺すことに快楽を覚えるような女でもない、この死体は殺しそのものを楽しんでいるような印象を受けた。
まったく別の脅威、あるいは仲間という可能性もあるだろう。
それとも、自分の知っているクリスティルはもう完全に壊れたのか――。
「……情報が多すぎる」
何にせよ、全体像がつかめない。
異能者や権能者、魔法使いや魔術師。
今、この街やその周辺にいったいどれだけ、どういう類の存在が集まっているのか。
そして、そういう者達がどんな勢力図を描いているのか。
あまりにも情報が多い、痕跡が多いのにそれが逆に大事な何かを覆い隠している気がする。
探れば探るほど、辿れば辿るほどに錯綜していく。
その中心があるいはクリスティルですらないのではと思えるほどに。
あまりにも無秩序で、無軌道で捉えどころが皆無だった。
何とか情報を消化しようと頭を回転させる。
「ふーん、あれがフェリシア・アールグレン」
そんな眉根を寄せて目を閉じたフェリシアを窓越しからのぞき込んでいる者が一人。
アパートからゆうに百メートルは離れている高層ビルの一つ。
水色の短髪に子供のような無邪気さを浮かべた表情。
自分を中心に世界は回っているという自負を隠さない、真っ白な魔法使いスタイルに白い杖と箒を携えた少女。
どこか魔法使いである己の存在を疎んでいるフェリシアとはどこまでも真逆な在り方。
屋上から指の輪を望遠鏡に見立てて面白そうに、嘲るように笑う。
その頬はまるで初恋のどうしようもない衝動に撃ち抜かれたかのように微かに赤い。
ふと、その視線がフェリシアと絡み合う。
飾り気のない古木の杖が振るわれるのが見えた。
「おー?」
視線をあげれば真っ赤な魔法陣が展開されている。
数拍遅れて、頭上から炎柱が墜ちてくる。
呑み巻かれた少女はそれでも、何事もないかのように唇を吊り上げたまま。
「余裕がないなあ、お姉さん。あの人もあんな奴に何を執着してるんだか。まあ、僕は好きだよ。だって、壊し甲斐はありそうだもんね」
立ち上がった少女は炎の中で煽るように舌を出した。
「また会おうねお姉さん。次は……その冷たい顔をぐちゃぐちゃに、どこまでも熱く歪ませてあげる。どんな顔で鳴くのか今から楽しみだなあ」
お気に入りの玩具を思い切り弄り回して最後には勢いよく台無しにするエクスタシー。
恍惚とした吐息を吐きながらその末路に思いをはせて体をよじらせる。
聞こえてはいまい、だけどきっと心は通じ合っているはずだと独信していた。
そのまま、少女は空間に溶けるように消えていく。
気配が希薄になっていくのを確認して、杖を下ろしたフェリシアは眉間のしわをさらに深めた。
「本当に、厄介ね」
何が起きているのか、起きようとしているのかは掴めない。
だが、一つだけ確信できることがある。
事態が急速に動き出そうとしていることだけは疑いようがなかった。