そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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 『この世界には裏側がある。普通の人が信じている当たり前、常識とか倫理道徳の埒外にあるもの。そこは狂人たちの妄執の巣、何を求めるでもなく、しかして何かを求めるしかない者達の情念の坩堝。

 彼らは自分たちが何者かもわからずにただ、追い詰められたかのようにそれを目指して身を焦がして堕ちていくの。だけどそんな世界を解き明かそうと一生懸命な人たちもいるんだよ。不思議だね』

 

 

 一真の父は優秀でわりと有名な外交官、母は留守がちな父の代わりにしっかり家を守り自分に愛を注ぎ育てくれた。

 

 どちらも尊敬すべき人だった。

 

 父も自分や母を愛してくれていたと実感している。

 異国の環境での生活によるストレス、国同士の繊細な橋渡しを行う重圧。

 日本に帰ってきた時、そういった疲労を微塵も見せず抱き上げてくれた父の力強い腕、頭を撫でながら優しく微笑んでいたその顔は幼いながらにかっこいいと思えた。

 

 成長していくにつれて父のようにどんな時でもまっすぐ立って、誰かを愛せるような男になれたらと夢見ていた。

 将来、大人になった自分を両親が誇りに思えるような生き方をすることが中学生の一真のささやかな夢だった。

 

 だけど、それは一生叶わない、ただの夢想で終わる。

 

 二年前、一真の中学生活最後の年。

 父の発案でとある国へ海外旅行に行くことになった。

 

 久方ぶりに家族三人で過ごせる、それは楽しい思い出となって後に残るものとなるはずだった。

 国内情勢に少し乱れはあるが観光地は安全が確保されていると謳っていた。 

 不安がなかったわけではないがいざという時には父の顔も利くということで何の問題もないと皆が思っていた。

 

 だが、現実とは思いもよらないもの、自分たちの思惑なんて簡単に吹き飛ばしてしまうものだ。

 

 その日、その国で小規模なテロが起きた。

 

 観光客も何人か捕らえられ人質として監禁された。

 テロとは言うが特に高尚な思想などがあったわけではないようだった。

 薄っぺらい正義の言葉を軽く口から吐き出して求めるのは金、金、金。

 

 ただのごろつきに近い者達、そんな奴らに父が外交官であるということがバレて連れていかれた。

 それをかばおうとした母も同じように連れていかれ、そしてあっけなく死んでしまった。

 

 その事実に呆然としてた自分の頭を誰かが抱きしめてくれたような気がする、

 その気遣いに感謝すべきだったのだろうがしばらく動けもしゃべれもできなかった。

 そしてその直後、現地の軍隊がテロリストを制圧して一真と他の人質たちは助かった。

 

 犠牲者は両親だけだった。

 ああ、本当に人生は思うようにいかないものだと一真は思う。

 そして、自分の中にあった何かを直視することになった。

 

 自分のために誰かを消費するような存在は見過ごせないのだと。

 それが一度目の、一真の世界がひっくり返った出来事だった。

 

 

 閑静な住宅街に立つ特徴もない量産型の一軒家が今の一真の住まい。

 父と母を失った一真は莫大な保険金や両親が残してくれた遺産を自分で管理することに決めた。

 

 幸いといっていいのか父は生前きちんと遺書を残してくれていて、選任された後見人の男は放任主義だった。

 元起業家であった彼は父の残したお金や遺産には目もくれず、人生は自分で背負うものだとの持論から君の好きにすればいいとあっさり全てを預けた。

 

 「高校生にもなれば自分の面倒は自分で見るべきだよ、それがちょっと早まっただけさ」

 

 そう笑い何かあれば頼っていい、ただし対価はいただくけどねと電話番号と住所だけを置いてあっさり去っていったのだ。

 そうして一真は高校目前の十五歳で一人、自分の人生を歩み始める。

 

 それから十七歳になる現在に至るまで毎朝は退屈なルーチンワークからはじまるのが常となっていた。

 

 毎朝六時に起きて二分間、冷水を浴びて目を覚ます。

 それから四十分かけて千回、木刀で素振りを行う。

 重さは平均的な刀と同じ一・二キロ。

 鍛錬に刀を模したものを選んだ理由は単純だ、刀というあり方が好きだったから。

 薄く、脆く、しかしてただ一つ、斬るということにのみ特化したその機能美に魅せられた。

 本物の刀を振り回すわけにはいかないから木刀を素振り、その雰囲気だけでも味わいたかったのである。

 その後、十八分間を柔軟に費やして。

 七時になったらいくつか味のバリエーションがあるシリアルにプロテイン二十グラムと豆乳を入れて十分で食べ終える。

 栄養補給薬をラベルに書かれた数だけ正確に飲んで身支度を済ませ七時半、全ての準備が整う。

 

 毎朝、一分の狂いもなくそれを淡々とこなし続けてきた。

 どれほど体が痛んでも、心が沈んでも、決して揺るがない習慣。

 この習慣が一真の心身を常に現実へとつなぎとめてくれた。

 だから昨夜のことも、現実として受け入れられる。

 ちょうど日曜で学校も休みのその日はリビングで机を挟んで回と向かい合うには良い機会だった。

 

 昨夜、暴食者、後に木戸という名前を警察から聞かされた。

 警察に連絡して木戸が連れていかれるのを見届けてから、数時間ほど事情聴取を受けて自分が経験したことを正直に話した。

 

 木戸が人間離れした動きで犠牲者を追い込んで頭から丸齧りにしていたことを頑張って語っていた時に向けられたあの目。

 まるで気でも狂ったかと言わんばかりの憐みとも何ともつかない気持ちの込められた視線は正直、堪えたが他に言いようがない。

 

 伸びていた木戸は目覚めた時には別人のように虚弱になっており、余計に自分の証言は狂言じみて響いたようだ。

 とは言え、口元や口腔内に残っていたであろう人の肉片や血液などから食べたことは確かなのはわかるはずだ。

 服にも返り血がいくらかついていたことだし警察の内部事情なんて知る由もないがどうにか罰せられると思いたい。 

 

 この件はもういい、終わったことだ。

 だから、もう一つの疑問を当事者に叩きつける。

 

 「それで、君は何者?」

 

 回と名乗る少女、こいつはイマジナリーフレンドなどではないと昨夜の件で確信した。

 悪魔さんというイマジナリーフレンドが回に変化したのは両親を失った後。

 だからその寂しさを埋めるために無意識的に寄り添ってくれる存在を生み出したのだと考え自嘲していたのだが。

 こいつは間違いなくそういう類のものじゃないだろう、幽霊なのか、あるいはもっと別の何かか。

 木戸という一般常識では測れない謎の存在を知った今なら、こいつもまたそういう類のものであるのかもしれないと思える。

 

 自分の見ている世界はたった一夜で完全に裏返ってしまった、だからこそ知らなければならないと思う。

 じゃないとこれから先、どう生きていけばいいか判断できない。

 

 『私?私は回だよ?それ以外に言いようがないもの』

 

 そう笑う回はどこまでも明るくて裏表などみじんも感じさせない。

 こっちを混乱させようとか煙に巻こうとしているわけでもなさそうだ。

 これが演技なら自分には回の正体を追求し見抜ける日は永遠に来ないだろうと嘆息する。

 

 「……なら、昨日の木戸とかいう男については?何か知ってそうだったけど」

 

 昨夜の回の意味深な言葉は間違いなく何か掴んでるが故のものだろうと、とりあえず尋ねてみただけだった。

 

 その瞬間、回の様子が崩れる。

 

 先までと変わらぬ笑顔のままで、しかし纏う雰囲気が完全に変質した。

 うまく言葉にできない、機械のような無機質さ、地に足ついてないような浮遊感。

 まるでこの世界に存在していないかのような希薄さ。

 

 『あれは異能者だよ』

 「……異能……者?」

 

 回はこちらの困惑も気にせず含みを持たせるわけでもなくあっさりその正体を口に出した。

 だがその言葉の意味するところが全くわからない。

 

 異能とはあれか、漫画やゲームなどでよく出てくるあれだろうか。

 そういうものには疎いのだが、あれが現実にはあり得ないということは常識だろう。

 だが回にこちらを馬鹿にするような思惑はないように見える。

 

 ただ決められた音声を再生するレコーダーのように声を吐き出すだけ。

 

 『そう、異能者。正確には否定型自我境界線逸脱者。木戸 感太が持っていたような超常の力は、世界に愛されなかった、あるいは世界を拒絶した人の特権。  

 その反対に肯定型自我境界線埋没者、通称権能者と呼ばれる者達もこの世界には存在する。権能者は異能者とは逆、世界にどこまでも愛され、世界というシステムの一部に埋没した者が振るう特権』

 

 ペラペラと語られる回の意味不明な解説を聞いて、一真は頭を抱えながら確認するように問いかける。

 

 「えーと、つまり……。この世界には超能力みたいなのを使える人種が二種類いて、木戸という男はその能力を使って悪さをしていたということでいい?」

 

 『そう』

 

 「でもおかしくない?そんなのが世界にゴロゴロいるなら、さすがにもっと騒ぎになる」

 

 『そうはならないの、この世界には認識の境界線があるから』

 

 回曰く、一般的な大多数の人たちは世界の表層で生きている。  

 

 だけど異能者は表層から線の外側に弾かれてる。逆に権能者は線の内側に取り込まれている。  

 どちらも同じ世界に存在はしているけれど、立っている概念的な位相――チャンネルが微妙にずれているのだと。 

 

 回は空中に指で円を描き、さらにその外側と中心を指さす。

 

 『地球に見立てればわかりやすいかな。 異能者は大気圏から弾かれて宇宙に放り出された感じ。逆に権能者は、地球の核に取り込まれて一体化した感じ。  

 だから、よほど派手なことをしない限りは世界に露呈しないの。望遠鏡なしに宇宙の塵は見えないし、穴を掘らない限り地面の下のマントルは暴けない』

 

 そこまで言って、回はこちらの目を覗き込む。その顔はどこまでも明るくて、なのに一切の温度を感じさせない。

 だから、長く共にいたはずなのに、まるで違う底知れず不気味な何かに見えてしまった。

 

 『人はね、自分の常識の範疇を超えるものは見なかったことにして勝手に世界を修正する。だって、繋がりのない存在なんて最初からいないものと同じでしょう?

 裏側には能力者以外にも色んな住人がいるけれど、ちらっと見ただけとか、ちょっとすれ違っただけとかだと認識から弾かれるし干渉もしづらいの。

 一真みたいに深く関わらない限りは無視されるし、無視するしかない。表層からずれているもう一つの世界、それが裏側』

 

 一真はしばらく目を閉じて内容を反芻する、世界の裏側のことも回の変質も今はいい。

 そんな世界があったとして、ならあれになんの意味があったのだろう。

 

 「なら、あの犠牲者は、サラリーマンの人は。その前にもたぶん、もっと被害者はいたんだろう。そういう人たちはなんで死んだ?なんで選ばれた?」

 

 絞り出すように尋ねる、回は変わらずあっさりと。

 

 『理由なんてないんだよ。木戸 感太は感情欠落者、生きていることに何の実感もなかった。何をしても楽しくない、何をされても憎めない。

 感情は一瞬だけ燃え上がるマッチの火みたいなもので時間がたてばくすんで消える。

 だから食べることに逃げた。食欲は体がある限り、生きてる限り感じられる欲望だから。

 食欲だけが世界とつながっている実感で、食べれば食べるほどに食欲は増大して、ついには食べ物以外にまでその口を向けることになった。

 本人が言っていたでしょう?もう人生を幸せに生きたのなら、呪ったのなら消費されてもいいじゃないって』

 

 どこまでも、どうでもよさそうに淡々と事実を積み重ねる。

 

 『昨日も同じ、目の前に感情で肥え太った餌があったから、それを口にしただけ。

 そう思えるようになった時にあの人は境界線から弾かれて、ただ喰らうための力を手に入れた』

 

 どこまでも残酷な言葉を回はいつものように告げていく。

 

 『それに、木戸 感太は最初は表側の住人だったんだと思う。何かをきっかけに裏側を知って異能に目覚めた。表側にいて、それから裏側に堕ちる存在が一番、たちが悪い。

 両方を知っているから表裏の境界線を揺らがせやすいし、ほぼ確実に訳ありだから。

 最初から表にいてそれでも馴染めなかったから光の届きづらい裏側に逃げ込んで、手にできなかった何かに妄執を募らせる。

 その性質と、異能と、欲求で彼は裏側に人を引きずり込んで餌とした』

 

 そう、だからそれは意味があったわけではなく。

 

 『交通事故にあった、自然災害にあった、そういう運が悪いとしか言いようがないただの偶然』

 

 それは、なんて理不尽なことなんだろう。

 

 世界は思うようにいかないのはわかってる。

 裏側なんて関係なく自分もまた理不尽に何かを奪われたことがあった。

 命があるだけ儲けものなのかもしれない。

 

 だけど、だからこそ許せないのだ。

 

 自分という存在を成り立たせるために誰かを消費するというあり方が。

 

 ――ああ、本当にわからない、自分が立って歩くためになんで誰かを必要とするのか理解できない。

 

 一真はその拳を握りしめ、怒りをこらえるように、あるいは何かを耐えるかのように体を震わせた。

 

 『そうやって誰かのために怒って、悼めて、そんな一真が大好きだよ。 だからあんまり気に病まないで。

 あなたのせいじゃないんだから、世界のせいなんだから』

 

 回の雰囲気が元に戻っていた。

 その目は慈しむように、その声は慰めるように。

 

 優しい言葉をかけられて、だけど最後にもう一つだけ問わなければならなかった。

 

 「……回、君はなんでそんなことを知ってるの?自分は何者かもわからないと言ったのに、木戸のこととか、それ以外のことは見透かしたように話す。

 感情欠落者?そんなの心を読めでもしなければわからないじゃないか。能力者?そんなの普通に生きていたら気づかないじゃないか」

 

 回は本当に困ったように笑った。

 

 『わからないの、ただ関わった何かの情報が勝手に自然と頭の中に入ってくる時があるの。それが口から思わず零れることもある。私以外のことだけ。……ごめんね』

 

 謝る必要なんてないと、そう言いたいけれど、今の自分にはできそうもなかった。

 

 

 その日は一日、ソファに身を沈めてただテレビを視界に収めていた。

 煌びやかな大富豪の生活をレポートする番組、お金持ち特集なんて俗なものを久方ぶりに見た気がする。

 

 ああ、こういう人はきっと、物凄く世界に対して真摯なのだろうなと思った。

 何かを目指して誰よりも努力して、迷ってあがいてそして辿り着くんだ。

 じゃないとこんなに何かを成して何かを得ることなんてできるはずがないと思う。

 

 大きいものが小さいものを引き寄せる力を持つように、

 大きな意思が小さな意思を引き寄せて呑み込むようにしてさらに大きくなる。

 

 呑み込まれて、大いなるものの一部となって何かの意味があると。

 そう思わないと小さいものは報われないから信じるのが一番だ。

 

 世界の裏側で喰らわれる存在がいると、そんなことを知ってしまった今の自分はそう思わずにはいられない。

 

 そして、いつの間にか夕刻となって、体は習慣に従って動き出す。

 

 明日の授業の予習をして、食事をとって、家事を終わらせ寝支度を整える。

 

 そしてそのまま泥のように眠りについた、いつも通り夢を見なかったことは救いだろうか。

 

 

 一真の生活は完全に裏返った。

 いつものように朝の習慣を終えて同じ時間に家を出る、歩いて学校までの道のりを歩く。

 変わらない光景のはずなのに、これまでにないものが一真の感覚に突き刺さる。

 

 路地裏に何かが蠢く気配がする。

 打ち捨てられた小ぶりのマンションから何を引きずり込もうとする引力を感じる。

 コンクリートの箱の狭間にある小さな雑木林から覗きこまれる感覚を覚える。

 自分が歩んでいる道の下から引きずり込まれるような嫌悪を抱く。

 

 『ようこそ、世界の裏側へ。温かな陽だまりの陰にある魔境へ。幻想達の妄執が集う場所へ。もう逃げられないよ』

 

 回が言っていたそんな言葉を思い出す。

 自分はもう今までの世界とは別の何かに立っているのだ、日常という世界ではなく。

 もっと深く、遠く、決して離れることが叶わないその場所で生きていくしかないのだとようやく理解した。

 理解して、それでも歩んでいくしかないのだといつものように背筋を伸ばして歩き出す。

 道行く生徒たちの挨拶にいつものように笑顔で返し、知り合いがいればちょっとした雑談をして。

 近く始まる文化祭の段取りに思いをはせながらどこまでもいつものように能 一真としてあることを心に決めた。

 

 

 「フェリシア・アールグレンと申します。皆様、どれぐらいの期間、共に学べるかはわかりませんがよろしくお願いいたします」

 

 絹のように滑らかそうでまっすぐ伸びた金の長髪。

 意思は強そうだが決して他者を威圧しない柔らかくパッチリした瞳。

 整った顔立ちは精巧な人形のように隙が無い。

 

 特筆した特徴のない我が学校の制服も彼女、フェリシアとやらが着ると深窓の令嬢のように映える。

 男子生徒は皆、例外なく浮足立っており女生徒は憧れや嫉妬の視線を飛び交わせてひそひそやっていた。

 

 そんなざわつくクラスの中。

 両手を重ね慎み深く礼をするその女学生を見て一真は朝の覚悟を無言で粉々に叩き割っている。

 

 誰だろうあの女生徒は、転校生が来るなんて聞いてなかった。

 生徒会長である自分が知らないまま、しかも同じクラスに突然、転入生が入ってくるなどありえない。

 先生からは何も聞いてないし、生徒の中でも噂すら聞いたことがない。

 特にあんな美人がやってくるとなれば手続きなどの関係で学校に来た際、その姿を見る者が一人ぐらいはいてもいい。

 そこから尾ひれの付いた噂が流れてもよさそうなもの。

 

 まるで降って湧いたかのようにいきなり現れたフェリシアは一真からすればひたすら違和感だけが残る異物。

 こういう時こそ回の出番だろう、昨日みたいにペラペラと解説してほしい、あの女は誰なのか。

 期待を込めてちらりと視線をやれば呑気にふわふわしているだけ、フェリシアには何の興味も抱いていないようだ。

 

 肝心な時になんて役に立たない奴なのだろう。

 

 「フェリシアはご両親の仕事の都合で一時的に日本に来たそうだ。状況次第ではまたすぐに転校することになるかもしれん」

 

 先生の言葉がなおさら混乱を深める、そんな一時的な滞在がわかりきっていて編入を受け入れたのか。

 新設とは言え進学校、卒業までいるとしてもそう簡単に編入を受け入れるわけがないのに。

 

 「とにかく、皆、仲良くやるように。フェリシア、席はあそこの空いた場所を使ってくれ。能、お前は生徒会長なんだから転入生の面倒を頼むぞ」

 

 一真は「はい」と力なく頷くしかない、フェリシアがゆっくりとこちらに向けて歩いてくる。

 窓際の一番後ろ、一真の隣にやんわり腰を下ろし微笑んだ。

 

 「能さんで、大丈夫ですか?しばらくよろしくお願いしますね」

 

 異国から来たとは思えないほどに流暢な日本語での挨拶。

 

 「あ……うん、よろしく。能、能 一真。能でも一真でも好きに呼んでいいよ。そっちはフェリシアさんでいいのかな?」

 

 フェリシアはええと軽く頷いた、その瞬間、窓からの光が逆光となってフェリシアの顔が見えづらくなる。

 黒く塗りつぶされたようなその顔がこの世のものではない気がして思わず身震いするのだった。

 

 

 昼休み、フェリシアと並んで校内を案内する。

 やはりと言うべきか、男女構わず視線が突き刺さって気分が重い。

 皆、はじめて知ったかのように驚いてフェリシアを見ていたが、それを変に思う者はいないようだった。

 男性教師の一人が驚いたように見えたのはまさかだろう、まさかだと笑ってほしい。

 

 文化祭の準備で段ボールやらなんやらが規則性なくそこらに広がっている特別教室棟。

 体育館、保健室、図書室や購買部、食堂などの学生生活に必要な施設を巡り。

 

 「ここ、生徒会室。僕は大体、ここにいるから用事があったり困ったことがあれば遠慮なく」

 

 そして最後に屋上へと案内した。

 特に何があるわけでもないが風が気持ちよくて、よくここで一人、考え事にふけったりする。

 

 「教室にも生徒会室にもいなければここでボケっとしてることも多いから。とりあえず、一通りの案内はおしまい。後は生活しているうちに必要なことはわかると思う。

 フェリシアさんなら友達とかすぐできるだろうし、いろいろ教えてもらえるよ」

 

 「ありがとう、能さん。助かりました」

 

 そうお辞儀をして、おもむろにフェリシアは身を寄せてきた。

 端正な顔が間近に迫る。

 

 「ねえ、それにしても、私たちってはじめて会った気がしないと思いません?きっと、良い友達になれると思うのですけれど。あなたが最初の友達になってくれれば、私も嬉しい」

 

 耳元で甘く囁くように告げられる言葉、しかし得体のしれない女からだと思うと悪魔の誘惑だ。

 これでも数年前までは悪魔さんの誘惑に抗い続けてきた実績がある、そう簡単に靡くと思わないでほしい。

 

 『あーっ!何この女!いきなりそんなに急接近なんて!一真もそんな奴、きっぱり突き放しちゃえばいいんだよ!』

 

 元悪魔さんの声が元気に響き渡る、今までずっとスルーしてたくせにいきなりなんなのだ。

 確かに意味不明な存在だし言動だが生徒会長としては編入したての生徒を放っておくわけにはいかない。

 

 「あーうん、じゃあ友達になろうか、はい握手」

 

 一真はやんわりフェリシアの肩を押し返し、手を差し出した。

 離れた瞬間、横目で少しだけ見えた彼女の顔はどこか鋭さを帯びていたような気がしたが。

 正面から見ると何事もなかったかのように柔らかい微笑みに戻っている。       

 

 錯覚だったのだろう。

 

 「ええ、では、お友達ですね」

 

 結ばれた手を軽く振って足早に屋上を後にした。

 

 

 扉が閉まり屋上に一人取り残されたフェリシア。  

 

 変わらぬ穏やかな雰囲気、清楚で慎ましやかな佇まい。

 

 しかして、その目だけは――細く、鋭く。

 そのまま視線で全てを焼き尽くせそうなほど熱く、どこまでも真っ直ぐに消えた背中に向けられていた。

 

 

 それから二週間ほどが過ぎた。

 九月も終わりに近づき文化祭の準備も最後の追い込みを見せる10月に入ろうとしている。

 

 そんな中、フェリシアは一真が思っていた以上に完璧に馴染んでいた。

 

 授業では落ち着いた声で紡がれる完璧な日本語でどんな質問にも難なく答えてしまう。

 一度、定期的に行われる小テストにいきなり挑戦させられたのだが全教科満点。

 これだけの才女であるならば編入を受け入れるのもわからなくはない。

 

 能力、美貌、そして財力もありそうだ。

 何気なく使っている日用品も一般庶民の一真には見たことがない物ばかりである。

 人として持てるものを全て持っているのではと思わせる、まさに才色兼備のお嬢様。

 しかしそれを鼻にかけず、どんな時でもゆったりと誰に対しても人当たりがよい。

 最初は嫉妬や劣等感を感じていたような者達も今ではすっかり毒気を抜かれたのか、積極的に関わろうとする者と完全に距離を置く者とに分かれた。

 来たばかりでよくわからないはずの文化祭の準備にも精力的に取り組んでくれている。

 面倒を見るどころかむしろ自分が面倒を見られる側になったような時もあった。

 

 とは言え、相変わらず一真はフェリシアとは精神的に一定の距離を置いている。

 いきなり現れた異物感はいまだ消えないし、どうにも作られたような態度に思えてならないこともある。

 

 完璧すぎて、隙が無さすぎて、それが逆に違和感なのだ。

 

 もっと困り顔でも見せて、はじめての生活に馴染もうと頑張る姿でも見せられたらすぐさま手のひら返すのだが。

 本当に最初から学校の一員だったかのようなその有様が逆にどこまでも不気味に映る。

 

 「それって嫉妬じゃね?生徒会長、その座を追われそうで焦り心頭ってか?」

 

 昼休み、文化祭関係の業務がひと段落ついて屋上。

 一緒にパンをかじっていた翔にそんなことを話してみれば、即座に笑われてご無体なことを言われた。

 

 「どうかな。これまでそういう感情とは無縁だったからね、万年最下位争いの翔と違って」

 

 冗談を交わし合いながら、翔は言葉を続ける。

 

 「お前さあ、もっと楽しめよ。健全な男子学生としてフェリシアちゃんは最高だろ。お淑やかで優雅な仕草、決して陰気じゃない奥ゆかしい雰囲気。 それに反するような暴力的でボンキュッボンなボディのギャップ。

 すでに十人ぐらいが無謀にも告白して玉砕してるんだぞ。生徒会長の立場で誰よりも長く近くにいることが多いくせに。チクショウ、俺に譲れよ生徒会長の座!」

 

 血の涙でも流しそうな迫力の翔をスルーしながら黙々とパンを口に詰め込む。

 翔はため息つきながら今度は真剣な顔で一真を見た。

 

 「……やっぱりというか、あんな超絶美人が現れても全然、靡かないのな。やっぱまだ舞のこと引きずってんのか?」

 

 ぴたりと、一真の動作が止まる。

 

 霧野(きりの) (まい)、自分と翔にとって小学時代から付き合いのある幼馴染。

 元々は活発でスポーツ万能、素朴だが明るく愛嬌のある女の子。

 長く共にいる中で自然と淡い思いを抱いた彼女は高校になってあっさり彼氏を作った。

 中学生まではしなかった化粧やおしゃれにも目覚めてどんどん知らない誰かになっていく。

 だがそれはしょうがないことだ、思いを伝えることもなく一方通行なままで放置した自分の落ち度。

 彼女が幸せならそれでいいのだと、今ではたまに遠くからその姿を眺めるだけ。

 それは自分の中ではもう終わったことではある、思いはあるが振り向かせようとは思わない。

 

 今の気もそぞろな態度は過去の無様な恋の話でもなく。

 かと言ってフェリシアへの違和感などでもなくもっと別で切実な事情があった。

 

 「まあ、引きずってはいるけど、そうじゃないんだよ」

 

 「じゃあなんだよ?」

 

 曖昧に微笑んで誤魔化すしかなかった。

 

 

 放課後、回を伴って暗くなった帰路を歩いているのだが。

 

 「…ねえ、回」

 『なあに?』

 

 「これ、確実に近づいてるよね」

 

 『そうだね』

 

 世界が裏返り認識にこれまでにない気配や存在感が挟み込まれることになってから。

 それがゆっくりと、自分に向けて近づいている感覚がある。

 まるでそういう存在を捉えていることを正確に把握されているかのように。

 

 『実際、見られてはいると思うよ。世界の裏側を知って一真の認識の位相がずれた。そこにいる存在を捉えられるようになると相手もまた捉えられたことを敏感に察するの。

 ほら、深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているって言うじゃない?

 特に、裏側の住人は何かしら欠けていることが多いし、だけど表側に見つからないように闇の中に潜むしかないから。それを埋めるために明るい世界の人間を求めてるの。

 身を守る術を持たない人がいきなり裏側の認識を開いたらその末路は大抵一つ。裏側が表側に認識されづらい理由の一つでもあるよ。表から開かれた者は大抵、生きてはいられない』

 

 尋ねてみればそんなことをふわふわ言い募る回。

 

 「つまりあれですか、もう死ねってことですか」

 

 切羽詰まって口調がおかしくなってしまう。

 

 「まさか!私が一真に死んでほしいわけないじゃない。だけど、私はどうにもできないし、それに一真は大丈夫。だから頑張って!」

 

 そんなこちらの様子など歯牙にもかけずニコニコしながら「ファイト!」などと呟き、小さく拳を握り現実を突きつけてくる回。

 もしこいつに触れられるなら、存在それ自体が軽そうだから無駄だとは知りつつ今すぐにでも放り投げて囮にでもしてやるのに。

 

 しかし、もう無理そうだ。

 

 ゆっくり振り向くと、月明かりの届かない闇の隙間から異形の影が這いよってくる。

 形は不定形、黒い靄の塊のようなそれは、何かを求めるかのように手のような部分を伸ばして迫る。

 人通りがないから堂々と姿を現したのか、あるいはもう我慢が効かなくなったのか。

 

 「……こいつら、追ってくるかな」

 『くるだろうね』

 「もし、こいつらを連れて逃げてる時に誰かに出会ったら、巻き込んじゃうかな?」

 『うーんどうだろう、前にも言ったけど表側の住人に裏側の住人は認識しづらいし干渉しづらいの。だから手順を踏んだり、精神的にまず弱らせて裏側に近づけたり、逆に表側から呼ばれるのを待ったりする。

 あいつらは完全に裏側で生まれた存在、形を持たない低級の霊体だから普通の人には姿も見れないと思うけど。さすがに目の前に現れたら憑いたりしちゃうかもね、そうしたら体が重くなったり体調を崩すかも』

 

 それを聞いて、あまり迷うことなく即座に闇の中へ飛び込んだ。

 幸い、この辺りは路地裏や人通りの少ない場所には事欠かない。

 何とか家まで逃げきれればと、しかし現実はそう甘くはなく。

 打ち捨てられさびれた公園で黒い靄のようなものに囲まれる。

 さらに、もっとしっかりした形を持った犬みたいな何かが這い出てくる。

 靄の中で赤く光る双眸、曖昧でなお鋭い口腔、根源的な嫌悪や恐怖を抱かせる息遣い。

 

 『あれは妖精の類だね、人の死の直前の感情を餌に大きくなるの。だから死の予兆とか呼ばれてブラッグドッグとか呼ばれてるよ』

 

 つまりは、自分を殺す気満々ということか。

 しかしただ殺されるのを待つつもりはない。

 武器になるかもわからないが、一真はそこらに落ちていた太めの木の枝を拾い上げ、正眼に構えた。  

 ただの木の枝が通じる相手でもないのだろうが。

 それでも、死ぬその瞬間までは自分にできることをやり切る。

 

 覚悟を決めた、その時だった。

 

 「――あなた、本当はお馬鹿さんだったのね」

 

 聞き覚えのある、しかしていつもとは違う鋭く力強い声が耳に届いた。

 それは上から響いてきたようで、見上げればそこには月を背にして浮かんでいる一つの影。

 

 古ぼけた箒に腰かけ、黒いローブのようなものを羽織り、三角帽子を頭にのせて、二尺ほどの木の杖を膝に載せている。

 

 それはおとぎ話の中から飛び出してきた魔女そのものだった。

 

 夜空に浮かぶその姿は、童話の一幕のように神秘的で――しかして、あまりのシュールさに思わず笑ってしまった。

 

 「……本当にいい度胸してるわねあなた、ぶっ飛ばされたいのかしら?」

 

 引きつらせた口元から普段の優雅なお嬢様からは想像もできない重く低めの声が漏れる。

 その瞳は、柔らかさの欠片もないほどに鋭くこちらを見据えていた。

 

 謎の転校生――フェリシアの正体はなんと魔女だったらしい。

 

 「いや…ごめん。だって、ここしばらくおどろおどろしい何かの気配を感じて気を張ってて。そこにいきなり絵本から抜け出したようなこてこての魔女が出てきたら笑えない?」

 

 「どんな理由でもこの状況で笑えるのがどこまでもおかしいわよ。普通、恐怖するか、それとも天の助けと敬うべきじゃなくて?」

 

 黒い靄や犬の妖精はフェリシアの姿を捉えて、おびえるように後ずさっている。

 どうやら魔女様にはこの状況をひっくり返すことができる力があるらしい。

 

 「助けてお願い、友達だろう?」

 

 これまで不気味がって距離を置いていた相手に何だが即座に手を合わせて拝む。

 いざという時に決断を迷ってはいられない。

 

 フェリシアはため息一つ、膝上の杖を掲げた。

 赤い光が迸り、難解な幾何学模様が夜空に描かれていく。

 いわゆる魔法陣の形を示し回転を速め。

 

「――炎よ」

 

 その一言はどこまでも端的に、鋭く、世界を切り裂く宣告だった。

 低く、静かに、しかして圧倒的な威圧を孕んだ声。

 

 瞬間、魔法陣が爆発的に輝きを増す。

 

 闇夜が真紅に染まる。

 

 放たれた火矢は正確に、まるで意思を持っているかのように黒い靄の一つ一つを貫いていく。

 

 妖精犬が逃げようと跳躍した。

 しかし火矢はその軌道を予測していたかのように追尾し、空中でその姿を捉える。

 

 真紅の炎が獣の形を飲み込み、その輪郭を溶かし、何も残さず焼き尽くしていった。

 それは浄化と呼ぶのが相応しい。

 

 十秒にも満たない時間でそこにいた全ての怪異が消滅した。

 

 魔法陣がゆっくりと光を失い粒子となって夜に溶けていく。

 それを冷徹に、いや、どこか気だるげに見届けた後。

 フェリシアは箒を傾けて一直線に降下してくる。

 

 黒いローブが夜風に靡き、三角帽子の縁が月明かりを遮った。

 地面すれすれで箒を横に滑らせ軽やかに着地したその姿はやっぱり魔女にしか見えなかった。

 

 「さて、それじゃあ命の恩人である私を歓迎してくれるのよね?」

 

 遠回しの家に連れていけという要求に素直に頷いた。

 

 「うん、本当にありがとうね」

 

 聞きたいことなど山ほどあるがまずはお礼からだ。  

 フェリシアは軽く鼻を鳴らし箒と杖を担ぐと「いいから早く」と急かす。

 

 『あーもう!なんなのこの女!一真もホイホイ家に入れないでよ!』

 

 回はそんな親しげな雰囲気に変わったこちらに頬を膨らませながら、ポカポカと頭を殴りつけてくる。

 もちろんすり抜けるだけだが、鬱陶しいことに変わりはない。  

 肝心な時に役立たずっぷりを露呈したエアフレンドは完全に無視。 

 

 道を知っているかのごとく前を歩く魔女と自分の家に向かう。

 

 

 殺風景な能家のリビングに今は不釣り合いなほど美しい華が咲いている。   

 

 これまでにない状況に我が家であるにもかかわらず現実感がない。    

 スーパーで買った安物の紅茶と茶菓子を口にしながら「もてなしが悪いわね」などと軽く毒づくその様は棘のある薔薇か、あるいは美しくも危険な毒花という風情。  

 優雅にカップを傾けるフェリシアを眺めながらどう話を切り出すべきか思案していた。

 間違いなく彼女は世界の裏側とやらに関わっているのだろうが、それは果たして聞いていいことなのか。

 命の恩人に対して話しづらいことをずけずけと聞くのも気が引ける。

 どうしたものかと頭を悩ませていると。

 

 「……とりあえず、私は魔女じゃないから、魔法使いと呼んで」

 

 こちらの悩みを見透かしたのかそうでないのかフェリシアから口火を切った、とは言え第一声がそれとは。

 魔女も魔法使いも同じようなものだと思うがそこは譲れないらしい。

 

 「それにしても、あなたって本当にわからないわ。私の魔法や暗示を防がれたから警戒して監視していたのだけれど、まさかあんな低級の霊体やら妖精やらに対処できないなんて。

 あれだけ準備した大魔法の影響から逃れて、なんであんなのに殺されそうになってるのよ」

 「あー、なんでだろうね?」

 

 こちらの煮え切らない答えに端正な眉を顰め目元を細める、明らかな不機嫌。

 しかし本当に自分でも意味が分からないのだから何も言えない、そもそも大魔法ってなんだ。

 

 「というか、やっぱりフェリシアって真っ当な編入生ってわけじゃないんだね」

 

 話をそらすように気になっていたことを尋ねれば「ええ」ともはや隠す必要もないと判断したのか頷いた。

 

 「詳しい説明は省くけれど、魔法を使って私が元から学校の一部だったと誤認させたの。

 ああ、それと、はじめてあった日の屋上であなたの友達になりたいと言ったのは軽い暗示を直接かけるためだから。今更だけど変な勘違いして縋ったりしないで。

 って、私のことはいいわ、それより説明なさい。あなたは何者なのか、どうして裏側の世界を認識するに至ったのか。どうやって私の魔法を防いだのか」

 

 話を逸らすのは失敗した。

 二週間ほど前、フェリシアが現れる直前の出来事を話して聞かせる。

 

 偶然、路地裏で異能者とやらに襲われていたサラリーマンを見つけたこと。

 その異能者が人を頭から喰い始めたこと。

 怒りのままに襲いかかってきたその異能者を殴ったら見かけ通りの虚弱さであっさり沈んだこと。

 それからフェリシアが現れたのだ、つまり裏側のことなど何一つ知らないに等しい。

 回の言っていたことは未だに腑に落ちていないし。

 

 「ああ、でも、不思議だね。人を喰らえるほどの力があったのに、なんで僕の腕は無事だったんだろう?」

 

 その後のごたごたや回のことなどで頭がいっぱいで、完全に失念していた。

 そんな呑気な感想を聞き終わり、フェリシアは信じられないという顔で呆然と見てくる。

 

 「……あなた、自分が何を言っているのか、わかっているの?」

 

 いや、だからわかってませんと首を振るしかない。

 フェリシアは眉間にしわを寄せ、頭痛を堪えるようにこめかみに指を当てたまま、しばらく考え込む仕草を見せた。

 ああ、こういう顔もするのか。完璧なお嬢様だと思っていた人物像がガラガラと崩れていく。

 

 翔が知ったらどう思うだろうなんて取り留めもないことを考える。

 唐突に顔を上げフェリシアがまっすぐにこちらを見つめてきた。

 

 「いいわ、とりあえずあなたの言っていることが本当だと仮定して話しましょう。まず、自分が新しい認識を開いたということは理解しているのね?」

 

 何となくならと頷く。

 

 「本来、表側から不慮の事故みたいなもので認識を無理やりこじ開けられた人は高確率で死ぬ、

 あなたが襲われたという異能者とか、今日、襲われてた霊体や妖精なんかの手にかかってね。

 何かしら対抗できる手段を用意しない限り裏側は表側から見れば地獄よ」

 

 身を守る術もなく突然、表から裏側に引きずり込まれた人の末路は人として真っ当な最期を迎えられない。

 それはほぼ確定的な悲惨なもののはずだった。

 

 「だけど、あなたは何らかの理由で異能者を撃退して今日まで生き延びた。正体不明な存在に囲まれて自分からその巣窟に飛び込むようなことをしでかす危機感ゼロの馬鹿のくせに」

 「……あれは、誰かを巻き込まないために仕方なく」

 「それが馬鹿だと言うのよ、まずは自分の命を優先なさいな。余裕があればその後で他のことを考えなさい」

 

 たしなめるように告げるフェリシアは独り言のように言葉を続けた。

 

 「私の魔法の干渉を跳ねのけて世界の表と裏をありのまま認識もできている。

 ……それにしても信じられない、異能者を一人で撃退した?

 目覚めたばかりの隙をつくとか、相性的に有利とかでもない限り一対一なら一流の魔法使いでも厳しいのに。

 それが、それなりに力を使いこなしていた感じの異能者を正面から拳一発で沈めたというの?」

 

 意味不明な事象を何とか分析しようとしているのだろうか。

 俯きながらぶつぶつよくわからないことを呟きはじめる、

 完全に自分の世界に入ってしまったフェリシアに一真は恐る恐る尋ねた。

 

 「あの、それでだけど、結局のところ世界の裏側って何?魔法使いって何なの?」

 

 フェリシアは面倒そうに顔を上げる。

 

 「世界の裏側についてはわからないことも多い、なぜ世界自体を欺くような裏側が世界の中で成立しているのか、表側にはあり得ない存在が跋扈しているのかも。

 魔法使いはそんな裏側の世界、その深淵に潜り、解き明かすための探究者であり研究者。それと同時に、表と裏のバランスを取るための調停者とでも言えばいいかしら」

 

 その声にはどこか誇らしげな響きがあった。

 

 「裏側は表側がなければ成立しないと考えられている、裏の認識や存在が表に出過ぎるとどうなるかわからないの。裏と表の世界が完全に同化するのか、表側が裏側の世界を呑み込んで消してしまうのか。

 それとも裏側が表側を完全に駆逐するのか。

 それに、表側にも少なからず裏側を知っている者たちは多い、権力者なんかはその筆頭ね。利用価値のある裏側を残したいと考える人もいるのよ。

 だから、今のバランスの取れた状態で表と裏の均衡を保つためにうまく使われている専門家みたいなものと思ってくれてもいいわ」

 

 そう誇らしげなはずなのに。

 その表情にどこか自嘲のような色が混じった気がするのは気のせいだろうか。

 実際に我が誇りなんて語りだしてもおかしくなさそうなフェリシアに限ってそれはないと思うが。

 それに疑問の一つも解けた、なんで裏側の世界が露呈しないのか、それを防いでいる者もいたということか。

 それでも不明なことばかりだが。

 

 ああ、でも、とりあえず一つだけわかったことがある。

 

 「フェリシア、君っていい人だったんだね。これまで避けたり変な態度取ってごめん」

 

 頭を下げる一真にフェリシアはパチクリと、その大きく綺麗な瞳をしばたかせた。

 

 「……いきなり何なの気持ち悪い、これまで散々に杜撰な態度を取ってきたくせに」

 「それは君にも責任がある、魔法とか暗示とかわけのわからない方法を使うから」

 こっちからすれば裏側の世界以上にいきなり日常に土足で踏み込んで常識を蹂躙してきた異物だったのだ。

 

 「それ以外にいきなり学校に潜り込む方法がなかったから仕方がないじゃない」

 「それはそうなのだろうけれど、それが通じないらしい自分がいきなり現れた謎の編入性に戸惑ったことも理解してほしい。

 まあ、それはもういいよ。

 とにかく、君にとっては意味不能な僕をわざわざ助けてくれたし、さっきも身を案じるようなことを思わずでも口走ってたし。改めて、本当にありがとう」

 

 何度目になるか、深々と頭を下げた。

 何かを誤魔化すように咳ばらいを一つしたフェリシア。

 

 「そう、まあそんなに感謝してくれるのなら受け取ってあげましょう。であれば当然、見返りも期待していいのよね?」

 

 ゆっくりと顔を上げて「できることなら……」と嫌な予感に震える。

 フェリシアは意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

 「なら、しばらくこの家の一室を貸してもらうわ。ホテルでもいいのだけれどあんまり物を持ち込めないし、用事が結構長引きそうでそろそろ本格的に工房代わりの拠点を構築しようと思っていたのよね。

 あなた一人暮らしでしょう?事情をある程度でも把握している協力者ができて嬉しいわ。よろしくね、家主さん」

 

 命の対価に魔法使いに差し出す物は日常であった。

 小さくため息をこぼし、最後にもう一つだけ確認したいことがあり自分の右横に指を向ける。

 

 「ところでフェリシア、ここに何か見えたりしない?」

 

 「……?いいえ、からかってるの?」

 

 「いや、見えないならいいんだ」

 

 そこには空中でじたばたしながら同居なんて認めないと騒ぎ立てる回がいるのだが。

 まあ確認するまでもなくこれで気づかないなら魔法使いとやらでもこいつは見えないのだろう。

 

 『いやだいやだいーやーだー!私と一真の二人きりの我が家にこんな女が入ってくるなんていやだー!呪ってやる、絶対に呪って体重五キロ落としてやるー!』

 

 それは女の子にとっては最高の祝福なのではと思いながら騒ぐ回を慣れたように完全スルー。

 

 しかし本当に、何なんだこいつはと虚空を仰ぐ。

 イマジナリーだと思っていたがそうではなく、しかしイマジナリーのように自分以外には見えない。

 否が応でもこれから裏側の世界に関わり続けなければならない予感はしている。

 であれば、いずれその正体にも至ることができるのだろうか。

 答えの出ない問いをとりあえず棚上げして空き部屋の一つを客間にするために席を立った。

 

 「ところで、異能者とか裏側とか、どこでその言葉を?何も知らなかったのよね?」

 

 「……えー、あー、その」

 

 唐突な問いにぎこちなく振り向く。

 その日の夜はなんとかそれを誤魔化すだけで更けていった。

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