翌日の朝、一真はいつかのように駅前広場の時計台の下に座っていた。
待ち合わせ時間の十時までにはあと五分ほどあるが、独特の足音が人波の中からでもはっきりと聞き取れる。
まあ大方の予想通り、游里さんとは違い時間に正確なのだ。
立ち上がってそちらに体を向けると待ち人、小さいながらもひときわ目立つ着物姿が視界に入る。
「綾理ちゃん、こっちこっち」
軽く手を振って存在を主張する。
少し早足気味に近づいてきた綾理ちゃんは微笑みながら手を振り返してくれる。
「すまん、待たせたか?」
「いいや、ついさっき来たところだから大丈夫。じゃあ、行こうか」
「うむ」と頷く綾理ちゃんと並んで切符を買いに駅舎へ。
昨日、皆とこれからの方針を固めた後のこと。
試しに一緒に出掛けてみようということで綾理ちゃんを誘ってみたのだ。
もちろん、表面上の理由は街の観察、違和感探しということになる。
これから一緒に何かをする上での予行練習、連携を深めるため。
とは言えそういうのは抜きにして普通に一緒に時間を過ごしてみたいと思ったのだ。
こちらの思惑などお見通しかもしれないがすんなり了承してくれた。
まだ日が出ているうちからこうして会うのは初めてだが、特に緊張もないのはこれまでの時間ゆえか。
綾理ちゃんも特にそういう感じはしない。
今思えば特に理由もわからず何となく好かれている。
受け入れられていると感じられたのは回を除けば綾理ちゃんがはじめてだろう。
最初に会った時から妙に距離感が近いとは思ったもの。
その理由も少しはわかったりするのだろうか。
そんな思考は人波に揉まれて霧散していく。
これから行く場所、常磐駅前の繁華街にはこの時期、人が集まる。
元旦から一夜明けて今日から初売りが始まるため。
普段は眠りの街である常磐市も冬休み明けぐらいまではことさら騒がしい。
常磐駅に向かう人混みでここ、桜台駅も朝からとにかく人が多かった。
行き先の選定を誤ったかと思わなくもないが、人や情報がより多く集まるという点では申し分ない場所。
表向きの理由もある以上、それ以外の選択肢はない。
しかし、これではゆっくり会話も何もない気がしてきた。
「綾理ちゃん、大丈夫?はぐれないように手つないでおこう」
いつもは着物姿で目立ちそうな綾理ちゃんもこの時期ばかりは埋もれてしまうこともあるだろう。
同じく着物に身を包んだ人も少なくない。
目を離すと人混みに押されて流されそうでもある、その華奢な手をとっさに掴んで引き寄せた。
「う……む、すまんな、迷惑かける」
くぐもった声で何とか声を絞り出すという感じの綾理ちゃんと共に長い列に並ぶ。
ホームに入ってきた電車の扉が開くと同時、押し込まれるように中に乗り込んだ。
すし詰め状態は厳しいが常磐駅までは二駅、すぐにつく。
なるべく綾理ちゃんに負担が行かないように踏ん張りながら到着のアナウンスを聞き流し。
扉が開くと同時、雪崩のような勢いに逆らわず常磐駅に降り立ち何とか端の方へ。
ようやく一息ついて自動販売機でリンゴジュースを二つ買って差し出した。
「はい、綾理ちゃん。よかったらこれ」
息も絶え絶えに受け取り勢いよく飲み下す綾理ちゃんを眺めながら自分の分に口をつける。
それにしても、もの凄い疲弊具合。
「大変だったね、やっぱり満員電車とかはじめて?」
前に一緒に恩寵の園に行った時も駅までのタクシーを手配してくれたりと、普段から使わない感じはある。
「うむう、電車自体が初めてじゃな。世の者達は大変じゃのう。こんなの、何度も乗るものではないぞ」
「いや、いつもこんな感じってわけじゃないよ。というか、え?これまで乗ったことないの?一度も?」
今の時代、そっちの方が珍しい。
「ない、そもこの街から出たこともないからの」
何でもないことのようにさらりと言ってのける。
それが逆に何とも言えない寂寥を呼び起こすのは自分勝手な感傷。
一息ついた綾理ちゃんは何事もなかったかのように立ち上がる。
「ふう、すまんな、足を止めてしまって。さあ行こうぞ」
空き缶を回収ボックスに入れて自然とこちらに手を差し出してくれる。
落ち着いてその手を取ってみれば本当に華奢で、ところどころ小さな古傷や火傷と思しき跡が見える。
指先は硬質化して小学生の手とは思えない感触と、それでも弱々しさを隠せない脆さが混在していた。
千年を超える人形技師の末、家系の到達点に齢十一でその手を届かせた天才。
それは普通の人生を送ってきた自分では想うことも叶わない途方もない才なのだろう。
だからと言って決して楽な道程ではなかったはずだ。
普通の小学生のように遊んだりしたことだってきっとほとんど、いや、まったくなかったのかもしれない。
この手は、その歴史の賜物。
そっと、だけど力強く握り返しながら今日は純粋に楽しもうと方針を変える。
今が非常時であることを忘れたわけではない、街の様子にも目を配るつもり。
けれどせっかく来たのだから少しぐらい新しい楽しみ方を教えてあげることはできるはず。
それはきっと先輩の役目だろう、少しばかり多く生きていること。
それだけが自分が綾理ちゃんより長けている唯一のことだろうし。
ホームから駅前の繁華街へと足を踏み入れれば同じく一面の人だかり。
駅前のロータリーを超えて歩道橋を渡り、ビルが立ち並ぶ大通りへ。
久方ぶりに足を踏み入れた繁華街は思いのほか色褪せたように見える。
とは言えそれを吹き飛ばすぐらいの熱気は感じられた。
総合スーパーの屋上から垂れ下がる新春初売りの垂れ幕。
道行く人を呼び込もうと声を張り上げる店員の必死な形相。
人波の多くはいくつかあるビルの中へ分散して吸い込まれていく。
その内の一つ、テレビでもよく流れている総合スーパーへと足を運ぶ。
昔、何度か母と来たこともある場所。
全体的にビルは古臭くなっているものの、店内は一度改装したようで小奇麗だ。
バーゲン品や福袋相手に争奪戦を繰り広げる歴戦のグラディエーター達を横目に階段を上る。
記憶が正しければ三階ぐらいにゲームセンターがあったはず。
遊ぶといえばゲームセンター、想像力が貧困に思えてくるがそれぐらいしか思いつかない。
かくして、記憶通りにあったが騒々しさはまったく予想外。
鼓膜どころか体全体が震えるような甲高い音楽に思わず顔を顰める。
綾理ちゃんも同じようで耳を押さえて眉間に皺をよせていた。
「一真!ここでいかにするつもりじゃ!?」
音楽にかき消されないよう少し大きめに張り上げた声。
「えっと、まあ色んな年代とかタイプの人が集まるといえばここかなって!しばらく遊びでもしながら他の人の様子を見てみよう!」
綾理ちゃんはしぶしぶといった様子で頷く。
明らかに乗り気ではないが最初はそんなものだと思おう。
ここで引いてはいられない、先輩としてまずはお手本を見せなければと気合を入れ直す。
とは思うものの、実際のところゲームセンターなんてもう十年近く来ていない。
すっかり様変わりしているし、知っているゲームなんて当然なかった。
それでも何とかできそうなものを探してちょうど人がいない筐体を見つける。
あれは話だけなら聞いたことがある、確か音ゲーとかいうやつだ。
リズムに合わせてボタンを押していくだけらしい、あれならできそうである。
「綾理ちゃん、ちょっとあれやってみない?」
声をかけながら半ば強引にそちらの方へ誘導する。
硬貨を投入し見栄を張って上から二番目の難易度の曲を選んだ。
カラフルなボタンに指を置いて流れ出した音楽に合わせて叩いていく。
叩いていこうとしたのだが、これが思いのほか難しい。
まったくタイミングが合わずにミスだけが積み重なっていく。
『あははは!一真ヘタだねえー!』
いつの間にか戻ってきた回が大笑いしながら煽ってくるのも無性に腹が立つ。
興味津々とゲームセンター中を飛び回っていたくせに、こういう時に限って傍にいるのだ。
それがまた手元を大いに狂わせて、最終的に最低評価がでかでかと画面に表示された。
「……うん、まあこういうゲームなんだ。綾理ちゃんもやってみる?」
自分でもわかるほど引きつった笑顔で尋ねてみる。
しげしげと眺めていた綾理ちゃんは一つ頷くと硬貨を入れた。
同じ曲を選んでボタンを叩いていくのだがこれがうまい、自分より全然うまい。
というかミスがない、同じく初めてだと思うのだがそれを感じさせない軽快な指捌き。
思えば手先の器用さと精密動作は人形技師であり傀儡師でもある綾理ちゃんの十八番だろう。
あとはリズムさえ掴めばこれぐらいは朝飯前ということなのか。
あっさりとパーフェクトを取ってしまった。
「おお、これは結構、面白いの。どれもう一度」
また硬貨を入れて今度はさらに難易度の高い曲を選んでいた。
体を固定して腕だけが柔らかく縦横無尽にボタンを弾く音が連続する。
ゲームセンターでは珍しい着物姿も相まって見物人が集まってきた。
綾理ちゃんはそれにも気づかない様子で硬貨を投入しては難易度をあげていく。
順番待ちの人もいるだろうが誰も口を挟まない。
驚嘆の吐息が場に充満していくのを苦笑しながら眺めるしかなかった。
「これは、しばらく終わりそうにないかな」
楽しんでくれているなら何よりだ。
その場から離れて休憩用のベンチに腰を下ろした。
しばらく天井を眺めながら騒がしい雰囲気に浸っていると子供の付き添いだろうか。
三人の奥様方が隣のベンチに座り込んで井戸端会議をはじめる。
騒音にも負けない姦しい雑談に何となく耳を傾けた。
そのうちにふと、声のトーンが落ちる。
「そういえば、聞いたかしら?最近、行方不明になる人が相次いでいるんですってね」
聞き逃せないやんごとなき噂話、居ずまいを正して耳を傾ける。
「それホントなの?家の近くでは聞かないわねえ」
「年齢問わず、街中で散発してるらしいわよ。独り身とか独居老人とか、あんまり地域生活に馴染んでない人達ばかりで表に出ないんですってね」
「あら?私は子供たちが特に狙われやすいって聞きましたけど。引き篭もりとか不登校の子、不良なんかがふらっと消えていなくなるとか。母子家庭で母親が夜遊びに夢中で気づかれないことも多々あるらしいって」
それから話は二転三転し、脇道にそれたりもしていまいち要領が掴めない。
特に行方不明者に規則性が見えるわけでもなく信憑性は微妙なところ。
ただ、一つだけ。
「何でもねえ、消えた人がいる周辺で変な笛の音が聞こえるらしいですよ」
「ええ、なんか楽器の音が聞こえるらしいですね」
音、それだけが共通点らしかった。
「少し前には惨殺事件とかあったそうですし、怖いですねえ。こんな何もないベッドタウンなのに、近頃は物騒になりましたよホントに」
内容とは裏腹に悲壮感や危機感は感じられない。
きっと、どうでもいいちょっとした話のネタに過ぎないのだろう。
しかし少なからず実情を知っている身としてはただのネタでは終われない。
一通り盛り上がった奥様方は駆け寄って来た子供たちを連れて去っていく。
壁に背中を預けながら聞いた話を何度か反芻してみた。
これだけで何かを判断できる知識も何もない。
しかし、ただの噂とは言え明らかに物騒な話が蔓延し出しているのは確かなようで。
何より、そういう話が自然に誰かの口から流れてくるのが気持ち悪いと感じるのは自分だけだろうか。
これが当たり前なのか、それともこの違和感も含めて何か操作されていたりするのか。
どちらにせよこの街は随分と変わってしまった。
自分だけがいつまでも同じ場所に留まって足踏みしているような感覚。
それが嫌なわけじゃない、時間と共に何かが変わっていくのも自然なこと。
ただズレていくのだと何となく思うだけだ。
そう思えるようになったことがすでに、歯車がズレたような気がするだけなのだ――。
「いやあ、いい汗をかいたぞ。今どきの娯楽はあなどれんな」
思考の海から現実へと引き戻された。
先までとは正反対にどこか充実した顔でこちらに歩いてくる綾理ちゃん。
額を和紙だろうか、何かで拭いながら楽しそうに笑みを見せた。
それにつられて顔が綻ぶ。
つまらないことを考えるのはやめよう、気にすべきことは気にする。
そして楽しむ時は楽しめばいいのだ。
「そうだろう?もっと遊ぼうか」
立ち上がって他のゲームに突撃していく。
格闘ゲームでNPC相手にボコボコにされている横で綾理ちゃんが対人戦で結構強いらしい人を倒していたり。
シューティングゲームで降り注ぐ弾幕に右往左往している横で綾理ちゃんがはしゃぎながらスコアを伸ばしていたり。
クレーンゲームで硬貨を捨てている横で綾理ちゃんが楽々と景品を取ったり。
一時間後、屋上から金網越しに繁華街を眺めている自分の目はきっとどこか虚ろであったろう。
自分のダメっぷりをまざまざと突きつけられた結果である。
先輩面して楽しみ方を教えてやろうなんて何と思いあがった考えだったのか。
はじめてのゲームセンターでわかったことは致命的にゲームが苦手ということだけ。
いやまあ、何度も通って慣れていけば少しばかり上達はするのだろうけれど。
おそらくもう来ることはそんなにあるまいし。
隣に楽々と何でもこなすちびっ子がいたことも原因だろう。
才能の差を見せつけられてその意欲もわかない。
「いやはや、やらず嫌いも大概にせねばならんな。何事も挑戦してみれば発見もあるというものよ」
対照的に綾理ちゃんはどこまでもご機嫌だった。
景品の小さなぬいぐるみやお菓子を両手いっぱいに抱えて、口にはキャンディなんかを咥えている。
「ほらこれ、袋あるから使うといいよ」
ゲームセンターで貰ってきた景品用のポリ袋を広げる。
その中に景品を突っ込んでもらって綾理ちゃんに手渡した。
「うむ、ありがとう。……本当に感謝しておるよ。気を使わせたな」
雰囲気が一変した、ご機嫌な笑みはどこか薄く儚いものへと変わる。
「時の流れとは
綾理ちゃんも先ほどの自分と同じようなことを考えていたらしい。
周囲を見回すその視線を追う。
昔、この屋上はちょっとした遊園地だった。
小さな観覧車、乗り物や動物を模したキディライド、ちょっとしたアスレチック型の遊具。
売店なども出ていたがポップコーンの自動販売機の方が人気だったように思う。
こんなものとすかした態度を取りながら、パンダにまたがってただ揺られていたのが思いのほか楽しかった記憶。
今はもう、その名残が少しばかり見られるだけ。
観覧車は解体されスクラップが無造作に積まれたまま、キディライドや自動販売機は塗装が剥げてところどころ錆びている。
人が来ることもなくなり、しかして完全に撤去されることもなく。
それがまた、置いて行かれた何かをくっきりと浮き彫りにするのだ。
だけど、そんなもの寂しさなんかより。
まだこんな小さな子がそんなことを考えてしまう境遇に何も言えなくなってしまう。
少なくとも自分には記憶がある、だけど綾理ちゃんにはそれすらなかったのだと思う。
そこにいながら疎外され続けてきたのだろう。
今はもう動かないスポーツカーに綾理ちゃんは腰かける。
体を揺らす度にギイギイと、どこか不快な音を立てて少しばかり振れるだけ。
「こうして街に出てみると、楽しめば楽しむほどに実感せずにはおれん。儂は、ここには属しておらぬ。新しいものを知る度に、己の停滞が目に留まる。誰にも触れられぬ場所で、一人時代に置いていかれた異物」
でも、一つだけ間違いないと思えることがある。
「自分で決めたことじゃ、形代を背負うと決めた時に覚悟はしていたつもりじゃった。後悔はない。じゃが、これからどうすればよいのかと惑う」
まだ小さな子供の綾理ちゃんがそんなふうに自分を決めつけること。
「形代は終わった、少なくとももうこれ以上、人形技師としての高みはない。これからはいかに国に、社会に迎合していくかという話になるじゃろう」
こんなに早く人生を諦めること。
「そこに、儂の役目はありはしないのじゃ。儂がいなくとも勝手に形代家は国の一部として在り続ける。新しい何かに駆逐されるまではな」
全てに倦んでいくこと。
「儂は……これから何を目指せば良いのじゃろうと思わずにはおれんのじゃ」
自分を諦めることだけは間違っていると言っていいと思うのだ。
「行こう、綾理ちゃん。見せたいものがあるんだ」
◇
戸惑いながらも何も言わずについて来てくれる綾理ちゃんを連れてビルを出た。
その手を引いてゆっくりと、人通りの多い繁華街を駅とは反対方向へ。
徐々に人影が消えていき、まばらになっていく道をなお進み。
やがて、うらびれた拱廊が見えてくる。
かつて商店街だったここも大手スーパーなどに客を奪われてほとんどが閉店してしまっていた。
それでも、確信はないけれど、きっとまだ残っているはずだと信じる。
綾理ちゃんと並んで天板に覆われた薄暗い回廊をゆっくり進んでいくと。
幼い頃の記憶とほとんど変わらないまま、それはそこにあった。
小さな食堂、扉の前に置かれた卓上黒板におすすめの日替わりメニュー。
「ここ、ここで昼食にしよう」
綾理ちゃんが何か言う前に扉を開けて中に入る。
「いらっしゃいませ」とカウンターに立つ四十代ぐらいの女性が明るく挨拶をくれた。
少数の常連と思わしきお客さんがカウンターに座る以外はほとんどが空いている。
窓際のボックス席に綾理ちゃんと向かい合って座り、端に置いてあるメニューを差し出した。
「はい、綾理ちゃんは何にする?ちなみに、カレーがおすすめだよ。僕はカツカレーにする」
「ああ、そうなのか?なら、儂は普通のカレーをもらおうかの」
頷くと店員さんに声をかけて注文を済ませた。
セルフサービスの水を二つコップに汲んで机に並べる。
特に話すこともなく窓から商店街を眺めた。
たまに人が通り過ぎていく以外、何も変わらない停滞した景色。
「のう、そろそろ聞いていいじゃろうか?ここに何がある?」
顔を綾理ちゃんの方へ向けた。
「ここはね、ずっと昔からあるんだってさ。商店街になる前から、建て替えの時を除けばずっとここにあって食堂をやってるんだって」
かつて聞かされた話を、思い出の中の景色を思い浮かべる。
「初めて来たのは幼稚園の時、母さんに連れられて買い物帰りに夕食を食べたんだ。母さんはここのカレーが好きで、それに付き合わされて食べてるうちに僕も好きになった」
母さんと二人で、たまに父さんもいて三人で。
この付近に用事や買い物に来た時は必ずと言っていいほどこの店を訪れた。
「ほら、あのお爺さん。だいぶ年を取ったけれど、ずっと同じように厨房に立ってるんだよ」
このボックス席からは少しだけ、奥の厨房を覗くことができる。
昔はその背を見ながら今か今かと料理が運ばれてくるのを待ったものだった。
懐かしんでるうちに平皿に載せられたカレーと付け合わせのサラダとスープが運ばれてくる。
話を中断して、スプーンで一口。
「……うん、変わらないな。昔のままだ」
実際には少しは違うのだろう。
しかしそれでも、確かに懐かしいと思える味だった。
両親が死んでから一人でここに足を運ぶこともなくなって。
それが何の因果か、決して共に歩むことのなさそうな少女と一緒に同じ味を共有している。
それは、変わらないからできたことだ。
「ねえ、綾理ちゃん。確かに世の中は変わっていくだろう、古いものはいつの間にか忘れられて消え去っていくのかもしれない。だけど、受け継がれていくものあると思うんだ。今日、こうして思い出の味を一緒に味わえるのは嬉しいと思うよ」
じっと話を聞いていた綾理ちゃんはスプーンを握ってカレーを口に運ぶ。
「……うまいな」
「だろう」と少し自慢げに、カレーに押されずサクサクのままのカツを頬張る。
「僕なんかが分かったような口を利こうとは思わない。きっと想像もできない、形代の家のしきたりとか掟とか、しがらみなんかもあるんだろうし。でもね、そういう古いものが新しいものと交わらないなんてことはないと思うんだよ」
時間は過ぎ去って、停滞したものはさびれて置き去りにされて。
だけど、抱えて進むことはきっとできるはずだ。
綾理ちゃんが抱えるものは常人では耐えられないほどに重いんだろう。
それでも、だからこそ、諦めずに前に進むべきだと。
ここまで必死に抱えてきたその小さな手が報われないなんて、そんなことがあってはならないと思うから。
「綾理ちゃん、前に言ってたじゃないか。形代は終わったかもしれないけれど、人生はまだまだこれからだって。僕もそう思うよ、きっともっと楽しいことだって、新しいものだって見られるはず。だから、君はまだ終わってない、はじまってもいないんだよ」
綾理ちゃんはずっと停滞しているのだ、何かに囚われてそこにいなければと思い込んでいる気がする。
だから、ほんの少しだけその背を押してあげることができればいい。
「ほら、僕なんて全然ダメダメだったけど、それでも楽しかった。綾理ちゃんは何でもやろうと思えばできるんだから、きっともっと楽しいよ。どんなところにだって行けるさ」
少しは、その心を動かせただろうか。
無言のまま腕と口だけを無心で動かしているように見える綾理ちゃんの言葉を待つ。
「……なあ、一真。帰りにもう一度、あのゲームセンターに寄ってよいか?やりたいことがあるのじゃ」
「うん、もちろんいいよ」
それっきり、口を開くことはなく。
ひたすらに料理を口に運ぶ時間が流れた。
久しぶりに昔を思い出せた昼食をすまし、支払いを終えて店を出る。
来た道を並んで同じようにゆっくりと歩いた。
当然ながら景色に変わりはなく、シャッターだけが並ぶ光景は相変わらず灰色で。
それでも、今は少しだけ輝いて見える。
過去を運んできてくれたカレーの味がそんな錯覚を起こすのだろう。
それでいい、錯覚でも確かにそこにあったもの。
それは今と繋がって新しい何かをきっと未来に運んでくれるはずだと信じよう。
再び訪れたゲームセンター、綾理ちゃんは一直線に奥の方に向かう。
証明写真を撮るような、しかしキラキラ感が圧倒的に違うブースが鎮座していた。
「ぷりくらというらしいの。これも良い思い出になるじゃろう?一緒に撮ってくれんか?」
「うえ、僕こういうの苦手なんだよなあ」
昔から写真とかビデオとか、撮られるのがあまり好きではないのだ。
「なんじゃ、そうなのか。なら新しい世界を開くと思ってぜひ付き合ってもらわねばな」
どこか意地悪そうに笑う綾理ちゃんに手を引かれる。
狭い空間に引き込まれ可愛らしい案内に従ってボタンを押していくのを見やる。
カウントダウンが始まる、こういう時どういう顔をすべきなのだろうか。
そんなことを考えていたら綾理ちゃんが左腕を絡めて身を寄せてくる。
右手を目元でピースさせて、テンションの高い女子高生みたいなはっちゃけた姿。
こちらは何も決まらないまま何度かシャッター音が鳴って。
完成したシールが下の受け取り口に落ちてくる。
「なんじゃこの顔は、情けないぞ」
綾理ちゃんの手の中のシールには慌てたような困惑したような、何とも言えない己の顔。
その横に服装とはかけ離れた躍動感、どこか吹っ切れた感じの綾理ちゃんの満面の笑みがある。
ちぐはぐで、どこまでも浮世離れしていて、人形のように透き通った少女。
それでもまごうことなく、小さな現代機器の結晶の中にその姿を収めていた。
綾理ちゃんの指から一瞬、青い線が伸びる。
腕が振るわれシールが真ん中から綺麗に二つに分かれた。
「ほれ、こっちがお主の分じゃ。絶対に捨てるでないぞ」
苦笑しながらそれを受け取る、はじめての思い出ならもう少しマシな顔をしたかったが。
いや、これが自分らしいのかもしれない、自分らしいままに自分とは違う世界を持つ誰かと共にあること。
そこにきっと、意味があるのだ。
「のう、一真。正直に言えば、儂にはまだわからぬ。果たしてこの先に何を見るべきなのか。迷いも葛藤も、まだ話とうない鬱屈した思いもあるのじゃ。それでも、立ち止まることはしないと約束する。だから、たまにでいいのじゃ。またお主の家で茶を飲んで話を聞いてもらってもよいか?」
フェリシアといい綾理ちゃんといい、なぜ近づいたと思えると遠慮がちになるのだろうか。
「もちろんいいよ。いつも通り、鍵を綺麗にこじ開けて入ってくればいい」
静かに微笑む綾理ちゃんのその顔はこれまでで一番、自然で年相応に見えたのだった。
◇
なお、後日のこと。
あまりにもうるさい回に連れられて再びゲームセンターを訪れた。
プリクラを一緒に撮りたかったらしいが案の定、映ることはなく。
がっかりした回を慰めるはめになったのである。