『人はどういう時に己を見るのだろう。それは罪が生まれた時。誰かが罪を見た時、己自身が罪を抱いた時にそれは現れる。逃れ得ない罰として、自らを殺すのだろう。だって、罪にまみれた自分なんて直視したくないでしょう?』
◇
朝、いつも通り六時に一真は目を覚ました。
昨夜、ただでさえ意味不明な状況が加速し、さらに一筋縄ではいきそうにない同居人まで増えた。
心労は相当のような気もするが習慣というものはこういう時にこそ効果を発揮する良薬だ。
まずは冷水を浴びて目を覚まそう、そう思って浴室につながる洗面所の扉を開けて――。
「あら、早いのね、いいことだわ。おはよう能」
漆黒の暴力が視界に叩き込まれた。
それから気を逸らすようにいつの間にか呼び捨てになってるなと、どうでもいいことに現実逃避する。
フェリシアがいるのはいい。
問題なのは、彼女の身に纏っているものが布面積の極端に少ない高級そうなランジェリーのみであるということだ。
繊細なレースがあしらわれた艶やかな黒のシルクは太陽に嫌われたかのような透き通る白磁の肌をこれでもかと際立たせている。
傷一つない滑らかな体、鏡に映った彼女の体躯は翔が暴力的と評していた通りの均整の取れた圧倒的なプロポーションだった。
洗面台の前で鏡を見ながらフェリシアは悲鳴を上げるでもなく、身を隠す素振りすら見せない。
振り返ることすらなくただ挨拶を投げてきた。
恥じらいなど欠片もなく、むしろ堂々と自身の肢体を見せつけているようにすら見える。
『ちょっと! 何やってんのこの女、朝から破廉恥すぎるでしょ! 一真、見ちゃダメだからね! 目が腐るよ!』
真横で回が発狂したように喚き散らし視界を塞ごうとじたばたしている。
体ごと覆いかぶさるようにして視界を閉ざしてきた。
まあ、見るのも悪いしこれはこれでいい。
それに普通ならここで謝って出ていくべきなのだろう。
とは言え習慣は崩したくない、どうしても無理。
「……おはよう。ごめんだけど、二分間だけシャワー浴びたいんだ。失礼するよ」
邪魔する回の体をすり抜けて洗面所へと足を踏み入れる。
バスタオルを準備し、そのままフェリシアの横で服を脱ぐとランドリーチェストへ放り投げた。
「ええ、どうぞ」と、何の動揺もなく髪を整え始めたフェリシアを見て。
本当にどうでもいいかのようなその姿に何の意識もされてないのだなと逆に安心できた。
騒がれるよりまし。
いつも通り手を合わせ、冷水を頭から被って眠気を飛ばし、体を引き締め、心を整えた。
きっかり二分後、体をふいて腰にタオルを巻いてから洗面所で新しい下着やシャツを取り出す。
さすがに着替えるのは外でやることにして「ごゆっくり」と洗面所の扉を閉めた。
それからいつも通り千回の素振りをこなし、柔軟で体をほぐし、朝食の時間となる。
「フェリシア、朝食はシリアルでいい?」
この家に朝、手早く食べられるものはシリアルしかないのだが。
「いらないわ、朝は食べないことにしてるの」
「そう」と返して、いつも通りの朝食を口に運ぶ。
いつもと違うのはリビングのソファでまだ下着姿のまま見たこともない言語の本をめくってるフェリシアが視界に入ること。
偶然、身だしなみを整えているところに出くわしたわけではないらしい。
それが普通ですみたいな顔は明らかに常習犯。
そしてもう一つ、回が騒ぎながらその視界を遮ろうと奮戦しているせいできわめて鬱陶しいことだ。
「……ねえ、フェリシア、下着姿でうろうろするのやめない? 一応、同居人もいるわけだし、気を使おうよ」
荒ぶる回を鎮めるために半ば無駄とは思いつつ声をかけてみる。
「それあなたが言う? 洗面所で気を遣うそぶりもなく腰タオルで私の視界に入ったじゃない」
いやまあそうなのだけど、男の面白みのない体と比べれば聖性が段違いなのではと思う。
「とりあえず、いやよ。私、基本的に家では全裸で過ごすことにしてるの。下着をつけてるだけでもだいぶ気を使ってるのよ」
ああそう、どうやらフェリシアは裸族というやつらしい。
本当に、昨日からフェリシアお嬢様のイメージが台風の後のようにぐちゃぐちゃだ。
「ああ、それとこれ」
思い出したようにフェリシアが茶封筒を投げてよこす、開けてみれば一万円札がぎっしり。
「なにこれ?」
「家賃よ、さすがに無料で部屋を占有するわけにはいかないから。結構あぶない物とかも運び入れることになりそうだし、とっときなさい」
こういうところはしっかりしているのか、突き返すのも怒られる気がしてそれを脇に置く。
あぶない物というのは聞き逃せないのだが、まあ命の恩人だし、昨日死んだと思えばいい。
ついでに下着姿で過ごすことによって逆立つ回の相手をする手数料も込みということにしておこう。
こうして、能家の朝はいつもとは全く違う様相で幕を開けたわけだが。
並んで一緒に登校なんてイベントはなく、フェリシアは制服に着替えて「先に行くわ」とさっさと家を出て学校へ向かった。
後から追いついて自分の席についてから頬杖をつきつつ、クラスメートたちと談笑しているフェリシアを眺める。
その目元、仕草、声音、しゃべり方は昨日の夜や能家での我の強さを窺わせるものとは違う。
編入してきた時と同じ深窓のお嬢様。
纏っている空気感からして違う、まるで別人のような気さえするほどに完璧な擬態だった。
◇
「ねえ、フェリシア。それってやっぱり猫被ってるの?」
昼休み。
二週間経っても冷めやらないクラスメートの相手をするのにうんざりという顔で屋上に現れたフェリシア。
一つしかないベンチに並んで腰掛けてイチゴジュースを啜りながら、一真はふと気になってそんなことを聞いてみた。
あんな柔らかな態度を取るから勘違いする、特に男子が多いのだと思わなくもない。
家にいる時みたいに遠慮なく我を出せばいいと思うのだが。
「演技みたいに言わないでほしいわね。あれは偽りなく一般人としてのフェリシアの顔よ。偽物ではないの、世界の境界線を守るために裏と表で被る仮面を使いこなしているだけ」
「魔法使いとしてのフェリシアはあくまでも裏側の住人だから、表の世界のフェリシアを文字通り作ってるってこと?」
「そういうこと。ただでさえ裏側は危険だし、殺伐としてるし、淀んでるから。表では摩擦を生まないように柔和で高嶺の華であるフェリシアでやり過ごしてるのよ。精神衛生上もそっちの方がいいのよね」
自分よりもずっと早く起きて作ったのだろう、可愛らしいお手製っぽい弁当を口に運びながらフェリシアはつまらなそうに答える。
自分で高嶺の華と言ってしまうあたりどうかと思うが、とは言え事実だしさも当然のように口にするので嫌味にならないのはすごいことだ。
であるならば昨夜のあの姿――こてこての魔法使いとしての格好――も同じようなものかと思い至り尋ねてみた。
「ええ、形から入るというのは魔法においては初歩の初歩。世界に己の法を押し付けるにはまずそれに応じた形を作るのが手っ取り早いの。ケースに応じて対応できる形をできる限りでも被せるのは嗜み」
魔法のことはわからないが、とにかくあれは趣味でも酔狂でも隠れた少女の変身願望とかでもないらしい。
となると昨日笑っちゃったのは悪かったかなと、「昨日は笑ってごめん」と素直に謝った。
「……あなた、なんて言うか、本当に変わってるわね」
「そう?」
「ええ、普通、こんな得体のしれない女が現れたら避けるでしょう? 実際、避けてたじゃない。なのに、魔法使いの私を知った方が距離が近いってどういうことよ」
何か得体のしれないものでも見るかのような微妙な視線を向けてくる。
「それでいて、別に何か聞いてくるわけでもなく淡々とそこにいるだけ、むやみに踏み込んでくるわけでもない。同居もあっさり受け入れちゃうし、私が投げよこすまで対価って考えもなかったみたいだし」
フェリシアは本当に不思議そうに首をかしげる。
「気にならないの? いきなり裏側に引きずり込まれて、これまで見たこともない存在につけ狙われて、挙句の果てに同居人に魔法使いよ?」
自分で言っちゃうあたり、魔法使いという存在が表では異物であることを深く理解しているらしい。
少し考えて、特に考えることもなかったと思いなおす。
ただ真っすぐにフェリシアを見つめた。
「まあ、魔法使いだからどうとかは思わないかな。むしろ、少し親近感が湧いたよ。表側のフェリシアは隙が無さすぎて、正直、気持ち悪かったし」
「……はっきり言うわね」
「まあね。だけど昨夜からの君を見て、口調はきついけど優しいところとか、意外と律儀なところとかを知って。ああ、普通に一人の人間なんだなって思えた。君の事情とか魔法のこととか裏側の詳細とか、いろいろ気にはなるけどそれは必要になった時に聞くことにするよ。今はいい」
そう言って、残っていたパンをイチゴジュースで流し込む。
「それじゃあ、先に行くよ。確認しないといけないことがあるから、生徒会室に顔を出さないと」
進学校だけあって優秀な生徒が揃っているから生徒会長の仕事はそんなに多くない。
文化祭の準備も最後の追い込みのこの時期になると、後はそれぞれの担当やクラスで勝手に進んでいく。
自分の仕事は生徒会長にしかできない書類の確認と決裁ぐらいなもの。
もう当日まではそんなにやることもないのだがとは言え、全部任せきりは悪い。
軽く手を振って階段口へと向かう。
「……本当に、変な人ね」
小首をかしげるフェリシアの様子が見えるような声を背に屋上を後にした。
◇
放課後。
文化祭の手伝いでもしようとした一真は、会長は十分、働いたからと生徒会室を追い出された。
クラスの方の屋台の準備も特にやれることがない。
全体の統括で時間を取られあまり顔を出せなかったからだ。
今更、混ざってもむしろ邪魔になるだろう。
文化祭まであと半月足らず、しばらくは放課後に時間が空きそうだ。
どうするかと思案し、ふと思いついて駅に向かう。
電車で一駅、そこから歩いて数分。
十二歳までの子供を重点的に預かる児童養護施設へと足を運んだ。
「あ! 一真兄ちゃん!」
そこそこ広い屋外遊戯場で遊んでいた子供たちの何人かが一真を見つけて駆け寄ってきた。
「やあ、こんにちは」
柔らかく微笑んで集まってきた子供たちの頭を軽くなでてから、施設の中に入って顔見知りの男性職員に声をかける。
「藤村さん、こんにちは。久々に時間ができたのでボランティア、していってもいいですか?」
五十代後半ぐらいのベテラン、藤村さんはいつもありがとうと気のよさそうな顔を向けてくれた。
お許しを貰いカバンを置いてブレザーも脱いでから遊戯場で子供たちと遊びに興じる。
毎度思うが子供という生き物はエネルギーの塊だ。
特にここは事情が複雑な子供も多いからか、持て余したような感情の波がある。
少し目を離すと喧嘩になったり、情緒不安定になって泣き出したりする子も多い。
そんな子供たちをあやし、その激情を遊びの中で上手く昇華させていく。
回という、ある意味では子供以上に奔放でワガママな謎存在の相手を日々こなしているのだから耐性が違う。
なんせ今も視界の端では、回が子供たちを追いかけてフワフワと子供以上にはしゃぎ回っていることだし。
経験も一年以上ある、ボランティアとしてはもうかなりのベテランだと言っていいと思う。
三十分ほどそうしていただろうか、そろそろ夕食や入浴の時間が始まる。
子供たちが施設内に戻っていくのを見届けてシーソーに腰かけて息をついた。
静かになった遊戯場を見回していると、ドーム型の遊具の中で膝を抱えて座る男の子の姿が目に入る
はじめて見る顔だ、十一、二歳ぐらいか。
新しく入所してまだ馴染めていないのだろう。
驚かせないように大きめに足音を響かせながら、そっと傍にしゃがみ込んだ。
「こんなところでどうしたの? みんなもう行っちゃったよ?」
穏やかに声をかけるも顔を背けて体を縮こませるばかり。
それ以上は何も言わず、ただその隣でぼうと空を見上げる。
穴から差し込む光はすでに夕焼け色へと変わっている、もうすぐ日が沈み夜が来るだろう。
裏側を知った身としてはそうなる前に帰りたいが、かといってこの少年を放っておく気にもなれなかった。
職員さんがすぐに迎えにくるだろうから、それまでは傍にいてあげようと本格的に腰を下ろす。
しばらく、無言の時間が流れた。
「……なんか言わねえの?」
少年がぶっきらぼうに声をかけてくる。
「言わないよ」と視線を合わせながらできるかぎり優しく告げる。
ここへ来たばかりならおそらく家庭に大きな、それも悲劇的な変化が起きたばかりなのだろう。
そういう時に、他人が慰めを口にしてもどうにもならないことはわかっている。
その言葉に毒気を抜かれたのか。
少年は少しだけ肩の力を抜き、膝に顔を埋めたまま口を開いた。
「……変な奴」
本当に変だとよく言われる日だ。
そういえば会ったばかりの頃の翔からもそんなこと言われたと思い出す。
第一印象は大体、真面目かお人よしか変な奴で分かれるらしい。
自分では全くわからないのだが。
藤村さんが少年を迎えに来るのが遠目に見えた。
立ち上がり、最後に名前を尋ねてみる。
「……
「映自君ね、僕は一真っていうんだ、今度は一緒に遊ぼうね」
少年――映自君は小さく頷くだけ、それでも大きな前進だろう。
カバンやブレザーを持ってきてくれた藤村さんに礼を言って帰路につく。
幸い、その日は変なモノを見ることはなかった。
◇
「お帰りなさい、遅かったわね」
能家のリビングに足を踏み入れた一真を待っていたのは、併設されたキッチンで料理をしているフェリシアの姿だった。
問題は彼女が黒のランジェリーの上に直接フリルのエプロンを着けているという極めて破壊力の高い格好であることだが。
「ただいま、ちょっと児童養護施設にボランティアにね」
「へえ、本当に型にはまったような優等生ね。まあ、お疲れ様」
もう慣れた、もはや何も言う気になれず他愛ない言葉を返すだけ。
フェリシアも気に留める様子はなく食卓に料理を並べていく。
きちんと二人分あった。
「作ってくれたの?」
「まあね、一人分も二人分も手間はそう変わらないから、ついでよ」
「それでも嬉しいな、誰かの手料理なんて久しぶりだよ」
両親が死んでから自分以外の手料理を食べたことは外食を除けばなかった。
フェリシアは「そう」と呟くだけで、エプロンを外してさっさと食べ始める。
ありがたく卓について「いただきます」とサーモンソテーを口に運んだ、見た目の華やかさを裏切らずおいしい。
傍からその様子を見聞きする者がいれば、まるで新婚のはっちゃけた夫婦のような。
あるいは長年連れ添った熟年夫婦のような奇妙な落ち着きを感じられたかもしれない。
『……何なの、この新婚みたいな一場面。私に触れる体さえあれば一真の胃を鷲掴みにできるのに』
本当に感じている奴がいた、回の不穏な呟きをいつも通りに無視する。
実際のところ、そんな浮ついた気配はない。
フェリシアはどこまでも自然体で、自分は自分で年頃の男子学生とは思えないほどに枯れている自覚があった。
料理を口に運びながら何となく、他愛のない話をぽつぽつ交わすだけ。
フェリシアは今日の放課後、この周辺を回っていたらしい。
監視も終わって地理や施設、裏側との接点の強い場所などを探っていたとのこと。
特に何もなく食事は終わり、洗い物は引き受けて、フェリシアはさっさと部屋に籠ってしまった。
◇
翌日、昨日と同じように洗面台で一真はフェリシアと遭遇した。
その日の下着はこれまた高級そうなランジェリーで色は白、いつも通り扇情的だが昨日の黒より布面積が少しは多いのが救いか。
いつも通り習慣をこなし、別々に家を出て、放課後はボランティアに向かう。
その日は映自君も皆の輪に入って遊んでいる姿を見られた。
だが何となく違和感を覚える。
精神的に参ってそうなのは確かだが、何と言うか、一線を引いている感じがするのだ。
「いってえ! 気をつけろよ!」
サッカーをして遊んでる時のこと、映自君が他の子どもの足を踏んでしまう。
「……ごめん」
特に言い返すこともなく素直に謝る映自君、その顔はどこまでも他人事のように見えるのだ。
他者を敵だと思ってしまう、信じることができない。
それでも自らの激情の発散場所を求めて結果的には他者を必要とする。
依存してしまうのが精神的に乱れた、それもまだ自我形成の未熟な子供の傾向だと考えている。
だが映自君は自分はここにいてはいけないと感じているかのように見えた。
自分を中心として他者を拒絶する乱れではなく、他者の輪から自分を排斥するかのような強固な思い。
全て自分が悪いのだと、どこまでも自罰的なあり方。
「……映自君、あんまり喧嘩とかしてほしくはないんだけど。言いたいことがあればきちんと言ってもいいんだよ」
日が落ちる前、昨日と同じようにドームの中で膝を抱えている映自君にそんなことを言ってみたのだが。
「別に、なんもないよ、言いたいことなんて。それに言っても無駄だし」
そう言って膝を抱えてうずくまるだけ。
言いたいことがないわけではないのだろう。
それが喉から出かかって、だけど出せないという感じ。
無理に聞こうとはせず、ただ傍にいた。
そして次の日、そんな自罰的な理由は明らかになる。
いつも通り子供たちの相手をした後、藤村さんが迎えに来るまでドームの中で並んで空を見上げる無言の時間。
そんな緩やかな空気を裂くようにひび割れた声が響いた。
「……俺、弟を殺したんだ」
絞り出すような、穏やかじゃない告白。
「双子で、俺と同じ顔をしてた。どこに行くにもいつも一緒で、一緒じゃなきゃいけない気がして。なのにあの日、俺は弟を置いて一人で家を出て遊びに行ったんだ。そうしたら、家が火事になって、死んじゃった」
それは閉ざしたくても閉ざしきれない罪の告白。
淡々と言葉を紡ぐ少年の言葉に虚空を仰いだ。
双子であることを除けば、こういう施設ではよくある――あまりにもありふれた悲劇の形だ。
その後のことも大体見当はつく。
子供が片方亡くなって、責任の所在や喪失感の乖離でご両親の仲が崩れ家庭崩壊。
残った子供が養護施設に入ることになったというところか。
それは映自君のせいではないだろう、だが彼は幼いながらに罪の意識を自らに内包してしまった。
それ故の拒絶、自分はここにいてはいけないという悲痛な思い。
かける言葉は見つからない、この子が自分で乗り越えなければならないことだ。
だけど、それでも、傍にいて話を聞くぐらいならできるだろう。
それしか、自分にはできることがないのだから。
ぽつぽつと、弟との思い出を淡々と語る少年の声に耳を傾ける。
こんな映画が好きだった、あんな食べ物が嫌いだった、そんなところが好きで嫌いだった。
同じような趣味嗜好、重なり合う思考回路、切っても切り離せない在り様。
そんな話をただ静かに頷きながら受け止めて。
いつも通りまた明日と、また遊ぼうと約束して帰路についた。
◇
「ねえ、フェリシア」
フェリシアの気まぐれと思われた夕食作りはこうして三日目も続いている。
その最中の雑談で一真はふと、抱いた疑問を口にしてみた。
「身内を亡くしてひどく塞ぎ込んでいる子供がいるんだけどさ。魔法使いの目線から見て強い喪失感とか罪悪感って、裏側の世界に影響したりするものなの?」
裏側を知ってしまうとああいう精神的に乱れた、それも強い罪の意識を持っているような状態はまずいのではないかと思うのだ。
守秘義務があるため直接、相談できないのが歯がゆいが裏側の知識が何かヒントになればと話を振ってみる。
「……急にどうしたの?」
「いや、ボランティア先での話なんだけど。ある子が他の子とは少し様子が違っててさ。自分は生きてちゃいけない、みたいな強固な拒絶を感じるんだ」
フェリシアは食事の手を止め、真剣な顔でこちらを見やる。
「そうね。そういうひどく乱れた精神、揺らいだ魂は裏側に取り込まれやすいわ。特に、その喪失の原因が自分と近しい存在であればあるほど、厄介なことになる」
フェリシアは付け合わせのミニトマトを二つ、両手の指先でつまんで転がし始める。
「その亡くなった身内というのがただの家族ではなく、もっと魂の結びつきが強い相手――双子だったりした場合なんかは最悪ね」
「……双子?」
まさか察したわけではないだろうが、いきなり核心をつく双子という言葉が出てくると驚く。
それを内心に隠しながら話の続きを促した。
「そう、双子であることは呪いの触媒としてはぴったりなのよ」
ああ、本当にどこまでも裏側的な話なのか。
それにしても、いったいどんなところに着目しているのだろう。
魔法使いの考え方はわからない。
いや、魔法使いは研究者でもあると言っていたからむしろ自然なのか。
一を聞いたら別の角度から何かがずれた十を返してくれる感じは確かに研究者っぽい。
学校にも何人かそういう気質の生徒や先生がいるのを思い出し何となく納得する。
とは言え食事時に真剣な顔でする話でもないと思う、話を振ったのは自分だが。
そんなこちらの微妙な内心などつゆ知らず、フェリシアは言葉を重ねる。
「双子って魂の結びつきが強いのよ。一つの魂が二つに分かれる、あるいは一つの魂を二人で共有している場合もあるの。双子、それも一卵性双生児ともなるとその結びつきは文字通り一心同体レベル。その片方が死ぬとどうなると思う?」
「……どうなるの?」
思わずつばを飲み込んで答えを待つ。
「片方が生者の世界に、片方が生の先の世界へと至る。そこに見えなくともつながりができたままだと、片方が片方に引っ張られることがあるのよ。生者に引かれれば死者の在り方が現世に留まって、あまり良い結果は生まないわね。死者に引かれれば、そのまま連れていかれるでしょう」
ミニトマトを一つ口に放り込んで咀嚼し、胃に落としながらフェリシアは続ける。
「知識があって力ある者ならそのつながりを利用して死者の世界の観測道具として使ったりするかもしれない。あるいは何かを呼び出すための触媒、生贄として使うか。双子じゃなくても、まだ心が剝き出しの子供のつながりはいろいろと悪用しやすいことが多いの」
何となく察してはいたが、やはり子供を利用するような者もいるということか。
「もしそのボランティア先の子供が何かしら特異なケースに当てはまるなら、気を付けて見ておきなさい。あるいは、関わりを断つ方がいいわ。あなたはもう裏側の認識を開いたのだから、あなたを通じて周りの誰かが裏側の何かに目をつけられる可能性も否定できない」
それは、これまで考えてもみなかったこと。
自分がこれからは誰かを引きずり込む側になるのか。
「そうなった時、知識のないあなたでは対処できないでしょう?その誰かだけでなく、あなたの身も危ういわよ」
と、そこでフェリシアは思案するように目を伏せて、何事か考え込むように黙ってしまった。
フェリシアの言葉を反芻しながらぺろりと手料理を平らげると「ごちそうさま」と食器を洗いにシンクに向かう。
無心で皿を泡立てながら思考は映自君のことに飛んだ。
自分だけがどうにかなるのならいい、それが自分の選択であるならばしょうがないことだと受け入れられる。
しかし、自分が原因で映自君に危険が及ぶとなれば話は別だ、しかし関わらずとも何か起こったらどうする。
思考が堂々巡りしそうになって、それは唐突に断ち切られた。
こういう時、あまり悩み過ぎず即座に答えを選べる単純な頭に感謝しよう。
また遊ぶと約束した、ならばその約束を果たそうと即座に切り替える。
その結果、何かを引き寄せてしまったなら、あるいは何かに巻き込まれたなら。
その時は全てをかけて映自君を助ける、もとより自分には己を張ることしかできないのだから。
◇
「映自、あなたは同い年でもお兄さんなんだから、きちんと弟を守るのよ。あなた達は普通の兄弟よりずっと結びつきが強いの。離れたくても離れきれない時もある、だから大切にしてあげなさいね」
お母さんのそんな言葉を思い出す。
生まれた時から同じだった弟。大切なはずだった弟。
弟が笑うと自分が褒められているかのようで、泣くと自分が責められているかのようで。
俺の心はいつも弟と共にあった。
そんな弟が死んだ。 なんで離れたんだろう。
なんで離れた。
『
そうだ。
だから、
ピチャリ、と、頬に冷たいものが落ちてきたような気がする。
目を開けると、真っ暗な天井から
焼け焦げたような匂い、耳元まで裂けたような異常な笑み。
泥のように黒い瞳が、俺の瞳と至近距離で交差する。
『イッショニ、モエヨウ?』
「はっ……!」
布団を跳ね飛ばすように身を起こした。
荒い息を吐きながら周囲や天井を見渡す。
影は、ない。
周りの子供たちは、起きている時の不安定さが嘘のように安らかな寝息を立てている。
こんなところでも、自分だけがいつまでも乱れているのかと頭を抱えた。
そんなの当然か。
だって自分は手放したのだから。
弟を手放して、半身を失った。
もう二度と元通りにはならない、取り返しのつかないこわれもの。
ああ、本当に。
失ってから気づくなんて、なんて人間らしいおろかさなのだろう。
◇
翌日の放課後のことだった。
自分なりに覚悟を決めていつも通りボランティアに顔を出せば、施設内は陰鬱な騒ぎに包まれていた。
映自君が消えた。
半ばパニックになっていた藤村さんからそのことを聞いて、一真はすぐさま走り出した。
その足で図書館に駆け込んでここ数か月の地域紙をまとめて出してもらう。
根拠はない。だが、罪の意識を抱えた映自君が行く場所は一つしかないと直感が叫んでいた。
斜め読みしながら火事の事件、それも子供が犠牲になった事件の詳細だけを頭に入れていく。
そんなに数は多くない。全部で三ヶ所、電車でも数駅程度離れているぐらいで今日中に回れる範囲だ。
しらみつぶしに火事現場へ足を運んだ、日が落ちるのも気にせずに。
そして最後の現場へたどり着く。
街外れの閑静な場所。
延焼によって壁の七割方が黒く炭化し、骨組みやコンクリートの土台が剥き出しの崩れかけて放置された家の中。
そこに、映自君はいた。
児童養護施設でもそうしていたように、部屋の隅で膝を抱えてうずくまっている。
最初にそうしたように、わざと足音を大きく響かせながらその傍にしゃがみ込んだ。
「……こんなところにいたら風邪を引くよ。帰ろう、映自君」
声は確実に届いているはずなのに、なぜかその距離がひどく遠いように感じた。
わずか一メートル足らずの距離が、まるで深い谷底を挟んでいるかのよう。
その身は、心は、もうすでにこの世界にはないのだと突きつけるような、圧倒的な断絶感。
それを認めたくなくて、ただ手を差し伸べた。
「……無理だよ。だって、俺は生きてちゃいけないんだから」
それになんと返せばいいのだろう。
そんなことはない、君にはまだ未来がある――そんな安っぽい言葉を言って何になるのか。
フェリシアの話を思い出す。
双子の繋がりは魂の繋がり、あるいは共有だと言う。
もしそれが本当なら映自君は文字通り、半身を失ったのだ。
存在の半分がこの世界とは別のどこかへと行ってしまったのなら、いったいどうやって引き戻せばいいのだろう。
そんなことはできない、そんな力はありはしない。
「……回、何か手はない?」
回は、もう終わったものを見るかのような無感動な視線を映自君に向けていた。
『ないよ。その子はもう、この世界の道理から外れた歪なもの。最初から、それには未来なんてなかったの』
回は木戸と邂逅した時と同じように、どこか超越的な雰囲気で、全てを承知したかのように言葉を紡ぐ。
聞き逃すにはあまりにも冷淡に思えて、しかし今は回の方へ意識を向けることができなかった。
あまりの悪寒に崩れかけた家屋の、闇の奥を凝視する。
そこから、泥水が逆流するようにして子供の形をした真っ黒な影が這い出る。
輪郭がぐちゃぐちゃにブレて、それでもかろうじて、それは映自君と瓜二つの顔を構成していると理解できた。
――アア、オレガコロシタ――オマエガコロシタ――コロシタイカラコロシタンダ
空気が凍りつくような呪詛の声。
「君は……弟さん、なのか?」
弟の幽霊か、あるいは怨念のようなものなのか。
それが映自君を殺しに来たとでも言うのか。
「頼む、やめてくれないか。君のお兄さんはずっと悔やんで、罪を感じていたんだ。決して殺したいから殺したわけじゃない!」
もう言葉は通じないのか、何の反応も見せることなく。
ずるり、ずるりと影が映自君ににじり寄る。
ここにいちゃいけない。
映自君を抱き寄せてそのまま走り出そうとした。
だけど映自君自身が強く押し返しその腕から逃れてしまう。
それは子供とは思えないほどの力強い抵抗で、体勢を崩して瓦礫の上に倒れ込んでしまった。
立ち上がろうとした時には、影はもうすぐ傍に立っている。
ふらふらとその影に手を伸ばしながら近づいていく映自君を守ろうと、その間に身を滑り込ませようとして――。
「……だから、あなたはまず自分の心配をしなさいな」
はじめて会った時と同じ、心底呆れたような魔法使いのフェリシアの声が響く。
崩れた天井の隙間から、月光を背に箒に跨り浮かんでいる彼女の姿が見える。
杖が弧を描き、その軌跡をなぞるように純白の光が空中に幾何学模様を刻んだ。
白い光が周囲を照らし、焼け焦げた家屋が昼間のように浮かび上がる。
這い寄っていた黒い影が光に触れた瞬間、何かに焼かれるように音を立てて煙を上げて。
弟の亡霊であろうその影は、恐怖に歪んだ顔で後退しようとした。
「――光よ」
それを許す間を与えることなく、フェリシアの声が夜空に響く。
魔法陣が眩く輝き――光の奔流が真っ直ぐに影へと放たれた。
圧縮された純粋な光の束が闇を切り裂き、影を包み込む。
「――ア、アア――」
影が消滅していく、触れた部分から砂のように形が失われていく。
輪郭が揺らぎ、ぼやけ、溶け――弟の顔の形をしていた部分が音もなく霧散した。
魔法陣が静かに夜に呑まれて、スイッチを切ったかのように光が消える。
「……フェリシア? どうしてここに?」
緊張を解き呆然と立ち止まった映自君を横目に、少し離れたところで箒からふわりと降り立ったフェリシアに駆け寄る。
「ちょっとね。ここ最近、この近辺でドッペルゲンガーが頻出してるって噂があったから見て回ってたの」
「ドッペルゲンガーって、自分と同じ姿形をした何かが襲ってくるっていう、あれ?」
「そうよ。ドッペルゲンガーは他者から自分への、あるいは自分から自分への呪いの具現。誰かを呪う情念がその相手の形を模って自分自身を殺しに行くのよ。まあ、大抵は殺す力なんてないのだけれど、ここしばらくは死亡するケースが多くて調べてたの」
どうやら自分の知らない時、知らないところでフェリシアは頑張っていたらしい。
そのおかげで助かったと、お礼を告げようとして。
息を呑んだ。
フェリシアの顔はこれまで見たことがないほど、どこまでも冷酷で。
その杖にはすでに翡翠色の小規模な幾何学模様が装填されていた。
「悪いけれど、まだ終わってないの。――風よ」
無造作に振るわれた杖。ふわりと前髪が浮き上がり。
何かが空間を鋭く切り裂き、重い肉の塊を弾き飛ばすような凄惨な音が響いた。
――振り向けば、そこには腰から真っ二つに切断された映自君の姿。
大量の血液と内臓をぶちまけながら、ふらりと残っていた下半身が崩れ落ちる。
吹き飛ばされた上半身は少し離れたコンクリートの壁にどさりと叩きつけられ、首が奇妙な方向に曲がっていた。
「……え?」
なぜ。
どうして、フェリシアが映自君を殺すのか。
さっき消えたのがドッペルゲンガーなのであれば映自君の弟ではなく、映自君自身の罪の意識が生んだものであるはずだ。
ならそれを消せば終わりなんじゃないのか、なのになぜ映自君を殺した。
頭が混乱する。
耳鳴りが止まらない。
血の匂いに吐き気がして、視界がぐにゃりと歪む気がする。
なぜ。
どうして。
冷酷。
残忍。
――魔法使いは裏側に染まった化け物で、全く違う倫理や道徳を持つ生き物なのか。
強く頭を振った。
一度、深く、深く深呼吸をする。
「どうして、殺したの? 何か理由があるんだよね?」
フェリシアの顔はいつも通り何の興味もなさそうに見えて、しかしてほんの少しその目が見開かれたような気がした。
「……どうして、特別な理由があると思うの? ただ目撃者だから消すとか、裏側に関わったのだから始末したとか、そんな身も蓋もない理由かもしれないわよ?」
突き放すように、どこか冷酷な魔法使いを演じるようなフェリシアを見つめる。
どうしてか、本当にどうしてだろう。
怒りに身を任せて怒鳴りつけでもしてしまうような状況だった気がする。
凄惨な死を前にして、混乱のままに激情をぶつけてもいいはずだ。
木戸が人を喰らった時のように。
だけど、まだ出会って一月も経ってないけど。
魔法使いのフェリシアを知ったのは、ほんの数日前だけど。
お互いに踏み込んだ会話なんて何一つしてない。
同じ家にいながら無関心にすれ違うことの方が多い。
だけど、それでも滲み出るフェリシアの優しさや生真面目さを知っている。
たぶん、夜遅くまで何かをやって、それでも自分より早く起きてお弁当なんか作ったりして。
ついでだと言いながら夕飯を用意してくれて、何だかんだ真剣に相談に乗ってくれたりもして。
呆れたように誰かの命を諦めないでいてくれる、それはとても尊いことに思えた。
そうだ、こうして振り返れば、彼女を信じない理由を探すほうが難しい。
少なくとも、これまで見てきたフェリシアは、きっとすごく頑張り屋で、真っ当に生真面目で。
人の命を大切だと思える人――。
「……そうだね。だけど、まずは君を信じてみたいんだ」
だから、迷いなくそんなことを口にした。
「いやまあ、理由はあるよ。ほら、僕が生きてるし。本当に目撃者とか裏側に関わったからとかが理由なら、僕が生きてるのはおかしいじゃない? 魔法も暗示も効かないんでしょ? なら僕の方がよっぽど危険人物だし、生かしておく理由なんてないし」
信じると決めたら、頭が勝手に回り出してすらすらとそれっぽい理由が出てくるから不思議だ。
フェリシアを見れば、その端正な顔からは能面のように表情が抜け落ちている。
何かまずいことを言っただろうか。
「ごめん」と何となく謝ってしまう。
フェリシアは再起動したかのように小さく頭を振って、無言で映自君の上半身に近づいた。
ついていった一真は、その上半身を視界に入れて呆然とする。
切断され、血だまりの中に沈むそれは――まだ生きていた。
手が跳ねるように蠢き、口は激しく呼吸を繰り返し、目は限界以上に見開かんと震えている。
生命の構造として、あり得ない。
「……この子も、ドッペルゲンガーだったのよ」
フェリシアは哀れなものを見るように足元の映自君だった何かを見下ろす。
「この家には二体のドッペルゲンガーがいた。弟が兄を呪って生まれたドッペルゲンガーと、兄が弟を呪って生まれたドッペルゲンガー。互いが互いを呪って、その存在を否定した」
それは、兄弟はお互いに、己の似姿を疎ましく思っていたということで。
「最後には、両方とも命を落とした。後には二体のドッペルゲンガーだけが残ったのよ。火事の時にすでに二人とも死んでいて、後に兄の方のドッペルゲンガーは本人と入れ替わって生活し始めた」
「……なんで」
それは、誰に向けた言葉だったのだろう。
だが、映自君の姿をしたものはそれに反応した。
「……ああ、だってオレは。オトウトがいるかぎり、オレになれないとオモッテいたんだ。いつもアイツが、オナジカオのオレが、オレのオモイをキメテしまう。ウバッテしまう。オレはいつもフジユウで、シバラレテルみたいで」
その瞳から流れる涙は、赤黒い血に染まっていた。
「だから、ノロッタんだ。イナクナレバいいとオモッテタ。ヒトリになれば、オレはオレになれるとオモッテイタんだ。でもチガッタ。ボクラはイッシンドウタイで、フタリいたからヒトリだったんだ。ホントウに、オレがバカだったんだ」
体の震えは静まり、呼吸は浅くなり、その目は閉じられていく。
「アア――ほんとうに……ごめんな」
血反吐を吐くような悔恨の言葉を最後に。
映自君は、否、ドッペルゲンガーはその動きを永遠に止めた。
「この場所は忌み地に近いの、力の流れが悪くて裏と繋がりやすい。そこに双子が生まれて、互いが互いを呪い合った。複雑に絡み合った魂は負の情念を増幅させて、裏側の世界と密接に結びついたのでしょう。それが強力なドッペルゲンガーを生み出すきっかけになったのね」
ああと、納得せざるを得なかった。
映自君の罪の意識は弟への、そして自分自身に対しての呪いから生まれたのだ。
ドッペルゲンガーとなってもなお、呪ってしまったことを悔い続けた。
兄弟姉妹なら少なからず互いを呪い合うだろうと思う。
だけどそれはいつか昇華されて、いずれ真っ当な距離感を見つけ出す機会が与えられる。
だけど、双子というある意味では奇跡として生まれた二人はその機会すら与えられることなく。
反転した呪いによってその命を終えたのだ。
ただ、自分という存在を確立したいという当たり前の思いを抱いただけなのに。
それは、悲劇なんて単調な言葉では言い表せないほど強く胸を締め付けた。
手を合わせて祈る。
死後の世界なんてものがあるならそこは裏側のような歪んだ場所じゃなくて、もっと清らかな場所であるはずだと信じよう。
せめてその場所で、その魂がまた一つに結ばれることを。
「もういいかしら。後始末はしなくちゃいけないの。その死体の痕跡を消すわ」
どこか急ぐような言葉に頷く。
「うん、待っていてくれてありがとう」
フェリシアは杖を振るい炎で一帯を焼き払った。
制御されているであろうそれは映自君の痕跡だけを綺麗さっぱり燃やし尽くして最後には何も残さず消えていく。
それが、どうしようもなく寂しい。
これが裏側に堕ちた者の末路であるのならあまりにも救われない。
だけど誰が悪いというわけでもないのだろう、これが世界の仕組みであるならば。
それは、どれだけ辛くても受け入れるべきことなのかもしれない。
「また、助けられたね。ありがとう、フェリシア」
「どういたしましてと言っておくわ。願わくば、もう変なことに巻き込まれないでほしいのだけれど」
それは無理かもしれない。
別に厄介ごとに積極的に首を突っ込みたいわけじゃない。
だけど、少なくともまた目の前で同じようなことがあれば己をかけるだろう。
そんな内心を見透かしたようにフェリシアは大きくため息をついた。
「能、あなた私の仕事を手伝いなさい」
「……いいの?」
「良くはないのだけれど、どうもあなたは面倒ごとを見つけたら首を突っ込んで場をかき回すタイプのようだし。詳しくは言えないけれど、この街にはこれから厄介ごとが増える可能性が高いから。それなら近くで無茶やってくれた方がまだましというものよ」
言い返せないのが悲しい。
「とりあえず、今日は帰りましょう。今度、私が教えられる限りのことは教えてあげる」
歩き出したフェリシアに並んで帰り道を歩く、そこでふと気になったことを尋ねてみた。
「そう言えば、ドッペルゲンガー事件を調査してたって言ってたけど、あれで解決?」
「まさか、ドッペルゲンガーは呪いの数だけ無数に存在する。完全に消し去るのは不可能よ。存在ではなく現象だしね。それに、さっきも言ったけれどそんなに強力な存在じゃないの。あれは土地柄と双子であることが偶発的に嚙み合って生まれた例外。本来、ドッペルゲンガーは霊体、相手に自分の姿を見せて精神を追い詰める程度が精々の下級霊よ。ましてや体を持つなんてあり得ない」
「体がない?」
だけど、映自君には確かに体があった。
「ええそう、だからいるのでしょうね。どういう手段を使ってるか知らないけれどドッペルゲンガーに体を与えた者がいる。ここら一帯で体を持ったドッペルゲンガーらしき存在が同じ姿の本物の自分を殺しているのかもしれない。しかも、相当に完成度が高いのよ、外見だけだとほとんど同じで見分けるのが難しい。さっきの子もそうだけどあれが偽物だと確信するのに結構な時間が必要だったの」
専門家だというフェリシアが一目で見抜けないほどの似姿が街中にいるかもしれない。
それがどんな事件を起こしているのか考えるだけでも背筋が凍る。
「あんなのが何体もいるのなら入れ替わった者はもっといる可能性がある。事態は相当に深刻よ、だから、関わる気なら覚悟を決めなさい」
それは本格的に裏側へ、非日常へと足を踏み入れる合図だった。
◇
深夜も遅くなってフェリシアと帰宅した一真は自室でベッドに深く身を預ける。
簡素な部屋だった。
勉強机に参考書や様々なジャンルの本が並んだ本棚が三つ。
備え付けのクローゼットには制服といくつかの私服がパターン化して並んでいるだけ。
楽しむ余裕や無駄を生きる余白というものが欠落している、生きることが義務であるかのように思える有様。
だが、一真にとってはその部屋こそが最も落ち着ける聖域だった。
これ以上も以下もないと思える部屋。
だが、今の自分の心は少なからずざわめいている。
映自君の、否、ドッペルゲンガーの最後が何度も何度も頭の中で再生され続ける。
手遅れだった、自分が彼と出会った時にはすでに何も救いはなかったのだ。
誰の責任でもない、あるいはフェリシアが推測していた体を与えた誰かの責任だろう。
できることは何一つ存在していなかった、干渉する余地など皆無だった。
だが、それでも、最後の最後で悔恨に沈んでいったあの姿を思うと。
せめて少しでもそれを軽くしてあげられたらよかったのにと思うのだ。
『……また、難しいこと考えてるの?』
回がそっと傍に寄り添ってくる。
感触などない、ただ傍にいるだけの幻覚のようなもの。
いつもならただ騒がしく、しかして遠慮なくものを言える。
何となく心を温めてくれるその存在も今は煩わしい。
「……回、君は映自君のこと知ってたの?」
木戸の時のように、回は全てを見透かしたように言葉を紡いでいた。
『ううん、あの廃屋で彼を見てから、一真に問われてから頭の中に流れるように答えが浮かんだの。本当だよ? 隠していたわけじゃないの。私には……どうにもならないことだから』
その表情も声音も、嘘を言っているように思えない。
だけど、短期間でいろんなことが起き過ぎた。
路地裏に引き寄せられた気がして、木戸と出会い、世界の裏側に足を踏み入れたあの時から。
言葉にはせずとも、見ないふりをしようとも、回に対する様々な疑問が渦巻いている。
正体不明のこの妖精のような少女と、これからどのように付き合っていくべきなのか。
珍しく答えが出せない、白とも黒とも付けられぬまま、留保するしかないという状況。
こんなこと、まだ大して生きてないとはいえ人生で一度もなかった気がする。
少なくとも印象に残っている範囲では覚えがない。
あの最初は得体の知れなかった魔法使いであるフェリシアのことですら、信じようと決断できたというのに。
回は縋るようにシャツの裾を掴むようにして、そっとその小さな手を合わせてきた。
『本当に、なんでなんだろうね。私は一真が大好きなだけなの。あなただけが私の全てなの。あなたに悲しんでほしくない、死んでほしくない、その魂が穢れてほしくない。この気持ちは本物だと思う』
いつものように笑えていない、どこか泣きそうなその顔に、胸を締め付けられるような気がするのはなぜだろう。
そもそもなぜ、ここまで自分に好意を持っているのかもわからない。
昔は、自分の無意識の寂しさを埋めるためだからと納得していた。
だが、回が自分のイマジナリーフレンドではないのなら。
一個の独立した存在であるのなら、そのストレートな好意の意味がわからない。
わからないことだらけだ。白黒つかないふわふわした印象だけが募る。
――だからこそ、これは大切な何かだという気もするのだ
『だけど、私は何の役にも立たない。時折、勝手に頭に入ってくる知識や情報があるだけ。何にも触れない、何もできない、傍にいることすら儚い。こんなに近くにいるのに、どこまでも遠いの』
それは心底から心が痛むのだと、絞り出すように告げられた声だった。
『……フェリシアが、うらやましい』
回は目を閉じて、ただ隣でその映像を結ぶだけ。
手を伸ばしてその頭を撫でようとして、いつものようにそれはすり抜けるだけだった。
それでも、回は本当に撫でられたかのように嬉しそうに笑った。
その顔を見て、とりあえず決める。
これまで通り、共に歩んでいこう、いつか全ての疑問が晴れるその時まで。
その時になって答えを出せばいい、それまではいつも通りのイマジナリーフレンドでいい。
目を閉じて、意識を眠りに沈ませた。