朝の習慣を終え、昼食を取ってから一真はフェリシアを連れて形代の屋敷に再訪する。
客間では三人がすでに机を囲んで座っていた。
机の上には街の地図が一枚、赤い線で囲ってある場所が何箇所か。
こちらに気づいて綾理ちゃんが穏やかに見える顔で手招きしてくれる。
それに応じて向かい側に腰を下ろした。
隣のフェリシアがまじまじと綾理ちゃんの様子を探るように見つめているのがわかる。
事前に伝えてはいたのだが、やはり心配は抜けないらしい。
「そんなに見るでない。とりあえずは、もう大丈夫じゃ。足は引っ張らん」
フェリシアは最後に游里さんに視線を送る。
泰然自若、あるいは頭が空。
「……そう、ね。わかった、信じましょう」
それ以上は追及しない構えを見せた、ほっと息をつく。
「それで、これは?」
「うむ、先ほど人形の記録を通じて街中を視てみたのよ。人攫いの現場や犯人は捉えられなんだが、人形の感覚が特に強く、恣意的に乱れる地点があってな。印をつけてみたのじゃ、時系列順にな」
「いやあ、やっぱ綾理はすごいわ。おかげで警察相手に話をこねくり回す必要もなくなった」
游里さんの呑気な感想は聞き流して地図に視線を落とす。
地図上の印はまず街はずれから、徐々に街の中心である常磐駅あたりへと近づいている。
無差別大量誘拐が始まる直前は歓楽街。
「常磐駅周辺の雑居ビルの一つで、何者かが無茶苦茶やってたのは確かみたいっすね。痕跡が残ってたというか、もはや隠す気もないって感じでした」
朔さんが一枚の写真を地図上に滑らせる。
部屋中にまき散らされる血痕、天井まで余すことなくびっしりと。
一体、どれだけの人が犠牲になったのだろう。
少し心配になって綾理ちゃんを見やるが、心乱れてはいないようだった。
だけど、また顔から表情が抜けたのが傍目にもわかる。
「痕跡を隠さなくなったのは準備がある程度、整ったということでしょうね。なのに、相変わらず姿は隠して誘拐は続けている。……そうね、こいつは何かを待っている、誰かを狙っている。でも居場所を掴んではいない。だから、派手に事件を起こして存在を主張しつつ、相手が尻尾を出すのを待っている感じかしら」
「だろうな。で、その相手は十中八九、私らだろう。一般人ばかりで影幻界関係者には一切、手を出してないからな。明確な対象が決まっている、にも拘わらずこれだけの認識系魔法を操る奴が場所を絞り込めないとなれば、一真の影響下にあるからと結論付けるのが妥当だ。クリスティルが言う玩具の可能性が高い」
ついに現れた、本丸に繋がる敵が。
「ついでにクリスティルがある程度、フェアであることもこれでわかった。ターゲットは教えて、だがそれ以外は何も伝えていないんだろう。魔法的な探知が効かなくともあいつには顔が割れてる。逆に私たちは玩具共の正体すら知らないんだからな。普通に街を歩いて探すこともできるだろう、不意を突くことも容易いだろうに。それでも無茶な事件を起こし続けて待っているのは、こっちの顔を知らないからだ。ここに至るまである程度、慎重に痕跡を隠し続けてきたのがその証拠と考えよう、ついてるな」
ついてるなら、そもそもこんな人たちが来てほしくなかった。
そうであれば綾理ちゃんも、もっと違う形で自分を出せたかもしれないのに。
そう考えると、ふつふつと何かが湧いてくる気がして、頭を振って追い出した。
どんな形であれ綾理ちゃんが堪えているのだ、先走って感情的になるのも違うだろう。
「とにかくじゃ、直近の事件はこの桜台地区に集中しておる。後は、犠牲者の名簿なんぞあればさらに敵の場所を絞り込めるじゃろう。ということで游里、警察からできる限り情報を集めてきてくれ。よかったな、仕事ができて」
「うげえ」と悲鳴をあげながらひっくり返る游里さん。
「それにしても、警察から話を聞くって軽く言ってますけど。そう簡単に教えてもらえるものなんですか?」
ふと疑問に思って尋ねてみる。
守秘義務とかあるだろうに。
「まあ、口の軽い刑事ってのもいるからな。それに、この街の警察にはわりと信頼もされてる。おまけにこれは行方不明事件で、殺人だと警察は掴んでない。全ての行方不明事件が一つの犯人によるものだとも今はまだ思ってないだろう。人探しの名目で行方不明者のリストぐらいは回してもらえるだろうさ」
「……信頼って、なにゆえですか?」
「ああ、私、探偵ってことになってるんだ。流れの女探偵、流 游。かっこいいだろ?失せもの探しからあの子の秘密まで何でも見つけ出す。警察の捜索業務にもちょくちょく手を貸してるんだ」
そんな漫画みたいなと思った。
◇
二日後、本当に印刷された名簿を持ってきた。
放課後に集まって中を見せてもらうと真壁という苗字もある、名前は由美。
その他、特に小学生の行方不明者が圧倒的に多い、名簿の半分はそうだ。
最初はあんまり足のつかなそうな生い立ちであれば、大人学生関係なく無差別に攫っていたようで。
ここしばらくは子供にターゲットを絞ってひたすら続けている。
攫われた人たちを地図上にマーキングしていき、綾理ちゃんの人形の異常の範囲と付き合わせた結果。
「ここと、ここと、ここじゃな」
地図上に示された可能性の高い場所が三か所、ピックアップされた。
「あ、ここなら知ってる。だいぶ前に廃校になった中学校だよね」
桜台地区の外れにある丘陵地帯、周囲にはまばらに住宅が残るだけの寂しい場所。
本格的なベッドタウンになる前はそこそこ人も多かったらしいものの。
ふもとの開発が進みアパートやマンションが立ち並ぶようになると急速に人が移った。
公立中もその影響を受けてより交通の便が良い場所へと建て替えられたと聞く。
古い校舎は使われなくなって今は打ち捨てられているのだ。
「ほう、そりゃおあつらえ向きだな。後は旧道脇の閉鎖されたドライブイン、これは不良の溜まり場になってる場所。それに、バブル崩壊後に打ち捨てられて廃墟化した分譲住宅地跡、ここはホームレスなんかが集まることが多い場所だったか。廃校だけちと遠いな、後の二か所は比較的、近い。三手に分かれるとして、連携をとれるかな。あるいは全部外れか、鉢合わせしたとして時間を稼げるか。移動速度から見ても廃校はフェリシアか?」
「馬鹿言わないの、あなたは朔がいないと戦力半減でしょう。綾理も直接出向いて戦うタイプじゃない。私一人で行くわ。その場で討伐するにしても様子見だけして一度、撤退するにしても私が一番、適している。三か所を順に回ってまずは敵の正体を突き止めればいい」
それは理にかなった方針であっただろう。
だけど、今はそれに異を唱えたくなる子もいる。
「フェリシア、すまんが今回ばかりは、儂はゆくぞ。じっとしているのは我慢ならん。お主が当たりを引いたのであれば諦めもつくが、何もせずにただ任せっぱなしは耐えられん」
「綾理、あなたの気持ちはわからなくもないわ。自分のせいで何かを失うことは耐え難い、それが少なからず心に入り込んだ相手なら。けれどね、今回ばかりは感情的になって失敗するわけにはいかないの。前に失敗した私だから余計にそう思うのよ。悪いけれど……」
綾理ちゃんの言葉を淡々と否定しようとするフェリシアを手で制した。
「僕も綾理ちゃんについていくよ。その敵が認識に作用する魔法を得意としていても、僕には効かないし。何があろうと守るなんて言えないけど、今回ばかりは綾理ちゃんのわがままを聞いてあげてほしい」
わかっている、フェリシアの方が正しい。
戦略的な話をするなら速くて強いフェリシア一人の方がうまくできるのだろう。
それでも、綾理ちゃんの未来を考えるのであればここは無茶をさせるべきだと思えた。
別に親代わりというわけでもないけれど、可愛い子には旅をさせよとも言う。
今、綾理ちゃんは未知の冒険に自ら足を踏み入れようとしているのだ。
それを年長者の理屈で押さえつければ先々で亀裂が生まれるような気がする。
例え危険でも、ここは挑戦を見守りたい。
もちろん自分は近くにいるつもり。
そんな思いを込めてじっとフェリシアを見つめ続ける、フェリシアも逸らさず譲らず。
しばらくの間、見つめ合いが続いて、先に折れてくれたのはフェリシアだった。
「はあ、わかった、わかったわ。なら、私がドライブインと分譲住宅地跡を受け持つ。同じ地区内であれば、二か所を見てから廃校に飛んでも大して時間はかからないでしょう。あなた達のところが本命でも、すぐに加勢できる。それでも、無茶はしないことよ。本当に危険な時はなりふり構わず逃げなさい」
綾理ちゃんと二人揃って頷くのだが、フェリシアの顔は冴えない。
多分、信じられてないのだろう。
特に自分は一度、無茶をやらかしてるわけだし。
「では、今夜さっそくでよいな?儂は準備に入る。十一時頃、屋敷を発とう」
綾理ちゃんは立ち上がるとさっさと客間を出ていった。
足音が完全に消えてからフェリシアが改めてこちらに顔を向け直す。
「一真、改めて言っておくわ。絶対に無茶はしないで、いざとなればあなただけでもなりふり構わず逃げなさい。……意味はわかるわね?見捨てろということよ」
その言葉を言わせてしまったことに胸が痛む。
綾理ちゃんが実際に行方不明事件の犯人と出会ったとして、どうなるかわからない。
本当に未知数だった、これまでの形代家当主としての綾理ちゃんなら冷静に判断を下せるだろう。
だけど今の素の顔を晒した綾理ちゃんが何を選ぶのか、その拙い精神がどう揺れ動くのか。
それがどんな行動に駆り立てるのか綾理ちゃん自身が暗中模索している最中なのだ。
はじめて自分との付き合い方を探っている。
だから逃げられないと、見捨てられないとわかっている、フェリシアの心配させることになっても。
頷くことすらできず、曖昧な態度で濁すことしかできないのを許してほしい。
そんなこちらの内心まである程度は読み切っているのだろう。
盛大なため息をついてフェリシアも立ち上がる。
「私は一度、家に戻るわ。魔道具とか見繕っておかないといけないし」
気持ち、強めの足音を響かせて早足で去っていくのを見送る。
「お前、相変わらず損な役回りというか、不器用というかなあ。もっと適当に、口八丁で誤魔化してもいいだろうに」
片目を眇めた游里さんのちくちくとした呆れ声にも黙秘。
「まあ、とりあえず俺は夕飯の支度に取り掛かるっす。今回は力になれませんから、せめて精をつけてもらえるように腕によりをかけますよ」
朔さんの淡白な気遣いだけが今はありがたかった。
◇
丘陵地帯に向けて走る一台の車両。
どこから持ってきたのか六トントラックの中で、一真は窓の外を眺めていた。
横に座っている綾理ちゃんは目を閉じて、静かに集中を高めている。
冬の空気よりなお冷たく鋭い、刺すような雰囲気が鈍感な自分にもひしひしと感じられた。
運転席に座る千切さんは相変わらずの無表情で器用にハンドルを操っている。
誰も何も喋らないまま、なだらかな登り道を進んでゆく。
家の灯は遠く、あまり手入れのされてない茫洋とした緑が暗く深く。
やがて、丘の上に佇む木造の廃校が見えてきた。
綾理ちゃんがゆっくりその目を開ける。
「……当たりじゃな」
凛とした声が響くが、自分には何の変化も読み取れない。
「認識阻害の結界が今、降りた。特定の地点を基準値から外れた何かが通り抜けると同時に発動する仕掛けじゃろうな。周囲百五十、いや二百はあるな、四辺を完全に覆うものじゃ。痕跡はほぼなく、風景に完全に溶け込んでおる。クリスティルほどではないが、相当隠形に長けた相手であろう」
トラックは廃校の敷地の直前の広場で停止する。
降り立って目の前に広がる光景を視界に収めた。
錆びて拉げた正門、所々腐食して虫食い穴が広がる木造校舎の壁面。
打ち捨てられた設備、塗装が剥げ切って元の姿を忘れた遊具たち。
かつて子供を抱えていたその場所は今や誰にも見向きもされない。
月明かりだけに照らされた廃校は嫌悪され恐怖を植え付ける場へと変貌していた。
「千切、荷台を外しておけ。その後は運転席で待機じゃ。いつでも走れるようにな」
「かしこまりました」
千切さんはこれまた手慣れた手つきでコンテナを取り外しにかかる。
青いビニールシートで盛り上がった荷台に何が入っているかは聞いてなかった。
隙間も闇に塗りつぶされたように中を窺わせてはくれない。
綾理ちゃんはこちらに向き直る。
「一真、最初に言っておく。もし、何かあればお主は逃げよ、千切に送らせる。心配せずともフェリシアもすぐに来る、最悪の事態は避けられるはずじゃ。……見捨てろと言われておるじゃろう?その通りにせい」
「綾理ちゃん、フェリシアは……」
言い募ろうとした自分が今度は手で制された。
「わかっておる、あやつに悪意がないことはな。ただ、お主が心配過ぎるだけじゃ、素直になれんだけよ。まあ、今の儂に言われたくはないじゃろうがな」
微笑みながら、自分自身を高みから見下ろすような真っすぐな声。
三日前に揺らぎ、泣き、全てをさらけ出していた姿はもうない。
完全に纏い直された形代という名の形が今、綾理ちゃんに降りているように思えた。
何があろうと先に進み続けるという覚悟の顔だった、決して十一歳がするような顔ではない。
それでも、これが綾理ちゃんの進む道なんだろう。
「ここが当たりってわかったんだし、フェリシアが来るまで待てないの?」
「待てん、敵はもうこちらを補足しておる。時間を与えるようなことはすまい、引けば向こうも引いて改めて場を整えるじゃろう。その間にまた犠牲者が増える可能性がある。故に最低でもこの場に足止めせねばならん。敵の能力も人数もわからない以上、不利なのは圧倒的に攻め込む必要のあるこちらじゃ。予期せぬことが起こる可能性が高い、じゃから何かあれば必ず逃げよ。お主が死ねば、クリスティルに勝ち目がなくなる。フェリシア達を犬死させることになるからな」
言い返す隙の無い、完璧な説得だった。
これを崩す理屈を自分は持ち得ないだろう。
それでもできない。
約束できないことは、はっきりとわかるのだ。
「……そうやって、やる前から引け腰だったらなにも乗り越えられないよ。皆で帰ろう、そういう未来を思い描くのが一番だ」
だから、気休めにもならない言葉を紡いだ。
自分にできることはそう多くはない、できるのは一人にしないことだけ。
綾理ちゃんは全てを承知していたであろう、それでも楽しそうにころころと笑った。
「そうじゃな、まいろう」
歩き出す綾理ちゃんの背を追って正門を通り抜けた。
やはり何も感じない、だが、十歩ほど歩いたところで綾理ちゃんが止まった。
じとりと、脂汗がにじみ出ているのが薄暗くてもはっきりわかる。
その瞬間は唐突に。
口を開けた正面玄関から幾重もの銀の、否、どこか赤黒くコーティングされた鈍い光の筋が高速で走る。
左右の壁から猛スピードで突っ込んできた人型の人形がそれを受け止めようとしてあっさり絡めとられた。
ぐしゃりと肉がねじり潰されるような凄惨な音を響かせながら視界一面に壁のように広がる何か。
目を見開いて動けていない綾理ちゃんをとっさに抱き寄せて、かばうように背を向けた。
衝撃に備えて固く目をつむる。
しかし、何も起こらない。
ゆっくり振り向いてみると、壁は迷うように空を泳ぎながら緩やかに留まっていた。
目を凝らせば、有刺鉄線のような見かけの何かが束になっているのがわかる。
その壁が唐突に割れた、その隙間から覗く赤い視線と目が合ったような気がした。
正面玄関からずるりと、巨大な手が伸びる。
地を掻くように、抉るように突き立てて体を引きずり出していく。
やがて、三メートルはあろうかという巨体が立ち上がった、立ち上がったはずだ。
それはあまりにも無茶苦茶で、ぐちゃぐちゃで、意味が分からなかった。
何色もの絵の具をぶちまけて人みたいな形を作ったとしか形容できない何か。
辛うじて手足があることがわかる、左右の長さが違うが長い左腕と右足で辛うじてバランスを保っていた。
その顔、口らしきところから咆哮らしきものが響き渡る。
本当に、何もかもがわからない、正体がない。
「う……わぁーーーー!」
呆然とそれを眺めながら停止していた意識が強制的に引き戻される。
沈黙を破る男の子の悲鳴、視線を向けると廃校二階の窓から校庭を見ている人影があった。
「まさか……誘拐された子が?」
死んだと思っていた、無事な者はいないと決めつけていた。
だがもし、まだ無事な子供がいたとしたならば。
「一真ぁ!!!」
腕の中から喉を裂くかのような綾理ちゃんの絶叫。
「頼む!行ってくれ!!」
その言葉に弾かれたように体が反応した。
綾理ちゃんを放して即座に何かに向けて、その先の校舎正門に向けて駆ける。
背後から地鳴りのような足音が響く、自分を追い越して人形達が殺到していく。
それを横目に何かの傍らを通り越して校舎の中へ飛び込んだ。
◇
全身の魔導管を励起させ、群青の光を迸らせながら綾理は唇を噛み締めた。
(情けない情けない情けない!!)
魔眼をもってしてもまるで霧の中にあるかのように全体像がぼやけ正体が掴めない。
敵はこちらの想定を遥かに超えて強大で理解不能だった。
一真に庇われなければ初手で死んでいた、無事だったのは奇跡に過ぎない。
おまけに見捨てろと言いながら、もしかしたら真壁が無事かもしれないという可能性を見てしまった。
一真を危険に飛び込ませた。
全てが悪手、何もかもが甘い想定、緩慢に様子を見ようと大物ぶった自分が情けない。
未だに形代という名に振り回されている、それでも自嘲も自責も叱責も今は切り捨てる。
ただ、目の前の何かを見据える、せめてこれを押し留めねばならないがそれも容易ではないだろう。
街中に放っているバックアップ可能な人間型の特殊人形。
この周辺に集結させ今、一斉になだれ込ませた整備中の三十二体を除いた六十八体。
コンテナで運んで来た戦闘用の人形七十も含めた計百三十八体。
これだけの量を用意しても今、目の前で起きている光景を見れば圧倒的に足りない。
数秒単位で人形が削られていく、この速度はフェリシアとアヤリが激突した時以来の消費ペース。
縦横無尽に走る有刺鉄線のようなものが切り裂き、絡めとり、押しつぶしていく。
それを逃れて本体に肉薄した人形も腕の一振りで原形を止められない。
その余波で弾き飛ばされた人形達も機能不全を起こし地面でもがくばかり。
足の一踏みで人工組織も鋼材も区別なく粉々にされていく。
搭載された絡繰や武器の類も損傷を与えているようには見えない。
このままでは五分すら持ちこたえることはできないだろう。
綾理は魔導管を駆動し魔力を練り上げる。
その魔力は全ての人形の動力と結びつき、その意志を伝える波となる。
コンテナから三つの影が飛び出し綾理の背後へと降り立った。
一つは大型のトランクを、もう二つはその三倍はあるトランクを二人がかりでその場に置いた。
跳ね上がった蓋、中から二つの人形が立ち上り、飛び出す。
片方はほっそりとした女型の人形だった。
祓魔人形・
もう片方は人型を止めていない、武骨な重機のような佇まい。
四足、六腕、全身に絡繰を搭載した二メートル近い巨躯。
解体人形・
持ち運びが可能な綾理の手札の中で霊的干渉と破壊に長ける二体。
綾理の指から伸びた青の魔糸が二体の人形に接続された。
半自律型の人形は魔糸から綾理の意を受信して手足のように滑らかに動く。
起動し面を上げた二体に呼応して敵に群がっていた人形達の動きが変わった。
個々の無作為な動きから統制の取れた役割への殉主。
損壊を顧みず鉄線の動きを抑え、本体に取り付き動きを鈍らせる。
射線が空く、瀬織の体内に埋め込まれた呪核が動力を消費し、表面が白く眩い光を放った。
霊符に書き込まれたまじない、光と炎の二重属性、
間髪入れずに悉解が動いた。
その巨体に見合わぬ機敏な動きで距離を詰めると同時、六腕に内蔵された絡繰が起動する。
異なる衝撃を同時に叩き込むことであらゆる性質を解体する用途。
悉解の広げられた六腕がそれぞれ、敵の形を崩そうと摩擦音を響かせる。
霊的、物理的に与えられる限りの干渉をほぼ同時に試みた。
「なんじゃと?」
それでも、目の前の何かは微動だにすることもなくそこに在る。
動きを抑えていた人形達に限界が訪れ千々に千切れて残骸をまき散らし。
殺到した鉄線が瀬織と悉解に巻き付いて一息に押しつぶされ圧縮される。
人形に抱えられ後方へと飛びずさった綾理は悠然とぼやけているそれを視界に収めることしかできなかった。
「……化け物め」
綾理の呟きに呼応するかのように何かが狂叫を響かせる。
その赤い目が明確に綾理の方に向けられた。
◇
正面玄関に飛び込んだ一真はその勢いのまま走ろうとしたものの。
廃校舎は内部も木造で、所々床が抜けそうになっていてペースを落とした。
『ほらそこ、危ないよ。あ、今度はそっちを通ってね』
これまで静かだった回が二人きりになったとたんに元気を取り戻して誘導してくれる。
大人しく従ってなるべく急ぎ足で校舎の端にある階段から二階へ向かう。
場所はすぐにわかった。
子供たちの恐怖や不安、パニックになっている悲鳴や怒声が響いてくる方へ。
一番右端の教室の扉を勢いよく開け放つ。
最初に飛び込んできたのは窓際に並んで立たされている十五人の子供たち。
游里さんの手に入れてくれたリストの直近の行方不明者、小学生の子供たちだろう。
「な……なんだよこれ!映画だよな、なあ!」
「やだあ!助けて、助けてぇ!」
「なんで動けないの!お家に帰りたい!いやあ!」
理由はわからないが一歩も動けずにその場に縫い付けられているようだった。
そして、子供たちの間、少し後方から眺める白い魔女。
はじめてフェリシアを見た時のことを思い出す。
ローブに三角帽、杖を携えて横には箒が置かれている。
その全てが白い。
水色の短髪を揺らしながら快活そうに、軽薄そうに、残酷そうに笑っている。
「フェリシアじゃなかったのは残念だけど、これはこれで試運転にちょうどいいね。いやあ、それにしてもやっぱり無茶苦茶だよねアイツ。さすが世界に見初められた怪物、容赦ない意味不明さで面白いよ」
見かけだけであればまだ中学生ぐらいの少女。
だけど影幻界において見かけがあてにならないのは嫌というほど思い知らされた。
覚悟を決めて教室の中に一歩を踏み出す。
床の鳴る音が響き、ようやく少女はこちらを振り返った。
「それにしてもバカだねえ、戦力を分散するなんて。まあでも、こうして見てもこっちは特に何も感じないなあ。ただの足手まとい?なおさらバカじゃないかな!わざわざ餌になりに来るなんて、なんて愛らしいんだろう!弄りがいがあるよ、うん!」
少女は無造作無警戒にひょこひょこと近づいてくると、周囲を回りながら歩き回る。
その声はこちらに向けられているようでその実、独り言のように対象がない。
見ているようで見てない、意識がこちらに向いてない気がする。
敵として見られてないのか、余裕の表れなのかはわからない。
だが、言動からこの事態を引き起こした犯人の一人であることは間違いないだろう。
主犯なのか他にもいるのかはわからないが、こうして無防備であるのならチャンスだ。
もう見かけで躊躇したりはしない、覚悟はすでに決まっている。
拳を握り締めて、目の前でくるくる回るタイミングで強くもう一歩を踏み出し。
右手をその顔面に叩きつけた。
「ぶへっ!」
思いのほかあっさりと拳は通り、そんなに手ごたえもなく少女は回転しながら勢いよく倒れ込む。
ビタンと、顔面を強かに打ち付けた音が聞こえた。
驚いたように顔を上げた少女は鼻から情けなく血を流して呆然としている。
回の心底おかしいとでも言いたげな哄笑が聞こえないであろうことが唯一の温情だと思えるぐらいには情けない姿。
「な……な、なななな?なん、なに?なんなの?まさか、見えてる?見えてるの?」
意味の分からないことをうわごとの様に呟いたかと思えば。
即座に顔を真っ赤に染めて怒りの形相で勢いよく立ち上がる。
「そんなわけない!こんなぼんやりした奴に僕の魔法が破られるわけがない!」
白いローブをマントのようにはためかせて半身を覆う少女。
「さあ被ろう、皮を被ろう!賢く可愛いホワイトドンキー、剥がれるおちゃめは持ってない!」
軽やかにステップを踏みながら短い歌を諳んじた少女はびしりと人差し指を向けてくる。
どうだと言わんばかりの得意顔、胸を逸らして鼻血を吹き散らしながらわざわざ鼻で笑う。
なんか、目がどんどん座っていくのがわかった。
馬鹿にしているのだろうか、正しく馬鹿にしているのだとは思うのだがあまりにもあまりにである。
今度は両手でがしりと、その肩を掴んだ。
「へ?」
そのまま引き寄せると腕を首に回して力いっぱい締め付ける。
その場に体重を落として引きずり倒し、動けないように足でホールド。
「ぐべえ……なんで?マジで効いでない?ぞんなばがな……」
苦しそうにうめきながらタップする腕を無視してひたすら首を締め上げる。
可哀そうだがこのまま意識を飛ばしてもらおう。
真っ赤な顔が真っ青に変わっていくのを無言で眺めながらひたすら力を籠めていく。
「……動ける?動けるよ!」
もう少しで落とせるだろうと思っていたら子供たちの方に変化があった。
さっきまで悲鳴をあげていた声が歓喜に塗りつぶされ、いきなり動き出して教室の外へ走り出ていく。
「あ、ちょっと待って!今はまだ!」
あまりにも呆れていて、油断したのだろう。
子供たちに気を取られ、腕の力を少し緩めてしまったとたん少女の腕が思いのほか強い力でこちらの体を引き倒す。
そのままマウントを取られた、咳き込みながらも憎々し気な瞳が爛々と光ってその激情を伝えてくる。
「よくもやってくれたね玩具風情が!大人しく怪物に喰われて泣き叫んでれば可愛げがあったものをぉ!」
首に伸びてくる手を抑え四つ手になって押し返そうとするものの、逆に徐々に押し込まれていく。
游里さんやフェリシアから前に聞いた話を思い出す。
魔法使いは基本、自分に対していくらか強化魔法をかけている。
つまりはフィジカルお化け、この少女も見かけや言動の馬鹿っぽさとは裏腹に力ある魔法使いなのだ。
「ぐ……この!」
足を使って何とか少女を横倒しにするも、すぐさま飛び掛かってきて腕を振り回してくる。
何か技術がある感じはない、まるっきり子供のような動きなのだがいかんせん威力がヤバそう。
近くを掠める度に鳴る風切り音は尋常ではなく。
傍から見れば子供のようなじゃれ合いにしか見えないであろう、しかしわりと命がけの取っ組み合いを繰り広げる。
このままだと子供が校庭に出る、あの怪物と鉢合わせたら何があるかわからない。
しかし下手に追えない、拮抗したまま少女の相手をするしかない。
せめて、この少女が場を引っ掻き回さないように押さえつけておくしかないと腹をくくった。
後は、綾理ちゃんと、フェリシアが早めにたどりついてくれることを信じ祈る。
◇
風を割るように一条の光が夜闇に軌跡を残した。
二か所の検分を終えたフェリシアは箒にまたがり廃校へと向かっている。
どちらも痕跡はなかった、であれば一真と綾理が当たりを引いた可能性が高い。
最短距離を翔るためなるべく高度を落とし建物に邪魔されない軌道を一直線に。
何事もなければ二分とかからずたどり着ける距離だった。
そう、何事もなければ。
警戒が緩んでいたのは否定できない、一真が綾理についていくと譲らなかった時。
自分が急げばいいと、間に合わせれば問題ないと気が急いたのはあっただろう。
だがそれも、油断とも揺らぎとも呼べるほど大きなものではなく。
それを抜きにしても天翔けるフェリシアを捉えるのは容易ではない。
現時点で時速百キロを超え、最高速で百四十キロまで加速する。
認識逸らしの遮断膜を展開しある程度、視認されることを阻害し続ける徹底ぶり。
並みの者では捕捉すら困難、ましてや撃墜するなど至難の業である。
「――っ!」
それでも、その攻撃は確かに届いた。
高速で飛翔する空中の小さな的に寸分たがわず飛来する何か。
フェリシアがその危機を察知できたのもまた、凄まじいまでの戦闘センスの証。
獣並みの本能的な回避行動、箒から身を投じて真下にあった三階建てのビルへ身を投げる。
コンクリートが打ち鳴らす破砕音、屋上を転がりフェンスを突き破ってそのまま落下していく。
空中で何とか姿勢を整え受け身を取り、路面をさらに転がりようやく態勢を立て直した。
杖を構え回復魔法で即座に傷を癒しながら周囲を鋭く見据える。
離れたところに落下していく真っ二つに切断された箒は見送る他なく。
その意識はアパートの屋根から落ちてくる人影へと即座に向けられた。
黒い、夜闇に馴染むことなく、しかし俗世に馴染むものではないと一目でわかる。
足首まで伸びたカソック、金の縁取りに無駄な装飾のないケープ状の外套。
首から下がる十字架は神にその身を捧げた印。
その姿だけを見るのであれば、それは深秘教会の神父の装い。
影幻界における世界的な大勢力の一つ。
唯一の神を信仰し、その教えを世界の裏側へ刷り込もうと暗躍し続けてきた者達。
影幻界に関わるそれ以外の全てを異端として狩り尽くさんと長い時、多くの命が絡み合う中。
血と鉄と影の道を突き進み続けたもはや断ち難い一つの執念。
その体現者であろう者が一人、フェリシアの前に降り立つ。
年のころは三十半ばといったところだろうか。
穏やかな微笑みを浮かべる黒いオールバックの紳士然とした男だった。
ゆったりした服装でその大半は隠れているものの百八十を超えるであろう高い身長。
隆起した広く厚い肩幅がその肉体に刻まれた鍛錬のほどを確かに伝えてくる。
少し垂れ目気味ながら、開ききった瞳孔の中に暗く輝く碧眼。
燦然と輝く同じ碧眼であるフェリシアと視線が交錯した。
数秒の沈黙、男は胸に手を置いて慇懃な仕草で優雅に一礼する。
「ご無礼をお許し願いたい。私はアンセル、しがない
流暢に紡がれる言葉には一片の迷いも罪悪感もない。
己の行動の全ては正当化されるという盲信。
聖職者が陥りがちな陥穽のようにフェリシアには見えた。
「そう、ならもう目的は果たしたわね?行ってもいいかしら?」
この手の輩は総じて話が通じない、悠長に相手をしている時でもない。
箒を壊されたのは痛手だが、ここまで来れば走ってもそんなにかかるまいと判断する。
フェリシアは背を向けるとそのまま立ち去る仕草を見せた。
これで問答無用に襲いかかってくるのであれば相手をするしかない。
だが、特に好戦的なようにも見えなかった。
追ってくるつもりがないのであれば今は深入りしたくないのが本音。
「まあ、そうお急ぎなさらず。――クリスティル・リンドクヴィストについてぜひ、あなた様とお話がしたいのですよ」
フェリシアの動きが止まる、ゆっくりと体を向け直した。
「あなた、その名前を出すのであれば覚悟はできてるんでしょうね?問答無用で関係者だとみなすわよ?」
アンセル神父は否定も肯定もしなかった。