そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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⑨-7

 見交わしは刹那、フェリシアは杖を構えなおした。

 

 その体から膨大な魔力が立ち昇る、濁りなき青空の様に清廉な気配。

 あるいは穢れを拒絶した無垢であるとも言えるだろう。

 

 何であれ、圧倒的なまでの力の奔流であることに違いはない。

 自分の周囲に張っていた認識逸らしの幕を一帯に広げる。

 

 同時に前傾姿勢を取った、それはしなやかな四足獣を思わせる態勢。

 目の前の獲物に全神経を集中させ、それ以外のものを本能と場の揺らぎの察知に任せる。

 

 それは、ここ数か月でフェリシアが練り直した己の世界観の帰結だった。

 

 一真との交流によって揺らいだ心、アヤリへの敗北という苦い経験、仲間とはじめて思えた者達との出会い。

 その全てを消化して、昇華して、新しく叩き直し定めきった己の在り方。

 

 優雅さや余裕はフェリシアにとって、己すらをも誤魔化し欺くための覆いだった。

 纏わなければ孤独に立っていられない、弱さを隠すためのもの。

 

 それを認め、受け入れたうえで今、全てをさらけ出すことを厭わずそこに立つ。

 

 無秩序な自然に愛され、獣の如き殺気を放って他者を平伏させる存在感。

 それが隠すことのない、フェリシアという魔法使いの本質に繋がる在り方だった。

 

 魔力が収斂し、強化の性質を帯びて発露する。

 己の存在そのものを概念強化。

 

 衣装は全てを拒絶する境界となり、杖は全てを叩き潰す凶器となり、体は全てを実現するための機構となる。

 

 獲物として見据えられたアンセル神父はしかして、微笑みを絶やさぬままに半身を向けた。

 左腕を前に、体と服で後ろの右腕を完全に隠す。

 

 フェリシアは目を細めた、そこに何かが潜んでいることに疑いの余地はない。

 それを踏まえたうえでさらに足に力を注ぐ。

 

 元より撤退という選択肢はない、今ここでこいつは仕留めるべきだと確信している。

 確信しなければならない、一真と綾理への救援が遅れることを正当化するために。

 

 迎撃を理由にしていても、隠し切れない思いがある。

 クリスティルという名が未だ、根深く突き刺さっている証。

 

 目を伏せて、振り切るようにフェリシアの四肢が静かに炸裂する。

 肉食獣の様に忽焉(こつえん)と、しなやかに、容赦なく。

 

 その喉笛を噛み砕かんと飛び掛かる、杖はいわゆる脇構え。

 瞬時に詰まる間合い、胴を狙って横薙ぎに振るうために腕と意識が向く。

 

 そのわずかな間隙を正確に突く技量がアンセル神父にはあった。

 カソックを突き破るように突如として伸びる鈍い光、半身ごと突き出されたそれは直剣の形をしていた。

 

 柄も鍔もない、剥き出しの(なかご)から伸びる刃が顔面を貫かんと走る。

 眼前に迫る点にも近いそれを、フェリシアは正確に目で追っていた。

 

 小さく首を捻る最低限の動きでそれを避け、そのまま杖を横薙ぎに振るう。

 アンセル神父はそれを見て取ってあっさりと剣から手を離した。

 

 飛んでいく刃を見送り、後方に下がった左腕がどこからともなく別の刃を握り取り杖を受け止める。

 響き渡る金切り音、フェリシアは止まることなく回転させるような動きで杖を連続で叩きつけた。

 

 数秒の中に数十合の交わり、細かなステップで距離の攻防を繰り広げながら火花を巻き散らす二人。

 軽そうな打撃のようでその実、うまく受けてなお骨すら砕きかねない連撃にアンセル神父はまったく表情を崩さない。

 

 膠着を打ち崩すため、フェリシアは瞬間的に腕に全ての力を集中させる。

 それを見て取ったアンセル神父は常に片腕を死角へと置いておく動きをやめた。

 両腕にはすでにどこからともなく取り出された二本の刃。

 

 高速戦闘の一瞬の間、再び横薙ぎの、今度は両腕で振り抜かれた一撃。

 それを両腕の剣を交差して受け止めるアンセル神父。

 

 拮抗は一瞬で、弾き飛ばされたのは大柄な神父の方だった。

 それに逆らうことなく、空中で体勢を立て直しながら離れたところに着地する。

 

 「いやはや、凄まじいお力ですな」

 

 半ばから拉げて折れかかっている剣を放り、相変わらず穏やかな顔で再び半身の構えを取る。

 

 フェリシアはその一連の動きをただ観察していた。

 追撃は仕掛けない、技量の高さや膂力を警戒したわけではない。

 むしろ今の攻防である程度はその力量を測れた、近接戦においてこちらが上だと。

 

 あの身のこなしは深秘教会の執行者のものだろう。

 異端審問、その判決を執行する教会の武闘派。

 

 影幻界において、武力でもって他者を制圧する役目を完遂するための動きには目を見張るものがあった。

 それでも、己の方が上だとフェリシアは見る。

 

 身体能力という一点においてであれば遥かに上回っているのは確実。

 それでも動けないのはあの刃の出所がまったく読めないからだ。

 

 カソックの中に隠しているというわけでもなさそうだった、虚空から湧き出たような唐突さ。

 手をうまく隠してその出所を掴ませない周到さも含めて安易に距離を詰めるのは怖い。

 

 しかし、わかったこともある。

 

 「あなた、異能者ね?」

 

 魔法ではない、何の前兆もなく唐突に剣を生み出すなど固有式であってもほぼ不可能。

 クリスティルレベルならあるいはというところだがそこまでの差は感じ取れない。

 

 権能ではない、特有の自我の希薄さや浮世離れした雰囲気を感じられない。

 むしろ酸いも甘いも噛み分けたうえで平然と影幻界に籍を置くその様は強固な、あるいはどこか外れた自我を持つ者の在り方だ。

 

 そうなると疑問も残る、深秘教会は権能者を戦力の枢軸に据えた組織だと聞いていた。

 信仰とは個を滅する傾向にあるが故、権能を生み出しやすい土壌がある。

 

 異能者は深秘教会からすればむしろ異端側。

 異端を狩る組織から異端者が出る、ある意味、正統ではあるだろうが珍しいのもまた事実。

 

 あらゆる疑問が込められたフェリシアの問いを、アンセル神父は眉根一つ動かさないまま、やはり微笑むだけで受け流す。

 

 話がしたいと言いながら相手に向けて言葉を発さない。

 ただ値踏みするような言葉や視線だけが一方的に届く。

 

 元より悠長に会話などする気もなかったが、もはや構うのも面倒だと杖を掲げる。

 十を超えてなお増える魔法陣、色のない発射口を空間に固定していく。

 

 近づけないなら、遠距離から押しつぶせばいいだけのこと。

 

 「……素晴らしい。あのクリスティルに挑もうとするだけのことはありますね」

 

 貼り付けたような穏やかさが歓喜に濡れた笑みへと変わる。

 次の瞬間にも殺到しかねない魔の銃口を前にして微塵も臆さないその態度。

 

 「やはり、あなたもまた救われるべき子羊。ですが、今のこの時ではない。神はまだ、あなたを見据えてはいない」

 

 両手を背に回したアンセル神父はやはり出所を掴ませないまま、指の間に挟まれた六の剣をフェリシアに投擲する。

 魔法陣が瞬時に翡翠色に染まり、風の弾丸がそれを正確に打ち落としていく。

 

 その間をついてアンセル神父は夜の街に身を翻して姿を消した。

 逡巡は一瞬、追うべきだという激情が身を抉ろうとするのをフェリシアは押しとどめる。

 

 「ああ、もう!」

 

 一度だけ気炎を上げて全てを吐き出すと、まず周囲を見回した。

 放たれた剣は出てきた時と同じ不穏さでいつの間にか消えている。 

 

 それを確認して、廃校舎に向けて跳ぶ。

 あの神父は間違いなくクリスティルの関係者、高確率で玩具の可能性が高い。

 

 私情とそれを正当化する理由があって。

 それでも、仲間を選んだのは己の在り方が少なからず捻じ曲がったことを示している。

 

 それが悪くないと思えるあたり、本当に変わったのだなと思うのだった。

 そんな気恥ずかしさを冷ますように冬の夜気を切り裂きながら走っていく。

 

 

 持ち込んだ最強の手札を潰され、人形の数はすでに三十を切った。

 鉄線を避け続ける人形の一体に抱えられたまま綾理は歯噛みする。

 

 もはや打つ手はない、ほんの少し遅滞作戦を展開するのが精々。

 今の自分に、もはやできることはない。

 

 (……いいや、まだある)

 

 綾理は門の外のコンテナに視線を投げた。

 あの中にはまだ、最後の切り札が残っている。

 

 だが、使えない、使いたくない。

 持ってきたはいいが、まだその覚悟が決まっていなかった。

 

 否、覚悟ではない、理由だ。

 あれは理由がなければ切れない札。

 

 そう、理由が、意味が必要だった。

 自分がこの世界で何を成すべきか、偽物でもいいから納得できる答えが欲しかったのだ。

 

 それがなければ侵されてこちらの自我が飛びかねない。

 こうして危機に身を置けば、命の境に身を置けば、仲間の安否の左右に身を置けば。

 

 何か見つかると思っていた、でもダメだった。

 今この瞬間にも綾理の中には見えざる蓋が落ちたまま。

 

 「何が、何が足りぬ?儂は何を求めておるのじゃ?何を待っておる?」

 

 何を見たいのか自分でもわからない、探そうにもその猶予が与えられない。

 今すぐにでも、間違っていてもただ一つ支えとなるものが欲しいのに曖昧模糊。

 

 フェリシアも、游里も、朔も、一真ですらダメならもはやこの世界にはないのではないか。

 

 思考は叫び声で再び途切れた。

 

 玄関先から小学生の子供たちが次々に飛び出してくる。

 校庭の中心に陣取る何かに悲鳴をあげながら方々に走り去っていく。

 

 「一真か、子供だけを逃がしたのじゃな」

 

 その安否に気持ちがはやるも、綾理は即座に数体の人形に命を飛ばした。

 子供たちの背後に降り立った人形は順に意識を刈り取ってコンテナへと運んでいく。

 

 その間も視線は正面玄関に釘付けだった。

 見慣れた人影を祈るような心持で待つ。

 

 十一、十二、十三、そして十四人目でその姿を視界に捉えた。

 

 眼鏡はどこかで落としたのかつけていない、それでも見紛うはずもない。

 頼りない華奢な体型も、いつも泣きそうな弱気な瞳も、小動物のように小さくなる怯え方も。

 

 目頭が緩むのを自分では止められない。

 今すぐにでも駆け寄りたいがまずは安全なところに移すのが先。

 

 それより早く均衡が崩れた。

 

 人形の数が二十を切った、他者を守りながら戦える閾値は過ぎた。

 ここからは自分の命すら危うく足止めすら覚束ない。

 

 真壁に近づこうとした人形が鉄線に腰から切断されて真壁の傍らに落ちて跳ねる。

 その様を凝視しながら、恐怖で声も上げられずその場にへたり込むのが見えた。

 

 何かがその憐れで矮小な獲物を見つける。

 真壁と視線が合う、高鳴る動悸を啜るかのように唸るような音を響かせた。

 

 体が一回り大きくなったような錯覚、千切れ短くなっていた鉄線が元に戻っている。

 それが触手のように真壁の全てを絡めとらんと広がっていく。

 

 「まっ――――!」

 

 言葉が喉から漏れ出る前に、真壁の前に立つ誰か。

 正面玄関から走り出てきた男の子は足をもつれさせながら倒れるように真壁を背にした。

 

 見覚えがあった、いつも暴言を浴びせ、虐めてくる同じクラスの名前も忘れた誰か。

 

 「や……やめろっ、この怪物め!」

 

 その誰かが精いっぱいの虚勢を張って啖呵と言うには弱々しく、それでも確かに声をあげた。

 

 無様だった、足どころか全身が震えて今にもその場にへたり込みかねない。

 身体機能が制御を失い股間に染みが広がっていくのが目に留まる。

 

 隠し切れない恐怖、逃げ出したいと叫ぶ本能からの葛藤。

 弱き者、脆き者、儚き者、しかし確かにそこに立っている。

 

 逃げずに、目を逸らさずに、無駄な無謀で命を散らそうとしている。

 綾理の傍にいた強き者達とは違う、無力で無知な者の向こう見ずな蛮勇。

 

 それが――――それがなぜ、ここまで眩く見えるのか

 

 「……ああ、なんじゃ。そうなのじゃな」

 

 ――一寸先だってわからないけれど、後悔しない道を、自分が決めた道を探りながら前に進んでく

 

 一真の言葉を綾理はようやく全て受け取った。

 

 ――綾理、忘れるでないぞ。形代の本質は罪や穢れを受け祓うこと。その先にある何かを信じてな

 

 かつて聞いた言葉を思い出す、どうしてこんなに大事な言葉を忘れていたのだろう。

 

 「人でなかったのは、儂か」

 

 綾理の言葉に呼応するかのように何かの動きが緩やかに変わる。

 同じ戸惑いを見ているかのように。

 

 それが綾理に答えを得る間を与えた。

 

 ずっと何者でもないまま、その思いも知らぬまま形代を纏っていた。

 千年の歴史を背負いきることもできず、未来へ目を向けることもできなかった。

 

 全てを修め、到達し、その頂点でただ孤独に固定された形。

 

 形代綾理は正しく人形だった。

 

 人形は不変、ただ一時を切り取り、模るもの。

 変化は劣化であり決して進歩することのないが故の美だ。

 

 停滞していた、ずっと流れの外にいて勝手に絶望して己を閉じていた。

 盲目であって当然だった。

 

 「人を模る形代の神髄、それがようやく見えた」

 

 あの名も忘れた少年も、己なんぞに勇気を振り絞って話しかけてくれた真壁も。

 どれだけ脆くとも、どれだけ無様であろうとも、それが全てではない。

 

 決して立ち止まらぬその意志が人であることの証明。

 停滞していた自分の濁った眼では決して見えるはずもなかった光。

 

 それは強く、不変を纏える者達では教えられないことだった。

 弱き者だからこそ見せることができる矜持であるために。

 

 綾理は悟ったように笑った、それは空虚ではなく全てが腑に落ちた者の道半ばの達観。

 己が中途半端であることを受け入れた、それはまだ先があるということに他ならないのだから。

 

 鉄線が二人に到達しようとする刹那。

 

 綾理は己を担いでいた人形も含めて最後の命令を下す。

 四体が門の外へ、今にも襲いかからんとする鉄線を数秒だけ壁となって受け止める他の人形達。

 

 残った最後の一体が少年と真壁を素早く脇に抱えて綾理の背後に飛びずさる。

 

 何が起きたのかわからず目を白黒させる二人は、地面に降ろされ綾理の姿を認めた。

 

 「な……お前、ババア!ま、ま、まさか、お前の仕業じゃないだろうな!」

 

 「……そんなわけないよぉ村上君。形代さんもここに攫われてきたの?なんでこんなことになったんだろう」

 

 指さし、だしぬけに失礼なことを叫ぶ村上と呼ばれた少年。

 見知った顔に緊張が少し緩んだのか泣き出す真壁。

 

 先の勇気と気概を見せた姿も、この失礼な姿も同じくこの男の子の一面なのだ。

 一面しか模れぬ人形では再現できぬ、形代が目指した人という形。

 

 「おい……何とか言えよ!」

 

 「うるさいわ、少し黙っておれ。まだ何も終わっておらぬぞ」

 

 綾理の言葉に村上は前を向く。

 校庭にいた人形の全てを蹂躙しつくした何かがゆっくりとこちらに向き直る。

 

 相も変わらず何を湛えているのかわからない赤い瞳。

 闇すらをも呑み込んでその輪郭を示すのみ。

 

 背後でひゅっと、息の詰まるような音が聞こえた。

 綾理は何かから視線を切らぬまま、ただ微笑んだ。

 

 「お主ら、そこで動かずにじっとしているのじゃ。……見ておれ、儂の背中をただ見ておればよい」

 

 これが終われば記憶を消されるだろう、ここで起こった全てのことはなかったこととなる。

 それでも、見ていてほしい、形代綾理が一歩だけ前に踏み出す様を。

 

 仲間達でも、一真でもなく、今はこのどうでもいいと思っていた誰かに見ていてほしかった。

 

 門を飛び越えて四体の人形が戻ってくる。

 その全てが片手に悉解のものほどではないが大きなトランク、もう片手に人影を担いで。

 

 降り立った人形達はそれらをそっと地面に預けた。

 

 「……なんだよこれ、ババアが四人も」

 

 それは綾理と瓜二つ、否、全くの同型。

 

 かつて、アヤリが己の記憶や人格を切り離して肉の器だけを模ったもの。

 その技能だけを呪いの力で動かしていた人形達。

 

 すなわち綾理の同体だ。

 

 故に、それは綾理にも動かすことができる。

 ただ一つの欠点は、この人形の動力が呪いに染まった魔力であること。

 

 清廉潔白、不変を旨とする形代の綾理では動かせぬものだった。

 だが、今は違う、人となった綾理であればその濁りごと飲み下してみせるだろう。

 

 魔力を練り上げその肉体と同期する、呪いが流れ込んでくる。

 

 アヤリの怨嗟、憤怒、悲哀、真っ暗な中にだからこそ瞬く一筋の希望。

 今ならわかる、なぜアヤリがあそこまで執拗に他者を呪い、その無価値を求めたのか。

 

 本当は、アヤリ自身が何よりも価値を求めていたのだ。

 己の写し見でありながら、ただ作られた存在という一点の違いだけで彼女は先へ進んだ。

 

 それが誰にも受け入れられぬ悪徳であったとしても、確かに何かを求めて変わろうとあがいたのだ。

 

 だから、形代アヤリは人であった。

 最後の時、哀れだと装い、ただ形だけの鎮魂を捧げたあの言葉こそが真実。

 

 その全てをあますことなく受け止める、清浄な青の魔力は深く淀み黒へと染まる。

 綾理はそれを拒まない、その呪いこそ形代が真に背負うべき人の業。

 

 呪いを受け祓うその在り方の体現だ。

 

 四人のアヤリが立ち上がり、五人の綾理が今、怪物と向かい合う。

 その先頭に立つ真の綾理の魔眼は今、黒き魔力の底から怪物に負けず劣らず。

 

 宝玉のように紅い光を放っていた。

 

 「さあ、ゆこうぞ」

 

 指揮者のように綾理は両腕を跳ね上げた。

 

 指から伸びる黒の魔糸が巨大なトランクの蓋を全て跳ね上げる。

 糸が中から捲き出したのは歪な四つの長方形、黒い鋼鉄の塊。

 

 他の四人の綾理も動く、同じように魔糸を伸ばし塊に付着させていく。

 

 ガコンと、内部から歯車の回る音がする、絡繰りが起動し塊はパーツへ。

 綾理の糸で空中に跳ね上げられたそれは絡み合うように連結する。

 

 かつて、綾理は苦心したことがあった。

 

 柔軟性をもたせれば耐久性に難がある、しかして固くし過ぎると可動域が狭まる。

 人型の人形は便利ではあるが身体能力や搭載できる絡繰の数に上限がある。

 

 ある程度巨大で、強大な膂力を持ち、人のように柔軟な体を持つ。

 そんな都合の良い人形はどうすれば作れるのか。

 

 ある日、街を歩いていた綾理はそのヒントとなるものを見つけた。

 道端に打ち捨てられていた一冊の雑誌、どこかの誰かが読んだ後に放置した物。

 

 風で捲れたページの中に面白いコマを見て思わず手に取った。

 

 その後、地下の工房にテレビとビデオデッキなんぞを持ち込んで。

 どこからか調達したテープを再生しながら二十四時間ぶっ続けでそれを眺め続けた。

 

 その子供なんだか大人なんだかわからぬ努力が今、実を結ぶ。

 

 そう、一つで再現できぬなら、複数のパーツを連結させて可動域と耐久性を確保すればよい。

 ついでに大きさも、搭載できる武装も膨大になるのだから。

 

 後に持ち運びの不便さやどうやって操縦するかの壁にぶち当たったが今この瞬間にそれは解消される。

 自分が何人もおればいいのじゃよ、という力業で。

 

 綾理の背後で虚勢に震えて座り込んでいた村上少年は勢いよく立ち上がる。

 濡れたズボンの気持ち悪さも理解不能な何かの威容も今は遥か彼方。

 

 「おい、嘘だろ?これ……合体ロボじゃねーか!!!」

 

 真壁も泣くことを忘れてポカンとした顔でその背を眺めた。

 

 全長四メートルほど、黒の合金に赤と白の紋様鎧装(がいそう)

 二つの角が伸びたかのような黒の兜の目元から、なお黒い炎の瞳が揺らめく。

 

 綾理流複合決戦人形試作一号機――機甲武者黒鉄

 

 綾理は見えないとわかっていて鼻を鳴らし満面のしたり顔。

 はじめての起動で不安要素は満載だが、今は勢いで乗り切ろう。

 

 五人の綾理の計五十本の魔糸がそれぞれの駆動域に接続された。

 

 この人形には各パーツに演算核が搭載されある程度は自律駆動。

 だが細かい部分は完全に傀儡術に依存する。

 

 思考と魔力による制御と繊細な指捌きが要求されるだろう。

 間違っても、ぶっつけ本番でやるようなことではない。

 

 (じゃが、やってみせよう、形代綾理の名に懸けて。そして二人を未来へ運ぼう)

 

 ――そして、その未来の中に今度こそ、手を伸ばそう

 

 「さあ!形代綾理の一世一代、今宵限りの絡繰り絶技をご覧あれ!」

 

 十の腕がなめらかに、五人の意識は分割され、ただ一つを指向し同調する。

 黒鉄の動きは素人目には人よりなお人らしく、ともすれば人の域を外れたすべらかさを見せた。

 

 肩口が開き飛び出す柄を握りこみ勢いよく引き抜く。

 飛び出し伸びる刃は刃渡り八尺の大太刀、一歩の踏み込みで地面を割るように詰まる距離。

 

 その勢いのまま、真横に振るわれた大太刀が絡みつかんと殺到する鉄線を束ごと断ち切る。

 続けて振るわれた巨大な左腕を刀身ではじき返し、返す刀で右肩口に刃を届かせた。

 

 斬撃はそのまま何かの側面にめり込んでいく。

 

 しかし斬れない、人形の感覚から伝わるそれはまるで沼に沈み込むようで。

 にも拘わらず固い、矛盾に濡れた肉だか何だかわからない感触。

 

 「ぉぉおおおおおお!!」

 

 綾理は吼える、優雅さも淑やかさも全てをかなぐり捨てた。

 鼓動する魔導管を酷使し、鳴り響く呪いが頭を締め付けるような痛みも振り切り。

 

 斬れないなら、薙ぎ倒してやるという気概を籠めて。

 全ての魔力と技術を、黒鉄の膂力を最大限引き出すために注ぎ続けた。

 

 「――――――!!」

 

 声にならない声が響く、それは驚愕か、あるいは別のものか。

 抵抗は徐々に弱まり、拮抗はじりじりと傾く。

 

 これまで一切、揺らぎなく、あるいは揺らぎしかなかったその体がついに横薙ぎに倒れ込んだ。

 木造校舎の一角を崩しながら溶けるように輪郭を崩していく。

 

 

 「うおおぉぉおおお!?」

 

 取っ組み合いを繰り広げていた一真は突如、大きな振動に襲われる。

 校舎全体が左右に揺れに揺れていた。

 

 「今度は何だよもおおおおおおお!?!?」

 

 態勢を崩してころころ転がりながら壁に背中を打ち付ける白い少女を見送りながらその場にしゃがんでやり過ごす。

 

 振動は数秒で収まり、すぐさま窓に駆け寄った。

 

 『うわあ!見て見て!ロボ!ロボだよあれ!あっははははははは!ほんとに作る人いるんだねえ!』

 

 興奮したように両手を上下に振っている回。

 それはそれで驚きだが、それよりも綾理ちゃんが五人に増えたことの方が衝撃だ。

 

 「一体、どんな戦いをしてるんだ」

 

 少し窓から身を乗り出してみると反対側の校舎の角にめり込むように倒れる何かが見えた。

 

 「はあ?嘘でしょ?やられたの?」

 

 同じように窓から顔を出していた少女は驚愕で目を見開いている。

 

 「チィッ、そうか、子供が全員気絶させられたから。あの二人も恐怖がほとんど飛んでるし」

 

 取り乱してるのか生来の性格か。

 いや、単純に他者を対等だと認めていないのだ。

 

 だからこの少女はとかく口が緩い、ぬいぐるみを前にして独り言を零すような無防備さ。

 これは適当に相槌でもうっておけばおそらく情報を引き出せるだろう。

 

 「……その口ぶりからすると、あの何かは人の感情か何かに反応するんだね」

 

 「ふん!そうだよ、あれは人の心を餌に大きくなる怪物。街中なんかに放てば無敵の化け物だけど、まあこっそりやるならこれが限界だよね。あーあ、師匠の許しがあればもっと大きな騒ぎ、起こしたのになあ」

 

 案の定、言い訳でもするかのようにぺらぺらと紡がれる言葉。

 

 それで、公園で聞いた怪物の噂を思い出す。

 あの時は流してしまったがつまりはそういうことなのか。

 

 あの何かは他者が持つ怪物という印象に反応して変化するのだ。

 子供を攫ったのも、そういう思いを利用するため。

 

 しかし、何でもないことのようにあっさり吐き捨てる少女。

 躊躇もなさそうなのはいかがなものだろう。

 

 「そんなこと話してもいいの?あの何かは仲間なんじゃないのか?」

 

 それがあんまりにも未熟で向こう見ずに見えたから、思わず説教じみた言葉が出てしまう。

 

 「何?うざいよそういうの。あんなの仲間じゃないし、ただの兵器」

 

 ますます眉根に皺が寄る。

 

 「君はどうして、そんなに誰かに冷酷になれるんだ。……ここにいなかった人達はもう、殺してしまったんだろう?なぜ、そんな簡単に命を粗末に扱える?」

 

 もっと情報を引き出そうとするなら、この場に縫い付けておくつもりなら言うべきではなかった言葉。

 反発を強めることはわかっている、止まらなかったのはこちらの落ち度。

 

 少女は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

 

 「知らないよそんなの、人間なんていくら死のうが知ったことじゃない。ほっとけば腐って蛆みたいにうじゃうじゃ湧いて出るんだもの。気持ち悪くてたまらないよ」

 

 これもまた予想通り、少女の態度は硬化していく。

 硬化してなお、その様はどこまでも軽い。

 

 命や繋がりに何の価値も見出せない者の純粋な、それ故に他者にとっては毒となる心。

 その幼さでなまじ力があるだけに、そして優秀であるがためにどこまでも増長する自我。

 

 何より苦いのは、師匠と呼ばれる者がおそらくこの少女を止める気がないと思えることだ。

 ここから逃がすわけにはいかないと思う、じゃないと何をしでかすかわからない。

 

 何とか捕まえたいところだが。

 

 「……っ!来たね、フェリシア。あーもう、今回は散々だよ。お前、その顔覚えたからね。ほんとに調子狂わされたよ、鼻の痛みも忘れないよ絶対。次は本気で準備して殺しに行くから、震えて待ってるんだね」

 

 少女が指を振るうと床に落ちていた白い箒がひとりでに窓の外へ飛び出した。

 

 それを横目にとっさに走り出す、最後に掴もうと伸ばした手は空を切る。

 窓枠を乗り越えて箒に飛び乗った少女は手の届かぬ場所に離れていき。

 

 そこでふと、停止してこちらに顔を向け直してくる。

 

 その笑顔は、爽やかな悪意の形をしていた。

 

 「それと、最後の置き土産は残していくよ」

 

 校庭上空へと高度を上げて旋回する。

 その軌道が白い線を描き、徐々に幾何学模様へ結ばれていく。

 

 「せっかちコヨーテ、おまぬけコヨーテ。狂って回ってミルキーウェイ。賢いものらは大わらわ、世界はあっさり大騒ぎ!」

 

 魔法陣に向けて何かを放った少女はそのまま山の方へと飛び去った。

 

 湖面に小石を投げるような音が響き、魔法陣は波打った。

 その面から濁流のように細かい粒子の流れが生まれ。

 

 それは蝗の群れのように怪物に向けて殺到していく。

 

 

 肩で息をしながら倒れ込んだ何かを睨む綾理。

 

 「……勝った?勝ったのか?俺たち、助かった?」

 

 「うん、うん!すごい、形代さんすごい!」

 

 背後から響く無邪気な声に、しかし綾理は返せない。

 体はすでに満身創痍、口を開けることすら一苦労。

 

 今すぐにでも倒れ込んで休んでしまいたいが、それも許されないらしい。

 

 すぐに視線を上へと向ける、突如として校舎から飛び出す白い影が上空に描く紋様。

 

 そこから溢れ出す狂気の群れが輪郭の崩れた穴を埋めるように。

 あるいはその体を齧ってなり替わるように形を再生成してくのがわかった。

 

 それは先まで以上にぼやけてふやけて。

 崩れていく体から滲みだす極彩色のタールのようなものが、体表を絶え間なくコーティングし続ける。

 

 校舎の残骸から体を引きずりだし、その場に這いつくばると赤い瞳と真っ赤な大口を見せつけた。

 

 (まずい)

 

 このまま放っておけば、あれは手の付けられない何かに変わると直観的に理解する。

 まだ完成していない今が最後の機会。

 

 黒鉄を動かそうとして、全身に走る痛みに動きが止まった。

 

 指が痛む、無茶な力の籠め方とこれまでにない動きで神経が悲鳴をあげている。

 それ以上に魔導管の不具合が深刻、完全にショートしていた。

 

 慣れない呪いが綾理の全身を、魂を喰らわんと駆け巡る。

 これ以上の無茶をすればどうなるかわからない。

 

 それでも、ここで止まるわけにはいかないと強引に概念心臓に活を入れようとして。

 それより早く、一本の鉄線が綾理を貫かんと走った。

 

 そこまで速くはない、だが今の動けない綾理にとって這い寄る死を見せつけられるのは拷問に近い。

 

 「お……のれ!こんなところで!」

 

 終われない、自分が死ねば二人も死ぬ可能性が高まる。

 終わりたくない、ここで死んだらせっかく見つけられた答えが無駄になる。

 

 (そうか、これが未練か)

 

 世界に倦んでいたと思っていた自分にこんな感情があることが驚きだった。

 それが分かっただけでも、これまで何もしてこなかった自分には上等な最期なんじゃないかと。

 

 先の白い敵が逃げたのは怪物がやられたからでも、一真や満身創痍の自分に脅威を感じたからでもないだろう。

 おそらくはフェリシアが近くに来ているのだ、ならば任せればいい、うまくやってくれる。

 

 だから、溢れる涙と抑えきれない笑い顔で、それを受け入れることにした。

 

 「――なんじゃ、諦めるのかえ?我が造み(うみ)の親が情けない。最後ぐらい、もっと誇らしい様を見せてほしかったのう」

 

 自分と同じ手が、自分を突き飛ばす感触を受けて。

 自分と同じ形が代わりに鉄線に貫かれたのが見えた。

 

 あり得ないことだ、綾理人形は中身がない、あるのは呪いだけで勝手に動くはずがない。

 だが、もしも、それがあり得るとするならば。

 

 「……アヤリ?」

 

 胸を貫かれてなお、不敵な笑みを浮かべて振り返るアヤリ。

 

 「呆けるな、まだ終わっておらぬぞ、じゃ。お主が言ったことじゃろう、最後までやり切れい」

 

 その言葉に弾かれたように立ち上がる、いつの間にか体を蝕んでいた呪いが軽くなっている。

 

 「綾理ちゃん!」

 

 校舎の窓から身を乗り出して大声で叫ぶ一真の声が耳に届いた。

 

 「それは怪物って感情に応じて変化する何かなんだ!そういう目で見ないように何とかしないといけないんだよ!」

 

 その言葉で、最後のピースがはまる。

 

 綾理の魔眼、今や流動する形をも捉える完全に開眼したその視界が怪物の本質を。

 その奥にある記憶の渦を暴き捉えた。

 

 

 ――とあるお国、穢れなく、それ故に潔癖な者達の住むどこかの山村

 ――崩れた顔と歪な手足を持って生まれた一人の男

 

 ――お前は怪物だ、災いをもたらす凶兆だ

 ――私の子供が森で死んでたのよ、きっとそれの仕業よ

 

 ――ごめん、すまない、お前は怪物だ

 

 ――死ね、殺せ、死ね、殺せ

 ――怪物は消え去れ

 

 人とは少し違う形で生まれ、怪物として望まれた男は、望まれた通りに怪物として二度目の産声を上げた。

 その様を冷めた慈愛で眺めていた赤髪の女は惨劇の通り過ぎた村を歩む。

 

 中心に座し、じっと動かず屹立しているそれに指を這わし、その頬を愛おし気に撫でた。

 

 ――――お前は美しいわ、何よりも美しい

 

 その言葉は、怪物の在り方を完全に規定した。

 全てに望まれた怪物は、ただその女のための怪物へと変わる。

 

 満足げに頷いた女の瞳がふと、綾理の瞳を覗いた気がした。

 

 これは記憶、きっとただの偶然に違いない。

 だがそれでも、綾理は硝子のようにただ全てを映し返すそれから目を逸らすことなく。

 

 ただ一つ、必ずけりをつけると決意した。

 

 

 意識が現実に引き戻され、綾理は魔導管を再起動させる。

 練り上げた魔力で残り三体の綾理人形と同期、最後の力で黒鉄を動かした。

 

 その巨体が飛ぶ、大太刀を怪物に突き立ててその場に縫い付ける。

 着地の衝撃で足の機構が砕けて割れる。

 

 まだまだ改善の余地があるなと、ぼんやり考えながら地面でもがく怪物に歩み寄った。

 

 その顔らしきところにそっと、手を添える。

 そのまま額をくっつけて、ただ朗らかに、なんの衒いもなく。

 

 「お主……名は何と申す?」

 

 何か、怪物、それがそれの全てであったはずがないのだと。

 綾理はただ、そう信じ抜いてその奥に手を伸ばした。

 

 形代は呪いを受け祓う家なれば、その男に背負わされた業も全て浚っていこう。

 

 「あ……あ……」

 

 口から洩れるそれは久方ぶりに起動したと言わんばかりの蠕動と。

 未知の感情に対する戸惑いに満ちていた。

 

 「な……ま……え?」

 

 それは久しく忘れていた音で、だけど消すことが許されなかった思い。

 厚い熱い情念の肉に埋もれていたそれが胃の腑の奥からせり上がってくる。

 

 「……グル……タ?」

 

 風に舞う花弁のように、怪物、グルタに纏わりついていた認識の幕が祓われた。

 現れたのは小柄で、左右非対称に歪んだ顔と丸っこい手足の男。

 

 それは見ようによっては醜い怪物に見えるかもしれないけれど。

 

 「なんともはや、存外、愛嬌のある顔をしているではないか」

 

 それは見る者次第ということだろう。

 

 綾理は味のある造形だと、鈴を転がすような控えめな笑い声を響かせた。

 

 その清らかな音がよほど癇に障ったのだろうか。

 

 怪物に巣くい纏わりついていた蝗の群れのような粒子が爆発したように空へと散った。

 それは新たな宿主を探そうと宙を彷徨い、逃がさないとでも言うように広がっていく。

 

 真壁と村上少年の短い悲鳴が聞こえたが、綾理はもう心配はしていない。

 その場に座り込んでただ、空に蠢くそれを眺める。

 

 「まったく、遅いのじゃよ」

 

 無理を押して出てきたのは自分とは言え、これだけ頑張ったのだから愚痴の一つぐらい良いだろう。

 

 「――炎嵐よ、静寂(しじま)を払え!」

 

 夜空が瞬く間に赤く紅く染まっていく、怒涛のように押し寄せる熱の波。

 天蓋の如き炎からはただ一粒も逃れることを許されず、執着を覚える間もなく洗い流され消えていった。

 

 これにて形代綾理の一世一代、ただ一度だけの第一歩は幕引きでございます。

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