『あなたの理想、私の理想。あなたの中の私、私の中のあなた』
◇
籠の中の白く美しい鳥が窓の外に広がる大空へ飛び立とうと羽ばたく。
狭い空間の中では満足に飛ぶことすら叶わず、鉄格子にぶつかりながら羽を飛び散らせて籠を揺らしていた。
餌箱をひっくり返し、水飲みが外れて落ちて、血を滲ませながらそれでも必死に。
可憐な少女はその光景に心が動かされ、籠の蓋を開けてやった。
鳥は脇目も振らずに大空に向けて飛び立つ。
傷だらけの体とは思えない生気に満ち溢れた姿。
きっとあの鳥は長くはないだろう。
大自然というほどでもないけれど、弱肉強食の世界であっさり命を落とすだろう。
それでも、ああして精一杯、羽を広げて底の見えない青の中に消えていくその様を見ると。
例え一時であっても自らの本分を全うする、瞬きの間の激しい輝きを示す。
そんな命の使い方こそ正しいのではと思うのだ。
少女は自らを見やる、シンプルでありながらそれでも隠し切れない豪奢なドレス。
現代のこの国では逆に浮く、どこかの王族のお姫様みたいな身なり。
自室は控えめに言って広大、安アパートの一階分ぐらいはありそうな大きさで一人で使うには持て余す。
ベルを鳴らして一分もすれば誰かがやってきて、用件を伝えれば大体のことは即座に解決する。
不便はなく、脅威はなく、揺らぎはなく、少女の世界はこの一室で完結している。
充実はなく、苦悩はなく、快楽はない、少女の世界はこの一室で安らいでいる。
少女はもう一度、窓から外を眺めた。
自分の本能はなんだろう、この世界で己が示すべき生の輝きとはどこにあるのか。
わからない、わからないのはこんなところで羽を休めているからだ。
とりあえず飛び立たなければ何も得られはしない。
傷だらけになってもまずは籠から出てみるべきなのだ。
それであっさり死んだとしても、それはそれで後悔なんかが忍び寄る暇もない健やかな人生。
少女は立ち上がる。
あまりの勢いにバロックとかいうごてごてした様式の高価な椅子が派手な音を立てて転がるように倒れた。
何かが折れるような嫌な音も聞こえたが知ったことではないと満面の笑顔で扉を開け放つ。
すれ違う使用人たちの驚いた顔を傍目に廊下を全力疾走。
そうすると決めてみれば気分晴れやか、心はすでに大空を飛び越えて大気圏まで突破しそう。
無駄に大きい玄関扉を両手で突き飛ばすように開け放ち外へと飛び出した。
そこに、最後の関門が待っている。
「……やはり、こうなりましたかお嬢様」
この屋敷の中堅使用人の男、名前は何だったか少女は思い出せなかった。
「そこをどいてちょうだい、
男は深々とため息をついた。
「いけませんお嬢様。お嬢様に何ができるというのです。本日の縁談が不服であれば私が旦那様にお伝えして便宜を図ります。大丈夫です、私はお嬢様が生まれた時からずっとお傍で見ておりました。その性格も、気性も、お心も何もかも理解しておりますから」
その言い草が少女には気に入らない。
その程度のことすらわからないのだなという苛立ち。
それは名前も思い出せないはずだと少女は得心した。
「さあ、お嬢さま。お屋敷に戻りましょう。今日も美味しいお紅茶を淹れて、クッキーを焼いて差し上げます。アーモンドボール、お好きでしょう?俗っぽくはありますが、そういう愛らしいところもお嬢様の魅力です。大丈夫、お嬢さまに相応しく、気に入られる方はすぐに現れますよ」
男がエスコートするように露出した肩へ優しく手を置いてくる。
間近に迫る微笑みがどこか貼り付けたようで気味が悪い。
即座に全身の鳥肌が立つ、まさしく羽を広げようとする鳥。
これは天啓だ、きっと宇宙の彼方の鳥の神が飛び出せと言っているに違いなし。
だから――――少女は拳を男の顔面に突き入れた。
自画自賛したくなるあまりに見事な一撃。
腰はしっかり入り、限界まで腕にひねりを加えた所謂コークスクリュー。
そこそこぶっ飛んだ執事は血の吹き出す鼻を抑えながら目を白黒させて少女を見ていた。
少女は年の割には豊かな胸を反らし、人差し指を突きつけて高笑い。
「だーっはっはっは!なーにが全部知ってますだ、気持ち悪いんだよこのロリコン!ざまあみさらせ!」
「あらいけない、オホホ」なんて取り繕った淑やかさで、ドレスの裾をつまんで優雅にカーテシー。
倒れ込む執事の横を走り抜けて少女は着の身着のままドレス姿で未知の大空へと飛び立った。
十五歳の春、頭がパーになりやすい季節。
◇
「おーい游の嬢ちゃん!これ持っていけよ、前にうちのタマゴロウ探してくれた礼だよ!お連れさんの分も……って
「おー、ありがと親父!もう餌忘れて喧嘩するなよ~!」
一真は投げ渡されたリンゴを一つ、両手でキャッチする。
游里さんは二つを軽々と片手で掴んで、ワイシャツで一拭きすると躊躇いなく口に運んだ。
「ありがとうございます!」
八百屋の親父さんに軽く頭を下げて歩みを再開する。
街の中心部や繁華街などから少しズレているこの場所は近代化の波から微妙に取り残された。
大型店舗に完全に客を奪われることもなく個人店や小規模店舗が今も根強く頑張っている。
古き良き時代の名残が少し息づいているとも言える、呼び込みをかけるエネルギッシュな声。
大体は顔なじみの親父さんや奥さんたちで、代替わりで店を引き継ぐ若い店主も中にはいた。
商店街を活性化させようと相談するところに出くわすこともある。
そういうのを見ると何となく嬉しくなるのだ。
「なんだ?やけに幸せそうだな。そんなにリンゴが好きなのか?」
「……ゴホン。まあ、リンゴは、好きな方ですはい」
顔に出ていたらしい、少し気恥ずかしくなって誤魔化すようにリンゴを齧る。
甘くておいしいなどと顔が綻ぶのに気づいて慌てて首を振った。
暦は二月へと進み、正月気分も抜け落ちた街並みが新しい年を日常へと変える季節。
こうして游里さんと商店街を歩きながら和むことがあるとは。
二日前までは正直、思いもしなかった。
◇
その日、一真はフェリシアと並んで山の屋敷への道を歩いていた。
とりあえず日常生活を送れるぐらいには綾理ちゃんが回復し、廃校の後始末なども済んだとのこと。
一度、集まって情報共有しようということになったのだ。
もはや行き慣れた道を漫然と眺めながら、何となく重い空気に足取りも緩慢気味。
「……一真、あなたあの日、短刀を持っていかなかったでしょう」
前置きもなく、切れ味よく投じられた言葉に顔が固くなるのがわかった。
「あー、うん。綾理ちゃんにどうやって寄り添うべきか、考えるのに手一杯で思わず……」
それは嘘ではなかった、だけど全部でもない。
こういう誤魔化し方がよく出るようになった、出せるのだと最近知った。
フェリシアがそれを見抜いているのもわかっている。
「あのね、責めるつもりは全くないの、本当よ。だけど、あなたが心配なのよ」
真摯な顔でこちらを見つめてくるフェリシアの視線から、思わず逃げるように顔を背けてしまった。
「あなたが出会ったっていう白い魔法使い。私が一度、遠目で見たやつと同じだと思うけれど、結構な力のある魔法使いだったのは確かよ。認識系の魔法が中心で近接戦をするタイプじゃない、あなたの体質がストレートに効く相手だったから何とかなった。だけどね、魔法使いは表側の人間とは構造それ自体が違う、全身凶器みたいなものなのよ」
それは、身に染みて理解している。
フェリシア以外の魔法使いと、それも敵としてはじめて相対した。
ただ駄々っ子のように振り回された腕は当たりどころが悪ければ死んでしまいそうな威力に思えた。
「力を貸してほしいと言ったのは私よ。だけど、本当に甘いと自分でも思うけれど。ここに来てまだ、私はあなたには誰かを殺してほしくないと思ってる。だけど、やらなければやられるの。力があっても我を通すのが難しい場所なのよ、影幻界という認識の世界は」
わかっている、いや、わかっていなかったのだろう。
だから今、こうしてフェリシアの口から言いづらいことを言わせている。
いつも、彼女に言わせる形になってしまう。
「正直、あなたが私たちと共に戦うと思ってくれているだけで助かるのよ、あなた自身が実際に戦いの場に身を置く必要はないの。それでも、あなたは自分の意志で危険に飛び込んでしまう。私たちと並び立とうとしてくれている。ならばせめて、お願いだから、自分の命をまず優先して。……いざという時は躊躇なく敵を斬ってほしい」
その言葉を反芻する。
できていたと思っていた覚悟は綻びだらけ。
並び立てているようでその実、どこか噛み合わない距離がある。
それが何なのか、自分でもよくわからないところがあった。
ここしばらく、こんなことばかりだ。
新しい世界に身を置いたのだからそれはある意味で真っ当な惑いなのだろう。
だけど、いつまでもそれが許される世界じゃないことだけはもうはっきりしている。
こう考えるのも二度目だ、本当に堂々巡りのまま進めていない。
「……わかった。次からは、持っていける場所には必ず持っていくよ」
今はそれだけを告げて歩く。
『ふーんだ、偉そうに。気にしなくていいからね、一真に寄りかからないと何もできないくせに要求だけは一丁前なんだから』
イーと、口に両人差し指を突っ込んで横に伸ばして威嚇する回。
頼むから空気を読んでほしい、今は弛緩した雰囲気にする時じゃないのだ。
その変顔はもう少し効果的な時に披露してくれると助かるのだが。
その後、形代の屋敷まで互いに言葉を交わすことはなく。
「いらっしゃい、一真!フェリシアもよう来た。……どうしたのじゃ?何かあったのか?」
玄関で出迎えてくれた綾理ちゃんに「何でもないよ」と返していつものように客間に腰を落ち着けた。
すでに待っていた游里さんに軽く挨拶して、やがて朔さんが和菓子を盛った皿を運んでくる。
その後ろから、まだ見慣れぬ者がお茶をのせたお盆を持って入って来た。
「……どうぞ、おぢゃでず」
微かに震える手で湯呑を置いてくれたのは怪物と呼ばれていたグルタという名の男。
「ありがとう、グルタさんでいいですか?」
こくりと頷いてくれたグルタさんは他の皆の前にも慣れない手つきでお茶を配っていく。
綾理ちゃんが宣言したように、この屋敷で預かることにしたらしい。
人がほとんど入らず、人形で大半の家事が回るこの屋敷はグルタさんの権能を封じるには都合がよかったとのこと。
綾理ちゃんのお見舞いに来ていた時には姿を見られなかったが、こうして人前に出られるようになったのは喜ばしいことなのだろう。
フェリシアや朔さんは特に思うところもないらしく無表情で湯吞みに口をつけるだけ。
唯一、游里さんだけがしげしげと、舐めるようにグルタさんを上から下まで見つめている。
「うーん、何度見てもだが、思い切ったことをしたもんだな。コイツ、屋敷内に入れて大丈夫か?いきなり屋根を突き破ったりしてな」
游里さんは軽い調子で呟いただけなのだろうが、変化はすぐに表れた。
グルタさんの体が小刻みに震えだす。
「……馬鹿者が」
綾理ちゃんのため息交じりの声が通ると同時、グルタさんの体が肥大化する。
「ゴオォォオオ!」
天井近くまで伸びた身長、膨れ上がった腕、上半身が倒れ込むようにして游里さんに覆いかぶさる。
「うわー!」と悲痛、でもない叫び声が響き渡るが誰も見向きもしない。
ジタバタドタンバタンと、重さと格闘する音が客間に反響する。
それを聞き流しながら各々が最中を齧ったり茶を啜ったりぼんやりしたりしていた。
「いや助けろよ!薄情な奴らだな!喰われでもしたらどうするんだ!」
グルタさんの顔らしきところが裂けて大口が開く。
「うわー!!」と、今度はわりと悲痛な声が漏れた。
「……さすがにまずくないかな?」
誰にとは言わず、思わず尋ねた。
「はあ、グルタよ。そう荒ぶるでない、戻っておいで」
綾理ちゃんの穏やかな声が空気を震わすと、グルタさんの体も同じように震えた。
体が萎れていき元の姿へと戻っていく。
何事もなかったかのようにグルタさんはお盆を脇に抱えると、そのままぎこちないお辞儀をして客間から出ていった
「あー、びっくりした。やっぱ危なくないか、あれ?」
「たわけが、わざとじゃろうが。確かめるにせよ、あまり軽々な言葉をかけるでない。言葉にせずとも認識を反映して存在がブレるのじゃ。次は助けてやらんぞ」
やっぱりそういうあれだったのか。
「もういいかしら?なら、本題に入りましょう」
フェリシアの鶴の一声で、乱れていた机や座布団が元に戻っていく。
改めて卓を囲んだ一同。
「とりあえず、まずはお疲れ様というべきかしら。怪物、グルタの件は後始末まで終わった。彼がクリスティルの玩具の一人だったことも、確定でいいのよね?」
「うむ、よいじゃろう。記憶はおぼろげのようじゃったが、確かに赤の長髪の女に声をかけられた記憶があるそうじゃ。それ以降、あの女の怪物として使われておったようじゃな」
綾理ちゃんは憎々しげな様子で、吐き捨てるように言った。
よほどクリスティルの所業が腹に据えかねているらしい。
それを隠さなくなったのも良い傾向だと思う。
「そう、残りは三人ね。そのうち二人はほぼ正体が割れている。一人は私があの夜に出会った神父。深秘教会の関係者の可能性が濃厚、所感についてはまとめておいたからそれを読んで」
机に一枚、モノクロの絵が放られた。
西欧風の顔立ち、若々しさと成熟さが同居した複雑な様相。
それにしても絵がうまいと感心しながら、一枚ずつ配られた用紙に目を通していく。
こういう細かい気配りもさすがフェリシアというところだ。
「で、もう一人。一真が廃校で戦ったっていう白い魔法使い。十二月頭ぐらいに私もそれと似たようなやつに観測されてたわ。おそらく同一人物でしょう。一真、絵を描いてみるから特徴を教えてちょうだい」
フェリシアは手提げ鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出す。
誘導されるがままにあの少女の特徴を思い出しながら何とか伝えようと悪戦苦闘。
綾理ちゃんも横からちょこちょこ口出ししながら、フェリシアが淀みなく鉛筆を走らせていく。
一時間ぐらい経っただろうか、そこには見事なあの白い魔法使いの少女の顔。
「そうそう、こんな感じだった。もうちょっと、小憎たらしい顔してた気もするけど」
「……あなたがそこまで言うなんて、珍しいわね?」
自分でもそう思うが、これは実際に会って話してみないことには伝わるまい。
あの少女は相当に危なっかしい、あまりにもあまりになのだ。
「お、終わったか?」
昼寝していた游里さんも勢いよく体を起こした。
「ええ、とりあえずこれで、二人の顔が揃ったわね。これからはこいつらを探すことに集中するとしましょう。ただ、問題があるとすれば……」
皆の顔が綾理ちゃんに向いた。
「うむ、正直に言えば厳しい。街中に放てる人形は三十二しか残っておらん。その内、整備が終わっておった十三はすでに放ったが、残りの人形は目途すら立たん状況じゃ」
綾理ちゃんは自分の手指を軽く動かしている。
滑らかな動きに見えるが、あのゲーセンでの綾理ちゃんの絶技を見た身からすると確かに精彩に欠ける。
「指も本調子には程遠い、魔導管も半分は断線断絶で無茶苦茶じゃ。魔力出力が落ちておるから監視網も復旧できん。回復したとて即座に何十の人形を作るのも無理じゃ。すまぬ、私はしばらく役に立てそうにない」
悔しそうに歯噛みする綾理ちゃんには悪いが、少し微笑ましい。
あの廃校での出来事の後、いつの間にか私と自分を呼ぶようになった。
学校もきちんと通えるようになったみたいだし何よりである。
「……何じゃ一真、その顔は。にやにやしおってからに、今がどういう状況かわかっておるのか」
口を尖らせ、拗ねたように呟く綾理ちゃんに頷きながら表情を引き締める。
「敵の顔がようやく割れたと思ったら、今度は目の方が潰れるとはね。まあ、一本調子で進んでも逆に怖いしな。これはこれで順調ということにしておこう。となると、これからはもう足で何とかするしかない」
游里さんが生き生きした顔で体を揺らす。
「ちまちまと街中を覗き見るのにも飽き飽きしていたところだ。じっとしてるのは性に合わん、実際に目で見て確かめないとわからないこともあるからな」
「朔」と、游里さんの呼びかけに朔さんは頷く。
「腕の調子は戻ってます。いつでも行けるっすよ」
見せつけるように大きく二度、右腕を振ってみせる。
「しばらくお前らに任せっきりだったことだし、今度はお姉さんたちの活躍を乞うご期待だ」
誰も反対しない、元よりできないのだろう。
戦力を遊ばせておく余裕がこちらにはないのだと思う。
「……そうね、なら任せる。一真、あなたも探索に加わるつもりなら游里達と一緒にいなさい。三人なら、大抵のことは難なく退けられるでしょう」
近接戦や暗殺が得意だという朔さん、遠距離攻撃に長けるらしい游里さん、そして何かと便利だと嬉しい盾。
確かにこれならよっぽどのことがない限りは大丈夫なはず。
いやまあ、戦闘初段みたいな自分の当て勘なんて役に立たないだろうけれど。
フェリシアが快く――と思おう――送り出してくれるのだからそういうことだろう。
「決まりだな。それで、だ。お前らにプレゼントがある」
「じゃじゃーん」と壁際に置いていた紙袋をもってくると、逆さにして中身を広げていく。
「おー!これ携帯じゃないですか」
最近、学校でもよく見るようになった折り畳み式の携帯電話が三つ。
特に必要性も感じず興味もなかったが、こうして目の当たりにすると物珍しさが勝る。
「ちょっと知り合いに頼んで五回線用意してもらったんだ。人形での情報伝達の代わりにな。互いの番号とメアドは登録してあるからどれ使ってもいいぞ」
「なんと、游里にしては気が利くではないか。携帯代はこっちが負担しよう、請求書があるなら回してくれ。ああ、じゃが、屋敷で充電するなら地下しかないの。少し面倒じゃな」
綾理ちゃんはさっそく赤いやつを手に取ると開いてポチポチし始めた。
はじめてだと思うのだが迷うことなく操作できてるように見える。
ポップな音が青の携帯から流れ出した、手に取って開いてみると新着メールの文字。
前に生徒会役員の女子生徒が弄っていたところを思い出してボタンを押していく。
メールが開いた、てすとの三文字。
「どうじゃ?届いたか?」
「うん、届いてるよ」
どこか浮かれ顔で聞いてくる綾理ちゃんに頷き返す。
綾理ちゃんは再び携帯に視線を戻して没頭し始めた。
電子機器とは無縁そうに見えるが、むしろ得意な方だったらしい。
まあ、合体ロボみたいな人形を作っちゃうあたりそういう方面も強いのだろう。
「……なにこれ、ボタン小さくないかしら?」
逆に、何でも器用にこなしそうなフェリシアは動作がたどたどしい。
おっかなびっくりといった風情で、両手で携帯を握りしめている。
メキリという音が聞こえた気がする、強く握りすぎじゃないだろうか。
「よしよし、気に入ってもらえたようで何よりだ。これからはそれで連絡を取り合おう。電波を操る術を使う奴もまだそういない。数年後には攻略されるだろうが、今は魔法探知や傍受に対する攪乱の役目も果たすからな。きちんと使い方、マスターしとくんだぞ。私と朔はもうマスター済みだから何でも聞いてくれ。それと、番号とかは誰にも教えるなよ。それはあくまでこの五人専用だからな」
なるほどと思う、そういうところまで考えているのかと感心した。
フェリシアがさっそく朔さんに教えてもらっている。
本当に壊しそうで先回りして動いたようだ。
それから数時間、画面とにらめっこする時間が過ぎていった。
日も落ちかけてそろそろお開きというところ。
「……そうじゃ、あれがあったな」
綾理ちゃんが立ち上がってぱたぱたと廊下を走り去る。
数分で戻って来た、手の中には例のあれ。
「ちょ、待って!それは!」
こちらの静止は届かず、携帯の裏にあのプリクラが貼られてしまった。
「本来、こういう使い方をするのじゃろう?うむ、確かにいつも傍にいるようで良いな」
愛おしそうに、心底うれしそうに眺める綾理ちゃんを見てしまうと剥がしてとも言えない。
それ以前に、別の問題が生まれてもいる。
「お?なんだ、プリクラじゃないか。それにしても一真、慣れてないのが丸わかりだぞ」
游里さんがまとわりついて、からかうようにこちらの頬を執拗につついてくる。
「……ゲーセンで情報収集でしたっけ?随分と楽しい散策だったみたいで何よりだわね。まあ?その情報のおかげで失踪事件も解決できたのだし。遊びが結果に繋がるなんて最高峰のプロじゃないのよ。これからもぜひ、一真プロのお力を頼りにさせてもらうわ」
慣れない携帯と格闘して機嫌の悪いフェリシアの目は据わりきっている。
複雑な感情が練り込まれていそうな口撃がちくちくと突き刺さって痛い。
この場を収められそうな朔さんは藪をつついて蛇を出したくないのか、いつの間にか姿を消していた。
『このロリっ子!最近、距離感おかしくない!?こんなキャラじゃなかったでしょ!私は撮れなかったプリクラを持ち出すなんて、宣戦布告だよこれ!』
回が飛び蹴りを放ってはすり抜けるを繰り返して荒ぶっている。
これは家で面倒なパターンだ。
一瞬で混沌とした空間に様変わりしたことなどなんのその。
どこか満足そうな表情で笑う綾理ちゃんを恨めし気に眺める羽目になるのだった。
◇
と、そんなことが二日前にあって学校が終わった今日の放課後。
一真は游里さんと合流してこうして街を歩いている。
朔さんは近くで気配を隠しているそうだ。
しかし、こうして日の明るいうちに街中を歩いてもさすがに見つからないと思うのだが。
そう思うこと自体に少し引っ掛かりを感じた。
「游里さん、ずっと気になってたんですけど何で隠れてるんですかね。表立って活動せずに裏でこそこそやる意味がわからないというか」
游里さんにその疑問をぶつけてみる。
この世界に踏み入る前に回から聞いてはいた。
人は多少のことならなかったことにして認識を修正してしまうと。
だがここしばらく、いろんな人に会った。
世界の裏側にいる存在に触れた。
正直、思っていた以上に大規模なことができる者達がいる。
グルタさんなんかはその典型だ。
白い少女が言っていたように街中に身を置けば大惨事は免れないだろう。
そして、きっかけさえあれば平気でその一線を踏み越えるような者も、もっと多いと思うのだ。
それこそ社会そのものをひっくり返すことすらできそう。
なのに、表向きここまで平和なのはなぜなのか。
「あー、うん。まあ、それは疑問に思うよなあ。異能者や権能者はもちろん、魔術師に対してなんかは特にそう思うだろ?エゴの塊だからなあ基本。自分の利益のために何でもやりそうな印象あるよな」
「そうですねえ。あ、いや、游里さんは別だと思ってますよ」
流れるように同意してしまったがこの人のことは信用している。
游里さんは気にした風もなくカラッとした笑いを響かせた。
「まあ、誉め言葉として受け取っておくよ。話を戻すが、前に場の話しただろう。あれの延長線上にある話なんだが」
游里さんはリンゴを芯まで丸かじりにして残ったヘタをポイ捨てする。
慌ててキャッチ、ポイ捨てはダメ、絶対。
道中の魚屋でゴミ箱に捨てさせてもらう。
「例えばだが全員が手から火を出せるのが当たり前の社会になったとしよう。その時、火を出せることに価値はあると思うか?」
「それは、ないと思いますけど」
「そう、火を起こすということが特別なことじゃなくなるわけだ。ついでに火にまつわる事件や事故に対して、おそらくはそこまで大きな反応を示さなくなる。実際に現代はほぼそうなってるだろう?ライターなんかで誰でも火を起こせる」
游里さんはコートのポケットからライターを取り出すと、手の中で弄びながらおもむろに火を灯す。
ついでに煙草につけて一服し始めた、吐き出された煙が風に吹かれて流れていく。
正直、歩きタバコなんてどうかと思わなくもないが、この人がやると妙に絵になるのも確か。
「火事も近くで起こったり当事者になれば別だろうが、テレビで流れたところで誰もそんなに気にしない。火という現象への印象が薄くなるんだよ」
半分ぐらい吸ったところで携帯灰皿で火を消した。
まあ、言われてみれば確かにその通りだろう。
「でだ、そういう印象の薄まりはそのまま影幻界に波及する。そうなると魔法で火を起こす時、表側とは逆に多大な労力が必要になるわけだよ。つまりだ、火という現象が特別でない場ができた時、影幻界を経由した発火という現象のコストは爆上がりするわけだな」
何となく話が見えてきた。
というか、前にフェリシアが資源の独占とか言っていたことも思い出した。
「表側で魔法が当たり前みたいな社会になると、相対的に魔法が出しづらくなるんですね?」
「大当たり、そうなんだよな。表側の世界と影幻界は文字通り表裏なんだ。表側で当たり前のように起こるものは、裏側では力を失う」
受賞者にはプレゼントだと、食べかけの二つ目のリンゴをくれる。
体よくいらないものを押し付けられただけの気もするがそのまま齧った。
糖分を補給すると頭が回る、気がするし。
「ふーむ……あれ?でも前に、当たり前に在ることが大事って話もありましたよね?だからフェリシアは学生してたり、游里さんは探偵してたりするんでしょう?」
「そこが難しいところでな。当たり前にある、常識がある。だからこそ、常識から外れる非常識という力が効くんだ。火という現象は手からは起こせない、だけどそれが火という現象が起こらないってことにはならないだろ?現象と印象、存在と発動は別なんだ。だから、その狭間を模索するわけだよ」
游里さんは再びライターを取り出すと火をつけた。
ただし、今度はキャップが開いておらず人目につく前に即座に消える。
游里さんも火を起こす魔法とか使えるらしい。
フェリシアみたいに魔法陣を使わなくても発動できるのか。
「一見すると種も仕掛けもないのに火を起こせる者みたいな印象が大事なんだ。火は当たり前にあるとしても、それを扱える者は特別であるという印象がな」
游里さんは珍しく、知的な顔でおもむろに空を眺めた。
「かつて、人は火そのものを畏れただろう。信仰の対象であり、赦しを乞う超常であり、決して手の届かない神秘だった。だが、現代ではそれを日常に変えた。人は火を畏れなくなり、ただの背景として処理するようになった。火は特別なものではなくなった、だが起こりは別だ。火の起こり方次第では、まだまだそれは特別な価値を持つんだよ」
なんか複雑になってきた。
「まあ、そう難しく考えなくていい。密教しかり、結社しかり、秘密ってのは一部で独占されていることに意味がある。それがたまに表側に漏れ出るから多大な力を発揮できるんだ。クリスティルやフェリシアみたいな例外を除けば、大抵の魔法に携わる者、特に後天的に魔法を習得することが多い魔術師はその規則に強く縛られやすい」
「うーん、つまり、一見当たり前に見える人が何か特別なことをすると効果的ってことですか?ギャップみたいな」
「まあ、そんな感じに思っておけばいい」と、游里さんはのんびり告げた。
何とか話を噛み砕いて消化しようと頭を回転させながら、聞き逃せないことを言っていたのに気づく。
「……え?フェリシアもそういう特殊な例に入るんですか?」
「なんだ、マジで知らなかったのか?あいつも相当にヤバいぞ。アホみたいな魔力量、大規模魔法の連続発動、概念干渉レベルの技術、おまけに近接戦闘技能まで身についてやがる。甘さや生真面目さが邪魔をして自分を抑える傾向があるが、もしその気になれば街一つぐらいならたぶん難なく潰してみせるだろうよ」
正直、まったく実感が湧かない。
魔法使いのフェリシアを知った時から、少なくとも自分にとっては律儀で素直じゃない。
だけど優しい女の子だったように思う。
それは、やっぱり何を訊いても変わらないので置いておこう。
「じゃあ、異能者や権能者はどうなんです?」
「そっちに関してはなあ。そもそも、ああいう力が発現する理由からしてほぼ謎でな。ただ、人格が起点という説が濃厚なんだよ。能力が発現した奴の精神構造とかで強まったり弱まったりする、ついでに消えることもあるってのは前にも言ったな。で、その心の在り様はそもそも社会に大規模な干渉を望むようなものじゃないことが多い。端的に言えば自他に興味関心がない。まずあり過ぎる、あるいはなさすぎる己があって、その後に他がくる」
それは、確かに納得できることだ。
はじめて会った異能者、木戸はどこまでも無感情に、他者を無差別に喰らって自分を満たしていた。
透君や怪物と呼ばれたグルタはそもそも自我が薄すぎて自分で何かを指向する意思が見えなかった。
唯一、勇気君は復讐、黒須孝道への憎しみに燃えていたが他の人にはなるべく手を出さない一線があった。
「ましてや世界がどうとか、どうでもいいんだろうさ。結果的に大災害を起こす可能性はなくもないが、自分から望むことはそうないんだと思うぞ」
そこらへん、唯一答えをくれそうな存在がいるのだが。
回は相変わらずどこ吹く風で揺蕩うばかりである。
まあ、別に期待してはいない。
情報を教えてくれる便利機能みたいに頼みたくないのもある。
回が話さない、あるいは話したくないなら無理に聞くのも野暮というもの。
元よりわからないものはわからないまま、それでも前に進まなければならないのだ。
游里さんについて歩きながらこれまでのことを思い出しつつ、つらつらと自分なりの考えを重ねていく。
そんなことを十分ほど続けただろうか、立ち止まった游里さんにぶつかりそうになって慌てて足を止める。
うつむきがちに歩いていたせいで、一変した風景や音に意識が向いてなかった。
川の向こう側から特に大きく鳴り響く重低音、工場地帯にほど近い操車場跡地。
近いうちに再開発が予定されている広場だ。
今はまだ草に埋もれたレールや放置された貨物車両がそこかしこに見られる場所。
「游里さん?なんでこんな場所に……」
言いかけて、思わず口を噤む。
その顔が笑みを刻んでいた。
心底楽しそうな、どこか狂気を孕んだような笑みだった。
「まあ、さっきはああ言ったけどな」
游里さんは腕を上げ、その指がピストルのような形を作る。
子供が遊びでやるような指鉄砲。
「やっぱ中にはいるんだよ。セオリーとか常道なんてクソくらえでガン無視。趣味やらこだわりやら偏愛やらで遮二無二、考えなしに突っ込んでくるやつ。――バン」
その口が、声が引き金となって指から何かが射出された。
赤い塊が放置車両に向けて疾走する。
あれが聞いていた魔弾、魔力を実体あるものとして打ち出すという。
着弾する直前、車両の影から飛び出す何か。
眼前に着地したのは小柄な人影。
フードを目深にかぶって顔を窺わせない。
ただ、限界まで開かれた口と、そこから覗く鋭い犬歯が印象的だった。
「みーつけーたー、見つけた、見つけたよお。キヒヒ!」