そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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少年と魔術師達②

 

 游里は笑みを浮かべながら、心中はどこまでも冷徹に目の前の女を値ぶる。

 一見、特に強い魔力も、魔法使いのような存在の胡乱さも感じられない。

 

 見たことのない顔、未知の相手だが十中八九、魔術師だろう。

 唯一、こちらに対する謎の執着だけはビンビンに感じ取れた。

 

 「よお、ずっとつけてたよな?私に何か用かい?」

 

 軽い会話でまずは縁を繋ごうかと声をかける。

 

 「やった、やったやった!流 游、流合 游里だっけ?なんでもいいや、あれ間違いなくレアものだよお。ほんと、ここに来てよかった!早く剥ぎ取りたいなあ」

 

 謎の影――声質からして女だろう――は游里の声に一切の反応を示さない。

 フードの中の頬に両手を押し当てて首を振るばかり。

 

 「あー、それにしても、このネックレスダメダメじゃないのお。あんな恥ずかしい宣言しないといけないのにさあ。琉朱の役立たずう、くたばれ」

 

 女はハート型のネックレスを首から引きちぎって地面に叩きつけると、そのまま踏みつぶして地団駄を踏み始めた。

 

 相変わらずこちらは眼中にない感じに游里はため息を一つ。 

 人のことをとやかく言えるほど自分がまともだとは思わない。

 

 だが、あれは別格。

 

 あらゆる意味で閉じた世界に生きている。

 そういう輩は珍しくないのが魔術師という生き物だが。

 

 とは言え、初対面の相手にここまで絡めるのはやはり珍妙な類だろう。

 

 何であれ敵であることは間違いない。

 

 「一真、下がってろ。奴さんの狙いは私らしい」

 

 今、一真は丸腰。

 真昼間の街中で隠蔽もかけられないから得物を持たせられなかった。

 

 魔弾を避けた先の動き、それを可能とする身体能力。

 敵は近接戦を得意とするタイプの可能性が濃厚。

 手の内を読めない相手に最初から一真を矢面に立たせるのはまずい。

 

 それは一真自身もわかっているはず。

 後ずさる足音だけを確かめて游里はショルダーホルスターから銃を抜いた。

 

 同時に魔導管を駆動させる、そのイメージは鎖。

 自らの存在を現実に打ち付ける要領、魔力の質が赤なのは血の契約に属する。

 

 己を縛り、地に留めることを目指すのが游里の世界観の入り口。

 

 「……違う、何それ」

 

 女の意識がはじめて游里に向いた。

 はっきり見える口元が不満か、怒りで歪む。

 

 「そんなんじゃないでしょ、オマエの魔導管はさあ!!」

 

 女の体が軽々と跳ねる、小柄な体格を活かしたスピード重視の動き。

 左右にブレて射線を固定させないように距離を詰めてくる。

 

 両袖の内側から転がり出るように現れたナイフを掴み取り、そのまま游里の肩を狙う。

 游里はサイドステップで避けるも、女は即座に追撃して距離を潰しに走る。

 

 遠距離を得意とする相手に常に間合いを潰すよう動くのは定石。

 加えてこの女は身体能力に相当のアドバンテージを持ち、最大限それを活かすことを忘れない。

 

 「ほらほらほらほら!次次ツギィー!」

 

 どこか外れた側面を見せながらも行動は極めて合理的で遊びがない。

 最短軌道で振るわれるナイフは命ではなく機動力を削ぐためのもの。

 

 腱や関節を正確に狙いながらノンストップで跳ねまわる。

 急所を狙われるよりやりづらい、殺すより止めることに特化した技術の粋。

 

 紙一重を掠めていくナイフが防刃仕様のコート表面に軌跡を残し摩擦音が連続する。

 

 「今惜しかったねえ、次は外さないよお!」

 

 粘着質な声と笑み、思わず生理的嫌悪を呼び起こすような態度、演技であれ素であれ精神までをも削り取ろうと牙を剥く。

 

 徐々に迫りくる鑢(やすり)の渦の中、游里は焦ることなくじっくりとその動きを見ていた。

 

 性格から行動まで一見、無軌道に見えてその実、効率化された実践的な挙動の数々。

 こちらの規律正しい動きがこの女の本来の在り方に近いのだろう。

 

 その齟齬を埋められず第一印象で面食らう者が大半。

 そのまま無茶苦茶という印象に巻き込まれ、初手でやられる可能性が高まる。

 

 游里はそのあたり、しっかりとわきまえていた。

 

 特にフェリシアや黒須孝道の初対面での測りそこない。

 その経験からより繊細に他者の在り方を見定めることを己に課している。

 クリスティルのようにそもそも測る余地すらない戦力差があれば話は別。

 

 だが、この女はそこまでの脅威ではない。

 表面が分厚く面白おかしいだけで、何かを隠すという機微は持っていないと判断した。

 

 游里は避けざま、とある地点へ向かうよう巧妙に動きを調整する。

 やがて、その背が廃棄車両の一つへとついた。

 

 「キッシシシシシ!いただきだよお!」

 

 両手を広げ逃げ場を潰すようにして、沈みこませた低い体勢から足の腱を狙う動きを捉え。

 

 「ああ、こちらがな」

 

 游里は罠にかかった獲物を検分するような冷淡な笑みを見せた。

 

 車両の下の影から瞬時に滲み出た朔は高速で突っ込んでくる女の首筋を正確に狙う。

 ダガーの軌跡を視界の端で捉えた女は筋肉から嫌な音がするのも気にせず、無理やり体を捩じって即座に迎撃の構えに移る。

 

 その動体視力と判断力は見事というほかないが一手、遅い。

 

 受けのために構えられたナイフの隙間を正確に抜く軌道。

 ダガーが女のうなじを断つために振り下ろされようと走る刹那。

 

 「二人とも、上!」

 

 離れたところで一部始終を見ていた一真の端的な叫びが届く。

 今度は朔が急ブレーキ、游里のコートを掴んで跳んだ。

 

 一拍遅れてピンク色の火の玉のようなものが上空から落ちてくる。

 派手に爆発したそれはピンクの煙をまき散らしながら周囲一帯の視界を閉ざした。

 

 「ちょっと、アザミ!何か策があるかと思えば真正面から突っ込むだけとか何考えてるのこの子はもう!」

 

 煙の中から無駄に甲高い、早口のソプラノ声。

 

 游里達とは逆方向に女――アザミと呼ばれているらしい――を小脇に抱えて飛び出たもう一人の女。

 戦いの場にはおおよそ似つかわしくない、派手な衣装を揺らしながら離脱しようとする。

 

 「ちょっと琉朱、離してよお。まだ負けてないんだからあ!三人いるってわかってれば今度はいけるよお!」

 

 「ダメ!三人とは限らないの!それにあのど素人っぽい男の子もヤバいって!私の隠蔽を完全に見破ったもん、正面からやり合うのは危険なの!ホントにもう!だけどカワイイ私は逃げ様もカワイイ!」

 

 やかましい口喧嘩を繰り広げながらも撤退は鮮やかの一言。

 

 「おっと、せめて腕一本ぐらいは置いていけ!」

 

 游里は銃口を琉朱の背に向けて躊躇いなく引き金を引いた。

 琉朱はその光景をまるで知っていたかのように、弾丸が射出される直前に射線から身を躱す。

 

 游里は笑う、あの琉朱と呼ばれた女もまた厄介極まりない。

 

 「だが、それで避けたつもりか?」

 

 琉朱の傍を抜こうとした弾丸が突如、空中でピタリと静止する。

 次の瞬間にはホーミングして琉朱の肩を狙って動き出した。

 

 その瞬きの間。

 

 アザミは驚愕の表情を浮かべるのもそこそこに、袖から即座に再び何かを転がし出す。

 

 それは宙で急速に膨張したように游里には見えた。

 まるで風船に空気でもいれるかのような膨らみ方。

 

 現れたのは黒い板、厚さ五センチ、縦五十センチはあろうかという広さで弾丸を受け止める。

 派手な音を立ててへこみはするも貫通しないあたり相当の強度。

 

 游里が第二射を放つ前に役目を終えたそれを惜しげもなく投げ捨てて身軽になるアザミ。

 琉朱は廃棄車両や貨物コンテナを遮蔽物に距離を離していく。

 

 嵐のように現れた二人組は台風一過よろしく、やかましく消えた。

 

◇

 

 静けさが戻った広場、二人が見えなくなるのを確認して一真は游里と朔に駆け寄る。

 

 「二人とも、大丈夫ですか?怪我とかは」

 

 「大丈夫だ、コートに掠った程度だよ」

 

 「俺も最後に飛び出しただけっすから。忠告、ありがとうございましたっす。あれがなかったら気づきませんでした」

 

 やっぱり見えなかったのか。

 

 こっちからは少し離れた廃棄車両の上に仁王立ちして、コンパクト見ながら化粧してたのが丸見えだったのだが。

 あまりにも堂々と日常的なことをしてるものだから、敵なのかどうかすら分からなかった。

 

 「それより、追いますか?今なら何とか追いつけそうっすけど」

 

 「いんや、今はいい」

 

 游里さんは銃をコートの中にしまい込むと手放された黒い板の方に歩み寄る。

 それを重そうに両手で立て起こすと、着弾した箇所を興味深そうに眺めた。

 

 「うーむ、これは、間違いなく本物の鉄板だな。あいつの固有式か?物を収納する効果?容量無制限ってことはないだろうが、いい魔法持ってるな」

 

 游里さんみたいに武器を使うタイプであれば確かに羨ましい能力かもしれない。

 自分としても短刀を自由に出し入れできるなら便利だと思うし。

 

 それにしても、色々な魔法があるものだと思う。

 固有式、個人の世界観や強く固い想像がそのまま形になったものだとか。

 

 本当に何一つ、常識に囚われることがないらしい。

 想定され得るものは、個人がそれを信じられる限り形になる。

 形になったものが世界の抵抗を欺いた時に、それは現実となって発動するという。

 

 実感はまったくわかないが、これは対応するのも大変そう。

 条件があるとはいえ、いくらか無条件で弾けるこの体質の便利さが何となく自覚できた。

 

 立ち回り次第ではもっと役に立てるかもしれないと頭の中で動き方を考えてみる。

 

 そんな思考は鉄板の倒れる派手な音で中断させられた。

 

 游里さんは先までの楽し気な様子はどこへやら。

 回収した弾丸を手の中で弄びながら物憂げにため息を一つ。

 

 「まあ、あいつらの正体がなんであれ、問題なのは今この状況で面倒ごとが飛び込んできたってことだ。間違いなくあれだよな?」

 

 「そうっすね、あれでしょう」

 

 「あれ?」

 

 あの二人について何か知っているのだろうか。

 

 「あー、とりあえず一度、屋敷に戻ろう。全員が揃ってから話すよ」

 

 心なしか重い足取りで游里さんは元来た道を戻っていく。

 朔さんと並んでそれについて歩きつつ、携帯でフェリシアに集合のメールを送っておいた。

 

 【了解よ】

 

 端的な返答を確認して携帯を閉じる。

 

 「それにしても、游里さんって戦う時はいつもあんな感じなんですか?」

 

 することもなく、漫然と歩くだけというのも味気ない。

 何となく游里さんの様子がいつもと違うし、少しでも気が晴れればと話題を振ってみた。

 

 「あんなって、どんなだ?」

 

 「底意地悪そうな満面の笑顔で時折、噛み殺したような笑い声が漏れ出てる感じです。どっちが悪役かわからないですよ、傍から見ると」

 

 「あん?大げさな、そんなわけないだろう。……ないよな?あるのか?朔、お前どう思う?」

 

 「いや、今まで気づかなかったんすか?戦闘中はテンション上がって、狂ったように笑うこともざらじゃないっすか。最初に会った時からそうでしたから、てっきりそういうものかと」

 

 付き合いは長そうな朔さんもこれまで指摘しなかったのか、本当に自然で合っているのでさもありなん。

 似合い過ぎて自分を鼓舞するための意図的な雰囲気作りではと思っていたのだが、そうじゃないらしい。

 

 「そっかー、そうなのか。次からは気を付けるよ、うん。えー、いや確かに命のやり取りするんなら最後まで楽しんだ方が得だとは思ってたがな。そんなに顔に出てるもんか?」

 

 游里さんはぶつぶつ呟きながらさらに沈んだ顔で肩を落としてしまった。

 話題選びを間違えた、この人にも無自覚で気になる悪い癖というものがあるらしい。

 

 もう黙って歩くことに専念することにした。

 

 まだまだ短い日が半分ほど落ちて斜陽が屋敷を照らす時間帯。

 屋敷に到着して客間に顔を出すと、フェリシアはすでに戻っていた。

 

 綾理ちゃんが手ずから用意してくれた温かいお茶を啜ってようやく一息。

 各々くつろぎながら游里さんの言葉を待つのだが。

 

 当の本人はどこまでもだらしがなく口を開こうとしない。

 机に完全に身を投げ出してぐたっと、スライムのように溶けているかのような有様。

 

 本当に憂鬱であるらしい、口も含めて全てが重い感じは珍しい。

 

 しかし、このまま無為に時間を潰すわけにもいかないのだ。

 この屋敷は夜になると真っ暗で、提灯や燭台で灯りを確保しないといけなくなる。

 

 何て規則正しい生活ができそうな空間だろうと思うが話をするには少し不便。

 

 「游里さん。そろそろ話、聞かせてもらえませんか?」

 

 「ん、ああ、そうだな」

 

 首だけを立てて億劫そうに、游里さんはゆっくり口を開く。

 

 「そうだなあ、簡単に言えばだな。あの二人は多分、家からの刺客だ」

 

 その意味を汲むのに少しばかり間が必要だった。

 

 「……家というのは、あなたの実家ということ?」

 

 少しばかり早く受け取ったフェリシアが怪訝な顔で問い返す。

 

 「そうだ、一真には話した気もするが、私は十五の時に家を飛び出したんだよ。それで諦めてくれるほど殊勝な家なら楽だったんだがな。今でも定期的に刺客が飛んでくる。殺したいのか、連れ戻したいのかは謎だが」

 

 心底お疲れ気味で目をしばたたかせながら、投げやりに話すその心中はいかほどのものか。

 

 「ふむ、この街は今、監理庁も手を出せん空白地帯。とはいえ外では動けるわけじゃ。間違いなく街に流入しようとする者共を押し止めていると思うのじゃが」

 

 「そういうの、すり抜けられるんだよな。そこかしこにカビみたいに根を張ってるんだよ。どこからともなく現れては、目につくもの全てを侵して利益を啜る政商の家系」

 

 自分の実家だというのに散々な言い草、よほど受け付けないらしい。

 

 「根拠は?あなたを狙う刺客だとなぜ断定できるの?」

 

 「私の偽名、両方知ってたからな。そんなに多くないんだよ、特に流合を知ってる奴はな。死んだ母方の姓で、借りて名乗ってる。実際の苗字は父方の地生院(ちしょういん)で、そっちなら知ってる奴も多いんだがな」

 

 地生院 游里、それが本名なのか。

 

 「だもんで、悪いな。あいつらは私の客だ、こっちで何とかするから時間をくれ。この屋敷からもしばらく離れる、敵が来たら面倒だろ?」

 

 思わずムッとした、なぜなのか自分でもよくわからない。

 頼られないとか信用されてないとか、そういうのじゃない。

 

 游里さんは元々、どこか飄々としていて何でもそつなく一人でこなしてしまう人だ。

 距離が近いようで遠い、目を離すといつの間にかどこかに行ってしまって、ふらりと帰ってくる。

 

 元々、何にも誰にも自分を預けない人だと思う。

 

 だけど今のは、なんていうか、突き放されたような感じがして嫌だった。

 何か言い返そうと口を開きかけて。

 

 「馬鹿じゃないかしら」

 

 またしても、フェリシアの槍投げのような声に先を越された。

 

 「そんな些細なことにかかずらってる暇はないし、この街で変な奴らに事態を引っ掻き回されたくないの。あなたの事情とか知ったことじゃないわ。刺客とやらが二人だけかどうかもわからないし、任せてたらどれだけ時間がかかるかもわかったものじゃない。変なとこで線引かないで、頭下げて助けて下さいって懇願しなさい」

 

 言い方はあれだが、特に訂正するようなこともない。

 

 「そうですよ、いつも何だかんだお世話になってますから。たまには頼ってもらえるとこっちも負い目が消えてラッキーといいますか」

 

 「私は力になれんから何も言わんが。まあ、お主がいなくとも、この屋敷に敵が踏み入る可能性はあろう。じゃから、ここで屋敷と、私も守ってもらいたいのう。いつも家賃踏み倒されたりしとる分、護衛代ということでチャラにしといてやろう」

 

 こんなことを言う綾理ちゃんだが、実際のところこの屋敷の守りは相当に固いらしい。

 地下の工房はいざという時、平時に蓄えている魔力で大規模な結界を展開できる。

 

 自動人形による迎撃も可能らしく、街に出ずに屋敷に籠城しておけばクリスティルレベルの敵が乗り込んでこない限り安全だと。

 

 何とも不器用な気遣いだった。

 

 「なんだそりゃ、この屋敷で私ができることなんてほとんどないだろう。全然チャラになってないだろうが、釣り合ってないぞ。フェリシアは……いつも通りで逆に安心だな」

 

 机からあごを離して体を起こした游里さんは、そのまま素直に頭を下げた。

 

 「ったく、一真にまで気を使われたら本格的にヤバそうだ。しょうがないから、頼むよ。街から追い出すか、排除するか、力を貸してほしい」

 

 首を振る者は誰もいなかった。

 

◇

 

 同時刻。

 

 「あー、あー、あー、もう最悪う」

 

 常磐市の端、とある小さなホテルの一室。

 ベッドに身を沈ませてゴロゴロしながら愚痴をこぼし続けるアザミ。

 

 「なんで撤退したのお?あそこで仕留めればよかったじゃないぃ。二人なら行けたでしょお?」

 

 「もー、しつこいなあ。そこがいいところではあるけど、今回ばかりはアザミの向こう見ずのせい。あのまま割って入らなかったら死んでたでしょ。あいつらの魔法も能力もわからないうちはやり合えない。まったく、何年魔術師やってるのよ。カワイイ私に感謝してほしいぐらい」

 

 アザミは口を閉じた、やられかけたのは事実。

 

 聞いていた話と大きく乖離していたから激情を抑えきれなかった。

 雑に話をすり替えられたことには気づいていたがそれ以上、追及しないことにしてベッドに顔を埋める。

 

 琉朱は化粧台の前で乱れた髪を直しながら、横目でふてくされるアザミを見やった。

 明らかにテンションが下がっている、ここでさらに殺せないことを伝えたらどうなることやら。

 

 (メンドイなあ、そもそもアザミに生け捕り依頼とか無理なんだって。明らかに人選ミスでしょ。何考えてるんだろあの人、私の可憐さに目が眩んだのかな)

 

 考えるのも面倒になって髪をいじることに集中し出す琉朱。

 そんな折、部屋の鍵が外から勝手に開錠され勢いよく扉が弾かれた。

 

 「やあやあ、どうも。あなた方がアザミ様に琉朱様ですね!」

 

 わりと険悪になった空気をさらに淀ませる来訪者が来るとは予想してなかったろう。

 空気の読めない大声に二人の顔が一瞬で歪む。

 

 やけにテンションの高い男だった、というより情緒不安定気味。

 

 執事服を身にまとって慇懃な礼を見せるが、どこか芝居がかっている。

 一人だけ台本の中に住んでいるのではと思わせる大げさな言動がことさら鬱陶しい。

 

 ついでに鼻がやけにねじ曲がっているのが目に染みる。

 おそらく殴られでもして骨が折れたまま放置したのだろう。

 

 両脇を固めるスーツ姿の男二人は立ち姿から見ても明らかに訓練されていた。

 魔術師や工作員ではない、兵士としての立ち居振る舞い。

 

 うざいノリ、積極的に見たくはない顔、融通の利かなそうな男達。

 アザミや琉朱にとっては端的に言ってどぶ川以下の汚物だ。

 

 ただでさえ垂直落下中だった心中が床に激突して粉々に砕けそう。

 

 「なーにお前ら。いきなり入ってくるとかキモイんですけど。いくら私がカワイイからって、無粋な夜這いはノーセンキュー。もっと股開きたくなるシチュエーションを勉強してから出直してきて。まずその鼻から整形してこい」

 

 毒吐き琉朱、アザミに至ってはどこから取り出したのかすでにナイフを握っている。

 殺気立つ気配を隠さない二人を前に、男の笑顔はみじんも崩れない。

 

 「まあまあ、そうおっしゃらずに。私は黒の御旗を通じてあなた方にご依頼させていただいた者です。つまり、雇い主ですよ」

 

 「うげえ」と、琉朱は嫌悪感を表明して視線を鏡に戻した。

 

 最悪な依頼主だが、受け持った仕事である以上は仕方がない。 

 アザミもそこらへんはわきまえているのか、ナイフをほっぽり出して頭から布団を被る。

 

 「何ともはや頼もしいお二人ですな。これは結果も期待できそうです」

 

 嫌味というわけでもないらしい、琉朱やアザミに負けず劣らず何一つ見えていない感じの男。

 一切の隙間無くガチガチに自我を固める者達が集まったがためのカオス。

 

 このままではまったく話が進まない。

 

 仕方なく、嫌そうに、だけどもキュートな自分があえて面倒ごとを引き受けようと。

 その方が健気でカワイさアップだと琉朱は髪を整え化粧を直し終えてから、入り口付近で立ったままの三人と向き合った。

 

 「で?依頼主様がわざわざこんなところまで、何をおしに来たんでしょうか?」

 

 「いえね、あなた方の実力を疑っているわけではないのですよ。ただですねえ、今回のターゲットについては私、絶対に連れてきていただきたいと思いまして。微力ながら兵隊を三十ほど連れて参った次第です」

 

 それは疑っていると言っているようなものだが、この男にそういう意図はないだろう。

 会話はできても意思疎通はできないタイプのズレ。

 

 しかし、聞き逃せない言葉は確かにあって、勢いよく布団を跳ね上げたアザミ。

 

 「はあああ!ちょっと琉朱、どういうこと!アンタ知ってたの!連れてきてって、つまり生け捕りじゃない!魔導管は?中身引きずり出しちゃダメなの!?」

 

 限界まで見開かれた目は充血して真っ赤、フードの影からねめつける様は軽いホラー。

 「あちゃ~」と額を押さえた琉朱は開き直って無視することにした。

 

 「兵隊さんをわざわざ準備してくれたのはお嬉ふぃいですけど、街中に放つつもりでしゅか?下手したら大騒ぎになりまふよ?それ、特警崩れのガチのやつらでふぉ?」

 

 ギャースと襲いかかって頬肉を引きちぎろうとしてくるアザミと格闘しながら、琉朱は一応尋ねてみる。

 崩れという言葉にピクリと反応した男達には気づいていたがやはり無視した、むしろわざと煽った。

 

 「ええ、まあそうなのですがね。今回だけの無茶ですから、これで最後なので大丈夫ですよ。ええ、ええ」

 

 何が大丈夫なのかまったくわからないが、もういいやと琉朱はさじを投げた。

 

 (あの女も大変そうだね。こんな変なのに付きまとわれてご愁傷様。まあ、私ほどじゃないけど華麗だし、やっぱりカワイイと厄介ごとも重いんだよねえ。その重さがカワイさの証だからいいんだけど)

 

 どこかにトリップした男、内心猛ってそうな兵士二人。

 わりと本気で同情しつつ、これからどう動くかそろばんを弾く琉朱。

 

 アザミは琉朱を解放して再び布団をかぶる、その隙間から男たちを見ていた。

 へばりついて拭えない憎悪を込めて。

 

◇

 

 ホテルでの三者邂逅から数時間ほど後のこと。

 

 街に放たれた兵士(猟犬)達は一般人を装いつつ、スリーマンセルで地形の把握やターゲット探索の準備を進めていた。

 

 その内、秘密裏に武器や魔道具を街の至る所へと運び込むためのワンチームが、いくつかのハードケースを携え街を行く。

 依頼主がこの時のために借り上げたという雑居ビルの一室に持ち込むと簡単な偽装を施した。

 

 微かに差し込む月明かりが、その場に四つ目の影を伸ばす。

 

 足音もなく、気配も希薄、視界に収めてはじめて気づいた。

 大柄で存在感のある神父、なぜこんな男がここまで接近することを許したのか。

 

 「驚くことはありません、あなた方の罪悪感が私から目を逸らさせたのです」

 

 先回りするかのように答えを返す神父、アンセルの悲し気な眉尻は慈悲を与える聖職者そのもの。

 どれだけ装ってもアンセルの感覚は誤魔化せない、血(罪)に濡れたその手を見逃さない。

 

 そのあまりの場違いさ、思慮深さに兵士の一人が反射的に腰のホルスターから拳銃を抜く。

 

 「手を挙げ――ギ!」

 

 銃口を突きつけるより早く、言葉が届くよりなお疾く。

 

 三メートルはあろうかという白刃が躍った。

 兵士の右手首から先が放物線を描いて飛んでいく。

 続けざまに放たれた短刃が口内から後頭部を突き破って壁に縫い付けた。

 

 同僚の死に取り乱さなかった残り二人の素早い動き出しは訓練の深さを伺わせる。

 それでも差は大き過ぎた、集団で動く均された者達と単体戦力として熟成した者の差。

 

 二人目の兵士は一歩で二メートルの距離を詰めたアンセルの一閃で銃を抜く間も与えられず首を刎ね飛ばされ。

 

 返す刃で最後の一人の肘から先が飛んでいく。

 出所の分からない二本の刃が両肩を貫いて壁に縫い付けた。

 

 「さて、最後に懺悔の機会を与えます。神は慈悲深い、悔い改めればその魂をきっと掬い上げてくださいます」

 

 痛みに顔を歪める兵士は、言い回しはともあれそれが尋問であることを理解する。

 

 腐っても元は国を守る兵士だった男。

 仲間を、任務を、依頼主を裏切るような不義理はあり得ない。

 

 「ふざけるな、誰が――ッッッッギッ!」

 

 拒否の言葉は許されない。

 振るわれた刃は男の足親指の第一関節から先だけを正確に切り飛ばした。

 

 「神はあなたのお言葉を聞き逃されたようです、慈悲深いことです。もう一度、懺悔の機会を与えましょう」

 

 男はそれでも拒否しようとして次は人差し指が飛んだ。

 次は中指、薬指、小指、足の甲が半ばから切断された。

 

 激痛が走る、大量に失った血液の分だけ体が寒くなってくる。

 だが、心身を芯から凍裂せしめたのは圧倒的な強さでも、不可思議な能力でも、継続的に襲い来る痛みでもない。

 

 神父の顔が、心の底からの慈悲で整ったままであることが何よりも――。

 

 「ああ、ああああぁぁ。わかった、全部話す、話すから、もう殺して……」

 

 兵士はかすれた声で全てを吐き出した。

 その全てを聞き入れて、アンセルは最後に十字を切ると背を向ける。

 

 男は失血によるショックですでにこと切れていた。

 

 「ふむ、これも神の思し召しでしょうか。良い機会です、この街の浄化を進めましょう。我が神の御心が、あの魔法使い様の魂に光を与えられますよう」

 

 穏やかな歩調で部屋を出ようとしたアンセルは、しかして近づいて来る気配に足を止めた。

 隠す気もない殺気と侮蔑、心胆相反する絶対的な敵対者。

 

 互いが互いを神敵と弾劾して憚らない。

 

 「ねえ、本当にやめてくれません?こんなに汚して、後始末するこっちの身にもなってほしいんですけど」

 

 振り返った神父は窓から這いずるように侵入し、部屋の中央に立ち尽くす猫背のシスターを見た。

 その顔が歪みを見せる、一片の疑いもなく醜いものだと断定した顔は即座に笑みを戻した。

 

 「これはこれは、マドレーヌ殿。いつもご苦労様です。神の使いが穢れの処理とは、何とも献身的で見習うばかりですよ」

 

 今度はマドレーヌの顔が嘲笑に歪む。

 

 「あら、見習うなんて殊勝なお気持ちがあったのですね。てっきり、自室で独りよがりな快楽に耽るお猿さんみたいなものだとばかり。謝りましょうか?」

 

 互いに笑いと呼べるものを浮かべて、逸らすことなく相手を舐る。

 

 この二人の間に沈黙は保たれない、最初に動いたのは神父。

 一足飛びで間合いを詰め、いつの間にか握られていた刃を振るう。

 

 マドレーヌは躱すそぶりも見せず、その軌道に背中を向けて受けた。

 おおよそ人体とぶつかり合ったとは思えない金属音、肉を数センチ断つに止まる。

 

 衝撃で足元のコンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れるも、マドレーヌはびくともしない。

 

 「ア゛ァ゛ァ゛……ダメ、やっぱり気持ちよくない。お前の刃は気味が悪いだけだわ」

 

 冷めた顔で、あろうことか後ろ手で刃を鷲掴む。

 腕に食い込むのも気にせずに力一杯。

 

 神父は刃を抜こうとして、全く微動だにしないそれをやむなく手放し距離を取った。

 

 マドレーヌは手元に残った刃を投げ捨てると猫背の背中をさらに丸める。

 肉がかき混ぜられるような、骨格が歪に砕かれるような凄惨な音と共に両肩口から何かが飛び出した。

 

 それは持ち手、釘のような形状の鉄杭。

 赤黒い血と臓物にまみれたそれを体の中から無造作に引き抜く。

 

 ぽっかり空いた肩の傷は、背中の切り傷も、内臓から骨に至るまで全てが逆回しのように塞がった。

 

 魔法使い特有の存在の胡乱さを利用した回復魔法。

 マドレーヌのそれは意識が向いてなくとも半強制的に高速で肉体を修復する。

 

 回復を超えた回帰、こと肉体的な癒しにおいてマドレーヌはその極地に立つ。

 

 「何度見ても、神への冒涜としか思えない業。死を、傷を、痛みを否定するとはなんという不信心。シスターなどやめてしまいなさい、あなたには過ぎた役目です」

 

 「あ゛あ゛あ゛?あんまりふざけたこと言ってると本当にここで殺しますよ?クリスティル様の慈悲で呼吸を許されてるだけの愚物が。お前の神、お前の救いにわたしを巻き込むな」

 

 空間が歪んだと錯視するほどの濃密な、これまでの険悪さが偽物であるかのようなマドレーヌの本物の殺意。

 神父はしばらく、思案するように手を組んだまま黙り込む。

 

 「……やめておきましょう。我が神ですら、あなたを掬う腕(かいな)を備えてはおられない。憐れなことです。一生、苦しみの中にある運命とは」

 

 神父は本当に悲しそうに目を伏せる。

 

 醜悪なその在り方も、憐れまない理由にはならないとばかりに。

 どこまでも一方通行なその独善がマドレーヌには癇に障る。

 

 罵詈雑言の嵐をぶつけてやろうと口を開く前に、神父は踵を返すと姿を消した。

 完全に気配が消えたのと同時、室内の刃が空気に溶けるように消え去る。

 

 壁に縫い付けられていた死体が床に倒れ込んで湿った音を鳴らした。

 臓腑から絞り出したかのようなため息と共に、鉄杭を体の中にしまい込むマドレーヌ。

 

 「時間を無駄にしました。早く終わらせてクリスティル様の元へ還らないと」

 

 周囲を見回したマドレーヌを包むように濃密な魔力が湧き上がる。

 紫色の魔力が心臓付近に印を刻んだ。

 

 それと同じ印が床に散らばった最も損壊の大きい死体、最後まで抵抗しようとした男に刻まれる。

 

 次の瞬間だった、男の体が傷一つない状態へ。

 生き返ったわけではない、ただ傷だけがなかったものとして消え去った。

 肉片や骨片が蠢き這いまわり、パズルのように組み合って元の形を取り戻していく。

 

 同時、マドレーヌの体の一部がばらけて落ちた。

 肘から先が、足先の指や甲が半ばから切り落とされたかのよう。

 

 それは男が受けた傷と寸分たがわぬ箇所に違いなし。

 マドレーヌはバランスを崩してその場に倒れ込んだ。

 

 傷は回復魔法で瞬時に塞がって何事もなく立ち上がる。

 

 次は喉から壁に縫い付けられていた男に印が刻まれ、同じように瞬く間に元に戻った。

 マドレーヌの右手首から先が地面に落ちて、口から大量の血を吐き出してむせ返る。

 

 同じように逆回し、そして最後の死体を見やった。

 

 「あれは、面倒ですね。はあ」

 

 マドレーヌは自らの両腕で自分の頭を強く押さえつける。

 印が刻まれ、首を落とされた死体が元に戻り。

 

 マドレーヌの首に線が走り、落ちそうになるのを固定された腕が支えた。

 今度ばかりは即座に回復とはいかなかったようだ、首に走る残痕は徐々に消えていく。

 

 一分後、マドレーヌは何事もなかったかのように立ち上がった。

 

 「本当に、無駄な痛み。ああ、クリスティル様に心臓を嬲るように撫でてもらいたいなあ」

 

 唇の端から涎を垂らしながら、内股で腿を擦り付けながら、引き攣った恍惚の笑い声を漏らしながら。

 ひとしきり妄想を楽しんだマドレーヌは最後に銃とケースを回収してビルを後にした。

 

◇

 

 翌朝、通報を受けて雑居ビルに踏み込んだ警官達はこの現場を前に途方に暮れることとなる。

 大量の血痕がありながら、死体には一切の傷がなく死の原因もまったく掴めない。

 

 その謎は表側の住人では解き明かすこと叶わず、公的な記録では不審死として処理された。

 

◇

 

 これは、鳥かごから飛び立った無謀な小鳥のお話の続き。

 

 少女はあっけなく墜落した。

 

 屋敷の前から続いていた道をただがむしゃらに、目的もなく走り続けた。

 最後の方は息も絶え絶え、足は棒のようで何度も縺れて倒れ込んだ。

 

 ドレスは泥だらけ、裾は傷だらけ、顔はとても見られたものじゃない。

 真夜中のド田舎、道の真ん中で大の字になって仰向けに寝転ぶ。

 

 星が綺麗だと思う、満天の星空は窓枠で切り取られた小さな四角とは比較にならない。

 これが見られただけでも飛び出した甲斐はあったというものだろう。

 

 しかし、状況は何も変わらない、これからの方針はノーグッド。

 少女は最後の力を振り絞って近くの小さな、一階建ての古ぼけた空き家に不法侵入。

 

 家主が他界したのだろうか、遺品整理中のようにも見える。

 箪笥は全ての引き出しが半ばほどまで開いたままで、押し入れも空っぽで何もない。

 

 家中を癇癪交じりにひっくり返したという感じ。

 少女は寝室だったと思われる畳部屋に改めて横臥する。

 

 「あー、これからどうしよう」

 

 いくらこれまで学校以外に屋敷からほとんど出たこともないとはいえ、世間一般の常識は知っているつもり。

 生きていくにはまず自己証明(戸籍)が必要で、次に清涼無毒(保証)でコーティング、そして金があれば大抵のことはできる。

 

 今は家出少女であろうとも、自分という存在は未だあの家と紐づいたまま。

 当然のように一文無しで何もできることがない。

 

 働きたいとは思うがこんな身なりの年若い少女を雇ってくれるところなどあるのだろうか。

 

 「いっそのこと、体でも売るか?」

 

 そういう世界があるということは知識として知っている。

 身一つしかないのだから最終手段としてそれも候補。

 

 嫌な予感しかしないが、それでも家に帰るという選択は欠片ほども脳裏をよぎらない。

 死よりも、死よりも悲惨な何かよりも、あの家にいることを少女は認められない。

 

 自分でもなぜ、そこまで拒否反応が出るのかわからないが無理なものは無理なのだ。

 

 そんなことを考えていたら、傍らに何かの気配がふと湧き立った。

 

 黒い靄のようなものに包まれた、かつて人だった何者か。

 少女は昔からこういう類の存在を捉えることができた。

 

 いつもは学校の送り迎えの最中、車中から遠くに佇むのを見ていた程度。

 ここまで近くで見たのは、纏う念を感じたのは初めて。

 

 「……なんだ、特に変わらないな」

 

 むしろ純粋な分だけこっちの方がまともに思える。

 人間はあまりにもぐちゃぐちゃでとりとめがなく、重く息苦しい。

 

 語りかけてくるただ一つの思いは暗いが単純明快で子守唄のよう。

 体力を使い果たしていた少女はそのまま心地よい眠りに沈んだ。

 

 それから、数時間が過ぎた。

 涎を垂らして爆睡している少女を激しく揺さぶる衝撃、耳元でやかましく響く騒音。

 

 「うーん、うるさいなあ」

 

 「なにがうるさいだ!起きろこのボケ!」

 

 ようやく目を開いた少女は上半身を起こして欠伸を一つ。

 いつの間にか見知らぬ顔が二つ、年食った老婆と中年の人相の悪い男。

 

 「……誰だ?」

 

 「そりゃあこっちが聞きたいわ!この不法侵入者が、警察に突き出してやる!」

 

 「まあまあ、そんなに激しく言いな。お嬢ちゃん、どうした?お家は?」

 

 いきり立つ男を宥めながら老婆が穏やかに問いかけてくれる。

 二人の顔を交互に見やりながら、少女はポンと手を打った。

 

 「ああ、お前、行雄だろ?敏和じいちゃんの息子の」

 

 男の顔が強張る、老婆も驚いたように目を丸くしていた。

 

 「あら、じいさんのお知り合いなの?」

 

 「いんや?初対面。それより行雄、じいちゃん怒ってたぞ。いくら金に困ってたからって、殺して大事な時計を盗むとか最低」

 

 「な……何言ってやがるこのガキ!!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴りつける男、行雄にも少女は動じない。

 

 「誤魔化すなよ、ただでさえ病弱であと数年の命だったってのに。借金返済の期限が迫ってたから、早く死ぬように点滴に変なもん混ぜてたんだろ?最後の時は昔の家で過ごしたいってのが仇、まさか息子が金欲しさにそんなことするとは思えなかったんだ。どれだけ手の焼ける息子でも、最後まで信じてたんだよ」

 

 まともに息も吸えなくなったのか、酸欠気味に赤く青く、忙しく変わる顔の色。

 行雄はぶるぶると体を震わせながら、唐突に全ての表情が抜け落ちた。

 

 精神の限界、現実を突きつけられたことによる決壊。

 

 「死ねえぇ!」

 

 行雄は勢いよく少女に飛び掛かる、その首を締め上げようとして空を切る。

 両腕で体を浮かせた少女のローリングソバットが鳩尾に叩き込まれた。

 

 短い悲鳴をあげた行雄は体をくの字に曲げて、ほどなくして気絶した。

 

 それから警察が呼ばれて改めて、敏和ご老人の死体や現場の検証が行われることとなる。

 とりあえず行雄の財布からは時計を売った時の領収書があっさり見つかった。

 

 この家の荒れようは時計を探してたようで、それがすでに質に入れられていたこと。

 それをしたのが他ならぬ自分の息子であることは老婆にとってショックの一言。

 

 だが、見つかったのなら買い戻すこともできよう。

 感謝一杯の老婆は少女を今の自宅に招いた。

 

 手厚いもてなし、机に並ぶごちそうを少女は遠慮なく腹に収めていく。

 

 「それにしても、どうしてわかったんだい?」

 

 「うん?直接聞いた」

 

 老婆の当然の疑問に、少女はなんのことはないと端的な言葉を返す。

 泰然自若、どこか浮世離れした神秘的な雰囲気と言えなくもない。

 

 実際には頭が飛んでいるだけの少女なのだが老婆からすれば神がかり的な何かに見える。

 霊感を持つ巫女、死の世界に臨むシャーマン、畏怖を抱き拝む勢いで頭を下げる老婆に少女はただ笑う。

 

 そんな少女の噂は瞬く間に隠し事が不可能な田舎特有のコミュニティへと浸透し。

 少女の元へどこからともなく、昇華しきれぬ情を抱えた者達が集まってくるようになった。

 

 あら不思議、その日を生きることすら覚束なかった少女は、いつの間にか新興宗教の教祖みたいになっていく。

 

◇

 

 自分の力が何なのか、それが何をもたらすのか。

 その結果を知らない少女はただ、己の翼を信じて好き勝手に飛ぶ。

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