そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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少年と魔術師達④

 ふらりと、フェリシアから体を離した琉朱はえづきながらその場にしゃがみ込む。

 

 「ウエッ……ホントにヤバい、何コイツあり得ないでしょ。ほぼ触れられただけのパンチでこれとか、まともに受けてたら死んでたわ。ついてたついてた。当然だよね、運だってカワイイ方にすり寄りたいでしょ」

 

 余裕があるんだかないんだかわからない琉朱の言いようにフェリシアは内心の動揺を隠す。

 

 フェリシア自身の精神干渉に対する耐性は相当なもの。

 それに加え一真の影響圏にあってなお、ここまでの束縛を受けるなど想定すらしていなかった。

 

 首筋、キスマークから全身に流れ込む魅了の意志。

 先の一般人を操っていたのもこれに間違いない。

 

 男女問わず、全ては己の可愛さに平伏すのだという圧倒的なナルシズム。

 全ての存在はカワイイ私を死んでも守るものだと疑わないエゴイズム。

 

 ここまで強固な自己愛を体現せしめるとは、ある意味で素晴らしい内面世界ではあった。

 ともすれば異能者に近いメンタル、自他認知を要しないという一点のみで魔術師に留まっている。

 

 お花畑も極めれば厄介この上ない。

 

 「それにしてもねえ、まさか一般人に絡まれただけであそこまで鈍るなんて。かく乱できればなーぐらいのつもりだったんだけど、意外と初心なんだね」 

 

 フェリシアは熱くなる頬を強引にねじ伏せて平静を装う。

 

 この魔術師は的確に柔らかいところをついてくる。

 まるで全てを知っているかのように。

 

 フェリシアの弱点である情と合理性を切り離せない脆さ、つまりは戦闘経験の少なさ。

 これまでは圧倒的な基礎スペックと多彩な魔法でそれを補ってきた。

 だがアヤリ然り、やり方次第で力の差をひっくり返す者がいる。

 

 この魔術師も表面だけ見て油断できる相手ではなく、間違いなく難敵。

 からかうように笑う琉朱をフェリシアは睨みつける。

 

 その様子を見ていた残った兵士たちは、動かないとみて慎重に距離を取りながら歩み寄ってきた。

 

 「やってくれたな、この小娘が。まさかここまで手こずるとは、流合 游里も面倒な護衛を雇ったものだ」

 

 警戒する兵士たちをかき分けて、奥からリーダーと思われる男が悪態をつきながら大股で近づいてくる。

 苦々しい顔ながらも横柄に、肩で風を切るように勢いよく。

 

 鼓舞するためにあえて強気な態度を取っているのか。

 それともただの傲慢か見極める必要があった。

 

 「……ふ……ん。たった……三人……を……仕留めるために、ここまでするなん……て。恥知らずすぎて……考えもしなかった……わ」

 

 重い口を何とか開きながら嘲るように唇を引き上げるフェリシア。

 男の顔が怒りで一気に紅潮し、銃身をフェリシアの横顔に叩きつけた。

 

 切れた唇を舌で湿らせながらも、フェリシアは笑みを貼り付けたまま。

 その平静な態度が癪に障るのだろう、未だ恐怖に囚われているからなおさら。

 

 フェリシアは確信する。

 これはただの衝動、短気の結果に過ぎないと。

 

 「もういい、死ね」

 

 勢いのままに頭に突きつけられる銃口。

 

 「おっと待った。そこまでにしとけよ、大人げない奴だな。もう少し余裕を持ったらどうなんだ?」

 

 物陰から響いてくる游里の挑発に男は動きを止めた。

 

 「流合 游里、お前の切り札はこちらの手の内に落ちたぞ。大人しく投降しろ」

 

 「……そうだな、投降してやってもいいぞ」

 

 予想外の返答だったのか、男は怪訝な顔で物陰を睨みつける。

 

 「……何を考えている?」

 

 「いやなに、ここまで他の奴らや街に迷惑かけちまうとな。いい加減、家の連中ともけりつけないとと思うわけだよ。だから連れていけ、ただしその女とここに寝てる子供は見逃してくれよ。別にいいだろ? 目的は私一人、むやみやたらと犠牲者を増やす必要もないじゃないか。それでも手を出すってんなら、こっちも全力で抵抗するぞ」

 

 ますます男の顔が歪んだ。

 これまで散々、逃げ回ってきた女が突然、殊勝に向き合うなどと誰が信じられようか。

 

 「あー、それ受け入れといた方がいいですよ。そこの女の子、今は魅了できてると思いますけど、いつ解けるかわかったもんじゃないですから。魔法使いですよその子。耐魔力も半端じゃないですし、そもそも銃弾程度で頭ぶち抜けるかも微妙ですし。仕留められなかったら流合 游里に時間稼ぎされて復活しちゃいますよ。そうなったら全滅です」

 

 游里は舌を巻く。

 ふざけた格好、掴みがたい言動に関わらず極めて冷静。

 

 「それに、前に一緒にいた暗殺者っぽい男も見えませんし。もしこの場に隠れてるなら、不意を突かれる可能性も無きにしも非ずですからね。サイカワな私でも、今のコンディションでさらに加勢が来たら死んじゃうかも。いやーん、世界の極大損失で泣いちゃう」

 

 自分たちに有利な状況でも常に場、全体を見渡すことを忘れない。

 あえて大っぴらに朔の存在を口にしたのは警戒しているぞと牽制するため。

 

 「えー? 私は今ここで徹底的にやればいいと思うなあ。どさくさまぎれに魔導管引き抜きた――モガ」

 

 「はいはーい、今は黙ってましょうねアザミちゃん。話がややこしくなるからー」

 

 フラフラと游里の方へ近づこうとするアザミの口を琉朱は両手で塞いでズリズリ引き戻す。

 

 「……黙ってろ、フリーの魔術師風情がわかったような口を利くな。この場の指揮権は俺に委譲されている。お前達は大人しく、言われたことをこなしてりゃいいんだ」

 

 「ほーい」と、琉朱は適当に返事するとアザミと一緒に後ろに下がった。

 

 男は引き金にかけた指を忙しなく動かしながら逡巡する。

 依頼は流合 游里の生け捕りであり、向こうから来てくれるというならそれで終わる。

 

 だが傷つけられたプライドをそのままに、ここまでコケにされてあっさり引き下がれるほど男は己を殺せない。

 それ故に特警からも追放され、金で誰かの下につく傭兵まがいの、男にとっては屈辱的な仕事をこなす日々を送っている。

 

 そんな中途半端なエゴの横顔を、エゴの化身である琉朱はつまらなそうに眺めていた。

 状況把握も決断力もお粗末、兵士としてはもちろん傭兵としてもあまりに質が低い。

 

 (これはマジで受ける依頼間違えたなー。あの人の依頼でも、これからは気をつけよう)

 

 あの魔法使いはおそらくもう動けるはずだと琉朱は見ている。

 じっとしているのは何か企んでいるからだろう。

 

 こっちにも火の粉が降りかかるようならともかく、このとんまリーダーにそれを伝える義理はもうない。

 言われた通り黙っていようと明後日の方に顔を逸らす。

 

 流合 游里を依頼主に引き渡せばそれで終わり。

 金を受け取って巻き込まれる前にはいさよならすればいいと琉朱はすでに逃走の算段をつけている。

 唯一、アザミがこの後どう動くのか、予想できるようなできないようなことだけが懸念事項。

 

 そんな琉朱の冷たい内心などつゆ知らず、男は苛立たし気に爪を噛んで足をタッピング。

 やがて、鼻息を荒くしながらも全身の緊張を解いた。

 

 「……わかった、出てこい流合 游里。武器は捨てて丸腰でだ。二人には手を出さない」

 

 「約束するな?」

 

 「ああ、約束する」

 

 男は最終的に利益を優先した。

 

 游里や琉朱の言う通り、これ以上むやみに被害を広げるのは得策ではない。

 この仕事が終わった後、監理庁にでも目をつけられたら身動きが取れなくなる。

 

 游里はその打算的な男の心情を見抜いていた。

 物陰から姿を見せるとコートを脱いで、手の中の銃と一緒にその場に置く。

 

 「両手を挙げてこっちへ来い、ゆっくりだぞ」

 

 言われた通り、不敵な笑みを浮かべながらゆっくり歩み寄る。

 游里が銃から一定距離、離れたところで男はハンドサインを送った。

 

 二人の兵士が游里に飛びつくと、体を押し倒して後ろ手に結束バンドで拘束する。

 そのまま立ち上がらせると軽くボディチェックをしてリーダーの男に頷いた。

 

 本当に何の抵抗もなくあっさりと、流合 游里が手の中に転がり込んだ。

 

 それに何となく、危機感めいたものを感じながらも。

 これまで誰も捕まえられなかった游里を屈服させたと、自尊心が少なからず回復したことに男は満足する。

 

 「ほう、こうして大人しくしてれば可愛がってやりたいと思えるぐらいにはいい女なんだがな」

 

 「気安く触るな、気持ち悪いんだよ」

 

 気障ったらしく下卑た顔で、顎に指を添えて持ち上げてくる男の顔に游里は唾を吐きかけた。

 反射的に振るわれる平手を頬に受けながらも游里はどこまでも飄々としたまま。

 

 「おい、あんまりなめてるんじゃないぞ。依頼主からはある程度、傷物でも構わないと言われてるんだ。その生意気な口を縫い合わせて分をわきまえない目をくり抜いてやろうか? うん?」

 

 その脅迫が効いたのか、游里は顔を俯けて目を逸らす。

 それに気をよくして男は声を張り上げた。

 

 「よし、撤収だ! 気絶した奴らを回収してトラックに詰め込め! おい魔術師、さっさと後始末をしろ」

 

 アザミは心底嫌そうな、嫌悪感丸出しの顔で游里の身柄を受け取った男を舐るように見据えながらも緩慢に動き出す。

 

 「潰れちゃえぇ」

 

 気の抜けた声で発電機や照明などを撫でていくと、まるでシールのように潰れて平らになった。

 ぺらぺらになった機材は回収され、数分で工事現場は影も形もなくなってただの生活道路に戻る。

 

 男に引きずられながら最後に游里はフェリシアと視線を合わせた。

 爛々と光るそれに、フェリシアはただ小さく頷きを返すのみだった。

 

 大型車の走り去る音が完全に消えるまで微動だにせずその場に留まったまま。

 しばらくするとぼんやりしていた住民達がその場に崩れ落ちていく。

 

 完全な静寂が戻ってくると、フェリシアはそれまでの重さが嘘のように動き出した。

 

 ぎこちなさはあるがまったく動けないわけではない。

 首筋のキスマークを肉ごと素手で引きちぎると、手の中で灰になるまで燃やし尽くす。

 抉られた傷は回復魔法で数秒後には塞がっていた。

 

 「……だいぶきつかったわね。何となくやる気がなさそうで助かったわ」

 

 あの琉朱という魔術師が本腰入れていたらあるいは、ここで殲滅戦に移行しかねなかっただろう。

 

 フェリシアは倒れ伏した者達を一人一人確認していく。

 魔力の痕跡などは綺麗さっぱり消えている、律儀にも魔法は解いて帰ったらしい。

 

 ようやく一息ついた。

 

 「まあ、とりあえず第一段階はうまくいったと考えましょう。後は、敵の根元を掘り返す段階なのだけれど……」

 

 その前にまず納得させなければならない相手がいることが魅了を受けていた時より心身を重くする。

 背後から響く重苦しい足音にフェリシアは冷徹な顔を取り繕って振り返った。

 

◇

 

 一真は鈍く痛む頭をさすりながら目を開いた。

 

 騒がしかった一帯はいつの間にか静かになっている。

 何が起きたのか、なぜ自分はこんなところで座り込んでいるのか。

 

 『起きた? 頭大丈夫? こぶとかできてない?』

 

 頭上から響く回の能天気な声で、最後に聞こえた言葉を思い出す。

 

 「游里さん! ……っ!」

 

 立ち上がると体が重い、足がもつれてうまく立っていられない。

 壁に手をついて何とか体を起こす。

 

 『あんまり無茶しちゃダメだよ? あのへべれけ鉄面皮に後頭部を銃把で殴られたの。ほんと無茶苦茶するよね、一真の頭がパーになったらどうするつもりなの!』

 

 わりと失礼なことをぷんすかまくし立てる回。

 今は本当にやめてほしい、キンキン声が頭に響く。

 

 しばらく深呼吸を繰り返しながら、体の調子が整うのを待った。

 そんなにひどい状態でもなかったようでしばらくしたら手足に力が戻る。

 加減も調整してくれたのだろう、動くのに支障ないほどにはすぐに回復した。

 

 動きを確かめるようにしながらゆっくりと物陰から歩み出る。

 

 少し先に背を向けたフェリシアの姿。

 ゆっくり近づくといつもの澄んだ顔をこちらに向けてきた。

 

 「……フェリシア、大丈夫? 服とかめちゃくちゃじゃないか、血もついてる」

 

 一見、怪我してる感じでもないのだがいつもの優雅さは見る影もない。

 不謹慎なのはわかっているが、目のやり場にも困ってそっと視線を逸らした。

 

 フェリシアは一瞬、ポカンとした顔を見せて大きく息を吐く。

 腕で軽く体を隠して、ばつが悪そうにこちらに視線を流した。

 

 「大丈夫よ、怪我はない。あなたこそ、大丈夫だった? ごめんなさい、回復魔法もかけられないのに、手荒な真似をして」

 

 「ううん、もう大丈夫だから。それより、聞かせてくれるんだよね? 何があったの?」

 

 「ええ、話すわ。あの日、皆で話し合って游里を助けると決めた後のことよ」

 

◇

 

 深夜、仄かに降り注ぐ星明りだけが隣人となる形代家の主庭。

 

 緋毛氈(ひもうせん)の上で点前を披露する綾理の姿はそこだけ過去から持ち込んだかのように絵画的で、何とも妖しく神秘的だ。

 お茶なんて柄じゃないと早々に酒に手を伸ばした游里もこの光景の中にあると常には見られない清冽さを醸し出す。

 

 野点傘の下の長椅子、黙然と座した朔はただ、瞑想するかのように気を消していた。

 

 「待たせたわね」

 

 闇にあってなおくっきりと浮かび上がる黒を纏い、箒に乗って舞い降りるフェリシア。

 

 影にあり、幻のように捉え難く、だからこそ荘厳な者達の集い。

 錨となる少年のいない折、裏側に沈む住人達はかくも幽(かそ)けく見える。

 

 「いいや、良い時宜じゃ。ちょうど茶を点て終えたところよ。手慣らしついでで悪いが」

 

 毛氈の上に膝をついたフェリシアに綾理は茶碗を寄せた。

 作法を気にするような席でもなく、そのまま口をつけるフェリシアは味わうのもそこそこに游里を見やる。

 

 「それで? わざわざ一真を外してまで、何を話したかったの?」

 

 「ああ、これからの方針について少しな」

 

 游里はお猪口を置くといつもの快活さからは程遠い、ともすれば自嘲的にも取れる笑みを見せた。

 何かしら胸に秘すことがあるのだろうが、この場にそれを汲み取ろうとする者はいない。

 

 踏み込まず、信じると決めたなら信じ切るのが裏に生きる三人の流儀だった。

 

 「とりあえずな、まず私が捕まろうかと思う」

 

 それだけで一同はある程度、言わんとすることを察した。

 

 「……一真は止めるじゃろうな」

 

 「でしょうね、猛反対する様が目に浮かぶわ」

 

 三人は顔を見合わせて相好を崩す、ただの人に戻ったかのような素朴な笑み。

 

 朔はその様を知覚に収めながら、つられて顔が緩む。

 あの少年との触れ合いは心を育む暇もなかった暗殺者に、少なくない再形成の機会を提供していた。

 

 話題に上がるだけで、裏の淀んだ空気もただの日常に染めてしまうのが一真の長所。

 

 そして、時に致命的な緩みとなることも全員がよく理解している。

 游里は顔を引き締めた。

 

 「それでも、やるべきだと思ってる。つけ狙われ続けるのも正直、面倒ではあったからな。せっかく破格の手札とお知り合いになれたんだ。これを機に根元をぶった切りたい。まあ、依頼人が実際にこの街に来てるかは微妙なところだが、確かめるぐらいならいいだろうさ」

 

 「あなたがそう言うなら、こちらとしては反対する理由もないわね。だけど、いいの? 殺す気だったらどうするつもり? こちらが干渉する間もなく致命的な事態に陥る可能性もあるんじゃない?」

 

 あまりに早計で無謀だと言わざるを得ない提案、普段の游里であればまず出てこない。

 実家のことで、自覚なく心乱れている可能性もあるのではないかとフェリシアは暗に告げている。

 

 「まあ、そこらへんはうまくやるしかないな。朔には隠れたまま、少し離れたところから私についてもらう」

 

 游里の固有式、俯視万象で視界を補っている朔は游里の認識を共有している。

 どこにいようと游里の居場所を把握できるということだ。

 

 「フェリシアの使い魔、カラスにも私の環世界を付与しておく。それで、何かあれば即座に助けに来てくれると嬉しいな、というところだ」

 

 本当に行き当たりばったりのプランだが決意だけは固いらしい。

 軽い口調とは相反して、その態度に一切の迷いは見られない。

 

 「ふむ、本人がやる気ならばよかろう。命さえあれば体の方はいくらでも直してやる。四肢欠損ぐらいなら何とかしてやるからの。存分に無茶すればよい」

 

 「……怖いこと言うなよ、気分がなえるだろうが。それに今、指も不調なんだろ?」

 

 「まあの。じゃが、アヤリの置き土産があるからな。何とかなるじゃろうて」

 

 アヤリの作成した綾理人形はまだ三体残っている。

 呪いも抜けて、魔力を通せば活動可能だった。

 

 「それより、一真への言い訳でも考えておくことじゃ。あやつ、わかりやすいようでいて、ふとした時に突拍子もない行動に出ることもあるからの。怒るか、説教でもされるか、まさか泣き出すことはあるまいが」

 

 綾理の茶化しに游里は苦笑する。

 

 「そうだな、きちんと考えておくよ……また会った時のためにな」

 

 やはりどこか様子がおかしい。

 しかし、もうそれを追求することはない。

 

 仲間が覚悟を決めたのなら、後はそれを全力で支えるだけ。

 

 「……でも、どうせ一真に最初に説明するのは私の役目になるのよね」

 

 フェリシアの哀愁漂う切実な声に、游里と綾理、朔はそっと顔を逸らした。

 

◇

 

 「という話し合いがあったのよ」

 

 フェリシアの話を聞き終えた一真。

 

 眉間を揉みほぐしながら何と言うべきか、ただでさえ痛む頭を何とか働かせる。

 

 「……とりあえず、怒るかもとか思ってくれたなら、そんな危ないことしてほしくなかったんだけど」

 

 説明せずにいきなり気絶させたのは難色を示すとわかっていたからだろう。

 そんな心持でうまく二人の演技に合わせられるとも思えないから特に言いたいこともない。

 

 ただ、そもそも自分の身を軽んじるようなことはやめてほしかった。

 

 「ええ、まあ、全くその通りね。今回ばかりはあまりにも杜撰な計画だし、根元を断つと言ってもこの街にいるとも限らない。ただいたずらに游里を危険に晒すだけになりかねないとわかっていたのだけど……」

 

 それでも、游里さんの覚悟を汲んで実行に移したということだろう。

 游里さんにとって実家の件は、こちらが思っていたより相当に重いのかもしれない。

 

 「わかった、このことはもういいよ。それより、これからどうするの? 早く動かないと游里さんがどんな目に遭うかわからない」

 

 悠長に問い詰めてる時間もなさそうだ。

 文句は後で本人に言ってやることにしよう。

 

 「わかってるわ」

 

 フェリシアが目を閉じて、何かを念じるように全身に力を籠めたように思う。

 しばらくすると鳥の羽音のようなものが聞こえてきた。

 

 空を見上げると、大量のカラスがこちらに近づいてくるのが見える。

 二羽のカラスがフェリシアの傍の地面に降り立った。

 残りは布に包まれ、紐に吊るされていた荷物を落として飛び去っていく。

 

 落ちてきた荷物をフェリシアが開くと、中からいつもの魔法使い装備が一式。

 

 「一真、一応これ持っておきなさい」

 

 投げよこされた短刀をキャッチする。

 

 「正直、今回の連中にあなたが対抗するのは難しい。できればついて来てほしくないのだけど、大人しく待ってる気はないでしょう?」

 

 勢いよく頷く、当然だ。

 

 「あ、いやでも、もし邪魔になって危険だって言うなら待つよ。僕のわがままで皆が危険に晒されるのは避けたいし」

 

 フェリシアは「うー」としばらく唸るように考えた後、致し方なくといった感じに顔を上げた。

 

 「いえ、力を貸してもらうわ。実は、一人厄介な魔術師がいるのよ。魅了系の魔法を使う奴、正直かなり危険よ。だけど、あなたなら多分、触れただけで解除できるはず。いざという時は躊躇わずに触れてみて、特にキスマークには気を付けてね」

 

 「キスマーク?」

 

 どんな魔法なんだろうそれは。

 頭を捻っている間にフェリシアはローブと帽子を身につけて杖を携えていた。

 

 「さて、じゃあはい」

 

 背を向けてしゃがみ込むフェリシア。

 

 「……えっと、何?」

 

 「何って、おんぶよ」

 

 「いや、おんぶって、さすがにそれは」

 

 普通、役割が逆ではないだろうか。

 

 「いいから乗って、急ぐから。嫌なら置いてくわよ」

 

 そう言われては黙るしかない。

 渋々フェリシアの体を抱きしめるように背中に乗る。

 

 「しっかり掴まって、舌を噛まないように」

 

 重さなど感じないとばかりにすくっと立ち上がったフェリシアはそのまま跳躍した。

 五メートルぐらいを一足で、壁を蹴りながら家屋の屋根を伝いカラスの先導に従って走る。

 

 「うわわわわわ!!」

 

 あまりの機動力に思わず足を胴に絡みつかせる。

 首を絞めてしまいそうな勢いでフェリシアにしがみつくがやはりびくともしない。

 

 これが魔法使いが、フェリシアが見ている世界。

 

 危険だ危険だと言われてきたけれど、あの白い魔法使いとは何だかんだやり合えた。

 これは、もしかしたら何とかなるとか思っていたところもあったが甘かったのだ。

 

 こうして目線を同じくすると実感が湧く、あの時は本当に相性が良かっただけ。

 あの兵士たちのように現代兵器で武装した、明らかにどうにもならない相手もいる。

 

 殺す覚悟、斬る覚悟、そんなことを何度も問われてきたわけだけれど。

 むしろ自分程度で斬れるような相手がいるのだろうか。

 

 でも、フェリシアは力を貸してほしいと言ってくれた。

 自分にできることだってきっとあるはずなのだ。

 

 だから、やっぱりそれを頑張ってこなしていくしかない。

 これから向かう戦場となるであろう場所を想像して、緊張で体が火照る。

 

 しかし、やけに熱い気がする。

 こちらの熱が伝播したのかフェリシアの耳も真っ赤なのが見えた。

 

◇

 

 大型のワンボックスに詰め込まれた游里は両脇を兵士に固められ揺られていた。

 幸いなことに顔を塞がれるようなことはなく、横目で窓の外の景色を収める。

 

 その視覚情報は朔とフェリシアのカラスにリアルタイムで共有されていた。

 加えて聴覚、嗅覚、触覚、第六感に特化した環世界を游里自身に同時付与することであらゆる情報を捉えている。

 

 俯視万象は情報収集においてはこの上なく有利に働く。

 その魔法の正体を知っていようと殺されない限り、あらゆる情報を収奪することが可能。

 

 文字通り、全てを俯瞰する万能の感覚器官。

 

 途中、機材や気絶した人員を載せたトラックは別の方向へと走り去った。

 追跡を警戒してかしばらく、街を縦横無尽に走り回った後。

 

 游里の乗ったワンボックスと複数の車両は最終的に、街の境にある閉館した小型のホテルの地下駐車場へ滑り込む。

 極めてアブノーマルな嗜好御用達、タブーに飢えた者達の遊び場。

 

 乱暴に引きずり降ろされた游里はそのまま地下の一室に連行された。

 そこは上階の遊び心ある部屋とはいささか趣が違う。

 

 本格的に他者を拘束する、蹂躙するための無機質な拷問室の間取り。

 壁際の鎖に両手足を拘束され、兵士たちが退出していく。

 

 真っ暗な部屋で一人、游里は息を吐いた。

 

 「……しっかし、趣味が悪いな」

 

 あの男がこんな無駄な情緒に浸るようなタイプだとは思えない。

 それとも、出奔してからの知らない年月が何かを変えたのか。

 

 何にせよ、答えが出ればいいと游里は思う。

 散々逃げ回って来た、向き合い難い現実から目を逸らし続けた。

 

 もうそろそろ、きちんと精算すべきなのだ。

 自らの犯した罪、それが己を裁くのならあるいは、この命をここで捧げることもまた応報。

 

 「こんなこと知られたら、怒られるだろうなあ」

 

 冷徹に見えてその実、どこまでも人間らしいあの魔法使いは烈火のごとく怒りを爆発させてくれるかもしれない。

 綾理は冷たい顔で、嫌味や皮肉を交えながら懇々と傷口を抉ってくれそうな気がする。

 

 「朔には悪いことしちまうが、今のアイツなら多分、大丈夫だろ」

 

 甘えるようで悪いが、綾理なら面倒を見てくれるはずだと穏やかに目を伏せる。

 

 「ああ、でも。一真に謝れないのは、ちと心残りだな」

 

 頭、大丈夫だっただろうか、こぶでもできてるんだろうなと微笑んだ。

 

 こうして振り返ると、ここ数か月の何と充溢(じゅういつ)した日々。

 生まれてから十五年、家を離れて歩むこと五年、朔と苦楽を共にした二年。

 

 特に目的もないまま、ただ心惹かれるままに、流されるように生きてきた。

 それが己の生き方でなければならないと思ってきた。

 

 その漂泊の果てに、皆と出会えた。

 

 こんなに長く一所に留まることが魔術師として生き始めた後では初めてで。

 そこには収まりきらないほどの、刻まれて拭い去ることのできない思い出がある。

 

 だから、覚悟を決めることができたのかもしれない。

 

 例え死しても、失われることなく残る何かがあると知れたから。

 それを無駄にしないために、己の最奥に刻まれたもっとも古いこの痛みをきちんと弔いたい。

 

 やがて、部屋の扉が開かれた。

 

 気忙しい足音が近づいてくるのに合わせて、游里は顔を上げる。

 鼻の歪んだ、執事服に身を包んだ男のどこか饐(す)えた笑み。

 

 「ああ、やっとこの手の中に、游里さん」

 

 歓喜と、その裏から溢れ出す隠し切れないどす黒い情念。

 

 「……誰だ?お前は?」

 

 男は笑んだまま、勢いよく足を振り上げる。

 

 「ゴブッ!」

 

 顎を打たれて游里の顔が後ろへ弾け飛んだ。

 

◇

 

 「あー趣味悪い。何ここ、あの男、本当に気持ち悪いなー」

 

 三階の一室、琉朱は愚痴をこぼしながらベッドに腰かけ、横たわるアザミの傷の手当てをする。

 

 思いのほか重症、あの魔法使いの一撃をまともに受けたのだからむしろ生きてるだけで儲けものか。

 内臓破裂で致命傷でもおかしくない、とっさに自分で後ろに飛んで衝撃を殺したのが功を奏した。

 

 琉朱の手が淡くピンクの光を放ち、アザミの腹の上へと置かれる。

 

 「……そんなこともできたんだあ」

 

 回復魔法、ここしばらくは相棒としてやってきた琉朱の万能さについに驚きを示したアザミ。

 

 「まあねー。でも、そんなに効果はないから。鎮痛に超キュートなスマイルプラス程度だと思って。これ以上無茶したら死んでもしょうがないからね」

 

 アザミは返事もせず、しばらくウトウト頭を揺らしながら睡魔に負けて眠りに落ちた。

 琉朱はできる限りの処置を終えてベッドから立ち上がる。

 

 「さあて、これからどうしようかなー。多分、来るよねえ、流合 游里の仲間。依頼人への受け渡しは済んだわけだし、退散してもいいかなー」

 

 「ああ、好きにしろ」

 

 部屋の角、影になったその場所から拡散される声に琉朱は即座に戦闘態勢を取った。

 まったく感じられない気配、己の隠蔽と比べても段違いの効能。

 

 「……嫌だなー、驚かせないでくださいよ。来てるならそうと言ってくれればいいのに。珍しいですね、あなたがこんなところまで出張るなんて」

 

 顔は影に紛れて見えない、元より一度も拝見したことはない。

 そういう男だ、そういう組織だ、黒の御旗はその全貌が闇に包まれているからこそ力を持つ勢力。

 

 「ご苦労だった、仕事はこれで終わりだ」

 

 男は琉朱の軽口を一顧だにせず、足元のスーツケースを軽く蹴り飛ばして転がした。

 受け取った琉朱が中を開くと札束がぎっしり、いつもと同じ現金でのお支払い。

 

 「どうもー。しっかし、何であんな男の依頼に関わったんですか? あいつ個人で雇ってた兵隊は質も悪けりゃ分別もない有象無象だし。危うく死にかけましたし。これからの付き合いを考えちゃう」

 

 軽く言ってはいるが割と本心。

 

 「ああ、そうだな。その件に関しては謝罪しよう、お前を利用した」

 

 琉朱は眉を吊り上げる、この男が胸の内を晒すのも珍しい。

 男はそれ以上何も言わずに、顔を見せることなく部屋を辞した。

 

 「あーあ、ほんとに人をのせるのがうまいというか。あんな素直に言われたら、許したくなっちゃう。カワイイ私は人にも寛容だからなー」

 

 琉朱はスーツケースを閉めて、少ない荷物をまとめて街を離れる準備を始めた。

 アザミが目覚めるまでに、というか目覚める前には全てを終わらせて担いでスタコラ。

 

 駄々こねられてもたまらないと琉朱はご機嫌そうに部屋中を駆け回るのだった。

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