そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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『さあ、明らかにしよう。この世界の裏側を、それを探求する者達を』

 

 

 翌朝もまた、何もかもがいつも通りに始まりはした。

 

 六時に起き、洗面所にはいつも通り自分早く起きていたフェリシアがいて、しかしその姿は同居して初めての姿である。

 下着の上からワイシャツを羽織っている、まだ数日の同居だがこれは珍しい。

 

 「……フェリシア、どうしたのそのシャツ?」

 

 尋ねてから失笑してしまう。

 シャツを着る方が普通のはずだが下着姿にすっかり慣れてしまったらしい、もう完全に我が家の一員の気分なのか。

 我ながら自分の順応力に称賛を送りたい気分である。

 

 「ああ、これ?別に大した意味はないわ、ただちょっと肌寒いかなと思っただけ」

 

 そう言われて思い出す、この家にはろくな暖房器具がない。

 真冬であろうが毎朝、冷水を浴びる自分はすでに寒さには完全に慣れている。

 寒冷地でもないから生活の中で暖を取るという考えが完全に消失していた。

 

 「そうか、そういう季節だね。必要なら、ストーブでも買ってこようか?」

 

 「別に必要ないわ、何か羽織れば事足りる」

 

 いつものように片手間にフェリシアは流すように呟くだけ。 

 

 そうは言うが家主として同居人に居心地がいい空間を提供するのも務めだろう。

 特にフェリシアはいつも薄着なのだし、何だかんだお世話になっているし恩返しもしたい。

 ちょうど今日は休みなのだしここは奮発してエアコンでも買いに行こうか。

 

 「言っとくけど本当に必要ないから、あなたがいらないなら無駄なことはしないで。それと今日は約束通り裏側のこと、魔法のことをできるかぎり叩き込んであげる。

 朝のあれが終わったら私の部屋に来て」

 

 こちらの考えなどお見通しであるかのようにフェリシアはそれだけ告げると部屋に戻っていった。

 まあ、そこまで言うならこれ以上は考えるまい、待たせるのも悪いしさっさと日課をこなそう。

 とは言え、どうあがいても時間が早くなることはないけれど。

 

 

 七時三十分を過ぎて、身支度を整えてフェリシアの部屋の扉をノックする。

 「どうぞ」との返答に中へ足を踏み入れた、そういえば女の子の部屋に入るのは初めてだったか。

 舞とは外で遊ぶばかりで室内で何かをすることもなかったし。

 

 しかし、はじめての部屋がこれか。

 

 それはまさしく研究室とでも呼ぶべき部屋だった。

 様々なジャンルの本が積み重ねられ中には意味不明な言語のものまである。

 

 それに用途不明のアイテムやオブジェの数々、こんなものが自分の家に運び込まれていたとは。

 整理されてはいるのだろうが、雑然とした感じは否めない。

 

 一真は立てかけてある槍のような木の枝を興味深そうに眺め、思わず触れてみようと手を伸ばし。

 

 「触らないで」

 

 思いのほか鋭い制止の声にごめんと手を引っ込める。

 

 「いいから、余計なことはしないでそこら辺の空いてるところに座りなさい」

 

 ため息をつきながら壁際に置いてあったホワイトボードをガラガラと引っ張ってくるフェリシア。

 本格的に講義のような形となってきたなと思いながら何も触らないように大人しく床に座り込んだ。

 

 フェリシアは青いマーカーを手に取り、ホワイトボードの前に立つ。

 

 「さて、最後の確認よ」

 

 フェリシアはこちらを真っ直ぐに見据える、いつものような無関心さ、冷めたような色はない。

 何かしらの熱があるように思えた、初めて本当の意味で正面から向き合うように。

 

 「これからする話は、裏側についての体系的な知識。あなたはすでに裏側を認識してしまっている、だけど今のあなたが感じているのは断片的な気配や違和感程度でしょう?」

 

 頷く、確かにその通りだ。

 

 路地裏に何かが潜んでいる気配、打ち捨てられた建物から漂う嫌な感じ、そういったぼんやりとしたものしか感じていない。

 

 「断片的に知るのと、その全体像を理解するのとでは影響が違うの。裏側の本質を理解すればあなたの認識はさらに深く、そして強固にその世界と結びつく。

 もう曖昧に感じる程度じゃなくなる、はっきりと、鮮明に見えるようになる」

 

 フェリシアは理解する時間を与えるように一度、言葉を切る。

 

 「そうなればもう、表側の日常には戻れないと思いなさい。詳しい説明は聞く気があるなら後でするけれど、裏側の世界は知るということそれ自体が大きな意味を持つ。体系的に知れば知るほど、あなたは裏側に引きずり込まれる。

 泣いてもわめいても後戻りは効かない……それでも聞く気はある?」

 

 迷うことなく頷いた。

 

 最初に裏側を知った時から覚悟は決めていた、知ってしまったのなら、できる限りはできることをしたい。

 

 フェリシアは答えがわかっていたかのように深く息をつき、一度目を閉じる。

 何かを思案する、あるいはフェリシア自身も何かしら覚悟を決めているかのようだった。

 そして、次に開いた時、どこかその瞳が柔らかく見えたような気がしたのは錯覚だろうか。

 

 「……いいわ、なら、私が話せる限りのことを教えましょう」

 

 フェリシアはホワイトボードに青いマーカーで二つの大きな丸を描いた。

 左側の丸と右側の丸、それぞれを線で結ぶ。

 

 左の丸の中に「像」と書き込み、その下に小さな文字で「実存」「因果」「法則」と列挙していく。

 右の丸の中には「影」と書き、同じように「認識」「曖昧」「幻」と書き込んでいく。

 

 「まず、世界の裏側とは何か?」

 

 フェリシアは右の丸――影と書かれた円を指で叩く。

 

 「世界そのものの影であると、私たち魔法使いは考えている。あなたが今まで生きてきた表側の世界――これは像の世界よ」

 

 今度は左の丸を指さす。

 

 「像の世界は、法則や実存によって成り立つもの。時間と空間があり、物理法則があり、現象が流れる。不明確なものはなく、結果だけが現実として残る世界。

 人が認識できなくとも、世界とは一つの完成された器。因果によってすべては緻密に絡み合い、無限に動き続ける循環」

 

 それは自分が知っている当たり前の世界のことだろう。

 

 「だけど影の世界――裏側は違う」

 

 フェリシアの指が右の丸に移動する。

 

 「実像も、現象も、因果も何もかもが曖昧であやふやな世界。だからこそ、姿形のないものが、形を持たないままであることも許される世界でもあるの」

 

 フェリシアはマーカーでオバケのような絵を影の丸の中に描いた。

 

 「例えば霊、あれは感情という形のない衝動の塊のようなもの。未練や怨恨などが凝り固まったままで残っている。だけど形はないから、存在を軸とする表側の世界にあまり影響を与えることはできない」

 

 「ああ…だから霊は人に取り憑くとか?」

 

 体を手にして表側に行きたいのかもしれない。

 一真の問いかけに、フェリシアは「そうよ」と頷く。

 

 「確固たる存在としての己を定義するために、体という形を求めるの。純粋に裏側の住人は基本的には幻に近い。幽霊の正体見たり枯れ尾花と言うでしょう?」

 

 「怖いと思っていたものが実は……っていう」

 

 「そう。不明確だから人の心をざわめかせることもある。だけど結局、その正体は見間違いなんかで処理されるだけ。どこまでも世界の影に過ぎず、表側からすれば幻に過ぎない淡い存在の坩堝」

 

 フェリシアは二つの丸の間の線を指でなぞる。

 

 「故に魔法使いたちは裏側を指して――影幻界(えいげんかい)と呼んでいる」

 

 「影幻界……」

 

 一真はその言葉を反芻する。それが裏側と呼ばれる世界のもう一つの名前。

 

 「そう、影幻界。世界の影であり、幻が生きる場所。影と幻、二つの性質を併せ持つ(さかい)よ」

 

 フェリシアは赤いマーカーに持ち替え、影の丸の周囲にいくつかの小さな人型を描いていく。

 

 「知らないままでいれば、影幻界はほとんど害はないの。あなたも明確に知るまではその存在を感じることはなかったはず。あってもぼんやりとした違和感程度が精々。

 誰かの意図が介入することなしに日常に支障をきたすことは少ない」

 

 その通りだ。木戸という男と出会うまで、そんな世界があると露ほども思っていなかった。

 

 「だけど、知るということそれ自体が認知に新しい視点を付与するトリガーとなってしまう。これを私たちは裏側の認識を開くと呼ぶのだけど」

 

 フェリシアは人型の一つに色を塗り、そこから影の丸へ線を引く。

 

 「そうなると実存の世界と影幻界、二つの世界を認識的にはまたぐ存在となる。処理すべき情報量が莫大になると言ってもいい。表側に慣れた大抵の人は、二つの世界を同時に認識することに耐えられないの。

 精神的に崩れていって呑み込まれる。あるいは、影幻界の住人に直接、干渉されるか」

 

 フェリシアは塗りつぶした人型をバツ印で消す。

 

 「どちらにせよ死ぬことの方が圧倒的に多いわね。普通に死ねればいい方、中には霊となって形を失い、影幻界に囚われ続けるようなこともあるから」

 

 ふと、これまで見かけた黒い霞のようなものたちを思い出した。

 

 「……あの、路地裏とかで見かける黒い霞みたいなもの。あれは元人間であるかもしれないのか」

 

 「そうね」とフェリシアは一つ頷いた。

 

 「形を失った元人間であるかもしれない。あるいは、もっと別の何かかもしれない。何にせよ、人間ほど認識が複雑怪奇に分岐する存在はそういないから、影幻界もその影響が色濃く出ているのは確かよ」

 

 息を呑む。あの得体のしれない存在たちが、かつて自分と同じように生きていた人間だったかもしれない。

 その事実は、想像以上に重く感じた。

 

 「ここまではいい?」

 

 「……うん」

 

 正直、昇華できたかと言われると微妙だが意味は理解できた。

 

 「よろしい、なら続きね」

 

 フェリシアは緑のマーカーを取り、影の丸の中に新たに何かを描き始めた。

 それは人の形をしているが、その周囲には波紋のような模様が広がっている。

 

 「影幻界は認識の世界、主観が力を持つ世界と言ってもいいわ」

 

 「主観が……力?」

 

 眉を顰める。それはあまりにも突飛な話に聞こえたし、イメージがわかない。

 

 「そうね、極端な話、例えば想像すれば影幻界に何かを生み出すことができる」

 

 フェリシアは緑の人型の隣に竜のような生き物を手早く描く。

 

 「誰かが本当に強く、心からここに竜がいると信じれば、影幻界にはその竜が現れることもある」

 

 「じゃあ、影幻界って何でもありの世界ってこと?」

 

 「違うわ」とフェリシアは首を振る。

 

 フェリシアは竜の絵を指さし、それから像の丸を指さす。

 その間には太い線が引かれていた。

 

 「それは表側の世界には影響を与えられない幻覚のようなものよ。竜が絵本から出てこないように、影幻界から表側に何かが出てくることは普通はない。

 影幻界と表側を隔てている壁のようなものがある、それを修正力と呼ぶの。表側とあまりにも乖離したものは実像を結べない」

 「ああ、なるほど……」

 

 回も似たようなことを言っていたことを思い出す、人は理解の範疇にない物を勝手に修正すると。

 それが世界規模でも起こり得るということだろう、だから異能者とか魔法使いが表に露出しづらいのか。

 

 「逆を言えば」

 

 フェリシアは像と影の間の線に小さな穴を開けた。

 

 「世界を欺く、あるいは世界に沿う形であれば修正力を突破して表側にも影響を与えることはできる。そのための再現可能な知識や技術をひたすら研鑽してきたのが魔法使いと呼ばれる者達よ」

 

 フェリシアは自分の胸を指さす。

 

 「私たちは影幻界も含めて世界の全ての真理を解き明かすことを目指す探求者」

 

 そう言い切るフェリシアの横顔には、確かな自負が浮かんでいた。

 自分たちは意味あることをしているのだという自覚。

 

 ホワイトボードに描かれた図を見つめる。

 

 像と影、表と裏、二つの世界を繋ぐ線。その線上に立つフェリシアたち魔法使い。

 

 「フェリシア」

 

 思わず声をかける。

 

 「ん?」

 

 「なんて言うか、いつもありがとうでいいのかな。きっと、誰も知らないところでいろいろ頑張ってくれてるんだよね」

 

 フェリシアは一瞬、目を見開き、それから小さく微笑んだ。

 それは学校で見せる高嶺の華の微笑みではなく、家で見せる我の強い魔法使いの笑みでもなく。

 

 ただ、一人の少女としての、素直な笑顔だったように思う。

 それは一瞬ことで幻なのか判別がつかなかった、すぐさまいつも通りの澄んだ顔に戻る。

 

 「お礼を言われるようなことはしてない。前に話したと思うけど表側と影幻界が混じりすぎるとどうなるかわからないの。

 もし影幻界が消えたら探求も何もないから、言うなれば資源の独占よ。

 影幻界という可能性の宝庫に関わる者は少ないほどいいってだけ」

 

 それにと、フェリシアは険しい顔を見せた。

 

 「魔法使いの中にも非道なものはいる、自らの利益のために力を悪用する者も。決して正義の味方みたいに思わないで、無条件に信頼を向けてはダメよ。

 魔法使いは結局のところ……どこまでも世界からズレているのだから」

 

 それはまるで、自分に言い聞かせるような声だった。

 

 

 少し休憩だとベッドに腰かけて休み始めたフェリシアのために紅茶を入れてクッキーを器に載せて持ってきた。

 相も変わらずスーパーで売っていた安物、フェリシアはそれをモソモソと口に入れる。

 

 「……それにしても、どうして紅茶なの?」

 

 質問の意図が分からず首を傾げた。

 

 「いや、あなたって緑茶とか好きそうな顔してるから」

 

 「ああ、そういうこと。いや、フェリシアは紅茶の方がいいのかなって」

 

 個人的な好き嫌いを言えばジュースの方が好きだし。

 まあ、金髪の外国人でお嬢様っぽいなら紅茶じゃなきゃダメみたいな先入観があったのは否めない。

 フェリシアは微妙な顔をして紅茶を飲みほした。

 

 「……次からは、あなたが好きなものにしなさいよ。その方が自信のあるおいしいものが出せるでしょ。でもまあ、ごちそうさま」

 

 言外にまずいと言っているのか、入れ慣れてないうえに安物の紅茶はお気に召さなかったようだ。

 だがお礼を言われたのは意外だ、本当に今日のフェリシアは柔らかい。

 

 話の内容は自分にとって常識外れもいいところだから気を使ってくれているのだろうか。

 少し考えてそんな殊勝な性格でもなさそうだと失礼なことを考えてしまう。

 

 ぼけっと取り留めのないことを考えているうちに、フェリシアは空になったカップを盆に戻すと再びホワイトボードの前に立った。

 

 「じゃあ、ここからは魔法の話をしましょう。さっきも言ったけれど、魔法は影幻界の在り方を利用して表側にも影響を及ぼすための技術。

 魔法が使えなくともその仕組みを知っているだけで影幻界に対抗するための知恵を生むこともあるから。しっかり聞いておきなさい」

 

 一真は居ずまいを正し聞く態勢に入る。

 

 「そうね、どこから話したものかしら。とりあえず端的に言えば、魔法とは魔力を用いて世界に己の認識を貼り付ける技術。

 この世界の表側には明確な法則があって本来、その循環を無視して干渉する余地はない。

 けれど、影幻界を経由することで本来あり得ない事象を直接、現出させることができるの」

 

 ホワイトボードに書かれた世界の丸にシートをかぶせるような絵を描くフェリシア。

 その後、下に感覚、記憶、概念、想像と4つの言葉を並べた。

 

 「影幻界では認識が力になるってさっき言ったわよね。具体的に魔法使いはこの4つ、世界を感じ、取り込んで、定義し、有を生み出すに至る。

 有、世界観と言い換えてもいいわ。自らの内に構築した世界観を魔力を通じて影幻界に貼り付ける。

 そして影幻界から表側に浸食を起こして世界から逸脱した事象を具現化させるのよ」

 

 フェリシアの手のひらに極小の赤い魔法陣が形成され、ライターぐらいの小さな火が起こった。

 もう何度か見ているがこうして落ち着いて見るとやはりすごい、思わず拍手する。

 

 「茶化さないで、ここからが大事なことよ」

 

 「いや、本気で感心してる。便利な力だね」

 

 こんな力があれば何でもやり放題な気もするが。

 

 「実際にはそんなに便利でもないのよ、魔法には制約がある。さっきも話した世界の修正力をどれだけ欺けるかというね」

 

 フェリシアは手のひらの火をベッド押し付けた。

 

 「ちょっ!」

 

 いきなり何をと思わず身構える。

 しかし、数秒経っても焦げ臭い匂いも目を刺激するような煙も出ない。

 フェリシアがベッドから手を離せばそこには変わらず火が揺らめいている。

 

 混乱に目をしばたたかせた。

 

 「見た通りよ。この火はまだ影幻界に属しているから世界に対して影響力はない。

 ここから、いかにしてこれを表側の世界に近づけていくかが問題になるの。

 この問題を乗り超えられる度合い、世界に対する影響力の多寡によって階梯が変わる」

 

 フェリシアはホワイトボードに詐術、魔幻、魔法と書いた。

 

 「まず、側だけは生み出せるようになった状態を詐術と呼ぶわ。

 文字通りペテン、ただ幻覚を生み出すだけで表側にはもちろん影幻界にもほとんど影響を及ぼせない。

 認識を開いた者でなければそもそも見ることもできないまがい物を生み出すだけの段階よ。故に詐術」

 

 フェリシアは目がバツになったピエロのような顔をデフォルメで書いていく。

 一真はフェリシアの部屋の中で興味なさげにふわふわ漂っている回にちらと視線を向けた。

 こいつも案外、詐術だったりするのだろうか。

 

 「次に魔幻。この段階に至れば影幻界においては完全に力を発揮することが可能よ。霊などの超常的な存在に対して影響力を行使できる。

 それなりに修練を積めば表側に対しても影響を与えられるけれど、生み出した事象それ自体は残らず消えてしまう。魔幻術ね」

 

 フェリシアは青い魔法陣で小さな氷を生み出して床に置く。

 それは数秒経つと跡形もなく消えた、床を撫でてみたが溶けて水になったわけでもないらしい。

 

 ただ、ほんの少しだけひんやりとした感触が残るだけだ。

 魔幻術とやらでもこんなに簡単に消えるなら、回は詐術や魔幻の類ではないのかもしれない。

 

 「そして、魔法に至る。自らの世界観を実際の世界の循環の一部として完全に固定させることができるのよ。

 もちろん、制約もある。基本的に魔法で生み出したものは表側の事象を超えない。同規模なら最初から表側にあるものの方が存在的に強固だから。

 表側と同出力の現象を起こそうとすればそれなりの技術と膨大な魔力が必要になるの。

 火を起こすのであればライターでも使った方がはるかに効率がいいわけね。

 とは言え効率を無視した時間や執念の使い方をすれば表側にはない現象も起こすことができる。

 魔法使いとの呼び名はすなわち、影幻界と表側に強固な橋をかけた者の証なの」

 

 フェリシアはもう一度、氷を生み出した。

 

 「手を」

 

 言われた通りに手を差し出す、手のひらに載せられた氷は確かに冷たくて。

 時間と共に徐々に溶けて水へと変わっていった。

 

 「わかったかしら?これが魔法に連なる一連の力。ちなみに、魔法を使う方法はいくつかあるわ。特によく使われるのは五感を用いたもの、私であれば魔法陣、つまりは視覚的な表現を用いて世界の現象に応じた形を作ってるわけね」

 

 これまで何度も見た魔法陣、あれがつまりはフェリシア的には形を想像しやすく、世界を欺きやすい世界観の表現ということだろう。

 

 「色や形、表側の世界に伝承として残る意味ある文字とかは世界を欺きやすいから、活用されることも多い。

 他にもいろいろあるけれど、解説し出すときりがないから必要な時になったら逐一、教えてあげましょう」

 

 マーカを戻してフェリシアはそこらに転がっていた本を何冊か手にとって横に積んでいく。

 神話辞典、世界の歴史書、民間伝承の日本語訳書などなど。

 

 「神話とか伝承、地域に根差したおとぎ話なんかも暇があったら読んでみるといいわ。

 幻想であれ表側に根強く残っている物語も世界の一部、それを利用して欺く方法も多い。

 後は、影幻界の影響を直接記したものとかもたまに混じってるから知っていて損はないわよ」

 

 ほうと、息をついた。

 自分の知らないところでオカルトを真実として扱うような力を振るう者たちが跋扈していたのか。

 

 「詐術程度であれば大した脅威ではない、一般人でも十分に対処可能よ。ちょっとタネがわかりづらい手品師みたいなものだから。

 認識が開いてなければそもそも見ることもできない。閉じた人が傍から見ると意味のわからないことをしてる滑稽な人に過ぎないのよ。

 だけど魔幻使いは普通に脅威になり得る、事象は残らなくとも結果、影響は残る。

 火は消えても火傷は負ってしまう。高度なプラシーボ効果みたいなものね。

 魔法使いであれば完全に別の法則で動いてる、未知の危険な猛獣か何かだと思って。うかつに近づけば死ぬわよ。

 これから影幻界に関わっていくつもりなら、本気で私の手伝いをするつもりがあるなら心しておきなさい」

 

 フェリシアは魔法使いであることに誇りを持っているとは思うのだが、とにかく魔法使いというものが世界の異物であるかのようにも語る。

 魔法使いであることが、実はあまり好きではないのだろうか。

 

 「……それで、ここからは少し確かめたいことがあるのだけれど。能、もう一度、手を出して」

 

 「……?はい」

 

 その手のひらにもう一回、氷が置かれる。

 それは手の平に触れた瞬間に跡形もなく消えた、魔幻術というやつなのだろう。

 しかし、フェリシアの顔はどこまでも深刻だ。

 

 「えっと……どうしたの?」

 

 「……今、私は十秒は具現化する程度の魔力を込めた魔幻術を使ったつもりだった。だけど、あなたの手に触れた瞬間に消えた」

 

 独り言のように呟かれるそれが意味することを、まだいまいち理解できない。

 

 「……いいわ、とりあえず今夜、ちょっと付き合ってちょうだい。その時に答えを出すわ。魔法の講義はいったん、これで終わりとしましょう。

 影幻界のこと、魔法のこと、何か質問はある?」

 

 フェリシアは、もう自分からは何も語らないと口を閉ざした。

 少し考える。

 

 「そうだな、魔法使いって誰でもなれるの?魔力?とかいうのがあれば」

 

 技術と呼ばれるぐらいだし、可能なのだろうかとふと疑問に思って尋ねてみただけ。

 しかし、フェリシアは何度か見たことのある感情の完全に欠落した、能面のような顔を覗かせた。

 

 それは、そんなに答えづらい質問だったのだろうか、あるいはしてはいけない類のものだったろうか。

 

 しばらく、無言の時間が流れ。

 フェリシアはゆっくりと口を開いた。

 

 「……そうね、魔力自体は表裏関係なく全ての存在に宿るもの、それこそ動植物にも宿る。無機物にすら。日本にも付喪神という概念があるでしょう。

 ただ、影幻界との接点がなければ魔法は使えない。

 逆に言えば認識を開いて影幻界の力の流れを捉えられるようになれば魔法を使用できる可能性はある。

 生まれながらに影幻界に接点を持つ表側の存在もあり得るわ。

 あるいは無自覚的につながった状態で力を振るうケースもたまにあるわね、超能力者とか呼ばれる者達はそういうケースよ。

 ただ、こういう者たちは魔法使いとは呼ばないの。魔術使いとか、魔術師とか言われる。

 表側の世界の伝承の中には本物の魔術師もいたことでしょう」

 

 そこで一度、言葉を切った。

 この先を言うべきか否か、葛藤しているのが傍から見ても痛いほどわかる。

 眉間にしわを寄せて、組んだ腕はまるで自分を強く抱きしめるかのように力がこもっていた。

 

 唇を強くかみしめて、開けては浅く息を吸い、閉じるを繰り返している。

 

 なぜかはわからないが、それはフェリシアにとってとても重要で――恐ろしいことなのではと思わせた。

 

 それでも、しばらくするといつものように澄んだ顔で、流暢に言葉を紡ぎ始める。

 

 「魔法使いはね、そもそも人じゃないのよ」

 

 「……人じゃ……ない?」

 

 「そう、姿形は変わらない、生体機能も同様で傷病もあれば寿命もある。だけど、根本的に違うの――流れている血が」

 

 血、それは歴史的にも様々な意味を持っていたもの。

 生命の象徴であり、歴史や正当性を示す血統であり、神聖な契約を意味することもある。

 しかし、フェリシアの言う血とはそういうものとは違うのだと直感的に理解した。

 

 「かつて、原初の魔法使いと呼ばれる御方がいらっしゃったという。人であって人ではなく、この世界の真理を暴くという試練を乗り越えるために真なる神から遣わされたと伝わっている。

 その方は、自らの後継となる七人の魔法使いの血統を生み出され、自らはこの世界から完全にお離れになられた」

 

 それは魔法使いに伝わる伝説だという、世界に残る神話や伝承のようなもの。

 裏側、影幻界に伝わる神話であり伝承、不透明で、されど何かを示した過去。

 

 「原初の魔法使いは人であって人にあらず、その身に宿した力は表側の世界にはない。

 しかして間違いなく世界の一部であったもの。

 全ての魔法使いはその魔力の源を辿れば、原初の魔法使いによって表と裏にもたらされた力につながる。

 魔術師が使う魔力と魔法使いの魔力は本質的には別物なの。魔術は才能、魔法は血統」

 

 そう、つまり、魔法使いとは。

 

 「……魔法使いとは世界の裏側で産声を上げた人間という種であると言えるでしょう。それは、表側の人間とは違う。生物としての規格も、内包する在り方も、私たちは表側からすれば異物なのよ。

 言ったでしょう?魔法使いはこの世界からズレている。だから、表側の人間は本当の意味で魔法使いにはなれないのよ。それは逆も同じこと。

 私たち魔法使いは、はじめから影幻界に埋没している」

 

 語り終え、フェリシアは目を閉じ、深く息を吐いた。

 その顔にはどこか自嘲じみた笑みが張り付いている。

 重苦しい雰囲気、しかし、そんな空気は知らぬとばかりに呑気に口を開いた。

 

 「ふーん、なるほどねえ、じゃあ僕には使えない可能性が高いのか。ちょっと残念かも」

 

 「……あなたね、私の話を聞いていたの?魔法使いは厳密には人ではないのよ。あなたの前に立っている女は、あなたとは違う何かだと言っているの」

 

 フェリシアのどこまでも自虐的とすら思えるその声に、やはりよくわからないと首をかしげるばかりだ。

 

 「うーん、そう言われてもねえ。仮にそうだとしても、あんまり気にならないかなあ。言葉が通じて、同じ生活を共有できるならフェリシアは僕にとっては大切な友達だし。

 血とか何とかより、僕は今、目の前にいるフェリシアを信じると決めたからね。」

 

 同じ人間だって全く意味不明な者だっている。

 自分からすればむしろ前にあった暴食者、木戸の方が意味不明な何かだった。

 

 「それに、人なんて外側がいくら似ていても、中身は全然違うものだろう?」

 

 血が違うか心が違うか、その違いがあるだけだと笑う。

 あっけらかんと、ただ事実を告げるように。

 フェリシアは再び能面のような顔を見せる。

 

 何となくだが、これは何かを耐えているというか、我慢しているような時の顔なのではないかと思いはじめていた。

 

 「……そう、そうね。あなたはそういう人間よね。いいわ、なら、もういい。とにかく、魔法使いは人とは違う血を持っていて、裏側の凄惨な価値観で動くことも多い存在よ。それだけ覚えておきなさい」

 

 顔を背けながら早口でそれだけを口にしフェリシアは部屋を出ていこうとする。

 

 「どこ行くの?」

 

 「昼食、もう昼も過ぎてるから。」

 

 壁に掛けられた丸時計を見ればすでに十二時を半分ほど回っていた。

 意識するとお腹が減ってくるものだ。

 フェリシアを追って階下に急ぐのだった。

 

 

 「……何も……ない」

 

 冷蔵庫はほとんど空。牛乳とか飲み物系、昼食として食べれそうなしっかりしたものは何もない。

 いやまあ、元からそんなに入ってもいなかった、自分で凝った料理をする方でもないし。

 ここ数日はフェリシアの手料理にありついていたから自分でつぶさに冷蔵庫を確認することもなかった。

 

 「……うかつだったわね、そう言えば何もなかったわ。使い切ったのは知ってたのに、不覚。……あなたのせいよ」

 

 「それはさすがに理不尽じゃない?」

 

 とは言え、確かに家主の不始末と言われればそれまで。

 飲み物を取り出す時にでもきちんと確認しておけばよかった。

 

 「どうする?とりあえずシリアルでも食べる?」

 

 味違いが結構、備蓄してあるのだ。

 

 「いいえ、こうなったら外で食べましょう。ついでに買い物に行って食材も買い込む。じゃないと、明日からのお弁当も作れないじゃないの」

 

 そういえば、フェリシアはいつもお手製の弁当だったなと思い出す。

 

 「なら、僕も行こうかな。荷物持ちに」

 

 「当然よ、私に全部任せるつもりだったの?知っていたけれど、善人面して意外と図太い性格してるわよねあなた」

 

 ひどい言い草だがぐうの音も出ない。

 フェリシアは着替えてくると部屋に戻った。

 

 こちらは今着ているいつも通りのスラックスと白い七分袖のシャツ、後は軽く上着を羽織るだけだ。

 これと同じ服の色違いとかを数着、着まわすだけ。お洒落にもとんと縁がないがこういう時は便利である。

 手持ち無沙汰のままソファに腰を下ろしてから数分後、フェリシアは姿を現した。

 

 「……お?」

 

 これまでフェリシアといえば学校の制服か家での下着姿、制服にローブを纏う魔法使いスタイルしか見たことがなかった。

 しかして当然、私服だって持っているに決まってるが、それはいささか扇情的過ぎる格好だった。

 

 白いブラウスは肩が完全に落ちるデザインで、華奢な鎖骨のラインや女らしい体つきが惜しげもなく晒されている。

 滑らかな肩から二の腕へと続く白い肌が窓から差し込む陽の光できらめいているように見えた。

 

 その下に履いているのは黒のタイトスカート。

 膝上で止まる丈は決して短すぎるわけではないが、歩くたびに入ったスリットから白い太ももが覗く。

 その手には黒のパンプス、ヒールがあり履けばいつもより数センチ背が高く見えるだろう。

 

 肩にはグレーのテーラードジャケットがかけられているが羽織る気配はない。

 それがまだ十代とは思えない大人びた雰囲気を際立たせていた。

 

 「待たせたわね、さあ、行きましょう」

 

 その仕草で、オフショルダーのブラウスがさらに下がりそうになり、一真は思わず視線を逸らす。

 いつも下着姿を見て慣れたつもりだったが、これはまた違う角度から脳を揺さぶる気がする。

 

 『むむむー!まーたそんな恰好で!あざとい!こいつあざとい!男を惑わす女狐だよきっと!』

 

 一体どこでそんな言葉を仕入れているのか。

 まさかいつの間にか入ってくる情報とやらの中にそんなくだらないものもあるのか。

 

 回の言葉に内心つっこみながら固まっていたらフェリシアはさっさと玄関へ向かってしまった。

 慌てて後を追う。

 

 家を出て、歩いて十分ほど。

 

 絶え間ない人通りで騒がしい昼間の商店街に足を運べば案の定、周囲から視線が突き刺さらんばかりにフェリシアに集中した。

 

 自分が直接、見られているわけでもないがやはり居心地が悪い。

 

 「よお、一真……と、おいおいおい。まさかフェリシアさん!休日に一緒に!?」

 

 面倒な時に面倒な奴に会ってしまったと振り返る。そこには目を見開いた翔の姿。

 いやまあ、フェリシアと出かけると決めた時、知り合いに出会う覚悟はしていたが。

 

 まさかいきなり翔とは。

 

 「あら、こんにちは、どちら様でしょう?能さんのお友達でしょうか?」

 

 「ちわっす。山下 翔、一真とは小学生からの幼馴染なんですよ。同じ学校でもあります、よろしく!」

 

 猫、否、表側のお嬢様を被ったフェリシアが柔らかく翔と会話し始める、

 高嶺の華とのはじめての会話に翔は翔でなんかテンションが上がりすぎてる気がする。

 

 さてどうやって話を切り出すかと思案しているうちに二人の会話は割り込む余地なくどんどん進んでいった。

 

 「――それで、どうしてフェリシアさんが一真と一緒に?まさか、デート!」

 

 「いいえ、お昼のついでにお買い物をと思いまして。ほら、今は能さんの家に居候させてもらってますから」

 

 いきなりとんでもない爆弾発言をぶち込んでくれるフェリシアお嬢様。

 

 「居候!それってつまり同棲!一真、どういうことだ!」

 

 何と答えたものか頭をフル回転し始めた、だが何かを返す前にフェリシアが自然に翔に身を寄せる。

 そのまま耳元に顔を近づけ囁いた。

 

 「ええ、居候です。私、日本に知り合いがおりませんから、一真さんの好意に甘えさせてもらっているのです。――もちろん、知っておられたでしょう?」

 

 それは鼓膜をすり抜けて脳に直接、響くかのような奇妙な震えがあった。

 これは、はじめて会った時に学校の屋上で聞いた誘惑するようなあの声。

 

 「え……あ、そうだった……な?」

 

 翔の様子がおかしくなる、目が少し虚ろに、体がぼんやりしたように左右にブレた。

 

 「ええ、そうです。それと、私たち少し忙しいので今日はこれで。また明日、学校でお会いしましょうね」

 

 「ああ……うん……そうだな。それじゃあフェリシアさん……一真もまた……明日」

 

 翔はふらりと歩いていく、しばらく先で目が覚めたかのように周囲を見回し、首をかしげながらそのまま歩き去っていった。

 

 「……もしかして、今、魔法とか使ったの?」

 

 小声でフェリシアに尋ねてみるとお嬢さまの仮面は外れ、当たり前といわんばかりに澄ました顔で頷いた。

 

 「声に少し魔力を載せただけの軽い暗示よ、私があなたのところに居候しているのは当たり前と認識に刷り込んであげただけ。

 あの人、口が軽そうだから、一気に大きな噂になったら面倒だものね」

 

 散々な評価である、しかし間違ってはいない。

 

 「ちなみに、それって後遺症とかは?」

 

 「ないわよそんなの、いつの間にか頭に入ってくる情報ってあるでしょう?意識してなくても人は色んな情報を外界から取り入れてる。

そこに少し、都合がいい情報を流してあげただけだもの」

 

 

 説明されてもいまいちよくわからない。

 それに正直、こうして認識を書き換えるみたいなのにはまだ抵抗感もある。

 とは言え知られて騒がれたり、あるいは影幻界に巻き込まれたりする方が危険だろう。

 

 ここはそういうものだと受け入れよう、翔も足取りはしっかりしていたし。

 

 「ほら、行きましょう。本当にお腹が空いたわ」

 

 何事もなかったかのように歩き出すフェリシアについて、商店街巡りを再開する。

 立ち並ぶ店を流し見ながら、ちょっと古めの小洒落たカフェに入って窓際の席に腰を落ち着けた。

 

 西洋風の木造のアンティークな机や椅子は綺麗に磨かれている。

 なかなか良い雰囲気だと思うのだがお昼時だというのに客はそんなにいなかった。

 気軽に入って話し込むみたいなタイプの店としては雰囲気が厳かすぎるからか。

 しかしてフェリシアには良く合っているように思う。

 

 空調はあまり効いてないが窓から差し込む日差しが肌寒くなった今の季節には適度に心地いい。 

 フェリシアはナポリタンを、こっちはサンドイッチとチョコレートパフェを注文する。

 味も良い、手早くサンドイッチを平らげてパフェを口に運んでいるとフェリシアの意外そうな視線を感じた。

 

 「あなた、実は結構、甘党だったりするの?家にも甘めのお菓子が常備されているけれど。そう言えば、学校でもジュースばかり飲んでるわね」

 

 「ああうん、そうなんだ。結構、好きなんだよね」

 

 『実際は結構どころじゃないんだよねー。毎日、何か甘いもの食べないと落ち着かないぐらい』

 

 回の妄言は無視。

 

 「そう」と呟いてフェリシアはナポリタンに口をつける。

 庶民的な食べ物もフェリシアがお淑やかに口に運ぶと様になるなと、パフェをつつきながらそんなことを思う。

 

 清算は当然のように各々で支払う、こういう時におごらせてくれないタイプだなとは思っていたが全くその通りだった。

 

 そのまま歩いてスーパーへ、フェリシアはかごを腕に通すと食材を一つ一つ、丁寧に見て回る。

 料理をしない自分には何を見ているのかわからないが、フェリシアには鮮度とかそういうのがわかるらしい。

 高級志向というわけでもなく安くて良いものがあれば迷わずそちらを選ぶ。

 

 それをぼけっと眺めながら、本当に不思議だなと思う。

 

 お嬢様っぽいかと思えば料理がうまかったり節約を意識したりわりと家庭的な顔を見せる。

 別にお金に困ってるわけでもないだろう、家賃としていただいたお金も相当なものだったし。

 纏っている要素はどこまでもお嬢様なのは確かなのだが、実際にはどこまでも庶民的で現実的だ。

 

 自分のことは自分でやる、自分のこと以外でもあまり主導権を握らせない節もあるが。

 何でもかんでも全てを抱え込んで、それを澄まし顔で難なくこなすのだ。

 

 魔法使いとしてのフェリシアもどこかちぐはぐに見えることがある。

 魔法使いという呼び名にこだわるぐらいにはそのあり方を誇りに思っているかと思えばズレてるとか異物だとか言うこともあって。

 

 なんだろう、本心と表面が乖離しているような気がする。

 

 だが、今はそんなことを聞けない。まだそれほど仲が良いというわけでもないのだから。

 とは言え、いつか自分から話してくれればいいなと思うぐらいにフェリシアを好意的に見てはいるようだ。

 そんな自分を再確認した。

 

 今度こそ割り勘だと半分お金は出して、荷物を持って家への道を歩く。

 特に会話があるわけでもない。

 だけどその空気は出会った頃の気まずさや違和感が完全に抜けていて心地よい。

 フェリシアもそう思ってくれればいいと、そんなことを思うのだった。

 

 

 そして夜となる。

 

 草木も眠る丑三つ時、魔法使いスタイルのフェリシアの後をついていく。

 

 「……いたわね」

 

 フェリシアの声に視線を向けると人気のない路地の片隅に黒い霞のような人型が見える。

 あれがフェリシアの用事とやらなのか。

 

 「さて、じゃあ能。ちょっと殴ってきて」

 

 「――は?」

 

 意味が分からない、いや言葉の意味はわかるが意図が理解できない。

 

 「いや、だってあれ、霊なんでしょ?触ったら憑かれたりしない?と言うか、そもそも触るのも無理じゃない?」

 

 「普通は憑かれるし触れないわね。認識を開いただけで干渉できる人はよほど才能があるか。聖人とか日本だと修験者なんかでないと無理。

 だけど大丈夫よ。あれぐらいの下級霊なら四十度近い高熱で一週間ぐらい寝込む程度で慣れるから」

 

 いや、それ全然大丈夫じゃない。

 

 文化祭も近いというのに、そんなに寝ていられるわけがない。

 

 「ああもう、いいから行きなさいよ。大丈夫だから、私を信じてくれるんでしょう?」

 

 それを言われると弱い、ええいままよと黒い霞のような霊体に突撃していく。

 目の前で立ち止まり、手のようなものを伸ばしてくるその霊体の頭らしきところにポカリと拳を入れた。

 次の瞬間、霊体はあっけなく消滅して消えていく。

 

 呆然と自らの拳を見つめた。

 

 何というか、霊を殴ったという感じがしない。

 もっと具体的な何かを叩いたような、物理的な感触があった。

 

 「……やっぱりそうなるのね」

 

 フェリシアが得心したようにこちらに歩いてくる。

 

 「……そろそろ、説明してくれないかな?」

 

 さすがに混乱するばかりだ、何か知っているなら教えてほしい。

 

 「そうね、結論から言えばあなたには凄まじく強固な影幻界に対する耐性がある、と考えられると思うの」

 

 フェリシア自身もまだ半信半疑という感じだが、目の前の事実を鑑みるとそういうことらしい。

 

 「最初におかしいと思ったのは学校に潜り込むために発動した魔法を防がれた時。

 前に言ったかしら?私が学校の一部だったと誤認させたって。

 あれは正確に言えば学校という概念に私という存在を差し込むものだった。

 学校っていうのは建物とか敷地ではなくて、それが内包するあらゆる要素を含む。

 在学中の生徒や教師も全て対象になる大魔法よ」

 

 「……概念に差し込む?魔法ってそんなこともできるんだ」

 

 前に聞いた気がする、その時は意味が分からなかったがそんな無茶苦茶なことをしてたのか。

 

 「暗示も効果がなかった。それに朝、あなたの手に魔幻術で具現化した氷を載せたでしょう?それも即座に消えた。

 それで、おそらくだけれど、あなたはあなたという存在に影響を及ぼす影幻界側の干渉を遮断する力がある、のだと思うわ」

 

 首をかしげながら言葉を選ぶように考え込むフェリシア。

 

 「そうね、結界のようなものよ。あなたの内と外には明確な境界線のようなものがあるのだと思う。

 特に精神的な干渉はほぼ確実に防げるはず、概念規模での干渉で揺るがないのならそれ以上の手は少なくとも魔法使いにはない」

 

 「認めたくはないけれど」と難しい顔で呟く。

 

 「低級霊が消えたのは、あなたの遮断力とでも呼びましょうか。その力が低級霊のあり方を存在の格の違いで押しつぶしたと言えるわね。

 あなたの結界の境界線が低級霊の存在の境界線を完全に消滅させて、影幻界とのつながりまで完全に断ち切ったの」

 

 「つまり、さっきの感触は物理的なものというより、僕というあり方が低級霊のあり方を外部から破壊したと?」

 

 自分で言っていてなんて物騒なんだと思わずにはいられない。

 

 「そうなるわね、ただ完全に遮断できるわけでもないことは覚えておいて。魔法で具現化した氷は普通にあなたの手の上で溶けて残っていた。

 つまり、表側に干渉可能なレベルの力であれば遮断を通過できるということになる。

 魔法による物理現象には無力だと考えた方がいいでしょう。あくまでも認識的な結界なのかしら?」

 

 ぶつぶつ言いながら思考に沈んでいくフェリシアを横目に自分の体を軽くなぞってみる。

 

 生まれてからこれまで、影幻界など知りもしなかった。

 自分はただ平凡に日常を過ごしながら生きて死んでいくのだと思っていた。

 

 なのに、一か月も経たないうちに自分の世界は完全に裏返って、そして意味の分からない体質が明らかになるとは。

 

 ふと、何かを感じて空を見上げる。

 

 たまに見せる超越的な笑みを浮かべた回のその顔はどこまでも楽しそうで、無邪気に喜んでいるかのように見えた。

 

 その口元がかすかに動く。

 

 ――――やっと、きづいてくれたんだね

 

 そんなことを呟いているような気がした。

 

 「とにかく、あなたの体質は思った以上に収穫よ。」

 

 フェリシアが気を取り直したようにこちらを見つめる、その顔は珍しく笑顔だ。

 

 「精神的な干渉だけだとしても影幻界からの影響を完全に無効化できるのなら相当、活動の幅が広がるわ。

 あなたが異能者を殴り倒したというのも、あながち嘘でもないのかもしれないわね」

 

 「いやまあ、嘘じゃないんだけど。あれは嚙みつきだったよ?物理現象じゃない?」

 

 人の頭を頭蓋骨ごとむしゃむしゃ喰らっていたのだ、思い出して気持ち悪くなる。

 そんな顎が自分の腕を噛もうとした時にはほとんど力が籠っていなかったのだ。

 

 「異能って基本的に精神、認識、存在の有様が能力になるケースが大半なの。

 一見、物理的に見えるものもその本質は形而上的な部分にあることは多い。

 おそらくその異能者もそういう力だったのでしょう」

 

 そうなのだろうか。

 判別がつかないのだが専門家がそう言うのならそっちの方が近いのだろう。

 

 「まあ何でもいいわ、わかっていることは一つ。あなたのその力はかなり役立つということよ。

 少なくとも、自分の身を守ることはできるし、いざとなれば逃げることも容易いでしょう。

 物理特化型の魔法使いや異能者と出会わない限りは大丈夫、そこそこ体も鍛えているし。

 これなら遠慮なく、仕事を手伝ってもらえるわね」

 

 「……お手柔らかに頼むよ」

 

 わかったことが増えて、わからないことも増えた気がする。

 だがまあ、とりあえず自分が決めたこと。

 影幻界というもう一つの認識の中で自分のできる限りのことやる、それは果たせそうでほっとした。

 

 ご機嫌なフェリシアと共に帰路につく。

 

 「あ、そうよ、言い忘れてたわ。」

 

 フェリシアが思い出したように振り返る。

 

 「あなた、私の部屋にある物、絶対に触っちゃだめよ。魔力や魔法的な意味の込められた品が多いの。あなたが触れたら台無しになる可能性が高いから。絶対よ、絶対だからね」

 

 念を押してくるフェリシアに「はいはい」と小さく笑いながら頷くのだった。

 

 

 翌日、学校が終わって児童養護施設に顔を出す。

 

 「やあ、能君。今日もボランティア?」

 

 「ええ、まあ。……あの、英二君は」

 

 「ああ、まだ見つかってないんだ。でも何か事件に巻き込まれて命を落としたとか、そういうことはないと思うよ。警察には伝えてあるからすぐに見つかるさ」

 

 映自君は行方不明扱いとなって処理されたようだ。

 施設はいつも通り子供たちの喧騒に包まれている。

 

 施設から家出したり脱走したりする子は珍しいとは言えない。

 数日ほどで見つかることがほとんどで完全に消息を絶つ子はそういないのだ。

 例にもれずこの施設も慣れてはいるのだろう。

 

 狼狽していた藤村さんもすっかり元の穏やかさに戻っていた。

 そういう切り替えの良さがなければやってられないのだと思う。

 

 でも自分は知ってしまった、映自君は戻ってこない。

 戻るというのも違うのだろう、最初からもうこの世界にはいなかった。

 

 自分という存在に悩み、弟を呪い、それを悔いて死んでいった双子の兄。

 確かに存在していたのに、最初からいなかったように世界は回っていく。

 

 それが、何ともやるせないと思えるのは知ってしまったからこそ持てるものだろう。

 それを邪魔だと思いはしない、ただ少し痛い。

 

 全てが手遅れだとは何度も聞いて何度も納得した。

 それでも、もしできることがあったならと考えずにはいられない。

 

 己の手を眺める。

 昨夜、霊体を消滅させたその手には未だ感触がはっきり残っている。

 

 自分にも少なからずできることがあるのかもしれない。

 だから次は、もし目の前であんな悲劇的な何かが起こりそうな時には。

 

 静かに決意を固めて、子供たちの輪の中へと入っていく。

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