そして、世界は別たれる   作:・黒箱

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⑤-2

 日曜の朝はいつもより憂鬱で、しかして水浴びをしてしまえばさっぱり切り替えられるのは一真の長所だった。

 いつもの習慣を終えて朝食を済ませ今日は何をしようかと頭を悩ませる。

 

 『ねえ、一真。久しぶりにどこかに遊びに行こうよ。最近、相手してくれなくてつまんない』

 

 頬を膨らませながら抗議してくる回をぼんやり眺める、確かにここ最近はずっと張りつめ気味な気がする。

 たまには息抜きでもすべきだろうか。

 

 「ねえ、フェリシア。今日、何か予定ある?」

 

 『そうじゃなくてー!』と騒いでいる回を無視して声をかけてみた。

 鈍器にでもなりそうな分厚い本を開いて難しい顔をしていたフェリシアが顔を上げる。

 

 「……特にないけれど」

 「そう。なら遊びに行かない?結局お礼らしいこともさせてもらってないし」

 

 部屋を貸すのも家賃を貰ったりで全然、借りを返せてないことを思い返す。

 文化祭もどうなるかわからないしこれを機に何かできればと思うのだ。

 

 「あなたね。一応、今は厳戒態勢中でしょ。学校としても不要な外出は控えるように言われてるじゃない」

 「まあ、そうなんだけどさ。僕らは夜にしか事件が起きないことを知ってるわけだし」

 

 情報に載っていた犠牲者たちの死亡時刻は全て夜だった。

 同じ顔の人形の殺人など真昼間の人通りが多いところでやれやしないだろう。

 そこまでいったらもう手には負えないような気がする。

 

 「夜まではできることもそんなにないだろう?だから、たまには息抜きもいいかなと」

 

 借りを返すと言っても絶対に突っぱねると確信している一真はそんな建前で武装してみる。

 

 「……あなた、そういうところは思い切りいいわよね。真面目一辺倒じゃなくて柔軟性があるというか。まあ、だから影幻界や魔法使いなんて存在に素早く順応できるのでしょうけれど」

 

 そんなことを呟いてフェリシアはもの凄く難しい顔をして思案をはじめてしまった。

 そこまで嫌だったのだろうかと何となく傷つく。

 

 たっぷり一分は悩み抜いただろうか、フェリシアは顔を上げため息一つ。

 

 「いいわ。なら、行きましょう。確かにここしばらくあなたにとっては災難ばかりだったものね。力を抜くことも必要よ」

 

 いや、フェリシアに楽しんでもらいたかったのだが。

 まあ行けばなんだかんだで楽しむことだってできるだろう、そうなるように頑張ればいい。

 一真は気が変わらないうちにさっさと出ようと着替えに向かう。

 

 『あーあ、私のことは無視ですかそうですか。どうせ厄介者のイマジナリー、役立たずのお騒がせ要員ですー』

 

 拗ねて丸まってしまった回。

 すまない、しかし今はフェリシアが優先だと心の中で謝っておこう。

 

 

 『きゃっほーい!ねえねえ一真!あれ乗ろうよ、メリーゴーランド!』

 

 家を出て電車を乗り継ぎ三十分ほど。

 市内の端にある小規模な遊園地へと一真はフェリシアを連れてやってきた。

 とは言えそんなに気の利いた遊具はない。

 メリーゴーランドや観覧車、ちょっとしたコースターやゴーカート、回るコーヒーカップなど定番どころが並んでいる。

 八十年代後半から稼働しているこの遊園地はもう全体的に古臭く、ところどころ塗装は剥がれどこか暗い雰囲気。

 流れるBGMは音割れ気味で園内は全体的にお疲れの様子。

 遠方から来るほどでもなく、地元住民はもう慣れてわざわざ来ない絶妙な立ち位置ゆえに休日であるにも関わらず人の姿はあまりない。

 近いうちに取り壊されても不思議ではないもののまあ少しは日常から離れた華やかさが残っている。

 今回は落ち着いた白のワンピースに上着という出で立ちのフェリシアは、入場してからぼんやりと入り口広場から全体を見渡していた。

 女の子なら遊園地みたいなありきたりな考えでここまで連れてきてしまったが、お金持ちのお嬢様だともう何度も同じような。

 それでいてグレードの高い所へ足を運んでいるのかもしれない。

 

 「フェリシア、もしかして遊園地とか行き飽きてたりする?」

 

 こんなことなら行き先を決めてもらえばよかったか、女性との付き合いにとんと縁がない一真にはこういう時に何をすべきかあまり判別がつかない。

 ましてやフェリシアのような人種は雲の上の人みたいな感じだからなおさら。

 

 「……こういうところは初めてよ」

 

 意外、行ったことないのか。逆にこういう俗っぽいところには縁がないのかもしれない。

 

 「へえ、なら今日は楽しもうよ。いやまあ、そんなに大それたものはないんだけど」

 

 「いいえ、そうでもないわ。たまの非日常を楽しむにはこういうところがいいのではないかしら」

 

 その声は本当に、心の底から滲み出てきたような重みを持っていた。

 影幻界なんて殺伐とした非日常の極みにあっては、こういう場所は思いのほか新鮮なのかもしれない。

 一真としても裏側を知ってしまった今となってはちょっとしたズレがありがたい。

 

 フェリシアはぼんやりした顔に小さな笑みを浮かべて足を踏み出す。

 

 「行きましょう能、せっかく来たのだから満喫しないとね」

 

 フェリシアはまずはあれと前方でくるくる回るメリーゴーランドを指さした。

 

 『おー!デリカシー皆無女のくせにわかってる!行こう一真、一緒に白馬に乗ろう!』

 

 歩き出すフェリシアと飛んでいく回、どうやら楽しめそうで何よりだと一真も二人の後に続いた。

 

 

 人も少なく二時間ほどもあればほぼ全てのアトラクションを制覇できたわけだが、思いのほかはまってしまったフェリシアは二周目に突入。

 回もそんなフェリシアについて乗った気になってはしゃいでいた。

 

 一真は少し疲れてダウンした次第である。

 こういう時、女性は強いななどと相変わらず枯れたことを考えながら一人、ベンチで紙パックのストローに口をつけていた。

 

 「もし、少し尋ねたいことがあるのじゃが」

 

 横から声をかけられて視線を向ける。

 

 そこにいた少女は何から何までちぐはぐだった。

 

 フリルやレースがあしらわれた真っ白なドレスに白いボンネットが頭に乗っている。

 フランス人形のような服装に反して少女自身はどこまでも和的だ。

 

 混じりけの無い純粋な黒い長髪に吸い込まれそうな黒い瞳、整った目鼻立ち。

 その(かんばせ)は日本人形のように整っていて可愛さより美しさが先に来る。

 

 年のころは十代前後ぐらいに見えるが、その微笑みはどこか達観した雰囲気を醸し出していた。

 まだ幼さを残した可憐な声で古風な言葉遣いを操るところといい統一感というものがまるでない。

 

 どこか浮世離れした少女を前に思わず呆然として言葉を忘れてしまう。

 

 「そなた、尋ねたいことがあるのじゃが良いかの?」

 

 真っすぐ向けられた視線と声に金縛りじみた緊張が解ける。

 

 「ああ、ごめんね。どうしたの?」

 

 一真は立ち上がって少女に目線を合わせた。

 

 「いやなに、少しはぐれ迷ってしまってな。こういう時、どうすればいいかてんでわからんでの、教えてもらえるじゃろうか?」

 

 口調や雰囲気に反して紡がれる言葉はどこまでも子供っぽく微笑ましくて思わず笑ってしまった。

 

 「そっか、じゃあ係員さんのところへ行こうか。ご両親を呼んでもらうといいよ」

 

 少しぐらいなら離れても大丈夫だろう、フェリシアたちはまだ戻って来そうにない。

 自然に差し出した手を少女はためらいなく取った。

 歩幅を合わせるようにゆっくり歩いていく。

 

 「ところで、先に共に歩いていたおなごはおぬしのいい人か?でえと中だったのかの?」

 

 面白そうに少女がそんなことを言う。

 いつの時代も女の子はこういうませた話が好きなのか。 

 

 「いやいやデートなんて、釣り合わないでしょ?友達……だよ。一緒に遊びに来ただけ」

 

 そういえば、フェリシアとの関係は何と呼ぶべきなのだろう。

 勢いで友達とは言っているがフェリシアはどう思ってくれているのだろう。

 

 影幻界と関わって、普通の友達とかそういう段階をすっ飛ばして同じ屋根の下で暮らし始めた。

 同志、同僚、秘密を共有する仲間。

 こうして改めて問われると即座に答えを返せない、こういう話はしたことがなかった。

 ただまあ、間違いなく友達だと自分からは言える。

 

 それは確かだと思うのである。

 

 「ほう、友達のう」

 

 クスクスと、本当におかしそうに少女は笑う。

 何がそんなにおかしいのか、自分には見えない何かが女の子特有の視点からは見えているのかもしれない。

 そんなどうでもいいことをぼんやり考えながら少女を入園ゲート近くの総合案内所へと連れてきた。

 

 「あそこにいる係員さんに事情を説明すれば助けてもらえるからね」

 

 「そうか、感謝する。ではまたの」

 

 小さく頭を下げると少女は振り返ることもなく歩いて行ってしまった。

 その言葉の響きにどこか違和感を覚えながら来た道を戻る。

 

 「ちょっと、どこ行ってたのよ」

 

 ベンチに戻ればフェリシアが座って待っていた。

 その両手には売店で買ったであろうクレープやチュロスが握られている。

 はしゃぎ過ぎて疲れたのか回はだらんとふわふわ浮いていた。

 

 というかあれ寝てるのだろうか、器用な奴である。

 

 「ごめん、ちょっと迷子を案内してた」

 

 いつものお人よしかとフェリシアはため息を一つ。

 

 「まったく。もう少し遅かったら私も迷子を捜すために放送の一つでもかけてもらうところよ。まあ、この年になって名前を読み上げられるのもそれはそれでいい思い出かしらね」

 

 意地悪い笑みを見せながらそんな恐ろしいことを告げる。

 

 「いや、さすがにそれは恥ずかしいね」

 

 「でしょう?ならこれからはあんまり勝手に動き回らないでよね。あなたも一緒に楽しめばいいのよ。はいこれ、能の分」

 

 クレープを差し出してくるフェリシアに礼を言って口を付けた。

 やはり糖分はいいなと、一気に腹に収めてしまう。

 

 「あなたね、もう少し味わいなさいよ。いつも思うけれど、少し早食い気味よ」

 

 呆れた目でそんなお小言をくれるものだから思わず笑みが浮かんだ。

 怪訝そうな目を向けてくるフェリシアに何でもないと軽く首を振る。

 

 ああ、やっぱり友達だと自信を持って言ってもいいと思う。

 

 だって、はじめて会った時にはこんなどうでもいい会話をするような関係になれるとは思いもしなかったのだから。

 

 

 夕刻を迎え、非日常は日常へと還る。

 ぽつぽつと姿のあった来園者たちも少しずつ減っていく。

 

 「最後に、あれに乗りましょう」

 

 フェリシアがコーヒーカップを指さしてそんなことを言い出した。

 

 「君、もうあれには二度も乗ったよね」

 

 あれだけではないが。

 

 「いいじゃない、面白いもの」

 

 ただ回るだけの遊具だと思うが妙に気に入ったらしい。

 フェリシアの息抜きになればと連れてきたのだし、彼女が望むならそれでいいかとカップに座る。

 軽妙な音楽が流れゆっくり回り出すカップ、それに満足せず真ん中のハンドルを勢いよく回しだすフェリシア。

 

 景色が高速で流れていく、視界が曖昧になって少し酔ってきた。

 何もかもが回転するぐちゃぐちゃな意識の端で楽しそうな笑い声だけが耳を打つ。

 

 ああ、こういう風に声を出しても笑えるのかと吐き気を堪えながら気を逸らすように情けなく考える。

 

 回る、どこまでも回る、世界がぼやけていく。

 流れる景色は伸びて、まるで時間が遅くなったかのようにのんびりと。

 

 「……ああ、本当に。いつまでも、いつまでも、曖昧なままであってくれればいいのにね」

 

 フェリシアの最後の言葉はうまく聞き取れなかった。

 

 やがて、コーヒーカップは回ることをやめる。

 音楽は止まり、世界は確定し、足は日常へと運ばれた。

 

 「ごめんなさい、少しはしゃぎ過ぎたわね。大丈夫?」

 

 こちらが酔っていることなどお見通しなのかいつもの澄まし顔で手を差し出してきた。

 今回ばかりは甘えようとその手を掴んで立ち上がる。

 

 「帰りましょう」

 

 優しく手を引いてくれるフェリシアに先導されながら入場ゲートをくぐった。

 非日常から日常へ、そしてまた非日常へ。

 

 裏側の世界を知った自分に本当の意味での日常などないことはすでに受け入れている。

 それでもいつか、それが日常となるようなことがあるのだろうかと考えながら。

 

 「ありがとう、もう大丈夫」

 

 フェリシアの手を優しくほどいて自分の足で立って歩いていく。

 

 

 それから、何事もなく三日ほどが過ぎた。

 午前中は学校で過ごし、夜は街をめぐる日々。

 

 自校の犠牲者を最後に惨殺事件はぱったりと途絶えていた。

 夜も先日の襲撃を最後に不気味なほどに静かで何も起こらない。

 

 そんな中、一真は担任から頼まれて放課後、しばらくの間は学校周辺の見回りに手を貸していた。

 先生方もこの分ならもうすぐ通常通りに戻せそうだと安堵の表情を浮かべて話しているのを聞いている。

 一真としてもそうであってくれるなら良いとは思うがそう簡単には変わるまいと。

 とは言え他に自分からできることもなくとりあえず気を引き締めて学校周辺を巡っていた。

 

 そんな時、フェリシアは一人、市郊外へと足を向けている。

 その足取りに淀みはなく、向かう先へ一直線。

 一真には言っていなかったがフェリシアには敵の工房の場所にすでに見当がついていた。

 

 あの襲撃の時に人形に込められていた魔力の波長をフェリシアは正確に捉えている。

 その時点で敵は自分の居場所をさらけ出したに等しい。

 痕跡を追えるならそれで良く、追えないのなら意図的に隠しているということだ。

 隠すという行為それ自体がまた別の歪みを生み何かしら痕跡を残すもの。

 あの夜の時点ですでにそのことに気づいていたフェリシアは、使い魔のカラスに魔力の痕跡を覚えさせて街に放っていた。

 

 そして結論から言えば敵は隠すことなどしていなかった。

 堂々とその痕跡の跡を残しそれを辿ってフェリシアは歩き続ける。

 そして郊外にある鬱蒼とした木々に呑み込まれ、山腹を刳り貫くようにして建てられた和風の屋敷へたどり着いた。

 

 ちょっとした小学校ぐらいはありそうな敷地面積、背後は山に、周囲は壁に囲まれ何者も寄せ付けぬ要塞のような佇まい。

 門に至る道には長い長い石段が積み重なり、重厚な厚みのある木製の大きな門は固く閉ざされ、その傍には潜り戸が設置されていた。

 シンプルながらどこか気品を感じさせる表札には達筆に屋敷の主の姓が刻まれている。

 

 「……形代(かたしろ)

 

 ついに見つけた敵の名前。

 

 「問題なのは目的ね」

 

 人形技師としてこの家の主が極まった実力を持つことは疑いようがない。

 わからないのは魔法使い、あるいは魔術師としての実力だ。

 

 状況だけ見れば極めて杜撰な行動の連続だと言える。

 考えなしに自らの手の内をさらけ出し、痕跡を隠すこともなく容易に居場所を特定させた。

 

 だがもし――それが己を引き寄せる罠だとしたら。

 あえて手の内をさらけ出して特定させたのだとしたら。

 

 それ相応の目的があるはずだ、少なくとも敵はこちらの存在をすでに捉えている。

 対抗する手段があるということを知っている、にも拘らずなぜ。

 

 「……考えても無駄なことね」

 

 そんなもの、わかるはずがない。

 それに何であれ関係のないことだ。

 どんな相手であろうと、状況であろうと、罠であろうとも。

 魔力や魔法を悪用し過度に表に干渉する輩は排する。

 

 それが、魔法使いとしての在り方。

 

 フェリシアは踵を返す、今夜にも乗り込むために準備を整える必要がある。

 

 「そう、誰か知らないけれど、あなたは私一人で殺してあげる」

 

 一真は連れて行かない、人形相手に一真の体質はあまり役に立たないどころかむしろ足手まといになる。

 

 それに、元からフェリシアは一人で行動し、戦うことが常の魔法使いだった。

 それ故の自信と誇りにかけて。

 

 これまでの自分を取り戻すために、まだ見ぬ敵を打ち砕こうと心に決めた。

 

 

 彼女は気づけない。

 それは甘さであり、焦りであり、致命的な隙であると。

 

 一人で戦うのならそのためのやり方がある。

 敵の工房を発見しただけでその意図の考察を捨て、いきなり乗り込むなどありえない。

 

 それはフェリシアという魔法使いのやり方ではない。

 

 自分に揺らぎがあることを知りながらそこから目を背けた。

 だから、その結末は必然だったのだ。

 

 彼女はどこまでも刹那の己に全てを賭すことでしか自分を保てないと自覚できれば、また違った道もあったはずなのに。

 

 

 深夜、雲はなく、しかして月はあまりにも細く星明りだけが夜闇に輝く。

 その中を魔法使いのフェリシアは一人、箒に腰かけ飛んでいた。

 

 行き先は形代の屋敷。

 

 その瞳に迷いはなくどこまでも強く、その顔はいつにも増して澄んでいる。

 それ故に自然体からは程遠い。

 

 その自覚なく屋敷上空に到達したフェリシアはそのまま敷地内に降りる。

 結界も防衛機構も存在しない。

 遮るものはなくフェリシアは屋敷の扉の前に立った。

 

 明かり一つ点いておらず、静かで生活感というものが皆無。

 それは正しく人外の伏魔殿、暗い穴を開けて生贄を待っているかのような有様。

 

 扉の横に箒を立てかけ杖を握り直し、迷うことなく扉を開けて屋敷の中に足を踏み入れたフェリシアは濃厚な腐臭に顔を歪めた。

 

 玄関に倒れ伏す女中や下男と思わしき者達。

 皆、顔が潰され体はすでに腐敗し屋敷内には蠅が飛び交う。

 

 そこはすでに終わった世界、死の匂いが屋敷全てに溶け込んでもはや分かたれず。

 人の尊厳は砕かれ、生は簒奪され、ただ呪うための一つの異界と化している。

 

 この屋敷それ自体が生者を拒絶する、あるいは取り込む一つの機構。

 

 しかして、フェリシアは関係ないとばかりに足を動かす。

 人を呪うその屋敷も魔法使いを呪うことはできない。

 

 歪めた顔はすでに戻り、屋敷を散策する。

 

 外観通り全てが和式、畳張りの部屋が連なり襖や木製の廊下で仕切られ迷路のような様相を示している。

 

 台所が土間式であるのにはさすがに驚いた、時代錯誤も甚だしい。

 

 生き残りはやはりいない。

 皆一様に顔を奪われ人としての在り方を丹念に磨り潰してある。

 

 いくつか部屋を巡りフェリシアは立ち止まる。

 流石に広く、目視での探索は無理だと早々に判断してフェリシアは目を閉じ意識を裏側へと向けた。 

 

 世界を覆い胡乱に落とす気配、魔力の流れ、情念の名残を捉える。

 

 屋敷全体を覆うあらゆる力の向かう先は一つの和室に集約してそこから地下へと延びていた。

 掛け軸の裏の絡繰りというある意味で分かりやすい仕掛けを解けば、中央の畳がスライドして地下への階段が露わになる。

 

 壁に等間隔に並んだ掛燭台に自動的に火が灯っていく。

 淡く揺れる炎が躍るように影を揺らし、空間そのものを歪ませているかのような錯覚。       

 

 視界を惑わし、距離感を失わせ、わずか数秒で時間感覚すらも剥奪しかねない地下への道をフェリシアは躊躇いなく降りていく。

 

 そして、開けた空間へと足を踏み入れた。

 

 何もないように思える、相当に広くて壁の蝋燭の火ではその全てを照らすことができない。

 

 等間隔に設置された灯りが闇をあやす揺りかごのように、この世にあれないモノを許すかのように空間を揺らす。

 

 ――かーん

 

 「地に足付けるヘラジカよ(アルギズ)

 

 乾いた音が空間を満たしたその瞬間、フェリシアはローブで隠していた刃渡り五十センチほどの鉄剣を右手で抜いて振りきった。

 

 乾いた摩擦音が反響する。

 

 フェリシアの冷めた眼は空間の奥から這うように伸びてきたへばりつく様な何かを見下ろしていた。

 手のようにも見えるそれはしばらく蠢き、やがて跡形もなく消えていく。

 

 「……ほう、素晴らしいの。よく見える眼を持っておるわ」

 

 灯りの届かぬ闇の中から滲み出るように白いドレスの少女が姿を現す。

 その手にはフェリシアを模った木製の人形を握りしめていた、胸には五寸釘が容赦なく食い込んでいる。

 

 「それにその剣。古代の残り物か自作かは知らぬが気色の悪い破魔の気配よ。そんなものを振り回されては呪いなど息する暇もあるまいて」

 

 日本式の屋敷とは乖離した西洋風の人形のような少女のねばついた声。

 それは体中にまとわりつくかのような重さを持って耳を打つ。

 

 「……死ぬ前に一応、聞いておいてあげる。あなたは何者?なにが目的だったの?」

 

 そんな感覚を切り裂くように鋭いフェリシアの声が響いた。

 

 答えを期待したわけではない。

 いつも通り会話で分析の時間を稼ぎあわよくば情報を得られればという打算。

 しかしてどこまでもいつも通りではない余白。

 

 「儂は二十三代目形代家当主、形代 アヤリ。人を模る妄念の落とし子よ」

 

 少女――アヤリはクスクスと、どこまでも楽しそうに笑った。

 

 「目的、目的のう。そうさな、時におぬし。なぜ人は人形なんぞ生み出したと思う?人が人型を模るなど道理に合わぬと思わぬか?」

 

 思いのほか饒舌に会話に乗ってきたが、その声は問いのように聞こえてどこまでも独り言。

 

 「人形、ヒトガタ。人は疑う余地もなく人であるはずなのに、なぜ自らの形を生み出したと思う?

 それは人より優れた極点を生み出すためか、それとも人の底面を嘲笑うためか。

 どちらにせよそれは呪い、人形を支配したい、人形に支配されたい。

 人を、人の形を呪い呪われたいという人の業じゃて」

 

 まるで話したくて仕方がなかったとでも言うように口が回る。

 その言葉はどこまでも、人への嘲りと慈悲に満ちていた。

 

 「儂は人形師、人を模るのが我が意義よ。故にその呪いを形にしているに過ぎぬ。望み通り人を呪い、人を支配し、人を貶め、人の無価値を証明する。

 無価値が証明されるのなら価値もおのずと見いだされよう。人は無価値を証明するための価値があるとな」

 

 「……なぜ、幸せそうな人ばかりを狙ったの?」

 

 自分でもなぜそんなことを尋ねたのかフェリシアにはわからなかった。

 

 異なことを聞くとアヤリは笑う。

 

 「呪いに理由を問うのかえ?情念とはそういうものじゃろう?無価値とはそういうものじゃろう?何の理由もなくある日突然、襲い来るものであろう?」

 

 もはや問答に意味はない、フェリシアは剣を構え、杖を掲げた。

 

 

 「能。能、ちょっと起きて」

 

 体をゆする華奢な腕と焦るような声で一真は目を覚ました。

 今日は夜の探索はしない、使い魔が情報を持ってくるのを待つと言ったのはフェリシアだったはずだが。

 

 「うーん、どうしたのいきなり」

 

 一のっそり起き上がりその姿を視界に捉える。

 寝る前は下着にワイシャツだけのいつもの格好だったが、今は完全な魔法使いスタイルに身を包んでいた。

 

 「悪いわね、だけど敵の工房を見つけたの。これ以上、敵に猶予を与えたくないから今すぐに行くわ。敵の力量に不明なところが多いからあなたの力も借りたい」

 

 ぼんやりしていた頭が即座に覚醒する。

 ついに敵が姿を現したらしい。

 

 「わかった、ちょっと待って」

 

 一すぐに着替えてフェリシアから貰った短刀を手に取る。

 持ち運びが楽になる様に付けておいた下緒を肩にかけてその上から薄手のコートを羽織った。

 

 「よし、行こう」

 

 フェリシアと共に一真は夜の街へと繰り出す。

 

 「それで、工房ってどこにあったの?」

 

 「ここからしばらく歩いたところに貸し倉庫が並んでるところがあるでしょう?あそこ一帯から痕跡がつながってたの。

 隠蔽も何もないからおそらく罠か相当腕に自信があるのか。あるいは魔法使いや魔術師としては未熟なのかもしれないわね」

 

 貨物用コンテナを改造した貸し収納スペースが立ち並ぶ場所が街はずれの川沿いにある。

 電気も引いているわりと高級志向なもので秘密基地みたいなものを作る特異な人もたまにいた。

 夜になれば人通りはほぼなく、確かに隠れて何かをするにはうってつけだろう。

 

 「なるほどね」

 

 早歩き気味のフェリシアの背を追いながら納得したように頷いた。

 

 コツコツと二人分の足音が夜の街に吸い込まれていく。

 いつも通りの最低限のやり取り、すでに集中を高めているのかフェリシアはどこまでも無言。

 澄んだ顔はまっすぐ前を見据えている。

 

 一真はそれを邪魔しないように、ただその背を追いかけた。

 

 

 フェリシアの杖に深緑の魔法陣が装填され無詠唱で即座に風弾が射出される。

 アヤリは笑ったまま微動にしない、かばうように飛び込んできた何かが吹き飛ばされるだけ。

 

 人形、球体関節のマネキンのような人形らしい人形。

 それと同時に空間内に魔力反応が急激に増えていく。

 これまで完全に停止していた人形たちに動力が入った合図。

 

 天井から、壁から、床から、闇から這って出るように多種多様な人形がフェリシアを囲む。

 マネキン型が多いが街中に放たれていた人型、人の形から大きく外れたものが多い殺傷型、呪いや魔術的なギミックを搭載していると思われる魔導型。

 

 さらに、アヤリの手が動きその指から魔力製の糸が闇に伸びた。

 魔力によって生み出された幻糸による傀儡術だろう。

 

 彼女は人形技師であり魔力の扱いにも精通している。

 魔法使いではないだろうが魔術師として卓越した能力を有しているのはもはや疑いようがない。

 

 背後の地下への入り口を塞ぐようにも幾多の人形が折り重なる。

 元より逃げるつもりはない、フェリシアは魔法陣を連続展開しながらアヤリへ向かって走る。

 

 「魔法使いが距離を詰めるか!」

 

 嘲るように笑うアヤリの声に呼応して自立型の人形が一息に飛び掛かる。

 

 フェリシアはそれを一瞥することすらしない、魔力感知と空気の流れによる空間把握。

 

 展開した魔法陣から連続で射出される風弾がその大半を精密に打ち落とす。

 風の膜を突破してフェリシアに肉薄する人形の手足を足捌きだけで軽やかにすり抜け、すれ違いざまに片手で軽々と鉄剣を振るいながら人形たちを両断していく。

 

 それはまるで舞のように、ただ敵を殺傷するために磨き上げられた優雅な踊り子の業。

 

 剣を振るい魔法を放つという一連の流れが途切れない、隙が存在しない。

 

 「……ほう」

 

 アヤリの顔にはじめて感嘆の色が浮かぶ。

 

 明らかに戦い慣れている、魔法の腕もさることながら近接戦闘においても相当な実力。

 魔力による身体強化、無駄のない技能。

 

 一人でいきなり侵入してくる無謀を押し通す、その自負に違わぬ能力があると認めざるを得ない。

 アヤリはかの双子のドッペルゲンガーに戯れに体を与えて楽しんでいた、それを邪魔された時から能 一真とこの魔法使いを張っていた。

 

 

 見たところによれば彼女は自分で動かず、魔法による遠距離からの蹂躙を良しとする典型的な魔法使いだと思っていたのだが。

 むしろ今の遠慮なく動き回り高速で魔法を回転させ続ける姿が本来の戦闘スタイルなのだろう。

 

 「足手まといに合わせていただけかの」

 

 一人であらゆる事態に対応するのがフェリシアのやり方であった。

 

 用意したマネキン型の人形のうち十八体、人型十三体が瞬く間に破壊され切断され肉塊となって地面にばらまかれる。

 フェリシアはその勢いのままにアヤリとの距離を詰めようと駆ける。

 

 それでもアヤリは笑う。材料の品定めは済んだ、遊びは終わりだと言わんばかりに。

 

 アヤリの手指が滑らかに動く。

 幻糸が闇から何かを引きずり出す。

 

 それは人の形をした冒涜、三メートルはあろう体躯、四つ手四つ足の着物姿の女のような人形。

 

 黒髪は呪いで生き物のように蠢きその量を爆発的に増大させている。

 

 フェリシアは足を止めた、あれはさっきまでのものとは出来が違う。

 単純な重さ、内包する呪いが桁違いなのは見るだけでわかる。

 

 しかも、それが三体。

 

 左右斜め後ろの闇から滲み出るように同じ型の人形が姿を現す。

 視線を流して操る者の姿を視界に収め、フェリシアは顔を歪めた。

 

 「……あなたの呪いはあなた自身にも向いているのね」

 

 アヤリと全く同じ姿形をした操者、違うのは服装が着物であることぐらいか。

 自分自身すらも人形として模した狂気。

 

 「当然よ、むしろやりやすいわ。自分の姿形、その中身まで正確に把握できる者もおらんからな」

 

 自分の方が見えにくいのではないだろうか、鏡とか使わないと無理だろう。

 そんな益体の無いことを考えられるぐらいにはフェリシアにはまだ余裕があった。

 

 そのことに安堵する、自分はまだ一人でも戦える。

 

 三人のアヤリが一斉に動く、人形がその巨体に反した素早さで襲い来る。

 

 鞭のようにしなる人体の構造を完全に無視した長腕の嵐を最小限の動きで搔い潜り、その腕に剣を走らせるも金切り音と共に弾かれた。

 魔的な防御なら守護の鉄剣で断ち切れるが純粋に素材としての硬さはどうしようもない。

 

 ならばと杖を構えて深緑の魔法陣を装填する。

 杭状の弾丸と化して人形の腕を弾く、だがそれだけだった。

 外装にほんの少し傷を入れた程度。

 

 体を拘束しようと伸びる髪を剣で断ち切りながら、ここに来てフェリシアは地下に来たことの失策を悟った。

 

 純粋に破壊力に優れた炎系の魔法が使用できない、下手に使えば酸素欠乏で自滅する。

 だが退路はない、巨大な人形に塞がれさらに殺傷力のありそうな人外の形をした自立型の人形に完全に塞がれていた。

 

 侮ったわけではない、だが事前の探りも準備も何もかもが中途半端だった。

 

 それでも、今切れる手札で勝負するしかない。

 元より完璧な状況で戦いに赴けると思うほどフェリシアは理想家ではない。

 

 人形を壊すことは完全に諦め、狙いを操っているアヤリとその人形に絞る。

 

 腕を避け、弾き、受け流す。

 

 冷静に、その動きを見極めただひたすら身を翻しながら魔力を練って待つ。

 どれだけ連携が取れていようが腕の数と攻撃の軌道は有限、必ず間は存在するはずだと。

 

 互いに衝突しないように動くとなればなおさらのこと、その一瞬の隙に飛び込んだ。

 

 魔法陣を展開して放たれた風刃は避けようとしたアヤリ人形の右手を肩口から切断する。

 とどめとしてもう一発、風弾を叩き込んで完全に沈黙させ、同時に人形の一体が停止した。

 

 連打に穴が生まれフェリシアは即座にもう一体のアヤリ人形に肉薄する。

 今度は深く完全にその懐にまで、振るわれた刃がその首を完全に落とし切る。

 それはどこまでもリアルな人の感触で、それでも躊躇することはない。

 

 その動きは完全に見切った。

 

 「本当に……よい眼を持っておるわ」

 

 アヤリは一人ごちながら自らの胸を貫く鉄剣を眺める、大型人形一体ではもはや足止めすら叶わない。

 その動きは使う魔法と同じ風のように、あらゆる障害をすり抜けて最短距離でアヤリの心臓を穿つ。

 

 フェリシアの冷めた瞳がアヤリを射抜いた。

 

 「終わりね」

 

 「ああ……そうさな。本当に惜しいの……。それだけの眼、もう少し準備しておれば、見極めておれば」 

 

 殺したと思った一瞬の気の緩み、それがどこまでもいつも通りではないフェリシアの最後の致命的な隙だった。

 

 「――あるいは儂を殺せたろうに」

 

 異常を察知する間もなかった。

 

 アヤリの小さく華奢な手が鞭のように早くしなやかにフェリシアの手首を掴む、その握力は尋常ではない。

 零れる赤い液体が白いドレスを濡らしていくのも構わず、その口が裂けるようにして笑いを作る。

 

 ケタケタと笑う、ただ嗤う、どこまでも空虚なただ喉を震わすだけの声が広がっていく。

 込められた力は肉を押しつぶし骨を軋ませる。

 

 「……ッ、あっ!」

 

 痛みで剣を手放してしまうという失態。

 即座に左腕の杖に魔力を集中しようとして、しかして黒い髪にその腕を完全に絡めとられた。

 

 杖は黒い奔流の中で小枝のようにその輪郭を崩し消えていく。

 停止させたはずの人形の一体が背後で髪を伸ばしながら色の無い目でこちらを眺めているのが見えた。

 

 髪は左腕を伝い、口を覆って完全に詠唱を奪う。

 そのまま四肢を完全に封じ宙に磔のようにして拘束された。

 

 なぜ、どうやって。

 眼下でなお笑い続けるアヤリは壊れた人形のようで――。

 

 「そう、それは人形よ」

 

 側背からの声に少しだけ動く首と目線だけを何とか向ける。

 そこには最初に壊したと思っていたはずのアヤリ人形。

 

 否――アヤリの姿があった。

 

 右腕を失いながらも立ち上がり、首をかしげながらこちらを見つめている。

 底知れぬ闇より深き黒い瞳。

 

 左腕からは幻糸が伸びて人形に繋がっていた。

 

 「まったく肝が冷えたぞ、こちらの想定をはるかに超えておったゆえな」

 

 アヤリは綺麗に切断された右腕を拾うと人型に手渡して肩口につけさせる。

 そのまま、左腕で幻糸を操り右腕を縫い始めた。

 

 心臓を穿たれた白いドレスのアヤリも。

 そして自らの手で刎ね飛ばされた頭を持つもう一体の人形のアヤリまでもが幻糸を用いて右腕を直していく。

 

 速く繊細な指捌き。

 

 人の形を模す呪いはどこまでも人という生物に精通している、外科医としての腕も卓越したものがあった。

 肉を、血管を、神経までをもその場で縫い合わせていく、十分もかからずに右腕を振るうアヤリの姿。

 

 まるで感覚など虚妄だとでも言うように、アヤリはずっと笑い続ける。

 

 完全に出し抜かれたとフェリシアは歯噛みするしかできない。

 

 そも、最初の白いドレスのアヤリが本物ではなかった。

 あれは精巧な人形、彼女が言うようにただ自らを模しただけのものだった。

 

 人形だと思わせていた方に本体を紛れさせてやられたように見せかけた。

 最初の隙、あれもおそらくは計算だろう。

 こちらの戦闘技能を考慮したうえであえて魔法で攻撃できる程度の隙を見せてその攻撃を受けた。

 その次のアヤリの首を切り落とした時、あまりにも人を切った時の感触と同じでそういうものだと誤認した。

 

 自らとほぼ違わぬ外観と近い技量を備える人形を作成できる神がかった技術。

 魔力の扱い方、観察眼、状況を己へと傾かせるための機微。

 

 そして何より――自らの体をも駒の一つとして完璧に機能させることに一切のためらいがない狂気。

 

 形代 アヤリは容易に手を出してはいけない怪物だったとフェリシアはようやく気が付いた。

 

 「さて、ようやく手に入ったな。こうも玲瓏たる器と出会えたことは重畳よ。その魂が呪いに満たされた時、どのような花を咲かせるか今から楽しみでたまらぬ」

 

 アヤリは絡みつくようにフェリシアの体を撫であげる、幼い外見からは想像もつかないほどに妖艶な表情。

 人を呪い、貶め、沈んでいく様を見るのがどこまでも悦楽だという歪み切った情念。

 

 フェリシアは身動きも言葉も封じられ、それでもその眼だけはどこまでも澄んだ色を湛えてアヤリを鋭く見据え続ける。

 

 どのようなことがあっても屈しないという気高い精神。

 

 アヤリは面白うそうにそんなフェリシアの耳元に口を近づけて――。

 

 「実はの、能 一真のところに人形を向かわせたのじゃよ。お主の外見を模した人形でな、ここ十日程度の観察じゃがおぬしの言動もある程度は模すことができる自信作での。まあ、出会ってからそんなに経ってもいないのであろう?ならあの純朴な男であれば誤魔化せるであろうよ」

 

 「――――」

 

 息が止まる、心臓の鼓動があまりにも大きすぎて逆に止まったかと感じるような錯覚。

 その眼は大きく見開かれ、全身の震えが止まらない。

 

 「ああ、どんな顔をするじゃろうか。あやつは友達と言っておったが存外、魔法使いであるお主を信頼しているふうであったなあ。そんなおなごに命を奪われる刹那、どんな顔を見せるか考えただけで震えがくるであろう?安心せい、首は持ち帰るように仕込んである、すぐにお主にもわかるぞ」

 

 「ンーーーッ!」

 

 フェリシアは全身に力を込めた、四肢が千切れ飛んでも構わないという勢いで体を揺らし何とか髪の拘束を引きちぎろうとあがく。

 

 だが、そんなことは不可能だ。

 その身を捨てる覚悟なんぞで何とかできるほど世界の裏側は慈悲深くない。

 そんなおとぎ話が通用するような世界ではないとわかっていたはずなのに。

 

 髪の拘束がさらに締まる、もはや指一本、己の意志で動かすことすらできない。

 ただ、燃えるような怒りをその眼に込めるしかない姿はどこまでも人形のように無力だった。

 

 アヤリは嗤う、それが見たかったのだと歓喜と快楽に打ち震える。

 ああ本当に、人が乱れるその様は何と滑稽で甘美な味わいであろうか。

 

 「さあ、あの男の首が届くまでこちらも少し楽しみたいのう。なんせ腕を飛ばされたのじゃから、お主にもそれ相応の痛みをもって報いてもらおうか」

 

 アヤリの指から幻糸が伸びる、髪から伝わる呪いを弾くために全魔力を回しているフェリシアにそれを防ぐ術はない。

 肉体を透過し体内に潜り込んだそれは神経組織に直接絡みつき、それを思い切り引き抜かれる。

 まるで痛覚を鑢で磨かれているかのような激痛に視界が明滅を繰り返す。

 

 「――ッ、ンーッ!ァァァァアッ!」

 

 口をふさがれてなお漏れ出る悲鳴。

 体内を直接かき回されたような痛みは堪えようとしてもこらえきれない無様な声をあげさせる。

 

 それでも抑えようと涙ながらに歯を食いしばろうとして、それを見透かしたように再び神経をなぞられる激痛。

 

 「ヒヒ、フフフ、アハハハハハハハハハハッ!」

 

 こらえにこらえ切れない惨叫と足りず足りないとあふれ続ける歓叫が地下に響き渡る。

 

 それは紛うことなく人を呪う形の具現であった。

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