「……あそこよ」
フェリシアについて川沿いの貸し倉庫群、その中でもひときわ大きい物が鎮座する場所へとたどり着いた。
「あの中で人形の制作と貯蔵を行っているようなの。ターゲットを見つけて、そっくりな人形を作り本人と殺し合わせる。 魔法使いとして表側を大きく揺らがす行為は認められない。ここで必ず仕留めるわ」
フェリシアの言葉に頷く。
情けないことに手が震えている、これから行おうとすることに対する不安がないわけではないのだ。
それでも、やらねばならないと覚悟を決めていた。 一つ深呼吸をして手を合わせる、合掌。
不安を切り離し、体はただ自らの意志を貫徹するための器になる。 短刀を鞘から引き抜いて強く握った。
「ねえ、フェリシア。今回の敵ってどれぐらいやばいと思ってるの?」
「そうね……これまで出会ってきた者達の中でもかなりの上澄みだと思う。人形技師としての腕はもちろん、影幻界への造詣の深さ、魔力の扱い方の巧みさ。 どれをとっても前にあなたに手伝ってもらった時の相手とは天と地ほどの差があるでしょう。だから、絶対に油断しないことよ」
その言葉に最後の覚悟を決めた。
杖を構え、コンテナを見据えるフェリシアの横に短刀を構えて立つ。 いつもの素振りの時のように、己が最も振りやすいように柄に指をかける。
そして――その刃を真横へと躊躇なく滑らせた。
それはまるで精密機械のように。 どこまでも自然に、どこまでも滑らかに、寸分たがわずフェリシアの首の内を通り抜ける。
「……え?」
間の抜けた最後の呟きを残して、その首は滑るように胴体から離れていく。 驚愕に見開かれたその目が最後に己を映した。
それはどこまでも自然体で、それ故に色がなく。 何ものにも揺らがないただただ静謐なあり方。 その瞳はどこまでも凪いでいて、それ故に何とも言えず恐ろしい。
この男には何かがないとそう思わせるほどにはっきりとした像だけがあった。 そんな自分の姿をただ見送るだけ。
一拍遅れてどさりとフェリシアの体が倒れ伏す。
首から流れる血はここ最近、見慣れた赤い物とは少し色が違っていて。 首筋からは筋肉とは別の無機質な配線が少し覗いている。
深く、深く息を吐いた。
『あー驚いた、よくわかったね一真。いつから気づいてたの』
回は全くわからなかったと倒れ伏すフェリシアを、否、人形であろうそれを眺めている。
「うん、まあ……最初からだよ」
まだそんなに長い時間を共にしたわけではない、知ってることより知らないことの方が多いだろう。 だけど、一つだけはっきり言えることがある。
「フェリシアは辛い時ほど、どこまでも一人で頑張っちゃう女の子だと思うからね」
どうしようもない事態に直面した時に自分の中に全てをしまい込んでしまう。 他者に頼らないのか、頼れないのかはわからないけれど今の自分を燃やして現実にぶつかっていく。
彼女は決して、人に弱みを見せることを良しとする人間ではない。 強い人だ、だが決して完璧というわけではないのだ。 弱さがないわけじゃなくて、ただそれを隠すのが悲痛なほどにうまいだけなのだと。
そして、そんなフェリシアに頼ってもらえるほどに自分はまだ心預けられていないという寂しい自覚がある。 だから、力を貸してと言われた時にこいつは偽物だと直観的に思ったのだ。 確信があるかと言えば半々だった、自分の思い込みで取り返しのつかないことになるかもしれないと恐怖した。 それでも、もしこのフェリシアが偽物なら本物のフェリシアに何かあった時に力になれないまま終わってしまう。 本物であれば自分の攻撃など簡単に防いでくれるはずだという思いもあった。 だから、今できる最善の選択はこれだったのだと思い実行したに過ぎない。
『ふわあ、さすがだね一真!やっぱりかっこいい!容赦なくて素敵!』
ふわふわ飛んでいる回の言葉に返してやる余裕はない。 偽物であったことには安堵したがそうなると別の問題が出てくる。
フェリシアは一人で行ってしまったのだ。 彼女はすでに敵の本拠地を探り当てていたのだろう。 人形という存在に対しては自分の体質もあまり役には立たない、だから一人で全てを終わらせに向かった。
あるいはフェリシアならそれができるのではないかと思う。 自分が行っても何もできない、むしろ足手まといになるだけ。 人質に取られて逆に事態を悪化させるようなことになるかもしれない。
だけど、それでも、ここで立ち止まるという選択は能 一真にはあり得ない。
「行かないと、でもどこに行けばいい?」
何の手掛かりもない、自分で探索する技能も当然ない。 だったら、ただひたすらに街を走り回るだけだと無謀な考えが頭をよぎって。
ばさりと、小さな影が頭上に落ちた。 顔をあげるとそこには闇夜にあってなお暗い羽根を広げるカラスの姿。 その眼はじっとこちらを見つめているような気がする。 地鳴き、飛び立ったカラスは少し離れた場所に留まってまたこちらを見やる。
ついてこいと、そう告げているようで。
「フェリシアの使い魔……」
その一縷の望みにかけて走り出した。
◇
住宅地を抜けて人気のない郊外の方へと駆けていく。 ビルの山群から離れ本物の山群が残っている地域。
休日の昼間には地元住民が散歩やピクニックに利用する鋼鉄の箱にかろうじて残された自然の名残。 その中でもひときわ深く、私有地であるために人も立ち入らない山林に足を踏み入れて。
形代と表札の打ち付けられた巨大な日本屋敷へと辿りついた。
カラスは最後に甲高く囀りその身を闇に溶け込ませる。 自分にできることはここまでだと言っているかのように思えた。
「……回、ちょっと中の様子を見てきてもらってもいいかな?」 『もちろん!ちょっと待ってね』
回は二つ返事で勢いよく正門をすり抜けて中へ入る。 すぐに顔だけをこちらに出した、
『誰もいないみたいだよ。家にも明かりはついてないし、人が動いてる気配も外からは感じられないかな』
ならばと、どうやって忍び込もうか考え。 とりあえず駄目で元々、正門の傍らにある潜り戸に手をかけて押してみる。 あっさり扉は動き中への道を開いてくれた。
一つ、喉を鳴らして中へと足を踏み入れる。
回の言うように人の気配はなく、どこまでも静かでまるで夜に溶けるよう。 広々とした、それ故に寒々しい空間を横切って屋敷の扉に辿り着く。
「これは……フェリシアの箒」
立てかけられたそれは見慣れたもの、間違いなく彼女がここに来ている証。 扉はすでに人一人分ほど開いていて、中からはこれまでに嗅いだことない異臭が漂ってくる。 生理的な拒絶感を催すその場所へ、もう一度だけ手を合わせて踏み入れた。
本当に、先に合掌しておいてよかったと思う。
腐りかけた人だったものの残骸がお出迎えなんて予想もつかない。 丹念に壊された虚ろな穴がまるで巨大な目のようにこちらを見つめているような気がする。 お前もこちらに来いと言わんばかりに手招きされているようでひどく落ち着かない。
『うわー、気持ち悪い。趣味の悪い家主がいるんだろうねきっと』
わりとどんな凄惨なことでも興味のないことなら飄々と受け流す回も本気で嫌悪を抱いているような反応を見せた。
腐臭と視覚的な衝撃で胃の中の物がせり上がってくるのを無理やり呑み込み屋敷の散策を始める。
だがそんなに迷うことはなかった。
襖があいている部屋とそうでない部屋がある、フェリシアが先に来ていたならこれは彼女が通った軌跡だと考えるべきだろう。
他に生き残りもいなさそうだ、それなりの等間隔で死体が置かれていることから見ておそらく意図的なもの。 これだけ巨大な屋敷、維持するお手伝いさん達がいたはずだ。
この死体はその人たちの亡骸。
敵はその全員を容赦なく殺して顔を潰し、屋敷中にばらまいたに違いない。
それに何の意味があるのか自分にはわからない、ただただ胸が忌避感で跳ねるだけ。 その勢いのままに襖の開いた部屋を一つずつ確認していき、地下に続く階段を見つけた。
静かに、足音を立てないようにゆっくりと降りていく。
やがて、地下への空間へと繋がるであろう入り口が見えてきて一真は足を止める。 中からくぐもった悲鳴のようなものと甲高い笑い声が同時に耳に届いた。
一真は横に目をやる、それだけでこちらの意図を承知してくれた回は入り口の先へ飛んでいく。 数十秒ほどで戻ってきた回は呆れたような、どうしようもないという顔をしていた。
『うん、とりあえずフェリシアがピンチ。なんかでっかい人形の髪の毛が絡みついて身動きもできなければ口も覆われてまともに声も出せない。負けたみたいだね』
ふらりと、視界がぶれるのを感じた。
あのフェリシアが負けるなんて想像もできなかった。 いや、想像したくなかったと言うべきか、何が起こるかわからないというのはもう何度も思い知らされたことだ。
『それで、なんか着物姿のロリババアもどき?がいて壊れたラジオみたいに笑い狂ってフェリシアを苛めてるよ』
おそらく苛めなんてものではないだろう、拷問に近いようなことだというのは容易に想像がついた。 それだけで思わず飛び出したくなる自分の体を何とか抑え込む、ここで軽挙妄動は許されない。
失敗すればもう後がない。
「……このまま僕が突っ込んだらすぐに見つかりそう?」
回の耳元に口を寄せて小声で尋ねる。
『どうだろう、とりあえずクレイジーロリは馬鹿笑いに忙しそうで問題ないと思うけど。入り口に背を向けてるし。 でも周りにいっぱい人形が転がってたりしてるからそっちに見られたらわかんない。動いてはいないんだけど』
「フェリシアたちとの距離は?」
『十五メートルぐらいかなあ』
脳内でざっと情景を思い浮かべる。 まだ見ぬ敵、捕らわれたフェリシア、自分の位置。 武器はこの短刀だけ、人形相手に自分の体質は通じない。
できることは一つだけだ。
もう一度、手を合わせて全ての迷いを断ち切った。
暴れていた心臓が凪いでいく、頭を締め付ける様な緊張が解けていく。 体から余分な力が抜け出て完璧に己の意志を体現する、心はどこまでも澄みわたっていく。
そして待つ、最適なタイミングを。 一秒、十秒、そしてくぐもった悲鳴とひと際甲高く響く笑い声を合図にして。
階段から入口へ、そのまま中の空間に躍り出た。 こちらに背を向けている着物姿の少女と驚いたように目を見開く全身を拘束されたフェリシア。
両者を視界に入れて瞬時にやるべきことを判断する。
走る、できる限り早く己の最高速で距離を詰める。 少女が気づいたのか振り向いた、その時点で距離はもう二メートル程度まで縮まった。
驚きに目を見開く、遊園地で出会ったあのちぐはぐな少女の姿。 しかしそれでも、ここに来てもはや迷うことは許されないと手にした短刀を構え最短距離を疾走する。
上段に振りかぶった短刀を少女に向けて振り下ろす仕草。 少女は一瞬の硬直から即座に立ち直り腕を振るう。 その指から青い糸のようなものが伸びるのとほぼ同時、傍らに倒れていたマネキンのような人形が弾かれたように自分との間に飛び込んできた。
視界がマネキン人形に遮られる、それは少女からしても同じはずだ。 その瞬間に短刀を軽く振り下ろす、否、それはただ左下方へと位置を移しただけ。
どれだけ隙をついてもフェリシアを追い込んだ敵を倒せるなんてうぬぼれてはいない。 情けない話だが自分にできる可能性があることはただ、彼女を解放してあげることぐらいだとはじめからわかっていた。
「――シッ!」
マネキンと少女の横をそのまま通り抜けて逆袈裟にフェリシアを拘束している髪へ短刀を思い切り振りあげた。
その感触は髪とは思えないほど硬い、おまけに刃が短すぎてほんの一房切り取ることができただけ。 彼女を解放するには程遠い。
「……こ……のっ!」 失敗したと理性が即座に結論を下す、それでも最後までできるかぎりあがく。 振り上がった短刀を振り下ろすように髪を切っていく。
その間にも無限に増殖するかのように質量を増しフェリシアの全身を覆っていく。
そしてついには己の手足にも絡みつき体ごと包み込まれていった。
◇
「……まさか、ここまで来るとはの」
呪いの渦に沈み込んでいく哀れな獲物を眺めながらアヤリは息を吐く。
正直、驚きは隠せない。
能 一真、どうやってフェリシアを模した人形の手から逃れここまで来たのか。 影幻界に関してはただの素人、戦闘能力はそこそこ鍛えられた程度の身一つによる特攻のみ。
ただ善人であるというだけ、底抜けのお人よしというだけの無力な肉塊だ。 なぜフェリシアという極上の器がこんな男を傍に置いているのか不思議でたまらないと思っていた有象無象。
「まあ、最後に気概を見せたことだけは認めてやろうかの」
アヤリはどこまでも見下していた、一真という男を自らの思考から弾き出していた。 異常は常に感じていたというのに、どこまでも傲慢にただの呪われるべき無価値として扱った。
だから、最後に決定的な失敗を犯したことに気づけない。
もしアヤリが呪いではなく、ただ合理的に人形の物量で押し潰していればそれで終わったのに。 呪いそのものであるアヤリはどこまでも人を呪うことで自らを証明しようとした。 故に、それは避け得ぬ失態だったのだ。
――呪いで能 一真を壊すことはできないと。それを知らず、知ろうともしなかったことが崩壊を決定づけた。
絡みついた髪から、急速に重さが抜け落ちていく。 アヤリは目を見開いた。
己が込めた極上の怨念があの少年の体に触れた途端にただの脆弱な繊維へと還元されていく。 人間性を剝奪する呪い、触れたものの自我を融解させていくそれが逆に形を奪われた。
「……なん!?」
アヤリが驚愕の声を漏らしたその瞬間。
拘束の緩んだ髪の海を内側から食い破り莫大な魔力が螺旋状に駆け抜けた。 三々五々に千切れ飛び、その中心からフェリシアが激情のままにアヤリを射抜いている。
「――旋嵐よ――我が身を巡れ!」
体に直接、翡翠の魔法陣が装填される。 暴風を纏いその一歩で床を砕きながら一息でアヤリとの距離を詰めた。 その勢いのまま魂そのものを削るように拳を叩きつける。 爆風が弾け、しかして拡散されず圧縮された旋風はアヤリの体を間隙なく切り裂いた。 衝撃は四肢を引きちぎり、胴体は吹き飛ばされ壁に叩きつけられてようやく停止する。 赤い線を引きながら地面へとずり落ちていく、完全な致命傷。
「……ご……ふっ」
収まりきらない血を吐き出しながらアヤリは力を使い果たして崩れ落ちるフェリシアを。 そしてその奥、髪を払いながらふらふらと立ち上がろうとしている一真を見つめた。
(これで……終わりか)
どこで狂ったのか、フェリシアという極上の器に魅せられ手を出したからか。 それとも、あの男を過小評価していたせいか。 世界を知ろうとせず、ただ己の呪いを叩きつけることしかしてこなかったからか。
「クフ……カハハハハハハハハハハハ!そんなわけがなかろうが!」
止めどなく溢れる血で喉がつかえそうになりながらそれでもアヤリは嗤う。
「本当に良い生よ!儂は呪い!儂は人の無価値を愛する人の形!」
何一つ、憚ることはなく。 己の在り方をただただ貫き通した者だけが持てるどこまでも揺らぎない最後の自負を抱え。 形代 アヤリは人の形を呪う者としての在り方に一切の濁りなくその活動を停止した。
◇
一真は髪の毛の海をかき分けながら脱出してフェリシアの元に駆け寄った。 息を荒げ胸を抑えているフェリシアに手を差し出す。
「良かった無事で、大丈夫?」
「……っ!」
パシリと腕がはたかれる。 フェリシアは無表情にこちらを見上げていた。
「どうして来たの?」
一切の感情が削ぎ落された底冷えするような声だった、それこそ呪いをかけるかのような言葉。
「どうしてって、その、フェリシアが一人で行ったって知ったからいてもたってもいられなくて」
「余計なお世話よ、あなたが来たからって何ができるわけでもない。さっきのは運が良かっただけ、死んでてもおかしくないのよ?馬鹿じゃないかしら」
早口でまくし立てるようにぶつけられる蔑んでいるような憐れんでいるかのような言葉。
「……ごめん」
「――ふざけないで!」
疲労困憊だろうに勢いのままに立ち上がるフェリシア。 その顔に明確な怒気をにじませて挑むように睨んでくる。
「ごめんって何よ!もっと責めて罵ればいいじゃない!勝手に一人で行って、負けて、死にかけてあなたに助けられた負け犬よ私は! 自分一人じゃどうにもできなかった無様な魔法使いもどきよ!」
それは一真を責めているというより自分自身を切り刻むかのような怒声だった。 理由はわからない、だがフェリシアは誰よりも自分の失態を恨んでいる。
「なんで助けに来たの?私なんて放っておけばよかったのに。消えれば厄介な同居人も消えて清々するでしょうに」
むっとした顔になったのがわかる。 なんでそんなに自虐に走るのか、追い詰めるのかはわからない。 それに対してなんと返すべきかもわからなかった。 だけど、それだけは違うとはっきり言える。
「君が厄介だなんて、思ったことは一度もないよ。死んで清々するなんて考えたくもない。 そもそも、はじめて君が助けてくれなければもっとひどいことになっていたかもしれないじゃないか」
そうだ、はじめて彼女に助けられた時からその恩を忘れたことはない。 放っておいてもよかったはずなのに手を差し伸べてくれた気高さを疑ったことはないのだ。
「……違う、違うのよ。あれはあなたを助けたわけじゃない。あれは……」
苦悩の表情でフェリシアは目をギュッと閉じる、白い手がさらに深く白に染まるまでその手を握りしめる。
「それに、あの時もあなたなら一人で切り抜けられた。あなたの体質なら下級の霊や妖精は手出しすらできない。 私はただ、無駄なことをして、ありもしない恩を売ってあなたの善意に寄生しているだけなのよ」
自嘲するように笑うフェリシア、どこまでもらしくないその姿に本当にどうすべきなのかわからない。
沈黙が下りる、お互いに声を発せないまま気まずい空気が流れる。
そんな静寂を切り裂く足音が地下空間に響いた。 ぽっくりと、どこか心地よいリズムが刻まれていく。
フェリシアは地下空間の入り口とは真逆の闇を凝視する、一真も息をのんで落としていた短刀を拾って構えた。
揺らめく炎に手らされて臙脂色の小紋に身を包んだ少女が姿を見せる。 見紛うはずもない――その姿は間違いなく先ほど命を散らした少女と同一。 思わず壁際で目を見開き満足げな笑みで死んでいる少女に視線を向けた。 傷ついてなければ二人の少女が並んでいた時に見分けることは困難だったろう。
双子だってもう少し差異があってもよさそうなものだ。 フェリシアもさっきまでの自虐の色を完全に消して鋭い目を少女に向けていた。
呼吸をさらに荒くしながらそれでも魔力を練ろうとしているのか。 歪んだ魔法陣が宙に描かれようとしている。
「よせ、争う気はない」
まだ幼さを残す、しかしてその姿からは想像もできないほどに成熟した落ち着いた声が響く。 先ほどの少女は狂気的な無邪気が全面に出ていたがこちらは一切の揺らぎがない。 まるで達観した僧侶か何かのような立ち居振る舞い、幼い声とのギャップに頭が混乱する。 少女はこちらに一瞥をくれるとそのまま壁際の己の元に足を運んだ。 傍らにしゃがみ込みその顔を覗き込む。
「――哀れ、しかして確かに見届けた。己が何を思おうとも、お主は確かに人であったと儂だけは認めよう。その罪を背負うべきは儂よ、安心して眠るがよい」
少女はそっと瞼に手を添えて下ろしてやった。 立ち上がり改めてこちらに向き直り近づいてくる。
「止まりなさい、何者なの?あなたもアヤリなの?」
フェリシアの緊張した声が少女の足を止めた。 お互いに会話できる距離で深々と頭を下げる。
「その通りよ。儂は形代家二十三代目当主、形代
少女――綾理は全ては自分の責任だと悔やむように目を伏せた。
「説明なさい、全てを」
「ああ、話そう。お主たちには聞く権利がある」
◇
形代家は代々、人形技師を輩出する家系であった。 その歴史は千年以上前に遡る、平安時代よりひたすら人を模ることを追求し続けた一族。 その目指すべき最終到達点は人そのものを模ることであった。
それは人間そのものを作ることに等しい、動き考え心を持つ人形を目指しあらゆる知識や技術を貪欲に追求し続けた。 公的な歴史より二百年は早く外科という概念に手を出し、影幻界に対しても積極的に関りを持つ。
表と裏からひたすら人という形を解剖し、作り上げ、より近づけていくことを目指したのだ。
「つまり、あなた達はその到達点に至ったということなのね」
フェリシアは静かにその事実を口にする。
「そうじゃ、人そのものを形作る技術自体は今から三百年ほど前にはすでに至っておったと記録にある。しかし、それを体現する技師が生まれなんだ」
人そのものを模るための素質。 観察眼、感性、繊細さ、知識や技術への理解と習熟、そして精神的な安定性。 その全てを兼ね備える後継者は長らく生まれ得なかったが、今代において綾理がそれを成し遂げる。
「その悲願に儂は手をかけた」
そこには自負も偉業を成し遂げた達成感も何もない、ただ純粋に事実を告げるだけの平坦な声音。 わずか十一という若さで形代が積み重ねてきた全てを吸収し、出力することが可能な天才。
それが、形代 綾理という少女の正体だった。
「じゃあ、あのアヤリちゃんは本物の人間じゃなくて、人形だったってこと?」
一真には信じられなかった、彼女とは一度、遊園地で会っている。 つないだ手は人と同じように柔らかく熱を帯びていた。 変わった子だとは思ったが人ではないなどと言われてもとても受け入れられない。
「信じられないようなことでも、それが事実なのでしょう。それで、あなたは自分自身を作ったのね?」
フェリシアの確認に綾理は顔を険しく歪ませて首を振った。
「正確には作ろうとした、じゃの。条件が整い儂は形代の全てをもってまず最も精通している儂を模った。成功したと思ったのじゃ、記憶から何まで全ては同一であった。形代 綾理という形は間違いなくできておった」
綾理は瞼を閉じて暗闇を見つめる、かつての映像を想起する。
目覚めた綾理はしばらくの間は特に問題なく稼働していた、身体機能に異常はなく記憶や精神の断裂もない。 同一性といったものにさしたる執着もない綾理はそれもあって自分自身を模る対象として選んだのだ。 問題など起きようはずもなかった、形代の悲願は達成され、綾理は一つの果てに至ったと確信した。
だが、徐々に何かが狂っていった。
「アヤリは精神が安定しなくなっていった、自分自身が作られた存在だということに苦悩するようになっていったのじゃ。 自分を人だと、どうしても認めることができず、この世界に根付いていないという空虚感を抱いていたようじゃった」
無意味、無価値、己の生には何もないと悟ったアヤリは決定的な崩壊に至る。 彼女は人であることをやめ、人形であることにアイデンティティを見出した。
人を模るもの、すなわち呪いであることこそ我が意義であると宣言した。
「奴はまず、儂に呪いをかけて眠らせた。意識だけは覚醒していながら体は深く眠りにつかされた儂には何もできなんだ。そこからはお主らも概ね知っておる通りじゃ」
アヤリは街に出て人を見繕い、その側を模って本人にぶつけて楽しんだ。 アヤリと同じように、作られた己という自我を植え付けられた人形が本人を殺しに行く。 顔を潰すのは己こそ真実であると思い込むため、そんな幻想に狂っていく者達を嗤い続けた。
「奴は見せつけるように語るのじゃ、こんな人間がこんな無様に殺されて何の意味もなく死んでいくのじゃと。己というものに執着する哀れな肉袋、無価値の極みじゃと」
自己という在り方に隔離され最後には孤独に死んでいく、それが何とも滑稽だとアヤリは証明するかのように非道を繰り返した。 「双子のドッペルゲンガーの片割れに体を与えたのもその延長よ。己という在り方に執着し、互いを呪い合った双子はアヤリから見ればさぞ極上の無価値と孤独の坩堝であったろう」
形代 アヤリはどこまでも人の無価値と孤独を嘲笑う呪いだった。 それだけが彼女を世界につなぎとめるための狂気だったのだ。
「そして、お主に目を付けたのじゃよフェリシア。高潔な人間が呪いに満ちる、奴にとっては何か執着する理由があったのであろう。 強い者、美しい者、気高い魂が呪いに屈した時。それは奴にとっては極上の意味を持ったのであろうよ」
綾理は痛まし気に目を伏せた。
「奴に罪はない、全ては形代の妄執。そしてそれを形にしてしまった儂に責がある。人形技師として儂はその技術を体現したいという欲を抑えられなんだ。その結果、奴のような存在を生んでしまった」
多くの犠牲者を生んでしまったのだと、その全てを小さな体で受け止めている。
「何が足りなんだか、何があ奴を呪いへと変えてしまったのかわからぬ。じゃが形代の技術は不完全ということじゃろう。真に人を模るなど、人の身では不可能じゃった。 結局、人形技師は人形技師以上にはなれぬ。形を模るまでが限界よ。ここが形代の終着点ということなのじゃろうて」
形代は、人形技師は所詮は側を模すだけの存在だと自嘲気味に笑う綾理。 しかして決してアヤリを人形とは呼ばなかった。 全ては未熟な人の身で神のごとき振舞いをした我らの愚行がアヤリを呪いへと変えてしまったのだと。
一真にはその様がひどく誠実で、故に残酷に映った。 その天性の才からまだ幼い少女が大きな過ちを背負うことになってしまった。 だけど、それから目を逸らさずに全て受け止めようとする姿に一人の人間として敬意を表さずにはいられない。
対して、フェリシアは難しい顔で話を咀嚼していた。
「ねえ、あなたにとって人形技術とは何?なぜ人を模ることを目指すの?」
アヤリは言った、人が人を模るのは人形を呪うため、転じて人を呪うためだと。 それが形代 アヤリの在り方であり根幹であったのだとフェリシアは察している。
ならば、本物の綾理は何を思うのか。
その答え次第では、ここでこの少女を討つことも覚悟しなければならない。 一真は何となく、フェリシアが凄惨な覚悟を決めようとしていることを察して息をのむ。
そして、フェリシアの問いかけに綾理はどこまでも誇り高く笑んだ。
「決まっておろう、人が人を模るのは人を超えるため、人を戒めるため、つまりは理想を目指すためよ。 そういう意味では確かに呪いじゃろうて。常にまだ見ぬ地平を目指すべきという妄執に囚われた人の性よ」
それでも、その生き方に一片の揺らぎも持たぬと綾理は真っすぐに前だけを見ていた。
フェリシアは大きく息を吐く。
「そう、ならもう二度と同じ失敗はしないことね」
「言われるまでもないわ。罪も咎も、その全てを抱えて儂は先へ進む。形代は終着したのかもしれんが、儂の生き様はまだこれからよ」
緊張は霧散する、全ては終わったのだと一真もようやく息を継いだ。
◇
地下の空間、形代の工房から這い出てきた一行。 緊張が解けると屋敷に充満する死の匂い、蛆や蠅の群れがひどく一真の精神を削り取る。 綾理もさすがに顔をしかめて裾で鼻を覆っていた。
「これは、本当に気の毒なことをしたな。きちんと弔ってやらねばなるまい」
「一人じゃ大変でしょ、よければ手伝おうか?」
この屋敷の惨状をいくら達観しているとはいえ少女一人で何とかするのは無理だろう。 あるいは人形を使えばできるのかもしれないが完全に綾理に背負わせるだけなのは気が引けると提案したのだが。
「いや、構わぬ。この手の後始末を専門とする者達がおるでな、そちらに依頼して手伝ってもらうつもりじゃ。お主たちにこれ以上、迷惑はかけられぬよ。気遣いには感謝する」
ああと納得した。
影幻界というものとそれを取り巻く勢力なりがいることは何となく察している。 やはりそういう仄暗い隠蔽や後処理を行う者達もいるのだろう。
そのまま玄関まで戻ってようやく外の空気を目一杯吸い込んだ。
「……とりあえず、魔法使いとして今回の首謀者は討ち取ったということにしておくわ」
フェリシアは箒を回収して綾理に告げると、さっさと正門に向かって行ってしまう。
「それじゃあ、綾理ちゃんでいいかな?何かあったら僕で良ければ頼ってくれていいから。まあ、何もできないかもしれないけど、話し相手ぐらいならなんとかできるかもしれないし。 僕の家はたぶん知ってるよね?いつでも遊びに来ていいからね」
綾理ちゃんは思わずという感じに吹き出して慌てて口を覆った。
「本当に、お主は何と言うか素朴なお人じゃな。あいわかった、ならば遠慮なくそのうち話相手にでもなってもらおうかの。それまで、死ぬでないぞ。体も心もな」
そう言って手を小さく振る綾理ちゃんに軽く手を振り返し慌ててフェリシアの後を追う。
潜り戸を通って階段を下り家までの道をゆっくり歩いていく。 フェリシアはどこかまだふらりとした頼り気のない足取りで、それでも毅然と前を向いてただ進む。 何も声をかけられないままその少し後ろを歩くしかない、地下空間での拒絶はいまだに尾を引いていた。
何もできることがなくて手持ち無沙汰に空を見上げる。 散漫に瞬く星々に手を伸ばしてみた、当然だけど掴むことはできない。 近くにあるように見えるのに、手の中に収まりそうに思えるのに、その距離はどこまでも遠い。
フェリシアも同じ輝ける星。 近いようで遠い、平凡な自分とは隔絶したその在り方。 凄惨な世界の中できっと多くの悪意にまみれてきただろうに、それでも気高くあろうとすることを諦めない魔法使い。 この手は彼女の心には届かないのかもしれない、そんな諦めにも似た考えが頭をよぎる。
それを振り払おうとして。
「……さっきは、ごめんなさい」
その前に、フェリシアのぽつりとした言葉が夜闇に溶けた。
「助けてもらったのにひどい態度をとったこと、謝るわ。……私ね、焦ってたの」
その言葉は我慢したくてそれでも思わず出てしまったというような苦渋に満ちた声だった。
「表側の世界で穏やかな日常を誰かと過ごすなんてことはなかった。あなたみたいに影幻界に巻き込まれた人と関係を持ったこともあるけれど、大抵は精神が崩れて悲惨な末路を辿る。あるいは裏側に染まって取り込まれてその住人となるか。それが普通なの」
それはフェリシアがこれまで歩んできた道から得た実感なのだろう。
影幻界は人には毒となる。 心を狂わせる非日常、あるいは魅了する幻想。 どちらにせよ、人は影幻界の魔力から逃れることはできないのだと。
「だけど、あなたは違った。あなたは世界の裏側を知って、その世界に足を踏み入れて。それでも変わらず日常を歩いていた。 とても強い人よ、力ではなく心が。私は、あなたのような人に会ったことはない」
いつもの澄まし顔も、強がりも何もない。 ただ素直な言葉が紡がれる。
「正直、楽しかった。あなたに導かれて過ごす日常は新鮮だった。だけど、だからこそ恐ろしい。 魔法使いとして立てなくなることが、一人で立って戦うことができなくなることが。私は弱くなった」
あの無様がその証明だとフェリシアは自嘲気味に笑う。 それは、はじめて聞いたフェリシアの弱音だった。
「だから、終わりにしましょう。」
振り返ったその顔は笑顔で、どこか無理しているようで。
「あなたの家を出ていくわ。それで終わり、あなたは日常に戻りなさい。心配いらないわ、あなたの体質ならよほどのことがない限り問題はない。 影幻界の存在と目を合わせるのはもうやめなさい、何が起こっても無視しなさい。あなたが何もしなくても、誰かが処理してくれるから」
「……そんなこと、できない」
見えているのならきっと自分は止まれない。
「それに、フェリシアの仕事を手伝うって言ったじゃないか」
「もう十分、手伝ってもらったわ。こうして命まで救われた。あなたが助けられた恩を感じて手伝ってくれているのなら、もう貸し借りはない」
もう決めているのか、フェリシアは何かを引きちぎるような笑顔を崩さない。
「私がこの街に来た理由でもある大仕事がまだ残っているから、しばらくは学校には通うことになるでしょう。 けれど、もう関わらないで。あなたはあなたの日常を生きなさい。私とあなたは、決して交わらない。これまでの時間は泡沫夢幻の
フェリシアは箒にまたがって宙に浮かぶ。
「さようなら、能 一真。私のことは忘れてね」
それだけを告げてあっさりと、フェリシアは夜の闇へと飛び立っていく。 本当に星にでもなってしまったかのように手の届かない場所へ。
自分は引き止めることができなかった。 引き止める理由があるのか、今は見えていなかった。