元アイドルの赤ペン配信 作:ひまんちゅ
彼女の名前は、もう芸名では呼ばれない。
かつて、トップグループのセンター候補とまで言われた元アイドル――
今はただ、配信サイトの片隅でカメラを回すだけの一人の女の子だ。
「今日は、ダンス確認からやるね」
画面の向こうで、彼女は当たり前のように言った。
視聴者数は一万を超えている。
現役時代より少ない。
だが、濃度は比較にならない。
タイトルはいつも同じ。
【レッスン配信】現役じゃないけど、本気でやる日
音楽が流れる。
その瞬間、コメント欄が止まる。
部屋は簡素だ。
白い壁、鏡、マット。音響も簡易的。
ライブ会場のような照明もない。
なのに。
――重心の移動が、空気を裂く。
足音が、呼吸と一致している。
首の角度、指先の伸び、腰の切り返し。
元トップアイドルだった、という言葉では足りない。
知っている人間なら、誰もが思う。
いまでも、トップだ。
曲が終わる。
彼女は息を整えながら、カメラに近づく。
「うん。全然ダメ」
コメント欄が一斉に動く。
え?
どこが??
今のやばかった
泣いた
いや完璧なんだが
彼女は笑わない。
「0:03、入りの左肩。下がりすぎ。
0:07、軸ぶれてる。
0:11、目線が甘い。
0:15、ターン前の予備動作が大きい。
0:19、呼吸音入ってる。無駄」
彼女は録画を再生しながら、止める。
1秒ごとに止める。
赤いペンツールで、画面に書き込む。
「ここ、膝が逃げてる。
ここ、指が死んでる。
ここ、重心落ちてる。
ここ、表情作りすぎ」
赤、赤、赤。
画面が真っ赤に染まっていく。
数十。
百。
二百。
視聴者の心臓が締め付けられる。
そんなにダメじゃない
自分に厳しすぎる
心配になる
休んで
でも勉強になる
彼女はコメントを読む。
「心配してくれてありがとう。でもさ、これ普通だよ?」
少しだけ、遠い目をする。
「現役のときは、もっと言われてた。
言語化されないダメ出しの方が、怖いんだよ」
彼女がアイドルを辞めた理由は、公式には「体調不良」。
本当は、重圧だった。
ランキング。
数字。
センター争い。
笑顔の裏の評価。
“期待”という名の鉛。
潰れたわけじゃない。
壊れたわけでもない。
ただ、ある日思った。
――私、歌うの好きだっけ?
それだけだった。
辞めた。
でも。
歌もダンスも、やめられなかった。
だから、配信を始めた。
「惰性で見てくれていいよ」
彼女は最初の配信で言った。
「未練だから。これ」
それでも、集まったのは
“惰性”じゃない人たちだった。
彼女は私生活を隠さない。
朝のストレッチ。
ボイトレ。
コンビニに行く様子。
深夜の筋トレ。
食事管理。
眠れない夜。
全部流す。
配信時間は、日によっては12時間を超える。
「プライベート? 別にいらないかな」
そう言って笑う。
現役時代は、裏の努力を見せなかった。
努力は商品じゃない、と思っていた。
でも今は違う。
「綺麗なところだけ見せるの、やめた」
弱音も吐く。
「今日ちょっと自信ない」
「声出ない」
「昔の映像見ると、やっぱり悔しい」
全部、言う。
彼女は自分に課している。
心の中で思ったことは、全部口に出す。
だから辛辣だ。
他人なら絶対言わない言葉を、自分に言う。
「今の表情、気持ち悪い」
「甘えてる」
「逃げてる」
「この程度で満足してるの最悪」
コメント欄が痛む。
だが――
翌週。
その指摘は、消えている。
修正されている。
さらに洗練されている。
ファンは気づく。
彼女は自分を傷つけていない。
削っているだけだ。
彫刻のように。