元アイドルの赤ペン配信 作:ひまんちゅ
削り続ける人たち
ドームライブから、三ヶ月。
世界は変わった。
少なくとも、外から見れば。
ニュース。
特集番組。
雑誌の表紙。
ネット記事。
インタビュー。
ランキング特集。
「配信からドームへ」
「新時代のステージ」
「境界を越えた二人」
「時代が選んだアイドル」
そんな言葉が並ぶ。
写真も使われる。
大きな会場。
光の海。
埋め尽くされた客席。
ステージの中央に立つ二人。
どれも綺麗だ。
どれも眩しい。
どれも、いかにも“成功”という顔をしている。
---
だが。
白い壁は変わらない。
鏡。
マット。
固定カメラ。
床に置かれた水。
隅に寄せられた荷物。
ライブのための部屋ではない。
見栄えのための空間でもない。
ただ、削るための部屋。
配信タイトル。
> 【赤ペン】今日も削る
通知が飛ぶ。
いつものように、すぐ人が集まる。
コメント欄が流れる。
帰ってきた
ただいま
ここがホーム
結局ここなんだよ
安心する
元トップアイドルは、いつものようにストレッチしている。
首を回す。
肩を回す。
脚を伸ばす。
息を吐く。
その動きに、無駄がない。
ドームを終えたあとでも、変な昂りは残っていない。
現役アイドルが笑う。
「ドームからの赤ペン」
元トップが前屈しながら答える。
「うん」
「順番おかしい」
元トップは肩を回す。
「順番とかない」
「普通さ、もっと余韻とかあるじゃん」
「余韻はあるよ」
「あるんだ」
「でも、別」
---
音楽が流れる。
聞き慣れたイントロ。
大舞台のための豪華なアレンジではない。
この部屋で何度も使ってきた、身体の癖まで染みついた音。
二人で踊る。
動きは、前よりさらに揃っている。
ほんの少しの目線。
重心の移動。
腕の角度。
足を出すタイミング。
前なら言葉で合わせていたものが、今は呼吸だけで重なる。
観客はいない。
でも。
コメントが歓声の代わりだ。
揃いすぎ
気持ちいい
二人の呼吸やばい
ここまで来てもまだ上手くなるのか
画面越しでも分かる。
二人の踊りは、前より静かで、前より強い。
---
踊り終わる。
元トップアイドルが動画を止める。
巻き戻す。
一瞬だけ再生する。
また止める。
「0:09」
現役が言う。
「やっぱり来た」
「腰」
「また?」
「ちょっと浅い」
「十分じゃない?」
「十分は嫌」
現役が笑う。
「ドームのあとでも赤」
「ドームのあとだから赤」
「それ同じ?」
「違う」
コメント欄が流れる。
安心した
これが二人
ブレなさすぎる
ここまで来てもそこ見るんだ
元トップは、鏡を見る。
自分の動き。
自分の癖。
自分の甘さ。
称賛より先に、修正点が目に入る。
それは昔から変わらない。
たぶん、これからも変わらない。
---
少しして。
雑談タイム。
水を飲みながら、床に座る。
息はもう整っている。
現役アイドルが言う。
「最近さ」
「うん?」
「街で声かけられる」
「私も」
「何て言われる?」
元トップが少し考える。
視線だけ上に向ける。
「“配信見てます”」
現役が笑う。
「ライブじゃなくて?」
「ライブも」
少し間。
「でも配信」
「分かるかも」
「うん」
「ライブで知って、配信に戻ってくる人、増えたよね」
「増えた」
コメント欄が流れる。
それ私
ドームで知って配信来た
逆に配信見てライブ行った
どっちも好き
---
元トップアイドルは、鏡を見る。
映るのは、自分ひとりではない。
隣には現役アイドルがいる。
同じ部屋。
同じ距離。
同じ温度。
少しだけ昔を思い出す。
ランキング。
センター争い。
数字。
比較。
プレッシャー。
勝たなければいけなかった日々。
立ち止まることが許されなかった場所。
上にいるほど、下を見られなくなる感覚。
でも。
今は違う。
配信。
赤ペン。
白い壁。
戦友。
競うためではなく、削るために立つ場所。
誰かに勝つためではなく、自分を誤魔化さないための時間。
それが、今の彼女のステージだった。
---
コメント欄に流れる。
昔からファン
最近知った
人生変わった
この配信に助けられた
頑張ろうって思える
元トップは言う。
「なんかさ」
「うん?」
「配信がステージで」
「うん」
「ステージが配信みたい」
現役が笑う。
「分かる」
「ドームでも、カメラの向こう側感じた」
「コメント見えないのにね」
「見えないのに、分かる」
「変な感覚」
「うん」
現役は少しだけ真面目な顔になる。
「でも、たぶんそれって」
「うん?」
「ずっとこの部屋でやってきたからだよ」
元トップは少し黙る。
「かもね」
---
そのとき。
コメントが流れる。
次のライブいつ?
また大きい箱ある?
ツアーしてほしい
地方来て
元トップが肩をすくめる。
「またそれ」
現役が笑う。
「答えようよ」
「何て」
現役がカメラを見る。
「気が向いたら」
コメント欄が笑う。
言い方
雑すぎる
でも好き
やりそうなのが困る
元トップも少し笑う。
「雑」
「でも嘘じゃない」
「まあね」
---
元トップアイドルが言う。
「でも」
少し間。
いつもより少しだけ、声が柔らかい。
「またやる」
コメント欄が、一瞬だけ止まる。
「なんで?」
現役が聞く。
元トップは少し考える。
昔なら、責任とか。
期待とか。
役目とか。
そういう言葉を選んだかもしれない。
でも。
今は違う。
そして言う。
「楽しいから」
短い言葉。
それだけなのに、妙に静かに響く。
コメント欄が流れる。
それが一番いい
泣きそう
よかった
楽しめてるのがうれしい
現役アイドルが笑う。
「健全」
「たまには」
「たまにじゃ困る」
---
配信の最後。
二人で踊る。
最初の一曲より、少しだけ力が抜けている。
でも、雑ではない。
むしろ、余計なものが削れている。
ライトは少ない。
観客はいない。
拍手もない。
でも。
この部屋には、いつも空気がある。
音楽が流れるたびに生まれる空気。
二人が呼吸を合わせることで満ちる空気。
画面の向こうから返ってくる、見えない熱。
狭い部屋なのに、不思議と息苦しくない。
ここはたぶん、箱の大きさでは測れない場所だ。
---
配信終了。
画面が暗くなる。
音が消える。
最後に残るタイトル。
> 【赤ペン】今日も削る
世界が変わっても。
箱が大きくなっても。
名前が広がっても。
彼女は、変わらない。
今日も。
白い壁の前で。
鏡の前で。
自分の甘さを見逃さず。
戦友と一緒に。
削り続けている。