元アイドルの赤ペン配信   作:ひまんちゅ

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匿名の夜

 ライブが終わる。

 

 照明が落ちる。

 

 歓声が、ようやく遠くなる。

 

 控室のドアが閉まった瞬間、

彼女はようやく息を吐いた。

 

「お疲れさまでしたー」

 

 スタッフの声。

 メンバーの笑い声。

 

 全部に、ちゃんと応える。

 

 笑顔も、言葉も、完璧に。

 

 それが仕事だ。

 

 シャワーを浴びる。

 

 メイクを落とす。

 

 髪を乾かす。

 

 スマホを手に取る。

 

 毎日同じ流れ。

 

 でも、その日は少し違った。

 

 控室で、誰かが言っていた。

 

「最近さ、変な配信あるよね」

 

「元アイドルのやつ?」

 

「そうそう、めっちゃうまいやつ」

 

 そのときは、軽く流した。

 

 “元アイドル”なんて、いくらでもいる。

 

 ホテルに戻る。

 

 ベッドに座る。

 

 スマホを開く。

 

 なんとなく、検索する。

 

 出てきた。

 

 切り抜き動画。

 

 タイトル。

 

【異次元】元トップアイドルの自己添削が怖すぎる

 

「……怖すぎるって何」

 

 少し笑う。

 

 再生する。

 

 踊っている。

 

 部屋は狭い。

 

 白い壁。

 

 鏡。

 

 音も軽い。

 

 でも。

 

「……え?」

 

 指が止まる。

 

 目が離れない。

 

 体の使い方が、違う。

 

 重心の移動。

 

 抜き方。

 

 力の残し方。

 

 そして。

 

 終わったあと。

 

「全然ダメ」

 

 そう言って、動画を止める。

 

「0:03、肩落ちすぎ

 0:05、目線甘い

 0:07、軸ブレてる」

 

 赤い線が入る。

 

 どんどん入る。

 

 どんどん。

 

 どんどん。

 

「……嘘でしょ」

 

 思わず声が出る。

 

 それ。

 

 全部、分かる。

 

 全部、合ってる。

 

 でも。

 

「そこまで言う?」

 

 そこまで、言葉にする?

 

 そこまで、自分に言う?

 

 動画が続く。

 

 彼女は止まらない。

 

「ここ逃げてる

 ここ甘い

 ここ無駄」

 

 迷いがない。

 

 ためらいもない。

 

 ただ、削っている。

 

 現役アイドルは、スマホを握る。

 

 自分のライブを思い出す。

 

 さっきのステージ。

 

 完璧だった。

 

 そう言われた。

 

 でも。

 

「……ここ」

 

 動画を見ながら呟く。

 

「私もやってる」

 

 同じミス。

 

 同じ逃げ。

 

 でも。

 

 誰もそこまで言わない。

 

 言えない。

 

 コメント欄が流れる。

 

厳しすぎる

でもすごい

 

 現役アイドルは、指を止める。

 

 打とうとする。

 

 やめる。

 

 また打つ。

 

 やめる。

 

「……無理」

 

 呟く。

 

 このアカウントでは、書けない。

 

 自分の名前で書いたら、終わる。

 

 でも。

 

 言いたい。

 

 分かる。

 

 それ、違う。

 

 それ、もっとこう。

 

 新しいアカウントを作る。

 

 名前は適当。

 

 プロフィールも空。

 

 フォロワーゼロ。

 

 もう一度動画を見る。

 

 0:13。

 

 止める。

 

 指が動く。

 

踵が早いから軸流れてるんじゃない?

 

 送信する。

 

 心臓が跳ねる。

 

「……やった」

 

 画面を見る。

 

 数秒。

 

 反応がない。

 

 配信の中で。

 

 彼女が止まる。

 

「……うん」

 

 動画を巻き戻す。

 

「踵が早い。だから軸が前に出る」

 

 赤が修正される。

 

 現役アイドルは、息を止める。

 

「……通った」

 

 コメントが流れる。

 

誰?

玄人

すごい

 

 そのまま、画面を見続ける。

 

 配信は続く。

 

 彼女は、また赤を入れる。

 

 また削る。

 

 現役アイドルは、スマホを握る。

 

 そして、思う。

 

 もし。

 

 この人が、現役だったら。

 

「……勝てない」

 

 でも。

 

 それと同時に。

 

 違う感情が、少しだけ浮かぶ。

 

「……一緒に踊りたい」

 

 画面の向こう。

 

 白い壁の前で。

 

 誰にも見せないはずの努力を、全部見せている人。

 

 現役アイドルは、もう一度コメント欄を開く。

 

 指を置く。

 

 次の一行を、打ち始める。

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