元アイドルの赤ペン配信   作:ひまんちゅ

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現役の後輩が来た日

 > 【見学】今日は後輩が来ます

 

 配信タイトルを見て、コメント欄がざわついた。

 

 > 後輩?

 > 誰の?

 > 現役ちゃんの後輩?

 > まさか新人?

 > 白い部屋に新人は危険

 > 赤ペン洗礼回

 

「洗礼じゃない」

 

 元トップアイドルは、カメラの前でそう言った。

 

 いつもの部屋。

 白い壁。

 鏡。

 マット。

 床の水。

 三脚。

 

 そして今日は、椅子が一つ多い。

 

 現役アイドルは、床に座ってストレッチをしている。

 その横で、少しだけ落ち着かなさそうにしていた。

 

「緊張してる?」

 

 元トップアイドルが聞く。

 

「私じゃないよ」

 

「でも顔が硬い」

 

「後輩が来るから」

 

「守ってる」

 

「それ今言う?」

 

「言う」

 

 現役アイドルは、小さく息を吐いた。

 

 コメント欄が笑う。

 

 > 先輩してる

 > 守ってる先輩

 > 現役ちゃんが緊張してる

 > かわいい

 > 後輩ちゃん大丈夫かな

 

 インターホンが鳴った。

 

 コメント欄が止まる。

 

「来た」

 

 現役アイドルが立ち上がる。

 

 いつものステージ上の立ち姿とは違う。

 でも、どこか背筋が伸びている。

 

 先輩の顔だった。

 

 ドアが開く。

 

「失礼します!」

 

 声が大きかった。

 

 すぐに、本人がそれに気づいたらしい。

 

「あっ、すみません……」

 

 小さくなる。

 

 部屋に入ってきたのは、まだデビューして間もない新人アイドルだった。

 

 小柄で、目が大きい。

 髪はきちんとまとめている。

 服装も、明らかに「ちゃんとしてきました」という感じがする。

 

 しかし。

 

 足が、微妙に震えていた。

 

「こんばんは」

 

 元トップアイドルが言う。

 

「こ、こんばんは!」

 

「そんな固くなくていいよ」

 

「はい!」

 

「固いね」

 

「すみません!」

 

 コメント欄が一気に流れる。

 

 > かわいい

 > 新人だ

 > 声が震えてる

 > 白い部屋怖いよね

 > ここに初見で来るの無理

 

 新人アイドルは、カメラの方を見て、さらに固まった。

 

「こ、これ、配信中ですよね」

 

「うん」

 

「何万人か見てますよね」

 

「うん」

 

「帰っていいですか」

 

「いい感性」

 

 元トップアイドルが言う。

 

 現役アイドルが笑った。

 

「大丈夫。ここ、怖い場所じゃないから」

 

「怖いです」

 

 即答だった。

 

 コメント欄が笑う。

 

「先輩がいつも赤ペン入れられてる場所ですよね」

 

「そう」

 

「怖いです」

 

「正しい」

 

 元トップアイドルは頷いた。

 

「正しいんですか」

 

「怖いものを怖いって言えるのは大事」

 

 新人アイドルは、少しだけ目を丸くした。

 

 その言葉は、予想していなかったらしい。

 

「座って」

 

 現役アイドルが椅子を指す。

 

「はい」

 

 新人は、ぎこちなく座る。

 

 背筋が伸びすぎている。

 膝が揃いすぎている。

 手が膝の上で固まっている。

 

「面接?」

 

 元トップアイドルが言う。

 

「違います!」

 

「じゃあ崩して」

 

「崩す……」

 

 新人は困ったように現役アイドルを見る。

 

 現役アイドルは、少し笑った。

 

「ここでは、ちゃんとしすぎなくていいよ」

 

「でも、配信で」

 

「配信だから」

 

 その言葉に、新人は首を傾げる。

 

 現役アイドルは、少し考えてから言った。

 

「ステージだと、ちゃんとしなきゃいけないでしょ」

 

「はい」

 

「ここも見られてるけど、少し違う」

 

「違う……」

 

「見せる場所だけど、守る場所じゃない」

 

 新人は、うまく理解できないという顔をした。

 

 元トップアイドルは、それを見て少し笑う。

 

「分かんないよね」

 

「すみません」

 

「私も最初分かってなかった」

 

 現役アイドルが言う。

 

「え」

 

 新人は、本気で驚いた顔をした。

 

「先輩でもですか」

 

「うん」

 

「先輩は、ずっと完璧なので」

 

「それ、危ない言葉」

 

 元トップアイドルがすぐ言った。

 

 新人の背筋がさらに伸びる。

 

「あっ、すみません!」

 

「怒ってない」

 

「すみません!」

 

「怒ってないって」

 

 現役アイドルが苦笑する。

 

 元トップアイドルは、鏡の方を見る。

 

「完璧って言われると、逃げ場なくなるから」

 

 部屋が少し静かになった。

 

 新人は、言葉を探す。

 

「あの」

 

「うん」

 

「私、先輩のライブを見て、アイドルになりたいと思ったんです」

 

 現役アイドルは、少し目を伏せた。

 

 新人は続ける。

 

「でも、この配信を見るようになってから、少し怖くなって」

 

「怖く?」

 

「はい」

 

 新人は、自分の手を見る。

 

「先輩でも、こんなに直してるんだって思って」

 

 コメント欄が静かになる。

 

「元トップさんも、全然ダメって言うし」

 

「言うね」

 

「先輩も、守ってるって言われるし」

 

「言われるね」

 

「じゃあ、私は何なんだろうって」

 

 声が、小さくなる。

 

「私なんかが、ステージに立っていいのかなって」

 

 現役アイドルは黙った。

 

 元トップアイドルも、すぐには言わなかった。

 

 白い壁の前に、少し重い空気が落ちる。

 

 それでも、配信は切られない。

 

 コメント欄は、ゆっくり流れている。

 

 > 分かる

 > 怖いよね

 > 新人の頃はそうなる

 > でも来たのすごい

 > 言えたのえらい

 

「踊る?」

 

 元トップアイドルが言った。

 

 新人は、目を見開いた。

 

「今ですか」

 

「うん」

 

「無理です」

 

「じゃあ、やろう」

 

「えっ」

 

「無理って言ったから」

 

 新人は助けを求めるように現役アイドルを見る。

 

 現役アイドルは、少しだけ申し訳なさそうに笑った。

 

「ここ、そういう場所」

 

「先輩……」

 

「大丈夫」

 

 現役アイドルは立ち上がる。

 

「最初、一緒にやる」

 

 新人の顔が、少し変わった。

 

「一緒に?」

 

「うん」

 

「でも、私、絶対ズレます」

 

「ズレていい」

 

「間違えます」

 

「間違えていい」

 

「赤、入りますよね」

 

 元トップアイドルが、赤ペンを持ち上げる。

 

「入る」

 

 新人が青ざめる。

 

「でも」

 

 元トップアイドルは続けた。

 

「人格には入れない」

 

 新人の動きが止まる。

 

「赤を入れるのは、動きだけ」

 

 白い壁の前で、彼女は静かに言う。

 

「あなたがダメって意味じゃない」

 

 新人は、何も言えなかった。

 

 現役アイドルが、その横に立つ。

 

「私も、最初そう思ってた」

 

「先輩も?」

 

「うん」

 

「赤入れられると、自分がダメって言われてる気がした」

 

 現役アイドルは、鏡を見る。

 

「でも違った」

 

「違ったんですか」

 

「うん」

 

「どう違うんですか」

 

「動きは直せる」

 

 短い言葉だった。

 

「でも、自分を嫌いになる必要はない」

 

 新人は、息を呑んだ。

 

 元トップアイドルは、音楽を流す準備をする。

 

「一回だけ。短いやつ」

 

「はい……」

 

「コメント欄も、今日は優しく」

 

 > 任せろ

 > 見守る

 > 赤は先生だけ

 > 新人ちゃん頑張れ

 > 大丈夫

 

「甘やかしすぎない」

 

 > はい

 > すみません

 > でも応援はする

 > 見守り

 

 音楽が流れる。

 

 新人は、現役アイドルの隣に立つ。

 

 明らかに固い。

 肩が上がっている。

 呼吸が浅い。

 目線が鏡に張りついている。

 

 でも。

 

 立っている。

 

 それだけで、最初の一歩だった。

 

 曲が始まる。

 

 現役アイドルが、少しだけ動きを大きくする。

 新人が合わせやすいように。

 

 その瞬間、元トップアイドルが言う。

 

「守ってる」

 

「今はいいでしょ」

 

 現役アイドルが踊りながら返す。

 

「いい」

 

「じゃあ言わないで」

 

「癖」

 

 新人が、少し笑いそうになる。

 

 そのせいで、一拍遅れる。

 

「あっ」

 

 声が出る。

 

 でも、現役アイドルは止まらない。

 元トップアイドルも止めない。

 

 新人は、慌てて戻ろうとする。

 

 戻りすぎる。

 肩が固まる。

 足が遅れる。

 

 でも、最後まで踊る。

 

 曲が終わる。

 

 新人は、息を切らして固まっていた。

 

「すみません」

 

 最初の言葉が、それだった。

 

 元トップアイドルは、動画を止める。

 

「何に?」

 

「え」

 

「何に謝ったの」

 

 新人は、言葉に詰まる。

 

「ズレたので」

 

「うん」

 

「間違えたので」

 

「うん」

 

「先輩に迷惑を」

 

「かけてない」

 

 現役アイドルが言う。

 

「でも」

 

「かけてない」

 

 はっきりした声だった。

 

 新人は、黙る。

 

 元トップアイドルが動画を巻き戻す。

 

「0:06」

 

 新人の肩が跳ねる。

 

 コメント欄も、少しだけ緊張する。

 

「肩、上がってる」

 

「はい」

 

「0:09。戻ろうとして、逆に遅れてる」

 

「はい」

 

「0:12。目線、鏡に逃げてる」

 

「はい」

 

「0:15」

 

 元トップアイドルは、少し止まる。

 

 新人は、息を止めている。

 

「笑いそうになった」

 

「……はい」

 

「そこ、よかった」

 

 新人が、顔を上げた。

 

「え」

 

「そこだけ、体が少し軽い」

 

 元トップアイドルは、赤ペンで画面の一点を囲む。

 

「ここ。間違えたあと、ちょっと笑いそうになってる」

 

「はい」

 

「その瞬間だけ、守ってない」

 

 新人は、画面を見る。

 

 確かに、そこには自分がいる。

 

 失敗して。

 慌てて。

 でも、ほんの少し笑いそうになっている自分。

 

 ステージなら、絶対に消す表情。

 

 でも。

 

 そこが、よかったと言われた。

 

「これ、残して」

 

 元トップアイドルが言う。

 

「残す?」

 

「うん」

 

「直すんじゃなくて?」

 

「直すところは直す」

 

「はい」

 

「でも、消さなくていいところは消さない」

 

 新人は、何度も頷いた。

 

 現役アイドルが、横で静かに見ている。

 

 その顔は、少し懐かしそうだった。

 

「私も言われた」

 

「先輩も?」

 

「守ってるって」

 

「そればっかり」

 

 元トップアイドルが言う。

 

「実際守ってたから」

 

「今もたまに言われる」

 

「今もたまに守るから」

 

「厳しい」

 

「赤ペンなので」

 

 コメント欄が笑う。

 

 新人も、少しだけ笑った。

 

「もう一回やる?」

 

 元トップアイドルが聞く。

 

 新人は、迷った。

 

 怖い。

 恥ずかしい。

 また間違える。

 

 でも。

 

 さっきより、少しだけ呼吸がしやすい。

 

「やります」

 

 今度は、はっきり言った。

 

 コメント欄が一気に流れる。

 

 > えらい

 > 頑張れ

 > 二回目いこう

 > 赤ペン部へようこそ

 > 消さなくていいところは消さない

 

 二回目。

 

 音楽が流れる。

 

 新人は、またズレた。

 肩も上がった。

 目線も逃げた。

 

 でも。

 

 0:15。

 

 今度は、少しだけ笑った。

 

 現役アイドルが、それに気づいて笑う。

 

 元トップアイドルも、赤ペンを持ったまま、少しだけ目を細めた。

 

 曲が終わる。

 

 新人は、息を切らしている。

 汗もかいている。

 髪も少し崩れている。

 

 でも、最初より顔が軽かった。

 

「どう?」

 

 現役アイドルが聞く。

 

 新人は、少し考えた。

 

 そして、小さく言った。

 

「怖いです」

 

「うん」

 

「でも」

 

 息を吸う。

 

「もう一回やりたいです」

 

 元トップアイドルは、頷いた。

 

「いいね」

 

 その一言で、新人の目が少し潤んだ。

 

 でも、泣かなかった。

 

 泣く代わりに、頭を下げる。

 

「赤、ください」

 

 コメント欄が止まった。

 

 現役アイドルも、少しだけ驚いた顔をした。

 

 元トップアイドルは、赤ペンを持ち直す。

 

「いい覚悟」

 

 新人は、まっすぐ画面を見る。

 

 怖い場所。

 でも、逃げなくていい場所。

 

 白い壁の前で。

 鏡の前で。

 戦友たちの隣で。

 

 新人アイドルは、初めて赤を受け取った。

 

 > 【見学】今日は後輩が来ます

 

 配信タイトルは、最後までそのままだった。

 

 でも、コメント欄ではもう誰も、ただの見学とは思っていなかった。

 

 その日。

 

 白い壁の前に、もう一人。

 

 削ることを怖がりながら、それでも立つ人が増えた。

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