元アイドルの赤ペン配信 作:ひまんちゅ
> 【雑談】名前のない関係
配信タイトルを見た瞬間、コメント欄がざわついた。
> 何
> 重そう
> 名前のない関係?
> 戦友回?
> ついにユニット名決める?
> 怖いような楽しみなような
「怖がらなくていい」
元トップアイドルは、床に座っていた。
いつもの部屋。
白い壁。
鏡。
マット。
三脚のカメラ。
床に置かれた水。
今日は、踊る前から二人とも座っている。
横には現役アイドル。
少しだけ、いつもより表情が読めない。
「タイトルが悪い」
現役アイドルが言う。
「そう?」
「名前のない関係って、重い」
「軽いタイトル思いつかなかった」
「じゃあ普通に雑談でよかった」
「それだと見ないでしょ」
「見るよ」
「見るか」
「見る」
コメント欄が笑う。
> 見る
> 絶対見る
> タイトルなくても見る
> 白い壁映ってれば見る
> 壁ファンいる
「壁ファンは帰って」
「帰らないでしょ」
現役アイドルが笑う。
元トップアイドルも、少しだけ口元を緩めた。
それから、水を一口飲む。
「最近さ」
「うん」
「よく聞かれる」
「何を?」
「二人って何なんですかって」
コメント欄が一瞬止まる。
それから、ゆっくり流れ始める。
> 分かる
> 聞きたいけど聞けないやつ
> 戦友でしょ
> 相方?
> ライバル?
> 師弟?
> 全部違う気もする
「ほら」
元トップアイドルが画面を見る。
「みんな困ってる」
「私たちも困ってる」
現役アイドルが言う。
「困ってる?」
「うん」
「別に困ってない」
「じゃあ何」
「戦友」
即答だった。
コメント欄が流れる。
> 戦友
> いつもの
> これが一番しっくりくる
> でも足りない
> 分かる、足りない
その一つのコメントを、現役アイドルが拾った。
「足りないって」
元トップアイドルは、少し眉を上げる。
「欲張り」
「でも、分かる」
「分かるんだ」
「うん」
現役アイドルは、鏡を見る。
「戦友って、同じ場所で戦った人って感じでしょ」
「うん」
「それはそう」
「そうだね」
「でも、ずっと戦ってるわけじゃない」
元トップアイドルは、黙る。
現役アイドルは続ける。
「ゲームもするし」
「する」
「アイスの話もするし」
「する」
「ライブ後にコンビニ行くし」
「行った」
「休ませようとしても休まないし」
「それは関係ない」
「ある」
コメント欄が笑う。
> 休んで
> それは関係ある
> 戦友兼保護者?
> 逆に現役ちゃんが保護者
> 元トップさん休んで
「休む話にしないで」
元トップアイドルは少し不満そうに言う。
「ほら」
現役アイドルが指を差す。
「こういうの、戦友だけじゃない」
「じゃあ何」
「分からないから今日のタイトルなんでしょ」
「それはそう」
二人は、しばらく黙った。
配信なのに、沈黙がある。
でも、その沈黙を誰も急かさない。
この部屋では、そういう時間も見慣れている。
元トップアイドルは、赤ペンを手に取った。
「先輩後輩ではない」
「それはない」
現役アイドルが即答する。
「即答」
「だって、先輩って呼んだら怒るでしょ」
「怒らない」
「嫌な顔する」
「するかも」
「するじゃん」
コメント欄が笑う。
「ライバル」
元トップアイドルが言う。
「近い」
「近いんだ」
「でも違う」
「なんで」
「勝ちたいわけじゃないから」
その言葉に、元トップアイドルは少しだけ目を伏せた。
昔なら。
勝つ。
選ばれる。
上に立つ。
誰かより前に出る。
そういう言葉が、当たり前にあった。
でも今は。
隣に立つ。
同じ音で踊る。
同じ映像を止める。
同じ甘さを見つける。
そこに、勝ち負けはない。
「でも、負けたくないとは思う」
現役アイドルが言う。
「どっち」
「勝ちたいんじゃなくて、置いていかれたくない」
元トップアイドルは、少しだけ笑った。
「それは分かる」
「でしょ」
「私も思う」
現役アイドルが驚いた顔をする。
「そっちも?」
「うん」
「私に?」
「うん」
「嘘」
「嘘じゃない」
元トップアイドルは、鏡を見る。
「あなた、まだ現役だから」
「うん」
「今しか出せない熱がある」
「……うん」
「それ見ると、置いていかれる感じはある」
現役アイドルは、黙った。
コメント欄も静かになる。
普段、元トップアイドルはあまりそういうことを言わない。
自分の弱さは言う。
怖さも言う。
赤も入れる。
でも、相手に置いていかれる不安は、あまり見せない。
「じゃあ、やっぱりライバル?」
現役アイドルが聞く。
「違う」
「なんで」
「置いていかれたくないけど、落ちてほしくもない」
短い言葉だった。
現役アイドルは、少しだけ息を止めた。
「むしろ、上に行ってほしい」
元トップアイドルは言う。
「でも、私も行く」
コメント欄が一気に流れる。
> それだ
> 泣いた
> ライバルじゃ足りない
> 一緒に上行く人
> 戦友でも足りない
現役アイドルは、少しだけ笑った。
「ずるい」
「何が」
「そういうこと言うの、ずるい」
「普通」
「普通じゃない」
二人は、また黙る。
今度の沈黙は、少しだけ柔らかかった。
「相方」
現役アイドルが言う。
「近い」
「近いんだ」
「でも、ちょっと軽い」
「軽い場所が好きなのに?」
「それとこれは別」
「便利だね」
「便利」
元トップアイドルは、赤ペンを指で回した。
「友達」
コメント欄が一瞬ざわつく。
現役アイドルも、少しだけ目を丸くした。
「友達」
「うん」
「……どうだろう」
「違う?」
「違わない」
「うん」
「でも、それだけだと軽すぎる」
「じゃあ、重い友達」
「言い方」
コメント欄が笑う。
> 重い友達
> それはそう
> 友達ではある
> でも友達だけではない
> 名前がない
「友達ってさ」
現役アイドルが言う。
「うん」
「一緒にご飯行ったり、雑談したり、くだらないことで笑ったりする人でしょ」
「うん」
「それは、ある」
「あるね」
「でも、友達は普通、0:13の踵に赤入れない」
「入れる友達もいるかも」
「いない」
「いるかも」
「いない」
元トップアイドルは、少し笑う。
「じゃあ、赤ペン友達」
「嫌だ」
「なんで」
「雑」
「便利」
「便利で済ませすぎ」
現役アイドルは、少しだけ考える。
「師弟」
「違う」
元トップアイドルは即答した。
「早い」
「それは違う」
「なんで」
「教えてるつもりない」
「教わってるけど」
「私も教わってる」
その言葉に、現役アイドルは黙った。
「最初のコメント」
元トップアイドルは言う。
「0:13」
「覚えてるの」
「覚えてる」
それは、二人の始まりだった。
匿名のコメント。
踵の指摘。
赤の修正。
画面の向こうにいた現役アイドル。
あの日から、少しずつ今に繋がっている。
「教えるだけなら、あそこで終わってた」
元トップアイドルは続ける。
「でも、今も続いてる」
「うん」
「だから師弟じゃない」
「じゃあ何」
「だから困ってる」
二人は笑った。
結局、戻ってくる。
名前がない。
近い言葉はいくつもある。
戦友。
友達。
相方。
ライバル。
仲間。
同じステージに立つ人。
白い壁の前に戻ってくる人。
でも、どれか一つにすると、少しだけ削りすぎる。
大切な部分まで、落としてしまう。
「名前、いる?」
元トップアイドルが言う。
現役アイドルは、少し考えた。
「いらないかも」
「じゃあ終わり」
「雑」
「解決」
「してない」
コメント欄が笑う。
> 名前なしでいい
> でも呼びたい
> 戦友で仮置き
> 白い壁組
> 赤ペン組
> 二人でひとつのステージ
「白い壁組は嫌」
「赤ペン組も嫌」
「じゃあ、戦友でいい」
元トップアイドルは言う。
「足りないけど?」
「足りないままでいい」
現役アイドルが、少しだけ目を細める。
「なんで」
「足りない方が、続く感じするから」
静かな言葉だった。
「決めたら、そこで固まる」
元トップアイドルは、赤ペンを置く。
「固まると、守る」
「守るの嫌いだね」
「うん」
「でも、守ってきたから今があるよ」
「そう」
少し間。
「だから、守るものは選ぶ」
現役アイドルは、黙ってその言葉を受け取った。
コメント欄は、ゆっくり流れている。
> 足りないままでいい
> 名前がないから続く
> 固まると守る
> 今日重い
> でも軽い
「踊る?」
現役アイドルが聞いた。
「踊る」
「結局」
「雑談終わったから」
「名前は?」
「戦友、仮」
「仮なんだ」
「更新制」
「便利」
「便利」
二人は立ち上がる。
白い壁の前。
鏡の前。
マットの上。
いつもの距離に並ぶ。
音楽が流れる。
言葉では決まらなかった関係が、動きの中では少しだけ分かる。
同じではない。
上下でもない。
勝ち負けでもない。
一人が前に出れば、もう一人が空気を支える。
一人が崩れれば、もう一人が拾う。
一人が鋭くなれば、もう一人が柔らかく受ける。
揃っているのに、同じではない。
違うまま、並んでいる。
曲が終わる。
息が上がる。
汗が落ちる。
床に、小さな音がする。
元トップアイドルは、動画を止める。
「0:11」
「来た」
現役アイドルが笑う。
「足、少し早い」
「どっち」
「両方」
「最悪」
「戦友なので」
「便利に使いすぎ」
コメント欄が笑う。
> 戦友なので
> 便利
> 仮の戦友
> 更新制の関係
> 名前なくても分かった
元トップアイドルは、赤ペンで画面に線を引く。
その線は、いつものように厳しい。
でも、どこか優しい。
削るための赤。
壊すためではない赤。
「明日も?」
現役アイドルが聞く。
「削る」
「戦友として?」
「仮で」
「まだ仮なんだ」
「更新制だから」
元トップアイドルは、少しだけ笑う。
配信の最後。
コメント欄に、誰かが打った。
> 名前がないまま続いてほしい
元トップアイドルは、それを読んだ。
少しだけ黙って。
「うん」
短く答えた。
画面が暗くなる。
配信タイトルは、最後まで変わらなかった。
> 【雑談】名前のない関係
その日、二人の関係に新しい名前はつかなかった。
でも。
白い壁の前で。
赤ペンの線の先で。
同じ音に呼吸を合わせながら。
名前がないまま続くものが、確かにそこにあった。