元アイドルの赤ペン配信   作:ひまんちゅ

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赤ペン外伝・表情編

 > 【赤ペン外伝】今日は表情だけ見る

 

 配信タイトルを見て、コメント欄がざわついた。

 

 > 表情だけ?

 > 怖い

 > ダンスじゃないの?

 > 顔の赤ペン?

 > アイドルの一番怖いやつ

 > 笑顔に赤が入るのか

 

「入るよ」

 

 元トップアイドルは、いつも通り言った。

 

 白い壁。

 鏡。

 マット。

 カメラ。

 

 今日は、二人とも立っていない。

 

 床に座っている。

 目の前にはノートパソコン。

 画面には、現役アイドルのライブ映像が止まっている。

 

 曲中ではない。

 

 MC中の映像だった。

 

 現役アイドルが、客席に向かって笑っている。

 完璧な角度。

 完璧な目線。

 完璧な口角。

 

 いかにも、トップアイドルの笑顔だった。

 

「これ、見るの嫌なんだけど」

 

 現役アイドルが言う。

 

「なんで」

 

「歌とかダンスより恥ずかしい」

 

「分かる」

 

「分かるんだ」

 

「表情は、癖が出る」

 

 元トップアイドルは、動画を少し戻す。

 

「あと、嘘も出る」

 

 コメント欄が静かになる。

 

 > 嘘

 > 怖い

 > 表情の嘘

 > でも分かる

 > プロの笑顔ってそういうことか

 

「嘘って言い方、怖い」

 

 現役アイドルが苦笑する。

 

「悪い意味じゃない」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

 元トップアイドルは、画面を指差す。

 

「ステージの表情は、全部本音じゃなくていい」

 

「うん」

 

「嬉しくなくても笑うときはある」

 

「うん」

 

「苦しくても、楽しい顔をする」

 

「うん」

 

「でも」

 

 少し間。

 

「自分でも分からなくなるときがある」

 

 現役アイドルは、黙った。

 

 その言葉は、軽く流せなかった。

 

 分かるからだ。

 

 笑う。

 客席を見る。

 手を振る。

 ありがとうと言う。

 楽しいと言う。

 

 その全部が、嘘ではない。

 

 でも、全部が本当でもない。

 

 その境目が、たまに分からなくなる。

 

「今日はそこを見る」

 

 元トップアイドルが言う。

 

「やっぱり怖い」

 

「怖いね」

 

「肯定しないで」

 

「怖いものは怖い」

 

 コメント欄が流れる。

 

 > 今日は重い

 > でも見たい

 > 表情管理の話だ

 > アイドル怖い

 > 白い壁でやる内容じゃない

 

「白い壁だからやるんでしょ」

 

 現役アイドルが、ぽつりと言った。

 

 元トップアイドルが、少しだけ笑う。

 

「分かってきたね」

 

「嫌な分かり方してる」

 

 動画が再生される。

 

 MC中。

 現役アイドルが笑う。

 

 客席から歓声が上がる。

 隣のメンバーが話している。

 それに合わせて、現役アイドルが頷く。

 

 綺麗だった。

 

 自然に見えた。

 少なくとも、客席から見れば。

 

 コメント欄にも、当時の反応が流れている。

 

 かわいい。

 天使。

 笑顔最高。

 幸せそう。

 これぞアイドル。

 

 元トップアイドルは、そこで動画を止めた。

 

「0:11」

 

「早い」

 

「口角、先に上がってる」

 

 赤い線が入る。

 

 現役アイドルは、画面を覗き込む。

 

「普通じゃない?」

 

「普通」

 

「じゃあいいじゃん」

 

「よくない」

 

「厳しい」

 

「目が遅い」

 

 元トップアイドルは、目元を丸で囲む。

 

「口が先に笑って、目があとから合わせに行ってる」

 

 現役アイドルは、何も言えなくなった。

 

 自分でも気づいていなかった。

 

 でも、言われると分かる。

 

「ここ、反射で笑ってる」

 

「……うん」

 

「癖」

 

「うん」

 

「悪くはない」

 

「悪くないの?」

 

「仕事としては正解」

 

 元トップアイドルは、少しだけ画面から目を離す。

 

「でも、あなたの笑顔じゃない」

 

 コメント欄が止まった。

 

 現役アイドルも、止まった。

 

「……それ、きつい」

 

「うん」

 

「自分でもちょっと思った」

 

「うん」

 

「でも、言われるときつい」

 

「うん」

 

 元トップアイドルは、赤ペンを置かなかった。

 

 でも、その声は厳しいだけではなかった。

 

「次」

 

 動画が少し進む。

 

 現役アイドルが、客席の方を見て手を振る。

 

 また笑う。

 

「0:18」

 

「はい」

 

「これはいい」

 

「え」

 

 現役アイドルが顔を上げる。

 

「今の、いいの?」

 

「うん」

 

「何が?」

 

「先に目が行ってる」

 

 元トップアイドルは、赤い丸をつける。

 

「誰かを見つけた」

 

「……あ」

 

 現役アイドルは、思い出す。

 

 その瞬間。

 

 客席に、手作りのボードを持った小さな子がいた。

 自分の名前を、少し曲がった字で書いていた。

 

 それを見つけて、思わず笑った。

 

 作った顔ではない。

 

 反射でもない。

 

 ただ、見つけて、嬉しかった。

 

「そこは残して」

 

 元トップアイドルが言う。

 

 コメント欄が一気に流れる。

 

 > 赤丸

 > 残す赤だ

 > 目が先に行く笑顔

 > 本物の笑顔

 > 泣きそう

 

「本物って言われるのも、少し怖いね」

 

 現役アイドルが言う。

 

「なんで」

 

「じゃあ他は偽物なのかなって思う」

 

「偽物じゃない」

 

「でも、本物じゃない?」

 

「仕事」

 

 短い言葉だった。

 

「仕事の笑顔も、嘘だけじゃない」

 

 元トップアイドルは言う。

 

「でも、自分の笑顔と混ぜすぎると疲れる」

 

 現役アイドルは、静かに頷いた。

 

「分かる」

 

「分かるんだ」

 

「うん」

 

「じゃあ、次」

 

 動画が進む。

 

 ライブの終盤。

 汗をかいている。

 息も少し上がっている。

 

 それでも現役アイドルは笑う。

 

 その笑顔は、さっきより少し強い。

 強く、明るく、遠くまで届く。

 

「0:32」

 

 元トップアイドルが止める。

 

「これ、作りすぎ」

 

「ですよね」

 

「自覚あるんだ」

 

「ある」

 

 現役アイドルは、少しだけ苦笑した。

 

「ここ、カメラ来るの分かってた」

 

「うん」

 

「だから、強めに出した」

 

「うん」

 

「ダメ?」

 

「ダメじゃない」

 

「でも?」

 

「少し怖い」

 

 現役アイドルが、画面を見る。

 

 自分の笑顔。

 

 明るい。

 華やか。

 トップアイドルらしい。

 

 でも、確かに少し怖い。

 

 目が強すぎる。

 口角が綺麗すぎる。

 客席に向けているようで、画面の向こうの評価に向けている。

 

「勝ちに行ってる」

 

 元トップアイドルが言う。

 

 現役アイドルは、息を止めた。

 

「……それ」

 

「うん」

 

「昔のそっちも、こういう顔してた?」

 

 元トップアイドルは、少しだけ黙った。

 

 コメント欄も静かになる。

 

 やがて、彼女は答えた。

 

「してた」

 

 短い言葉。

 

「もっとしてた」

 

 現役アイドルは、何も言わない。

 

 元トップアイドルは、画面を見ている。

 でも、見ているのは今の映像だけではなかった。

 

 センター争い。

 ランキング。

 カメラ。

 期待。

 切り抜かれる一秒。

 勝たなければいけない笑顔。

 

 笑っているのに、戦っている顔。

 

「あの顔、強いんだよね」

 

 元トップアイドルは言う。

 

「うん」

 

「でも、長くやると疲れる」

 

「うん」

 

「笑ってるのに、歯を食いしばってる感じになる」

 

 現役アイドルは、小さく頷いた。

 

「……分かる」

 

「じゃあ、今やってみて」

 

「何を?」

 

「その笑顔」

 

「今?」

 

「うん」

 

「嫌なんだけど」

 

「だからやる」

 

「出た」

 

 コメント欄が笑う。

 

 > だからやる

 > 白い部屋名物

 > 表情練習こわい

 > 笑顔を再現するの怖すぎる

 > でも見たい

 

 現役アイドルは、カメラの前に座り直す。

 

「やればいいんでしょ」

 

「うん」

 

「勝ちに行く笑顔」

 

「そう」

 

 少し息を吸う。

 

 そして、笑う。

 

 瞬間、空気が変わった。

 

 カメラの向こうに、ステージが立ち上がる。

 

 強い。

 明るい。

 隙がない。

 

 現役トップアイドルの笑顔。

 

 コメント欄が一瞬止まる。

 

 > すご

 > 急にプロ

 > 怖い

 > 華がある

 > でも確かに強い

 

「うまい」

 

 元トップアイドルが言う。

 

「ありがとうございます」

 

「でも、怖い」

 

「でしょうね」

 

 現役アイドルは、笑顔を解いて息を吐いた。

 

「今の、一瞬で疲れた」

 

「それ」

 

「え?」

 

「そこ見る」

 

 元トップアイドルは、録画を止める。

 

 笑顔を作った瞬間。

 そして、それを解いた瞬間。

 

「解いたあと、顔が落ちる」

 

「落ちる?」

 

「うん」

 

 映像を戻す。

 

 笑顔。

 解除。

 ほんの一瞬、目元から力が抜ける。

 

 普通なら気づかない。

 

 でも、赤ペンは止まる。

 

「ここ、本音」

 

 現役アイドルは、画面を見つめる。

 

「疲れた顔?」

 

「うん」

 

「それ、見せていいの?」

 

「場合による」

 

「配信では?」

 

「ここではいい」

 

 元トップアイドルは、はっきり言った。

 

「ここ、守る場所じゃないから」

 

 その言葉に、現役アイドルは少し笑った。

 

「それ、私が前に言ったやつ」

 

「便利」

 

「便利に使わないで」

 

「正確」

 

 二人は少しだけ笑う。

 

 重くなりすぎた空気が、少し軽くなる。

 

「じゃあ、次」

 

 元トップアイドルが言う。

 

「まだやるの?」

 

「やる」

 

「何を」

 

「疲れたあとに、笑う」

 

「どういうこと」

 

「勝ちに行かないで、笑う」

 

 現役アイドルは、少し困った顔をする。

 

「それが一番難しい」

 

「知ってる」

 

「できないかも」

 

「できなくていい」

 

「じゃあ何でやるの」

 

「探す」

 

 元トップアイドルは言う。

 

「作るんじゃなくて、探す」

 

 コメント欄が静かになる。

 

 現役アイドルは、カメラを見る。

 

 笑おうとする。

 

 でも、うまくいかない。

 

 仕事の笑顔はすぐ出せる。

 カメラ向けの笑顔も出せる。

 強い笑顔も、可愛い笑顔も、嬉しそうな笑顔も出せる。

 

 でも。

 

 勝ちに行かない笑顔。

 

 それは、意外と難しい。

 

「無理」

 

 現役アイドルが言う。

 

「早い」

 

「出ない」

 

「じゃあ、こっち見て」

 

 元トップアイドルが言う。

 

「何」

 

「0:32、作りすぎ」

 

「今言う?」

 

「0:18、よかった」

 

「急に?」

 

「0:11、口が先」

 

「もうやめて」

 

 現役アイドルが笑った。

 

 思わずだった。

 

 困って。

 呆れて。

 少しだけ楽しくて。

 

 その笑顔は、ステージのものではなかった。

 

 元トップアイドルが、すぐに動画を止める。

 

「今」

 

「え?」

 

「今の」

 

 コメント欄が爆発する。

 

 > 出た

 > 今のよかった

 > 素

 > 軽い

 > これ残して

 

 現役アイドルは、少し恥ずかしそうに顔をそらす。

 

「不意打ちじゃん」

 

「不意打ちじゃないと出ない」

 

「ずるい」

 

「表情はずるいくらいでちょうどいい」

 

「名言っぽく言わないで」

 

 元トップアイドルは、赤い丸をつける。

 

「これ、残す」

 

「こんなの?」

 

「こんなの」

 

「ステージで使えないよ」

 

「使わなくていい」

 

「いいの?」

 

「うん」

 

 元トップアイドルは、画面を見る。

 

「全部ステージに持っていかなくていい」

 

 現役アイドルは、黙った。

 

「ここに残していい表情もある」

 

 白い壁。

 鏡。

 マット。

 カメラ。

 

 たくさんの人が見ているのに。

 なぜか、ステージより近い場所。

 

「それ、いいね」

 

 現役アイドルが小さく言う。

 

「うん」

 

「全部使えるようにしなくていいんだ」

 

「うん」

 

「残していいんだ」

 

「うん」

 

 コメント欄がゆっくり流れる。

 

 > ここに残していい表情

 > 泣いた

 > ステージに持っていかなくていい

 > 配信の笑顔

 > 白い壁の笑顔

 

「じゃあ、そっちもやって」

 

 現役アイドルが言う。

 

「何を」

 

「勝ちに行く笑顔」

 

 元トップアイドルの手が止まる。

 

 コメント欄がざわつく。

 

 > え

 > 見たい

 > 元トップの表情

 > 急に反撃

 > 戦友の赤ペン返し

 

「今日はあなたの回」

 

「ずるい」

 

「ずるくない」

 

「やって」

 

「嫌」

 

「だからやる」

 

 元トップアイドルは、少しだけ眉を上げた。

 

「それ私のやつ」

 

「便利」

 

「便利じゃない」

 

「正確」

 

 現役アイドルが笑う。

 

 元トップアイドルは、しばらく黙った。

 

 それから、カメラの前に座り直す。

 

「一回だけ」

 

 コメント欄が止まる。

 

 元トップアイドルは、少し息を吸う。

 

 そして、笑った。

 

 空気が変わる。

 

 それは、かつてステージで戦っていた人の笑顔だった。

 

 華やかで。

 強くて。

 遠くまで届いて。

 隙がない。

 

 でも、ほんの一瞬。

 

 目の奥に、硬さがあった。

 

 現役アイドルは、それを見逃さなかった。

 

「0:02」

 

「早い」

 

「目、守ってる」

 

 元トップアイドルは、少しだけ目を逸らす。

 

「言うね」

 

「戦友なので」

 

 コメント欄が一気に流れる。

 

 > 返した

 > 赤ペン返し

 > 戦友なので

 > これは強い

 > 二人とも守ってる

 

 元トップアイドルは、小さく笑った。

 

 今度の笑顔は、さっきより少し柔らかかった。

 

「今のは?」

 

 現役アイドルが聞く。

 

「今のは残していい」

 

「自分で言うんだ」

 

「分かるから」

 

「便利」

 

「正確」

 

 二人は笑う。

 

 表情だけを見るはずだった配信は、いつの間にか二人の赤ペンになっていた。

 

 現役の笑顔。

 元トップの笑顔。

 仕事の笑顔。

 勝つための笑顔。

 残していい笑顔。

 

 どれも、嘘ではない。

 でも、全部同じでもない。

 

 配信の最後。

 

 元トップアイドルは、カメラを見る。

 

「今日のまとめ」

 

 コメント欄が静かになる。

 

「笑顔は、全部本音じゃなくていい」

 

 少し間。

 

「でも、自分の笑顔がどこにあるかは、たまに見た方がいい」

 

 現役アイドルが頷く。

 

「あと」

 

「あと?」

 

「作った笑顔も、仕事としては大事」

 

「うん」

 

「でも、戻る場所がないと疲れる」

 

 元トップアイドルは、白い壁を見る。

 

「だから、ここに戻る」

 

 コメント欄が流れる。

 

 > 白い壁

 > 戻る場所

 > 今日も神回

 > 表情編すごかった

 > 笑顔の赤ペン

 

 現役アイドルが、小さく笑う。

 

 それは、今日見つけた笑顔だった。

 

 勝ちに行かない。

 整えすぎない。

 ステージに持っていかなくてもいい。

 

 白い壁の前に残していい笑顔。

 

 元トップアイドルは、それを見て赤ペンを持ち上げる。

 

「今の」

 

「え」

 

「残す」

 

 現役アイドルは、少し照れたように笑った。

 

 画面が暗くなる。

 

 > 【赤ペン外伝】今日は表情だけ見る

 

 その日。

 

 赤ペンは、笑顔にも入った。

 

 でもそれは。

 

 嘘を暴くためではなく。

 

 自分の笑顔を、見失わないための赤だった。

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