元アイドルの赤ペン配信   作:ひまんちゅ

29 / 29
マネージャーの胃痛

「……胃が痛い」

 

 マネージャーは、会議室の隅で小さく呟いた。

 

 目の前のテーブルには、資料が並んでいる。

 

 ライブ映像。

 配信の切り抜き。

 SNSの反応。

 コメント数の推移。

 視聴者数のグラフ。

 

 どれも、数字だけを見れば完璧だった。

 

 上がっている。

 伸びている。

 広がっている。

 

 現役トップアイドルの評価は、さらに高くなった。

 パフォーマンスのレビューも好意的だ。

 ファンの熱量も増している。

 外部メディアも興味を持ち始めている。

 

 普通なら、喜ぶべき状況だった。

 

 普通なら。

 

「顔出しなしで他人の配信に出て、しかも踊って、しかも正体がほぼバレてるのは、普通ではないんですよ……」

 

 マネージャーは、頭を抱えた。

 

 隣でプロデューサーが資料を見ている。

 

「数字はいい」

 

「数字だけ見ないでください」

 

「パフォーマンスもいい」

 

「それはそうですけど」

 

「本人も楽しそうだ」

 

「そこが一番困るんです」

 

 マネージャーは即答した。

 

 そう。

 そこが、一番困る。

 

 怒れるなら、まだよかった。

 危ないことをするな。

 勝手に出るな。

 イメージ管理を考えろ。

 そう言えば済む。

 

 でも、映像の中の彼女は、楽しそうだった。

 

 ステージの上では見せない顔で笑っている。

 いつもの完璧な笑顔ではない。

 作られた表情ではない。

 

 素の声で笑っている。

 

 その相手は、元トップアイドル。

 

 しかも、ただの元アイドルではない。

 今もなお異常な精度で踊り、自分自身に赤ペンを入れ続ける人間。

 

 そんな人と、彼女は並んでいる。

 

 マネージャーは、もう一度胃を押さえた。

 

「胃が痛い……」

 

「さっきも言ってました」

 

「何回でも言います」

 

 そこへ、ドアが開いた。

 

「お疲れさまです」

 

 現役アイドルが入ってくる。

 

 帽子を被り、マスクを外しながら、いつも通りの顔で座る。

 いや。

 いつも通りに見せている顔で座る。

 

 だが、マネージャーには分かる。

 

 少し浮かれている。

 

「……昨日、行きましたね」

 

「はい」

 

「配信に出ましたね」

 

「はい」

 

「踊りましたね」

 

「はい」

 

「コメント欄で“現役ちゃん”って呼ばれてましたね」

 

「はい」

 

「はいじゃないんですよ」

 

 マネージャーは机に手をついた。

 

「あなた、現役トップアイドルなんですよ」

 

「知ってます」

 

「知ってる人の行動じゃないんですよ」

 

「顔は出してません」

 

「声で八割バレてます」

 

「名前は出してません」

 

「動きで九割バレてます」

 

「公式には言ってません」

 

「世間は公式より先に察します」

 

 現役アイドルは、少し黙った。

 

 反省しているようにも見える。

 

 だが、その目は反省だけではない。

 

 まだ、あの部屋にいる目だった。

 

 白い壁。

 鏡。

 マット。

 カメラ。

 赤ペン。

 

 彼女の中に、あの場所の空気が残っている。

 

「……でも」

 

 現役アイドルが言う。

 

「踊り、よくなったと思いませんか」

 

 マネージャーは、言葉に詰まった。

 

 それは。

 そうだった。

 

 悔しいくらいに、そうだった。

 

 ここ最近の彼女は、明らかに変わっている。

 守りが薄くなった。

 怖がらなくなった。

 完璧にまとめるだけではなくなった。

 

 ほんの少し崩れる。

 だが、その崩れが表現になる。

 

 ステージでの説得力が増している。

 

「……よくなってます」

 

 マネージャーは、渋々認めた。

 

「ですよね」

 

「その顔やめてください」

 

「どの顔ですか」

 

「勝った顔です」

 

 現役アイドルは、少し笑った。

 

 プロデューサーも小さく笑う。

 

 マネージャーだけが笑えない。

 

「でも、問題はあります」

 

「はい」

 

「まず、スケジュールです。深夜に行くのはやめてください。睡眠時間が削れます」

 

「はい」

 

「次に、移動です。一人で行かないでください」

 

「はい」

 

「あと、配信に出るなら事前に言ってください。こっちにも心の準備があります」

 

「心の準備」

 

「大事です。私の」

 

 現役アイドルが、今度ははっきり笑った。

 

「マネージャーさん、胃が弱いですよね」

 

「誰のせいだと思ってるんですか」

 

「すみません」

 

 謝っている。

 でも、楽しそうだった。

 

 マネージャーは深く息を吐く。

 

「……やめろとは言いません」

 

 現役アイドルの顔が、少し変わる。

 

「いいんですか」

 

「よくはないです」

 

「どっちですか」

 

「よくはないけど、止めたらもっと悪くなりそうなんです」

 

 それは、本音だった。

 

 彼女は、あの配信を見つけてから変わった。

 あの人と踊ってから変わった。

 赤を入れられて、赤を入れて、削られて、削って。

 

 その中で、確かに軽くなった。

 

 現役トップアイドルとして背負っていたもの。

 センターとして守っていたもの。

 崩れてはいけないと思っていたもの。

 

 それらが、少しだけ動いた。

 

 マネージャーは、それを壊したくなかった。

 

「ただし」

 

 マネージャーは、指を立てる。

 

「条件があります」

 

「はい」

 

「無茶しない」

 

「はい」

 

「仕事に穴を開けない」

 

「はい」

 

「体調を崩さない」

 

「はい」

 

「危ない発言をしない」

 

「はい」

 

「元トップさんを困らせない」

 

「それは多分、向こうの方が私を困らせます」

 

「それは知ってます」

 

 即答だった。

 

 会議室に、少しだけ笑いが起きる。

 

 現役アイドルは、ふっと肩の力を抜いた。

 

「ありがとうございます」

 

 その声は、ステージ上のものではなかった。

 

 マネージャーは、また少し胃が痛くなった。

 

 こういう声を聞くと、止められなくなる。

 

「それで」

 

 プロデューサーが口を開く。

 

「次はいつ行くんですか」

 

「今日です」

 

「今日?」

 

 マネージャーの声が裏返った。

 

「レッスン終わりに」

 

「ちょっと待ってください。私は今、条件を出したばかりですよね」

 

「だから、ちゃんと言いました」

 

「そういう意味ではないんです」

 

「移動はお願いします」

 

「そういう意味でもないんです」

 

 現役アイドルは、真面目な顔で言う。

 

「今日はライブ映像の反省会です」

 

「配信で?」

 

「はい」

 

「何万人も見ている前で?」

 

「はい」

 

「トップアイドルのライブ映像を、一秒ごとに止めて赤ペンを入れるんですか」

 

「はい」

 

 マネージャーは、両手で顔を覆った。

 

「胃が痛い……」

 

 現役アイドルは、少し申し訳なさそうにする。

 

 でも、目は輝いていた。

 

「でも、たぶん」

 

 彼女は言う。

 

「もっとよくなります」

 

 その言葉は、ずるかった。

 

 マネージャーは、止める言葉を失う。

 

 プロデューサーが、静かに笑った。

 

「送ってあげてください」

 

「私がですか」

 

「一番安全です」

 

「胃が痛いのに」

 

「胃薬を持って」

 

 マネージャーは、しばらく黙った。

 

 そして、深く息を吐いた。

 

「……分かりました」

 

 現役アイドルが、ぱっと顔を上げる。

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、帰りは絶対に連絡してください」

 

「はい」

 

「配信が長引いたら止めます」

 

「たぶん無理です」

 

「言い切らないでください」

 

「赤ペン始まると、止まらないので」

 

「知ってます」

 

 マネージャーは立ち上がった。

 

 スケジュールを確認する。

 移動時間を計算する。

 車を手配する。

 胃薬の場所を思い出す。

 

 仕事が増えた。

 

 でも。

 

 会議室を出る直前、現役アイドルが小さく呟いた。

 

「……今日、楽しみ」

 

 マネージャーは、振り返らなかった。

 

 代わりに、スマホを取り出す。

 

 検索欄に入力する。

 

 胃薬 即効性

 

 そして、小さく呟いた。

 

「本当に、胃が痛い」

 

 だがその声は。

 

 ほんの少しだけ、笑っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

今週の魔法少女は事情により変身できません(作者:佐藤悪糖)(オリジナル現代/冒険・バトル)

変身できない魔法少女(覚悟ガンギマリ)が生身で暴れ散らかす話


総合評価:2681/評価:8.74/完結:25話/更新日時:2026年05月01日(金) 18:07 小説情報

全方位脳焼き英雄、停戦条件に身柄を要求される。(作者:鐘楼)(オリジナル現代/冒険・バトル)

一ノ瀬ヒナは英雄である。最強なので二つの世界を救い、誰も殺さずに大体丸く収めることができた。……そのはずが、異世界からの停戦条件はヒナの身柄であった。後輩たちに黙って犠牲になることを選んだヒナを待っていたのは、幾度も戦い、最後には共闘もした女王。女王は、ヒナに屈辱的な扱いを──▼「──結婚しよう、ヒナ」▼なんで????▼みたいな話。▼カクヨム別タイトル投稿(…


総合評価:1655/評価:8.66/完結:5話/更新日時:2026年02月17日(火) 12:05 小説情報

わたし、壊れてるらしいです(作者:まいまいつむり)(オリジナルファンタジー/日常)

戦争で2年間、前線で剣を振っていた少女が、敵だった国の学校に通うことになりました。▼本人は元気です。よく笑います。友達もできました。▼ただ、大きな音がすると体が勝手に動くし、夜は静かすぎて眠れないし、好きな食べ物を聞かれても答えられません。▼あと、入学許可証の裏に「心的外傷の兆候あり」って書いてありました。▼よくわかりませんが、たぶん大したことないと思います…


総合評価:2257/評価:8.86/連載:5話/更新日時:2026年06月27日(土) 12:00 小説情報

添い寝してもらわないと眠れない女の子in百合猛獣だらけの女子寮 〜案の定美味しく食べられてしまうと思いきや、女たらしの才能に目覚めてしまいます!?〜(作者:鐘楼)(オリジナル現代/恋愛)

毎日姉に添い寝をしてもらっている少女、花平希沙音は高校一年の夏、ついに「一人で眠れるようになりなさい」と姉の家を追い出されてしまう。▼一人で眠れる気がしなかった希沙音は、なんとか添い寝を頼めないかと転居先の女子寮で出会った親切な少女、伊咲深白にお願いをする。▼しかし、深白は何人もの少女を手篭めにしてきた悪女だった。▼案の定、希沙音も深白に美味しく頂かれるのか…


総合評価:2403/評価:8.89/連載:26話/更新日時:2026年06月24日(水) 12:05 小説情報

転生者がTS魔法少女になって頑張る話。(作者:メルヘン侍)(オリジナル現代/冒険・バトル)

TSして魔法少女して頑張る話です。▼カクヨムでも同時投稿しております。


総合評価:1382/評価:7.68/連載:42話/更新日時:2026年06月03日(水) 11:57 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>