元アイドルの赤ペン配信 作:ひまんちゅ
その日、配信の告知は珍しく短かった。
【特別】今日は来客あり。顔出しなし。
視聴者数は、開始前から跳ね上がっている。
コメント欄がざわつく。
誰?
匿名さん?
まさか……
本当に来るのか?
カメラがつく。
いつもの白い壁。鏡。マット。
彼女は少しだけ緊張していた。
「今日はね、赤ペン仲間が来てます」
画面外から、小さな笑い声。
マイクに乗る、抑えた声。
「……こんばんは」
その瞬間、コメント欄が爆発する。
女の子!?
声かわいい
え、え、え
本物では?
彼女(元アイドル)は、少しだけ口元を緩める。
「顔は出さない。絶対。
あと名前も言わない」
画面外の声が続く。
「約束だから」
その声は、ステージで聞けば誰もが分かる声だった。
でも今は、ただの匿名。
最初は、いつも通り踊る。
「まず私やるね」
音楽が流れる。
彼女は全力で踊る。
終わる。
息が上がる。
「どう?」
少しの間。
そして、画面外の声。
「……0:08」
即答だった。
「左肩、まだ甘い。
0:15、呼吸の入り方浅い。
0:22、ターン前の足、ほんの1cm広い」
コメント欄が凍る。
プロすぎる
やっぱ現役
精度おかしい
震えてる
彼女は笑う。
「悔しい」
素直な声だった。
「今の、完璧だと思ったのに」
画面外の彼女が、小さく言う。
「完璧だったよ」
少し間。
「でも、まだ上がある」
沈黙。
視聴者の心臓が跳ねる。
「じゃあ、今度そっち」
元アイドルが言う。
「え?」
「踊って。顔映さないようにするから」
コメント欄が絶叫する。
うそ
まじで?
踊ってくれるのか
史上最大神回
カメラが少し下を向く。
顔は映らない。
首から下だけ。
音楽が流れる。
そして。
違う。
空気が違う。
重心の置き方が違う。
“今”のトップの踊り。
配信部屋の空間が、急にステージになる。
踊り終わる。
静寂。
コメント欄が止まっている。
元アイドルが口を開く。
「……やば」
息を吐く。
「0:10、足音消えてる。
0:18、呼吸見えない。
0:23、視線で空気変えた」
少し間。
「0:27」
彼女は言葉を選ぶ。
「ちょっと、守ってる」
画面外が止まる。
ほんの一瞬。
「……分かる?」
「分かる」
静かなやり取り。
コメント欄は何も言えない。
配信が一度ミュートになる。
マイクをオフにしたまま、二人は話す。
「怖いんだよね」
現役アイドルが小さく言う。
「壊れたら終わるから」
元アイドルは頷く。
「私は壊れてもいい場所にいる」
少しだけ笑う。
「だから、全部出せる」
現役は息を吐く。
「羨ましい」
「戻りたい?」
沈黙。
「……戻らないで」
それは本音だった。