もしも庵歌姫に加茂家の同級生がいたら 作:暇人
一話:春と出会い
2002年4月
京都府立呪術高等専門学校。
日本に二つしか存在しない呪術師の育成及びサポートを行なっている四年制の呪術教育機関だ。
その門前に彼女はいた。
綺麗な黒髪を肩下まで伸ばし、両側を低い位置で結っている。切り揃えられた前髪の下には切れ長の目が見える。
白い小袖に深紅の袴を纏った姿は、巫女のようだ。
彼女の名は
この春から京都の呪術高専に入学する新入生。
そんな彼女の内心は、
(やっばい、めっちゃ緊張する…!)
緊張で門の前に立ち止まっていた。
彼女がこのような状態に至ったのは当然理由がある。
というのも、彼女の同級生となる新入生に御三家の一つである加茂家、その次期当主がいるというのだ。
御三家。その存在を知らぬ者は呪術界にはいないほどの名家であり、数多くの呪術師を輩出している。彼らの存在は今日までの非術師の安寧に大きく貢献している。
しかし同時に、御三家には過剰な実力主義による差別や前時代的な女性蔑視等の、歪んだ価値観が根付いているという負の側面があった。
おまけに加茂家は御三家の中でも特に保守派であり、禪院家・五条家と比較して前時代的な価値観が強いときた。
歌姫からすればそんな環境で育った純度120%の御三家人間などたまったもんじゃない。
(なんたって私の同級生に、そんな家の次期当主が来るのよ〜!!)
既に歌姫の脳内では、歌姫をいじめたりパシろうとしてくる新入生と過ごすという最悪な未来が渦巻いていた。
もっとも歌姫としては大人しく従うつもりは微塵もないが、本当にそんな同級生がいるのなら、クソみたいなストレスを抱えながら4年間を過ごすことになる。
歌姫はそんなことを想像して、緊張と不安で門前に立ち尽くしていた。
「ハァーッ、こんなとこで考えてもしょうがないわ。頑張れ、舐められるな私!覚悟を決めるのよ!」
そう声に出して自分に喝を入れ、歌姫は京都校へと足を踏み入れた。
そして、そんな歌姫を後ろから見つめる人影があった。
彼は急に大声を出してズンズンと歩いていく歌姫を見て静かにクスッと笑った。
歌姫は学長である楽巌寺嘉伸との自己紹介を済ませて、教室へと案内された。
教室にはその広さに見合わず、ポツンと机が二つ置かれていた。
(机が2つだけ?…いや…まさか…)
歌姫はその机に座って、少し間を置いてから楽巌寺学長に疑問をこぼした。
「あ…あの…今年の新入生って、もしかして私を入れて2人だけですか…?」
「…ああ、その通りだ。呪術師は人手不足が常ということは知っているだろう」
楽巌寺学長は見ればわかるだろうと言った様子で歌姫の疑問に答えた。
一方の歌姫は呪術高専の新入生が毎年少ないことは知っていたものの、まさか自分含めて2人のみとは露知らず、動揺で心臓の鼓動が強まっていた。
(だ、大丈夫…まだ決まったわけじゃないわ。まだワンアウト…)
「じゃあ、その…もう1人の新入生って、加茂家の人だったりします?」
「ああ、そうだ。加茂は既に下見は済ませているからもう少しすれば来るだろう」
(終わった…!!さらば、私の眩しい青春…)
御三家の次期当主とこれから4年間2人きり。ただの噂であれと願っていた最悪な状況を引き当てた上に、同級生はその加茂家の次期当主のみ。歌姫は、机に体を突っ伏して諦めモードに入っていた。
そんな時教室にドアがノックされる音が響く。歌姫は体を起き上がらせドアに視線を向ける。
「入れ」
ドアが開き教室に高専の制服を身に纏った1人の青年が入る。青年の身長は目測で180弱程度だろうか、すらっとした体格で、前髪は目元にかかる長さで中央から自然に分かれ、側頭部は軽く跳ねるように無造作だ。後ろは長めに残して低い位置でひとつに束ねてローポニーにしている。
そして、顔。
街を歩けば振り向かれる――その手の表現が誇張じゃなく見える整い方だった。
彼は座っている歌姫に目を向けた。
「はじめまして。
「え?あっ、…はい。えっと、私は庵歌姫です。こちらこそよろしくお願いします…」
声は柔らかく、丁寧な言い方で彼…加茂理央は微笑んでいた。
それは歌姫が想像していた横暴な人物像とは、口調も雰囲気もかけ離れていた。
歌姫は想像していた御三家の人間とのギャップで混乱して、妙にらしくない言い方で自己紹介をしてしまった。
その後楽巌寺学長が呪術高専の説明や呪術師としての心得を軽く解き、その日の日程は終了した。
放課後。学長が席を外し、教室に二人きりの静けさが降りた。
歌姫は机の端を指でなぞりながら、視線だけ理央へ向ける。
「……えっと。ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい? 加茂さんが次期当主って話……本当なの?」
理央は一瞬だけまばたきをして、少し困ったように笑った。
「そう…ですね……そう
(“言われてる”って……自分のことなのに、随分他人事みたいに言うのね)
「そっか……加茂さんってなんというか、私が想像してた“御三家”の人と違うというか…」
理央は「そうですか?」とだけ言って、首を少し傾けた。
「じゃあ庵さんは、どういうのを想像していました?」
「えぇ?うーん……もっと、こう……偉そうで、上からで、女を見下すみたいな…」
言いながら歌姫は「最悪だな」と自分で思った。
でも、引っ込めるのも違う気がして、視線を外さない。
一方の理央は歌姫の言い方に怒る素振りもなく、ただ歌姫の様子を面白そうに見ていた。
「フフッ、確かに庵さんの想像通り、残念ながら御三家はそういう人が大多数ですね」
「……じゃあ、加茂さんは。なんでそうじゃないの?」
理央は少しだけ考えてから、教室の窓の外へ目をやった。
言葉を選んでいるようで、実際は喉元まで込み上げた何かを精一杯飲み込もうとしているようだった。
「……たぶん、合わなかったんだと思います」
「合わない?」
「暴力とか、蔑視とか…それらを是とする家の空気というか、価値観が。……それが“当たり前”って顔をするのが、どうしても」
そこで理央は窓の外に逃がしていた視線を戻し、苦笑に似た柔らかな笑みを零した。こぼれた感情を丁寧に畳むように、落ち着いて歌姫の目を静かに見た。
「すみません。初日にこんな話、するつもりはなかったんですけど」
「いやいや、聞いたのは私だし……むしろ、聞けてよかった。いや、変な意味じゃなくて。安心したっていうか」
理央は「それならよかったです」と微笑んだ。
「それと……もし良ければ、なんですけど」
「なに?」
「“加茂”って呼ばれるの、少し
そう言う理央の顔が、あまりにも申し訳なさそうで、歌姫は思わずきょとんとした。
加茂家の次期当主が、同い年の自分にこんなふうにお願いをするのが可笑しくて、教室に入ってから初めて吹き出して笑い――それから頷いた。
「……わかったわ。これからは理央って呼ぶ。私のことも歌姫でいいわ。さん付け慣れてないし」
「……助かります」
理央の声が、さっきよりほんの少しだけ軽くなる。
「改めて。歌姫、これからよろしくお願いします」
「うん。よろしく、理央」