もしも庵歌姫に加茂家の同級生がいたら   作:暇人

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十五話:守護者の産声

 

 

――パリンッ!

 

鏡が割れるような甲高い音と視界を埋め尽くす白光が三人を包んだ、その直後。

 

「……っ、ふぅ……」

 

歌姫は体勢を崩さずに、石造りの床に着地した。

 

「ここは……」

 

歌姫は周囲を見渡す。石板に刻まれた聖句、堂内の隅に配された螺旋階段の位置と向き、すべてが元通り正常になっていた。

そして、鏡の世界特有の淀んだ不快な空気も消えている。

 

(よし、ちゃんと戻ってこれた……。読み通り、あいつが『楔』だったわけね)

 

ふと、背後の気配に意識を向ける。

 

「……タクヤくん、アイちゃん、二人ともちゃんといるわね」

 

歌姫が声をかけると、床に倒れ込んでいたタクヤとアイが顔を上げた。

タクヤは痛む足を押さえながらも、必死に顔を上げて周囲を見回している。

アイは、震える手で自身の腕を強く握りしめて大粒の涙を流していた。

 

「……私、本当に、……生きてる……っ」

「歌姫さん……僕たち、本当に……」

「ええ、帰ってきたわ。二人とも、怪我はないわね?」

 

二人の無事を確認し、歌姫は前を向く。

彼らを守って現実へ連れ戻した事実は、歌姫の内に確かな達成感として刻まれていた。

 

しかし、その余韻に浸る時間は与えられない。

 

ズズ……ズズズッ!

 

礼拝堂の大鏡から禍々しい呪力が溢れ出し、続いて黒雲のような瘴気がドクドクと吐き出される。

 

「……やっと、出てきたわね」

 

黒雲は渦を巻きながら空中に集い、その中心からぬらりと『一つの丸い鏡』が浮かび上がる。

鏡の縁を、拍動する肉塊が覆っていた。

 

ギョロリ

 

鏡面には剥き出しになった巨大な目玉が浮かび上がり、忌々しげに歌姫を見下す。

さらにその下からは、長大な舌がズルリと這い出し、不快な音を立てて大気を舐め回した。

鏡世界という隠れ蓑を剥ぎ取られ、ついにその悍ましい本体を現した。

 

特級仮想怨霊『雲外鏡』

 

鏡世界は崩壊した。しかし、それはあくまで状況が振り出しに戻ったに過ぎない。

 

ズズズッ、ドロォッ!

 

「……っ、まさか!?」

 

大鏡の表面が波打ち、鏡の世界にいた呪霊の群れが、濁流のごとく現実世界へと吐き出された。

その数は十体――いや、それ以上だ。

 

「ヒッ、あ、あああっ!」

「歌姫さん!」

 

背後でアイとタクヤの悲鳴が上がる。

呪霊たちの狙いは明確だった。

強大な呪力を纏う歌姫ではなく、より非力で恐怖に震える非術師の二人へと、飢えた獣のように殺到する。 

 

「……舐めた真似してくれるじゃない。あんたたちの相手は私よ!」

 

歌姫は地を蹴り、二人を背に庇うようにして前に出た。

『単独禁区』の効果を維持し、上昇した身体能力で呪霊の首を撥ね、胴を貫く。

短時間で数体を祓うが、敵の勢いは一向に衰えない。

 

「アイちゃん、伏せて!」

「ヒッ!」

 

横合いからアイへ伸びた爪を、歌姫は自身の腕で迎撃し、その呪霊の顔面に鋭い前蹴りを叩き込む。

 

(この子達には指一本だって触れさせない…!)

 

だが、守るべき範囲が広すぎる。

 

「くっ……!」

 

次第に白の巫女装束が赤く染まり始め、赤い袴は所々が裂ける。

肩を掠めた爪、防いだ腕を痺れさせる鈍い打撃。

庇うごとに、彼女の身体には着実に傷が増えていく。 

 

その光景は、アイとタクヤにとってあまりに過酷なものだった。

自分たちに向けられるはずの暴力と痛みを、彼女はすべて引き受け、一歩も退かずに拳を振るい続ける。

その痛々しい献身が二人の胸を締め付ける。

 

「…なんで……そこまで……」

「……っ、僕らのせいで……僕らが、ここにいるから……」

 

傷口から走る痛みを、歌姫は奥歯を噛み締めてねじ伏せる。

視界の端では雲外鏡がその様子を、愉悦に浸るように見下ろしている。

 

「……ククク。雑魚風情が、随分と手古摺らせてくれたものよな」

 

男か女かも知れぬ奇妙な声音が雲外鏡から発せられる。

 

「その小童二人を庇いながら、この群れを相手にするのは、さぞかし辛かろう」

 

鏡から伸びた饒舌な舌が、宙で愉快そうに動く。

雲外鏡の瞳は、歌姫の肉体に刻まれた裂傷を捉えていた。一人ならまだしも、守るべき存在を抱えた状態での消耗戦。

雲外鏡は、歌姫が絶望に染まる瞬間を待ちわびていた。

 

 

 

だが。

 

 

 

「……辛い? ふふ、あんた無駄に大きい目玉ぶら下げてるくせに、随分と節穴なのね」

 

歌姫は切れた唇の端を指先で拭い、挑発的な笑みを浮かべる。

依然として肩と腕から流れる血が巫女装束を汚し、激しい呼吸が肺を焼くような痛みを引き起こす。

 

だが、その瞳の光は少しも衰えていない。

むしろ、追い詰められるほどに彼女の内側に眠っている

『呪術師』としての才能が、どす黒い歓喜を伴って脈打ち始めていた。 

 

「私はね……昔の、ただ守られる側で、震えて逃げ回ることしかできなかった自分がヘドが出るほど大嫌いだったのよ」 

 

脳裏に浮かぶは、かつて呪霊に襲われ、友人を担いで逃げることしかできなかった惨めな自分。

そして颯爽と現れ、当たり前のように自分たちを救ったあの術師の背中だ。 

 

「助けられる力があるなら、そっち側に行きたい。……守られる側じゃなく、守る側の人間になりたいって。そう願って、私はこの世界に首を突っ込んだのよ?」

 

そして今、その願いは叶っている。命を懸けるべき対象が隣にいて、自身は『守る側』だ。

その事実に、歌姫は脳が痺れるような充足感すら覚えていた。

 

「今まさに、私は望んだ通りに戦えてる。あんたっていう特級を相手に、守るべき大切な存在を抱えて、ここに立ってる……。これ以上の贅沢なんてないわ」

「贅沢……だと……?」

 

 

他者を弄び、蹂躙し、その絶望を喰らうことを本能とする雲外鏡にとって歌姫の言葉は理解の範疇を超えていた。

 

他者のために命を投げ打つという、生存本能に逆行した理解不能の論理。

そんな不条理を、この女はあろうことか「贅沢」と呼び、天衣無縫(てんいむほう)な童のごとく、その瞳を輝かせている。

 

(……なんだ………この感覚は?)

 

その異様な精神性に、雲外鏡は得体の知れない悪寒を覚えた。

そして、雲外鏡の顔から笑みが消え失せる。 

 

「むしろ、礼を言いたいくらいだわ。……ああ、最高。私、今ちゃんと『呪術師』をやってる……!」

 

その言葉と共に放たれた濃密な呪力に一瞬、周囲の呪霊たちがたじろぐ。

多勢に無勢。全身は傷だらけ。

しかし、死地においてなお口角を吊り上げるその姿は、紛れもなく『呪術師』そのものであった。

 

「……抜かせッ!」

 

その咆哮と共に、呪霊の群れが一段と勢いを増して歌姫に襲いかかる。

 

「ギシャァァッ! ギギッ、ギギギギ……!」

「カユイ、アツイ、イタイイタイイタイィィ」

「……ミテ、ミテ、コッチ、ムイテ……グヘッ、フヒヒッ……!」

 

どれだけ歌姫の心が折れずとも、状況は絶望の一途をたどっていた。歌姫の呼吸は乱れ、傷は少しずつ、しかし確実に増えていく。

 

「人間風情が思い上がるな!いかに虚勢を張ろうと、我に敵うものか!」

 

雲外鏡が頭に響くような大声で吠える。

だが、歌姫が狼狽えることは微塵もなかった。

彼女は血の混じった唾を吐き捨てると、どこか確信に満ちた笑みを浮かべて答える。

 

「……確かにそうね。私一人じゃ、あんたには敵わない。私だって自分の実力くらい弁えてるわよ」

 

 

歌姫はそこで言葉を切り、頭上の天窓を仰ぎ見た。

 

 

「でもそれは――『私一人』なら、の話でしょ」

 

 

ドォォォォンッ!!

 

 

次の瞬間、礼拝堂の天窓が粉々に粉砕された。

降り注ぐガラスの破片が陽光を反射して輝く中、一つの人影が呪霊ごと床を粉砕し、豪快に着地する。

 

立ち込める土煙から立ち上がったのは、乱れた黒髪をかき上げ、冷徹な眼光を放つ青年。

 

「……随分とかっこいい登場じゃない。理央」

 

歌姫は血に汚れた顔でどこか満足げに、そして穏やかに笑った。

 

「すみません、歌姫。……遅くなりました」 

 

鎮痛な面持ちで謝罪を口にする理央。瞳には、傷だらけの同級生に対する痛ましさと、敵への静かな怒りが同居していた。 

 

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