もしも庵歌姫に加茂家の同級生がいたら 作:暇人
前回後一話で終わると言いましたが、書いてたら三話くらいに伸びそうです。早く更新できるように頑張ります。
窓の外には、突き抜けるような青空と、きらきらと輝く海が広がっていた。
波が岸を打ち付ける音が、遠くから微かに響いてくる。そんな絶好の行楽日和とは裏腹に、病院の一室で歌姫は退屈そうにベッドに横たわっていた。
特級仮想怨霊「雲外鏡」の討伐から、既に数日が経過していた。
歌姫は幸いにも致命傷こそ負わなかったが、想定外の特級案件に巻き込まれたこと、そしてタクヤとアイを庇った傷を理由として陽子に、数日間の絶対安静を言い渡されていた。
「ハァ……退屈だわ……」
天井のシミを数えるのにも飽き、歌姫は深いため息を漏らした。
本人の感覚としては、体の傷などもはや気にするほどのものではなかった。
それどころか歌姫は雲外鏡を討伐して以来、体調はむしろ良好だった。原因はおそらく、戦いの最後に決めた「黒閃」の影響だろう。
あの極限の火花を経て、彼女が見る世界は一変していた。
そんな理由もあり、歌姫は陽子の対応が大袈裟すぎると感じていた。というか客観的に見ても大袈裟であり、陽子の過保護な一面が出ていた。
歌姫は今すぐにでも外の砂浜を全力で駆け抜けたいくらいだというのに、数日間ベッドの上とはなんとももどかしかった。
だが、任務から帰った自分たちを泣きそうな顔で迎えた陽子を前に、その厳命を突っぱねるわけにもいかなかった。
「……ただいま戻りました、歌姫」
不意に病室のドアが開き、涼やかな声と共に理央が姿を現した。その両手には、地元のスーパーやドラッグストアのロゴが入った袋が下げられている。
理央は今回の戦いで目立った負傷がなかったため、歌姫のように入院を強いられることはなかった。かといってすぐに次の任務が入るわけでもなく、歌姫と同じ街に留まって報告書の作成に追われていた。今はその合間を縫って、動けない歌姫の代わりに生活必需品を買ってきたところだ。
「おかえり。暇すぎて死ぬかと思ったわ」
ベッドの上で身を起こした歌姫が軽くそう言う。理央は、買ってきた飲み物や日用品を棚や冷蔵庫に並べていく。
「ハァ〜、こんなに体の調子がいいのに、ずっと横になるのは中々しんどいわね」
不満げに口を尖らせる歌姫に、理央は手を止めずに答えた。
「黒閃を決めた影響で、体が万全だと錯覚しているだけですよ。ここでちゃんと治しておかないと、後々に響きますから、ちゃんと安静にしてください」
「……そんなの分かってるわよ」
歌姫はつまらなそうに視線を逸らし、窓の外に広がる景色を指さした。
「別に、激しい鍛錬をするって言うならともかく、ちょっと出かけて遊ぶくらいならいいじゃない?
せっかくこんなに海が綺麗な街で、窓からだって見えてるのに。遊びに行けないなんて、ものすごい生殺しよ……」
「そんなに海で遊びたいんですか?傷口に海水が染みるかもしれないですよ?」
理央は素朴な疑問を口にした。
確かに窓から見える海は綺麗だが、彼には歌姫がそこまで固執する理由がわからなかった。
「そら……そうよ……そら、あれよ……」
理央の言い分に歌姫が急に歯切れ悪く目を泳がせる。
「……あれですか」
理央が真顔で返すと、歌姫は誤魔化すように言葉を続けた。
「とにかく、こんな八月のいい感じの夏なんだから。海とかに行って、可愛い水着を着て、あんなことやこんなことがしたいのよ」
理央はふっと息を吐き、小さく微笑んだ。
あんなことやこんなこと、と熱弁する彼女の元気な様子に少しだけ安堵したのかもしれない。
「……わかりました。僕から、陽子さんに許可を取ってみます」
「本当?」
歌姫は顔をほころばせたが、すぐにハッとしてシーツを握った。
「……ああでも、許可が出たとして水着はどうしよう……流石に持ってきてないしな〜……」
「それも陽子さんに頼みますか?」
「いやいや、そこまでさせるのは申し訳ないわ。
うーん……ねえ、今から二人で買いに行かない?」
歌姫は少し身を乗り出し悪戯っぽく、期待を込めた視線を理央に向けた。
「水着を買いに行くための外出許可。それも含めて、陽子さんに聞いてみてよ」
開け放たれた窓から吹き込む潮風が、真っ白なカーテンをふわりと揺らす。
死線を越えた二人が、ただの同年代の少年少女に戻って、小さな夏の計画を立てている。そんな時間が、退屈だった病室を満たしていた。
◆◆◆◆
陽子はその日のうちに二人の要望を聞き入れ外出の許可を出した。
海沿いの街は相変わらず、強い日差しと潮の香りに包まれていた。アスファルトの照り返しがきつく、肌を焼くような真夏の暑さがまとわりつく。けれど、極限の死線を越えたばかりの二人にとっては、その焦げるような熱さすら「生きている実感」として、どこか尊いものに思えた。
そして二人は道端の売店に立ち寄ると、理央が迷わず手に取った二本で一組のチューブ型アイスを購入し、並んで歩きながらそれをパキリと二つに分けた。
「はい、どうぞ歌姫。……やっぱりこのアイスは美味しいですね」
理央は分けた片方を手渡し、もう片方を口に運ぶと、子供のように素直な笑顔を見せた。
彼にとってこのアイスは、唯一の「お気に入り」らしい。普段は食事に関しても疎い面が多い彼が、この安価で庶民的なフローズンデザートに対してだけは、確かな好意を抱いているようだった。
「ん〜本当。やっぱり夏に外で食べるアイスって、別格ね。……というか、あんたってアイスにだけは妙なこだわりがあるわね。そんなに好きなの?」
歌姫も冷たい感触を楽しみながら、隣で幸せそうにアイスを口にする理央に問いかけた。
「……はい。味ももちろんですが、こうして誰かと分けて食べられるのが、なんだか良いなと思うんです」
理央は少し嬉しそうに答えた。
「へぇ……。まあ、確かに一人で二本食べるより、誰かと半分こした方が美味しく感じるかもね」
歌姫は意外な回答に少しだけ目を見開いたが、すぐに納得したように笑って彼の歩幅に合わせた。
そうして海沿いの通りを並んで歩いていると、ふと掲示板が目に留まった。そこには一枚のポスターが目立つように大きく貼られていた。
「あ、見て理央! 明日、ここでお祭りがあるんだって」
歌姫が足を止め、色鮮やかなポスターを指差した。そこには『〇〇夏祭り 花火大会』と大きな文字で書かれている。
「ちょっと、こんな楽しそうなイベントがあるなら言いなさいよ」
不満げな歌姫に理央はアイスの容器を片手に、苦笑いをしながら答えた。
「……すみません。歌姫が明日までに退院できるとは思っていなかったので。期待させて、行けなかったら悪いと思って言わないようにしていました」
「フフン、今となっては陽子さんの許可も取れたんだから、明日のこのお祭りだって絶対行くわよ!」
歌姫は意気揚々とそう言い放ったが、ふと一つの疑問が浮かんで理央をじっと見つめた。
「ていうかそもそもの話だけど、理央って夏祭りがなんなのかわかってるの?」
「………それは、あれ、祭り……ですよね」
理央は一瞬の沈黙の後、どこか遠くを見ながら、適当な誤魔化し方で返した。
「いや、あんた絶対わかってないわよね?」
思わず歌姫が突っ込みを入れる。
理央は加茂家の中で行われる儀式などの祭礼は知っていても、屋台が並び、浴衣を着て歩き、型抜きに一喜一憂するような、雑多で温かな夏祭りというものは知らなかった。
「いい? 夏祭りっていうのはね、色んな屋台とか、花火とか……まあとにかく、楽しいことがいっぱい詰まったものなのよ」
「……そうですか。歌姫がそこまで言うのなら、きっと素晴らしいものなのでしょうね」
「当たり前でしょ! もう、明日がますます楽しみになってきたわ」
一気に機嫌を良くした歌姫は、軽やかな足取りで水着ショップへと向かい出す。
「さあ、まずは水着よ! お祭りの前に、明日の朝は海なんだから。……最高の夏にしてあげるわ、相棒!」
口の中に残ったアイスの甘さと、隣で響く屈託のない笑い声。理央はその両方を静かに噛み締めながら、歌姫と肩を並べて道の奥へと歩を進めた。
◆◆◆◆
目的の水着ショップに到着すると、歌姫はそのまま理央の水着を選ぶべく、男性用の区画へと歩き出した。
「よし、次はこれ着てみて。あ、こっちの色もいいかも!」
歌姫は理央の代わりに様々な水着を選び出し、まるで着せ替え人形でも扱うかのようにその時間を楽しんでいた。
そして、言われるがままに着せ替えられる理央の水着姿を見て、歌姫は彼が意外と着痩せするタイプなのだと気づいた。
「……へぇ、理央って服の上からじゃわからなかったけど、結構ガッチリしてるのね」
「そうなんですかね。あまり自分ではわからないのですが」
理央は顔立ちこそ美しく中性的な印象が目立つが、衣服の下に隠された体には逞しい筋肉が刻まれ、ストイックに鍛え上げられていた。百八十センチ半ばの長身と均整の取れたスタイルも相まって、どんな水着を合わせてもひどく見栄えが良い。
「歌姫、流石にこの柄は派手すぎませんか? もっと地味なもので良いと思うのですが」
試着室で、理央が少し困惑した顔で自身の姿を見ながらそう言った。着ているのは、青や橙、黄色といった明るい配色で、南国の花が描かれたビーチシャツだ。
「あんたねぇ、自分のポテンシャルを低く見過ぎよ。確かに普段の理央からしたら、少し勇気がいる柄かもしれないけれど……。でも絶対こういう色味の方が理央の雰囲気に合うわよ!」
自信満々に言い放つ歌姫の勢いに、理央は毒気を抜かれたようにふっと微笑んだ。
「……わかりました。歌姫がそこまで言うのなら、これを着ることにします」
「よし、決まり! じゃあ、水着の方はあんたが選んだ紺色のやつにしましょうか。これだけシャツが華やかなら、下はシンプルにした方がバランスが取れるしね」
納得した理央の様子に満足した歌姫は、そのビーチシャツと、彼が選んだ膝丈ほどある紺色の水着をカゴに入れた。
「さてさて、次は私の分ね」
そのまま歌姫が自身の分を見繕うために店内を移動していると、理央はレディースコーナーの入り口でぴたりと足を止めた。
「えっと……僕は、ここで待っていますね」
「えっ、なんでよ?」
当然のように進もうとする歌姫に対し、理央は困惑したように視線を泳がせる。
「いえ、流石に……。男子の僕が、その、こういう所に踏み入るのは……」
「プッ、フフフ。大丈夫よそんなの気にしなくて。ほら、一人で選ぶより理央の意見も聞きながら決めたいから、さっさと来なさい」
歌姫は理央の腕を掴むと、抵抗する間も与えずレディースコーナーの中へと引きずり込んだ。
「見て、このデザインとか素敵じゃない? あっ!あっちの青色も夏っぽくていいわね」
次々と水着を手に取っていく歌姫。色鮮やかな女性用水着が並ぶ独特の空間に、理央は所在なげに立ち尽くし、彼女の背中を見守るしかなかった。
やがて、歌姫は可愛らしいフリルのついたフレアビキニを手に試着室へと向かう。
「ちょっと理央、何そんなに固まってるのよ。石像みたいになってるわよ?」
カーテンが開き、姿を現した彼女に、理央は少しオドオドとした様子で視線を彷徨わせた。
「……その、まだ包帯を巻いているのに、そんなに露出の多い格好は……」
「まあ、どんだけ露出が少なくても包帯は見えるし、そこは別に気にしてないわよ」
あっけらかんと返す歌姫だったが、ふと鏡に映る自身の姿を見て、微妙な顔つきになる。
彼女の視線の先にあるのは、自身の腹筋だった。それはうっすらと縦筋が入ったような生易しいものではなく、男性顔負けのバキバキに割れた筋肉の鎧である。この半年間、生き残るためにひたすら過酷な鍛錬と任務をこなしてきたのだから当然と言えば当然だが、可愛らしいフリフリの水着とはどうしてもアンバランスに思えてならなかった。
「ああ、でも……やっぱり、やめようかしら。このお腹じゃ、こういう可愛いのは似合わないわよね」
少し気にするように呟く歌姫に、理央は真っ直ぐな瞳を向ける。
「そう……ですか? 僕は綺麗だと思いますよ」
「えっ?」
淡々と、嘘偽りのない言葉だった。歌姫が少し言葉に詰まっていると、理央は視線を外し、隣の棚にあったラッシュガード付きの控えめなデザインのものを指し示した。
「ただそれはそれとして、僕はこちらを勧めます」
気恥ずかしそうながらも、真面目に露出の少ない水着を勧める理央に、歌姫は少し呆れたように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。
「……そっか。理央がそう言うなら、こっちにするわね」
歌姫は手にしていた派手なビキニをそっと棚に戻し、理央からラッシュガード付きの水着を受け取り、大事そうに胸に抱えた。
「ありがと。……似合うといいんだけど」
はにかんだ笑みを浮かべ、水着を大切そうに持つ歌姫の横顔。ただ明日を待ち遠しく思う純粋な思いだけが、彼女の心を満たしていた。