もしも庵歌姫に加茂家の同級生がいたら   作:暇人

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十八話 : 汀の戯れと再会

 

 

「海だーーーー!!!」

 

突き抜けるような青空の下、歌姫の歓声が響き渡った。

昨日、病室の窓越しに眺めていた景色も十分に綺麗だった。

けれど、いざ砂浜で寄せては返す白波を間近にすると、その透明感と開放感は格段に違って見える。

 

「ハァー……やっぱり、実際に来ると最高ね!」

「ええ、これは……すごいですね」

 

昨日選んだ水着を身に纏った歌姫が、隣に立つ理央を振り返る。理央もまた、慣れないビーチシャツを気にしながらも、美しい水平線を見つめていた。

 

「……いや、でも」

 

歌姫は背後に漂う異様な賑やかさに、眉をひそめて振り返る。

 

「なんで陽子さんたちまで、ちゃっかり来てるんですか!?」

 

そこには、理央と歌姫と同じように水着を着た陽子、そしてタクヤ、アイ、サキの姿があった。

 

「あら、何言ってるのよ歌姫ちゃん。許可は出したけど、あなたまだ怪我が治りきってないんだから。私が近くにいた方が、何かと安心でしょ?」

 

サングラスをかけた陽子は柔らかな微笑みを浮かべて答える。だが、その手には大きなスイカ、脇にはパンパンに膨らんだ浮き輪、足元にはビーチバレーのボールまで転がっている。どこからどう見ても、見守り……というよりは夏の海を楽しむ気満々の佇まいだった。

 

「いや、明らかに楽しむ気MAXじゃないですか!絶対仕事じゃなくて私情ですよね!?」

 

歌姫の鋭いツッコミが飛ぶが、陽子は「まあまあ、細かいことはいいじゃない」と軽やかに受け流す。

 

「というか……タクヤくん達まで連れてきて、大丈夫なんですか?」

 

歌姫が少し心配そうに視線を向けると、陽子の後ろからタクヤ、アイ、サキの三人が前へ出た。

彼らは呪霊による外傷もなかったため、数日間の静養で、日常生活を送る分には全く支障がないほどに回復したのだという。

 

「……あの、歌姫さん。助けてくれて、本当にありがとうございました」

 

まず口を開いたのはタクヤだった。続いて、アイが俯いていた顔を上げて、真っ直ぐに歌姫を見つめる。

 

「……歌姫さん、ごめんなさい。あの時、守ってくれたのに八つ当たりしちゃって。……あと、助けてくれて、本当にありがとう」

 

細いが芯があり、心のこもった謝罪と感謝の言葉。歌姫は一瞬だけ面食らったような顔をしたが、すぐに優しく目を細めた。

 

「……うん、どういたしまして。何はともあれ、こうして海に来られるくらいに元気になって良かったわ」

 

その横で、サキが理央の元へと駆け寄っていた。

 

「理央さん、本当にありがとうございました! 助けてもらったお礼、ちゃんと言いたくて……。あと、その、今日の水着姿、すっごく格好いいですね!」

「……ありがとうございます」

 

サキの天真爛漫な称賛に、理央は嬉しそうに頬を緩めて答える。サキはそんな理央に耳の端を少し赤くしていた。

 

「いや、まあ……それはそれとして、あんたたちも遊ぶ気満々すぎない!?」

 

しんみりした空気を振り払うように、歌姫は水着姿の三人にビシッと指を突きつけた。タクヤはシュノーケルを首にかけ、アイは水鉄砲をサキは日焼け止めを握りしめている。その様子に、理央がふっと隣で口を開いた。

 

「今日は一段とツッコミのキレがいいですね、歌姫」

 

ちゃかしているのか、本心なのか。相変わらず読めない温度感のフォローに、歌姫はジト目を向ける。

 

「……そういうあんたはやけに落ち着いてるわね」

「はい。昨日、陽子さんから連絡を受けていましたから」

 

事もなげに答える理央に、歌姫の眉間がピクリと跳ねた。

 

「さ・き・に・言いなさいよ〜〜〜!!!」

 

歌姫の絶叫が波の音をかき消すように響く。

 

「サプライズ、というものをやってみたかったので」

 

理央はどこ吹く風で視線を海へと向けた。

 

「さあ皆! 折角の海なんだから、楽しまなきゃ損よ!」

 

陽子の号令に、タクヤたちが「おーっ!」と元気よく拳を突き上げる。二人きりの静かな海を想像していた歌姫は少しだけ肩を落としたが、賑やかすぎる周りの姿を見て、思わず笑ってしまった。

 

「……もう、陽子さんもあんたも皆勝手なんだから」

「フフッ、すみません歌姫。ただ、賑やかなのはいいことじゃないですか」

 

太陽が砂浜を白く焼き、潮風が火照った肌を心地よく撫でていく。

鏡世界で呪霊に怯えていたタクヤたちも、ただの少年少女に戻っていた。

波打ち際で声を上げ、寄せては返す波に足を取られては、笑い転げている。

 

「まあ確かに、それもそうね。じゃあ理央、私たちも行きましょうか!」

 

歌姫に腕を引かれ、理央も(みぎわ)へと足を動かした。

 

 

まず始まったのは、アイがバッグから取り出した水鉄砲による、賑やかな撃ち合いだった。

「水鉄砲で水合戦」という定番の遊びだったが、理央にとっては新鮮な体験だった。

 

「……面白い道具ですね。これで水を飛ばし合うんですか?」

「そうよ! ルールは簡単、相手をびしょ濡れにした方が勝ち。さあ、チーム分けするわよ!」

 

歌姫の仕切りで、チームは【理央・サキ・陽子】対【歌姫・アイ・タクヤ】の三対三に決まった。

 

「じゃあ手加減なしで行くわよ、理央!全軍突撃!」

 

歌姫の号令とともに、戦いの火蓋が切られた。

各々が砂浜を縦横無尽に駆け回り、水飛沫が太陽の光を反射してキラキラと舞う。

 

陽子は「きゃあ、冷たい!」と笑いながら逃げ回り、サキは「理央さん、あっちです!」と元気よく叫びながら引き金を引く。

 

理央はといえば、初めての水鉄砲に戸惑いつつも、その動きには無駄がなかった。理屈をこねる間もなく、自然と射線上に相手を捉えていた。

 

「あ、当たった……。理央さん、百発百中じゃないですか!」

 

サキが感嘆の声を上げる。理央は狙い澄ましている様子もなく、ただ楽しそうに駆け回る歌姫の動きに合わせて、軽やかにトリガーを引いていた。

 

「ちょっと理央! あんた、なんでそんなに当てるの上手いのよ!」

「さあ?普段から術式で、似たようなことをしているからかもしれませんね!」

 

歌姫に猛攻を仕掛けながら、理央はどこか楽しそうに応える。

次の瞬間、タクヤとアイが挟み撃ちを仕掛けてくる。

しかし理央は純粋な反射神経で攻撃を躱し、距離を取って二人を返り討ちにした。

 

「うそ!」

「やられた!」

 

気づけば、フィールドに残っているのは理央と歌姫の二人だけになっていた。サキや陽子たちは、すでに砂浜に座り込んで降参!と笑いながら二人を見守っている。

 

「最後はあんたと私の一騎打ちね、理央!」

 

歌姫はラッシュガードを濡らしながら、不敵に笑って水鉄砲を構える。

理央もまた、少し乱れた前髪をかき上げ、彼女に真っ直ぐ水鉄砲を向けた。

 

「……はい。受けて立ちます、歌姫」

 

波打ち際、寄せては返す波の音が二人を包む。

一瞬の静寂の後、二人は同時に砂を蹴った。

 

「そこっ!」

「逃しません!」

 

交差する水飛沫。どちらが先に当てたのか、それとも同時だったのか。

輝く夏の光の中で、二人の楽しそうな叫び声と弾けるような笑い声が美しい青空の下、遠く響いていた。

 

 

水鉄砲での合戦が終わった昼過ぎごろ、陽子が取り出した大きなスイカを前に、一行のテンションは最高潮に達する。

 

「よし、次は理央くんの番ね。……はい、目隠し!」

 

陽子に手ぬぐいで目を覆われ、手渡された木棒を握りしめる理央。

普段から鍛錬を積んでいる理央にとって、五感を研ぎ澄ますために、視覚を遮断するのは日常茶飯事だが、スイカを叩くという平和な目的のためにそれを行うのは、ひどく奇妙な感覚だった。

 

「右! 右よ理央! ……あ、行き過ぎ!」

「理央さん、あと三歩前です!」

 

歌姫とサキの叫び声が交差する。理央は微かに首を傾げ、なんとか二人の声からスイカの位置を特定した。

 

「……ここです!」

 

迷いのない鋭い振り下ろし。パッカーン! と小気味よい音が響き、見事に真っ二つに割れたスイカから、甘い香りが弾け飛んだ。

 

やったー!と飛び跳ねる皆を見て、目隠しを外した理央は自分の戦果をどこか不思議そうに見つめていた。

 

「どう? 自分で割ったスイカの味は」

 

歌姫に差し出された一切れを口に運ぶ。

キンと冷えた果肉の甘みが、乾いた喉に染み渡っていく。

 

「……すごく甘いです!スイカって、こんなに美味しいものなんですね」

 

赤い果実を頬張る彼の口元が、満足げにゆるむ。潮風に揺れる髪の隙間から覗く瞳。それは夏の輝きを溶かし込んだようにキラキラと透き通っていた。

 

 

その後も、六人はビーチフラッグで砂まみれになったり、浮き輪を抱えて海に飛び込んで遊んでいた。

 

理央は、波に揺られながら空を見上げた。

 

「しょっぱい! もー、やめてよ!」

 

隣でサキが顔をしかめて叫び、タクヤとアイに勢いよく水を跳ね返した。

 

血の匂いもしない。

醜い呪霊もいない。

ただ、大切な人たちの笑い声だけが満ちているこの場所。

 

「……理央、楽しい?」

 

ふと横で浮かんでいた歌姫が、水面から顔を出して尋ねた。理央は少しだけ考えてから、深く、噛み締めるように頷いた。

 

「はい。……僕、海に来られて良かったです。歌姫と一緒に」

 

真っ直ぐな言葉に、歌姫は満足そうにそして、

 

「……私も、あんたと来れて良かったわ。さあまだまだ遊ぶわよ!相棒!」

 

 

 

 

 

やがて陽が傾き始め、どこまでも続いていた蒼い世界がゆっくりと朱色に染まり始めた。

 

砂浜に落ちる影が長く伸び始め、浅瀬では歌姫、タクヤ、アイ、サキの四人が、水飛沫を上げてはしゃいでいる。

 

その少し離れた場所、ビーチパラソルの下でくつろいでいた陽子のもとへ、理央が冷えた飲み物を手に歩み寄った。

 

「あ、理央くん。ありがとね」

 

陽子が飲み物を受け取りながら礼を言うと、黄金色に輝く海で遊ぶ歌姫たちに目を細めた。

 

「ふふ、若いっていいわねぇ……。あんなに動いたのに、まだ元気なんだから」

「……陽子さんも、十分お若いと思いますけど」

 

理央が至極真面目な顔でツッコミを入れると、陽子はくすくすと肩を揺らした。

 

「フフ、ありがとう理央くん。でも人間二十六にもなるとね、じわじわと体の衰えを感じ始めるものなのよ?」

 

冗談めかして笑う陽子の隣に、理央も腰を下ろした。二人はそのまま水平線に溶けていく夕陽を眺めていた。オレンジ色の光が二人の横顔を等しく照らす。

 

「こうして陽子さんと二人でいると、昔を思い出しますね」

「ッ、そ、そう?」

 

ふと、理央の視線が陽子の手元に落ちた。彼女は手に持った冷たい缶を、落ち着かない様子で何度も指先で弄んではこちらをチラチラと見ていた。

 

「あの……陽子さん」

 

理央が静かに名前を呼ぶと、陽子はびくりと肩を揺らし、視線を泳がせた。

 

「な、なあに? 理央くん」

 

「……前から少し思ってたんですが、何か悩み事でもあるんですか? 僕で良ければ、いつでも聞きますよ」

 

真っ直ぐな、けれど決して急かすことのない穏やかな声だった。

理央に見透かされていることに気づいた陽子は、自嘲気味にふっと息を吐き、視線を再び海へと戻した。

 

「……アハハ、うん、そうね。ごめんね、こんなに楽しい時に、湿っぽい顔をして」

 

陽子は覚悟を決めたように慎重に口を開いた。

 

「……少しだけ、昔の話をさせてくれる?ずっと、貴方に言わなきゃいけないって思っていたことなの」

 

その言葉に理央は静かに耳を傾けた。陽子の視線は、遠くで笑う歌姫たちの背中に固定されたままだ。

 

「あのね、私ずっと謝りたかったの。あの日……理央くんを置いて、自分だけ安全な場所へ逃げ出したこと。それなのに、今更また戻ってきて、貴方の前に現れたこと……」

 

陽子の指先が微かに震え、沈みゆく太陽がその横顔を朱く染め上げていた。

 

「許してほしいなんて言わない。自分勝手なわがままなのは分かってるわ。でも、もう私逃げないから、これからも貴方たちを支えさせてほしいの。それが、私が言いたかったこと……」

 

告白を終えたパラソルの下、理央は少しの間を置いた後、凪いだ瞳で陽子を見つめ、静かに問いかけた。

 

「陽子さんは……僕が、貴方に怒っていると……そう思いますか?」

 

想定外の問いに陽子は缶を持つ手に思わず力が入り、心臓が跳ね上がった。

理央の意図が掴めず、困惑の表情を浮かべる彼女に理央は淡々と、けれど心根を曝け出すように続けた。

 

「僕は、寂しかったです。貴方がいなくなった時、心に穴が開いたようでした。……でも、それと同時に、少しだけ安心したんです」

「安心……?」

 

理央の視線が、自分の掌へと落ちる。

 

「僕には間違いなく生まれ持った『才能』がありました。だから自分の身は自分で守れるし、この歪な世界でもどうにか生きてこれたと思います。けれど、補助監督という仕事は違います。術師と違って戦わない彼らが安全かと言えば、決してそうではない。術師が任務に失敗して、一緒に巻き込まれて命を落とすことは少なくないです。

……この世界で力のない人は、守りたい大切なものも、自分自身の命さえも、力のある人間に委ねるしかありません。それがどれほど残酷で、覚悟のいることか」

 

理央はかつて自分が幼い頃、陽子に補助監督を勧めた日のことを思い出していた。

 

「僕、ずっと後悔していたんです。僕が貴方をこの世界に引き止めてしまったんじゃないかって。だから陽子さんがこの世界を去った時、これで陽子さんは安全な場所へ行けたんだって、安心しました」

 

陽子は絶句していた。自分を見捨てて置いて行った女に対して、なぜ彼はそこまで深く、思いやりのある言葉を向けられるのか。

 

「……どうして、そんな……そこまで言ってくれるの? 私は戻ってきた後もずっと、逃げた事実から目を逸らして、貴方の前でヘラヘラと上辺だけで取り繕ってきたのに……」

「……そんなこと、僕は気にしていませんよ。それに、陽子さんが何か悩んでいることは、なんとなく分かっていましたから」

 

理央は責めるどころか、どこか懐かしむように目を細めた。

 

「……昔、僕はこの世界で『加茂家の人間』で、『呪術師』で、それ以上でもそれ以下でもない存在でした。ただ、陽子さんは、そんな世界でも僕をただの子供として見てくれました。当時の僕にとって、陽子さんは太陽みたいに眩しくて。……とても、暖かかったです」

 

理央は、ふっと思い出したように口角を上げた。

 

「陽子さん、覚えていますか? 昔、任務の帰りに、内緒だよって言って僕にアイスを買ってくれたこと。今日みたいな、本当に暑い夏の日。半分に割った片方を僕にくれて、二人で一緒に食べましたよね。陽子さんにとっては大したことじゃなかったかもしれませんけど、僕は本当に救われました。だから……今も昔もずっと、陽子さんのことが大好きです」

 

陽子はたまらず顔を背けた。込み上げてくる熱いものを堪えるように、目元を手で覆う。

 

「ハァー……もう、理央くんには敵わないな……」

 

涙ぐんだ、けれど晴れやかな声だった。理央はそんな彼女の横顔を優しく見守りながら、最後に本音を付け加えた。

 

「……陽子さんのような真面目で優しい人が、またこんな世界に戻ってきたことは、正直に言えば少し嫌でした。けど……それ以上にどうしようもないくらい嬉しい自分がいたのも事実です。だからこれからも、よろしくお願いします」

 

理央が陽子の方へ顔を向けると、陽子は涙を拭い、照れくさそうに、けれど力強く頷いた。

 

「……ええ。こんな私で良ければ、こちらこそ。精一杯、支えさせてね」

 

歪んだ世界で彼女に救われた少年と、彼を愛し、悔いて、それでも戻ってきた一人の大人として、二人はようやく本当の意味で再会を果たした。

そんな二人の静かな和解を破るように、遠くから快活な声が響き渡った。

 

「おーい! 理央、陽子さーん! いつまで休んでんのよ! 最後の一勝負、ビーチバレーやるわよ、こっち来なさいよ!」

 

砂浜の真ん中で、ボールを抱えた歌姫が大きく手を振っている。タクヤたちも飛び跳ねて急かしている。

 

陽子と理央は顔を見合わせ、同時にふっと笑った。

二人は立ち上がり、朱に染まる砂浜を蹴って仲間たちが待つ場所へと駆け出していった。

 

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