もしも庵歌姫に加茂家の同級生がいたら   作:暇人

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二十三話 : 姉妹校交流会-肆-

 

 

――ゴォォォンッ!!

空気を圧潰するような重低音が森に響き、太い樹木の幹が紙くずのように吹き飛んだ。

 

「くっ……!」

 

舞い散る木屑と土煙を掻き分けるように、歌姫は後ろへと飛び退く。

 

その鼻先を、死神の大鎌のごとき巨大な斧の刃が、連続して掠めていった。

冥冥と歌姫の戦いは、開戦直後から完全に一方的な展開を迎えていた。

 

元々、身の丈ほどもある大斧を振るう冥冥に対し、素手で挑む歌姫はリーチも火力も絶望的に劣っている。

 

加えて、冥冥は常軌を逸した質量の鉄塊を振り回しているにも関わらず、そのスピードは丸腰の歌姫と完全に同等――あるいはそれ以上だった。

 

(加茂君が言っていた通り……彼女もあくまで時間稼ぎが目的なのかな。無闇に突っ込んではくれないね)

 

冥冥は涼しげな顔でステップを踏みながら、流れるような連撃を繰り出す。

逃げ回る歌姫の背後にある木々が、まるで豆腐でも切るかのように、大斧の軌道に沿ってスパスパと両断されていく。

 

「どうした、歌姫? 君の本気はその程度なのかい? それとも……私を舐めているのかな?」

 

優雅な笑みを浮かべたまま、冥冥が問いかける。

 

(こっわ!! 死ぬ、普通に死ぬってこれ!!)

 

内心で悲鳴を上げながらも、歌姫は必死に体勢を立て直し、強がって声を張り上げた。

 

「……っ、そういう冥さんだって! さっきから片目、瞑ってるじゃないですか!」

 

そう。冥冥は開戦時からずっと、右目を閉じたまま大斧を振るっていたのだ。

その指摘を受け、冥冥はふふっと口元を綻ばせる。

 

「ん?ああ、これかい? これはね、カラスと視覚を共有して、加茂君と日下部の戦いを見ているのさ。君を舐めているわけじゃないよ。ただ……今の君相手なら、これで十分だというだけだ」

「そう、ですか。けど……それは見込みが甘いんじゃないですか?」

 

歌姫が鋭く言い放った瞬間、彼女の手から黒い球体が地面へと叩きつけられた。

 

「……!」

 

パンッ! と乾いた破裂音が響き、視界を完全に遮るほどの濃密な煙が周囲一帯に爆発的に広がる。

 

「……おや」

 

爆発物の可能性を考慮した冥冥は、即座に大斧の柄を引き寄せて顔と胴体をガードし、動きを止めていた。結果的に、冥冥は歌姫に対して初めて一歩後手に回る形となった。

 

視界を覆い尽くす煙に触れ、冥冥は即座にそれがただの煙玉ではないことに気がついた。

 

(なるほど。ただの煙幕ではなく、呪力が込められている。目眩ましに特化した使い切りタイプの呪具というわけか)

 

呪力による探知を鈍らせる煙の中で、冥冥は相変わらず右目を閉じたまま、思考を高速で回転させる。

 

(セオリー通りに考えれば、私の閉じている右目の死角……右斜め後方からの奇襲を狙うんだろうけど)

 

微かな風の揺らぎ、僅かに蠢く呪力の気配。

冥冥は口角を上げ、大斧の柄を滑らせるように持ち直した。

 

「……けど、こっち……かな」

 

ヒュンッ!

 

冥冥が首をわずかに傾けた直後、その左後ろの虚空から、歌姫の鋭い蹴りが首筋めがけて突き出された。

しかし、冥冥はあらかじめ軌道を読んでいたかのように、ひらりと優雅さすら感じる動きで躱す。

 

「会話で右目の死角を意識させた後に、あえてのズラし。……理にかなってはいるが、逆に読みやすいよ、歌姫」

 

丁寧に指摘しながら、冥冥は回避の動作から流れるように大斧の柄尻を突き上げ、歌姫の胴体へと痛烈なカウンターを見舞う。

だが、歌姫もただではやられない。

 

「っ!」

歌姫は空中で身をよじり、迫り来る柄尻に自らの靴裏を合わせ、それを足場にするようにして強引に跳躍した。

 

パンッ! と小気味よい音を立てて弾き飛ぶと、歌姫はそのまま煙を抜けて樹上へと一時撤退する。

 

樹上に逃れた歌姫を見上げ、冥冥は感心したようにぽつりとこぼした。

 

「素晴らしい身のこなしだ。体を使うのが上手いね」

「……それは、どうもです」

 

歌姫は強気に返しつつも、その額にはじっとりと冷や汗が浮かんでいた。心臓が早鐘のように鳴っている。

 

(本ッ当、おかしいでしょあの人……!)

 

冥冥は明らかにまだ本気を出していない。片目を閉じたまま術式を使用し、別の場所で戦っている理央を同時に観戦しているというのだ。

 

スピードも威力も抑え、視界すら半分というとてつもないハンデを背負った状態でありながら、自分との戦闘をこうも容易くこなしている。

冥冥という術師の底知れなさに、歌姫は焦りを募らせた。

 

一方の冥冥は、斧を肩に担ぎ直しながら淡々と分析を口にする。

 

「歌姫、君の術式は他者を強化するサポートタイプの術式だろう?」

「……さあ、どうでしょう?」

「発動するのに時間がかかるタイプだとしても、君なら手順を省略して使えると思うんだけどね。確かに手順を省略して発動した場合、大半の術式効果は理論上の100%よりも劣る代物にはなるが……なぜ使わないのかな?」

「うーん……使う必要がないから……とかはどうですか?」

 

冥冥は歌姫の挑発を気にも留めず、言葉を紡ぎながら内心で疑問を咀嚼していた。

 

(彼女の呪力強化の精度を見るに、効果は落ちても即座に術式自体は使えるはずだ。そしてバフ系の術式である以上、効果時間という制約があっても加茂君のように使えば使うほど血液や呪力を急激に消費する短期決戦型ではない。時間稼ぎをする上でも、使わない理由はないはずだが……)

 

だが事実として、歌姫は一向に術式を使おうとしない。

何らかの事情で今は使えない状態にあるということも考えられるが、それならば加茂君がわざわざ術式を使えない彼女を自分や日下部の相手として配置した意図が読めない。

 

(……まあ、いいか)

 

冥冥はすぐに思考を打ち切った。

どの道、彼女にまだ隠している奥の手があるならそれでよし。ないのなら、彼女の実力はその程度だったというだけの話だ。

 

「君の()()()がさっきの煙玉なら、少し期待外れだが……まあ、いい経験になったよ」

 

そう言い放った瞬間、冥冥が足に呪力を込めた。

ただそれだけで――踏み込む前から、圧倒的な呪力の圧によって彼女の足元の地面がボコォッ! とめり込んだ。

 

直後、冥冥は一気に加速し、異次元の速度で歌姫に突進を開始する。

 

空気が悲鳴を上げ、彼女が通り過ぎた後の空間には、衝撃波によって巻き上げられた落ち葉が鋭い渦を巻く。

 

歌姫の網膜がその残像を捉える頃には、冥冥は既に目前まで迫っていた。

 

(早っ!?)

(死ねる!)

(本気だ……!!)

 

複数の感情が瞬間的に歌姫の脳内を駆け巡るが、彼女の思考は研ぎ澄まされていた。

 

(チャンスはここ!)

 

(本当にできる?)

 

――否。

 

「やるしかない……ッ!!」

 

歌姫の眼前にまで迫った冥冥が、神速で大斧を横薙ぎに振り抜く。

その刃が歌姫の体に触れる、まさにその刹那だった。

 

ドゴォォォォンッ!!!

 

歌姫の体内から、これまでとは比較にならない呪力が爆発するように立ち上った。

 

「!?」

 

突如として膨れ上がった尋常ではない呪力に、冥冥の瞳に明確な驚きが映る。

 

歌姫は凄まじい速度で迫る大斧の斬撃を、皮一枚分の距離で上体を逸らして回避する。

そのまま後ろへ倒れ込む勢いを利用し、全身のバネと爆発的な呪力を乗せた右脚を、冥冥の腹部めがけて下からカチ上げるように蹴り込んだ。

 

渾身のカウンター――『卍蹴り』

 

――ドグォッ!!

 

「……ッ!」

 

完全に意表を突かれた冥冥は、その一撃をモロに喰らい、後方へと勢いよく吹き飛ばされた。

 

ズサーッ! と土煙を上げて地面を滑る冥冥。

 

(いける!!)

 

歌姫は反撃の余韻に浸る間もなく、即座に地を蹴って距離を詰める。そして体勢の崩れた冥冥へ追撃の拳を叩き込もうとする。

 

だが。

 

「――フフッ」

「えっ」

 

吹き飛ばされたはずの冥冥は、不敵な笑みを浮かべながら追撃の拳を躱した。

そして体勢を立て直すどころか、先ほどの神速の突進よりもさらに速い、視認すら困難なスピードで大斧を振り下ろす。

 

「うそっ!?」

 

歌姫は間一髪でその凶刃から逃れ、大きく後方へと飛び退いて距離を取る。

歌姫は戦慄した。

 

(まだ……まだスピード上がんの!?)

 

あの完璧なカウンターを喰らってなお、底が見えない冥冥の圧倒的なフィジカルと呪力強化。

歌姫の瞳に宿る強烈な警戒の色は依然として萎えることはなかった。

 

底を見せない冥冥の圧倒的なフィジカルに歌姫が冷や汗を流す一方、追撃を躱した冥冥は大斧を構え直しながら頭脳をフル回転させていた。

 

(歌姫が術式の準備手順(プロセス)を省略できることまでは想定内だった。だが……あの異常な出力の跳ね上がり方は一体なんだ?)

 

手順を省略した以上、あれほどのバフを自身に掛けるなど()()では絶対に不可能だ。

劇的な底上げをもたらすなんらかの()()があるはず――

冥冥が目を細めたその時、ふわりと風が吹き抜けた。

 

そして先ほどの斬撃がわずかに掠めていたのか、切り裂かれていた歌姫の巫女服から腹部がチラリと露出した。

 

(……そういうことか!)

 

冥冥の目にくっきりと映り込んだもの。

それは歌姫の腹部に直接血で描かれた、精微で複雑怪奇な『()()』だった。

 

「あっ……!」

 

視線に気づいた歌姫が、咄嗟に『しまった』という顔で破れた服の布地を押さえる。

 

「なるほどね。あえて『呪印』という技術を用いて術式を起動させることで、その事前準備そのものを強烈な『縛り』として、発動速度と強度を補完した……ってところかな? フフッ、呪印とは随分古風じゃないか」

 

冥冥は感心したように口角を上げた。

内心ではその異質な呪印の出所に思考を巡らせる。

 

(あの呪印の形状は見たことがないな。加茂君の入れ知恵か、あるいは歌姫の家系に伝わる秘伝か……。いずれにせよ、呪印という外部ツールを用いた術式発動は、決して便利なものではない)

 

呪術全盛の時代ならいざ知らず、現代において呪印を媒介とする術式の発動は非常にマイナーだ。

理由は単純。繊細な呪力操作と膨大な手間がかかるうえに、強力な呪印の知識や技術は、御三家をはじめとする特定の一族が独占していることが多いからだ。

 

(その分縛りとして運用した時のリターンは大きい……厄介だね)

 

冥冥の予想通り、本来なら呪印など使わなくとも術式を発動できる歌姫が、あえてその『面倒な手段』を選ぶことと引き換えに莫大な効果を得ている。

冥冥の賞賛に対し、歌姫は布地を押さえたまま、フッと自嘲気味な軽口で返す。

 

「これ、自分の血で描くのも痛くて大変だし、文献の勉強も大変、丁寧に呪力を流し続けるのも大変ですし……正直、二度とやりたくないですよ」

「そうだろうね。……だが、()()()()()()()()

 

歌姫の軽口を遮るように、冥冥の冷徹な声が森に響く。

彼女の鋭い観察眼は、歌姫の呪力量の異常な跳ね上がり方から、すでにもう一つの疑念を弾き出していた。

 

(呪印の手間を縛りとして加味しても、あの出力の上がり方は少々異常だ。十中八九、さらにもう一つ強力な縛りを重ねているね。……呪印のような手間のかかるものとは真逆の、手軽かつ劇的に出力を上げられるポピュラーな縛りと言えば……)

 

冥冥は内心で最適解を導き出すと、人差し指を立てて、さも全てを見透かしているかのような確信めいた声音を出した。

 

「歌姫。君は呪印の縛りに加えて、さらにもう一つ……術式の()()()()()()、『時間制限』の縛りも課しているだろう?」

 

ビクッ、と。

歌姫の肩が跳ね、その顔に明確な焦りの色が浮かぶ。

だが、すぐに『しまった!』と自身の表情を取り繕うように、バチンッ! と片手で自分の頬を強く叩いた。

 

「おや、当たりのようだね」

 

余裕の笑みを浮かべる冥冥を前に、自らの態度であっさりと答え合わせをしてしまった歌姫は、内心で悲鳴を上げていた。

 

(うぅ、やっちまった〜!…… いや、それ以前になんで冥さんはこんなドンピシャの正解に辿り着けんのよ!?普通この状況でそんな頭回らないでしょ!?)

 

自身の奥の手である『呪印』と『時間制限』という二重の縛りを、わずかな観察と推測だけであっさりと看破してみせた冥冥の慧眼に、歌姫は心の底から戦慄した。

 

歌姫が焦るのも無理はない。

『時間制限』という縛りは、術式の効果を劇的に引き上げる反面、『制限時間いっぱいまで相手に()()()()()()()()、バフが切れて敗北が確定する』という明確で致命的な弱点があるからだ。

 

だからこそ、歌姫の本来のプランは先ほどの『卍蹴り』のカウンターで冥冥に特大のダメージを与え、怯んだ隙に一気に畳み掛けて倒し切るというものだった。

 

しかし、冥冥の規格外の身体能力がそれを許さず、畳み掛けるほどの決定的な隙は生まれなかったのだ。

万事休すかと歌姫が奥歯を噛み締めた、次の瞬間。

 

「安心してくれていいよ、歌姫」

 

冥冥は、ゆったりとした動作で大斧を構える。

 

「時間制限いっぱいまで逃げ回るなんて……私はそんな()()()()ことはしない」

 

ゾクッ、と。

体が凍りついたかと錯覚するほどの、濃密な呪力が冥冥から溢れる。

 

(あれほどの倍率に引き上げるための時間制限……歌姫が術式を使えるのはあと3分? 2分? はたまた1分か。……いや、そんなことはどうでもいい)

 

冥冥の瞳が、獲物を狙う猛禽類のように鋭く細められる。

 

(制限時間が切れて、君という価値ある()()が目減りしてしまう前に……!)

「歌姫。私は私の持てるすべてを使って、君を叩き潰す……!」

 

それは冥冥からの、紛れもない最上級の敬意だった。

その圧倒的なプレッシャーを全身に浴びた歌姫は、わずかに震えていた口角を強引に吊り上げた。

 

「……やっと本気ってわけですか?冥さん」

 

「それでも――私は絶対に負けませんから!」

 

歌姫は両拳を握り込み、己の体内で渦巻く呪力をさらに一段階引き上げる。

 

(本気の冥さんを相手にするなら、今の出力でもまだ足りない。手持ちのカードは全部切る……!)

 

「私の術式、『単独禁区(ソロソロキンク)』は――ッ!」

 

歌姫は、冥冥とわずかに距離が取れているこの一瞬の隙を見逃さなかった。

息を吸い込み、自身の手の内を晒す『術式の開示』によるさらなる出力の底上げを図る。

 

(術式の開示……!)

 

その意図を察知した瞬間、冥冥はこれまで固く閉じていた右目をカッ!と見開いた。

カラスとの視覚共有を切り捨て、眼前の歌姫一人に全神経を集中させる。手加減も、ハンデも、すべて終わりだ。

 

姿勢を獣のように低く沈めた冥冥の足元から、ドゴォッ! と大地が爆発したかのような轟音が響いた。

 

踏み砕かれた地面の破片が宙を舞うよりも早く、冥冥の姿が消える。開示の口上を阻止しようと神速で歌姫の眼前に肉薄する。

 

「――私を含めた、範囲内の術師の、呪力量と出力を……ッ!」

ヒュンッ!!

 

言葉を紡ぐ歌姫の鼻先数ミリを、冥冥渾身の薙ぎ払いが通過する。

歌姫は刃から放たれる風圧で前髪を散らしながらも、極限の集中力でその一撃をギリギリでスウェーして躱し、同時に最後の一節を叫んだ。

 

「一時的に、底上げする!!」

 

開示完了。

 

『呪印』、『時間制限』、そして『術式の開示』。

三つの要素が掛け合わされたその瞬間、歌姫の体から立ち昇る呪力はさらなる飛躍を遂げ、爆風のように吹き荒れた。

 

「……ッ!」

 

冥冥は即座に大斧を返し、今度は上段から両手で力任せに叩き割るような一撃を振り下ろした。

先ほどの歌姫であれば、間違いなく回避を選択するほかない、凄まじい質量と速度を伴う一撃。

だが――

ガギィィィィンッ!!!

 

「なっ……!?」

 

冥冥は、自らの目を疑った。

振り下ろされた大斧の凶刃。それを歌姫は逃げることなく、呪力で分厚くコーティングした両腕をクロスさせて受け止めていたのだ。

 

足元の地面がひび割れ、歌姫の腕の筋肉が悲鳴を上げる。だが、彼女は一歩も引かない、むしろ前へと進もうとする。

 

「いきます……冥さんッ!」

 

大斧の刃を強引に弾き返すと、今度は歌姫が攻勢に転じた。

呪力で強化された両拳が、空気を裂く音を立てて冥冥へと殺到する。

 

右のストレート、左のフック、沈み込んでからの強烈なボディブロー。

怒涛の勢いで繰り出される歌姫の連撃を、冥冥は大斧の柄を盾にして必死にいなしていく。

 

(速い……! そして、重い!)

 

ガッ、ドゴォッ!

 

完全に防ぎ切ることはできず、柄越しに響く衝撃が冥冥の腕を痺れさせ、いなしきれなかった数発の拳が冥冥の肩や脇腹に浅く突き刺さる。

 

(……さっきの『卍蹴り』のカウンターが、思ったより効いているね……ッ)

 

冥冥は内心で冷静に己の状態を分析していた。

ダメージの影響で視界が微かにぐらつき、足元の重心がわずかに狂っている。

それに加えて術式の開示を終えた歌姫の身体能力は、今や冥冥との差を完全に埋め切っていた。

 

手数とスピードで圧倒される冥冥はじりじりと後退を余儀なくされる。

今、明確に追い込まれているのは挑戦者である歌姫ではない。

格上の強者であるはずの、冥冥の方であった。

 

怒涛の連撃を捌ききれず、じりじりと後退を余儀なくされながらも、冥冥の口元にはどこか楽しげな笑みが浮かんでいた。

 

(嗚呼、素晴らしい成長だ。……もしも私が一年生だった頃に今の彼女と戦っていたら、間違いなく私が負けていただろうね)

 

自身の過去の実力と照らし合わせて、今の歌姫を高く評価する。

 

しかし。

 

「本当に素晴らしいよ、歌姫。……けれど、私の勝ちは揺るがない」

 

防戦一方であったはずの冥冥の不気味な言葉に、歌姫は怪訝な表情を浮かべる。

その直後だった。

 

バサバサバサバサッ!!!

 

森の木々を揺らし、空を覆い尽くすほどの異様な羽音が上空から鳴り響いた。

 

(ッ!……何!?)

 

歌姫が見上げると、木漏れ日を遮るほどの無数のカラスが空中で旋回していたのだ。

 

(嘘でしょ!? あんな大量のカラスを……!)

 

歌姫が驚愕に目を見開く中、冥冥はゆったりとした口調で紡ぎ出す。

 

「私の術式は『黒鳥操術』。……()()()()()()()()の、弱い術式さ。せいぜい偵察が関の山のね」

 

自身の手の内を明かす『術式の開示』。

先ほどの歌姫と同じく、能力を開示することで術式効果の底上げを図ったのだ。

 

「だけど、複雑な命令でなければ……この数を同時に操ることもできるんだ。フフッ、これは呪術師同士の戦い。ましてや、君が先に煙玉という目眩ましを使ったんだから……」

 

 

 

「これを卑怯とは、言わないでおくれよ?」

 

冥冥の合図と共に上空で待機していた無数のカラスが一斉に急降下し、歌姫の周囲を竜巻のように猛スピードで旋回し始めた。

 

「くっ……!」

 

視界のすべてが、黒い羽と不気味な鳴き声で埋め尽くされる。

さらに恐ろしいのは、視覚と聴覚を奪われただけではないということだ。

 

(やられた……!!)

 

歌姫は内心で舌打ちをした。

旋回する大量のカラスは、ただの物理的な目隠しではない。一羽一羽が微量の呪力を帯びており、周囲一帯に無数の呪力の反応をばら撒く、いわば『チャフ』の役割を果たしていたのだ。

 

そして冥冥自身は、自身の呪力出力をカラスたちと完全に同程度にまで抑え込み、その黒い群れの中に完璧に姿を消してしまっている。

 

「どこに……っ!?」

 

目視による警戒も、呪力探知による感知も、今の歌姫には全く意味をなさない。

鬱陶しいカラスを自身の呪力強化された拳で薙ぎ払って数を減らすことはできる。

しかし、この異常な数相手にそんなことをすれば、確実に『隙』を作ることになる。

 

そして、その一瞬の隙をあの冥冥が見逃すはずがない。

攻勢に出ていたはずの歌姫は、この一手であっさりと後手に回らざるを得なくなった。

 

前後左右、さらには上下、あらゆる角度からの奇襲を警戒するが、歌姫はその場から一歩も動けずに息を殺すしかできなかった。

 

 

 

無数の黒羽が視界を塞ぐ中、極限まで感覚を研ぎ澄ませた歌姫は微かな呪力の膨張を捉える。

 

(上っ!)

 

反射的に地を蹴り、前転してその場から飛び退く。

直後、歌姫が先ほどまで立っていた空間を、冥冥の大斧が真上から音もなく薙ぎ払った。

 

「くっ……!」

 

歌姫は致命傷は避けたものの完全に躱しきることはできず、背中を鋭い刃が切り裂いた。

鮮血が舞うが、まだ深手ではない。

 

歌姫は痛みを堪えて振り返るが、冥冥は着地と同時に再びカラスの渦の中へと溶け込んで姿を消していた。

 

(まずい、まずいまずい……っ!)

 

歌姫の額を汗が伝う。

縛りによる『時間制限』のリミットが刻一刻と迫っていた。このままカラスの檻に閉じ込められ、見えない位置から削られ続ければ自身の敗北は必至。

 

(隙を晒すことになるけど……一か八か、やるしかない!)

 

歌姫は意を決し、付近に生えていた太い樹木の幹に両腕を回した。

 

「ふんッ!!」

 

そして、術式効果によって極限まで跳ね上がった膂力と呪力に任せ、大地に根を張る木を力任せに引き抜く。

 

メキメキメキッ!!

 

歌姫は激しい音を立てて根から引き剥がされた樹木を構え、自身の周囲を飛び回るカラスを薙ぎ払うように力一杯振り回した。

 

「邪ッ魔あぁぁッ!!」

 

樹木の軌跡が暴風と化し、視界を遮っていたカラスの群れを乱暴に吹き飛ばしていく。

 

すると、強引に開かれた視界の先――歌姫にとっては幸運なことに、次の奇襲を仕掛けようと跳躍していた冥冥の姿が空中に現れた。

 

(見つけた!!)

 

歌姫は樹木を振り回した遠心力をそのまま利用し、空中にいる冥冥めがけて巨大な木を思い切りぶん投げた。

 

ドゴォッ! と空気を圧して飛来する大質量。

だが、空中の冥冥は焦ることなく、冷静に大斧を上段から振り下ろした。

 

スパァァァンッ!!

 

飛んできた樹木は、あっさりと冥冥の一撃で一刀両断され、左右に分かれて後方へと飛んでいく。

 

(今だッ!!)

 

巨大な質量を断ち斬るために大斧を大きく振り下ろした。その動作で生まれる()()こそが、歌姫の狙いだった。

あの大斧の重量と遠心力に持っていかれれば、すぐに次の防御行動には移れない。

 

(これで……決めるッ!)

「そこだァッ!!」

 

歌姫は樹木を投げた直後に地を蹴り、冥冥の懐めがけて一直線に跳躍、渾身の拳を叩き込もうとする。

だが、冥冥は歌姫のその思考すらも上回っていた。

 

「!?」

 

空中の冥冥は、無理に大斧を引き戻そうとはしなかった。

彼女は垂直に大斧を振り下ろした勢いのまま、なんとあっさりと柄から両手を離し、大斧を躊躇なく()()()のだ。

 

(武器を捨てた!?)

 

驚愕で目を見開く歌姫に対し、大斧の重量から解放された冥冥は空中で身を捻って歌姫の突撃を迎え撃つ体勢をとる。

そのまま、空中で交錯する両者。

 

――ドゴォォォォンッ!!

 

互いに回避を捨てて、全力で拳を突き出す。

空中で冥冥の拳が歌姫の顔面を打ち抜き、同時に歌姫の拳が冥冥の胸元に深く突き刺さる。

 

「ガハッ……!」

「ぐぅ、っ……!!」

 

重たい打撃音が響き渡り、両者は強烈な威力を乗せた拳を互いに叩き込んだ勢いのまま、もつれ合うようにして固い地面へと落下していった。

 

ズシャァッ!!

 

土煙が舞う中、激しい音を立てて二つの影が地面に墜落した。

 

「ッ……!」

 

冥冥は着地の瞬間に僅かに身をよじって衝撃を逃す。

そして口元から一筋の血を流しながらも、しなやかな動作でスッと立ち上がる。

 

対する歌姫は受け身を取り損ねたのか、焦点の定まらない虚ろな目をして、フラフラとおぼつかない足取りで立ち上がろうとしていた。

脳が混濁し、足腰に力が入っていない。明らかな隙だ。

 

それを見るなり冥冥は地面に突き刺さった大斧を拾い上げる。そして構えることもなく、歌姫めがけて大斧を全力で()()()()()

 

ヒュゴォォォォッ!!

 

空気を切り裂き、殺意の塊となった巨大な鉄塊が回転しながら飛んでいく。

それは、交流会という「生徒同士の死の危険を伴わない実戦」というルールを明確に逸脱した、直撃すれば真っ二つになる無慈悲な投擲だった。

だが。

 

「……っ!」

 

フラフラと虚ろだったはずの歌姫の瞳に、瞬時に鋭い光が宿る。

彼女は驚異的な反応速度で上体をバタンッと地面に伏せ、頭上スレスレを通過する巨大な凶刃を完璧に見切って回避した。

 

(嘘!? この状況でブラフ張ってること読めるの!?)

 

歌姫の脳が混濁した()()は、冥冥が追撃に来たところをカウンターで仕留めるための咄嗟のブラフだった。

しかし、冥冥はその演技をハナから完全に見抜いていた。

 

あえて大斧を投げるというルール度外視の凶行に出たのは、「今の歌姫なら確実に避けられる」という絶対の確信があったから。そして歌姫のブラフを強制的に剥がして回避行動をとらせるための、極めて合理的な一手だった。

 

「フフッ……ブラフは、まだまだだね!」

 

冥冥の声が、伏せた歌姫のすぐ耳元で響いた。

大斧を回避して息をつく暇などない。冥冥は大斧を投げ放ったのと全く同時のタイミングで地を蹴り、すでに歌姫の眼前まで肉薄していた。

 

歌姫が顔を上げた瞬間、彼女の脳天めがけて冥冥の踵落としが振り下ろされる。

 

「くっ!」

 

歌姫はすかさず両腕を頭上でクロスさせ、全身の呪力をそこに集中させて致命傷のガードを試みた。

しかし――。

 

(フェイント……!?)

 

冥冥の踵落としは、歌姫の腕に当たる直前で振り下ろす勢いそのままに軌道を変えた。

振り下ろすはずだったその絶大なエネルギーを、そのまま腰の強烈な回転力へと変換したのだ。

 

「っあ……!」

 

ガードのために両腕を上げたことで、歌姫の脇腹は完全にガラ空きとなっていた。

 

――ドゴォォォッ!!

 

そこへ、冥冥のしなるような回し蹴りが、先ほどの『卍蹴り』の意趣返しとばかりに無慈悲に突き刺さった。

 

メキッ!!

 

「ッグ……!!」

 

と。歌姫の肋骨が嫌な音を立ててヒビ割れる。

絶大な痛みが脳を焼くが、歌姫は歯を食いしばり、決して倒れなかった。

 

(なら……ッ、これならどうですか!!)

「なっ……」

 

冥冥が目を見開く。

歌姫は、己の脇腹に深々と突き刺さった冥冥の蹴り足を、己の腕と脇腹でガッチリと挟み込み、ホールドしたのだ。

痛みを代償に、相手の自由を奪う執念のカウンター。

 

「もらったァァッ!」

 

歌姫は冥冥の足を離さぬまま、自ら強引に後方へと倒れ込んだ。

テコの原理と自身の全体重、そして呪力のすべてを乗せて、拘束した冥冥の頭から直接地面へ叩きつける捨て身の荒技。

 

(……ッ、頭から落ちる!)

 

絶体絶命の危機。冥冥は咄嗟に、大部分の呪力を頭部へと集中させた。

頭蓋と頸椎さえ守り切れば致命傷は免れる。そう瞬時に最適解を弾き出した彼女の判断は、術師として完璧なものだった。

 

そして冥冥の体が宙に浮き、歌姫がそのまま脳天から地面に叩きつけようとした――その、矢先。

 

「……あッ!」

 

ヒビ割れた肋骨に、限界を超える激痛が走った。

ほんのコンマ数秒、激痛に耐えきれず歌姫のホールドの力が緩む。

 

ガッチリと決まっていたはずの拘束がすっぽ抜けたことで、強引に持ち上げられていた冥冥の体は叩きつけられる軌道を外れ、遠心力と勢いそのままに、歌姫の頭上を通り越して真っ直ぐ後方へと投げ出された。

 

ガァァァンッ!!

 

頭からの激突という最悪の事態こそ運良く免れたものの、コントロールを失った冥冥はそのまま宙を吹き飛び、太い樹木に背中から激突した。

 

「――ッァ……!」

 

冥冥の口から苦悶の声が漏れる。

頭部の防御に呪力を回していたが故に、手薄となっていた背中への強烈な一撃。木をへし折るほどの衝撃が肉と骨を抜け、ダイレクトに内臓を揺さぶっていた。

 

「ゲホッ……フウッ……流石に今のは、少しばかりヒヤッとしたね」

(咄嗟に頭へ呪力を回したせいで、背中がお留守になっていたか。……致命傷こそ避けたが、これは中々しんどいね)

 

表面上はいつもの余裕めいた笑みを貼り付けているが、その息は微かに乱れ、背中の痛みに僅かに眉がひそめられていた。

激痛に顔を歪める歌姫と、想定外のダメージを負った冥冥。

死闘のフェーズは、いよいよ互いの限界を超える最終局面へと突入していた。

 

次の瞬間、冥冥が背を預けていた太い樹木の幹が完全に砕け散った。

彼女は自らが激突したその木を(バネ)として蹴り出し、規格外の推進力を生み出したのだ。

背中の痛みなどないように、大気を引き裂くような猛スピードで一直線に歌姫へと接近する。

 

一切の躊躇なく、歌姫の顔面を粉砕せんと固く握り込まれた冥冥の右拳が振りかぶられる。

迎え撃つ歌姫の体は、今度こそブラフでもなんでもなく、完全に限界を迎えていた。

視界は明滅し、足元はふらつき、意識を保っていることが不思議な状態だ。

 

(でも……まだ、手は動く……ッ!!)

 

歌姫は歯を食いしばり、残された全呪力、全存在を右腕の『アッパー』の一撃に集約させた。

計算も何もない、ただ間合に入った相手を打ち砕くための、渾身の一撃。

 

両者が完全に間合いに入り、互いの拳が互いの顔面を捉える、まさにその数ミリ手前。

闘志と呪力が最高潮に達し、弾け飛ぼうとしたその瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

『――そこまで!!』

 

 

 

 

 

突如として、スピーカー越しに増幅された夜蛾学長代理の太く低い声が、ノイズと共にエリア全体へビリビリと響き渡った。

 

『先ほど、ターゲットである二級呪霊の討伐を確認した。よって、今年の団体戦は……京都校の勝利とする!』

 

その無機質で絶対的な「試合終了」を告げるアナウンスが森に(こだま)した瞬間。

歌姫の顔面に深々と突き刺さるはずだった冥冥の拳が、鼻先わずか数ミリの空中で、ピタリと静止した。

 

遅れて叩きつけられた強烈な拳の風圧に、歌姫の前髪が大きく煽られる。

 

「……おっと」

 

冥冥の全身から立ち昇っていた凄まじい闘志と呪力が、嘘のように霧散していく。

彼女はふっと息を吐き出すと、そのまま静かに拳を下ろした。

 

「……えっ?」

 

何が起きたのか一瞬理解できなかった歌姫だが、遅れて脳に響いた「京都校の勝利」という言葉に、張り詰めていた糸がプツリと切れた。

 

(終わった……?)

 

同時に術式の効果も完全に切れ、歌姫の体から一気に力が抜け落ちる。

 

「あっ……」

 

ドサッ、と。

 

膝から崩れ落ちるように、歌姫は枯れ葉の積もる地面に座り込んでしまった。

全身の筋肉が悲鳴を上げ、息をするのも苦しい。だが、彼女の口から零れ落ちたのは安堵ではなく、酷く悔しそうな震える声だった。

 

「ハァ……ハァ……あれだけ、あれだけ大見得切ったのに……全然、勝てなかった……」

 

ギリッ、と拳を握りしめ、俯く歌姫。

 

「冥さん……私が想像していたよりも、ずっと、ずっと強すぎますよ……っ」

 

準備に準備を重ねて、呪具や二重の縛りを背負ってなお、彼女を倒すには至らなかった。それどころか最後は自身が倒される可能性の方が高かった。

 

その純粋な実力差への悔しさが、歌姫の胸を締め付ける。

だが、そんな歌姫を見下ろす冥冥の瞳には一切の侮蔑も、嘲笑もなかった。

そこにあったのは、純粋な『称賛』だ。

 

「……確かに、君は私に勝てなかったね。だけど」

 

冥冥は、ゆったりとした歩みで歌姫の目の前まで歩み寄る。

 

「負けても、いないだろう?」

「……え?」

 

顔を上げた歌姫に、冥冥はふっと優雅な笑みを向けた。

 

「私は君たちの作戦に自ら乗った上で、これだけの手を尽くし、奥の手の『黒鳥操術』の不意打ちまで切った。それでも、制限時間内に君を倒しきれず、タイムアップを迎えたんだ」

 

冥冥の言葉は、言い訳でも慰めでもなく、極めて冷徹で客観的な事実の分析だった。

 

「術師同士の勝負としては引き分けだが……。試合の結果としては――私の負けだ。……ああ、声に出すと本当に悔しいな、フフッ」

 

そう言って、冥冥は屈み込み、泥と血に塗れて座り込む歌姫の目の前に、スッと白い手を差し出した。

 

「歌姫、素晴らしい経験(リターン)だったよ。君への投資は、大成功だ」

 

その手と、自分に向けられた真摯な言葉に、歌姫は驚きで目を丸くした。

やがて、彼女の目尻にじわりと熱いものが浮かび、悔しさとは別の感情で胸が一杯になる。

一年前、ただ震えることしかできなかった自分は、今確かに、憧れの人の前に()()()()()として認められたのだ。

 

「……冥さん」

 

歌姫は鼻をすすり、力強く微笑み返すと、差し出されたその手をしっかりと握り返した。

冥冥に引き上げられ、よろけながらも、歌姫は自身の足でしっかりと大地に立った。

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