もしも庵歌姫に加茂家の同級生がいたら   作:暇人

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七話:蔵の鍵を壊そう

 

初夏の陽光が、コンクリートの熱を孕んで街を包み始めていた。

任務を終えた廃ビルの屋上からは、遠く京都の山々が夕日に霞んで見える。

初任務のあの夜から数週間。歌姫は隣を歩く理央の背中に、ほんの少しだけ近づけたような気がしていた。

 

「~~♪」

鼻歌が、茜色に染まり始めた空に弾む。

「今日はやけに上機嫌ですね、歌姫。何かいいことでも?」

隣を歩く理央が、端正な横顔を向けて問いかける。

 

「よくぞ聞いてくれたわ! 実はね、この土日に埼玉へ里帰りしてたのよ。もう最高だったわ〜」

「里帰り、ですか」

 

 歌姫は弾むような足取りで数歩前に出ると、くるりと振り返り、勝ち誇ったような顔で語り出す。

 

「お給料でお父さんたちに焼肉奢ったし、何より友達と現地で野球が見れたの!」

「試合は5-0の零封勝ち!あの地鳴りみたいな歓声と、球場を包む一体感……ハァ〜。テレビの画面越しじゃ、あの熱量は絶対に味わえないわね」

 

熱弁を振るう歌姫を、理央は微笑ましそうに見つめていた。

 

「野球……歌姫がよく話している趣味ですよね」

「趣味なんて言葉じゃ足りないわ。西武はもはや私の血肉、運命共同体よ」

 

満足げに胸を張って歩き出す歌姫。ふと、彼女の脳裏に素朴な疑問が浮かぶ。

自分はこうして、呪術という非日常から離れる“出口”を持っている。では、隣にいるこの男はどうなのだろう。

 

「そういう理央は?あんたって休日何してるのよ?」

 

理央は一瞬、思考を止めるような間を置いてから、いつも通りの静謐な声で答えた。

 

「休日……鍛錬ですかね」

「へぇ……」

 

理央は迷いなく答える。

歌姫は一度頷いてから、ふと顔を上げた。

そして歌姫の足がぴたりと止まった。

 

「いや、待って。ほんとに? あんた二十四時間三百六十五日、鍛錬…してるわけ?」

「はい。朝は体術と呪力操作の鍛錬をして、その後は術式の精度を――」

「いやいやいや、そういうのを聞いてるんじゃなくて!」

 

歌姫はもどかしげに手を振った。

 

「その……遊んだりとかは?」

「遊び、ですか?」

 

理央はほんの少しだけ首を傾げる。

その仕草が、歌姫の胸にじわじわと不安を広げていった。

 

「例えば……映画見るとか」

「ありませんね」

「カラオケ」

「建物は見たことがありますけど……行ったことはないですね」

「ゲーム」

「昔、囲碁を少々やってました」

「スポーツ」

「野球はテレビで一度だけ見ました。歌姫が話していたので。やったことはないですけど」

「……」

 

歌姫は絶句した顔で理央の顔を見つめた。

理央は歌姫の様子に少したじろいでいる。

 

「……マジで言ってる?」

「はい」

 

その返事があまりにも真顔だったので、歌姫は思わず頭を抱えた。

西日に照らされた廃ビルの屋上で、理央の整った横顔はまるで精巧な彫刻のように美しい。けれど、その中身が”鍛錬“と”睡眠“だけで構成されている事実に、歌姫はめまいを覚えた。

 

(嘘でしょ……箱入り息子なのはわかってたけど、これじゃ箱どころか蔵に封印されてたレベルじゃない……)

 

「……じゃあ、あんたって日頃何を楽しみにしてるのよ? 趣味とかないわけ?」

理央は少しだけ考えてから、夕空を見上げて答える。

 

「……寝ること、でしょうか」

「……いやそれ、生理現象だし……趣味とは呼べないわよ。もっとこう……私で言う野球みたいなやつ!」

 

理央は少し考え込み、真剣な面持ちになる。

 

「……昼寝ですかね」

「昼だったらいいって問題じゃねーよ!」

 

思わず理央の頭を軽く叩きながら、歌姫は深いため息をついた。その溜息の半分は呆れで、もう半分は彼をそうさせてしまったであろう環境への、言いようのない憤りだった。

 

 

「ハァ……多分、加茂家のあれこれなんでしょ?

なんか大体わかってきたわよ」

「アハハ……まあ、そうですね……」

 

歌姫は深くため息をつき、こめかみを押さえた。理央の言葉尻や妙に歯切れの悪い反応を拾い集めれば、嫌でも輪郭が見えてくる。家だの立場だの、そういう面倒な事情が後ろにべったり張り付いているのだろう。理屈としては理解できる。理解はできるが、だからといって素直に飲み込める話でもなかった。

 

「百歩譲って、昔そうだったのは分かったわ。でも今の理央は高専所属じゃない。休日にどこ行こうが、何しようが、理央の勝手でしょ?」

「……そうですね」

「なのに、なんで修行僧みたいな生活してるわけ?」

 

歌姫は眉をひそめる。自由があるのに自身を縛るように生きている、その理屈が見えなかった。

理央は息を整え、ようやく言葉を絞り出した。

 

「僕自身にそうしてみたい気持ちがないわけでは、ありません」

「じゃあ」

「ただ」

 

理央の視線が、ふらふらと足元の影へ落ちる。

 

「踏み出せないんです。怖いのか、面倒臭いのか、理由は自分でもわからないです。自分でも情けないとは思うのですが」

 

歌姫は理央の言葉に一瞬だけ黙った。

その言葉は、普段一級術師として頼もしさを見せる彼の様子とは微塵も合わない、迷子の少年のような独白だった。

 

「……そう」

 

歌姫は小さく息を吐き出して、穏やかに顔を綻ばせる。

 

「……あんた、今度の休み、朝十時に駅の噴水前ね。遅刻したら承知しないわよ」

「え?」

「しょうがないから私が教えてあげるわよ。本当の休日の過ごし方ってやつをね」

 

理央は目を見開き、それから少しだけ笑みを浮かべた。

 

「……分かりました。遅れないようにします」

「よし! ……あ、そうだ理央。一つ言い忘れてた」

 

歌姫が足を止め、振り返ってビシッと理央を指差した。

 

「当日、高専の制服は禁止! 絶対に私・服・で来なさいよ。いい?絶対よ」

「え……」

 

理央の足が止まった。

彼のクローゼットにあるのは、数着の同じような襦袢(じゅばん)と、加茂家から持ってきた地味な着物、そして今着ている高専の制服だけだ。

 

「……すみません、歌姫。制服ではダメでしょうか」

「あんた……まさか一着も持ってないわけ?」

「一応、寝巻き用の襦袢ならいくつか……」

 

歌姫は天を仰いだ。

都会の喧騒が遠くから聞こえてくる。休日に自分たちが向かうべき場所は、高専でも家でもなく、流行の音楽が流れる眩しい繁華街だ。

 

「……あんたねぇ。私が言ってる私服ってのは『お出かけ用』! 街を歩いても浮かない、普通の格好のことよ。襦袢姿なんかで来たら、私がおじいちゃんの散歩に付き合ってるみたいに見えるでしょ!」

「そ、そうですか?」

 

歌姫は腕を組み、うーん、と唸った。

そして腰に下げたポーチから、使い込まれた折りたたみ式のガラケーを取り出した。

パチン、と軽い音を立てて画面を開き、液晶に表示された時刻を鋭く睨む。

 

(今の時間は午後五時……。高専の門限と、ここから学校までの移動時間を加味しても……服を買うくらいなら……)

 

「……よし、理央!今から服屋に行くわよ」

「今からですか?」

「そうよ。善は急げって言うでしょ?」

 

歌姫は確信を持って頷き、パタンと小気味よい音を立ててガラケーを閉じた。

そして歌姫は一転して、少しだけ探るような目線を理央に向けた。

 

「……そういえばあんた、今お金持ってる?」

「あ……すみません。今日はそのまま帰ると思ってたので一銭も……」

 

申し訳なさそうに、けれど至極真っ当な理由を述べる理央。

 

「あっちゃー……ま、いっか! 今日は私が全部出してあげるわよ」

「えっ、流石にそれは……」

「いいのよ! 言い出しっぺは私なんだし。ほら、さっさと行くわよ、理央!」

 

歌姫は反論を許さない勢いで理央の腕を掴んで歩き出した。理央は歌姫の勢いに苦笑しつつも、彼女の歩調に合わせる。

西日に照らされた二人の影が、廃ビルの影から都市の繁華街へと伸びていった。

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