もしも庵歌姫に加茂家の同級生がいたら   作:暇人

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八話:二人で彩る青(上)

六月、京都府内のとある駅前。

盆地特有の湿り気を帯びた熱気が、駅前の広場を覆っていた。

駅の電光掲示板に表示された気温は二十八度。本格的な夏の予感に、行き交う人々も心なしか足早に日陰へと吸い込まれていく。

 

そんな喧騒のただ中、駅の噴水前で、歌姫は手元のガラケーを閉じて溜息をついた。

 

(……十分前。よし、予定通り)

 

歌姫自身、今日は気合が入っていた。

スカイブルーのノースリーブニットに、ふわりと広がる白のロングフレアスカート。お気に入りのサンダルを鳴らし、腕には小ぶりなカゴバッグを下げている。

そして何より、あの悲しき呪術マシーンのような同級生に色々な楽しみを教えてやろうという、ある種の使命感に燃えていた。

 

「……あ、いた」

 

人混みの向こうに、ひときわ涼しさを感じさせる一角があった。

周囲の熱気に当てられることもなく、スッと一本の竹のように立ち尽くす長身の人影。

それは歌姫が先日の任務後、服屋で買った私服に身を包んだ理央だった。

 

 

真っ白な半袖のリネンシャツ。

袖は肘の下まで無造作に捲り上げられ、第一ボタンを外した襟元からは、いつも制服で隠れている鎖骨がわずかに覗いている。

下はシンプルな濃紺のデニムに、汚れ一つない白のスニーカー。

 

「…………」

 

歌姫は思わず、その場に立ち止まって彼を凝視した。

 

服屋で試着させた時も思ったが、日光の下で見るとその破壊力は増していた。

何の変哲もないはずの普通の格好が、理央が纏うと高級ブランド広告のような洗練された品格を帯びるのだ。

ローポニーに結わえた黒髪が風に揺れ、通り過ぎる観光客や女子高生たちの視線を、まるで磁石のように吸い寄せている。

 

「……ねえ、今の人見た……? すっごい美形。モデルさんかな?」

「うん……。透き通ってるみたい……綺麗……」

 

理央はそんな視線を気にする様子もなく、ただ静かに、何かを待つように噴水を見つめていた。

 

「おーい、理央!」

 

歌姫が手を振りながら近づくと、理央はパッと顔を上げた。

それまでの凪のような無機質さが嘘みたいに、瞳に柔らかな光が宿る。

 

「おはようございます、歌姫」

「ん。おはよう、理央」

 

二人が軽い挨拶を交わした後、理央は少し照れくさそうに、捲り上げた袖のあたりを指先でなぞった。

 

「……その、歌姫。この格好、やはりどこか落ち着かないというか。……ちゃんと着れてますかね?」

「一応私が選んだのよ?変じゃないし、むしろ似合いすぎててムカつくくらいよ」

 

歌姫はどこか誇らしげにそう言い、彼のシャツの襟元をグイッと整えてやる。至近距離で顔が近づくと、理央から微かに石鹸のような清潔な香りがした。

 

理央は安堵したように口元を緩め、ごく自然な動作で歌姫に視線を向ける。

 

「それは、良かったです。……歌姫も今日は一段と綺麗ですね。今日の陽気によく合っていると思います」

「…………。あー、うん。ありがと」

 

歌姫は一瞬だけ虚を突かれたようにキョトンとしたが、すぐに顔を背けてぶっきらぼうに答えた。

 

(陽子さんの時もそうだけど、こういうことは平気で言うのよね……)

 

彼の言葉には揶揄う気もなく、素直な感想なのはわかっている。

分かっているからこそ、その言葉を茶化したり否定するのも悪い気がして、結果的に落ち着かなかった。

 

「……じゃあほら、早速行くわよ」

「あ、はい。……今日は、どこへ向かうんですか?」

「とりあえず映画! あんた、映画も見たことないんでしょ?」

「以前言った通り、初めてですね」

「フフン、私が最高のデビュー戦にしてあげるわ。感動で席から転げ落ちないようにしなさいよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして歌姫は迷いのない足取りで、駅ビル上層階のエンターテインメントフロアへと向かった。

吹き抜けの巨大な空間を昇っていくにつれ、視界がひらけていく。近代的な建築デザイン、窓から差し込む六月の眩しい陽光、そして休日を楽しむ人々の賑やかな声。

 

理央は周囲の光景を静かに眺めていた。券売機の前に並ぶ親子連れや、パンフレットを熱心に読み耽る若者たち、キャラメルとポップコーンの甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 

「……新鮮ですね、これは」

 

理央は、緊張で背筋をわずかに硬くさせ、表情も少し堅かった。

歌姫はその様子を横目で盗み見て、ニヤついていた。

 

「ちょっと理央?あんた肩に力が入りすぎよ。

これから呪霊を祓いに行くわけじゃないんだから」

「いえ、ルールを間違えて歌姫に恥をかかせてはいけないと思いまして。まずチケットを買って、それから……あそこに並んで、お菓子や飲み物を買うで合っていますか?」

 

理央は真面目な顔で、ポップコーンの注文カウンターを指差した。

その指先までわずかに力んでいるのを見て、いつも余裕綽々涼しい顔で呪霊を祓う彼とは別人みたいで、歌姫は可笑しくてたまらなくなった。

 

「あら、一級術師の加茂理央様ともあろうお方が、たかがポップコーン一つでそんなに緊張しちゃうわけ? かわいいところあるじゃない」

「か、からかわないでください。僕は真剣に……」

「はいはい、真剣ね。じゃあ、まずはそのガチガチの肩をほぐしなさい。ほら」

 

歌姫はそう言うと理央の背中にポン、と軽く手を置いた。

薄いリネンシャツ越しに伝わる、彼の体温と緊張した筋肉の硬さ。理央は一瞬びくりと体を震わせたが、歌姫の屈託のない笑顔を見ると、ふっと憑き物が落ちたように息を吐いた。

 

「……すみません。自分でも気づかないうちに気負っていたようです」

「そうよ。休日なんて緊張とは一番無縁な時間なんだから。適当に楽しめばいいのよ」

「……はい。ありがとうございます、歌姫」

 

少しだけ表情が和らぎ、理央の瞳にいつもの穏やかな光が戻ってくる。

歌姫は「よろしい」と満足げに頷くと、今度こそ彼の袖を軽く引いて色鮮やかなポスターが並ぶ通路へと足を進めた。

 

「……それで、あんた。何が見たいのよ。無難にこの……ヒーローものとか、アニメとかにしておく?」

 

歌姫が赤と青のスーツを纏ったヒーローがビル群を飛び回る大作のポスターを指差す。

しかし、理央はその隣にある一つのポスターの前で足を止めた。そこには、現代の崩壊した都市を背景に、空を覆い尽くさんばかりの巨大な翼を広げ、口から火炎を吐く怪物の姿が描かれていた。

 

「……これなどはどうでしょうか。非常に迫力があって、面白そうです」

「これ?うーん……いや、私はこういうの結構好きっちゃ好きだけど……初めて見る映画がこれでいいの?もっとこう、感動して涙を流すようなやつとかさ。他にもあるでしょ」

 

けれど、理央の視線は微塵も揺るがなかった。

 

「いえ、これがいいです。派手で面白そうじゃないですか?」

「ん…わかったわよ。でも後で『思ってたのと違う』なんて文句言わないでよ? 」

 

(まぁ、私もこれ気になってたし、いいか)

歌姫はそう内心で言いながら券売機へと向かった。理央はその後ろ姿を追いながら、心なしか少しだけ、その瞳を期待に輝かせている。

 

 

暗転したシアター内に、内臓を揺さぶるような重低音が響き渡る。

視界を覆い尽くす巨大なスクリーンに映し出されたのは、街を焼き尽くす巨大な竜の姿。

 

(……いや、薄々分かってたけど。分かってたけどさ、これ、結構なB級映画じゃない?)

 

歌姫はポップコーンを口に運びながら、内心で苦笑した。

ストーリーの整合性はどこへやら、派手な演出と勢いで疑問を置き去りにする展開の早さ。見どころもあるが、お世辞にも上品とはいえない作品。

歌姫は恐る恐る理央の顔を盗み見る。

 

理央はまるで魔法を見た子供のように、瞳をキラキラと輝かせてスクリーンに見入っていた。

いつもは大人びていて、どこか達観したような呪術師の「加茂理央」の面影はどこにもない。

派手な炎の演出やドラゴンが映されるたびに彼は無意識に身を乗り出し、食い入るようにその光景を網膜に焼き付けている。

 

「…………」

 

そんな理央の様子を見ていると、映画の粗なんてどうでもよくなってくる。

歌姫は小さく笑うと、自分も背もたれに深く体を預けた。

 

(そんなに楽しそうな顔するなんて、心配した私が馬鹿みたいじゃない)

 

歌姫はコーラを一口飲み、スクリーンの中で暴れる竜に立ち向かう人たちに、心の中で小さな声援を送った。

隣から伝わってくる理央の静かな、けれど熱い興奮。それを心地よく感じながら、短い非日常の時間は過ぎていった。

 

二人がシアターの外へ出ると、ロビーの明るい照明が少しだけ目に染みた。

映画の余韻を噛みしめるように数歩歩いたところで、理央が興奮を抑えきれないといった様子で歌姫の方を振り返った。

 

「……驚きました。あの竜、まるで本当にそこに生きているかのようでした。竜の翼、鱗の質感……今の技術というのは、これほどの映像を作り出せるのですね」

 

理央の瞳は、映画館に入る前よりもずっと瑞々しく輝いている。そんな彼の無邪気な絶賛を耳にして、歌姫は可笑しそうに口角を上げた。

 

「まあ、確かにあのCGは本当に凄かったわね。でもね、理央。途中の展開は気にならなかったわけ? 序盤で『核爆弾でも無理だった』なんて大層な説明があったわりには、最後呆気なくやられちゃったじゃない」

 

歌姫は指を一本立てて、映画の矛盾を突くようにヒラヒラと振った。

 

「弓矢一発って、あんた……。今までの人類の苦労は何だったのよ!ってツッコミたくなっちゃったわよ。なんというか、最後は普通泥臭い大乱戦とか総力戦になると思うじゃない」

「…うーん……そうですね。整合性を考えれば、少々不可解な決着だったかもしれません」

 

理央は顎に手を当てて真面目に考え込んだが、すぐにまた柔らかく微笑んだ。

 

「ですが、それでも……あの一撃に全てを懸ける姿には、理屈抜きで胸を打たれました。歌姫の言う通り、気になるところはあったのかもしれませんが、僕はとても面白かったです」

「……ふふ、そうね。まあ、細かいことを気にしてもしょうがないわよね。私もなんだかんだ言ってあの無理矢理な力技、嫌いじゃなかったわ」

 

歌姫はそう言って、映画のクライマックスを思い出したのか、いたずらっぽく目を細めて笑った。

 

「ま、あんたも私もこれだけ楽しめたんだし? 結果オーライってことで、選んで大正解だったわね」

 

任務での張り詰めた空気とは違う、等身大の休日を謳歌している実感が、彼女の表情をいつになく柔らかく彩っていた。

 

 

 

 

 

 

シアターを出て駅ビルの時計に目をやると、針はちょうどお昼時を回ったところだった。

 

「さて、ちょうどいい時間ね。せっかくお出かけしてるんだし、何か食べていきましょうか。理央、何か食べたいものある? 」

 

歌姫が尋ねると、理央は少しだけ視線を彷徨わせ、それからフロアの片隅にある赤と黄色の鮮やかな看板を指差した。

 

「……なら、あそこのハンバーガーを。先ほど見かけたときも、多くの方が食べてましたから」

 

「ハンバーガー? まぁ、確かに手軽だけど……。レストランとかもあるのに、本当にファストフードでいいの?」

「歌姫が以前『時々無性に食べたくなる』と仰っていたのを思い出しまして。僕もその味を体験してみたいんです」

「そっか、一度も食べたことないのよね。分かったわよ、今日のランチはハンバーガーに決定ね」

 

辿り着いた店内は休日を謳歌するカップルや学生たちで溢れ、独特の香ばしい油の匂いと活気に満ちていた。

理央はレジの上に掲げられたメニューボードを、静かに、しかし興味深げに眺めている。

 

「……なるほど、これほど多くの選択肢があるのですね。写真で見る限り、どれも非常にボリュームがありますね」

「そんな大層なもんじゃないわよ。ほら、次は私達の番よ。あんた、決まった?」

 

理央は頷き、一番無難なハンバーガーを注文した。歌姫も注文して会計を済ませる。

トレイを運んで席に着くと、理央はまず、紙に包まれた塊をまじまじと見つめた。

テレビのCMや看板で何度も目にしてきた、現代的な食事の象徴。いざ目の前にすると、立ち上る匂いと、包み紙越しに伝わる感触は、知識から想像したものよりずっと鮮烈だった。

 

「……改めて見ると、なかなかの迫力ですね」

 

理央は丁寧に包み紙を開き、中身が崩れないようしっかりと両手で保持した。

 

「こんな風にかぶりついて食べるのは初体験ですし、少し、緊張します…」

「考えすぎよ。いいから、ガブッといきなさいよ。お行儀なんて気にする食べ物じゃないんだから」

 

歌姫はそう言って、慣れた手つきで自分のバーガーを頬張った。理央はその様子を一度だけ瞬きをして眺めると、意を決したように口を開き、大きな一口を食らった。

 

「…………」

咀嚼し、飲み込む。

理央はしばらくの間、無言でその味の余韻を確かめるように目を閉じていた。

 

「どう? 温室育ちのあんたにはちょっと、刺激が強すぎたかしら」

 

歌姫が覗き込むように尋ねると、理央はゆっくりと目を開け、どこか呆然とした、それでいてこれまで見せたことのないほど純粋な笑みを浮かべた。

 

「……驚きました。舌が痛くなりそうな濃さですが、それがこんなに美味しいなんて」

 

理央は続けてポテトを口に運び、その塩気と脂のハーモニーに、身体の芯から震えるような感覚を覚える。

 

「これは……恥を忍んで言えば、今すぐ駆け回って喜びたいくらいです!」

「あはは! あんたがそんな子供みたいなこと言うなんてね。……でも、気に入ったみたいで良かったわ」

 

理央は少し照れくさそうに、けれど隠しきれない高揚感を瞳に宿したまま、再びバーガーへと手を伸ばす。

周囲を見渡せば、学生たちが他愛ない話に花を咲かせ、向こうではカップルがポテトを分け合っている。

昨日まで理央の人生には存在しなかった、騒がしくも温かい、生きた人間の体温が混ざり合った空間。

理央にとって今は単なる食事ではなく、歌姫の住む日常という世界の色彩を、自分の中へ一欠片ずつ取り込んでいくような、そんな時間だった。

理央は確かで愛おしい手応えを感じながら、その二口目をゆっくりと咀嚼した。

 

 

 

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